”自粛警察”の心理~逮捕者はどこで道をまちがえたのか

2020年”コロナ禍”の日本において独特な現象が起こりました。いわゆる”自粛警察”です。

”自粛警察”とはおおよそ、営業自粛や外出自粛をしていないとみなした店舗等や個人を非難したり、自粛を迫ることを指しています。一方的な正義感をつのらせて脅迫や暴行を行った者が逮捕されるなど、今年の社会問題となりました。

今回は、2020年の日本の風景としての”自粛警察”について、逮捕者の供述からその心理の特徴を洗い出すとともに、今後の教訓として注意すべきポイントを指摘したいと思います。

ネット以前から多発してきた無責任行為とその代償

今どき、「誹謗中傷や脅迫で逮捕」といえば、真っ先にSNSでの暴言が浮かびます。ネット上のやりとりでトラブルに発展したといえば、若者、とくに10代のイメージは根強いと思います。

しかし、飲食店2軒に対して「営業スルナ!火付けるぞ!」と書かれた段ボールを貼りつける自粛警察行為をしたとして5月に逮捕された豊島区職員は、63歳と高齢でした。他県ナンバーの車に「帰れ」などと暴言を浴びせたり車に傷をつけたりしたのも、多くが高齢者です。もちろん若い人や中年によるネットでの誹謗中傷も深刻ではありますが、”コロナ禍”での自粛警察行為では高齢の加害者が目立っています

実は、ごく普通な人が地域活動などをしているうちに無自覚で他人の人権を侵害し、想像だにしない責任問題に発展したという事例は、ネットがない時代から多発してきました。しかもこの手のトラブルはせまい世界を生きてきた高齢者に多いのです。そのまま家庭崩壊、人生崩壊となるケースも少なくありません。

こうした事例はテレビのニュースになるほど大きな事件ではないので、耳になじみがないかもしれません。しかし行政にかかわる分野ではもはや常識というか、ごく普通にいくらでも出てきます。ここでは私が聞いた「古典」を、手短に二つだけ紹介しましょう。

「やりがいある町会活動」のはずが……

ある高齢男性は、町内会に「やりがい」を感じて長年活動してきました。

ある時、男性は、役所から町内会への委託で、地域の家々に国勢調査の用紙を配ります。男性の主観では、いつもの町会活動をしているつもりでした。ところが彼は、ある地域住人を激怒させてしまいます。法律的に誤った発言と横柄な態度のためでした。玄関口で思いもかけぬ猛烈な非難を受けた男性は、「なんでこんなことに」とショックし落胆します。

が、これはただ「人を怒らせてしまった」という個人的な落ち込みだけですまされる事態ではありません。なぜなら、行政にとって、国民の人権を侵害するのは、憲法によって禁止された根源的な違法行為だからです。重大な「不祥事」を起こした男性は役所からも公式に厳しく責任を問われ、謝罪の行脚をすることになりました。

男性は処分を受け、不祥事は片付きました。しかし彼はあまりの気落ちから自宅から一歩も出られなくなり、ずっと良好だった家族との関係も冷えきってしまいました。「地域の人相手にいばり散らして迷惑をかけるなんてみっともない」とあきれた家族からも非難され、しかもそれは本当にそうなので、男性はすべてを受け止めるしかありませんでした。

男性は、軽薄な言動で不祥事を起こしたために、人生の最後ですべてを台無しにして、約半年後に世を去ったということでした。

防犯パトロールで「注意をした」高齢女性のその後

……にわかに信じられなかった読者もいるでしょう。しかしこれは、決して特殊な例ではありません。この男性は、この手の事例の典型です。

私はほかにもこれと酷似した事例を聞いています。ある高齢の女性が、警察と合同の防犯パトロールに参加中、公園で遊んでいた家族連れに「注意をした」ところ彼らを人権侵害だと激怒させ、責任問題となって公式謝罪することになったのです。彼女は、責任を問われた衝撃と自信喪失や自己嫌悪のためやはり自宅から一歩も出られなくなり、それきり誰とも会わないまま、約3か月後に亡くなったということです。

背負った責任と、逃れようのない恥

以上のような高齢者の事例からは、凶暴でもなんでもなかったごく普通の一般人が人を激怒させるほどの人権侵害を行ったのだという驚くべき事実、そして、彼ら自身が背負いこんだ罪と逃れようのない恥から精神的に憔悴しきった様が、ありありと伝えられています。

自粛警察行為で逮捕された63歳の豊島区職員も、地域活動中に人権侵害行為をした高齢者と同じ道をたどりました。

報道によれば、彼は逮捕された後の取り調べに対して「感染者が増えていた恐怖から、間違った正義感を持ってやってしまった」と供述しました。脅迫状を店に貼っている最中には「正義」のつもりだったのです。

逮捕後の反応も、上記高齢者のケースと同様でした。彼と面会した区の人事担当職員は、その時の様子について「非常に落ち込んでいた」といい、「お店に申し訳ないことをした」「謝罪したい」と繰り返し語っていたとメディアの取材に答えています。逮捕されてはじめて我に返ったようですが、その時にはすでに被害を出した後だったのです。

”自粛警察”の心理と教訓

以上の通り、一方的な正義感から他人の人権を侵害し、後で重い責任を問われた人は、世にはあまり知られていませんがインターネットやSNSの出現以前から多数存在してきました。この古典的パターンが新型ウイルスの流行で噴出したのが、いわゆる”自粛警察”だと位置付けられます。

では、ごく普通の人だったはずの人々は、どこに問題があって自粛警察など人権侵害行為への道をたどってしまったのでしょうか?

自覚ないまま人権侵害行為をした人全般の行動と心理状態を比較していくと、共通するいくつかの傾向を洗い出すことができます。

  1. 感情論にかられていた。
  2. 事前に立ち止まって自分のしようとしていることの意味を考えることなく行為におよんだ。
  3. 政治や行政(=社会の仕組み)を理解していなかった。
  4. 「自分は正しいことをしている」と信じ込んで疑わなかった。

これらの共通点に加え、行為をしている時に「やりがい」や「生きがい」を感じていたという話は、”自粛警察”にも、地域活動中に人権侵害を行った高齢者にもみられます。「自分は人の役に立っている」「社会に貢献できた」という高揚感があったのです。

さらに、人に命令したり何かを禁じる行為は、強烈な「権力の快感」を生じさせます。人がその快感におぼれるのはあっという間で、それがこうした問題の大きな原因となっています。

さらに、ネット上での自粛警察行為には、インターネット特有の心理が強く影響しています。

以上の心理的特徴を詳しくみていきましょう。

自分のしていることの意味を「考えなかった」

”自粛警察”全般の共通項として、「自分を客観視できていない」という特徴がみられます。客観的に見ればこれはよくない、あるいは犯罪だと誰にでも分かる行為なのに、本人がそうと気づかないのです。

たとえば、もしいつものスーパーの前で知らない男が「店を閉めろ」と怒鳴り散らしていたり、店主に向かって生卵を投げつけたりしているのを見たらどう思うでしょうか? その男は傍若無人な迷惑人物で、警察に逮捕されるのは当たり前です。冷静になれば誰にでもわかる単純なことですが、自粛警察行為を行った人々は、自分がそうなっていることに気づくことができませんでした。

こうした過ちを未然に防ぐには、何かを言ったりやったりする前には必ず立ち止まり、「自分の考えが仮に誤っていたとしても相手や社会に危害が出ないですむ言動」を選ぶのがポイントです。小さな親切、大きなお世話。人権侵害に手を染めないためには、「ひかえめすぎるかな」と思うくらいでちょうどです。そうすることで社会の自由が守られるからです。

注意すべきネット特有の心理

インターネットは、その黎明期から「感情が急激に高まりやすいメディアだ」と言われてきたのをご存じでしょうか。

ネットでは顔の見えない相手に対してでも「この人は信用できる」「彼くらい自分を理解してくれる人はいない」といった感情がふくらみやすく、それが詐欺や犯罪に利用されるケースが後を絶たないので、私は以前より注意を呼びかけてきました。

参照:ネットで知り合った相手に会おうとしているあなたの防犯基礎知識

インターネットのこうした特徴は、負の感情にもいえます。つまり、ネット上では「こいつは悪い奴だ」「許せない」といった感情も急激に高まりがちで、こうしたネット特有の心理が深刻な誹謗中傷や自粛警察行為等につながっているのです。

以上の「感情の急激な高まり」に加え、ネットでは「みんながやっているから自分も」という集団心理がはたらきます。

さらに、ネットには匿名で発言でき(厳密には匿名ではないのだが)、しかも相手の顔が見えず、画面上で行われるという他のメディアにはない特徴があります。その匿名性のために人が無責任になり、またどこまでも凶暴になることは、インターネットが普及した当初から問題視されてきました。立ち止まって冷静に見返したならとんでもない暴言であっても、画面上ではなにせ手ごたえがないので、歯止めがきかなくなってしまうのです。

ネットでは互いに顔が見えず、実感にもとぼしい。

新型コロナに感染していた山梨県の女性をはじめ、個人に対する自粛警察行為は、こうしたネット特有の心理が大きな原因でした。もしツイートボタンを押す前に立ち止まっていろいろな角度から考えたなら、さまざまな問いが出てきます。たとえば、文面を見直して言葉の表現は適切だろうか? 客観的・社会的にみて内容に誤りはないか? その人を罰する権限が自分にあるだろうか?……等々。事前にこのような問いを突き詰めていけば答えはいずれもノーで、自分がやろうとしていることは的外れだということにどこかで気が付いたはずでした。

私はかねてより、ネットでは「とりあえずは投稿しない」が基本だとアドバイスしてきました。投稿ボタンを押す前に立ち止まって考えるポイントは以下リンクでまとめましたので、併せてご覧ください。

参照:世界的巨匠と同じ責任を背負ってまで、本当につぶやきたいのか(「SNS疲れのパターン4選&リフレッシュ方法!」より)

インターネット、とくにSNSの登場によって誰もが気軽に発言できるようになったことは、チャンスや幸せだけでなく、数知れぬ人に不幸を呼んでいます。インターネットを利用するなら、賢く利用したいものです。

逮捕された豊島区職員にみられる感情論の暴走

先にも触れた飲食店を「営業スルナ!火付けるぞ!」などと脅迫して逮捕された63歳の豊島区職員は、別の自治体職員として定年までキャリアを積み、2018年から豊島区に再雇用されていました。

次項で述べますが、自粛警察行為には、行政の仕組みに関する知識不足が原因となっているケースが非常に多く見られます。しかし、この豊島区職員の場合は長年自治体職員をしてきた公務員なので、経歴からすれば「統治機関の役割や相互関係を知らなかった」「警察とは何かを分かっていなかった」はずはありません。

行政や法律の知識がなかったわけではないにもかかわらず、彼はなぜ自粛警察行為におよんでしまったのでしょうか。

これに関しては報道されている供述だけでは推測の範囲を出ないため、残念ながら筆者にはその心理を断定まではできません。

ただ、供述からは、犯行時怒りに身を任せた様子がうかがえます。燃え上がった感情にのみこまれてしまい、知識はあっても理性が使えない心理状態に陥っていたのかもしれません。

あるいは、感情論以外に、社会的な背景もあり得ると思います。戦後の日本人には「自分が社会に関与する」という感覚や意志がなく、家族と職場だけの狭くて原初的なコミュニティに閉じこもって生きているという特徴があります。一応は高等教育を受けていたり、長年働いていろいろな案件に携わったりはしているのですが、感性やものの考え方の面が非常に閉鎖的で、また流動性の少ない人生を送ってきたため大人になっても「世慣れていない」のです。もしこうした戦後日本人の特徴が犯行に影響していたとしたら、今後の日本社会を舵取りしていく上で非常に示唆に富みます。

筆者としては、この豊島区職員の犯行時の心理にはとても興味があります。「教訓」として価値が高いからです。ジャーナリストや研究者による気鋭の取材に期待するとともに、本人による自己分析をぜひとも聞きたいと思っています。

自分のしていることの意味を「理解していなかった」

と、以上で述べてきたのは貼り紙やネット投稿などをする前に立ち止まって考えなかったケースでしたが、別の視点として、”自粛警察”や地域活動中の人権侵害行為には、「世の中にうとい」ことが背景にあるケースが非常に多くみられます。自分のやっていることの意味を「考えなかった」のではなく、「分かっていなかった」のです。

緊急事態宣言の前後から、自粛警察が「あの店が休業していない」「公園で人が集まっている」などと警察に通報(?)したり、役所に苦情の電話をかけるという事例が多発しました。店への脅迫状にも、「(休業しなければ)警察を呼びます」といったものがみられました。

行政の仕組みをきちんと理解していれば、これらは荒唐無稽な行為だと分かります。明らかに取り締まりの対象でない110番通報に困った愛知県警が、「事件や事故への対応が遅れるおそれがあるため、緊急性を判断したうえで通報してほしい」と訴えたこともありました。

事実を述べれば、役所(=国や地方公共団体)や警察は、国民が主権者である我が国において、近代法のコントロール下で所定の職務を行う行政機関です。国民にとっての「お上」ではなく、「密告先」でもありません。江戸幕府が庶民(=被支配民)に課した密告型相互監視制度・五人組はもうなく、今日の役所や警察署は時代劇に出てくる奉行所でも徳川幕府でもないのに、脅迫文に「警察にいうぞ」などと書いた”自粛警察”の頭にあるのはそういう江戸時代の世界観のままなのです。

さらに、最近は行政機関を頼んだことをしてくれる「サービス」や「客商売」のようにとらえる人が出てきて、各所で問題となっています。今回の自粛警察の件でも、「あの店が営業している」とか「公園に人が集まっている」などと警察に通報(?)した人は「警察が取り締まってくれる」という勝手に抱いた期待を一方的に寄せていたようですが、この背景には「警察は要望をかなえてくれる」という勘違いした意識がみられます。事実は、行政機関は国民の要望を聞くどころか、どちらかといえば対立関係にある相手です。特に警察はそうで、誰かの思い通りに動くことはありません。ここでもやはり、世の中にうといために自分のやっていることの意味を分かっていなかったという問題点を指摘できます。

こうした自粛警察行為をした人は、もし「国家の仕組み」を正しく理解していたなら、自粛をしていないとみなした店舗や個人を通報するなどというのは完全に的外れだということに気づけたはずでした。

日ごろからオープンな心をもって社会についての知識を深めておくことが、突拍子のない行為で恥をかいたり問題を起こしたりするのを防止するのに有効だといえるでしょう。

偏狭で一方的な正義感

以上のように、自分のしていることの意味を「考えなかった」にせよ「理解していなかった」にせよ、”自粛警察”全般において原因となったのは、「自分は正しい」と信じて疑わない心理です。

「よかれと思って」やったというのは、新型コロナの自粛警察、地域活動中に人権侵害をした高齢者、ネット上で有名人の誹謗中傷をした人などに広く共通する特徴です。第三者から見ればひんしゅくものであり、被害者にとっては迷惑至極なのですが、本人は害をなしているどころか「正義」のつもりになっていたのです。

「自分(たち)は正しい」と信じ込めば、人はどこまでも暴走します。自分を省みることを忘れてしまうからです。

完ぺきな人間はいません。自粛警察行為におよんだ人は、「もしかしたら自分はまちがっているかもしれない」という考えを頭の片隅に置いておけば、どこかで立ち止まることができたはずでした。

思考不足の感もぬぐえません。「正義」はそんなに単純なものではないからです。

人類は、恐怖政治に陥った悲惨な過去を克服するため、緻密な制度を作り上げて強大な国家権力をコントロール下に置いてきました。それに引きかえ、”自粛警察”の思い描いた「正義」は子どものように直情的で陳腐です。彼らは、他人に命令する、他人の自由を制限する、人権を侵害することの重大さを認識できていませんでした。

自粛警察行為はどの罪にあたるのか

ここで、いわゆる自粛警察行為が刑法上どの罪にあたるのかを整理しておきます。

ネット上に「感染者がいるらしい」など誤った情報を書き込んで被害を与えたケースでは、すでに複数人が名誉棄損や偽計業務妨害罪で立件されています。

ほかにも、自粛するよう脅迫するのは強要罪や威力業務妨害罪にあたる可能性があります。逮捕された豊島区職員は、威力業務妨害の容疑でした。貼り紙などの行為は、様態によっては器物損壊にあたる可能性もあります。県外ナンバーの車への嫌がらせ事件では、器物損壊罪で有罪判決が出ています。人にものを投げつけるなどをすれば、暴行や傷害の罪に問われます。

このように、たとえ悪意はなかった場合でも、一線を踏み越えたならそれは正義どころか犯罪になってしまうのです。

正義感が強い性格の落とし穴

「”自粛警察”行為には、正義感が強く、まがったことが許せないタイプの人が走りやすい」という見方があります。

心理専門家からは、「自分は外出等を我慢しているのに、他の人が自分と同じようにしていないのが許せない」と、一方的な恨みや嫉妬心、不公平感を抱き、その怒りが爆発して自粛警察行為として表れているとの指摘があります。その背景には、予測できなかった危機的事態における生活の急変や、先が見えない不安感があるといいます。こうしたことを予防するためには、意識的にリラックスしてストレスを解消し、怒りの感情をコントロールすることなどが提案されています。

私はこの点でもやはり、感情論の暴走が気になりました。というのも、正義感というのは、なにも直接に感情論につながるわけではありません。冷静さがあれば、多角的に考えるうちにその恨みや嫉妬心、不公平感は一方的で、相手にとっては迷惑だと気づくことができたはずなのです。

本当の正義には、広い視野と深い知識、バランス感覚、そして冷静さが不可欠です。考えなければならないことが山ほどあるのです。”自粛警察”の「正義感」がどんなものかとみていけば、結局のところはただ感情を爆発させたにすぎませんでした。

どんな性格タイプにも、健全に発揮する可能性があれば、それ特有の「落とし穴」もあります。日ごろから自分がどういう性格なのかを知っておくこと、それを良い方向に発揮し、悪い方向に出ないよう知恵をつけておくのは、間違った方向に行くのを防ぐのに有効だといえるでしょう。

「協力」とカルトの心理

新型ウイルス感染拡大防止がテーマである”自粛警察”では、「協力」というマジックワードが感情論の暴走に拍車をかけていたように思います。

「協力」という標語は、次の一歩で「協力しない者は悪だ」に転化する危ういものです。エスカレートした人々が「自分(たち)は正しく、他はすべて悪である」というカルト宗教の心理に自らを追い込み、自分のアタマで冷静に考えることができない心理状態に陥っている様子が見て取れました。

「役に立つことをしている」との思い込み

以上のような「(まちがった)正義感」と重なり合い密接に関連しているのが、「人のため社会のために役立っている」という思い込みです。逮捕された豊島区職員は、「飲食店に行った客が街やスーパーを歩けば接触感染すると思った」旨の供述をしています。地域活動でトラブルを起こした高齢者も、しばしば「町会活動にやりがいを感じていた」「地域に携わるのが生きがいだった」などと話します。

彼らの「自分のしていることは社会のためになっている」という思いは、視野の狭い主観でしかありませんでした。実際には、役に立つどころか被害を与えていたのです。

歴史をふり返れば、人類の蛮行・愚行は、「人助け」や「社会貢献」をしていると思い込んだ人々によって行われてきました。かつて世界を血の海に変えた植民地主義・帝国主義、異なる文化の抹殺と支配、先住民の子どもの隔離政策などもそうです。彼らは、究極の自己満足によって、人間を破壊し、社会を破局させ、取り返しのつかないことをしてしまったのです。

「自分は人の役に立つことをしている」という主観は有害です。

次項で述べる通り、人間には「人の役に立ちたい」「社会に貢献したい」という本能があります。ただ、「役に立ちたい」気持ちと、「実際に役に立っているか」は別だということを頭に置かなければなりません。役に立とうとしてやったことで、人間を破壊し、社会を破局させることもある。もし本当に社会に貢献したいなら、自己満足ではなく、客観的にみて適切なことをしなければならないのです。

人の役に立ちたいという「本能」

人間は「社会的生き物」といわれます。本能的に、人から気に入られたい、承認されたい、集団に属して受け入れられたいという心理があります。この「社会的本能」は、日常的な友達付き合いなどをいうのではなく、もっとはるかに根源的な欲求です。人間は弱くもろい生物なので、団結して協力しなければ生存できないからです。

つまり、「人の役に立ちたい」という気持ちは、辺境の地で特殊な慈善活動に従事するような人だけではなく、何気なく暮らしているごく普通なおじさんおばさんや、自分に自信がないとうつむき加減の人などにも必ず備わっているのです。21世紀前半の日本では、社会活動に従事する人などを「意識高い」と言って後ろ指を指す人がみられますが、そういう人であれ、心の奥では社会貢献したい心理を持っていないわけではありません。外的要因によって、社会的本能がゆがんだ出方をしているだけなのです。

人類社会では、「人の役に立ちたい」「社会に貢献したい」という意志は、無条件に良いものとされがちです。実際、そういう意志がなければ人間はダメな方向に行って不正事件などにつながるのは事実です。

ただ、社会貢献したい心理がまちがったやり方で発揮されれば、悪しき「欲望」となるのもまた事実です。これが犯罪や戦争のもとになってきたのは先に指摘した通りです。

普段「あの人意識高い」などと言ってしらけたふりをしている人でさえ、ふとしたきっかけがあれば心の奥に抑圧されていた「役に立ちたい」本能が爆発しかねません。今の世にはツイッターでバッシングするなどという「手軽」な方法が用意されているので、思い立ったらその時に”自粛警察”の道に入れてしまうのです。実際、近年世界中で問題となっているヘイトスピーチ団体では、「こんな自分でも国の役に立てるんだと分かった」などと目を輝かせる人が少なくありません。

数知れぬ人が道を誤るきっかけとなってきた以上、人類は「人の役に立ちたい」欲求をコントロールする術を学習すべきです。

人にはそれぞれ個性=特徴があり、個性には必ず役立てる方法があります。日ごろから適度に適切に社会貢献して充実した生を送ることができれば、”自粛警察”などといったつまらない活動や人種差別を行うようなグループから遠ざかることができるでしょう。

おわりに

2020年、新型コロナという突発的な危機は、日本社会の深いところにあった問題を掘り起こし、白日の下にさらすきっかけとなりました。今回は、”自粛警察”について私が特に気になった点を指摘して結ぼうと思います。

まず一つは、自粛警察行為をした人の未熟さです。「警察を呼びます」という陳腐な言。いい歳の大人がすることではありません。体は大人になり、しわだらけになっても、心は「先生に言ってやる」の感覚のままで、学級会のようなせまい世界観を生きている。そういう人がこの社会に現存しているということが、今回の”コロナ禍”で明るみに出てきました。これをどうとらえどう対処すべきかは、今後に残された課題でしょう。

そしてもう一つは、江戸時代の密告社会が日本人の心理に残した傷の深さです。今回の新型ウイルスという危機に臨んでにじみ出たのが「江戸時代」だったのは、私にとって衝撃でした。

最後に、ここまではずっと自粛警察行為をした個人の側の原因をみてきましたが、「自粛警察」という独特な現象を生んだのは、もとはといえば「自粛要請」という日本政府の政策だったことを指摘したいと思います。法的拘束力を以て市民の行動を制限し、その補償をした諸外国と違って、強制力はないのに「お願いする」という形で無言のプレッシャーをかけ、誘導しようとする。この点は、江戸時代というより、戦前の「お国に協力しよう」の焼き直しだととらえられます。

ごく普通の庶民が「正義」の仮面をかぶったとたん豹変して暴力行為に及ぶ怖さが、新型コロナウイルスの機に露呈されました。2020年時点の日本の風景”自粛警察”――この失敗例から、我々は教訓を学ぶべきです。

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