アウトサイダーの小説家だから悩まないで済んだ3つのこと

実を言うと、私は小説を書く人の悩み相談やアドバイスに共感したことが一度もありません。

もともと私は、フィクションにはほとんど手をつけない人間でした。読むといえば、法律書など実用書ばかり。小説は三年に一作読めば多いほうで、映画・マンガ・アニメ・テレビドラマなどを含めたフィクション全般でも、摂取量はまちがいなく日本全体の平均以下です。小説という世界に飛び込んだ当初、そんな自分が書いた作品が文学青年タイプの人にどう映るのかには正直不安もありました。しかしふたを開けてみれば、それが強みとして、しかも思いがけず大きな強みとして、出ることに気付いたのです。

今回は、そんな「アウトサイダー」だからこそ悩まないで済んだことを3つ紹介します。ひょとしたら、原稿用紙の前で頭を抱える「文学青年」の人にも参考になるかもしれません。

「一作目にすべてを投入した結果、二作目が書けない」わけがない

小説家になりたい、ではなく、小説家になって何を成し遂げたいのか。私にとって、小説はそれ自体が目的ではなく、思いを伝える手段です。

以前の記事でも書いたのですが、思いを表現・実現する手段は、小説以外にも多数あります。たとえば、政治家、法律家、ジャーナリスト、起業家、教職、NPOワーカーになる、など。どれにも一長一短あります。私は、ひとりひとりの心が動いて、それがたくさん集まった時に社会は変わるという信念を持っています。もう一つ、私は自分の幸せも考えて、自分自身が楽しみながら乗り越えていこうと、人生のある時に決めました。この二つを満たす方法として、小説という「方法」が浮上したのです。

表現したいこと・世に訴えたいことがたった一つで、実際に表現するのが一回限りということはありえません。小説家としてやりたいことは、小説を始める以前に決まっているのです。

「書いている途中で続きをどうすればいいか分からなくなり、行き詰まる」わけがない

「行き詰まる」「結末をどうすればいいかわからない」は、物語を書く人の定番的な袋小路のようですね。

しかし私は「思いを小説の形に構築する」という思考方法をとっているので、これはそもそも起こり得ない悩みです。

物語の筋は、書き始める以前から俯瞰しているもの。小説とは、まとまって描かれた人間模様や心情を通して表現する方法だと考えています。

「好きなキャラクターばかりを優遇してしまう」わけがない

これもよく聞きますね。自分が生み出した物語で、自分が好きなキャラクターばかり出番を増やしてしまう、いいことが起こるようにしてしまう……などなど。

これも「行き詰まるわけがない」と重なるのですが、表現したい事柄があって、それを小説の形にするとどうなるかを考え、登場人物をつくっていけば、各人物の動きや結末は決まっているはずなんですよ。別の言い方をすると、キャラクターは物語内での役割を持って生まれてくる。だから人物にも描き方にも過不足はない。物語とは、論理で組み立てた構造のこと。

この手の悩みを見かけると、「この人は文学青年なんだなー」と思います。はっきり言えば、私がものすごく苦手なマニア体質の人かも……。私には、たとえ誰かに特定のキャラクターを優遇しろと言われたってできない。だって、それでは作品全体の構造が崩壊してしまうでしょう? その作品でなくなってしまうでしょう?

「アウトサイダー」だからこそ

私は小説という世界の「アウトサイダー」だからこそ、よくある悩みの数々を「クリアした状態」で始められました。本当に得したなぁと、しみじみ思います。あるいは、しっかり勉強し、世界を見渡してから大人として選んだ道だからこその強みでもあるかもしれません。せっかくなので、今後も活かしていきたいです。

「小説が好きだから小説家になりたい」という生粋の文学青年のみなさんには、「外部」からのアドバイスとして役立つのではないかと思います。私の考え方の中から悩み解決の糸口を見出せたなら幸いですし、もしこれが人の心をゆさぶる力強い作品を生み出す原動力になるなら本望なことこの上ありません。

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