映画『アバター』あらすじと感想

『アバター』(原題:Avatar ジェームズ・キャメロン監督)は、2009年に公開されたSF映画の超大作。3D映像が話題となり、世界興行収入第1位の記録をぬり替えました。この記事では本作のあらすじを紹介したうえで、感想などを書いていきます。(以下、結末までのネタバレを含みます。)

アバター あらすじ

ジェイクは負傷して脚が動かない元海兵。双子の兄・トミーは優秀な科学者だったが、研究のため宇宙へ行く直前、強盗に撃たれて他界する。脊椎の治療のために金が必要なジェイクは、兄の代役として遠い宇宙の星”パンドラ”へ飛び立った。

パンドラは豊かな自然におおわれた星だ。ただ人間にとっては外気だけでも有毒、森の猛獣にはマシンガンすら効かないという過酷な地で、青い皮膚に強靭な骨格を持つ先住民”ナヴィ”との関係は悪化の一途をたどっていた。”アバター”とは、人間とナヴィのDNAをかけ合わせた人工の結合体だ。”アバター操縦者(ドライバー)”がラボのカプセルで眠りにつき、神経組織をリンクさせると遠隔操作できる。責任者・グレースを中心とする科学班の”アバター計画”は、アバターでナヴィの姿となって交流し、共存を目指すというものだ。頭が悪いうえ訓練も受けていないジェイクだが、アバターは自由に動かせる新しい体だったので大喜びし、すぐに走り回れるようになった。しかし、人間側には思惑が飛び交っていた。企業から派遣されているパークスは、パンドラの地下に眠る1キロ2000万ドルの鉱物”アンオブタニウム”を狙っている。また、軍のクオリッチ大佐にとっては「人間もどき」のナヴィとの関係改善など笑い種だ。武力で押さえることしか考えていない。大佐はジェイクに表向きアバター計画に賛同してナヴィに近づき、情報収集をしてくるよう命じた上で、成功した際には脚の治療費を出すと約束した。

科学班が調査をしている間、ジェイクはパンドラの猛獣に襲われ、仲間とはぐれてしまう。夜の森で猛獣に囲まれたジェイクは危機一髪のところ、ナヴィの女性・ネイティリに救われた。最初はそれきりついてくるなと突き放したネイティリだが、彼らの神”エイワ”のお告げがあったからと翻意。ジェイクはナヴィの村へ連れて行かれる。ジェイクが自分のことを戦士だと紹介すると族長らは関心を持ち、ネイティリが彼にナヴィの生き方を教えることになった。

ジェイクはナヴィの言語や森での生き方、動物のこと、弓矢など狩り、文化を習っていく。英語学校閉鎖以来初めて、グレースの訪問も許された。やがて動物を苦しめないで仕留める正しい狩りを身につけたジェイクは、ハンターの最終試験に挑むことになる。空飛ぶ猛獣・イクランと絆を結び、パートナーとなることだ。苦戦の後、見事パートナーを得たジェイクはハンターとして認められ、パンドラの空を自由に飛んで他のハンターたちと狩りをするようになった。

交渉期限の3か月。ジェイクはしだいにナヴィの生き方に共感し、ネイティリとは恋に落ちた。それとともに、大佐の命令には疑問を持つようになっていた。

ジェイクは待ち望んだ儀式で一人前な部族の一員と認められ、”声の木”のもとでネイティリと結婚した。ところが翌朝、人間たちはブルドーザーで森へ侵攻。オマティカヤ族は反撃を決める。ナヴィは神聖な森を守っているのであり、共存するなら理解しろと主張するグレース。しかし大佐は、どんな取引にも応じないなら武力行使だとホームツリーを直接攻撃することに決める。ナヴィとその文化を「未開」だと一笑に付すけれど武力行使には気後れがあるパーカーは、ジェイクとグレースを1時間だけ交渉に出した。が、ネイティリをはじめ部族は拒絶。そうこうしているうちに空からガス弾と火炎弾、ミサイルが降り注ぎ、ホームツリーは焼かれ、倒された。ナヴィは悲しみに暮れ、ネイティリは族長である父を失う。ラボで起こされたジェイクらは、裏切者として捕まった。そこをパイロットのトルーディと科学者のマックスが救出。一行はヘリで脱出する。しかし大佐に撃たれ、グレースは負傷した。

帰る場所を失ったナヴィは声の木に集まっていた。人間からは裏切者、ナヴィからは追放された身のジェイクは、一か八かの賭けに出る。空の王者・トルークに挑戦し、手なずけて忠誠を示そうというのだ。こうしてジェイクはナヴィの一員として自分の星を守るため戦うと誓い、立ち上がった。トルークに乗ってパンドラ各所をめぐり、他の部族の協力をとりつけていった。

一方そのころクオリッチ大佐も、ナヴィが2万もの大軍勢になる前に先制攻撃をしかけ、輸送機と採掘用の爆弾まで使用して”魂の木”を攻め落とすと決起した。その夜、ジェイクは一人、声の木に語りかける。助からずエイワと一体になったグレースの記憶にあるはずだが、地球には緑がない。人間が破壊したのだ。パンドラでもそれをくり返そうとしている。ただネイティリによれば、エイワは誰の味方もしないという。

翌朝、魂の木を狙う爆撃機と地上部隊が森へ押し寄せる。ナヴィはイクランで空から、地上は騎馬族の大群が応戦した。ナヴィには地の利があったが、しだいに形成は不利に。双方に多数の死傷者が出た。ネイティリもパートナーのイクラン・セゼを失って窮地に立たされる。ところがそこで森じゅうの猛獣が人間を襲い始めた。エイワが応じてくれたのだ。大佐率いる隊長機は護衛機がすべてやられ、戦況は逆転。ジェイクは空から隊長機に乗り移り、激しい戦いの末、間一髪のところで墜落させた。ひとり重機に乗り込んだ大佐は森に落ちてなお、執拗にジェイクを追う。大佐はカプセルの中で眠るジェイクの本体を狙った。本体がやられれば終わりだ。その時、ネイティリは父の形見の毒矢で大佐を討つ。こうして戦いは終わったのであった。

のち人類は瀕死の地球へ帰ることとなり、ジェイクら選ばれた数人だけがパンドラに残った。ジェイクはもはやアバター操縦者ではなく、エイワの力でナヴィとして生まれ変わり、新たな人生を始めたのであった。

感想―だからSFは面白い!

SFって面白い。私がそう気づいたのは、SFが描くのは外形的なロケットや宇宙人ではなく人類なのだと気づいた時でした。宇宙を舞台に人類社会がどう動くのか、それが楽しくて見入ってしまいます。

本作『アバター』は、その中でも随一でした。過去の植民地主義・帝国主義やそれを支える思想・発想への批判をベースにしていて、SFらしい魅力全開です。「人間はいつも同じだ。目的の邪魔になる者を敵とみなし、力ずくで奪い取る」というジェイクの言葉がすべてを物語っていました。

第三者視点で見る異文化との出会いや人類の歴史

『アバター』の良さの秘密はなんだろう。そう考えていて思い当たったのは、私たち観客が、人間対先住民の紛争を、第三者に近い視点で俯瞰できるところだろうなということです。ナヴィの生き方にひかれていく主人公・ジェイクを追いつつ、双方の言い分を聞けるわけです。

取引ですべてを解決できると考える性質のパーカーは「薬、教育、道路などを教えたけど、やつらは生き方を変えない」と言いました。つまり裏を返せば、自分らの文化や価値観は「進んでいる」ので教えさえすれば相手は必ず取り入れるに違いないという前提なわけです。完全な「上から目線」ですね。彼にとって、先住民・ナヴィは一方的に「見る」対象です。自分のものさしだけを使って評価を下し、相手は頭の悪い「未開人」だと帰結する。植民地主義や人種差別の権化です。

ところが本作では、「スカイピープル」「ドリームウォーカー」といった、ナヴィの側が人間につけた呼び名もあることがうかがえます。ネイティリに言わせれば、人間は「教えようとしても頭がいっぱいで入れようとしない」そう。価値基準そのものが違うことが簡潔に表現されていて感心しました。

異なる文化と出会った時、相手への反応はさまざまです。本作のように相手を「未開人(あるいは野蛮人)」と切って捨てるパターンはありますが、それはすべてではなく、あたたかく協力の手を差し伸べる出会いとか、過度なまでに相手の文化を称賛する例もあります。ただ、出会いが戦争につながるとき、攻撃側には「相手も自分を見ているのだ」という認識は欠けているでしょう。「自分が相手を見るとき、相手も自分を見ている」ことを表現するバランスの良さは、『アバター』の特筆すべき点だと思います。

また、「美醜」は感覚にすぎないので、実は間違いを犯しやすいデリケートな問題です。たとえば自分が汚いと感じた食べ物や住居や銅像が、相手にとってはまっとうなものかもしれない。美しいかもしれないし、もしかしたら神聖なものかもしれない。『アバター』はそこをうまく描いたと思います。大佐やパーカーはナヴィを「人間もどき」「未開人」「青猿」、その世界観を「おまじない」と馬鹿にするけれど、私たち観客から見れば、ナヴィは彼らの方法で気高く美しいです。

現代的な設定の数々

過去の植民地主義・帝国主義を反映した本作ですが、私には現代的な問題意識だなと感じた部分がいくつかありました。

株主に動かされる世界

社会・国家への影響力を増す企業の存在は、現代を特徴づけています。国家以上の財力を誇る企業、一企業の一ツイートで激震が走る市場、貿易戦争、などなど。

私が面白いと思ったのが、「ナヴィを殺せば株主が非難される。だけど株主が非難より恐れるのは赤字決裁だ」という世界設定です。パンドラの鉱物発掘は、企業、つまりもとをたどれば株主の意向によって進められているわけなんですね。(もっとも、会社と株主がべったりお友達同士という異常な状態が常態化している日本からすれば、きちんと緊張のある立場関係はアメリカンで、筋が通っていて、ある種うらやましかったのですが。)

坊ちゃん風でオフィスではいばっているけれど小物なパーカーと、武力で解決することしか頭にないマッチョ軍人のクオリッチ大佐。悪役の二人は好対照ですが、企業と軍の微妙な関係を見て取れるのは興味深かったです。パンドラにおいて、軍は会社の傭兵のような立場にある。しかし最終的に、軍は軍なのですよ。ナヴィを「未開人」と一蹴するパーカーですが、さすがに彼らを死傷させる武力行使には冷や汗たらたら。だからといって、企業に軍を止める力や権限はありません。もはや誰も大佐を止められなくなって、パンドラの人類は武力攻撃に突入していきます。引きつった表情でモニターから目をそらすパーカーは「なんでこんなことになっちゃったの」とでも言いたげで、深く印象に残りました。

武力行使の冷酷さ―お茶しながら爆撃

SF映画で最も有名なのはスターウォーズでしょうが、私には同作について一点、どうしてもなじめない部分がありました。それは、スターシップが撃墜されるシーンが軽快な音楽とともに「明るく楽しく」描かれること。

こうしたことの背景には、60年代の映像業界で、爆発が映像美を生み出す効果の一つに挙がっていたという事情があるそうです。しかし一般視聴者には納得いかない。爆発は「わー、きれい」なんてうっとりしながら見るような代物じゃない。だってそこ……人が死んでますよ。それを考えると、不気味で背筋が凍る。

そこをいくと『アバター』は、爆撃を「悪」として撮っています。パーカーは森をブルドーザーで破壊しながらサンドウィッチか何かをぱくついている。クオリッチ大佐にいたっては、マグを片手にお茶を飲みながらミサイルを撃ち込んでいる。安全で快適なオフィスや母艦に、外の騒音は聞こえてこない。空から爆撃する側は余裕たっぷりで、リアリティを感じていない。しかし爆発の現場には人がいる。悲鳴と痛み、そしてたくさんの死がある。本作がその冷酷さを的確に描いたところに、時代が進んだことを感じました。

エキゾティシズムではない、本当の理解

先住民・ナヴィの設定は明らかにネイティブ・アメリカンからインスピレーションを受けているとみえます。

西部劇の「白人=善、インディアン=悪」の紋切り型はいまや問題として定着をみましたが、それでもネイティブのようなマイノリティを尊重するのは案外難しかったりするものです。もしそれに「めずらしい文化」として好奇の目を向けるとか、「現代人が忘れてしまった何かが残っている文化」などとして歪曲を含む美化を加えるなら、尊重するどころかそれはそれで別形態の差別にすぎなくなってしまうからです。

ナヴィの文化に、そういったエキゾティシズムは見当たりませんでした。本作は表面的な内容だけでなく、それを考え出した監督の思考もバランスが良いと感じます。根が深くなければここまでの作品にはならないよなと、つくづく思いました。

瀕死の星・地球は想像の中に

地球には緑がない。そう明かされたのは、終盤になってからでした。

直接の描写はないのですが、地球の状況は会話の端々から垣間見られます。私の注意を引いたのは、単に自然がないだけではなさそうだ、ということでした。

まず、ジェイクの兄・トミーは盗人に撃たれたというけれど、それは偶然か? 治安は相当悪いのかもしれない。そしてベネズエラは地獄、アルジェリアも地獄。どうやら地球は戦争だらけらしい。ジェイクは地球では「行きたくもないところに送られる」下っ端海兵だったわけで、だからこそさらりと言った「手に付いた血は消えないぞ」には説得力があります。そして行き詰まった人類がしょうこりもなく新たな地へ赴いて鉱物資源を狙い、邪魔な先住民に武力を行使したのが作中現在。

ナヴィを殺せば株主が非難されるというのだから、地球の人類社会で「先住民を攻撃してはならない」というルールと感覚は健在のようです。しかしこのあたりも事情はどうなのか。緑がない。なら、少しでも住みやすい土地や資源の奪い合いが起こるかもしれない。自然破壊は自然の問題にとどまらず、それよって人類社会の平和まで不可能になってしまうのではないか――。

直接映像にはされていませんが、地球がどんな状態にあるのか、合理的に想像できるように作られています。本作で植民地主義は徹底した批判の目線で描かれていますが、これは作品のメッセージというより、現代の一般常識を作品にそのまま反映させたように見えました(最近はトランプ大統領だのなんだので人種差別が盛り返しているというアメリカですが、実情ではそれでも人種差別に反対する人々のが圧倒的に優勢です。今の国際舞台では、人種差別と聞いたら反射的にノーを言えなければ通用しないくらいです。)。

『アバター』が私たちに考えさせることがあるなら、それは地球環境とそこに住む人類社会の在り方でしょう。このまま自然を破壊を続けたら人類社会に未来はないと警鐘を鳴らしているようです。

おわりに―構想14年の凝縮度

観終わったあとで構想14年と聞き、納得しました。凝縮度が違います。確信をもって作られたことがスクリーンから伝わってきました。

名実そろった大作です。新しい撮影技術だの歴代興行収入第1位だのと言われると、つい話題性だけなんじゃないかと勘ぐってしまうような時代ですが、『アバター』は中身が充実しているので文句なしでした。ジェームズ・キャメロン監督は新作を制作中と聞きましたが、この実力なら期待できますよね。

以前『レ・ミゼラブル』のレビュー「私が完璧だと思う映画は何本もない」と書きましたが、『アバター』はその貴重な一本です。ストーリーの骨格はもちろん、映像表現や音楽、登場するメカに至るまで、すべてが凝縮された作品でした。14年の時をかけて層を成した確信と、そこからしか生まれない凝縮度や力強さには、アート分野の違いを越えて「いつか自分も――」とあこがれます。

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著者プロフィール

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