性被害や性的マイノリティの「語られ方」を考える~旧ジャニーズ問題とLGBT法から

「憲法記念日によせて」は、今回2024年で8年目になります。今年は、昨年の時事をテーマに選ぶことにしました。旧ジャニーズ事務所の性加害問題と、昨年成立したLGBT理解増進法です。

この二つをめぐって、昨年はメディアも、また一般市民も、性被害と性的マイノリティについて語る機会が非常に多くありました。今回はそうした様々な「語られ方」の中で、私から見て気になった点や、人権論の視点からぜひとも称賛したい点を論じることにしました。

実は今、ある企画が進行中です。私が取材を受けたり、逆に申し込んだりといろいろある中でブログの更新はしばらく減りぎみだったのですが、水面下では世に目を向けてきました。今後も、既存の出版・メディア企業としがらみのない独立した言論を届けていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

旧ジャニーズ性加害告発を支持する

人々から愛されるJ-POPミュージックを多数世に送ってきた旧・ジャニーズ事務所。

ジャニーズ事務所の公式サイトのスクリーンショット
旧ジャニーズ事務所公式サイト。

それが2023年、言語道断のスキャンダルが明るみに出て世の話題をさらうことになりました。故・ジャニー喜多川社長が、多数の所属タレントや関係者に性的虐待を行っていたというのです。被害者のほとんどは、被害を受けた当時未成年でした。事務所が性加害の事実を認めてから、被害を申告した人は800人を超えています。

同10月、旧ジャニーズ事務所は被害の補償のみを目的とする「SMILE-UP.」に組織を改編しました。

Smile Upへの社名変更に伴うサイト移転をお知らせする画面
社名変更後の2023年10月17日に再びアクセスすると、サイト移行が表示された。

私は、故・ジャニー喜多川氏からの性被害を訴え出た被害者の方々へ、この場で支持を表明します。

性被害を訴える負担と苦しみは想像を絶する

性的虐待を受けた人がそれを申し出るのは並々のことではありません。なぜなら、それを口にする時には、人生最悪の地獄のような出来事を思い出さざるを得ないからです。

性加害が人に与えるダメージの大きさ、破壊するものの多さははかりしれません。今回メディアの取材に応じた被害者が、

その日は自分の身体を汚されたっていうのが嫌で、ずっと身体洗っていました。自分が汚いっていうのがずーっと、今でも残っているんですけど、それは消えないですね。

などと語っているように、性被害に遭った人は特有の不潔感に苦しみます。突然その時の光景が頭によみがえってくる「フラッシュバック」は比較的よく知られていると思いますが、もちろん症状はこれだけではありません。重大な精神疾患を患うこともめずらしくありません。

そして、こうした心の重荷は、さらなる破壊を派生させてしまう。精神状態のせいで人間関係をうまく築けなくなったり、日常生活を送れなかったりすれば、働くことも困難になります。そうなれば――。こうして、寄りによって、地獄のような出来事が、自分の人生の中心に居座ってしまうのです。

10月には、ジャニー喜多川氏からの性被害を訴えていた男性が自死しました。妻に残した遺書には、被害を訴えてからの精神的な苦痛を記していました。

人権は使われることで強くなる

私は、このようなただごとでない重荷を背負いながら、それでも被害を訴え出た被害者の勇気を称えたいと思います。

人権というのは、侵害された人が訴えることで強くなります。

告発は、第一に、人間としての尊厳の回復を意味します。自分はボロボロにされてそのまま放っておかれるに値するような存在ではない、自分には人間並みの価値があるのだ、という宣言になるのです。

第二に、旧ジャニーズ性加害の件での正義の回復を意味します。故・ジャニー喜多川氏は、力関係と経済力で被害者を黙らせてきました。今回勇気ある告発をしたことは、人権は権力や経済力によってなきものにはされないのだという前例になりました。

最近の世の中では、「慈善活動」のような態度で「人権活動」をする人が目につくようになりました。そういうイメージを持っている読者もいるかと思います。しかし、人権の第一義は「人助け」ではありません。人権というのは「侵害された自分の権利を自分が訴える」のが原義です。旧ジャニーズでの性被害を告発した人々がしたことは、人権の核心そのものなのです。

人権は、「自分のために戦うことが他の人や社会のためにもなる」という稀有な性質を持っています。10月に自死した被害者の遺書には

……今まで何もした事のない自分が初めて社会の役に立ち、(被害者の子どもの名前)が少しでも暮らしやすい社会に変えられるんじゃないかとの思いで、声をあげました。……

と記されていました。その通りです。

告発が残した永遠のレガシー―男性の性被害の認知度

私が感じたのは、旧ジャニーズ事務所での性加害が大きく取り上げられたことで、男性の性被害の存在が一気に知られるようになったということでした。それが旧ジャニーズ性加害問題を今年の憲法記念日に取り上げようと思った大きな理由でもあります。

「ジャニーズ前」の世界では、「性被害」といえば女子だというイメージで固定されていました。啓発パンフレットやポスターのカットイラストはいつも女子。いたいけな女の子がうずくまって泣いている。「性犯罪の被害者は女子だ」というのが暗黙の前提となっていた感じです。

もっとも、性被害が男子にもあることは、刑事司法や児童虐待などの専門家の間では十分に知られていました。私は大学時代にゼミで児童虐待への法的対応をテーマとしていたので、男性被害者の存在を「ジャニーズ前」から知っていたうちの一人です。以前パーソナリティ障害と犯罪との関係について解説した際には、男子の性被害の存在が覆い隠されることがないようにと口酸っぱく指摘しました。普通に読んでいる分にはたぶん気付かないでしょうが、このブログでは、「被害」や「落ち込み」などのイメージ画像は見つかる限り男性モデルの素材を採用してきました。

それが、旧ジャニーズ性加害問題によって、男子が性犯罪の被害に遭うことがあるのだということが世に一気に知れ渡ったのです。「そんなことあるんだ」と驚き交じりで例外的なケース扱いするのではなく、他の虐待カテゴリと同列に語られるようになりました。いまではすっかり人々の頭に定着をみたと思います。

あっという間に、世の空気が変わった。世相を見ていて、私は感慨を覚えました。

旧ジャニーズ性被害の勇気ある告発は、日本社会に、永遠に消えることのない遺産を残しました。

旧ジャニーズ問題と同時期に起こっていた事件

旧ジャニーズ問題でメディアが総立ちになっていたのと同時期に、私にはとても気になる事件が2つありました。

中学受験塾・四谷大塚での性的虐待

一つ目は、中学受験塾・四谷大塚で、講師が計12人の児童に対して下着を盗撮するなどの性的虐待を行った事件です。

私が今回指摘したいのは、旧ジャニーズ事務所とは、産業構造に共通点があるということです。「児童に大人が望むことをやらせる」ことで成り立つ産業だという点です。

子どもを芸能事務所や中学受験塾に行かせるのは、親です。行為主体となる子どもには、年齢が低く未熟ゆえ、意思能力が十分にありません。子らにとっては、自分がやりたいことをやっているのではない。もっとも中には児童本人が「アイドルになりたい/中学受験を頑張りたい」などと口にするケースもありますが、その意思表示が十分な意思能力に基づいたものではないという点に変わりはありません。意味を分からないで言っているにすぎないのです。

元講師は裁判で、盗撮を始めたきっかけとして「児童が騒がしく、心身ともに疲弊していたので仕返しがしたいと思った」と述べました。はっきり言いますが、被害児童は何も悪くありません。子どもというのは本質的に騒がしいものです。そこにもってきてそんな子どもを初期的に無理のある産業の枠組みに押し込めているのですから、中学受験ビジネスにとって都合よく静かに座って勉強すると望むほうに問題がある。子どもは一人の人格です。物ではありません。四谷大塚での盗撮事件は、大人たちがやっている商売の無理が最終的に子どもにしわ寄せた結果でした。

「子どもに本人が望んでいないことをやらせる」という産業構造において、親は芸能事務所/塾に肩入れする立場にあります。子役活動や中学受験をめぐって親と子が対立関係に陥っていたり、あるいはもとから虐待があるケースも少なくありません。特に中学受験塾は教育虐待が行われる主要な場となっているのが現実です。こうした産業の世界では、構造的に、親が子を守らないか、そこまでは行かずとも、守りが弱くならざるを得ないのだ、という問題をここで指摘したいと思います。

民法上の監護義務で子を守る限界

民法では、親権者に適切な養育と監護をする義務が課されています。子の福祉と権利を守るための仕組みとして、民法が子の養育に責任者を設けているのです。

しかし、社会には、親権者の監護義務が十分にはたらかない場面が存在する――旧ジャニーズ性加害と四谷大塚の性的虐待事件は、その一部において、この事実を浮き彫りにしたといえるでしょう。

では、どうすればいいのでしょうか。人気子役がその後の人生に支障をきたすことはたびたび指摘されていますが、未成年者を演劇などに出演させることは違法ではありません。違法になるのは、子役として働かせるため児童を学校に通わせなかった場合のみ。中学受験塾にいたっては、「子どもに勉強を教えているだけ」です。

こういう場合は、「社会」のレベルでの対応が重要になってきます。第三者の目によって子を守るのです。「子役の事務所や中学受験塾はもとからあやうい産業なのだ」という認識が人々の間に広まり、根付くべきでしょう。実際的に言えば、児童が何かしらSOSを出したときには周りの人がいつでも受け入れられる態勢を整えておくことが必要です。

洋上風力発電をめぐる汚職事件

もう一つ、旧ジャニーズ事務所の話題で世が埋めつくされる中、私には「忘れちゃいませんか?」と言いたい事件がありました。洋上風力発電をめぐる贈収賄事件です。

昨年9月、自民党(現在は離党)の秋本真利衆議院議員が、受託収賄と詐欺の罪で逮捕・起訴されました。事件の概略を説明すると、秋本議員は、政府が導入を進めている洋上風力発電への参入を目指していた「日本風力開発」の塚脇正幸元社長から、同社の希望に沿う国会質問をする見返りとして、計7200万円あまりを受け取ったということです。塚脇元社長は、同社幹部に「お願い通りに国会質問をしてもらった」などとメールで伝えていたことが明らかになっており、こちらも贈賄の容疑で逮捕・起訴されました。

ワイロが計7200万円です。大きな汚職事件だったにもかかわらず、メディアで語られる量は相対的に少なくとどまりました。旧ジャニーズ性加害問題に覆い隠される形でした。

こういうのが良くないんだ。「裏で大きな力が動いて事件が隠されたのだ」とささやかれる典型パターンです。

提言:性被害を「コンテンツ」として利用してはならない

重大な汚職事件がかすむほどマスコミを埋めつくしていた旧ジャニーズ性加害問題。ですが、事務所が改名して対応の方向性が決まった頃にはメディアからパタッと姿を消しました。

旧ジャニーズ性加害問題は、日々人目をさらっては消費される「芸能ニュース」の一つでしかなかったのでしょうか?

いいえ、そこには人がいます。800人を超える生身の人間がいます。未成年者に対する性的搾取という凶悪犯罪に遭い、生身の人間には重すぎる負担を不当に背負わされ、今なお病苦や精神的な苦しみとともにその後の人生を送っている人がいるのです。

ネット上の記事には、受け手の性的関心をあおろうとするセンセーショナルなタイトルもみられます。私は大変憂慮しています。

人が受けた性被害を「性的コンテンツ」として消費するようなことは、決してあってはなりません。性被害を語る際には、相応の適切さが求められます。

初めて報じたのは英BBCだった―国内メディアの「忖度」

こうして2023年を象徴するニュースとなった故・ジャニー喜多川氏の組織的な性犯罪。ですが、それが明るみに出たきっかけは何だったかというと、英BBCによるドキュメンタリーに行き当たります。そう、海外メディアなのです。

国内では対応できなかった。私はこれまで幾度も国内メディアへの苦言を書いてきましたが、旧ジャニーズ性加害問題でその失望をさらに深めました。

実は、故・ジャニー喜多川氏の性加害については、これ以前にも暴露本が出版されていたといいます。しかも民事訴訟まであるというのですから、今まで知らないでいたことが驚きです。

にもかかわらず、国内メディアが大きく報じて来なかったのはなぜか? その原因は、ジャニー喜多川氏への「忖度」だといわれています。人気タレントを多数抱えるジャニーズ事務所社長の機嫌を損なえば、自社の番組等にタレントを出してもらえなくなる、ということです。

ジャニー喜多川氏は2019年に他界し、存命中に刑事訴追できずに終わりました。このように、加害者が生きている間良い思いをした末、死を以て現実での責任追及から逃れるのは戦後日本の悪い癖です。

有名なタレント事務所で組織的な性暴力が行われていたのに、国民はそれを知ることができませんでした。性加害発覚後、旧ジャニーズタレントのファンでは「自分たちが手助けしていたことになるのではないか」と罪悪感を抱く人もいたようです。しかし、そこは心配ご無用。性暴力があることを知らなければ、ジャニーズを応援しないでおこうと判断するのは不可能だからです。

知ることは、自分が自分なりに物事を判断する「前提」です。メディア各社が仕事をしないせいで、国民の知る権利は危機的です。これも、戦後日本の悪い癖です。

LGBT理解増進法

さて、旧ジャニーズと並んでもう一つピックアップしたいのが、昨年6月に成立したLGBT理解増進法(正式名称・性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律)です。

プライドフラッグを青空に向けて掲げる手の写真
プライドフラッグ。近年LGBTの認知度は急速に上がり、このレインボーカラーもすっかりおなじみになった。

LGBT法の法案は2016年から超党派でまとめられ、昨年国会で本格的な審議に入っていました。

ところが、成立直前になって与党・自民党が法案を修正。その結果、「差別は許されない」という文言が「不当な差別はあってはならない」まで緩められたのをはじめ、内容は大幅に後退しての成立となりました。後退、どころか、この法律がかえって差別の根拠となるのではないかという危惧すら指摘されている始末です。

このように問題・課題が山積みのLGBT理解増進法ですが、法律の内容面は専門の方におまかせして、私は今回、成立前にSNSで急過熱した騒動を取り上げたいと思います。

成立前に突然起こった「トイレと性別」騒動

LGBT法案成立直前、SNSで突然のように「心は女性だと言えば誰でも女子トイレに入れるようになる」という不安説が燃え上がりました。こうした「女性の不安」を理由とした法案反対の投稿がSNSにあふれ、ついにはLGBT当事者団体や国会議員が急遽「そのようなことはない」と訴える事態となりました。

私も、この騒動は傍目に見ました。そこでぎょっとしたのは、夢中になって「LGBT法反対」やトランスジェンダーの方々をバッシングしていたのが、ごく普通の人々だったことです。

ハッシュタグまでついた「LGBT法反対」という投稿をたどってみれば、アカウントは女子高校生のもので、直前まで投稿されていたのは好きなマンガの話ばかり。それが、法案成立直前になってやぶから棒に「人権運動」にのめりこみ、トランス女性の方々を「女子トイレに入り込んで性犯罪をする」とバッシングをしていたのです。仲間のアカウントからでも引っぱってきたのか、根拠だとして海外の性犯罪ニュースをシェアするなど、その夢中ぶりはすさまじいものでした。

また、娘が女子校に通っているという母親は、「学校が男を入れなくするのは当然のこと」だと「経験者は語る」口調で投稿。「娘を安心して外へやれなくなる」と、「子を心配する親の愛情」を爆発させていました。

調査報道の白眉

どんなに「話題」になろうとも、私は自分のSNSで一切言及せず、距離を置いていました。

なぜって、説が「人々の不安感をあおる」という型をとっている時点であやしいじゃないですか。しかもそれは質の低さに定評のあるネットの情報。その上、マイノリティが憎悪の対象になっているのだからあやしすぎです。関東大震災の「朝鮮人が井戸に毒を入れた」デマのにおいがします。それに、もし「心が女性だと言いさえすれば誰でも女子トイレに入れるようになる」のが本当なら、こんな誰にだって分かるレベルの大穴がある法案に成立直前までプロの学者や言論者、政治家が誰ひとり気付かなかったというのでしょうか? 話に無理がある。現実的でありません。

とはいえ、では、実際「トイレと性別」はどうなっているのでしょうか? 私は性的マイノリティのことにそこまで詳しくはなかったので、そう言われてみれば、「性転換」とかその後の具体的な事情はよく分かっていませんでした。

ここで、人々の疑問に応えたプロの新聞記者が出てきます。朝日新聞2023年7月19日の2面「時時刻刻」、「トイレと性別 論争と現実」という、記者4人による調査報道です。

「社会的な性別移行」と当事者の声を取材

この記事では、まずトランスジェンダーの当事者はトイレをどう選んでいるのかを取材しています。そう、これぞまさに知りたかったところではないでしょうか?

それによると、トランスジェンダーで性別適合手術を受ける人は一部にとどまり、多くの人は何年もかけてホルモン投与などで外見を変えていくといいます。ここで生じるのが「社会的な性別移行」。本人がホルモン投与など医療行為を受けたとしても、「社会で」自認する性別としてみなされるようになるまでには長期の期間がかかるんですね。

そして記者らは「女性の不安」の対象となったトランス女性へ取材を実施。トランス女性である上川あや世田谷区議は

私たちは性自認に沿ってトイレを使っているわけではない。社会的な性別移行の段階に応じて、慎重にトイレを選んでいる。

と答えています。

さらに、上記の「社会的な性別移行」に加えて、やはり性別適合手術の有無は当事者の判断を左右するといいます。新聞記事では、LGBT法連合会の会見で、トランス女性の時枝穂さんが手術を受けていないと明かし、

女性風呂に入ることは諦めている。

と語ったことを紹介しています。

つまり、トランスジェンダーの当事者は、性自認だけを理由に女子トイレや女湯に入ってはいない。――記者の取材によって事実が明らかにされました。トイレ問題はこれにて一件落着です。

「女性の不安」の出どころを暴く

以上だけですでに十分優れた調査報道でしたが、記事はまだ続きます。トイレ騒動のもとになった「女性の不安」はいつ、どこから出てきたのか、という点です。

この疑問を解くため、記者らは複数の自民党関係者に取材しています。

それによると、発端は2020年ごろから、自民党内の保守派議員らが受けた働きかけでした。戸籍上の性別を変更する要件から性別適合手術を外すべきだという主張に反対する女性らが、「女性スペースでのトラブル」が起こると不安を訴えた。記者らはこれがトイレ騒動の大元だと突き止めました。

そして2021年になり、LGBT理解増進法法案の議論が本格化すると、法案に反対する自民党保守派議員らが「女性の不安」に着目。安倍晋三元首相に近かった麗沢大の八木秀次教授は、トランス女性とトイレや浴場などをめぐる間題を取り上げ、「女性を危険にさらす可能性がある」などとするペーパーを作り、保守系議員らに配ったそうです。

この後、「女性の不安」が自民党内で急浮上。自民党の保守派のブレーンは当時、

トイレの問題は分かりやすいから、(法案への反対を広めるのに)使いやすい。

と語ったということです。

つまり、「トイレと性別」騒動は、自民党の保守派議員らが、自分たちの反対するLGBT法を阻止しようとして仕組んだことだった。――こうして、プロの新聞記者たちは、裏から糸を引いていた者を暴いたのでした。

大衆扇動にまんまとひっかかった、ごく普通の人々

あいかわらず自分中心で、身内以外の人を軽視し、民主主義国家への理解がない自民党議員たち。分かりやすいトイレの話であおり立てれば思い通りに動かせるというのですから、国民をなめているとしか言いようがありません。

しかしながら、この仕組まれた大衆扇動に、大勢の国民がまんまとひっかかったのは事実です。この重い現実から目を背けてはならないでしょう。

上で紹介した女子高校生や、女子校に通う娘がいる母親に対する批判を妨げるものは、何もありません。トランスジェンダーへの偏見をふりまき、人格を傷つける投稿を世に放ったのですから。

ただ、今回私がピックアップしたいのは、トイレ騒動に踊った人々への批判ではありません。多くの人が大衆扇動で操られるのもまた、ありのままの人間社会だということです。良し悪しはいったん横に置いて、人間社会には大衆扇動というリスクがあるのです。

時のニーズに合った知と情報に拍手

不安をあおる不確かな情報が出回ったときは、事実を調べ、それに取って代わる確かな情報を広めていかなければなりません。そして、不確かな情報の出所を突き止めなければなりません。

ひもで操られた木の人形と引き裂かれたひものベクトルイラスト
脱出するには、まず知ること。

ですが、一般人はみなそれぞれ忙しい。なかなかそこまでやる余裕はありません。

そこで、社会において、取材を重ねて真実を突き止め、世の人に届ける役割を担うのが、ジャーナリストという職業です。

朝日新聞2023年7月19日の2面「トイレと性別 論争と現実」は、そういったメディアの社会的使命を見事に果たしてくれました。国民にハイクオリティな知と情報を届けた調査報道に、この場をもって拍手を贈りたいと思います。

結びに

以上、2024年の憲法記念日は、旧ジャニーズ性加害問題とLGBT法を取り上げて論じました。性被害や性的マイノリティが世の中でどのよう語られたかをみていくと、問題ある語られ方が目に付く一方で、優れた語られ方も目立ったと思います。

旧ジャニーズ性加害問題の核心にあるのは、被害者=市民個人による告発です。メディア各社が芸能事務所の社長にこぞって忖度し、機能停止状態にあった時は、一般市民である被害者が暴露本を出し、また民事訴訟を提起しました。こうして被害を訴え出た方々が日本社会に遺した遺産ははかりしれません。

LGBT法の成立直前には、SNSで不確かな情報が急拡散し、不安感からマイノリティへのバッシングを始める人が現れました。そんな民衆/大衆があやうい時には、プロの新聞記者が取材を重ね、真実を明らかにしました。そして、政治権力者が国の法律を自分の好きなようにするため大衆扇動を仕組んだのだと、騒動の裏側を暴きました。こういう調査報道は国民として助かります。そして言論を職業にしている人も、自分の専門外のことでは「実は知らない」「もっと知りたい」一般市民。社会の中で別の誰かが書いた情報を読んで学びます。

ごく普通の一般市民個人が、自分の人権を訴える。言論者やジャーナリストが、プロとして質の高い情報を発信する。

私たちが暮らす社会の人権状況は、社会全体で優れた言動がどれだけ出てくるか、その総数にかかっています。

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著者・日夏梢プロフィール||X(旧Twitter)MastodonYouTubeOFUSE

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