『推し、燃ゆ』(あらすじ・ネタバレ有)~ファン活動のマナーと注意点

『推し、燃ゆ』のあらすじまとめは、核心のネタバレを含んで結末まで書いてあります。その他の箇所でも適宜ネタバレがありますのでご注意ください。)

2020年、宇佐見りんさんの芥川賞受賞作『推し、燃ゆ』が話題になりました。“推し”アイドルの応援やグッズコレクション、ファン仲間との交流などを気軽な楽しみを越えて「生きがい」にする――それはネットというインフラが浸透した現代社会のひとつの日常風景になっています。あなたもその一人かもしれません。

一見楽しそうな「”推し”を押す」ファン活動ですが、ネット上のコメントや交流がしばしばトラブルに発展するのは、もはや言うまでもないと思います。大ゲンカになって心に深い傷を負う悲しいケース。また、気づいた時には誹謗中傷で逮捕されていて先の人生を破壊してしまった……などという人は昨今後を絶ちません。

そこで今回は、同小説を手元に置きながら、“推し”を押すなかで「こういうことをしたら大変なことになる」というパターンを解説していきたいと思います。『推し、燃ゆ』に「他人事とは思えない!」とハラハラしたり共感した人はもちろん、“推し”はいなくても頻繁にネット投稿するすべての現代人にとって、落とし穴を避け、よりよい人生を送る参考になればと思います。

“推し”とは?

「推し」とは主にネット上で使われるスラングで、基本的には「好きなアイドル」を意味します。語源は「(アイドルグループの)一押しメンバー」だといわれており、それが「推しメン」に略され、さらに短くなって「推し」となったといわれています。

語が広まってからは、アイドルに限らず、主にポップカルチャーで「推しアニメ」「推しキャラ」といった転用もされています。最近ではもっと一般に、「推しアプリ」など「おすすめ」の意でも見かけるようになりました。

『推し、燃ゆ』あらすじまとめ(※核心までネタバレあり)

芥川賞作品『推し、燃ゆ』は、簡潔に言えば、 “推し”アイドルがファンを殴ったとして“炎上”、芸能界を引退したので、主人公・あかりは何もかも失い燃え尽きてしまった、というストーリー。同じように”推し”のファン活動をしている人が「他人事とは思えない」と引きつけられ、共感の声が続出しました。

あかりが「推しを推す」ことを「生きがい」にまでしている様子は、「推しは命にかかわるからね」(6頁)というセリフが象徴しています。部屋は”推し”のメンバーカラーである青で統一され、「たとえば教会の十字架とか、お寺のご本尊のあるところとかみたいに棚のいちばん高いところに推しのサイン入りの大きな写真が飾られて」(37頁)います。

そんなあかりの背景事情ですが、実生活はまるきりうまくいっていません。なんとか入った高校では、3年生に上がれず留年が決まり、ついに退学。あかりは小学生のころから漢字を書くのに困難をきたしていたりと発達障害があるようで、慢性的な体調不良にも悩まされており、実際病院では診断が二つ出ているのですが(病名などは明言されていない)、両親は「またそのせいにするんだ」(92頁)と理解せず、受け入れず、高校中退後はかたくなに就職を求める一方。姉・ひかりは小さいころから子どもを支える親の役割を肩代わりするような立場になっており、事あるごとに家庭をなんとかとりもとうとしているのですが、そのたびに憔悴して終わり、時にはあかりに対して怒りをぶつけることも。こうして学校も家庭もうまくいかないところにもってきて、あかりはバイト先の定食屋でもミスが多く、ついには何日も欠勤連絡を忘れてしまったので退職。事実上の解雇です。親につつかれるまま会社に履歴書を出しても、就職先は決まらない。家族で話し合った……というよりもめた末、あかりはいったん一人暮らしをしてみることに決まり、ひとまずの生活費をもらって家を出て、亡き祖母の家へ引っ越します。

あかりが陥った社会的孤立は、ドミノ倒しのごとく深刻化していきます。問題が問題をよび、解決がどんどん難しくなっている現実のまっただなかを生きているといえるでしょう。

こうしてもがいているあかりが唯一夢中になれるのが、アイドルグループ「まざま座」のメンバー・上野真幸でした。ブログを開いて“推し”の「解釈」を書いているうちに仲間ができ、ファンの間では「落ち着いたしっかり者」というイメージで(35頁)一目置かれる存在となっていたのです。

ところが、その真幸くんがファンを殴ったとして芸能界を引退、「まざま座」は解散に。これにてネット上のファン仲間が散り散りになることは確定し、あかりは”推し”がもはやアイドルではなく一人の人間なのだという現実にぶつかります。物語は、あかりが家で独り重い体を引きずり、散らかった部屋をひとつひとつ片付けなければならないと這いつくばっている……というところで終わります。

――以上、筆者がポイントを抽出したあらすじはいかがだったでしょうか? けっこう意外に感じた方も多いのでは? 巷で話題の『推し、燃ゆ』ですが、宣伝文句やネットの情報だけでは分からない部分があるので、「自分も”推し”がいるので気になっている」という方は原典に当たってみるのをおすすめします。

個人的には、ソーシャルワーカーや医療関係で働いている方、法律や心理学などを学んでいる方などは、フィクションではありますが「あかりが抱える問題はどうすれば解決できるだろう?」とケーススタディの題材として活用することもできそうだと思いました。なかなか興味深いのではないでしょうか。

あかりの「推し方」は無害だけれど……

以上のあらすじから分かる通り、『推し、燃ゆ』のあかりのファン活動は他人や社会に危害を加えるものではなく、人間関係でのトラブルもありません。真幸くんの“炎上”、引退は衝撃だったとはいえ、それはあかりの内面の問題止まりなのです。

しかし、現実はなかなかそうはいかないんですよね。

私は長年ネットの世界にかかわってきて、ファンサイト運営のむずかしさをこぼす管理人さんとか、思わず目を覆う罵言や悲しいケンカなどをずいぶん見てきました。どうすればそういう悲惨な事態にならずにすむのか、以下ではそちらにフォーカスしていきたいと思います。

コレを言ったら絶対荒れる!ファンコメントの鉄板パターン

まずは小手調べ。ネットで絶対ケンカになる投稿やコメントの鉄板パターンはこちらです。


○○最高!××なんかよりずっといい!


……人気YouTuberのコメント欄なんかでよくありますね。映画等の投稿レビュー、あるいはSNSでも見かけます。経験上、このパターンで物を言ってしまったら、××を“推す”ファンと大ゲンカになること間違いなし。気を付けたいところです。

「××よりいい」という表現パターンは、「“推し”が人気や知名度で押されている」と感じたファンが言ってしまいがち。

加えて、もっと深いところでは、友達との雑談気分のままネットに書き込んだ、という意識も原因になっています。人数が限られ、しかも気心知れている友達が相手なら、「××なんかのどこがいいんだよ~」なんて言っても昼休みの談笑ですむじゃないですか。しかし、ネットに投稿するというのは、そういう普通の会話とは根本的に異質な行為です。駅前で演説するのと同じ、「公の場での発言」なのです。ネットでは何の手ごたえもなく投稿できてしまいますが、「自分は公の場で発言しているんだ」「このコメントはどんな人でも見られるんだ」という意識は忘れずに。

“推し”への応援コメントやネット投稿では、「他との比較」は使わないのが賢明です。言葉遣いでも、攻撃的な表現はひかえておくのが吉。ネットでは顔やジェスチャーが見えず、声のトーンもわからないので、読み手にとってあなたの言の判断材料は文字だけです。たとえ自分ではそんなつもりはなかったとしても、読み手(不特定多数!)は「ケンカを売られた」と受け取る、そんな文面になっているかもしれません。

たかがケンカ、されどケンカ。私が実際に目撃した実話は次のところで紹介しますが、ネット上で怒号の応酬が始まれば、精神的な負担は大変なものになります。いやな思いをして、スクリーンを離れても朝からぐったり、昼間もげっそり……。そんなことになりたくなければ、投稿ボタンをクリックする前に指を止め、冷静になることです。「ケンカになったらやだから一応やめとこ……」と判断したなら、命拾いになりますよ。

実生活で悩みをかかえた人が、ネットでまた傷を負い……

先ほど紹介した通り、『推し、燃ゆ』の主人公・あかりは自分の実生活がうまくいっていません。周りから受け入れられない、理解してもらえないモヤモヤ。追い詰められていく立場と生活。しかし“推し”アイドルの存在によって好きなものを共有できる仲間ができ、少なくとも真幸くんの芸能界引退までは幸せ感があったわけです。

これはこれで完成された作品世界。しかし、現実社会にたくさんいるあかりと同じような人はどうでしょう? 実生活で悩みや困難を抱えた人が、ネット上で“推し”を押していたらそこでも人間関係でトラブルになり、叩かれたりしてさらなる傷を負うケースがなんとまぁ多いことか……。

パソコンとスマホでネットいじめに遭って膝を抱えている男性
仲間や居場所をネットの世界に求めたら、そちらでも叩かれ、嫌われ、締め出され……。

私は自分自身が訳ありでネットの世界を漂っていた時期があるので、今でもこのパターンに陥った人を見るたび、もう悲しくてやるせなくて直視できないんですよね。

そこで、今回は私がTwitterで実際に目撃した例を紹介しながら、どうすれば実生活で困難をかかえた人がネットでのファン活動でトラブルにならず、幸せな方向へ進んでいけるのかを考えていこうと思います。

アニメ推しのタイガさんは、かくしてTwitterでも嫌われた

これは、私がTwitterアカウントを開く前、調査のために様子を見て回っていたころのこと。Twitterを遊びに使っている人たちはどんな雰囲気なんだろう、とアニメやゲームに関するツイートを閲覧していると、ある時、こんな人に出くわしました。


タイガ @taigaaaMKI

スペレンは神アニメ!毎週リアタイ、実況中。


タイガさん(仮名)は人気アニメ『スペースレンジャー』(仮)の大ファンでした。自分が出会った最高のアニメを多くの人に広めたい、ファンを増やしたいと、毎週放送のたびに夢中になって感想を山ほど投稿。先の展開が待ちきれなくて、次週以降の情報が解禁される日には朝から


タイガ @taigaaaMKI

今日解禁。1時まで酸欠かも。息止まりそう。


などとそわそわ。100人を超える『スペレン』ファンからフォローされ、Twitter上でファンのグループを形成していました。

ところが、タイガさんはある時を境にがらりと態度を変えます。「ストーリーの展開が気に入らない」と怒り出したのです。

昔から「ファンクラブの元会長が嫌がらせ犯に転じて、ついに逮捕された」といったケースはありました。しかしタイガさんはこうした熱狂的ファンから“アンチ”に転じたパターンではありません。彼の主張は、


タイガ @taigaaaMKI

スペレン自体は神なんだよ…。脚本が悪いんだよ!こんな超展開にしやがって!スタッフがスペレンをだめにしてるって言ってんだよ!


というもの。言葉遣いはどんどん荒くなり、番組に対して暴言を吐くようになったのです。

そしてついに、ファン仲間だったブルージェミニさん(仮名)との間で火種が爆発。大ゲンカの火蓋が切って落とされたのでした。「違う意見があってもいいじゃないですか」となだめようとしたブルージェミニさんに対し、タイガさんは

  • 自分は『スペレン』を良くするために批判しているのだ
  • 自分のしていることはアニメへの批評だ

と主張して激しく攻撃。ブルージェミニさんが返信するごとに怒声が怒声をよび、Twitterスペレンファンの人間関係は火柱と化したのでした。

ブルージェミニさんは、タイムラインによれば成人していておそらく30代、どうやら医療福祉関係で働いている女性でした。タイガさんと同じく『スペースレンジャー』に魅了され、ファンと交流したい、その良さを広めたいとTwitterで盛んに投稿。ブルージェミニさんは深読みをしたがるタイプで、性格的にはやや繊細、Twitter上では暴言を吐く人に注意したりと少々個性的な人でしたが、人格的には普通の大人という感じで、ファンとしての行動も常識的でした。タイガさんと同じく、スペレンファンの間で一目置かれる存在でした。

このころから、他のスペレンファンたちは次々タイガさんをブロックしていきます。暴言を吐きまくり、ブルージェミニさんに罵言を浴びせたタイガさんは、『スペースレンジャー』ファンのコミュニティから締め出される形になったのです。

心に一生残る傷

こうして、”推し”アニメを通してつながる仲間を失ってしまったタイガさん。

孤立してがっくり肩を落としたのか、それとも「コンチクショウ!」と荒れたのか……私がどうしたものかとやきもきしていると、彼はここで、ケンカ相手に妄執を燃やします。

なんと、タイガさんは、Facebookかどこかでブルージェミニさんと同一人物のものと思われる『スペレン』感想を探し出してきたらしく、彼女の実名を暴露、名指しで罵倒したのです。

想像を絶する、執拗な攻撃。これにはブルージェミニさんも打ちのめされたようでした。


ブルージェミニ @BlueGemini_crossroad

心配してくださってありがとう。どうしてここまでやるのか、もう悔しくて悔しくて、昨夜は涙が止まらず眠れませんでした。


ブルージェミニさんは、好きなアニメを“推し”ているさなか、ネット上で他の人から攻撃を受けて、一生残る傷を負ってしまったのです。

タイガさんの悲惨な過去と親子関係―あかりとの共通点

Twitterを調査中だった私は愕然としました。世の中にはアニメのことでここまで感情的になる人がいるのか、と……。

こんなことをするタイガさんとはいったい何者なのか。私は彼のタイムラインをさかのぼっていきました。すると明らかになったのは、彼をとりまく悲惨な過去と現実でした。

タイガさんは、父親との確執をかかえていました。物心ついたころから「だめな子だ」と言われてきた、というのです。それでもタイガさんは大きくなるにつれて、自分なりに夢というか、漠然とした希望を描くようになったらしいのですが、両親は彼の意思に耳を傾けませんでした。高校卒業後は、就職先でもうまくいかずに間もなく退職。これによって親の「だめな子」攻撃は過激化し、父親が「だめな息子のために」ツテから引っ張ってきた地元企業でしぶしぶパートを始めたものの、そこでは毎日上司から怒鳴られる。タイガさんはアニメ感想の合間に、職場への不満や怒り、父親へのいら立ちをツイートしていました。

第三者である私の目から見れば、タイガさんの親は虐待的傾向のある人でした。ありのままの子どもを受け入れず、親の尺度で測ってなじる。支離滅裂な要求を乱発し、子どもが思い通りにならないとブチ切れる。表面的には自立をうながしているかのような「働け」という言葉ですが、深層心理はその逆です。息子を支配下に置いて離さず、是が非でも子離れしようとしない。この手の親は、自分のほうを変えようとはゆめ思わないんですよね。私はタイムラインを読んで、タイガさんの親は子育てするには精神が未熟だ、と思いました。しかも、そんな親が探してきたという職場は、私に言わせればもろにパワハラ、ブラック企業……。「類は類を呼ぶ」とはこのことです。物心ついてより、タイガさんは四面楚歌、四面暴言の世界で生きてきたのです。

タイガさんの狂信的なファン活動や人間関係トラブルの背景にあった、家庭環境と親の心理――親がありのままの子どもを受け入れない点や、その表れの一つとしてひたすら「就職」を求める点などは『推し、燃ゆ』のあかりと共通しています。このような”推し”と機能不全家庭の関係については、下記で詳しく扱います。

SNSアカウントには、一人ひとり、心の深いところに根差した思考・行動パターンが顕在化します。実生活でうまくいっていない人がたびたびネットでもトラブルになるのは、その劣悪な環境に身を置くことで心の奥深くに形成されてしまった健全でないパターンが、ネットでの言動にも現れてしまうから。タイガさんのタイムラインを数か月分閲覧した私の結論はこうでした。

「自分と違う考えを受け入れずに間違いだと決めつける」、そして「暴言で相手を叩き潰す」というタイガさんの行動パターンは、彼が生まれたばかりの天使だったころから親にされてきたことなのだ、と。

タイガさんの苦境と苦しみは不当に負わされたものであって、心からかわいそうだと思います。

しかし、彼はブルージェミニさんとの関係においては加害者。残酷な生い立ちを以て、ブルージェミニさんを傷つけた責任が免除されることはありません。

かくして、実生活で悩みと困難をかかえたアニメ推しのタイガさんは、Twitterでも嫌われ、締め出され、あげくの果てには加害者側にまわってしまったのでした。

実生活で悩みをかかえたあなたが、“推し”活動でも失敗しないために

ただでさえ苦しんでいる人が、実生活で得られなかった仲間や理解者、居場所をネット上に求めたら、そこでもうまくいかず、ますます傷つき自信を失った――。

私はかつて自分自身がネットへ逃げ込んだ身で、その時にそうやってボロボロになった人を見かけてそれはそれは不憫に思ったのですが、Twitter調査中に出くわしたタイガさんはそれ以上の衝撃でした。ネットでも嫌われた、にとどまらず、加害者になってしまった。もう救いようがないじゃないですか……。

どうすればこんな悲惨なことにならず、”推し”を共有できる仲間と楽しく過ごし、本当の自分をのびのび発揮して、ネットを幸せに利用できるのでしょうか? ここでは私の経験からポイントを2つ挙げてみるので、悩みがある人、人生に困難をかかえている人はぜひ参考にしてほしいと思います。

まず土台の部分では、「傷つける側にはならないように」という意識を持っておくといいでしょう。……言われてみれば当たり前なんですけど、普段なかなか意識的にはならないと思うんですよね。といっても、特別慎重になる必要はありません。文字だけのコミュニケーション、言葉遣いや態度はていねいに。また、数ある感情のなかでも「怒り」は他人にも自分自身の心に対しても「破壊力」に転ずる恐ろしいもの。ほかのSNSユーザーであれ、番組スタッフや著名人であれ、他者を批判するのは避けておくのが安全です。カッとなったときにはスクリーンからいったん離れ、投稿をしばらく待つのをおすすめします。

そしていちばん大事なのは、“推し”を推すなら、そのなかから本当の自分を見出し、生きる力に変えていこうということです。

親にありのままの自分を受け入れられず、仕事でもうまくいかなかったタイガさんは、『スペースレンジャー』のどこに魅了されたのでしょうか? 夢への一歩を踏み出す決意、壁にぶつかっても再び挑戦する主人公の姿……『スペレン』の中の何かが、心の琴線に触れたはずなんですよ。

「自分は”推し”のどんなところが好きなんだろう」と掘り下げていけば、そこにはかならず「本当の自分」が映っています。すばらしいと思う生き方、なりたい自分の姿、共感するところ(=本当の気持ちや願望)、親からもらえなかった優しくつつみこむような言葉……。(『推し、燃ゆ』のあかりは真幸くんが好きな「理由なんてあるはずがない」(29頁)と言っていますが、作中では親の意思で無理やり芸能界に入れられた元子役である真幸くんに、親から受け止めてもらえない自分を重ねる心情等が示されています。)

そうやって”推し”から大事なものを見つけたなら、「よし、自分も勇気を出して、親父に『自分の将来は自分で決める』って言うぞ」とか、「最初の仕事を辞めた時は『やっぱり自分はだめなんだ』って落ち込んだけど、なんだ、また立ち上がればいいじゃないか」といったふうに、自分が明日を歩む力をためていけるはずなのです。

実生活で悩みや困難をかかえた人がファン活動でも失敗して傷ついたりしないためには、「“推し”を押すことで自分が良い方向に行っているのか」はいつでもチェックポイントだと思います。夢中になれるものからプラスのエネルギーをもらって、今日は昨日より少し元気になりたいですね。

“推し”のためなら何だって!―「信者」による反則行為

”推し”とて人間、または人が作った作品です。社会から否定的に見る声が上がることはありますし、『推し、燃ゆ』のあかりと同じように、”推し”が失言や不祥事を起こしたといったこともゼロというわけにはいきません。そこでどんな態度をとるかはファンにとって悩ましいところではないでしょうか。

『推し、燃ゆ』では、人を殴ったという真幸くんへの反応はそれぞれで、一気に”アンチ”に転じる人なども描かれています。失言や不祥事の中身によるところもあるでしょう。ただ、こうした場面で最も失敗しやすいのが「信者」と呼ばれるファン――つまり、ピンチの”推し”をかばうためならどんなことでもしてしまう人であるのは間違いありません。

このパターンがさらにやっかいになるのは、「”推し”に否定的な人を攻撃する」という形がとられたとき。第三者が巻き込まれるので、ファンによる迷惑行為のなかでも迷惑をこうむる範囲が広くなるからです。

関連記事:批判意見と誹謗中傷の違いとは―レビューや感想を書くなら知っておきたいこと

”推し”が失言、不祥事。そのときファンは……

ファンが「現実を踏み倒してでも”推し”を味方する」類の行為をしてしまいやすいのは、特にそのアイドル、アーティスト等が失言をした、不祥事を起こした、というときなんですよね。たとえば……

  • ”推し”アイドルが、人を殴ったとして批判された→「そんなはずはない!」と言い張る
  • 殴ったなんていうのはウソで、「誰かに陥れられたんだ」などと根拠なき陰謀論をまことしやかに語る
  • 絶賛している小説が、差別的な表現を含んでいるとして批判された→「それは何々を表した芸術表現であり、これこれこういう意味であって、差別とは関係ない」などと屁理屈をこねる
  • その作品を批判する人は「作品を読み間違えている」「理解できていない」と主張する
  • 心から尊敬する巨匠が、特定の人々の尊厳を傷つける失言で批判された→「発言はたいしたことではない」と幕を引こうとする

いくらファンでも、こうやってかばうのは行き過ぎです。”推し”が失言や不祥事をした場合、それを批判する人にも立場や尊厳があるからです。

アイドルに殴られたほうの人は、ファンが平穏でいられるために泣き寝入るべきだというのか。

ファンの平穏を守るために、メディアは取材、報道してはならないというのか。

「アイドルを陥れた」などといわれのない疑いをかけられた人はどうなるのか。

巨匠の作品によって偏見が広まり、差別された側の人々が困っている現実を無視していいのか。

影響力ある巨匠の失言で特定の人々が心理的外傷を負ったのは「たいしたことではない」のか。

……あらためて考えれば、自己中心的だと分かるはずです。

”推し”のことがどんなに好きでも、どんなに価値ある作品でも、どんなに尊敬している巨匠でも、失言は失言、不祥事は不祥事。

それをねじ曲げてでもかばうというなら、”推し”を押すことで自分が悪いほうに行っていることになってしまいます。もし「”推し”への批判が自分の批判のように感じられる」というのなら、自分を見失った状態だということになるでしょう。それでいいのか。迷惑な「信者」だと白い目で見られる前に、本当の自分に戻ったほうが後は幸せだと思いますよ。

ファンの世界とて社会の一部

ファンのコミュニティはこぢんまりしたもの。ファン以外の出入りがないので、小さな世界に閉じこもっている気分になりがちです。

しかし実際には、ファン活動も開かれた社会のなかで、社会の一員としてやっていることなんですよね。したがって、社会のルールはそのまま適用されます。

一般社会で「隠ぺい」が許されないなら、ファン活動でも許されない。

一般社会で「捏造」が許されないなら、ファン活動でも許されない。

隠ぺいや捏造が許されないのは、「だめなものはだめだから」という唐突な義務ではありません。それをされて困る人がいるからです。ちゃんと理由があるのです。

自分にとってどんなに”推し”が大事でも、ファン活動によって同じ社会に生きる他の人に被害・損害が出るなら、それは反則。同じ社会に自分とは異なる他者が存在しているということは、いつでも心に留めておきたいものです。

「推し方」と並んで「推す対象」も要チェック!

以上、ここまでは「推し方」をまちがえたケースを見てきました。これだけでも十分ボリュームのある、ネット大衆社会の一大テーマですよね。

が、ファン活動で大変なことになる原因は他にもあります。それは「推す対象」です。

早い話、もしも”推し”が、あぶない教祖様だったら? 「やっと居場所ができた。生きがいを見つけた!」と熱を上げたのが、ヘイトスピーチ団体だったら?

もしあなたが「宗教なんかにフラフラしないよ、失礼だなぁ」などと口をとがらせたならひとまず安心なんですけど、「”推し”を押す」のと同じ感情をまちがった人やグループに抱いて夢中になり、最後に破滅するのは、人類には古くからある古典パターンなんですよ。危ない団体は、人の弱った心につけこんで引きずり込むプロ集団です。まともな団体をよそおっていたり、指導者は「こんな高潔で優しくてすばらしい人はほかにいない!」と思わせるほどだったりすると、数々の証言が物語っています。

私が『推し、燃ゆ』を読んで真っ先に連想したのは、カルト宗教・オウム真理教の元信者で三つの殺人事件に関わった、杉本繁郎受刑囚でした。せっかくこのページにいらしたなら、実生活に悩みや困難をかかえたあなたも、はたまた『推し、燃ゆ』をもっと楽しみたい読書家さんも、損にはならないのでぜひ読んでいってください。

オウム真理教元信者の、あかりと瓜二つな前半生

オウム真理教元信者である杉本繁郎受刑囚は、機能不全家庭で生まれ育ちました。

両親は不仲で、父親は「お前が生まれていなければ、こんな女とはとっくに別れている」などと毎日不満をぶつけ、母親は息子である彼が何か言えば文句や罵倒を返したといい、彼は幼いころから親にほめられた記憶がないといいます。その影響か、大学を卒業するまでの彼は無口で引っ込み思案な性格だったようです。

大学卒業後、彼は証券会社に就職したのですが、まもなく体調を崩します。原因を探して病院を回った末、大学病院で甲状腺機能亢進症と診断されました。彼は不整脈や高血圧に悩まされ、肉体的にも精神的にも辛い日々が続いたといいます。

ところが、病院で診断が出ているにもかかわらず、彼の両親は「具合が悪いのは、夜更かしばかりして、朝早く起きないからだ」「いい若い者が、仕事もせずに家でブラブラしていて、隣近所に恥ずかしい」などと彼の病気をまったく理解せず、彼を責め続けます。

機能不全家庭で居場所がなく、精神的に追い詰められた――そんな彼が生きる答えを求めたのが、オウム真理教だったのです。にこやかでカリスマ然としており、「(自分を)受け入れ、病気のことを両親よりもはるかに理解し、心配してくれた」麻原彰晃に引きつけられた杉本は、裏に恐ろしい顔を持つ教祖によって精神的に追いこまれ、その指示に従って元信者の殺害を実行。地下鉄サリン事件でも、実行犯を現場に送迎する運転手を務めます。カリスマ教祖は、救い主ではなかったのです。

参考リンク:オウム真理教元幹部・死刑囚の言葉から得られる教訓

いかがでしょう。ゾッとしませんでしたか? 病気があって苦しんでおり、病院で診断も出ているのに、親がそれを認めず、「働け」を連発する――オウム真理教・杉本受刑囚の親子関係は、構図が『推し、燃ゆ』のあかりと寸分変わらないんですよね。親が子に対して否定的な態度をとっていて、サポートするどころか批判する。親が親としての役割を果たせていないのです。

カルト入信と不健全な親子関係の密接な関係

一般に、カルト宗教への入信は不健全な親子関係と密接な関係にあるといわれます。子が親からもらえなかった愛情や、存在の肯定、心理的サポートを求めるうちに、カリスマ指導者や熱狂うずまく団体、あるいは「神」「日本」「人類救済活動」などといった巨大な概念に自己をとかしこんでしまうのです。

こうした「一体化」により、人は最初はあまい夢や恍惚感、力のみなぎりを感じられます。杉本受刑囚のように意志的に救いを探し求める人もいれば、無意識的にそういうものへ引きつけられてしまう人もいます。こうしてカルトに踏み入れた人は得てして「ようやく自分の本当の家族と安心して帰れる家にたどり着いた」「こんな自分でも人の役に立てるとわかった」などと目をらんらんと輝かせるのですが、傍から見れば、それはさんざんだったはずの親との不健全な関係を、別の集団で、別の人とくり返しているにすぎません。それは救いどころか、破滅なのです。

だから、たとえ「救われた!」とか「生きがいが見つかった」などと感じたとしても、「推す対象」が危険でないかは、引いた眼で必ず先に確かめてほしい。私はそう伝えたいのです。

そのグループでは、自分の意見を自由に言える雰囲気はあるでしょうか? 集団内に、ちょうど機能不全家庭のごとく、尊重される人と虐待されている人ができていませんか? 推す対象(リーダー的な人物や、最上のものとして掲げられている概念)に対して疑問やノーを述べられますか? もしそうでないなら、集団が不健全なサインです。

杉本受刑囚の場合は遅すぎました。壊してしまった命は、もう取り返しがつきません。彼は当時の自分を心から悔い、なぜ自分はオウムに引きつけられ、あのような犯行に手を染めてしまったのか、深い自己分析を手記に書き残しています。

休めばいい。

今回は、親の側の問題はタイガさんの分析のみにとどめておくのでそこまで戻ってもらえればと思うのですが、どうしようもないところまで悪化した現実を前に、実際問題どうすればいいのか、身動きがとれず、生傷がかわかないうちに傷ばかりが増えていく……そんなふうに機能不全家庭で苦しんでおられる方もいらっしゃると思います。

私は先ほど、実生活で悩みや困難をかかえている人は”推し”のなかから自分を見つけて、プラスのエネルギーをもらおう、と言いました。

だけどね、もし”推し”から元気をもらう力すら残ってないほどボロボロならば、休もうよ。カリスマとか熱狂のなかで自己を霧散させるのではなく、「自分は今休んでる」という意識のもとで、ゆっくり休もうよ。

劣悪な環境は、人の人生を、人間を、破壊します。

人は自分のことは客観的に判断できなくなりがちですが、そのことは世の悲惨に目を向ければ分かります。親から虐待されている幼い子に、「傷つかないですむ方法」なんてあるでしょうか? この人は心が破壊されていたけど就職・仕事だけはすんなりうまくいきました、なんていうことがあり得るでしょうか? 合理的でありません。

「劣悪な環境で人は壊れる」というのは世の道理です。人の世に、心が破壊されたために人生がストップするという事象はあります。

あなたがその人ではありませんか。

だから、もしあなたの心がボロボロで動くに動けない、もうものを考える余裕もないというなら、休むのが道理です。人間という生き物はそういうふうにできている。しばし劣悪な環境から離れ、現実を忘れるのは、逃げでも弱さでもなく、生命維持システムが正常に作動したゆえの反応です。

人生にはそんな時もある。休もうよ。

親が何と言おうが、自分を大事に。

生まれる時、人は誰も親を選ぶことはできません。ただのクジ引きなので、なかには不仲で罵倒ばかりする夫婦とか、「だめな子だ」とけなしまくって進路希望を聞かない男、あるいは問題への対処能力がなく発達障害を理解しない夫婦などにあたる人もいます。

生まれる時どんな親にあたったか、それはどうあがいても、未来永劫変えることはできません。

しかし、生まれたあと、いまから自分でできることはあります。

大学病院で甲状腺機能亢進症だと診断されたなら、玄関口で親を踏み越えてでも、療養を続けて治したほうがいい。

親が病気や発達障害を理解しなかろうが、自分は病院の予約をばっくれたり(9頁)せず、ソーシャルスキルトレーニングなり何なり支援をとりつけたほうがいい。

それが自分のためになるからです。

たとえ親が大事にしてくれなくても、自分まで自分を大事にしてあげない理由はないんですよ。

親がありのままの子どもを受け入れないのは「こいつに価値があるかどうかは親が決める」という意識の表れだし、子が意に違うと家から追い出そうとするのは「お前が存在していいかどうかは親が決める」という暗黙のメッセージですが、それは親が言ったことにすぎません。絶対的真実でもなんでもない。こういう無言のメッセージは無意識深くに刷り込まれるところが怖いのですが、まずは自分の内に刷り込まれた親の声を暴くこと。「お前には価値がない」「お前は存在してはならない」と暗に言われた通りにすごすごと卑屈になって、ずるずる引きずられるように生きる理由なんてどこにもありません。

自分を大事に。

何が足りないから困っているのか、その答えはもう出そろっているじゃないですか。

人が生きていくには、「自分は世界に受け入れられている」と感じられることは必要です。

社会的孤立を解消することが必要です。

生きる糧は、自分が自分を受け入れてあげることで初めて手に入るはずです。

結びに―マナーの悪いファンや迷惑人物にならないために

私は多趣味なのですが、“推し”というのは縁のない世界です。好きなものはすべて自分のアクティビティであって、「祭壇にまつる」とかそういう感覚はない。だからといって、“推し”のファン活動に熱中する人を「勝手にみじめだと言」って(62頁)ちょっかいを出す人の気持ちも分かりません。なぜなら、人の個性はみんな違うから。自分に理解できない世界だからといって否定する理由はなく、他者に危害を加えない限り絶対に自由である。それだけです。

そう、”推し”を押しているうちに「マナーの悪いファン」として煙たがられるか、冗談にならないトラブルに足を踏み入れて先の人生を破壊してしまうか、問題になるならないを分かつ境界線は、結局のところ、「他者を害するかどうか」に集約されます。

そのラインさえ守られていれば、あとは個人的な心の問題。

とはいえ、人間には心の問題に対処する知恵だって必要です。私自身がその知恵を必要としていたし、長年ネットの世界を見てくれば、あぶなっかしくてハラハラ、実生活に困難をかかえている人にはこれ以上傷つくようなことにはなってほしくないとはつくづく思います。

だから、もしあなたが心の穴を埋めるために“推し”に夢中になったなら、そのなかから自己を見つけ、プラスのエネルギーをたっぷりチャージ。

もしプラスのエネルギーをもらう元気もないなら、休むといい。たとえ今は動けなくても、いつか時が来ればきっと、自分の人生を歩んでいけるでしょう。人間は誰しも周りの環境が劣悪だと動けなくなるようにできていますが、それはただ、本来の力を使えない状態になっているだけだからです。

『推し、燃ゆ』の物語はまだまだ意志が固まらない、問題の解決法を見出せていないところで終わるけれど、本当の問題は何なのか、この先を生きるには何をすべきなのか、その答えはいつも、自分の声が教えてくれるはずです。

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著者・日夏梢プロフィール||X(旧Twitter)MastodonYouTubeOFUSE

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