児童養護施設の子どもたちへの誤解3選

最近、とても痛ましい新聞記事を目にしました。地域住民の一部が児童養護施設で暮らしている子どもたちに偏見をもっていて、施設の新設・移設に反対しているとか……。(児童養護施設新設に壁 地域に賛否 2017年9月13日18:00(朝日新聞デジタル版)

みなさんは児童養護施設にどんなイメージを持っているでしょうか。私は大学時代に法律学を専攻し、なかでも子どもに関する民事法をテーマに研究しました。施設のことは多くの人になじみがないため、反対派住民でなくても誤解してしまいがちな面があるのかなと思います。

偏見は正しい知識により解けるもの。今日は、そういった誤解を解くべく、3つにしぼって解説していきます。

1:「施設の子はかわいそうな子」ではない

これは念のためなんですけど、児童養護施設で育つことはかわいそうなことではありません。

ここでは、法律論をうんとかみ砕いて解説します。法制度というものを考えるときは、「あなたがからっぽの土地の王様だったら」と想像してみてください。あなたは国で起こるあらゆることに決まりをつくっておかなければなりません。

さて、あなたの国で赤ちゃんが生まれたとします。……どうしますか? ほっぽらかしておくわけにもいきませんよね。そこで法律は、赤ちゃんを養育する「とりあえずの責任者」を決めておかなくてはなりません。現代の日本では、ひとまず親がお世話をすることになっています。赤ちゃんが生まれたなら親がその近くにいる確率が高いですし、一般に養育してくれる確率も高いだろうと推定してのことです。

……というだけの話で、親が養育することにそれ以上の意味はまったくありません。親元にいるのがいいことだと言っているわけではないのです。別の言い方をすると、「本当は親元がいいのに、それができないから施設にいる。持つべきものが欠けているのだからかわいそう」という見方は誤りです。「とりあえずの責任者」が何らかの事情で責任を果たせない場合は、別の人が責任を持って養育していけばいい。

このように、大事なのはあくまで、子どもがきちんと保護され養育を受けられることにあるのです。育ち方に優劣はありません。児童養護施設で育つのも、立派な選択肢のひとつです。

2:「子どもの性格に影響がある」は迷信

最近はフェイクニュースが人々を惑わすなどといいますが、世の中にはインターネットの普及なんかよりずっと前からデタラメが多く出回っています。たとえば、

「黒いネコが目の前を横切ると、縁起が悪い」→迷信です。万が一その日運が悪かったとしても、それは単なる偶然であって、黒ネコのせいではありません。

「マイナスイオンは体にいい」→かつて、まことしやかに言われていましたよね。スポーツ選手がこぞってマイナスイオンブレスレットを手に巻いたり、マイナスイオンがたくさん出ているからといって滝のそばに行くのが流行ったりしました。が、のちに科学的根拠がないことが判明……。

「私の家の近所の道は、もうすぐバス通りになる」→クラスメートからこのうわさを聞いたのは10年以上前ですが、今もバスなんて全然通ってません。計画すらありません。完全なガセネタでした。

さて、児童養護施設の新設・移設に反対する人の意見は、「①児童養護施設の子どもたちはつらい経験を負っている。②そのために性格に問題を抱えているので、地域の人を傷つける。だから地域に施設をつくらないでほしい」という内容。しかし、これは事実と異なります。

パーツに分けて説明すると、

①つらい経験を負っているとは限りません。私の中学の校長先生は貧しかったのを理由に児童養護施設で育ったそうなのですが、かわいがられていたのでつらかったわけではないと話していました。(ちなみに校長先生は落ち着きのある人柄で生徒からも人気でした。私の中学を離れてからは、教育委員会で要職に就かれました。)

②これは、論理の問題です。たとえ虐待などの事情を負っているとしても、だから他人を傷つける、というのは短絡的です。過去の傷を乗り越えて明るく生きていたり、あるいは傷ついたからこそやさしくなった人はいくらもいます。

あと、自分自身はつらい経験をしていなくて他人のことを傷つける人は世の中にたくさんいますよね。あなたの周りでイジメをした人、パワハラをする人などを思い浮かべてみてください。99.9パーセント、施設で育った人ではないと思います。

もう一つ加えておくと、家庭で生活しながら親きょうだいから虐待されるなど、つらい経験をしている子も大勢います。

③上では2つ理屈を並べましたけど、それ以前の問題がある。つらい経験をした子がいるなら、力になってあげたいと思うのが人情のはずです。その子に必要なのはケアです。なのにそれどころか、傷ついた人に向かって「来んな、出ていけ」と追撃をかけるなんて……とんでもない。人を害のように扱うなど、小学生の「菌うつし」と同じです。大人からそんな「いじめ」をされた子は深く傷つくでしょう、傷つけるのではなく。

以上の通り、児童養護施設に住んでいるかどうかとその子の性格は、関係ないのです。それを無理やり結び付け、レッテルを貼る。そういう行為こそ、偏見、そして差別と呼ばれる人間の愚行なのです。

3:社会はみんなのものです

誰も、近所に住む人を選別する権限など持っていません。だって、社会はみんなのもの。

「あの人はなんかヤダ」「この人は来ないでほしい」なんて勝手すぎる。「あなた、何様ですか」「じゃあ、なんであなたはここに住んでいていいんですか」「いい悪いの基準はどうなっているんですか、なんであなたがそれを決めていいんですか」「そういうのって神様気取りじゃん」「えらそうに……」ということになる。――これは人類の歴史における「人権」という概念のはじまりでもあります。

私だって隣の家の住人を選んだことなんてないですよ。誰だってそうですよね。

人は平等。この社会は特定の人々の私物ではなく、みなが生きていく空間です。

おわりに

「児童養護施設の子どもたちへの誤解3選」は、いかがだったでしょうか。根拠のない話は多いものですね。これまでなじみがなかったという方にも、いやいやこんなのは常識だという方にも、何か発見などがあればと思いながら書きました。

実際に施設を運営している方々や関係者・支援者・研究者などの方々は、反対派の地域住民とも対話を続けていくでしょう。それが同じ地面の上でともに生きていくため、もっとも合理的な方法だから。何より、子どもたちのために、いちばんよいことだから。

ただし、私は第三者の作家なので、厳しく言います。大衆は時に愚かで、妄想にとりつかれて愚行に走ることさえあります。やんわり遠回しな言い方では伝わらないこともあり、手加減なしの厳しさをもって目覚めさせなければ守れないものもあるのです。

施設の子どもたちのことを散々に言っている人こそ、人間性に問題があると思います。

もし児童養護施設の子が心に傷を負っているとしたら、傷つけたのは偏見を持った人自身じゃないですか。それでは自作自演のイジメです。生まれてから年端もない尊い命を日陰者扱い、害虫扱いまでして、よく平気な顔をして外を歩けるものです。恥ずかしい。困った人もいるものです。家庭で生活している子を含めた全ての子どもに見せたくない大人です

相手の気持ちになって考えよう、自分がされて嫌なことは他人にしてはいけないというのは、3歳の子が教わる人間の基本です。

この社会を生きやすい場所にしていくには、正しい知識を得ようという意欲、論理上の誤りを解きほぐすねばり強さ、他者を理解しようとする気持ち、そして何より、人間として当たり前の思いやりを持っていたいものです。

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著者・日夏梢プロフィール

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