マインドフルネス瞑想のやり方と効果と徒然

書籍やネットで頻繁に目にする「マインドフルネス」。ストレスへの対処をはじめ、ビジネスでの成功やリーダーシップ論、スポーツなどで注目されている概念です。

私は以前、自己肯定感についてショートエッセイ10話を書きました。今回は「マインドフルネス」とはどういうものなのか、そしてそれと関連して耳にする「瞑想」のやり方を整理したあと、私が大型書店をぶらついていた時のエピソードをまじえながら考えたことを徒然につづってみようと思います。

マインドフルネスとは?

マインドフルネスとは、「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」だと定義されています日本マインドフルネス学会設立趣旨)。

人の頭には前にあったことや先のことが次々浮かんでくるもので、それが日々の心配事やストレス、悩みにつながっています。そこで、過去や未来に関するモヤモヤを取り除いて「今、この瞬間」だけにフォーカスし、自己をただ観察するというのがマインドフルネス。端的に言うならば、「頭をクリアにする方法」といえるでしょう。

マインドフルネスの効果としては、ストレスの管理をはじめ、心身の健康増進、自己成長、人間関係の改善などが挙げられています。一時的なリラックス効果だけでなく、もっと継続的に、ストレスマネジメントの上手な人に成長することを目指すプログラムといえます。

前述の定義を引用した日本マインドフルネス協会は、瞑想の実践や研究を行ってきた心理学・精神医学・宗教の専門家を中心とした団体です。他にマインドフルネスが扱われている場としては、自己啓発やリーダーシップ論といったビジネス書や、企業内部の人間関係に関するコンサルティング・社内研修などを請け負っている会社・団体が多くみられます。あるいは、スポーツのメンタルコーチやヨガ教室などで言及されることもあるようです。

自己啓発やリーダーシップ論で「マインドフルネス」が盛んになった背景には、米Apple創業者・スティーブ・ジョブズの存在があります。かの成功者スティーブ・ジョブズが日本の禅に深い関心を持ち、瞑想を実践していたことが世に知れると、アメリカのビジネス界では一挙に瞑想ブームが巻き起こりました。マインドフルネス瞑想は、Google社内で作られた研修プログラムがビジネス書に書籍化されたことで注目を集めているようです。

「瞑想」などというと、なんだかあやしくないかと心配になったり、個性や価値観によってはそれだけで顔をそむけるかもしれません。自己啓発は、もとより悪質な業者とのトラブルがある分野だからです。なので気になるその点について、少々解説を付け足しておこうと思います。

いわゆるマインドフルネスの由来をたどっていくと、もとは脳科学の研究に行きつきます。前述したシリコンバレーの瞑想ブームより前から、脳科学という分野では座禅している僧侶の脳波を計測するなどの研究は普通に行われていました。その研究の一部を一般向けに広めたのが、今日よく目にするマインドフルネスです。もちろん内面に関わることなのでなかにはスピリチュアルにとらえる人もいるようですが、次に述べる通り、内容はいたってシンプルです。団体に所属したりセミナーに参加しなければできない性質のものではありません。

「マインドフルネス瞑想」のやり方

「マインドフルネス瞑想」の具体的なやり方は以下になります。

  1. 背筋を伸ばしていすに座る。目を軽く閉じるか、視線をななめ前に落とす。
  2. 自然に呼吸して、呼吸に注意を向ける。呼吸をコントロールしたり特別な呼吸法をする必要はなく、あくまで自然に。息を吸った時には、お腹や胸がふくらむのを感じる。吐いた時には、おなかや胸がゆるんで縮むのを感じる。
  3. 何かが思い浮かんできて注意がそれたことに気づいたら、注意をまた呼吸に戻す。

最初は5~10分くらいやってみるといいといわれています。

頭と心をクリアに。

なお、瞑想といえば「雑念がわいてくる」のが問題となりがちですが、その実践において雑念は悪いものとは考えられていません。「そうだ、あとで○○さんにメールしなきゃ」であれ「昨日○○からかかってきた電話は腹立ったなぁ」であれ、何か考えが浮かんできた、その状態を客観的に観察するのが瞑想の目的だからです。むしろ、「雑念がわいてきたからまだまだダメなんだ」と考えるなら、それは良い悪いの「評価を下す」ことなので本来の目的からそれてしまいます。マインドフルネス瞑想は、あるがままの自己の状態を客観化する方法といえるでしょう。

「書く瞑想」とは?

上記の「呼吸の瞑想」はいかにもそれらしいメソッドですが、「座って目を閉じて精神集中」という形をとらないやり方もあります。「書く瞑想」です。

「書く瞑想」は「頭で考えず手を動かす」ワークのことで、「ジャーナリング」とも呼ばれます。

具体的には、今日うれしい気分になったこと、誰かに対する感情など何かテーマを決めて、「文章を書こう」と気張ることなく、手を先に動かして頭に浮かんできた言葉をただ書いていくのが「書く瞑想」のやり方です。書き終わってふり返れば、紙に自分の今の状態が可視化されているので、自分の考えや気持ち、価値観などを客観的に見ることができるのです。大学生がよく行う「自己分析」に近いといえるかもしれません。

医学研究において、「書く瞑想」には、健康面ではストレス緩和だけでなく免疫、肺、肝臓をはじめとする身体機能の改善、社会的な面では他者との交流やコミュニケーションの改善といった効果があるとされています。

――私がこの「書く瞑想」を知ったのは、丸善の手帳売り場をうろうろしていて「マインドフルネスダイアリー」たるものを見かけ、手に取った時でした。

マインドフルネス徒然

丸善の手帳売り場で「これに沿っていけば1年間マインドフルネスを実践できる」手帳にパラパラと目を通した私は、よし、来年はこれをやるぞとレジに持って……は行かず、ワゴンに戻してしまいました。

なぜでしょう。ここからは、私が大型書店を棚から棚へ歩きまわって感じたことや、そこから考えたことを、徒然なるままにつづっていこうと思います。

私の自己啓発観

マインドフルネスに対する私の立場は、言ってしまえば「中立」です。

「マインドフルネス瞑想ってすごいよ!」と(間接的に)宣伝して回るでなければ、「あんなのウソだ」「効果はない」と辛口批判を突きつけようとも思いません。渇望する何かをつかむためにメソッドをコツコツと続けている人に向かって「やめたほうがいいよ」と冷や水を浴びせる気もありません。私が中立の立場を選ぶのは、文士というのは流行から常に一定の距離をとっているべきだし、またその自律性・独立性がなければ論評にも学問にもならないからです。

マインドフルネスの本やブーム自体を客観的に観察・分析して、私はそれをどう見たかを記していく。それが私のスタイルです。

さて、一体どうすれば仕事がうまくいくんだろう? 人間にとって、ビジネス(=お金)や人間関係は永遠のテーマです。知りたい人が大勢いるのに応じて、丸善にはビジネス書の棚がズラズラ並んでワンフロアを埋め尽くし、ネット上には何年かかっても読み切れないほどのコンテンツが浮遊しています。

私は、仕事で成功するためには、良いマインドは絶対に必要だと考えています。そのことは以前自己肯定感について書いた時に話しました。

参考:自己肯定感を高める方法を探すあなたへの10話

そう確信してはいるのですが、私は自己啓発本の類は前々から読まず、セミナーにも参加したことはないんですよ。マインドフルネスをテーマにした手帳もパフッとワゴンに戻してしまったのは前述の通り。

私は丸善で別のスケジュール帳と大正デモクラシーに関する資料をバッグに収め、帰路の電車にゆられていました。

結局のところ、自分の頭で考えるのがいちばん効果的なんだよな。

怒涛の情報が猛スピードで走り抜ける現代社会。我々は日々人心をひくキャッチフレーズに吹きつけられていますが、心の奥にたたずむ本当の自分の声は、きっとそう語りかけると思います。

マインドフルネスの研修プログラムをつくった人には、その人の思考の枠組みがあります。その人にはその人をとりまく環境やコミュニティ、それまでの人生がある。個人的な事情もあるでしょう。自分はそれとはまったく別の人生を送ってきたのだから、両者の間に齟齬が生じるのは避けられません。

かれこれ15年、私は歌を趣味に発声練習をしてきました。なので呼吸に関することならあれだこれだと長年取り組んできたわけだし、フィットネスでのヨガでも「呼吸を観る」「体と心の状態を確かめる」というのは出てきます。また「書く瞑想」といいますが、私はノートの端に思い浮かんできた言葉をメモしてまとめあげる作詞を、すでに膨大な量やってきました(作品は音楽作品のページ参照)。

私がやってきたことは、自己啓発本を書いたり講座を開いたりしている人たちの言う「マインドフルネス」と部分的に重なるとは思います。しかし、私がそれに「マインドフルネス」という語をあてることはありません。私には私の言語体系があるからです。

アメリカン自己啓発と大正文化と私

書店で平積みになっているマインドフルネスの研修プログラム「Search Inside Yourself」ですが、あれを開発したのはGoogle社内で働くエンジニアでした。

アメリカといえば、世界的な起業大国。既存の会社ありきの発想が深く根を下ろした企業中心社会・日本とは正反対に、なにもない大地に立って、さあ、ここで新しい生活を始めるぞ、というフロンティアスピリットを原動力に動くお国柄です。

だからアメリカ人は、「仕事」の発想自体が根本的に違うんですよね。ほんの一例ですが、私は前に「海外のYouTuberは起業家、日本のYouTuberは芸能人」という指摘をしました。

参考:YouTuberの行く末~問題とその後を考える

等身大で裏表がなく、オープンでさっぱりした性格。やればできると精神論を叫ぶのではなく、成功だけを目的にすえていながら、地に足がついていて案外カネ至上主義ではなかったりする。起業大国の成功者が語るビジネスの方法論は、合理的で現実的です。ビジネスは、ビジネスパーソンはこうでなければと、私はいつも開眼させられます。

ただ、自己啓発の方向となると、私はアメリカのそれとはどうもソリが合わないんですよね。

その理由をひもとくには、ビジネスではなく、文化や歴史の知識体系が有効です。アメリカン自己啓発が私の肌にしっくりこないのは、アメリカと日本、それぞれの抱える複雑な文化的・歴史的背景が、さらに互いにからみ合っているからなのだと思います。

まずアメリカのほうは、世界各地から移民が集まって建国された、いわゆる新しい国です。ただ「なにもない大地」というのは幻想で、実際には「建国」以前よりネイティブアメリカンの人々が暮らしていました。そういった歴史から今日のアメリカには独特な思想・文化的風土ができあがり、むずかしい国内情勢が人々を悩ませています。

それゆえか、アメリカ人は物事に行き詰まると、外国の目新しいコンテンツに黄色い声をあげたりするんですよね。1920年代には「モンロー主義」、近年では「アメリカファースト」などと言い出すのからすれば意外な横顔です。歴史の浅い自分たちにはない叡智を発見したような気がするのでしょう。そしてアメリカ人が飛びついたコンテンツは、いつもアメリカの独特な思想・文化的風土にローカライズされて受容されます。アメリカン自己啓発は、こうして生まれるわけです。

スティーブ・ジョブズをアイコンとした米ビジネス界の「Zen(禅)」ブームは、まさにこうして醸造されたアメリカン自己啓発でした。ブームからというもの、アメリカで「Zen」のイメージといえば絶対出てくるのがコレ。ちょうど私が撮影した写真があるのでお見せしますね……。

「禅」の象徴……?

うーん……。禅のイメージとして間違っているわけではないし(この積み石を撮影したのは禅寺でした)、1930年代ではあるまいし日本の禅をゆがめるなと偏狭なナショナリズムをふりかざすつもりもないけれど(だいたいそんな説教をたれるほど禅にくわしくない)、やっぱりチョットずれてるんですよね。

このように、もとが「まね」の自己啓発は、いくらリッチな装丁、上質な紙に脳科学研究のグラフを載せたところで、表面的な感はぬぐえません。

ではアメリカと反対に歴史の古い日本はというと、こっちはこっちで、明治に萌芽し大正に全盛を迎えた「キッチュ文化」というミョーな文脈があるんですよね。

「キッチュ」とは、ドイツ語で「まがいもの」「模造品」という意味です。これについてはとてもこの場で論じきれるテーマではなく、後に十分な紙を割く機会があるでしょうが、戦前から戦後にかけて、日本では「欧米の最新トレンド」をまねするのがステータスシンボルだったり、エリート意識の源だったり、はたまた大衆文化での流行だったりする時代が続きました。

そんなキッチュ文化を象徴するのは、宝塚歌劇団だといわれています。……つまり今となってはすっかり「レトロ」なのですが、実はこうした大正の”モボ/モガ”の流れをくむ人は、日本社会に今でもわずかながら残っているんですよ。

私はこのエッセイを思いついてから丸善のマインドフルネス界隈をあらためて見て回ったのですが、メソッド本の著者紹介ページを開いてみれば、「宝塚」の残り香がふわりと立ちのぼる人がちらりほらり。アメリカで流行っているものを日本に持ち帰ることで、自分こそは最先端を行くスーパーエリートだと信じ込んでしまう――そういう胸の張り方をして鼻高々な顔写真と目が合ったものです。

アメリカ人がよその国からまねして作った自己啓発メソッドが、いまや日本人にとってもリアリティのない「キッチュ文化=欧米のまね」という文脈に置かれる。これはたとえるなら、忍者にハマったアメリカ人がハリウッドで、衣装は忍者、中身はスパイダーマンそっくりなニンジャ映画を制作したら大ヒット、そうしたら今度は日本人が「これが世界の最先端だ!」と飛びついてスパイダーマンぽいニンジャの映画を作りました、みたいなものなんですよね。だからもうなんだかよくわからんものができあがってしまう。こうした二重の「まね」が、私がアメリカン自己啓発とソリが合わない原因ではないかと思います。

私は自己啓発の類を否定する気はありません。むしろ、新しい情報にオープンであること、自己としっかり向き合うことは大切だと思っています。

ただそれは、あくまで自分が主体的に行うこと。ビジネス書やセミナー講師に盲目的についていくのではなく、相手がどういう人なのか意識することは、万人に強くすすめられると思います。

こんな人はこれはやらないで!

そう、メソッドは取捨選択が大事なんですよ。個性や事情は人それぞれ。どうしても合う合わないが出てきます。

再び赴いた丸善のマインドフルネス界隈をうろついていて、私は一点「これだけは」と世に注意喚起したくなったことがあります。

それは、「過去にトラウマがある人はちょっと待って!」ということ。

子どものころ親から暴力をふるわれていた、犯罪の被害に遭ったなどの経験がある人は、マインドフルネス関連の本を立ち読みして違和感があったり、瞑想などを実践して不調を感じたという場合には、決して無理することなく、いったん冷静に立ち止まってほしいと思います。

つらい過去の先を生きている人にとって、マインドフルネスには心をひかれる要素があるかもしれません。なぜなら「過去からの解放」が大きな関心事だから。もしかしたら苦しみからぬけ出す知恵がこのなかに……と期待して本棚に手を伸ばす気持ちは分かります。

しかし、自己啓発本の著者というのは、一定範囲の読者層を想定しています。不特定多数に向けて書く以上、大なり小なり最大公約数的な一般論におさめなければならないという事情も抱えています。

マインドフルネスブームは、まずベースがビジネス向けなんですよね。本やセミナーを主催する団体のうたい文句に注目すれば、「Google本社で開発されたプログラム」「Facebookやフォードなどで採用」と大企業の名がズラズラと羅列されています。私が書店やネットを見て回った調査結果によれば、想定読者はたいてい「課の人間関係を改善したい管理職」や「社内で昇進したいと思っている20~30代」といったところでしょうか。マインドフルネスの効果として「心的外傷の緩和」が挙げられていることはあるのですが、昨今の瞑想ブームは基本ビジネス向けで、トラウマがある人を想定したものではないのです。

そこにもってきて一口に「つらい過去」といっても、くわしい事情は一人ひとり違います。なので、一般向けに書かれたメソッドは、ある人にとっては心のたんこぶをなだめる薬となったとしても、別の人にとっては古傷に激痛を走らせる毒薬になりかねません。

私がとりわけ「これはちょっと」と首をひねったのが、「慈悲の瞑想」です。これは「自分や他人の幸せを願う文言を心の中で唱える」という瞑想のやり方で、由来をたどれば仏教の修行にあったものなのですが、シリコンバレーのZenブームによって近年ビジネスや心理関連で取り上げられるようになりました。

マインドフルネス関連の本でも「慈悲の瞑想」で唱える定式化された文言が載っていて、その一部に「嫌いな人の幸せを願う」というのがあるのですが、これ、すごーくうすーくのばした一般論なのがわかるでしょうか?

というのも、「嫌いな人」と言われて誰を連想するかは、人によって全然違うんですよ。たとえばセミナー会場でレクチャーの後、「ではやってみましょう」ということになったとします。ある参加者が思い浮かべたのは、「ひねた性格だった元担任の佐藤先生」……誰? と我々からはうかがい知れない人物かもしれないし、隣の人は「トランプ大統領」だったかもしれない。嫌いだけど幸せを願う相手がこの程度の人物だったら害はありません。ところが心的外傷のある人だったらどうでしょう。「嫌いな人」と言われたら即「子どものころ自分の体を触った父親」の顔、そしてその時の光景が浮かぶ人は、心の悲鳴を押し殺してこのメソッドを断行すれば、精神状態を著しく悪化させかねません。

すべてのメソッドには、人によって向き不向きがあります。万人向けのメソッドはこの世に存在し得ません。

これを読んでいるあなたがもし「マインドフルネス本を買ってみたけどなんとなく自分に合わない」「瞑想をやるとなんかいやな気分になる」などと感じたなら、立ち止まってその理由を考え、取捨選択にのぞんで「捨」を選んでほしいと思います。

人生で不要な迷路に迷い込み、無用な苦しみを背負わないために。自己啓発はあくまで「道具」にすぎず、それをやる義務などどこにもないということを覚えておいてください。

結びに―主体的実践のなかにあり

先日、母が押し入れの奥を整理していた時のことです。

部屋に出され山積みされた掃除グッズや衣料品。私がつま先立ちで通ろうとすると、ふと、表紙のひしゃげた本が下敷きになっているのが目にとまりました。「あっ、大事な本だったら大変だ」と私があわてて引き抜くと、その折れた表紙にはスポーツトレーナーの女性がでかでかと載っていて、「やせる」「お腹が引っ込む」といった文句がズラリ。5年くらい前に流行った、某オリジナル骨盤ストレッチのメソッド本だったのです。そういえば、たしか母の知人が講座を受けているから話のタネにとかなんとかで、アマゾン注文を頼まれたような記憶が……。しかし、すでに街から消えた昔の健康法は、痛々しくて、今ではもう見られたものではありませんでした。私が「○○はもういいよね」とかざして見せると、母は「○○はいらない」と苦笑い。こうして5年前のブームは、可燃ゴミの袋にほうりこまれたのでした。

メソッドには流行り廃りがあります。ワッと世に広まっては忘れられていく。ちょっと考えてみてください。5年前に平積みされていたビジネス書を、あなたは思い出せますか?

いわゆるマインドフルネスの元ネタは、脳科学や心理学の研究です。なので、こうした分野の研究者たちは研究室へ帰り、これからもお坊さんの脳波測定などを着々と続けるでしょう。一方で世間のブームは去り、いつしか押し入れの奥につめこまれ、忘れられ、色あせていくのでしょう。

では、時を経ても変わらぬものは何なのでしょうか。

人間には常に課題があります。過去から未来まで、一生を何の心配事もなくのびのびと生きられればよいのですが、現実には必ず不足が、体の痛みが、心の苦しみがあるからです。人はこうして、不足と苦痛からの解放を、幸せを求めるのです。

もしいつまでも若々しく健康で過ごしたい、腰の痛みを取り除きたいと願うなら、骨格のバランスは重要です。5年前のブームがどうあれ、ストレッチ法としてまちがっていないなら大なり小なり骨を整える効果はあります。今後どんなストレッチがブームになるかは分かりませんが、骨格バランスの大切さを理解している人なら、みなある程度はうなずけるはずなのです。

仕事で成功したいという願望もこれと同じです。それを何と呼ぶにせよ、「頭と心がスッキリした状態」が成功につながるのは明らかじゃないですか。余計な心配事を取り払って目の前の仕事に集中できたら、モチベーションを保てれば、クリアなビジョンを描けたら、それが成功への助けになるのは合理的な帰結です。

スタートラインは、自分の体系です。これだと決めた目標へ一歩一歩実践を重ねていくなかで、必要性の出てきた知識を探しては吸収し、自分流のスタイルを最適化していく――マインドフルネス瞑想にヒントを見出す人もいれば、発見はなかったと書店の棚に戻す人もいるでしょうが、どちらにせよ、今後どんなメソッドが世に出てきたとしても、主体的でバランスのとれた心はいつも忘れないでいたいものです。

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参考リンク

NHK健康チャンネル:「マインドフルネス」とは?めい想の方法・効果と「呼吸のめい想」のやり方

日本マインドフルネス学会

一般社団法人マインドフルリーダーシップインスティテュート(筆者注:セミナー等主催団体。)