日本の平均年収の推移(男女別)と中央値は?年収の多い職種とは?

人間にとって永遠の悩み「お金」。明日食べるものはあるのか、という人の根源的な不安は、貨幣経済の今日では「どうすれば稼げるのか」という問いとして表れるようになっています。そしてその発展形が、「多く稼ぐにはどんな職種がいいのか」という興味関心。今回は、日本の平均年収や年収の多い職種を、統計データと「経済の常識」の両面からみていこうと思います。

日本の平均年収とその推移(男女別)

国税庁は、毎年「民間の事業所に勤務している給与所得者」を対象に「民間給与実態統計調査」を行っています。

2019年9月に公表された2018年(平成30年)分の統計によると、日本の給与所得者の全体数は5,026 万人(対前年比1.6%増、81 万人の増加)で、その平均年収は441 万円(同2.0%増、85 千円の増加)でした。平成20年以降では最高値となります。

平均給与推移のグラフ
国税庁「民間給与実態統計調査(平成30年分)」より

男女別では、給与所得者数は男性2,946 万人(同0.3%増、10 万人の増加)、女性2,081 万人(同3.5%増、71 万人の増加)で、平均年収は男性545 万円(同2.5%増、135 千円の増加)、女性293 万円(同2.1%増、61 千円の増加)となります。

正規・非正規別でみると、正規(役員は含まない)は504 万円(同2.0%増、98 千円の増加)、非正規179 万円(同2.2%増、39 千円の増加)となっています。

平均給与に男女差が生じる原因としては、まず女性は給与所得者の全体数が男性より865万人も少なく、子育て等の理由で退職し給与所得者から外れ、キャリアも途絶えてしまう者が多く、また職種でみても、以下に述べる高収入の職種では従事者が男性に大きく偏り、さらに非正規は男性354 万人に対して女性813 万人と女性のほうが数・比率とも圧倒的に多いことなどが互いに絡み合っています。また、正規・非正規の差は、調査に同分類が加えられた2012年以来広がり続けています。

日本の年収の「中央値」

平均年収を調べるときには、「中央値」という概念が重要になってきます。

【中央値】(median)n個の量を大きさの順に並べたとき、中央に位置する値。nが奇数ならば(n+1)/2番目の値、nが偶数ならばn/2番目とn/2+1の値の平均値をいう。中位数。メジアン。(広辞苑第五版)

「平均年収」は、実感として高めになりがちです。これは、たとえごく少数でも、とびぬけた高収入のサンプルが調査対象に入ってくるためです。

このことは、テストの平均点を思い浮かべればわかりやすいと思います。たとえば、ある数学のテストはむずかしく、最低得点が15点で、クラスのほとんどが20点前後に分布し、30~80点台の生徒は1人もいないのに、ずばぬけている5人だけが90点以上をとったとします。「平均」を出すには「全員分を足して人数で割る」ので、一人で4人分をゆうに超える点数をとった5人の結果がまじりこむと、テストの平均点はぐっとつり上がります。

一方、「中央値」ならどうでしょう。「何点に何人いたか」は関係なく、「そのテストで誰かしらがとった得点の値」を大きさの順に並べます。「15点、18点、19点、20点、22点、25点、90点、92点、95点」と「数自体」を並べたこの列で、「中央値」は22点となります。この場合、例外的な5人によってつり上がった「平均点」よりも、「中央値」のほうが「クラスの標準的な生徒」の印象に近い感じになりますね。

さて、日本の年収を「中央値」でみると、

  • 日本人の年収の中央値:350万円前後
  • 男性:420万円前後
  • 女性:280万円前後

となります。だいぶ実感に近づいたのではないでしょうか。

年収の多い職種とは?

民間企業「転職サービスdoda」による調査での平均年収職種別ベストテン(2019年)を、以下にリスト化しました。

  1. 投資銀行業務:843万円
  2. 運用(ファンドマネジャー/ディーラー):720万円
  3. 内部監査:709万円
  4. 戦略/経営コンサルタント:679万円
  5. 業務改革コンサルタント(BPR):678万円
  6. 医薬品メーカー営業:659万円
  7. MR:658万円
  8. 知的財産/特許:657万円
  9. プロジェクトマネージャー:656万円
  10. 会計コンサルタント/財務アドバイザリー:647万円

全167職種のうち最も平均年収が高かったのは「投資銀行業務」、2位も「運用(ファンドマネジャー/ディーラー)」と、「金融系専門職」に分類される職種がワン・ツー・フィニッシュとなりました。

統計のウソホント

と、こうした統計を見れば、学生なら金融コンサルタントになろうかと考えたり、いま働いている人は別の職種がうらやましくなったりするかもしれません。

ただ、「統計」というのはいつの時代も曲者です。統計をとる母体の決め方や質問の設定によっては結果が大きく変わり、統計を行う者が結果を誘導することすら可能だからです。「統計はうそをつく」とは、何百年も前から使い古された格言です。

「年収の多い職種」の統計はどうだろうといえば、「調査対象がどのような人か」という点はとくに要注意です。国税庁の統計は、「民間の源泉徴収義務者に勤務している給与所得者」が対象で、非正規の従業員もそのうちに入っています。一方、民間企業dodaの統計では、対象は正社員のみ。しかも、「dodaエージェントサービスに登録した/20~65歳の/オフィスワーカー職種の男女」という条件が付いています。世の誰もかれもがこの会社のサービスに登録しているわけではありませんし、職種にもかなりの制限があるので(たとえば「医師」は調査対象に入っていない)、数の母体には大きな偏りがあるのだということは最初から頭に入れておかなければなりません。

そしてもっとも注意すべきなのは、統計を見た人がそこから抱く「印象」や「イメージ」でしょう。

平均年収の統計は、単なる「数の集計データ」にすぎません。よって、ある職種に就いている個人をひとりひとり見ていけば、データ上年収が少ないとされる職種で高額を稼いでいる人がいるかと思えば、年収が多いとされている職種に就いたのに貧困状態に陥っている人も見つかります。統計からわいてくる職種のイメージと、その人の生活実態が大きく異なっていることは、少しもめずらしくないのです。

21世紀の日本の奴隷、「無給医」の衝撃

年収の多い職業といえば、誰もが思い浮かべる「医師」。世間では「年収1000万円越え」などと羨望のまなざしを受けています。

しかし2019年、大学病院などで患者の診察を行っているにもかかわらず給料が支払われない「無給医」の存在が明るみに出て、日本社会に衝撃を与えました。

重要なことなので婉曲表現を使わずきっぱり言いますが、働いたのにその分の給料がないなら、それは奴隷労働です。厚生労働省の調査によると全国2819人にのぼる「無給医」は、すなわち病院の奴隷でした。この「奴隷」は、慣用表現ではありません。読者の興味を引くためのオーバーな表現でもありません。無給医が存在するのは、大学・医局内での権力関係や、若手医師のキャリアへの意志、また「断ったらどうなるのか」という不安につけ入る、極悪非道な奴隷制です。

「年収1000万超え」のはずの医師が、無給。21世紀の日本で、奴隷にされていた。衝撃的な事実ですが、傍からは華やかに見える医師のブラック労働、そして低賃金ぶりは、無給医の発覚以前からずっとささやかれていました。私は以前、私が実際に会った整形外科医・S氏から聞いた、大学病院現場の話を書いています。

体力自慢のS医師はこう言った―人手不足の真の原因(「日本の企業文化『井の中の蛙』―その変革ポイント7選」)(新しいタブで開きます)

医師のブラック労働の行く末が人材流出・人材不足ですむなら、病院が運営に失敗して墓穴を掘っただけなのだから、まだましです。医師の命に別状がないからです。責任感の強い医師が、文字通り寝る間もない過重労働の末、患者が待っているのにと自分を責める悲愴な遺書を残して過労自殺した――そんな悲劇もまた、まことに遺憾ながら、日本の医療現場の一側面です。

私が無給医の存在に触れたのは、「どの職種に就いても無駄だ」と言って、読者が抱いているよりよい人生への希望をつぶそうとしているからではありません。目の前にある奴隷制に背を向けて、厳しい医学の道にまっすぐ励む医学生に「医学の勉強だけでは足りない、金もうけ術も覚えなければ生きてはいけない」などと恥知らずな人生訓をたれているのでもありません。

私が何を言いたいかというと、「これに就きさえすれば高額な年収が約束される」という魔法のような職種はない、ということです。統計のデータテーブルからは、人の顔は見えません。統計上年収が多い職種、逆に少ない職種、どちらにも、必ず反証は見つかります。

イメージ通りの経営コンサルタントは、「幸せ」ではなかった

現実は統計からわくイメージ通りでない、という例をもう一つ紹介しましょう。

私は以前、経営コンサルタントをしている40代男性(以下、Kさん)に会ったことがあります。Kさんは日本の優良なビジネスコンサルティングファームに長年勤め、国内外を飛び回り、様々な事案に携わってきたキャリアの持ち主。高度な知識と経験を生かした、華々しい活躍ぶりです。

職種別平均年収データを探す人が「あぁ、自分もこんなだったらなァ~」と宙に描く、高給取りの経営コンサルタントそのままだったKさん。

しかし、当のKさんは仕事への反発をあらわにし、まったく幸せではありませんでした。

いくら高給取りでも、忙しすぎる。しかも、Kさんは会社勤めです。せわしく飛び回るのは、自分ではなく会社のため。職場の人間関係のしがらみ、とくに古めかしい上下関係のなかで上から下から圧迫され、もがき続ける毎日。それに、高度な知識を身につけるまでの道のりは険しいですが、どんなにがんばったところで、成果の帰属先はあくまで会社。知識や経験をめいっぱい発揮できていそうな聞こえほど、いきいき働いているわけではないのです。外見だけなら華々しい経営コンサルタントの仕事ですが、Kさんの気持ちとしては、ブラック労働以外の何物でもないようでした。

Kさんはオフィスを離れ羽を伸ばした時に「こんなのやってられない」と吐き捨てる、だけではありませんでした。彼は海外出張を自分のために利用し、よい投資先を見つけて買い上げるなど(Kさんは実家がかなり特殊な家柄らしく、その気になれば潤沢な資金をポンと出せる人でした)、着々と退職を画策しているのでした。

なぜ多くの現代人が「年収の多い職種」を知りたがるのかといえば、「稼ぎが多ければそれだけ幸せな人生を送れる」ように信じ込んでいるからです。しかし現実には、「収入の額」と「幸せ」は必ずしも比例しません。内心で起こるイメージの連鎖はつかみにくいかもしれませんが、精神を落ち着け、冷静に自分の思考をたどってみてください。「年収が多い」ことから「幸せな生活」にまで、イメージが独り歩きしているのが見えてくると思います。

たとえ職種別平均年収のデータからイメージした通りの高収入を得たとしても、それで「幸せ」になれるかどうかは、別問題なのです。

年収の多い「職種」とは?

日本でだけ反転している、経済の常識

多く稼ぐにはどんな仕事に就けばいいだろうか。あれこれ悩みながら、自分なりに「これだろう」と結論して職種や業界を選んだとしても、日本人は「できるだけいい給料をとれる、できるだけ大きな企業に入りたい」と考えます。言い換えると、会社に勤めることが暗黙の前提となっていて、ほかの働き方を現実的な選択肢と考える人は例外的にとどまっているのです。

しかし、世の中には、これとは正反対のセオリーがあります。

たくさん稼ぎたいなら「起業」か「投資」だ。

会社に雇われるのは、お金を稼ぐ最悪の方法だ。

こう言ったのは、オーストラリアの若手投資家でした。彼はドリームをつかむため、学生時代から銀行に計画書を持参し、融資を受けては不動産投資に精を出していました。

札束の上に立っている実業家のシルエット
お金を稼ぎたいなら、「起業」か「投資」。

これは、海外の若手投資家ならではの考え方ではありません。アメリカだろうが、ヨーロッパ諸国だろうが、アジア諸国だろうが、世界のどこでも「多く稼ぎたいなら『起業』か『投資』」「会社に雇われるのはお金を稼ぐ最悪の方法」は「経済の常識」です。

ところが、日本人のほとんどは、「お金を稼ぐ」といったら、会社で働くことを当たり前の前提とします。日本でだけ、「経済の常識」が反転しているのです。

”サラリーマン”という造語でまんまとだまされた戦後の日本人

では、なぜ日本でだけ、さかさまになった「経済の常識」が信じられているのか。

その源泉は、戦後の歴史に見つかります。明治や大正の時点ではまだ、「会社」は今日ほど大きな意義をもってはいません。

これについては、私がかねてより放送禁止用語にすべきだと主張している”サラリーマン”という単語を軸に据えて、解説していこうと思います。

陳腐な和製英語はいわく付き

”サラリーマン”という言葉は、もとよりいわく付きです。平均年収や収入の多い職種に興味をもっている人なら、これがネイティブには通じない和製英語だということはすでに知っているのではないでしょうか。”サラリーマン”は、造語です。造語ということは、どこかに、何らかの意図を持った「作り手」がいたはず。あらためて冷静に考えれば、まるのみにするのは危険な概念です。

いわくはこのうさんくささだけでは終わりません。”サラリーマン”は”man”なので、会社勤めの「男性」を指します。ならば女性は何というのかといえば、”OL”という言葉が充てられています。無論、”OL(オフィス・レディーの頭文字)”も和製英語の造語です。実は、この”OL”という和製英語が作られた当時、もともとの案は「オフィス・レディー」ではなく、「ビジネス・ガール(BG)」でした。ところが、ネイティブの英語の隠語で”business girl”は娼婦を意味するということが判明。だったらわざわざ和製英語なんて作るのをやめればいいじゃないか、それでなくても英語では”-man”とつく単語が差別的(最近では女性だけでなくLGBTにも)だと問題になっているのに……と言いたいのは山々ですが、造語の作り手は新しく「オフィス・レディー」という言葉をひねり出し、日本社会に広めたというのです。

このように、本当はいわく付きで不潔感満載の、愚にもつかない和製英語。時には公的な場面でも使われている”サラリーマン/OL”という言葉ですが、実際には俗語にすぎません。

「会社に雇われている人」の正しい用語がゆがめられ、巧みに隠された裏事情

では、会社に雇われている人を指す正しい語は何なのか。――正解は「労働者」です。

ところが、日本社会では「労働者」という言葉や概念はめったにお目にかかりません。「労働者」と聞いたら、日焼け顔に汗を流す肉体労働者を思い浮かべたり、学術用語だから日常生活には関係ないと思っていたり、なかには共産主義を連想したなどという人もいるかもしれません。日本には「経済の常識」にいやな顔をする人がけっこういて、私はそのたび首をかしげます。この傾向は、年配の世代になればなるほど顕著だと思います。会社や上司に絶対服従してきたことに、妙なプライドを持っている。彼らの思いは、いうならば、「自分は労働者なんかじゃない、サラリーマンだ!」というところでしょう。

なぜ公式な用語を、作られた俗語が取って代わっているのか。

戦後、60年代以降の日本では、「経済成長」が至上目的として掲げられます。国民らを経済成長に動員するため、あらゆる分野が企業を中心とするシステムに組み込まれ、国民らの思考を誘導していきました。

学校教育がこの時代に暗記へ偏重したのは、決して偶然ではありません。将来世代を会社に従順な”企業戦士”に育成するため、教育において、自分の頭で考える力や批判的思考が軽視されたのです。また、一見公平に見える受験競争ですが、実際には、能力があっても家庭に経済力のない子どもは「敗者」に振り分けられる結果となります。これは、人工的に「敗者」を作り出し、安い労働力として使うのが裏の目的だったと指摘されています。教育だけではありません。1964年東京オリンピック時代の日本代表選手たちは、医学的に危険性のある過酷な練習に耐え、上からの命令に絶対服従する「根性ある」人物像を求められましたが、これは当時の権力が国民に求めた人間像と重なっています。この「根性ある」人物像は、テレビ番組や”スポ根”マンガなどを通して、国民らの頭に、子どものうちから、深く浸透してゆきました。

理由は以下で述べますが、本来、会社に雇われる人=”サラリーマン”=労働者は、吹けば飛ぶほど弱い立場にあります。

そこで、労働者自身が「”サラリーマン”の自分には一定以上のお金があり、経済的に安定していて、魅力的な立場にある」と信じ込んでいたら――つまりだまされていれば――どうでしょう。彼らは賃金や生活に不満をもつこと、経営者に反抗することがなくなります。

高度経済成長期の権力は、国民を、従順な労働者にしたかった。この時期に、「労働者」とは専門家や過激派といった特殊な人々が使う用語だ、というゆがんだイメージが日本人の頭に浸透し、”サラリーマン”という造語で会社に雇われている人=労働者の立場の弱さは巧みに隠されます。太平洋戦争により経済が破綻した時、日本人は「(開戦時の首相)東条英機にだまされた」と口をとがらせました。それから20年も経たないうちに、”サラリーマン”たちは再び、煙に巻かれていきました。

お金の仕組みを知りたいなら、神話の世界から脱け出すこと

バブル崩壊、”リストラ”の嵐。日本初のポピュリスト・小泉政権下では雇用が崩壊し、今日非正規労働はもはや当たり前となりました。

一連の「サラリーマン神話」がおとぎ話にすぎず、事実でなかったことは、現実社会ですでに露呈されているのです。

しかし、高度経済成長という「昭和二つ目の戦争」が日本人の頭に打ったくさびは強かったと思います。

前述の通り、年収アップを目指すといっても、日本人の発想は会社に雇われることが前提です。バブルを知らない若い世代とて、例外ではありません。また、「就職」という言葉が指しているのは、21世紀のいまも依然「会社に入ること」です。会社中心の「発想」が、高度経済成長がとうに歴史となったいまも、人々の思考や意識に深く根を張っているのです。

天文学者が「世界は平らな板であり、太陽や月が大地の上を動いている」と信じる限り、惑星の運行を解き明かすことはできないのと同じように、「サラリーマン神話」が脳に組み込まれている限り、お金の仕組みは決して理解できません。くりかえしますが、高い年収や安定収入を得られる「職種」とは、「起業」か「投資」です。

天動説の平らな地球
戦後の日本人は会社に勤めれば一定以上の安定収入を得られると信じ込んだが、「それでも地球は回っている」

「経済的自立」の本当の定義とは?

では、なぜお金を稼ぐには起業か投資なのか。その理由はちらりちらりと登場してきましたが、ここで「経済的に自立している」という概念について考えながらみていこうと思います。

世間で「経済的自立」が取りざたされるのは、大学を卒業して就職したから親の仕送りがいらなくなったとか、引きこもりだった人が「就労」したとか、”DV亭主”から暴力を振るわれていた専業主婦が職を得て離婚したとか、そんな場面です。

しかし、ファイナンスでいえば、経済的自立とは「お金が入ってくる仕組みを自分が保有していること」を指します。収入があるのは無論喜ばしいことですが、会社からの給料で生活する、つまり収入を会社に依存しているなら、「経済的に自立している」とはいいません。

なぜなら、本来、職種が何であれ、労働者は風来坊です。たった一つの経営判断で”リストラ”された、あるいは介護、子育て、急な病気、職場のパワハラなど、理由が何であれ退職したら最後、収入は途絶えます。次の職を得ようとて、誰しも自分にできる職種は限られています。たとえば、それまで会計の仕事をしていた人は、求人があったとしても急にバスの運転手や、理学療法士や、ソフトウェアの営業といった職種には就けません。何かの拍子にいまの仕事を失ったら最後、すぐにもとの「9時から5時まで」生活には戻れないのです。高学歴な”ホワイトカラー”であれ、高度なスキルと経験で高い年収をとる経営コンサルタントであれ、雇われ生活である限りは「日銭暮らし」なのが実情です。

もっとも、会社に雇われる形態のままでも、年収アップが不可能なわけではありません。昇進して給料が増えたとか、マネージャーポジションに転職することで年収が上がった、ということはもちろん可能です。とはいえ、その年収アップは微差であり、雇われの身の根本的な立場の弱さを克服できるわけではありません。

一方、「お金が入ってくる仕組み」を自分が握っていたらどうでしょう。”リストラ”の不安はなくなります。介護や子育てを始めようとも、急な病気などに見舞われようとも、安定収入が着実に入り続けます。ブラック労働やパワハラは今日人生のリスクとなっていますが、会社や投資対象が自分の所有物なら、そもそも上司がいなくてすみます。いざとなれば、「お金が入ってくる仕組み」を売って、お金に戻すこともできます。

では、「お金が入ってくる仕組み」を自分が握るにはどうすればいいのか。先ほど紹介したオーストラリアの若手投資家は、主に不動産へ投資して、そこから一定の収入を得ていました。株投資によって「会社を買い上げた」人もいるそうです。「(自分が)会社で働く」のではなく、「(お金が生み出されるシステムとしての)会社を持つ」という発想です。自分でビジネスを興すのは、「自分へのお金の流れ」をつくるもう一つの方法です。「お金が入ってくる仕組み」を自分が握る方法はどれも「起業」か「投資」に集約される、といってもいいでしょう。

もちろんこの世で生きる限り「絶対の安定」はなく、起業と投資は人間の根源的な不安を完全に取り除く魔法ではありません。しかし、労働者の立場の弱さと比べたら、比べ物にならないくらい有利な立場だということはわかると思います。

本当に年収アップを望むなら、事実の上に立って考えることが大事です。

「経済の常識」の発想は、詐欺除けにもなる

日本社会で育てば、どうしても「サラリーマン神話」が大なり小なり頭に入ってしまうのは避けられません。

しかし、学問を積むなかで、または「就職」して働くなかで、巧みに隠されていた「経済の常識」に勘づく人は出てきます。読者のあなたもその一人かもしれません。

残念ながら、世の中ではそういう人の存在を見越して取り込もうとするビジネスが、すでに待ち構えています。金融機関が行う投資セミナーなら、まだまっとうなほうでしょう。もっとトラブルになるのは、高額な副業セミナー、自己啓発セミナー、投資教材、投資詐欺。そんなこんなで起業や投資に「怖い」イメージを持っている読者もいるかもしれません。

興味はあるけど……と足踏みしてしまう読者のために、かんたんですが注意ポイントを。

起業や投資の核心は、「自分が主体であること」です。

信用のある大手金融機関からの投資話は、たとえ詐欺ではないにせよ、主導権を握るのが金融機関側になりがちです。こういう時は、先ほどのオーストラリア人若手投資家を思い出してください。相手から話を持ち掛けられ、相手の示した枠組み内で活動するのではなく、自分が持ち掛け、自分の都合に合わせて行動する。自分がほしいものを、自分でわかっている。それが起業家・投資家の在り方です。

セミナー系統の場合、相手が聴衆を依存させようとしていないか、購入・申し込みの決断を急がせていないか、一方的な指導者として振舞っていないか、などに気を付け、おかしいなと感じたらすぐに手を切る。

こうした行動様式を忘れず、「経済の常識」という根本的なところを押さえておけば、危ないことに巻き込まれるリスクはうんと低くなります。世界には、「普通の働き方」として起業や投資をしている人が、数多く暮らしています。

雇用とは

ここまで、高度経済成長期の政策都合により長年巧みにごまかされてきた雇われの身の立場の弱さについて、くりかえし説明してきました。読んでいてそら恐ろしくなった人もいるかもしれません。

では、会社に雇われる身である限り、明日食べ物がなかったとしてもしかたないのでしょうか。何かの拍子に収入が途絶え、路頭に迷ったら、世から放って見捨てられてしまうのでしょうか。

いいえ、そうではありません。

起業や投資は、なにも最初から資本がある人しかできないことではありません。大学生の趣味から始まったFacebookやTwitterがよいお手本です。とりわけ近年では、第三次産業革命・インターネットの助けもあり、起業のハードルは劇的に下がっています。とはいえ、人類が続く限り、労働者となるのは主流な働き方であり続けるでしょう。労働者であることに恥じる理由がないのは、前述の通りです。

労働者とは本質的に弱い立場だという「事実」に立脚したうえで、いかに人々が路頭に迷うのを防ぎ、職と食にありつけるよう社会を調整するか。雇用政策とは、この調整のことをいうのです。

年収の多い職種探しは、「隣の芝生はもっと青い」の連続

どの職種なら高収入をねらえるのか。その答えとして、雇われている限りは根本的に立場が弱いので、その方法は起業か投資だということをみてきました。

立場・金銭的な面だけではありません。「年収の多い職種探し」は、精神面からみてもまず功を奏しません。

なぜなら、ここまでずっと見てきた通り、現実は統計データから想像するほど単純ではありません。どんな職に就いたとしても、メディアでほかの職種の誰かの成功を見続ける限り、「いいなぁ」は続きます。

年収の多い職種を知りたがるのは、うらやみの連続です。経営コンサルタントの人がうらやましい。自分の年収が、同じ職種の平均より低いなんて、悔しい。

「隣の花は赤い」ということわざがあります。「他人の物は、自分の物と比べるとなんでも良く見えてうらやましく思える」という意味です。同じ意味では、「隣の糂汰味噌(じんだみそ)」ということわざも。そして英語でも、”The grass is always greener on the other side of the fence.(「隣の芝生はいつもうちより青い」)”という表現が。「隣」が自分より良く映り、うらやましくなるのは、洋の東西を越えた人間の性なのでしょう。

他人の様子をうかがっては、競争心と嫉妬心をつのらせる――そんな心で人生を続けるなら、たとえどんな職に就いたとしても、心が満たされ「幸せ」になれることは永遠にない。それが成り行きです。

うらやみのスパイラルから脱け出し、ドリームをつかむには

では、どうすれば「うらやみのスパイラル」から脱け出せるでしょうか。

人生をよりよく生きていきたいなら、「他人の年収」ではなく、「自分の人生」に視座を置いて考えることだと思います。「隣」に目を光らせるのは、骨折り損のくたびれ儲け。結局のところ、一銭にもなりはしない。

冷静に分析すれば、世間の考えや人生観――とりわけ、まだ心で鎖国している島国のそれ――ほど奇妙なものはありません。海外の若い起業家や投資家に会ってみれば、ビッグなドリームへ手を伸ばすのはリスキーどころか、堅実な生き方だと思います。

結びに―「とかく、あまり人生を重く見ず」

近年、学生の将来不安が高まっているといわれます。大学に入ったばかりの新入生が就職のことで自分を追い詰めていたり、二十歳にもならない学生が老後不安で頭を抱えているといった報告が後を絶ちません。

「サラリーマン神話」からは目覚めたものの、雇用が崩壊したあとの社会を生きる労働者の不満や不安は尽きることがありません。生き方に迷える人々の姿は、バブル時代と大差ないのかもしれません。

憤り。不安。無力感。

都合の悪いことに、心が不安な時こそ、人間はまちがった選択肢に熱を上げやすくなります。冷静さをなくし、判断力がくもるからです。しかし、たとえ怒りや憤りをかかえていたとしても、直情的に怒りを爆発させるのでは、結局のところかのトランプ大統領と同類になってしまいます。

ここで、一番高いお金、一万円札の「顔」をしかと見つめてみましょう。

福澤諭吉のついた一万円札百枚の札束
一万円札の顔といえば、福澤諭吉。

自らを「独立自尊居士」と称した福澤諭吉は、こんな言葉を遺しています。

人生は芝居のごとし、上手な役者が乞食になることもあれば、大根役者が殿様になることもある。

とかく、あまり人生を重く見ず、棄身になって何事も一心になすべし。

明治の大思想家・福澤諭吉や、きちんと分別のある人や、よく勉強している若い学生なら知っています。年収の額などというのは、その人の能力だけで決まるのではありません。生まれ落ちた家庭環境や、その経済状況。健康状態。身に起こった出来事や、その時の年齢。当該社会での被差別属性をいくつ持っているか、その差別の深刻さはどの程度か。それに、たとえいつの日か社会の不正義が是正され、完璧な社会が実現したとしても、仕事で成功するには、出会いやタイミングといった運も大事と言わざるを得ません。これらが複雑にからみ合う人生においては、努力して能力があっても収入ゼロという人が相当数出てくるかと思えば、能力はお粗末なのにがっぽり高収入を得ているお調子者もいる。もし「人生を重く見る」なら、馬鹿馬鹿しくてやっていられなくなるかもしれません。社会が憎くてたまらなくなるかもしれません。あるいは心の置き所を見失い、生きる気力を失ってしまうかもしれません。

ただ、ここで自暴自棄になったとしても、事態が好転するわけではありません。むしろ、悪化するのが現実です。また、ここで「自分(と家族)さえ寿命までしのぐ金があればいい」と考え出した者は、たとえぴしっとしたスーツで毎朝有名企業に通勤しているとしても、中身は「ならず者」以外の何物でもありません。

人生は芝居のごとし。さらばこそ、長いようで短い一生は、果敢に生きてなんぼだと思います。「隣」をちらちらうかがうのに没頭していられるほど、人生は長くありません。自分の人生をはつらつと生きても、組織や他人の都合であっちへこっちへ引きずられるばかりの何十年、死んだ目をして虚無にふけりながら雑務を続けても、一生は一生です。「芝居」のような現実をしかと見つめた時にはじめて、「だったら、自分はどう生きていこうか」という自分への問いが浮上してくるのかもしれません。その現実の上に立ったなら、「自分の人生」を軸に据え、自分の頭でしっかり考えて一心に取り組むのが、よりよい人生への道だといえるでしょう。

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日本の企業文化「井の中の蛙」―その変革ポイント7選 – 日本の会社、そしてそれにまつわる人々の人生観ほど「日本の常識は世界の非常識」という格言がぴったりな分野はありません。オフィスの慣習や自分の人生観が「それくらい特殊なんだ」と気づいているかいないかは、世の仕組みやビジネスの本質を理解するうえで、有と無の差を生み出します。

中年の引きこもりと仕事のジレンマ&今後のライフスタイル – 戦後日本の経済や社会情勢、そして「仕事」の本質を最もよく理解しているのは、日本特有の「引きこもり」の人々である――「その通りだろうな」と思った人はご自身の知識の補強にどうぞ、「年収アップを目指しているのだから、引きこもりなんて最も不要な情報だ」と思った人はザ・必読、「自分が引きこもりになるなんて一生あり得ないし、そんなのになっているのは情けない人間だ」と思った人は間違いなく知らず知らずのうちに自分の無知をさらしているので、悪いことは言わないから読んだほうがいいです。スタジオジブリ・宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』は、高度経済成長以降(とくにバブル期)の日本人の独特な閉鎖性や大人になっても自立できない心性を描いた作品なので、本作についても解説と批評を書いています。

映画『きっと、うまくいく』あらすじや感想など―成功はあとでついてくる – 経済成長著しいインドで深刻な社会問題となっている、受験競争の激化や暗記偏重教育、そして世界で指折りに高い若者の自殺率を扱った作品です。名門工科大学を舞台にお騒がせトリオが毎度毎度爆笑の嵐を起こす、というコメディ仕立てで、一番の成功を求める暗記人間のチャトゥルがトホホ役なのですが、日本にもチャトゥル的な人はかなりの数いるので思うところが多いです。新興国・インドもまた、高度経済成長以降の日本とよく似た、暗い道をたどっているんですね。もっとも、日本では高度経済成長はとうに歴史となり、我々は今『千と千尋の神隠し』冒頭で描かれる「バブルの残骸」の上で生きているわけですが、にもかかわらず毎年一定数の子どもたちが新たなチャトゥルに作り変えられ続けている現象は、悲愴に、興味深いです。将来に不安があったり、それこそ年収に不満があったりする親の心につけ入る受験ビジネスというシステム稼働は、その原因の一つでしょう。年収アップを望んでいる読者は、それが「心の隙」となって別の誰かに利用され、過去を新しい外形で繰り返すことのないよう、細心の注意を。

オウム真理教元幹部・死刑囚の言葉から得られる教訓―『カルトはすぐ隣に』感想 – バブル絶頂期、「生きる意味」を求め、「世のため人のために働きたい」と高い志を抱く大学生らを引きずり込んだオウム真理教。いまなら栄養ドリンクメーカーが「24時間働けますか」などとCMを打ったらブラック労働を擁護していると”炎上”必至……とはいえ、日本人が率先してその時代の考察や反省をしたとは言い難く、私は「昭和の働き方・人生観」は人々の発想のなかにまだ根強く残っており、それが経済・雇用をはじめ様々な分野で現状打開・問題解決の足かせになっているとみています。よりよい人生を求めて試行錯誤しているうちに誤った師についてしまい、取り返しのつかない罪を背負った元幹部・死刑囚たちに共通する悔悟の言葉、それは「自分のアタマで考える」ことの大切さです。