映画『2010年』レビュー―『2001年宇宙の旅』続編は理路整然!

『2010年』(原題:”2010: The Year We Make Contact” 1984年 ピーター・ハイアムズ監督)は、SF映画の名作『2001年宇宙の旅』の続編にあたり、その後のストーリーとともに、前作の謎が解き明かされます。前回の『2001年宇宙の旅』レビューに続いて、この記事では詳細なあらすじをまとめ、感想などを書きました。(以下、結末までのネタバレを含みます。)

2010年 あらすじ

2001年、アメリカのディスカバリー1号による木星探査計画は失敗に終わった。搭載されていたHAL9000型コンピューター(通称・ハル)は原因不明の機能障害を起こし、人工冬眠中の科学者3名と船外活動中のプール副船長を殺害。ボーマン船長だけは生き残って、ハルの思考を切断した。ただその後、木星圏内で遭遇した正体不明の物体・モノリスの探査に出てからは「すごい、降るような星だ!(My God, it’s full of stars!)」という謎のメッセージを最後に行方不明。死亡したと推定される。米国宇宙飛行学会議議長であったフロイド博士は、責任を感じて辞職した。

それから9年。米ソの緊張が高まる中、ソ連の科学者・モイセーヴィッチがフロイド博士を訪ねてくる。アメリカは、事故とモノリスの調査を計画中だ。一方、ソ連はアメリカのディスカバリー2号よりもはるかに速い宇宙船・レオノフ号で木星探査を計画しているが、事故の原因とモノリスに関する情報がない。そのためディスカバリー1号の二の舞にならないとも言い切れないという。そこでフロイド博士にレオノフ号に同乗しないかと持ちかけたのだ。フロイド博士はディスカバリー号設計担当者・カーノウと、HAL9000の制作者・チャンドラ博士とともに、ソ連の宇宙船で木星へ向かう。

木星接近中、ソ連のチームは木星の衛星・エウロパで未知の現象を観測。氷の衛星のはずだが、葉緑素がみられるという。ソ連は無人探査機を飛ばすが、クレーターから放電を受けて落とされてしまう。収集したはずのデータもすべて消えた。フロイド博士は、近づくなという警告だと解釈する。

一行は木星付近でついにディスカバリー1号を発見、接触する。カーノウとソ連の宇宙飛行士・マックスが協力して内部へ入ると、大きな損傷などはなく、復旧のめどが立った。そのマックスはポッドに乗り、2001年にボーマン船長が遭遇したのと同じ巨大なモノリスの探査に出るが、放電を受け、帰らぬ人となった。

チャンドラ博士は、HAL9000を機能障害の記憶のみ消したうえで再起動。ハルと会話することで、機能障害の原因を突き止める。原因はハル自身の不具合ではなく、ハルが矛盾した命令の板挟みになったことだった。月面でモノリスが発見された当時、ディスカバリー号計画はすでに進行していたが、大統領命令によりその存在は科学者以外には極秘とされた。フロイド博士はモノリスについてハルに秘密にしているつもりだったが、実はホワイトハウスの役人が秘密メモにより教えていたのだ。科学者ではないボーマン船長とプール副船長に嘘をつかざるを得なくなったハルは、人間でいう統合失調症のような状態に陥り、狂いが生じたという。

そんな折、地球では米ソがとうとう戦争状態に突入。レオノフ号とディスカバリー号の行き来は禁止となる。フロイド博士らには、28日後の軌道に乗ればディスカバリー号の燃料が足りるはずなので、それで地球へ帰還するよう命令が下った。ところがその時、ハルが、発信元不在で入力方法も不明だという謎のメッセージを受信する。フロイド博士がふり向くと、そこには行方不明だったボーマン船長が立っていた。警告する許可が出たのでやって来たといい、フロイド博士に、危険なので2日以内に脱出するよう告げる。ボーマン船長は詳細を語らず「すばらしいことが起こる」とだけ伝え、最後の別れを残して消えた。

フロイド博士は命令に背いてレオノフ号へ出向き、新しい脱出計画を提案。ディスカバリー号の全燃料を使い果たして発射ロケットの役割をさせ、切り離した後、その先をレオノフ号で飛ぶという方法なら、2日以内に発っても米ソ乗組員全員が地球へ帰還できるのだ。そのころ木星ではモノリスが増殖して、黒点のようになっていた。チャンドラ博士は、ハルに与えたばかりの28日後出発のプログラムを変更。ただ、この発射プログラムはディスカバリー号ごとハル自身を放棄するというものなので、ハルが実行してくれるかどうか、乗組員の不安が高まる。ハルは任務に忠実なうえ人間同様の付き合いを要する相手なので、どう反応するか予想がつかないのだ。2001年の時のように、人間の乗組員を始末して、船の制御と探査任務のすべてを独力で行おうとする可能性すらある。ハルの作り主であるチャンドラ博士は葛藤し、ハルはハルで、なぜ理屈に合わない急な変更がなされた上、観測すべき現象が木星で起こっているさなかに出発するのか、疑問を持つ。発射があと2分まで迫った時、チャンドラ博士は、まもなく木星で起こる危険とディスカバリー号およびハルを置き去りにするという発射計画の真実を打ち明ける。するとハルは納得し、真実を教えてくれたことへの感謝を述べて点火。ハルとチャンドラ博士は互いに感謝と別れの言葉を交わすのであった。

ディスカバリー号を切り離してレオノフ号が木星圏内脱出に成功したその時、モノリスにのみこまれた木星は爆発。そのころ、目に見えない姿のボーマン船長はディスカバリー号のハルと接触し、レオノフ号へ木星の観測データを送るかわりに、地球へメッセージを送るよう頼む。メッセージとは、「これらすべての世界はあなた方のもの。ただしエウロパは例外で、着陸を試みてはならない。それらを共に使うのだ。平和のうちに使うのだ(All these worlds are yours except Europa. Attempt no landing there. Use them together. Use them in peace.)」というものだった。ボーマン船長は、ハルを連れてモノリスへ帰っていく。モノリスと一体になったボーマン船長からの最後のメッセージを受け取った米ソは、翌日、戦争終結を宣言した。木星は2つ目の太陽となり、人類は夜がなくなった新しい時代を生きるのであった。

レビュー:前作と打って変わった作風!

芸術志向で難解な映画だった『2001年宇宙の旅』とは反対に、理路整然とした作風でした。冒頭が前作の要点のまとめだという徹底ぶり。この大きな違いは監督が前作と異なることの結果ですが、無理やり前作に合わせようとしなかったのが功を奏して、独立した一本の映画として完成されていると思います。

テーマの面でも、冷戦中の米ソが協力し、友情をはぐくんでいくという部分にも重きが置かれている。「未知の生物の可能性」にとどまらない作品です。作中世界では2010年にも冷戦が続いていて、史実・現実とはすでにずれているわけですが、まったく気になりません。

そんな本作の魅力はなんといっても、再会と相互理解のシーンが縦横にめぐらされていることに尽きます。人類と未知の生命体との遭遇や米ソ冷戦を背景に、ディスカバリー号とフロイド博士、ボーマン船長と彼が「人間デイビッド・ボーマン」だったころの大切な人、チャンドラ博士とハルといった、離れ離れだった者同士の再会が続きます。そしてラストは、前作で対立し、わだかまりを残したボーマン船長とハルの再会と和解。カタルシスの連続で、満足度の高い一作でした。

個人的な感想

チャンドラ博士&ハルはSFの名コンビ!

私にとってとりわけ魅力的だったのが、史上最高のコンピューター・ハルと、その作り主であるチャンドラ博士です。

チャンドラ博士は、フロイド博士が「信用はならない」と言うくらい少し変わり者だけど、ハルに愛情をもって接する姿はまさにいい人!

一方のハルも、あまり恐怖のコンピューターという雰囲気ではないんですよね。いいも悪いもなく、ハルはシンプルに、超高性能コンピューターなだけなんですよ。そしてもしハルに「キャラクター」があるとすれば、生真面目でちょっぴり愛嬌があるというか。私は「映画の登場人物」としてのハルがとても好きです。

カウントダウンのシーンでは手に汗握りました。冷戦を背景に秘密とうそと陰謀の連続だったこれまでを断ち切るかのように、「真実」のやりとりが行われたのは鳥肌もの。チャンドラ博士はハルに自分もディスカバリー号に残ると言うあたり、ますます好人物。お互いを理解し合って感謝と別れを交わす二人(?)は感動でした! 私はいろいろなSF映画を観てきましたが、こういう余韻の残る感動はまさに随一で、SF映画史に残る名シーンだと思います。

テクノロジーの問題は、人間の問題である

そんな名キャラ・ハルですが、音声認識、音声による応答、そして自律思考をするコンピューターということで、最近風にいえばAI(人工知能)と呼べるでしょう。

私は、コンピューター関連テクノロジーやロボットはかねてから好んでいるほうです。第三次産業革命であるインターネットには高校生のころから助けられ、可能性を感じ、今こうして自らがサイト管理人になったくらい。そしてその道に通じているからこそ、現在やこれからの情報氾濫やプライバシーの危機にも詳しくなりました。新型のコンピューターである人工知能にも、ほぼ同じ態度です。

そんな私ですが、近頃のAI関連の話題には、正直、辟易しています。役に立つ冷静で現実的な情報に対して、質の悪い情報があまりに多いからです。後先考えず、何らかAIと呼び得るものを使いさえすればすごいことのように言い立てる風潮。実情をあいまいに伝えては「このままでは大変なことになる」「人類は滅ぶ」などと不安をあおり立てる、テレビ番組や各種メディア。そして、不安をあおることによって「人工知能にとって代わられることのないスキルを身につけよう」「AI時代を生き抜くノウハウを教えるコンサルタントです」などという話を持ち出し、金儲けしようとする見下げ果てた連中。この記事は映画のレビューなので深入りしませんが、インターネットにせよ人工知能にせよ、きちんとした知識と根拠に基づけば、全然心配いらない部分と、今すぐ法整備が必要な部分との見分けはハッキリつきます。私は、センセーショナルになるくらいならいっそ「AI(人工知能)」という呼び方をやめて、「コンピューター」「作業の自動化」など、正確で「夢のない」呼び方をすべきだと考えているくらいです。

そこをいくと本作は、ハルの「言動」を、人類がやっていることの一部として明確かつ冷静に描いています。コンピューターの「反乱」も結局のところは人間のあり方によって起こるのだという理性的な見方に、私はとても好感を持ちました。

人間という生物は絶対ではない

前作『2001年宇宙の旅』と本作『2010年』を貫いているのは、いまある人類という生物は決して絶対ではないという見方でした。このような体形、目や耳、あるいは知性さえも、もとをたどれば偶然の産物にすぎず、人類は宇宙に生じた一生命体にすぎません。これは架空のSFでもオカルト的なおとぎ話でもなく、科学的事実です。その事実から謙虚さが生まれるなら、人類はなんとも面白いなと感じます。

善悪、価値観、社会の在り方、社会問題の解決――私の頭は、いつも人間の世界のことでいっぱいです。しかし、人類という種族内でのあれこれを離れて、宇宙にある地球という惑星で「ただ生きている」という視点も、私たちにはきっと必要。『2010年』はそんな余韻を残してくれる、SF映画の傑作でした。

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著者・日夏梢プロフィール||X(旧Twitter)MastodonYouTubeOFUSE – ツイッターやっています。ブログ更新のお知らせもしていますので、フォローよろしくお願いします。

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