日本の平均年収の推移(男女別)と中央値は?年収の多い職種とは?

人間にとって永遠の悩み「お金」。「明日食べるものはあるのか」という人の根源的な不安は、貨幣経済の今日では「どうすれば稼げるのか」という問いとして表れるようになっています。そしてその発展形が、「多く稼ぐにはどんな職種がいいのか」という興味関心。本稿では、日本の平均年収や年収の多い職種を、統計データと「経済の常識」の両面からみていこうと思います。

日本の平均年収とその推移(男女別)【2023年最新版】

国税庁は、毎年「民間給与実態統計調査」を行っています。

現在の調査対象者は、「民間の源泉徴収義務者に勤務している給与所得者」とされています。具体的には、パート・アルバイトを含む従業員および役員がこれに当たります。

2022年(令和4年)分の統計によると、日本の令和4年12月31日時点での給与所得者数は5,967万人(対前年比1.5%減、91万人減)で、うち、1年を通じて勤務した給与所得者数は5,078万人(対前年比1.2%減、60万人減)でした。これを男女別に見ると、男性2,927万人(同1.9%減、57万人減)、女性2,151万人(同0.1%減、3万人の減)でした。

1年を通じて勤務した給与所得者の1人当たりの平均給与は458万円(同2.7%増、11万9千円増)であり、男女別では、男性563万円(同2.5%増、13万7千円増)、女性314万円(同3.9%増、11万9千円増)でした。

国税庁「民間給与実態統計調査」令和4年分の平均給与の推移のグラフ
出典:国税庁「民間給与実態統計調査(令和4年分)」

平均給与に男女差が生じる原因としては、

  • 女性は調査対象となる給与所得者の全体数が男性より800万人あまり少ない
  • 子育て等の理由で退職し給与所得者から外れ、キャリアも途絶えてしまう者が多い
  • 職種でみても、以下に述べる高収入の職種では従事者が男性に大きく偏っている
  • 非正規は女性のほうが数・比率とも圧倒的に多い

などの要因が絡み合っています。

正社員と正社員以外別

また、正社員と正社員以外で見ると、正社員の平均給与は523万円(同1.5%増、7万6千円増)、それ以外は201 万円(同2.8%増、5万5千円増)。

男女別では、正社員男性584万円(同1.1%増)、女性407万円(同3.4%増)、それ以外の男性270万円(同2.9%増)、女性166万円(同3.2%増)となっています。

業種別

業種別でみると、1年を通じて勤務した給与所得者の1人当たりの平均給与が最も高いのは「電気・ガス・熱供給・水道業」の747万円、次いで「金融業、保険業」の656万円となっており、最も低いのは「宿泊業、飲食サービス業」の268万円でした。

出典:国税庁「民間給与実態統計調査(令和4年分)」

備考

なお、民間給与実態統計調査は見直しが行われ、令和4年分からは新しい手法で結果が算出されました。それに伴い、平成26年分から令和3年分までの同調査にも新手法による参考値が発表されています。

詳細:民間給与実態統計調査の見直しについて(国税庁)

(※2023年10月2日、前年データから最新版にアップデートしました。)

日本の年収の「中央値」

平均年収を調べるときには、「中央値」という概念が重要になってきます。

【中央値】(median)n個の量を大きさの順に並べたとき、中央に位置する値。nが奇数ならば(n+1)/2番目の値、nが偶数ならばn/2番目とn/2+1の値の平均値をいう。中位数。メジアン。(広辞苑第五版)

「平均年収」は、実感として高めになりがちです。これは、たとえごく少数でも、とびぬけた高収入のサンプルが調査対象に入ってくるためです。

このことは、テストの平均点を思い浮かべればわかりやすいと思います。たとえば、ある数学のテストはむずかしく、最低得点が15点で、クラスのほとんどが20点前後に分布し、30~80点台の生徒は1人もいないのに、ずばぬけている5人だけが90点以上をとったとします。「平均」を出すには「全員分を足して人数で割る」ので、一人で4人分をゆうに超える点数をとった5人の結果がまじりこむと、テストの平均点はぐっとつり上がります。

一方、「中央値」ならどうでしょう。「何点に何人いたか」は関係なく、「そのテストで誰かしらがとった得点の値」を大きさの順に並べます。「15点、18点、19点、20点、22点、25点、90点、92点、95点」と「数自体」を並べたこの列で、「中央値」は22点となります。この場合、例外的な5人によってつり上がった「平均点」よりも、「中央値」のほうが「クラスの標準的な生徒」の印象に近い感じになりますね。

さて、日本の年収を「中央値」でみると、

  • 日本人の年収の中央値:350万円前後
  • 男性:420万円前後
  • 女性:280万円前後

となります。だいぶ実感に近づいたのではないでしょうか。

平均年収職種別ランキング【2023年最新版】

民間企業「転職サービスdoda」は、毎年職種別の「平均年収ランキング」を調査・発表しています。

本稿では、同平均年収職種別ランキング(2023年版)をベストテンに並べ直しました。

  1. 医師:1,028万円
  2. 投資銀行業務:947万円
  3. 弁護士:825万円
  4. 運用(ファンドマネジャー/ディーラー):810万円
  5. アナリスト:795万円
  6. MR:732万円
  7. 金融商品開発:719万円
  8. 戦略/経営コンサルタント:717万円
  9. 内部監査:715万円
  10. 業務改革コンサルタント(BPR):696万円

今年は対象職種が昨年よりさらに増え、167から174に変更となりました。ベストテンのうち、「弁護士」と「アナリスト」は新たに調査に加わった職種です。昨年までランクインしていた「プロジェクトマネジャー」や「会計専門職/会計士」が順位を落としたのは、それらに押し出される形であり、平均年収自体は上がっています。最も平均年収が高かったのは、昨年調査対象に加わり1位となった医師でした。

11の職種分類においては

  1. 専門職(コンサルティングファーム/専門事務所/監査法人):598万円
  2. 企画/管理系:543万円
  3. 営業系:456万円

となり、昨年3位だった技術系を営業系が1万円の差で逆転しました。また、11の職種分類全てが昨年より平均年収アップとなりました。

(出典:平均年収ランキング(職種・職業別の平均年収/生涯賃金)【最新版】

(※2023年12月7日、前年データから最新2023年版にアップデートしました。)

備考:統計のウソホント

と、こうした統計を見れば、学生なら投資銀行の求人を探し始めたり、いま働いている人は別の職種がうらやましくなったりしたかもしれません。

ただ、「統計」というのはいつの時代も曲者です。統計をとる母体の決め方や質問の設定によって結果が大きく変わってくるからです。なんなら統計を行う者が結果を誘導することすら可能。「統計はうそをつく」とは、何百年も前から使い古された格言です。

では「年収の多い職種」の統計はどうかといえば、「調査対象がどのような人か」という点は特に要注意です。国税庁の統計は、「民間の源泉徴収義務者に勤務している給与所得者」が対象なので、公務員や日雇い労働者は対象から外れていますが、非正規の従業員は入っています。一方、民間企業dodaの統計では、対象は正社員のみ。しかも「dodaエージェントサービスに登録した」「20~65歳」という条件が付いています。世の中の誰もかれもがこの会社のサービスに登録しているわけではありませんし、職種にも制限や変更があるので、数の母体には大きな偏りがあるのだということは最初から頭に入れておかなければなりません。

そして最も注意すべきなのは、統計を見た人がそこから抱く「印象」や「イメージ」の正確性です。

平均年収の統計は、単なる「数の集計データ」にすぎません。よって、ある職種に就いている個人をひとりひとり見ていけば、年収が少ないとされる職種で高額を稼いでいる人がいるかと思えば、高収入といわれる職種であるにもかかわらず貧困に陥っている人も必ず見つかります。統計からわいてくる職種のイメージと、その人の生活実態が大きく異なっていることは、少しもめずらしくないのです。

21世紀の日本の奴隷、「無給医」の衝撃

年収の多い職業といえば誰もが思い浮かべる「医師」。上記ランキングでは堂々の1位に輝き、世間では「年収1000万円越え」などと羨望のまなざしを受けています。

しかし2019年、大学病院などで患者の診察を行っているにもかかわらず給料が支払われない「無給医」の存在が明るみに出て、日本社会に衝撃を与えました。

大事なことなので婉曲表現を使わずきっぱり言いますが、働いたのにその分の給料がないなら、それは奴隷労働です。厚生労働省の調査によると全国2819人にのぼるという「無給医」は、すなわち病院の奴隷でした。この「奴隷」は慣用表現ではありません。読者の興味を引くためのオーバーな表現でもありません。無給医労働は、大学・医局内での権力関係や、若手医師のキャリアへの意志、また「断ったらどうなるのか」という不安につけ入る、極悪非道な奴隷制です。

「年収1000万超え」のはずの医師が、無給。21世紀の日本で、奴隷にされていた。衝撃的な事実でしたが、傍からは華やかに見える医師のブラック労働、そして低賃金ぶりは、無給医の発覚以前からずっとささやかれていました。私は以前、私が実際に会った整形外科医・S氏から聞いた大学病院現場の話を書いています。

リンク:体力自慢のS医師はこう言った―人手不足の真の原因(「日本の企業文化『井の中の蛙』―その変革ポイント7選」)(新しいタブで開きます)

医師のブラック労働の行く末が人材流出・人材不足ですむなら、病院が運営に失敗して墓穴を掘っただけなのだからまだましです。医師の命に別状がないからです。責任感の強い医師が、文字通り寝る間もない過重労働の末、「患者が待っているのに」と自分を責める悲愴な遺書を残して過労自殺した――そんな悲劇は、まことに遺憾ながら、日本の医療現場の一側面としてあり続けています。

私が無給医の存在に触れたのは、「どの職種に就いたって無駄だ」と言って読者の希望をつぶそうとしているからではありません。目の前にある奴隷制という悪に背を向けて、厳しい医学の道にまっすぐ励む医学生に「医学の勉強だけでは足りない、金もうけ術も覚えなければ生きてはいけない」などと恥知らずな人生訓をたれているのでもありません。

私が何を言いたいかというと、「これに就きさえすれば高額な年収が約束される」という魔法のような職種はない、ということです。統計のデータテーブルからは、人の顔は見えません。統計上で年収が多い職種、少ない職種、どちらにも必ず反証は見つかるのです。

イメージ通りの経営コンサルタントは、「幸せ」ではなかった

現実は統計からわいてくるイメージ通りでない、という例をもう一つ紹介しましょう。

私は以前、経営コンサルタントをしている40代の男性(以下、Kさん)に会ったことがあります。Kさんは日本の優良なビジネスコンサルティングファームに長年勤め、国内外を飛び回り、様々な事案に携わってきたキャリアの持ち主。高度な知識と経験を生かした華々しい活躍ぶりです。

職種別平均年収データを探している人が「あぁ、自分もこんなだったらなァ~」と宙に描く、高給取りの経営コンサルタントそのままだったKさん。

しかし当のKさんは、私たちの前で仕事への反発をあらわにしました。彼はまったく幸せではなかったのです。

いくら高給取りでも、忙しすぎる。彼の生活は仕事しかしていない状態で、せっかくの給料を使って楽しむ余裕はありませんでした。しかも、Kさんは会社勤めです。せわしく飛び回るのは、自分ではなく会社のため。職場の人間関係のしがらみ、特に古めかしい上下関係のなかで上から下から圧迫され、もがき続ける毎日。それに、高度な知識を身につけるまでの道のりは険しいにもかかわらず、どんなにがんばったところで成果の帰属先はあくまで会社。知識や経験をめいっぱい発揮できていそうな聞こえほど、イキイキ働いているわけではないのです。外見だけなら華々しい経営コンサルタントの仕事ですが、Kさんの気持ちとしては、ブラック労働以外の何物でもないようでした。

Kさんは、オフィスを離れ羽を伸ばした時に「こんなのやってられない」と吐き捨てる……だけではありませんでした。彼は海外出張を自分のために利用し、よい投資先を見つけて買い上げるなど(Kさんは実家がかなり特殊な家柄らしく、その気になれば潤沢な資金をポンと出せる人でした)、着々と退職を画策しているのでした。

なぜ多くの現代人が「年収の多い職種」を知りたがるのかといえば、「稼ぎが多ければそれだけ幸せな人生を送れる」と信じ込んでいるからです。しかし現実には、「収入の額」と「幸せ」は必ずしも比例しません。精神を落ち着け、冷静に自分の思考をたどってみてください。「年収が多い」ことから「幸せな生活」にまで、イメージが独り歩きしているのが見えてくると思います。

たとえ平均年収ランキングで上位の職種に就き、イメージ通りの高収入を得たとしても、それで「幸せ」になれるかどうかは別問題なのです。

年収の多い「職種」とは?

日本でだけ反転している、経済の常識

多く稼ぐにはどんな仕事に就けばいいだろうか。この問いにぶつかった時、日本人は、あれこれ悩みながら自分なりに「これだろう」と結論して職種や業界を選んだとしても、基本的なスタンスとして「できるだけ高い給料をとれる、できるだけ大きな企業に入りたい」と考えます。言い換えると、会社に勤めることが暗黙の前提となっていて、ほかの働き方を現実的な選択肢と考える人は例外的にとどまっているのです。

しかし、世界には、これとは正反対のセオリーがあります。

たくさん稼ぎたいなら「起業」か「投資」だ。

会社に雇われるのは、お金を稼ぐ最悪の方法だ。

こう言ったのは、私が実際に会ったオーストラリアの若手投資家でした。彼はドリームをつかむため、学生時代から銀行に計画書を持参し、融資を受けては不動産投資に精を出していました。

札束の上に立っている実業家のシルエット
お金を稼ぎたいなら、「起業」か「投資」。

これは、その若手投資家だけの考え方ではありません。アメリカだろうが、ヨーロッパ諸国だろうが、アジア諸国だろうが、世界のどこでも「多く稼ぎたいなら『起業』か『投資』」「会社に雇われるのはお金を稼ぐ最悪の方法」は「経済の常識」です。

ところが、日本人のほとんどは、「お金を稼ぐ」といったら、会社で働くことを当たり前の前提とします。高収入がほしいと言いつつ、会社に雇われようとする。日本でだけ、「経済の常識」が反転しているのです。

”サラリーマン”という造語でまんまとだまされた戦後の日本人

では、なぜ日本でだけ、さかさまになった「経済の常識」が信じられているのでしょうか。

その源泉は、戦後の歴史に見つかります。明治や大正の時点ではまだ、「会社」は今日ほど大きな意義をもってはいませんでした。

これについては、私がかねてより放送禁止用語にすべきだと主張している”サラリーマン”という単語を軸に据えて解説していこうと思います。

陳腐な和製英語はいわく付き

”サラリーマン”という語は、もとよりいわく付きです。平均年収や収入の多い職種に興味をもっている読者なら、これがネイティブには通じない和製英語だということはすでに知っているのではないでしょうか。そう、”サラリーマン”は造語です。造語ということは、どこかに、何らかの意図を持った「作り手」がいたはず。あらためて考えれば、うのみにするのは危険な概念です。

そのいわくは、造語ゆえのうさんくささだけでは終わりません。”サラリーマン”は”man”なので、会社勤めの「男性」を指します。ならば女性は何というのかといえば、”OL”という言葉があてられています。無論、”OL(オフィス・レディーの頭文字)”も和製英語の造語です。実は、この”OL”という和製英語が作られた当時、もとの案は「オフィス・レディー」ではなく、「ビジネス・ガール(BG)」でした。ところが後に、ネイティブの英語の隠語で”business girl”は娼婦を意味するということが判明。だったらわざわざ和製英語なんて作るのをやめればいいじゃないか、それでなくても英語圏では”-man”とつく単語が差別的(最近では女性だけでなくLGBT+にも)だと問題になっているのに……と言いたいのは山々ですが、造語の作り手は新しく「オフィス・レディー」という言葉をひねり出し、日本社会に広めたというのです。

本当はいわく付きで不潔感満載の、愚にもつかない和製英語。時には公的な場面でも使われている”サラリーマン/OL”という言葉ですが、実際には俗語にすぎません。

「会社に雇われている人」の正しい用語がゆがめられ、巧みに隠された裏事情

では、会社に雇われている人を指す正しい語は何でしょう?――正解は「労働者」です。

ところが、日本社会では「労働者」という言葉はめったにお目にかかりません。「労働者」と聞いたら、日焼け顔に汗を流す肉体労働者を思い浮かべたり、学術用語だから日常生活には関係ないと思っていたり、なかには共産主義を連想したなどという人もいるかもしれません。日本には「経済の常識」にいやな顔をする人がけっこういて、私はそのたび首をかしげます。この傾向は、年配の世代になればなるほど顕著だと思います。会社や上司に絶対服従してきたことに、妙なプライドを持っている。彼らの思いは、言うならば、「自分は労働者なんかじゃない、サラリーマンだ!」といったところでしょう。

なぜ公式な用語が、作られた俗語に取って代わられているのか。日本人の「勘違い」はどこからきたのか。これにもれっきとした裏事情があります。

戦後、60年代以降の日本では、「経済成長」が至上目的として掲げられます。国民らを経済成長に「動員」するため、あらゆる分野が企業を中心とするシステムに組み込まれ、国民らの思考と人生観を誘導していきました。

この時代に学校教育が暗記へ偏重したのは、決して偶然ではありません。将来世代を会社に従順な”企業戦士”に育成するため、教育において、自分の頭で考える力や批判的思考が軽視されたのです。また、一見公平に見える受験競争ですが、これも実際には、学力が高くても経済力や性別によって学歴を得られなかった人は「敗者」に振り分けられる結果となります。受験競争があおられたのは、人工的に「敗者」を作り出し、安い労働力として使うのが裏の目的だったと指摘されています。

国民の思考と人生観をゆがめたのは教育分野だけではありません。1964年東京オリンピック時代の日本代表選手たちは、医学的に危険性のある過酷な練習に耐え、上からの命令に絶対服従する「根性ある」人物像を求められましたが、これは当時の権力が国民に求めた人間像と重なっています。「根性ある」人物像は、テレビ番組や”スポ根”マンガなどを通して、国民らの頭に、子どものうちから深く浸透してゆきました。

理由は以下で述べますが、本来、会社に雇われる人=”サラリーマン”=労働者は、吹けば飛ぶほど弱い立場にあります。

そこで、労働者自身が「”サラリーマン”の自分には一定以上のお金があり、経済的に安定していて、魅力的な立場にある」と信じ込んでいたら――つまりだまされていれば――どうでしょう。彼らが賃金や生活に不満をもつこと、そして経営者に反抗することはなくなります。

高度経済成長期の政治・経済権力は、国民を従順な労働者にしたかった。この時期に、「労働者」とは専門家や過激派といった特殊な人々が使う用語だ、というゆがんだイメージが日本人の頭に浸透し、”サラリーマン”という造語で会社に雇われている人(=労働者)の立場の弱さは巧みに隠されます。太平洋戦争により経済が破綻した時、日本人は「東条英機にだまされた」と口をとがらせました。それから20年も経たないうちに、”サラリーマン”たちは再び煙に巻かれていったのです。

お金の仕組みを知りたいなら、神話の世界から脱け出すこと

バブルの崩壊、”リストラ”の嵐。日本初のポピュリスト・小泉政権下では雇用が崩壊し、今日では非正規労働はもはや当たり前となりました。一連の「サラリーマン神話」がでっちあげにすぎず、事実でなかったことは、現実社会ですでに露呈されています。

しかし、高度経済成長という「昭和二つ目の戦争」が日本人の頭に打ったくさびは強かった。

前述の通り、年収アップを目指すといっても、日本人の発想は会社に雇われることが前提です。それはバブルを知らない若い世代とて例外ではありません。また、「就職」という言葉が指しているのは、21世紀のいまも依然「会社に入ること」。会社中心の「発想」が、高度経済成長がとうに歴史となったいまもなお、人々の思考や意識に深く根を張っているのです。

天文学者が「世界は平らな板であり、太陽や月が大地の上を動いている」と信じる限り、惑星の運行を解き明かすことはできないのと同じように、「サラリーマン神話」が脳に組み込まれている限り、お金の仕組みは決して理解できません。くりかえしますが、高い年収や安定収入を得られる「職種」とは、「起業」か「投資」です。

天動説の平らな地球
戦後の日本人は会社に勤めれば一定以上の安定収入を得られると信じ込んだが、「それでも地球は回っている」

「経済的自立」の本当の定義とは?

では、なぜお金をたくさん稼ぐには起業か投資なのか。その理由はちらりちらりと登場してきましたが、ここで「経済的に自立している」という概念からみていこうと思います。

世間で「経済的自立」をいわれるのは、大学を卒業して就職したから親の仕送りがいらなくなったとか、引きこもりだった人が「就労」したとか、”DV亭主”から暴力を振るわれていた専業主婦が職を得て離婚したとか、たいていそんな場面ですね。

しかし、ファイナンスでいえば、経済的自立とは「お金が入ってくる仕組みを自分が保有していること」を指します。無論収入があるのは喜ばしいことですが、会社からの給料で生活する、つまり収入を会社に依存しているなら、「経済的に自立している」とは言いません。

なぜなら、本来、職種が何であれ、労働者は風来坊だからです。たった一つの経営判断で”リストラ”された、あるいは介護、子育て、急な病気、職場のパワハラなど、理由が何であれ退職したら最後、収入は途絶えます。そこで次の職を得ようとて、誰しも自分にできる職種は限られています。たとえば、それまで会計の仕事をしていた人は、求人があったとしても急にバスの運転手や、理学療法士や、ソフトウェアの営業といった職種には就けません。何かの拍子にいまの仕事を失ったら最後、すぐにもとの「9時から5時まで」生活には戻れないのです。高学歴な”ホワイトカラー”であれ、高度なスキルと経験で高い年収をとる経営コンサルタントであれ、雇われ生活である限りは「日銭暮らし」なのが実情です。

もっとも、会社に雇われる形態のままでも年収アップが不可能なわけではありません。昇進して給料が増えたとか、マネージャーポジションに転職することで年収が上がった、ということはもちろん可能です。とはいえ、その年収アップは微差であり、雇われの身の根本的な立場の弱さを克服できるわけではありません。

一方、「お金が入ってくる仕組み」を自分が握っていたらどうでしょう。”リストラ”の不安はなくなります。介護や子育てを始めようとも、急な病気などに見舞われようとも、安定収入が着実に入り続けます。ブラック労働やパワハラは今日人生のリスクとなっていますが、会社や投資対象が自分の所有物なら、そもそも上司がいなくてすみます。いざとなれば、「お金が入ってくる仕組み」を売って、お金に戻すこともできます。

では、「お金が入ってくる仕組み」を自分が握るにはどうすればいいのか。ここで「起業」か「投資」が浮上するのです。先ほど紹介したオーストラリアの若手投資家は、主に不動産へ投資して、そこから一定の収入を得ていました。株投資によって「会社を買い上げた」人もいるそうです。「(自分が)会社で働く」のではなく、「(お金が生み出されるシステムとしての)会社を持つ」という発想です。自分でビジネスを興す起業は、投資と並んで「自分へのお金の流れ」をつくるもう一つの方法です。「お金が入ってくる仕組み」を自分が握る方法はどれも「起業」か「投資」に集約される、と言い換えてもいいでしょう。

もちろんこの世で生きる限り「絶対の安定」はないので、起業や投資とて人間の根源的な不安を完全に取り除く魔法ではありません。しかし、労働者の立場の弱さと比べたら、比べ物にならないくらい有利な立場だということはわかると思います。

私はなにも、会社で働くことを否定しているのではありません。けれど、もし高年収を望んでいるなら、雇われること前提で職探しをするのは「経済の常識」に反しているので的外れではあります。

「経済の常識」は詐欺防止にもなる

日本社会で育ったなら「サラリーマン神話」が大なり小なり頭に入ってしまうのはどうしても避けられません。しかし、学を積むなかで、または”就活”をくぐり抜けて会社で働くなかで、巧みに隠されていた「経済の常識」に勘づく人は出てきます。読者のあなたもその一人かもしれません。

残念ながら、世の中では、そういう人の存在を見越して取り込もうとするビジネスがすでに待ち構えています。金融機関が行う投資セミナーだったら、まだまっとうなほうでしょう。もっとトラブルになるのは、高額な副業セミナー、自己啓発セミナー、投資教材、投資詐欺……。そんなこんなで起業や投資に「怖い」イメージを持っている読者もいるかもしれません。

興味はあるけど……と足踏みしてしまう読者のために、かんたんですが詐欺や悪質商法の注意ポイントを。

起業や投資の核心は、「自分が主体であること」です。

信用のある大手金融機関からの投資話は、たとえ詐欺ではないにせよ、主導権を握るのが金融機関側になりがちです。こういう時は、先ほどのオーストラリア人若手投資家を思い出してください。相手から話を持ち掛けられ、相手の示した枠組み内で活動するのではなく、自分が持ち掛け、自分の都合に合わせて行動する。自分がほしいものを、自分でわかっている。それが起業家・投資家の在り方です。

セミナー系統の場合は、講師や主催団体が聴衆を依存させようとしていないか、購入・申し込みの決断を急がせていないか、一方的な指導者として振舞っていないか、などに気を付け、おかしいなと感じたらすぐに手を切る。

こうした行動様式を忘れず、「経済の常識」という根本的なところを押さえておけば、危ないことに巻き込まれるリスクはうんと低くなります。世界には、「普通の働き方」として起業や投資をしている人が数多く暮らしています。

雇用とは

ここまで、高度経済成長期の政策都合により長年巧みにごまかされてきた雇われの身の立場の弱さについて、くりかえし説明してきました。読んでいてそら恐ろしくなった人もいるかもしれません。

では、会社に雇われる身である限り、明日食べ物がなかったとしてもしかたないのでしょうか? 何かの拍子に収入が途絶え、路頭に迷ったら、世から放たれ見捨てられてしまうのでしょうか?

いいえ、そうではありません。

人類が続く限り、労働者となるのは主流な働き方であり続けるでしょう。もっとも、起業や投資はなにも最初から資本を持つ人しかできないことではありません。とりわけ近年では、第三次産業革命・インターネットの助けもあって起業のハードルは劇的に下がっています。大学生の趣味から始まりグローバル企業へのし上がったFacebookなどが良い例です。とはいえ、世界中のみながみな起業や投資で生計を立てるようになるというのは現実的でありません。また、労働者であることに恥じる理由がないのは前述の通りです。

労働者とは本質的に弱い立場だという「事実」に立脚したうえで、人々が路頭に迷うのをいかに防ぎ、職と食にありつけるよう社会を調整するか。雇用政策とは、この調整のことをいうのです。

年収の多い職種探しは「隣の芝生はもっと青い」の連続

以上の通り、もし高収入がほしいなら「職種別平均年収」を参考にするのは的外れ。目を皿のようにして見つめたところで、本当に高収入を得る仕事はそこには載っていないのです。

パラドックスのような「職種別平均年収」ですが、それにかじりつくのは、実はマインド面でも良くありません。幸せをみすみす遠ざけてしまうからです。

ここまでずっと見てきた通り、統計データから想像するほど現実は単純ではありません。たとえ自分で「これだ!」と思った職に就けたとしても、メディアなどを通して他の職種の誰かの成功を見続ける限り「いいなぁ」は続くのです。

年収の多い職種を知りたがるのは、うらやみの連続です。経営コンサルタントの人がうらやましい。自分の年収が同じ職種の平均より低いなんて悔しい。……などなど。

「隣の花は赤い」ということわざがあります。「他人の物は、自分の物と比べるとなんでも良く見えてうらやましく思える」という意味です。同じ意味では「隣の糂汰味噌(じんだみそ)」ということわざも。そして英語にも、”The grass is always greener on the other side of the fence.(「隣の芝生はいつもうちより青い」)”という表現が。「隣」が自分より良く映り、うらやましくなるのは、洋の東西を越えた人間の性なのでしょう。

他人の様子をうかがっては、競争心と嫉妬心をつのらせる――そんな「うらやみのスパイラル」にはまったまま人生を続けるなら、たとえどんな職に就いたとしても、心が満たされ「幸せ」になれることはありません。

うらやみのスパイラルから脱け出し、ドリームをつかむには

では、どうすれば「うらやみのスパイラル」から脱け出せるでしょうか。

人生をよりよく生きていきたいなら、「他人の年収」ではなく、「自分の人生」に視座を置いて考えること。「隣」に目を光らせるのは、骨折り損のくたびれ儲け。結局のところ、一銭にもなりはしません。

冷静に分析すれば、世間の考えや人生観――とりわけ、まだ心で鎖国している島国のそれ――ほど奇妙なものはありません。海外の若い起業家や投資家に会ってみれば、ビッグなドリームへ手を伸ばすのはリスキーどころか、堅実で合理的な生き方だと新たな知がひらけたりするものです。

結びに―「とかく、あまり人生を重く見ず」

近年、学生の将来不安が高まっているといわれます。大学に入ったばかりの新入生が就職のことで自分を追い詰めていたり、二十歳にもならない学生が老後不安で頭を抱えている、といった報告があちらこちらから耳に入ってきます。

「サラリーマン神話」からは目覚めたものの、雇用が崩壊した後の社会を生きる労働者の不満や不安は尽きることがありません。生き方に迷える人々の姿は、まだ昭和バブル時代と大差ないのかもしれません。

憤り。不安。無力感。

都合の悪いことに、心が不安な時こそ、人間はまちがった選択肢に熱を上げやすくなります。冷静さをなくし、判断力がくもるからです。しかし、たとえ国・社会に対して怒りや憤りをかかえていたとしても、直情的に怒りを爆発させるのではトランプ大統領と同類になってしまいます。

ここで、日本の一番高いお金、一万円札の「顔」をしかと見つめてみましょう。

福澤諭吉のついた一万円札百枚の札束
一万円札の顔といえば、福澤諭吉。

自らを「独立自尊居士」と称した福澤諭吉は、こんな言葉を遺しています。

人生は芝居のごとし、上手な役者が乞食になることもあれば、大根役者が殿様になることもある。

とかく、あまり人生を重く見ず、棄身になって何事も一心になすべし。

明治の大思想家・福澤諭吉や、きちんと分別のある人や、よく勉強している若い学生なら知っています。年収の額というのは、その人の能力だけで決まるのではありません。生まれ落ちた家庭環境や経済状況。健康状態。個性、適性。身に起こった出来事や、その時の年齢。当該社会での被差別属性をいくつ持っているか、その差別の深刻さはどの程度か。それに、たとえいつの日か社会の不正義が是正され、完璧な社会が実現したとしても、仕事で成功するには出会いやタイミングといった運も大事だと言わざるを得ません。これらが複雑にからみ合う人生においては、努力して能力があっても収入ゼロという人が相当数出るかと思えば、能力はお粗末なのにがっぽり高収入を得ているお調子者もいる。もし「人生を重く見る」なら、馬鹿馬鹿しくてやっていられなくなるかもしれません。社会が憎くてたまらなくなるかもしれません。あるいは心の置き所を見失い、生きる気力を失ってしまうかもしれません。

ただ、だからといって自暴自棄になったとしても、事態が好転しないまま命は続いてゆきます。しらけて努力をやめたなら良い仕事が入ってくる可能性は絶たれてしまうしまうし、人生を放擲してSNS上のヘイトスピーチグループにのめりこんだところでお金は入るわけではありません。また、ここで「自分(と家族)さえ寿命までしのげればそれでいい」と考え始めたなら、その者はたとえピシッとしたスーツで毎朝有名企業に通勤していても、中身は「ならず者」そのものです。

人生は芝居のごとし。さらばこそ、長いようで短い一生は、果敢に生きてなんぼだと思います。

「隣」をチラチラうかがうことに没頭していられるほど、人生は長くありません。自分の人生をハツラツと生きても、会社や他人の都合であっちへこっちへ引きずられるばかりの何十年間、死んだ目をして虚無にふけりながら雑務を続けても、一生は一生です。「芝居」のような現実をしかと見つめた時にはじめて、「だったら、自分はどう生きていこうか」という自分への問いが浮上してくるのかもしれません。

「自分の人生」を軸に据え、自分の頭でしっかり考えたなら、あとは一心に取り組むべし。生きる道はそうしてひらけてくるのではないでしょうか。

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著者・日夏梢プロフィール||X(旧Twitter)MastodonYouTubeOFUSE

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(本稿は2020年2月26日に公開しました。毎年国税庁および民間調査会社が新年分の調査結果を発表した時にデータを差し替えています。)

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