「英語力が低い」と日本人が落ち込まなくていい5つの理由

もともとシャイな日本人にとって、英会話は長年難関として立ちはだかってきました。英語となると自信なげ。外国人を前にしたらもうタジタジ。しゃべれないのが普通だという雰囲気。「Do you speak English?=英語を話せますか」と聞かれたら、多くは「No.=しゃべれない」あるいは「少しだけ」と答えるでしょう。しかし、日本人の英語力は本当に低いのでしょうか。

ここでは、英語を勉強しているすべての人向けて、ナーバスになったり卑下したりしなくて大丈夫だというエピソードを5つ紹介します。Take it easy!

「間違うのは当たり前」―日本人の英語上級者

私がある年学校で教わった英語の先生は、アメリカへの長期留学を経験していて、日本人の中では最上級者の部類に入るような人でした。世に言う「英語ペラペラ」というやつです。

ところが、その先生が最初の授業で私たちに真っ先に教えたのは、ネイティブ並みの発音でも文化のことでもなく、「間違いを恐れないでいい」。なぜなら、「日本人だって日本語をまちがえたり、相手に伝わらなかったりすることはしょっちゅうあるから」とのでした。こんなになんだって表現できる・聞き取れる人がそう言うなら……。最初の授業でのたった一言で、私はうんと気が楽になりました。

もう一人、同様のエピソードを。こちらも英語を生業としているプロの方でしたが、「私なんて何度恥ずかしい思いをしたか分からないし、今でもしょっちゅう恥をかいている」と語っていました。

日本人にありがちな反応:間違うと、自分の英語力は低いんだと思い込む

発音が通じない、意味が通じなくて聞き返された、意図したのと違ったとらえ方をされた、単語のニュアンスが思っていたのと違った……第二言語(もしくは第三以降)としての英語を使うすべての人に、そういうことは必ず起こります。

ただ、ここで「自分の英語力は低いんだ」と結論してしまうのは早計です。

間違うのは、語学の当たり前

上級者になればなるほど「間違ったり恥をかいたりするのは当たり前」と語るのには、きちんとわけがあります。

英語が流暢なことをよく「ペラペラだ」と表現しますが、これは実にあいまいな概念です。英語に初めて手をつけた時には「ペラペラになる」というゴールテープがあるような気がしますが、実際には、外国語学習に終わりはありません。それこそ「ペラペラ」な人になれば、長い道のりのどこかで必ず、語学にはゴールなどないのだという実感を得ています。そして英語をたくさん使う人ほど、間違えた、伝わらなかった、誤解されて恥ずかしかったという経験も比例して多く抱えているわけです。

さらに、外国語を学ぶのは、誰にとっても難しく、骨が折れることです。文字にはじまり読み方、書き方、単語に時制、背景には文化の違いまで横たわっているのですから、そうかんたんに理解できるわけがありません。また、完全に理解しきるなどということは永遠にありません。私たちは第一言語ですらたびたび間違うのに、外国語で一切間違わないなんて、原理的にありえないのです。これは日本人に限らず、中国人やタイ人だろうが、あるいはドイツ人のイタリア語だろうが、フランス人の日本語だろうが共通です。

そこにもってきて、英語と日本語は、根本的に全く異なる言語。フランス語やスペイン語などヨーロッパのラテン語由来の言語は、そもそも文字がアルファベットで、文法も英語と似ています。そういう言語の話者は英語学習においてだんぜん有利なので、彼らと日本人を単純比較するのには無理があります。最近はアニメなどがきっかけで日本語に興味を持つ人が増えていますが、ヨーロッパ系の人が「日本語は世界一難しい言語だ」とまで言ったりするのをご存知ですか? ならば逆も然りで、日本人にとって英語が難しいのは当然じゃないですか。

間違えるのは、英語力が低い証明ではありません。決していけないことではありません。外国語を使うなら当然のことなのです。

もし「私は英語を間違います」と言えない雰囲気がある、あるいはそう認めない人がいるとすれば、一歩身を引いて状況を確認してみてください。それはおそらく、日本人同士の小競り合いに端を発するのではないでしょうか。周りの人との競争心や、「”カリスマ講師”を銘打っている以上、間違えるなんて言えない」といったビジネスの都合などです。

事実は、”Learning a foreign language never ends.”です。間違ったり誤解されたりしても、自信をなくすことはありません。間違うのは当たり前だという前提に立てば、自分の英語力をもっと誇りに思えるはずです

「ただ聞き返しただけで、責めてない」―アメリカ人の英語の先生

これは大学時代の先生(アメリカ人)のエピソードです。

かつて授業の始めに出欠をとっていると、学生が遅れて駆け込んできました。なのでどうして遅れたのかと聞いたら、その学生はただ”I’m sorry!”と答えた。いきなり謝ってきたので驚いて、ただ理由を聞いただけだと言っても、学生は”I’m sorry!”をくりかえし、ひたすら頭を下げた――。

先生が遅刻の理由を尋ねたのは単に事情を知りたかったからで、非難する意図はなかったということです。「そういう場合にはただ答えてほしい。聞いただけで、責めているわけではないから」と彼は言いました。

日本人にありがちな反応:質問されると委縮する

自分の頭の中だけで完結する自問自答と異なり、他者とコミュニケーションをとる以上、「どういう意味?」と聞く/聞かれる場面は必ず出てきます。とりわけ不自由な外国語で会話するなら、聞き返される場面は多くなりますよね。

上記の学生のように、日本人は質問されたり聞き返されたりするだけで、怒られている、責められている、場面によっては馬鹿にされていると勘ぐってしまいがちです。

確かに、気持ちが分からないわけではありません。一生懸命しゃべったのに通じなくて「ガーン!」なんてことは、もちろん私にもあるんですよ。友人の間でも、「”Sorry?”って聞き返されると心が痛むよね」なんていうのは定番的な笑い話。「表現おかしかったかな」とか「発音悪かったかなぁ」なんて、がっくり落ち込むことはあるかもしれません。

しかし、いくらなんでも落ち込みすぎではないでしょうか? 相手に言わせれば責めている、怒っている、あるいは英語力を馬鹿にしているなんていうつもりは全然なく、その言葉通り、ただ聞き返しただけなのですから。

コミュニケーションは、双方向のキャッチボール

質問されたときに、委縮したり謝ったりする必要はありません。相手は謝ってほしいなんてさらさら思っていないからです。なのに落ち込んだそぶりをすると、相手にはなぜそうなったのか意味が分からず、かえって誤解やトラブルを招きかねません。

遅刻の理由を聞かれたなら「乗っていた電車が急に止まったんです」でも「うっかり寝坊したからです」でもなんでもはっきり本当のことを答えればいいし、”What do you mean?”と聞かれたらけろっとして、別の言い方で同じことをくり返せばいいのです。場面によっては、こちらが”What do you mean?”と聞き返したっていいんですよ。

キャッチボールのように明るく楽しく、双方向のやりとりを続ければいい。それがコミュニケーションというものです。

細かいところにこだわらない―ブラジル人エリート会社員

これはあるブラジル人の話です。彼は大手鉄鋼メーカーに勤めビジネススクールで教鞭もとっているという、輝かしいキャリアを持ったスーパーエリート。これまで国際取引もあまた手掛けてきたマネージャークラスで、業界のプロフェッショナルなことを英語でどんどんしゃべる、デキる人でした。

ところが、彼の英語をよーく聞いてみると……文法がメタメタ! あれだけ口達者に話すのに、「高い競争率」を”hight competition”なんて言う始末(highが正解。hightは「高さ」の意味の名詞。)。彼の英語は名詞、形容詞、動詞がごちゃまぜなのです。日本人だったら中学生でもしないようなミスが、大量に混ざっているではありませんか。しかも本人は無自覚。周りが指摘しても「あ、そうなの?」くらいの反応で、いつも通りノリノリでした。

日本人にありがちな反応:細かいミスを気にしてつまる

「今、三単現の”s”をとばしちゃった」「次、時制を一致させないと」……そんなこんなが頭にあって、日本人は言い直したりつまったりしがちです(もっとも、これには英語と日本語が根本的にまったく異なる言語だということも関係していますが)。

しかし、そんな細かいところを正す必要が本当にあるのでしょうか。

hight competition”でも、彼が何を言わんとしているかは伝わってきますよね。彼はその調子であまたの国際ビジネスを、堂々とやりとげてきました。これが世界の現実です。第一、よっぽど耳をそばだてないと、そんな細かなミスは聞き逃してそれきりです。

英語はコミュニケーションの道具だから、伝わればそれでいい

英語は、意志疎通の道具です。なら、自分の伝えたい内容が相手に伝わればそれでいいのです。もし「ブロークンでいいのは遊びの会話だけでしょう?」と思っているなら、海外ではそれは違います。大手鉄鋼メーカーのマネージャー職として国際会議にのぞむにしても、文法ミスを連発してさらりとした顔をしていて大丈夫。英語はしゃべった者勝ちです。

このことは、相手側の立場になって考えてみると分かりやすいと思います。こちらからみて相手が新しい人であるのと同じように、相手はこちらの細かな事情など知りえません。そしておそらく、これからも。もし文法の精度を気にして「私の英語力はいまいちです」などと言ったら、相手は言葉通りに受け取って、「なんだ、いまいちなのか」とがっかりするでしょう。「なら、英語力のある人を連れてきて」と頼んでくるかもしれません。自信なげな態度の原因、謙遜する傾向、自分の英語力を「いまいち」と思った背景事情、あなたのまわりの人間関係、あるいは「そんなことないよ」と言ってもらいたいという淡い期待。そんな細かで深い、あなたしか知り得ないニュアンスまで察してくれることはないのです。

国際舞台に出たら、細かいミスはなんのそのでべらべらしゃべった人がデキる人です。ブラジル人の彼はそう教えてくれました。もし自信をなくすことがあったら、ぜひともブラジルの大手鉄鋼メーカーのスーパーエリートを思い出してください。それでいいんだ、と。

ネイティブ・イングリッシュを目指さない―スペイン人弁護士

これはあるスペイン人のお話です。彼女は企業に勤める弁護士ですが、英語にスペイン語を引きずりがち。ある時、彼女は”young”を「ジャング」と発音しました(ちなみに、単語の発音がまったく違うから通じないという種類の間違いは、ラテン語系言語の話者にはよくありますが、日本語など根本的に違う言語の話者は初心者でもほぼしませんね)。周りの人が”You mean, y-o-u-n-g young?”と聞いたら、彼女がどんな反応をしたと思いますか?

「なんで英語では『ヤング』なんて発音するのよ」と英語に逆ギレ、やつ当たり! 英語はおかしいとでも言いたげな、ずぶとく誇り高い(?)態度でした。

日本人にありがちな反応:ひたすら「ネイティブと同じ」を目指す

ネイティブ並みの発音、ネイティブらしい単語・熟語の使い方、ネイティブのようにくずした会話表現……といった具合に、「ネイティブと同じ」を目指す人が日本には多いです。書店では「ネイティブに笑われないように」という趣旨の本をずいぶん見かけます。それだけ需要があるのでしょう。

しかし海外では、「ネイティブと同じ英語」熱はこんなに高くありません。アメリカやオーストラリアなどに引っ越してきた人は、自分の第一言語に由来するアクセント(なまり)をそのまま堂々としゃべって暮らしています。直そうともしていません。

ノンネイティブの英語で大丈夫

大事なのはあくまでコミュニケーションなので、ネイティブらしさにそこまでこだわる理由はないんですよね。ネイティブを絶対視するなら、むしろ文化的には問題があるくらいです。

今日、世界の英語話者でネイティブスピーカーはむしろ少数派です。たとえば、外国人観光客から英語で道を聞かれたとして、その外国人がアメリカ人等である確率は、実は低いです。スペイン人かもしれないし、ブラジル人かもしれない。ロシア人やベルギー人かも。向こうもなまりがあるノンネイティブなんだったら、「発音が下手だったらどうしよう……」なんて恐れることはありません。

また、国際舞台での英語は様々です。アクセントは恥じ入る対象ではありません。日本語のアクセントがあっても堂々としゃべって平気ですし、他のノンネイティブはみなそうしています。

しかも、「ネイティブ・イングリッシュ」の中にもブリティッシュ、アメリカン、オージーなど、いくつものアクセントがあるんですよ? どれに合わせたとしても、「別のネイティブ・イングリッシュ」に出会う場面はやってきます。「正しい英語」の概念が崩れる時は必ず来るのだから、ネイティブらしさをやっきになって求めるのはむしろ無駄足。意味があるとしたら、ネイティブ・ノンネイティブの両方を含めて、できる限りたくさんのアクセントに慣れておくことなんですよ。結局、大事なのは相手と意思疎通することだという結論に行きつきます。

さらに、巷には「ネイティブは絶対こう言わない」趣旨のエピソードがあふれていますが、あれはあまりあてにはなりません。「いや、そう言ってる人いたよ?」という反証に出くわさないほうがめずらしいくらいです。もし本当にネイティブが使わない表現だったとしても、意味が通じないわけではありません。言語というのは「絶対」がない、多分に抽象的なものなんだなぁ、と、つくづく感じます。

ネイティブ・イングリッシュを追いかけるのは、英文学者くらいです。外国の人と交流してみたいとか、友達になりたいとか、ビジネスで使うというならば、日本語なまりや不自然な表現があっても、へっちゃらで話して大丈夫です。

日本人は、英語をしゃべれるのにしゃべれないと言いがち思いがち

Do you speak English? Yes or No.

「英語を話せますか」と英語で書かれたパネル

海外では、日常会話に支障があるレベルの人ですら、「Yes!=英語しゃべれるよ!」と言います。「英語が話せる」ことが自慢で、うれしそうにどんどんしゃべる人も多いです。

日本人にありがちな反応:「学校で習った英語は使えない」神話

対照的に、日本人は学校できちんと授業を受けたにもかかわらず、「No.=しゃべれません」とか「苦手です」と引っ込みがち。

日本の英語教育は文法と読解に偏りすぎている、と指摘されて久しくなります。ただ、私がここで言いたいのは、その真偽や妥当性ではありません。この指摘は意図せずして、「学校の英語の授業は不完全なものらしい」というとらえ方を生みました。それがさらに進んで、「学校で勉強した英語は、実際の英会話では使えないらしい」という観念につながっている。このことは、日本人がきちんと勉強したにもかかわらず「しゃべれません」と言いがち、思いがちな原因の一つだといえるでしょう。

日本の英語教育が文法と読解に偏りがちなのは一応事実です。しかし、ならば文法・読解がそんなに役立たないのかというと、決してそうではありません。

文法・読解は、語学にとって不可欠です。私が大学に入ったころ、ネイティブのフランス語の先生は「フランス語を始めるなら、まずは文法を覚えないとね」と言いました。またあるアメリカ人は、「英語をしゃべれるようになりたいなら、何よりもまず、たくさん読むことだ」と言いました。意外でしたか? このように、文法や読解は、決して悪者ではありません。不幸にも不満のはけ口にされてしまっただけなのです。

子ども向けの英会話教室やビギナー向けの講座でよく、”Head, shoulder, knee!”などと歌いながら体をタッチしていくリズム体操がありますよね。あれはあくまで、英語に親しむための導入部です。ああいうことをやれば話せるようになる、なんていうのはお門違い。地球上どこの教室でも、必ずそれ以降のレッスンが用意されています。この後きっちり机に向かって文法を習得しなければ、決して英語を話せるようにはなりません。”knee”は「ひざ」の意味だと覚えていても、それだけではまったく応用がきかないからです。”Knee!”つまり「ひざ!」と単語一つを叫んでも、ひざがなんだっていうのか。コミュニケーションにならないじゃないですか。「ひざを曲げると痛む」「ひざの高さまで雪が積もった」などと自分の意図を思うままに、自由に表現するには、文法が不可欠です。英語の本当の楽しさは文法から始まると言っても過言でないかもしれません。

教室の外のどこかに、英語をしゃべれるようになる楽しくて魔法のようなメソッドがある――こういう幻想が、それなりに幅をきかせていると思います。幼いころに英語圏で暮らしたら「ペラペラ」になるとか、教科書ではなく歌から入れば会話ができるようになるとか。しかし、「学問に王道なし」と同じく、語学に王道はありません。

学校の英語の授業でがんばってきたことは、絶対に裏切りません。「ただ学校でやっただけ……」なんて過度な謙遜をするのはもうやめて、「自分はちゃんと勉強した」と考えていいんです。

しゃべれるんだから、自信を持って

そう、中学で”My name is ○○.”を習った時点で、あなたは「英語をしゃべれる人」なんですよ。

日本人は謙虚だというけれど、私はただ自己評価が低いだけだとやるせない気分になることが多いです。海外のノンネイティブは、たとえ日本人と同じレベルでも、もっと自信を持っています。

心のスイッチをパチンと切り替え「しゃべれる人」としてふるまえば、世界は変わると思います。

おわりに―心を開いて、”Yes!”と答えよう

私は、「日本人は英語力が低い」といわれる状況は、ひとえに心理性の原因から生じていると考えています。ここまで純粋に心因性な物事は、他では成人の吃音(俗称「どもり」。精神的な緊張から声帯や唇などの運動が阻害され、流暢な発音ができない言語障害。胸の内には言おうとしていることがある)くらいではないでしょうか。

英語が得意なのに間違いを恐れて黙りこくってしまうのは、クラスメートや同僚とのしがらみがあるから。他のノンネイティブだったら恥じ入りも傷つきもしないような場面でひどく落ち込むのは、性格がシャイだから。文法の細部を気にしてしまうのは、外国人と話すことを特別視するがために、形式ばってしまうから。あるいは、本音では知らない人と会うのがおっくうだから。ネイティブらしさにこだわるのは、自己肯定感が低くて漠然とした劣等感にさいなまれ、何をするにも不安で、「良いのはこれだ」という自分が同化すべき対象を求めているから。学校で習ったにもかかわらず英語ができないと思い込んでいるのは、「学校でやっただけだもん」と妙な幻想と謙遜で心を埋めてしまうから。……

どうしてこういう心理状態に陥ってしまうのかは、わからないでもありません。環境による心の圧迫とそこから生じる苦しみ、そして「宝の持ち腐れ」状態は、日本社会に生きる誰もが大なり小なり経験する深刻な問題だからです。かく言う私だって、中学のころ、せっかくアメリカの中学生が区の交流イベントで来校してきたのに何もしゃべれなかった日の記憶をかかえています(原因は周りのクラスメートの目を気にしたこと、それから一体何を話そうか、話したい内容が決まっていなかったからというのも大きいですが)。こうして自分の英語に自信を持っていい5つの理由を綴っていると、なんだか自分に言い聞かせているような気もしてきます。

けれど、やっぱりどう考えたってもったいない。人はそういう古巣から、いつかは思い切って巣立たなければなりません。それを克服する力は、たとえ自分で気づいていなくても、小さな経験を積み重ねてきた中でちゃんと身に付いています。

「間違っていい」とまっさきに教えた日本人の最上級者、「ただ聞いただけだよ」とコミュニケーション(=意思疎通)のやり取りをいつも自然に行っているアメリカ人の先生、文法メタメタでも自信満々でノリノリなブラジル人スーパーエリート、英語に逆ギレするスペイン人弁護士……私たちはこういう人々と直に出会って、いちばん大事なことを教わってきたではありませんか。胸張っていきましょうよ。

たとえどんなにすばらしい英文が頭の中にあっても、それを自分の外に出さないなら、他者には「英語力が低い」ように見えてしまいます。言い換えると、私は、日本人の頭の中にある英語力と、海外という他者からの評価にギャップができているのが現状だと思います。なら、「日本人は英語を話せないよなぁ……」という海外の反応は、日本人が出し惜しみせず背伸びもしないありのままの英語力を解放すれば、がらりと変わっていくでしょう。一人ひとりについて言うなら、たとえ現在「緊張の文化」に押しつぶされて話せなくても、「文法を間違えてもいい」「なまっていて大丈夫」「自分にはちゃんと力がある」といった意識を積み重ねた上で「リラックス」を覚えれば、言葉は口から出るようになるはずです。そうやって自分を解放するには、まずはそれぞれに合ったシチュエーションをつくり(たとえば同僚の目が気になる人は、知人のいない教室へ行って新しい自分になってしまうなど)、どこかで一度自信をつけることだと思います。

最後になりますが、英語は苦手意識の対象となる一方、人気科目としての地位も占めてきました。なぜでしょうか?

英語を覚えたら、新しい世界が見えた。未知の異なる文化に触れられた。日本語が通じない外国の人とも友達になれて、国内では手に入らない品をネット通販で買えて、仕事では海外を範疇に入れることができるようになって……こんなにも喜びと可能性に満ちているからです。私は英語に苦手意識を持たずやってこられたほうですが、それは結局「好きだったから」に尽きると思います。英語学習の魅力は、どのレベルであっても忘れないでいたいものです。

これを読んでいる方は、年齢や学習歴、現在のレベルまで様々でしょう。あなたがどうだったにしても、相手とコミュニケーションしたいという気持ちさえあれば、それに応えるだけの英語力は備わっていると思います。心を開いて、元気出して羽ばたきましょうよ。Take it easy, you can do it!

「英語を話せますか」と英語で書かれたパネル

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英語が話せると「楽しい」3つの理由 – 私は中学から英語が好きだった部類です。英語が使えるとどれほど楽しくて便利かを書きました。英語好きなあなたはもちろん、義務感から重い腰を上げて勉強しているあなたもぜひ。