映画『華氏119』:マイケル・ムーア監督が映したトランプ当選を考察!

当ブログで取り上げることすでに3回。ポピュリズムが荒れ狂うこの時代を語るなら、トランプ大統領は避けては通れない人物です。

私がこれらを通して何度も指摘してきたのは、「反トランプ運動のクオリティが低すぎる」ということでした。

もう少し研究してみたい。そこで私の頭にヒットしたのが、映画『華氏119』でした。かのマイケル・ムーア監督は、トランプ当選をどう見たのだろう? 暴いた真実は? 太平洋越しに見たのではない、生のアメリカはいまどうなっているの? 今後へのヒントは? そんな期待を胸に鑑賞したマイケル・ムーア監督の『華氏119』、この記事ではその内容を解説しつつ、私の視点で考察を加えたいと思います!

目次

『華氏119』というタイトルの意味

「どういう意味だろう?」と少々面食らうかもしれないこのタイトル。最初に意味を解説しておきます。

まず「119」ですが、こちらはシンプルな語呂です。11月9日が、トランプ当選の日付なんですね。

そして「華氏」とは、アメリカで広く使われている温度の単位です(日本の天気予報で使われている℃は「摂氏」)。こちらはどういう意味なのかというと、マイケル・ムーア監督の前作『華氏911』をふまえています。

前作『華氏911』は、米大統領ブッシュの真実を暴く衝撃作。「911」は、2001年同時多発テロの日付「9・11」に由来します。この『華氏911』に先んじ、SF映画で、本=紙が自然発火する温度・華氏451をそのままタイトルとした作品があります。マイケル・ムーア監督は、思想統制をテーマとしたその作品へのオマージュで数字を「911」に入れ替え、自分の作品のタイトル『華氏911』としたそうです。(ちなみに、アメリカで「911」といえば警察・消防・救急の電話番号です。日本でいう110番と119番ですね。ただの偶然だとは思うのですが、もしかしたら「911」には「緊急」のニュアンスもこめられているのかもしれません。)

以上より、トランプ当選の日付にからめて、今作と同じく米大統領に切り込んだ前作の「9・11」を前後ひっくり返したのがタイトル『華氏119』となっています。

それにしても、前作『華氏911』は衝撃でしたね。「我々につくか、テロリストにつくか」などと豪語したあのブッシュが、実はその「テロリスト」タリバンと蜜月関係だったとは……!

今作『華氏119』はどうだろう。また衝撃の事実が暴かれるのだろうか? 以下ではその内容をたっぷり紹介します。

「こんなサーカスが町に来るなんて」―私利私欲に走ったメディア

2016年11月7日。投票前日は、誰もがクリントン勝利を疑わなかった。全米が感涙のヒラリーコールにわく一方、トランプサイドは沈鬱一色。ところが異変が起こり始める。トランプは晴れの勝利にスピーチの用意すらなく、当の本人が呆然とする有様。そして運命の11月9日、トランプは当選した――。冒頭は、レクイエムと「なぜこんなことに?」という問題提起で幕を開けます。

そんな冒頭直後から映されるのは、「トランプは遊びで出馬してメディアをもてあそんでいたが、支持者の群衆を目の当たりにして本気になりだした」というマイケル・ムーア監督の見方です。テレビ出演のギャラの額でグウェン・ルネイ・ステファニー(誰だろうと調べてみたら歌手でした)に競争心を抱いたトランプは――ガキ大将レベルの競争心にはほとほとあきれますが――1人50ドルで支持者役を雇って自分の人気を演出し、ギャラをつり上げる。当初は、侮蔑発言でさっそくテレビ局と決裂します。

ところが大統領選に出馬したとなれば、テレビ局はそのトランプをタダで「出演させる」ことができるわけです。出演料無料である一方、奇抜な言動で視聴率は伸びていく。テレビ局・CBS社長の「こんなサーカスが町に来るなんて」という言葉がショッキングですね。NBC元社長も、トランプをひっきりなしの取り上げたのはニュースとして価値があるからではなく視聴率のためだったようで。

国には損でも、社には得。視聴率(つまりカネ)のためにトランプ選挙戦を「娯楽」として流し続けたメディアの罪深さよ。

報道(とくにテレビ)の「エンタメ化」は、世界中で進んでいます。残念ながら、日本もそう。真実に切り込む報道はいま確かに求められているのですが、「エンタメ」で視聴率がとれるのもまた事実だとしたら、この入り組んだギャップを埋めるのはなかなか難しいですね。

「視聴率」とは何か。「エンタメ」報道を見ている人々は何を考えているのか。視聴率至上主義にたよらないメディアの在り方の模索。私はこのあたりが次なる課題だと思います。

国民半数にせまる無投票の実態!―民主党の「妥協」の産物

『華氏119』全体に通っているキーワードが、「妥協(compromise)」です。民主党が共和党に「妥協」してきたことが膨大な数の国民の無投票につながっている、というのです。なにっ、あの積極的で有名なアメリカ人が選挙に行かない?

マイケル・ムーア監督は、作中で数値を提示しています。

  • トランプへの投票者:6300万人
  • クリントンへの投票者:6600万人
  • 投票しなかった人:1億人

いろいろつっこみたくなるデータですね……。

まず、票数としては民主党・クリントンのほうが多いという事実。本作によれば、ここ30年、ほとんどの選挙で民主党が票数で勝っているにもかかわらず、トップに就くのはほとんどが共和党である、ということです。この「カラクリ」を生み出している「選挙人制度」はもともと奴隷州との妥協の産物だったのだからもう廃止すべきだ、とムーア監督は主張しています。

世界をリードする超大国・アメリカは、世界に類を見ない独特な制度や思想が浸透した国だという側面を有しています。アメリカン・スタンダードは、決して世界のスタンダードではありません。今回は深入りしませんが、「選挙人制度」も独特ですね。これについては「確かに」と思います。

そして、投票に行かなかった1億人。二大政党制のアメリカですが、実は無投票が「最大政党」となっている。それがアメリカの実態なんですね。

投票率の異常な低さが深刻な問題となっている日本からすれば、アメリカ人が政治への無関心に走っているのは意外ではないでしょうか。

……投票した人が半数よりはだいぶ多いので、これでも日本の投票率よりはマシなんですけどね。

「共和党的な民主党」に愛想を尽かし、選挙に背を向けたアメリカ人

では、なぜそんな膨大な数の無投票が生まれてしまったのでしょうか?

その答えは明確に示されます。

80年代、富裕層からの献金で潤沢な選挙資金を活用した共和党と反対に、民主党の支持基盤である労働者層はガタガタだった。その後90年代、ビル・クリントン大統領時代から、民主党の政策は共和党とほとんど変わらなくなってしまった。共和党のごとく銀行への規制を緩和する一方、貧困対策は撤廃。人種差別的な政策も行われた。主要な左派新聞もまた、「共和党的な民主党」に迎合するようになった。その結果、大量な民主党支持者は「裏切られた」と感じ、投票へ行かなくなってしまった。

事例はいくつも示されますが、なかでも衝撃的なのは、民主党上層部が行った党内予備選結果の改ざんでしょう。最終的にトランプが勝利したあの大統領選、民主党内ではヒラリー・クリントンとバーニー・サンダースが候補者の座を争っていましたね。ウェストバージニア州では全55郡でサンダースが勝利したにもかかわらず、民主党の上層部は「特別代議員」の票を上乗せすることで、無理やりクリントンを勝利させたというのです。これがすべての州で行われた結果、民主党の候補者はクリントンに決定。

トランプに対抗するはずの民主党がこの改ざん体質では、世界を驚愕させたあの大統領選結果も納得できる感じがします。

”牢獄”フリントの水質汚染と健康被害

マイケル・ムーア監督が尺を大幅に割いているのが、ミシガン州フリントという町の水質汚染事件です。

なお、フリントの水質汚染を扱う前に、スクリーンにはトランプが娘・イバンカを性の対象として見ている数々の言動と、腰や胸に手をまわされ明らかにいやそうにしているイバンカの様子が次々と映し出されます。私もフリントの水質汚染の前にこれを明記しておきます。

自分とお友達のもうけファースト、住民の命なんてどうでもいい―政治の私物化が起こした惨劇

本作が映したフリント水質汚染の事実関係は以下の通りです。

コンピューター会社の元CEOで政治経験のないスナイダーは、共和党からミシガン州知事選に立候補。2010年、スナイダーは知事の座に着くやいなや、なんの非常事態もないのに非常事態法を成立させ、黒人中心の町・フリントから民主主義を奪う。

それでも飽き足らない強欲なスナイダーは、明らかに不要な水道パイプラインの建設を開始。フリントの水道水は、湖のきれいな水から、工場排水が流れ込むフリント川の水に切り替えられた。まもなく、フリントの子どもたちが鉛中毒を発症。鉛中毒は、患者にIQ低下や記憶障害、情緒の異常など深刻な被害を与え、生涯治ることはなく、しかもDNAの破壊によって孫の代まで残ってしまう。しかし知事は安全だと主張し続けた。そんな時、自動車会社・GMの工場で、部品が水道水によって腐食されていることが明らかになる。企業人間でGMからの献金を受け取るスナイダーは激怒、すぐに水源を湖に戻した……GMの工場だけ。

保健局では、職員が住民の鉛濃度の診断結果改ざんを命じられていた。数年のうちに、フリントでは鉛中毒による死者が続出。フリントは誰も住みたがらない町となったため、住人は出ていこうにも家が売れず、引っ越すこともできない。こうして黒人中心の貧しい町フリントは、”牢獄”と化した――。

何食わぬ顔で人々に「毒」を飲ませ続けるスナイダー。こんなことをして良心の呵責はないのか。私にはとうてい理解できません。不気味に感じられるタイプの悪人です。

スナイダー知事は非常にアメリカ的な人物です。ただ、日本人だと映像を見ていて頭にちらつくものが……。みなさんも社会で勉強したであろう、四大公害病。日本では60年代にはじまる「経済成長ファースト」時代、自社の工場が有害物質を排出していること、そしてそれが住民の健康にどんな健康被害をもたらすかを知っていながらさらりとした顔でいた企業幹部がいました。そして、福島の放射能についてなんの根拠も示さないのに、ドヤ顔フリ付きで「完全に安全です」と言い放った某首相。聞いたことがある話ばかりで、背筋が凍ります。

「黒人の町なら汚染したっておとがめなし」の先例に

フリントの公害病が、「黒人の町なら汚染したっておとがめなしなんだ」というアイデアをトランプに与えた。それがマイケル・ムーア監督の見方です。

水質の問題にとどまらない、という見方には大賛成です。政治において「先例」のもつ力は怖い。社会で、ここまでは問題にならない、ここまでやってもおとがめなし、と許容される言動の下限ラインがじわじわ下がっていけば、全然別の案件で、いきなり「爆弾」を落とせる条件が整うからです。

「先例」を許してはならなかった。では、フリントの水質汚染はどのようにして人種差別の「先例」となるに至ったのか。どうしてそうなる前に手を打てなかったのか。この部分は衝撃です。

本作最大の衝撃!あのオバマ大統領が、汚水被害の町を爆撃!?

私が見たところでは、本作『華氏119』には、前作『華氏911』の「ブッシュとタリバンが実は蜜月関係だった」に匹敵する衝撃的事実の暴露はないと感じました。その本作中で最もショッキングな事実といえばこれでしょう。

”牢獄”と化したフリントを、ついにオバマ大統領が訪問。フリントの住民たちは救世主のように彼を迎えた。ところが、オバマ大統領は会見で、コップに水をもらい口をつけるだけで飲みはしないという意図不明のパフォーマンスをする。後日、オバマ大統領はフリントの水はフィルターを通せば安全だと発表。これで公害が終わると信じていた住民の期待は、オバマ大統領や民主党への怒りに変わった――。

オバマ大統領といえばアメリカ歴代大統領のなかで指折りに評価の高い人物ですが、このパフォーマンスは本当に意味不明です。私の目には、公害被害に苦しむフリントの住人をおちょくっているようにしか見えません。なぜ、と思ったのはムーア監督も共通なようで、オバマの元大統領顧問にインタビューを試みているのですが、その元顧問が「誰がやれと言ったのか、そしてなぜ本人もやったのか、まったくわからない」と言うのだからもうわからん……。

しかし本当の驚きはここからです。

ある夜、なんの前触れもなくフリントの町が空爆される。住民たちは着の身着のまま、恐怖で逃げ惑った。居合わせた軍人に尋ねると、それは陸軍の演習だと判明。フリントには空きビルが多数あるので、将来の市街戦に備えたリアルな演習ができるという。しかし、そんな演習が行われることは、住民たちには一切告知されていなかった――。

もうわからん……。「恥知らず」としてレベルが高すぎる……。

有権者が投票に行かないことは、民主主義の自滅と独裁者の台頭に直結する危険な兆候です。たとえクリントンには反対であろうとも、「歩くヘイトスピーチ」が大統領になるのを阻止するためには投票すべきだった。しかしいくらなんでも、民主党に汚水を飲まされ続け、あげく爆撃までされたフリントの人々に民主党へ票を投じろと言っても無理な話です。オバマ時代にはすでにトランプが当選できるラインまでアメリカ社会の水準が下がっていたのだ、とみえました。

マイケル・ムーア監督が撮る「団結の勝利」

マイケル・ムーア監督は本作で、トランプの暴走で政治に目覚め「政治家」となった新しい選挙立候補者や「大人数の団結」を撮っています。それらが監督の見る未来の可能性であり、希望なのでしょう。

ウェストバージニアの教員ストライキ―「妥協」の克服成功例

「団結の勝利」一つ目の例、舞台はウェストバージニア州の貧しい地域です。教員の生活はぎりぎりで、貧困ラインを下回っている先生もいるというのだから驚きです。

その低賃金にたたみかけた教員の健康プログラム「ゴー365」は、ある意味とてもアメリカらしい突拍子のなさ。州の教員は「フィットビット」という端末を購入して(無料で配られるのではない!)一日中自分の行動データを提供せねばならず(つまり監視を受け入れなければならない!)、それをしなければ罰金が科されるというのです。明らかに不要、あからさまにあやしい政策です。「個人情報の売買」が巨大産業にのしあがっているこのご時世、「健康プログラム」の本当の目的は、企業にとってカネになる行動データに違いないでしょう。

公務員のストライキは違法ということですが、教員たちはそれを押してストライキを決行。ポイントは、途中ストライキのリーダーが要求一部承認にとどめてストを終わらせる「妥協」をした時、他の参加者はストを続けた、というところにあります。

結果、ウェストバージニアの教員は要求をすべて承認させ、無茶苦茶な「フィットビット」も廃止。こちらは民主党的な「妥協」を克服した先例といえます。

フロリダ高校銃乱射事件―ティーンエイジャーの運動には、あやうさを見た

マイケル・ムーア監督は「団結の力」としてもうひとつ、高校生による銃規制デモを撮っています。ただ私はムーア監督の意図とは異なり、フレームの中にアメリカの抵抗運動のあやうさを見ました。

内容をざっと説明すると、フロリダ州の高校で銃乱射があり相当数の生徒が死亡。生徒たちが自ら銃規制を求める運動を始めたというものです。本作では、高校生たちが議員に直接面会したり、政治家との討論番組で優勢に訴えたり、首都ワシントンで過去例がない大規模デモ(「大人」は登壇を許されていない)をすべて自分たちだけでやりとげた、という一連の運動が撮られています。

『華氏119』の公開は2018年で、これを書いている今は2019年の11月。私はつい最近、「グレタさん」の環境保護活動がアメリカで盛んになったのは偶然ではないという話をしたのですが、本作にはその「前段」が映っているのでとても興味深いです。理解が深まった感じがします。

まず、銃規制運動団体を立ち上げた23人の生徒はADD(多動性障害。発達障害の一つ)だということ。私は「グレタさん」が本来まったく関係ない「環境保護」と自身の「発達障害」を結び付けていることに首を傾げたのですが、アメリカ銃規制デモの時点で「反トランプ」と「発達障害」のドッキングがすでにあったんですね。「下地」ができていたんだということを、私は本作から知りました。

次に、「大人」というキーワード。三つ目に、英雄主義の萌芽。

極めつけは、登壇した高校生の口調や言葉選びの攻撃性です。スクリーンの前で私は耳を疑いました。とりわけ“How dare you!(よくもそんなことを!)”という表現です。アメリカ銃規制運動の時点で登場していたとは!

言論者は、自分がどんなに間違っていると思う人物に対しても、一定の節度と尊重する態度をもってのぞまなければなりません。それをよく体現している例は、ほかならぬマイケル・ムーア監督ですよ。プロの表現者である彼は、こんなにまで憤っていてもスナイダー知事やトランプ大統領に罵言を吐き捨ててはいないですよね。

攻撃的な言動が新鮮で心に響く、というなら、トランプ大統領が散々やってきたことと何も変わりません。

次のアメリカ大統領選はどうなるかまったくわからない、というのが世界の見方です。しかし私は本作を見た結果、大変遺憾ではありますが、トランプ再選だろうというほうにより傾きました。どちらにせよ、世界に吹き荒れるポピュリズム時代はまだ止まりそうにありません。

強権と民主の「ねじれ」を見た

そんな一連のシーンで私が「これは」と思ったのは、高校生が銃規制に反対する共和党議員を訪ねる箇所でした。

強権的思想を持つ共和党議員が、ていねいに議論し、必要な手続きを重ね、議会で承認を得なければならない、と、非常に「民主的」な説明で「強権」を正当化している。そのように見ることができるのです。

では、そんな強権思想に対抗するはずの高校生はどうなのか。私の目には、まんまとかく乱されてしまっているように見えました。自分では強権に対抗しているつもりでも、彼らは民主的な考え方とやり方を否定し、自らが「トランプ化」しているのですから。

本当に反抗したいなら、頭を使わなければなりません。自分たちはすごく新しいクールなことをしているつもりでもそれはごく表面的な部分だけで、中身はとても古い、という例は世にいくらもあるからです。

日本でいえば、「パラパラ」を思い出せばいいでしょう。パラパラとは、90年代に渋谷の「コギャル」の間で大流行したダンスです。音楽はテクノで、ファッションはコギャル。ぱっと見では現代的なパラパラですが、当時、「パラパラは内容的には『盆踊り』そのものだから、もし彼女らが新しいことをしているつもりならその認識は誤りだ」という鋭い指摘がなされました。人によっては、彼女らがカリスマダンサーのファッションを頭から足先までまね、振り付けではひたすら「みんなと同じ」を目指し、個人が自分を全く表現できないその「古さ」に強い嫌悪感さえもよおしたようです。

アメリカといえばカウンター・カルチャー(反抗文化)大国です。それが時には上位文化を食い、国の原動力となってきました。本作でも、60~70年代のヒッピー文化がいまや主流だ、と映されるシーンがありますね。さらに、アメリカは自主性大国。そのスピリットがさまざまなムーブメントや起業を生み、やはり国の原動力になっています。いつだって「みんなと同じ」至上主義で口をふさがれている日本人にはうらやましくなるアメリカ文化の一側面、しかしカウンター・カルチャーやムーブメントのクオリティにはうんとバラつきがあるのも事実です。

「強権」の側が「民主的」な用語を駆使して「強権」を正当化する、というねじれた現象は怖いですね。この「ねじれ」から、いきなり「民主主義は役に立たない」「適正手続きは遅いし、不正が混じりやすいのでやっかいだ」という『スターウォーズ』さながらの話に迷い込む人が出かねない。マイケル・ムーア監督は『華氏119』で民主党上層部の「妥協」を批判的に撮っていますが、私はトランプに対抗するアメリカ人が強権的になっていくという矛盾もまた、別の形での「妥協」なのだと思います。

マイケル・ムーア監督もヒトラーを研究・比較!

マイケル・ムーア監督もヒトラーを出してきたか! 実をいうと、ヒトラーの自伝『わが闘争』ワイマール共和国が世界一の自由民主主義国家だったという事実は、私もついこの間このブログで触れたばっかりなんですよ。歴史から教訓を学べ、過去のファシズムの過ちから学べ、とくり返していたところだったので、スクリーンにヒトラーが映し出された時には興奮しましたね。

歴史学者2人とニュルンベルク裁判(戦犯への裁判)検察官へのインタビューをはさみつつ、ヒトラーの映像と現在の映像を巧みに織り交ぜ編集するのは、まさしくムーア監督のお家芸です。

ヒトラーとトランプの共通項に戦慄

1930年代ドイツの映像に現代アメリカを重ねた編集で映し出される、ヒトラーとトランプの共通項。その戦慄は順を追うたびに深まります。

  • 政治経験はゼロ
  • 率直な物言いが新鮮で人気を集める
  • 最新のメディアを活用(ヒトラーの時代にはラジオ、映像、テレビ。トランプ時代はツイッターなどSNS)
  • フェイクニュースも活用(「ユダヤ人は収容所で以前と変わらぬ暮らしをしています」など)
  • 公共事業で雇用創出(ユダヤ人収容所もその一つ)
  • 票数では左派のが多数だった。ナチ党は国会議席もたった32%
  • ドイツ・ファーストを掲げる(国歌斉唱で敬意を払わなかったとしてサッカーチームを活動停止に)

1933年、ヒトラーは国会議事堂放火事件(ナチスが「緊急事態」を自作自演したともいわれる)をきっかけに全権委任法を成立させ、共産党は活動停止、ナチスが議席を奪います。ここはトランプというより9・11後のブッシュが重なります。

今すぐ使える!「独裁の兆候」リスト

ヒトラーとの比較だけではありません。危機的状況の指摘は、社会の授業用モノクロ映画『Despotism(専制、独裁の意)』をベースに展開。「地球上の共同体は、片方が民主主義、もう片方が独裁のモノサシの上を行き来している。独裁に傾いていくときの兆候はこのようなものだ」という内容です。

  1. 美辞麗句や気高いフレーズ
  2. 礼儀に欠け人種差別をする一団が台頭
  3. 宗教差別も行われる
  4. 中間層が減少する
  5. 市民が指図に従うしかなくなる
  6. 質問すること自体が押さえつけられる
  7. メディアが統制され、大衆は支配者の望むものを読み受け入れる

この「独裁の兆候」リストは今すぐ使えますね。ムーア監督は、トランプの「USA! USA!」コールや、見るに堪えないヘイトスピーチの映像などを重ねています。

「なぜ支持されるのかがナゾ」への答え

そうそう、今かゆいのはそこなんだよ! 私が思わずこぶしを握りしめてしまったのがこの箇所でした。

批判する者にとっては、なぜトランプのような人物が支持されるのか、なぜこんなひどいことをしても勝つのか、それがいちばん知りたいところですよね。

ニューヨーク大学の歴史学教授・R=ベン・ギアットの答えはこうです。

「独裁者が成功したときは、前々から人心をつかんでいる。

人々は彼を信奉している。そのことが真実よりも重要で、嘘かどうかは関係ないのです」

そうだ、「感情」なんだ。支持者になっている人たちは「トランプのことが好き」なんだ。あの人たちは「ファン」なんだ。トランプの言っていることが本当か嘘かどうかなんて、どうだっていいんだ……。

トランプのあくどさを示せばいい。彼が国民生活に与えた被害を指摘すればいい。彼の政策で問題は解決しないことを説明すればいい。そうすれば支持者は目を覚ますだろう。反対者はそう考えがちだと思います。

しかし、人間とは感情で動く生き物である。この悲しい現実を考慮すれば、真実を指摘する効果は思ったほど高くないんですね。

私としてはもう一点付け加えておきたいと思います。反トランプ運動もまた、再三再四「感情」で動いている、ということです。それがトランプを止められない原因になっている。私は「好き」になったら百年目、民主主義などかなぐり捨てて理性を失い、反対者を「敵」と決めつけ、何を踏み倒してでも味方しようとする現象は、「グレタさん」ムーブメントにおいて欧米左派にも色濃いとみています。

では、そんな現実に、私たちはどう向き合っていけばいいでしょうか。インテリとは間違うことを恐れる哀しい生き物で、いまだ大先生の書物が存在しないリアルタイムの問題にはどうも二の足を踏みがちです。しかしだからこそ、意識的に積極性を持ち、臆せず意見を発信すべきだと思います。

私がここで提示できる対策は、以下の2点です。

まず、ポピュリストというのは、けばけばしい言動を放ってはメディアで目立ちまくり、強烈だけどどこか憎めない「キャラ」となって人目を引きますが、裏には必ず、冷酷なもう一つの顔をもっています。効力が思ったほど強くないにせよ、それは真実を指摘する手をゆるめる理由にはならないでしょう。ポピュリストの「魔法」にかかってしまった「ファン」が「冷酷な裏の顔」に気づくことができるきっかけはできる限りたくさん用意しておかなければと思います。

もう一点は、フィクションと現実は違うよ、ということ。政治権力は、実効力という刃物です。映画や小説なら、あるキャラクターをとことん好きになろうが、こいつだけは許せないと怒ろうが、現実への作用はありません。たとえ町が爆撃で滅びようとも、スクリーンの中の話なら現実は無傷なままですよね。幕が下りれば「あー、衝撃作だったね」で終わり。一言でいうなら、自分の安全は保障されているのです。しかし、政治は違う。ポピュリストに政治権力という実効力を持たせれば、現実に、自分に被害が出るのです。たとえば、「小泉劇場」によって日本の雇用は破壊されました。あの時小泉に投票した人は、反対者を巻き添えに、約20年がたった今も苦しい雇用情勢に甘んじる羽目になっています。「フィクションと現実はきちんと区別しないと大変なことになる」ということは、今こそ強調したいと思います。

『華氏119』ドキッとするシーン列伝

本作はあくまでアメリカの問題を撮った映画ですが、アメリカ人でなくてもドキッとするシーンは出てきます。

左派や反対者がことのほか楽観する

ヒトラーが全権委任法を成立させた時、世界はさぞ大騒ぎになっただろうと思いきや、そうではない。マイケル・ムーア監督はこの歴史を映しています。

当時のユダヤ人新聞の反応はこう。ナチスは公約をすべて実行はしないだろう、ユダヤ人を隔離することも暴行を加えることも心配しなくていい、なぜなら憲法がそれを認めていないから。

その数年後、ユダヤ人新聞の読みは完全にはずれました。ナチスはユダヤ人を収容所に隔離し、ガス室で600万人も殺害します。

のちに大変なことになる布石が打たれているのに、我々はことのほか楽観してはいないだろうか? ドキッとします。

メディアが取り上げること自体が勢いになる

トランプのような人物が派手な言動をすれば、メディアはそれを取り上げざるを得ない。それがメディアの仕事だからだ。しかし、取り上げられることによって言動は拡散され、言説の一部にさえなる――これも先ほどのギアット教授の指摘です。

小泉の劇場型選挙はまさにこれでした。「郵政民営化!」だの「刺客」だの、小泉の言葉を報じること自体が、小泉の「盛り上げ役」になることを意味してしまう。

では、メディアはどのように報じるべきなのか。「報じ方」はリアルタイムの課題でしょうし、メディアにはいいかげん自省も必要だと思います。

有権者の半分しか投票せず政治がカネまみれの間は、民主主義は道半ばだ

有権者の半分しか投票しないなら、政治に民意が反映されているといえるのか。これで民主主義国家といえるのか。

投票率が異常に低い日本では幾度も繰り返されてきた警鐘ですが、はっきり「道半ばだ」と言われると身につまされます。

たとえば、2019年7月の参院選では48.80%(総務省調べ)ですから、日本の投票率はアメリカよりひどいんですよね……。

「ヒトラーが『ユダヤ人が攻めてくる』と言ったから、自衛のためにやった」

これは、ガス室で9万人ものユダヤ人を殺したナチ党員の証言です。

事実はどうだったのか。

攻めているのはナチスだよ……。ユダヤ人が攻めてくるなんて、嘘八百だよ……。

政治権力が「外敵」がいると国内に向けて宣伝するのは、人類史上いつでも戦争の口実になってきました。

攻撃される、などと言われるとついあわててしまうのが人の心。しかし、人類はいいかげん学習すべきでしょう。権力が「○○が攻めてくる」と騒ぎだしたときは、嘘だろうと決めてかかるくらいでちょうどなのかもしれません。

汚職や悪事が表沙汰になったら、司法を傷つけメディアの信頼を貶める

汚職や悪事が次々表沙汰になる国の国民なら覚えておくべきでしょう。

司法は機能しているか。メディアが攻撃されていないか。

僕らは気休めを言いすぎだ。「憲法が守ってくれる」と。

私が本作で最もギクッとしたのがこれでした。

確か以前、このブログで「違憲な法律は無効なので、とりあえずは安心していい」とかなんとか書いたような……。共謀罪法のときだったかな……。最近共謀罪法という言葉自体を聞かないのは「楽観」じゃないかな……。

違憲な法律が無効なのは事実です。しかしながら、憲法は国民が何もしなくても全自動で守り続けてくれて当たり前ではない。このブログではそうも書いたことがあったと思います。人権を維持するには、油断してはならない。冷たい水で顔を洗ったような気分です。

マイケル・ムーア監督のナレーション&エンディング

「望んだ民主主義を叶えることができず、『国家緊急事態』のために手中のものまで失ったら、僕らは自問するだろうか。『いつなら状況を変えられた?』と」――映画の締めは、マイケル・ムーア監督のナレーションが続きます。

「『悪』は動きの鈍い生物だが、巨大な『恐怖』と合体したら手遅れだ」

「僕らは気休めを言いすぎだ。憲法が守ってくれる、選挙が盾になる、特別検察官が救ってくれる、弾劾制度もある、と」

「僕は思う、トランプのおかげで目覚めることができた。彼の出現を可能にした腐ったシステムを一掃する必要がある」

世界一の超大国の大統領の座にあのような人物がついたことは、アメリカ国内のみならず、世界のいまを象徴しています。マイケル・ムーア監督のこうした言葉は、それを見事に映していると思います。

エンディングは、ボブ・ディランの”With God On Our Side”を原曲としたK’NAAN(ケイナーン、ソマリア出身のラッパー)による替え歌です。うわぁ、またこの曲! 実は、”With God On Our Side”の原曲は、オリバー・ストーン監督『ブッシュ』のエンディングにも起用されています。実をいうと、私がボブ・ディランを知ったのは『ブッシュ』がきっかけ。もっともすぎてふき出すそのオチは、『華氏119』に興味を持つ方にはぜひともおすすめしたいですね。

さて、この記事もそろそろエンディングとしましょうか。私は今回、映画を扱った記事で初めてこれをエンターテインメントではなく、「社会」のカテゴリーに入れました。それは本作『華氏119』を、ポピュリズム時代に対抗するための「資料」として見たからです。収穫がありました。いくつか重要なヒントを手にできました。

締めとして、トランプとヒトラーの比較で登場したT=スナイダー歴史学教授の言葉を引こうと思います。

「歴史は膨大なパターンや構造の宝庫です。

いまのような混沌の時に、自分の位置を知る手がかりとなる」

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華氏119 [ マイケル・ムーア ]