年齢で追う尾田栄一郎さんの経歴と『ワンピース』の歴史

先日『ONE PIECE FILM RED』の映画レビューを執筆した際には、読者から大きな反響をいただいた。今回は、その時にも少々触れた『ワンピース』の作者・尾田栄一郎さんの経歴、そして変化を、年齢を追う形で全てまとめたいと思う。

様々な事情を考慮した結果、本稿では筆者の主観は最小限にとどめ、事実を淡々と記述していくことにした。どういうことに何を思うか、また、どういう部分が情報として有益かは読者によって千差万別だと見越されるので、それぞれ自由に読んでもらえればと思う。

(※以下には、『ワンピース』の作品紹介と、世界設定・キャラクター設定への言及、セリフやコマの引用があります。ストーリーの展開は記載していません。『FILM RED』については核心に言及しています。なお、本稿はマンガ家の生い立ちやバックグラウンド、創作環境、創作姿勢やその変化を追った話なので、ファンの方はもちろん、作品の中身を全く知らない方でも支障なく読むことができます。)

(※最新:ハリウッド実写版の公開、『フィルムレッド』の再上映、人気マンガ『ブラッククローバー』の連載移籍について「乱調だった48歳の一年」の項に書き下ろしました。また、熊本県民栄誉賞について、法的・社会的な論点と解説を追記しました。)

目次

年齢順でみる尾田栄一郎さんの経歴

生まれ・生い立ち

尾田栄一郎さんは、1975年1月1日、熊本県熊本市に生まれた。2024年現在の年齢は、49歳である。

夢はマンガ家

尾田さんは子どもの頃からマンガが好きで、『北斗の拳』『キャプテン翼』など数多くの作品を読んで育った。なかでも中心的だったのは「週刊少年ジャンプ」(以下「ジャンプ」とも)のマンガで、『ドラゴンボール』作者の鳥山明さんをとても尊敬していると様々な機会に話している。

マンガ家になると決めたのは、この世にマンガ家という職業があると知った4歳のころで、本格的に描き始めたのは中二くらいだという(『ONE PIECE』4巻「SBS」)。

落語、時代劇、任侠映画。「昭和の娯楽」という一風変わった趣味

そんな子ども時代には、マンガ以外にも好きなものがあった。尾田さんは、小さいころから落語、漫才、時代劇、任侠映画の大ファンとして知られている。

スタジオジブリの鈴木敏夫さんとのラジオトークでは、

大元をたどって行くと落語とか漫才なんですが、子供の頃から古いものばかり見聞きしていて。(中略)少しヘンな子供だったかも知れないですね。

と答えている。また、このトーク内で担当編集者(当時)の大西さんは、マンガ家になる人はマンガを読んで育った人が多いという受け答えに対して、

でも、やっぱりそうじゃない人の方が売れるんです。何らかのオリジナリティが出せないと、尾田さんのようにガーンとは行かないですね。

と評している。(『ONE PIECE BLUE DEEP CHARACTERS WORLD』260 – 264頁)

確かに、落語や漫才、時代劇、任侠映画が好きな小中学生は大変少ないので、一風変わった文化的バックグラウンドを持っているとはいえる。

他方、見方を変えれば、それらとマンガは全て「大衆娯楽」の範囲内でもある。

さらに、古典落語や時代劇には、身分の差(=人間の存在価値の差)を前提とした表現や、様々な人に対する差別表現が、普通のこととして断りなく出てくる。たとえば、武士の間には生まれながらに上下があり、下の人は上の人にひれ伏したり、敬語でしゃべったりする。代表的な古典落語『寿限無(じゅげむ)』の冒頭の句は、「初めての男の子が生まれて大喜びの父ッつァん」である。子どものころから落語や時代劇ばかりを見聞きしていたということは、十分な知識や判断力がないうちから、そのような情報を大量摂取していたことになる。

高校から大学時代

高校在学中、尾田さんは「週刊少年ジャンプ」の第44回手塚賞に短編作品『WANTED!』で準入選を果たした。当時から賞金首や賞金稼ぎといった世界観を描いている。

さらに翌1993年には、第104回ホップ☆ステップ賞に『一鬼夜行』で入選している。

高校時代にはサッカー部に入っていた。この経験から、2002年に『ONE PIECE 珍獣島のチョッパー王国』と同時上映された短編映画『夢のサッカー王!』では、尾田さんを模した「オダッチ」というキャラが登場してチーム「悪役オールスターズ」に参加し、本人がその声を演じた。母校である東海大学付属熊本星翔高等学校には、卒業生としてメッセージを寄せている。

大学は1年で中退し(19巻「SBS」)、マンガ家を目指して上京した。

アシスタント経験と読み切り作品の発表

上京後、尾田さんは3人のマンガ家のもとでアシスタントを務めた。

アシスタントをした作品は、甲斐谷忍さんの『翠山ポリスギャング』、徳弘正也さんの『ジャングルの王者ターちゃん』『水のともだちカッパーマン』、和月信宏さんの『るろうに剣心』である。3人のことはマンガ家としても人間としても尊敬していると話しており、作風には様々な影響がみられる。

アシスタントをするかたわら、「ジャンプ」系列誌に読み切り作品『MONSTERS』『ROMANCE DAWN』を発表した。この『ROMANCE DAWN』は『ONE PIECE』の原型となる。

22歳、『ワンピース』で連載デビュー

1997年、尾田栄一郎さんは22歳の時に「週刊少年ジャンプ」で『ワンピース』の連載を開始した。これが連載第1作目である。

尾田さんは、『ワンピース』は本当は5年で終了する予定だったといい、最終章の盛り上がりとラストは始めから頭にあると、単行本やインタビュー等で繰り返し述べている。

作品紹介

『ワンピース』は、“ゴムゴムの実”を食べてゴム人間となった少年・ルフィが、海賊王を目指して仲間たちと世界の海を冒険する物語だ。

尾田栄一郎のONE PIECEのコミックス3冊
左が第1巻。すべてはここから始まった。

ルフィが目指すことは二つある。一つは、海賊王ゴールド・ロジャーが遺した“ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)”を見つけて海賊王になること。そしてもう一つは、子どものころ自分をかばって片腕を失った大海賊・シャンクスが預けてくれた麦わら帽子を返しに行くことだ。

ルフィが船出するシーンの「海賊王におれはなる!!!」というセリフは有名である。シャンクスから預かった麦わら帽子はルフィのトレードマークとなり、作品を象徴するアイコンの一つにもなっている。

作風の特徴

少年マンガらしさとユニークさ

仲間との友情や戦いでの勝利が描かれる、少年マンガらしい作風である。この作品では恋愛は描かないと、尾田さんは単行本やインタビュー等で繰り返し発言している。

一方、ユニークなところもある。任侠映画の影響で、「仁義」など、普通の少年マンガにはないようなキャラクターや価値観が描かれている点だ。一部のキャラクターには、落語の登場人物名や、任侠映画スターの顔が使われている。

精巧さと重厚感

『ワンピース』は、ルフィ海賊団が愉快に冒険しているストーリーに見えるが、実はそれだけではない。この作中世界には数々の謎があり、綿密に伏線が貼りめぐらされ、過去900年以上にわたる壮大な物語が形作られているのである。

第一に、海賊王ゴールド・ロジャーが遺した“ひとつなぎの大秘宝”とは一体何なのか、それは物語が始まった時からずっと謎のままである。

また、作中世界の歴史には、記録や文献が一切残っておらず、何があったのかを誰も知らない時代がある。その時代は“空白の百年”と呼ばれ、世界の最高権力である“世界政府”は、その歴史を探ることを違法として固く禁じている。

このように興味をそそられる謎が散りばめられているため、『ワンピース』には、伏線を読み解こうとコマの細部まで目を凝らし、他のマンガでは類を見ないほど深く読み込む特別熱心なファン層が形成されている。

物語の核心だけでない。本作には、雑学も豊富に盛り込まれている。海洋冒険ものであるため、特に科学や気象に関するものが多い。ファンサイトの中には、作中に登場する科学が現実に可能かどうかを検証するものも存在していた。

『ワンピース』の精巧さと重厚感は、尾田栄一郎といえば「天才マンガ家」「頭がいい人」という印象の源泉になっている。世の人が「マンガ家は頭がいい」と言う時のマンガ家像を体現したような人物といえるだろう。

女性キャラクターの内面描写

メインであるルフィ海賊団の女性キャラクター、ナミとロビンは、それぞれ自分の夢を持ち、過去に大事な人がおり、辛い体験を生き抜いた末に冒険の海へ出るまでが描かれている。これらの点で男性キャラと違いはない。

小説の書き方のテキストでは、しばしば、男性作家にはヒロインを理想化して描いてしまう人が多く、女性読者から「こんな女いない」と言われると注意書きがある。少年マンガでも、見た目は魅力的だが思考に現実味のないヒロインが登場することは多い。

その点で、『ワンピース』の主要な女性キャラクターの内面描写はリアリティがあるほうといえるだろう。後述する通り、とりわけロビンの人生には、性別に関わらず幅広い読者から共感が集まっている。

他方、脇役には、リアリティのない女性キャラクターが散見される。具体的には、男性が男性であることをうらやましがっているとか、いいかげんな男性をひたすら待ち続けてそれに満足している、といった女性だ。尾田さんがリアリティのない女性キャラを描くときには、かなり独特なクセがあるといえるだろう。

底ぬけの明るさ

本作はストーリーマンガだが、作風は底抜けに明るい。時にはギャグマンガと見まがうほど、笑いの要素が多く出てくる。

その笑いは、ルフィたちのバカバカしいやりとりやダジャレなど、軽く笑えるものである。風刺や皮肉といったシリアスな含意はない。

作者・尾田さんの「遊び心」

底抜けに明るい作風とともに、『ワンピース』にはマンガ=絵であることを生かした尾田さんの「遊び心」がたくさん散りばめられている。

たとえば、背景の群衆には「パンダマン」というキャラクターがまぎれていることがある。

ONE PIECEのパンダマンを赤い矢印で指して説明
(単行本5巻、第44話 ”三人のコック”より)

このパンダマンは全編に描かれており、ストーリー本編とは関係なく、絵本のようにパンダマンを探して遊ぶことができる。

普通なら背景にすぎない群衆には、他にも遊び心が盛り込まれている。人々のTシャツには、彼らの心情だったり、同じコマのセリフが字で書かれていることがある。

ONE PIECEの魚人島の逃げ惑う群衆のコマで赤い矢印がTシャツを指している
(単行本65巻、第644話 ”ゼロに”より)

町の風景に同じ人が何度か登場して、笑えるショートストーリーが展開することもある。ふきだしの文を追って読むだけでなく、絵でも遊んで楽しめるのである。

また、コミックス冒頭の作者紹介欄には、多くの巻でダジャレや一発ギャグを書いている。

こういった遊び心も、メッセージ性があるようなものではなく、シンプルな笑いや楽しみである。

読者との関係・作家としてのスタンス

尾田さんは、単行本に「質問コーナーSBS」を設けて、読者からの様々な質問に答えたり、ツッコミを入れたりしている。

また、「ウソップギャラリー海賊団」というイラストコーナーもあり、読者の投稿イラストを掲載している。マンガ家の中には、作家性が強く、単行本には自分の著作物以外載せないというスタンスの人もいるというが、尾田さんはそうではない。

読者がキャラクターをどんなふうに見て楽しむかは一切気にしないといい、「SBS」では

(前略)師匠の教えですが、「漫画の世界」は商品で、買ってくれたものにとやかく言うのはプロのやる事じゃない。僕も同感です。自由に解釈し妄想し、好きに楽しんでください。読んで貰えてるだけで幸せです。

と答えている(82巻)。

「少年ジャンプ」の特徴―アンケート至上主義

「週刊少年ジャンプ」の読者は小中学生が中心といわれる。が、代表的なマンガ誌として読者層は幅広く、電車の中で大人が読んでいることは決してめずらしくない。これまでに、『ドラゴンボール』をはじめ、数々の人気マンガを輩出してきた。

ただ、この雑誌は、他のマンガ誌とは毛色の違う、厳しい「アンケート至上主義」で知られている。読者アンケートの結果だけを基準とし、人気のない作品は、たとえ出来が良く将来性があっても打ち切りにする方針をとっているのだ。単行本3冊足らずで打ち切りとなる作品は常時出ており、作品の入れ替わりは激しい。

つまり、連載前の時点では、尾田さんがいくら綿密に『ワンピース』の世界やストーリー展開を練っておいたところで、たった半年後には打ち切りになり、全てが無駄になってしまう可能性もあったということになる。

ルフィと重なる、マンガ家という厳しい道

たとえそんなシビアな「少年ジャンプ」でなくても、マンガ家という道が厳しいということは、もはや誰にとっても自明だろう。

まず第一に、なるまでが大変だ。なりたいからといって、なれる保証はどこにもない。どれだけ時間を割き、どんなに練習したところで、だ。マンガ家を目指すと決めたら、デビューすることが最大の夢であり、目標になる。

仮に新人賞などの狭き門を通れたとしても、その後は大変だ。心を込めてペンを入れた作品が人気になるかは、やってみるまで分からない。マンガ家は、連載など発表の場を失えば、仕事がなくなってしまう。たとえ生活に困り、ペンを折ると断腸の決断をしたところで、ならば他の仕事にありつけるかどうか、それもむずかしい。マンガ家は、安定した職業からはほど遠い。

十代の尾田さんは、1980~90年代初頭という時代に、マンガ家の道が厳しいことを分かった上でそれを目標として定め、実際に努力を重ねた末、22歳でついに連載デビューを果たした。

『ONE PIECE』連載初期には、ルフィが海賊王を目指す覚悟を語るシーンがよく出てくる。

ONE PIECEでルフィが麦わら帽子を握ってコビーに覚悟を語るコマ
(単行本1巻、第2話 ”その男”麦わらのルフィ””より)

その強い信念にはハッとさせるものがある。夢のために命がけで戦うルフィは、マンガ家になると決めた尾田さん自身と重なり合っているかのようである。

アニメ化―マンガとしての成功

そんなシビアな世界で、『ワンピース』は読者の心をつかみ、人気作となっていく。

1998年には、初めてオリジナルアニメ『ONE PIECE 倒せ!海賊ギャンザック』が製作され、ジャンプ誌のイベントで放映。監督を務めた谷口悟朗さんは、これが監督デビュー作だった。

そして翌1999年、尾田さんが24歳の時に、『ワンピース』のテレビアニメが放送開始となった。マンガは人気が出るとアニメ化されるのが通例となっているので、同作は成功したといえる。アニメ製作は東映アニメーション、放送はフジテレビ系列である。

東映アニメーションのバックグラウンド―スタジオジブリとのつながり

東映アニメーションは、その名の通り映画会社・東映の子会社である。『プリキュア』シリーズ、『ドラゴンボール』シリーズ、『おしりたんてい』、『釣りバカ日誌』、3D作品など、ジャンルや対象年齢、作風にとらわれず幅広いアニメを製作してきた。

かつては、後にアニメ業界を引っ張る面々が在籍し、1960年代に労使対立をきっかけとして独立していった。その中には、『平成狸合戦ぽんぽこ』の高畑勲さん、『となりのトトロ』『千と千尋の神隠し』の宮崎駿さんも含まれる。東映アニメーション(旧・東映動画)は、スタジオジブリの源流なのである。

親会社である東映は、昭和期、尾田さんが愛好する時代劇や任侠映画を製作して、大衆から人気を博した。

マンガの枠を越えた巨大なフランチャイズへ

アニメ化に続き、2000年には初めて映画化された。タイトルは『ONE PIECE』で、尺は51分足らずのオリジナルストーリーだ。監督は、『倒せ!海賊ギャンザック』の谷口悟朗さんではなく、新たに志水淳児さんが務めた。劇場アニメシリーズというと、『ドラえもん』の映画では芝山努さんが22作、『劇場版ポケットモンスター』では湯山邦彦さんが20作連続でメガホンをとったが、ワンピース映画の監督は固定されず、作品ごとにそのつど決まるスタイルになった。

また同年には、ワンダースワンで初のゲーム化もなされた。今日までには、据え置き機での大作アクションから手軽なスマホアプリまで、30本を越えるゲームが出ている。

グッズの展開も盛んだ。お菓子や文房具から、おもちゃにガシャポン、Tシャツやアクセサリーなどファッションアイテム、通向けのフィギュアまで、町にはありとあらゆる商品が並んでいる。有名ブランドとのコラボもなされている。私も一つだが、コラボグッズを当ブログで扱ったことがある。

リンク:【レビュー】リスペクトが行き届いた優良コラボ(たまごっちスマート「ワンピースフレンズ」攻略より)

マンガがマルチメディア展開すること自体は少しもめずらしくないが、この作品の市場規模はとりわけ大きい。『ワンピース』は巨大なフランチャイズとなり、もはや一つのマンガ作品を越える域に達しているといえるだろう。

私生活:29歳で結婚(2004年)

連載が順調な中、尾田さんは、2004年、29歳の時に結婚した。

コミックス36巻の作者紹介欄で、

今年で30歳になりました。去年、結婚もしました。(後略)

と読者に報告している。この時、物語は「ウォーターセブン編」である。

また、「ジャンプ」誌上やメディアでの発言から、尾田さんには女の子が2人いることが知られている。

様々な経験をする中で、人は変わっていく。20代の時とずっと同じ考えのまま一生を生きる人はまずいない。

作品に変わったところは見られないが、日常生活の変化や新しい経験の数々は、尾田さんの内面に何らかの影響を与えたことだろう。

10本目の映画『ストロングワールド』で製作総指揮を担当

映画のほうはコンスタントにオリジナル作がリリースされていたが、尾田さんは10本目の『ストロングワールド』で初めて「製作総指揮」として製作に参加した。映画全体、特に設定段階に深く関わり、様々な点にチェックを入れたという。同作は2009年12月に公開された。この時尾田さんは34歳で、原作は「インペルダウン編」の途中である。

ただでさえ人気マンガ家は激務で知られているが、この時期から尾田さんには映画版の仕事が加わったことになる。2009年9月に発売された55巻では、巻末に見開き1ページの映画紹介があり、

(前略)この2年半、ホント死ぬかと思いました。連載にもボコボコ穴空けちゃいましてね。色んな人に怒られましたが、原作も映画もハンパな作品だけはお届けしたくないんです!!(後略)

と、多忙さとこだわりの両方が見て取れるコメントをしている。さらに56巻210頁では、

(前略)僕の納得いかないものは世に出しません! この映画観て、つまらなかったら僕のせいにしていいよー、と。まあそんなわけで僕も必死ですよ。(後略)

と、重ねて強いこだわりをみせている。

同作はファンから好評だったようだ。

10作目の『ストロングワールド』以降、『ONE PIECE』の映画には、原作者である尾田さんが深く関わるようになった。

さらに、この時から『ワンピース』の単行本には映画の宣伝ページが設けられ、尾田さん自身が宣伝を行うスタイルが定着する。

累計発行部数2億部に

2010年には、『ワンピース』の累計発行部数が2億部を突破した。尾田さん35歳の時である。

ルフィ、エース、サボの表紙のイラストと2億部突破と書かれた本の帯
2010年11月に発売された単行本第60巻の帯。この頃『ONE PIECE』は累計発行部数2億部を突破した。

NHK「クローズアップ現代」での特集(2011年)

翌2011年には、NHKの報道番組「クローズアップ現代」に取り上げられる。2月9日放送回で、タイトルは「漫画“ワンピース” メガヒットの秘密」だった。

この番組は現在視聴できないが、私は途中から見たので内容を一部覚えている。筆者が部屋に入るとテレビで「クローズアップ現代」がかかっていて、最初から見ていた母に「ロビンちゃんってこんな人気なの? 出てる人みんな、ロビン、ロビンですごいけど」と聞かれた。ロビンは命がけで”空白の百年”の謎を追う考古学者で、読者から見ればストーリーの要でもある。その過酷な過去が明かされる「エニエスロビー編」は人気が高いので、私は「そうだと思うよ」と答えた。

番組には幅広い読者が出演し、感動したとか、救われた気持ちになった、などと話していた。雇用崩壊が深刻化した社会で、生きるのにもがいている人もいた。尾田さんは顔は映さないものの、読者との座談会で受け答えをしていた。

ONE PIECEのロビンが「生きたい!」と叫んでいるコマ
(単行本41巻、第398話 ”宣戦布告”より)

日本社会は将来に希望が持てないと言われるようになって久しい。作中屈指の名場面であるロビンの叫びは、そんな社会で、生きていても辛いことばかり続く人々の本音をたたき起こし、共感をよび、心に響いたのだろう。

このころの尾田さんには、大勢の人を感動させる偉大なマンガ家として、社会から尊敬のまなざしが向けられていた。

尾田さんの年収を「週刊文春」が試算

「クローズアップ現代」の少し前には、「週刊文春」が「年収20億円『ワンピース』尾田栄一郎の実家は『そろばん塾』」と題打ってスクープ記事を出した。現在、この記事の一部は「J CASTニュース」で確認することができる。

いかにも生臭い感じがするが、この時の「週刊文春」はプライバシーをかぎまわって面白がるような姿勢ではなかった。どちらかといえば「すごい人物が出た」というようなプラスのニュアンスがあり、年収20億円という試算額には、人々から「(成し遂げた仕事からしたら)これでも少ないのではないか」といった声が上がっていた。

1ヶ月の休養

2011年、尾田さんは、ストーリーの区切れ目で、1ヶ月間休暇を取った。その間は家族とハワイで過ごしたという(61巻、68 – 69項)。

休暇明けには、”麦わらの一味”メンバーのデザインをリニューアルして連載を再開。ルフィたちは、新世代のルーキー海賊として、強者ひしめく”偉大なる航路(グランドライン)”後半の海へ乗り込んでいった。

様変わりした創作環境

デビュー前の尾田さんは、一介の高校生、無名の若者であり、何も持たぬマンガ家志望の一人にすぎなかった。その時から、創作環境は様変わりしたといえる。

ジャンプコミックスが60巻以上、発行部数2億部突破となった時点ですでに、尾田栄一郎といえばマンガ業界に大きな功績を持つ人物である。『ワンピース』もまた、マンガ史に残ることは確実だろう。最終回を迎えた時にそれが話題となることも確定的だ。

また、マンガ家志望の素人だった頃は、読者の人数はゼロ、たとえ読んでくれたとしても家族や友達だけだったはずだ。それがいまや、世界中の本屋で数えきれない人が自分の作品を手に取ってくれるようになった。もう自分から売り込んでいく必要もない。

さらに、週刊誌の試算はどうあれ、収入や将来への心配はなくなったといえるだろう。先行きの見えないマンガ家の道を選んだ時から、尾田さんの経済状況は一変した。

一般に、アーティストにとって、お金を気にしなくてすむ環境は夢である。それがあれば創作だけに打ち込めるし、作品からお金を得なくてもいいとなれば、より自由に自分の世界を追求することができるからだ。

他方で、尾田さんが浮世離れした環境を生きるようになったのもまた事実だろう。富と名声に囲まれ、もしかしたら等身大の自分ではいるのは難しいかもしれない。

30~40代で起こった社会環境の変化(2010年代)

創作環境だけではない。尾田さんが30代後半~40代となった2010年代には、社会環境にも大きな変化が指摘できる。

SNSの普及と定着

2010年代には、Facebook、Twitterなど、今日「SNS」と呼ばれるインターネット上の投稿型サービスが世界中で爆発的に広まった。

またYouTubeも万人向け路線で急拡大。動画投稿を仕事にする「YouTuber」が誕生した。

SNSは一時の流行にとどまることなく、世界規模で社会に定着していった。政治家の発言や企業の宣伝など、公的な役割にも利用されるようになり、絶大な影響力を持つに至った。

多くのマンガ家がTwitterなどを始めたかたわら、尾田さんは自身のSNSアカウントは設けていない。76巻の「SBS」では、ネットで個人で発信することはなく、集英社や東映アニメーションを通してしかしないと答えている。理由には言及していない。

他方、作品の公式SNSは次々と開設されていった。今日では、Twitterアカウントが複数、Instagram、YouTube、LINE、TikTokがある。

「ワンピース系YouTuber」という存在とその影響

自前のファンサイトやブログをやっていたファンたちも、この頃からSNSへ移動していった。

そんな熱心なファンの中からは、YouTubeでチャンネルを開き、動画を投稿する「ワンピース系YouTuber」となる人々が現れた。動画の内容は、伏線の指摘や展開の予想が中心だ。いわゆる「考察」である。集めたグッズの紹介などもみられる。人気のチャンネルでは、50万以上のチャンネル登録者がいる。

一作品を単独でテーマとするYouTuberは、他のマンガではほとんどみられない。謎と伏線が張り巡らされた本作に限っての現象だ。

YouTuberやSNSインフルエンサーとなった層は、ただ愛読するだけでなく、それを半ば仕事とするに至った。中には、ワンピース公式YouTubeチャンネルに出演するなど、読者でありながらプロモーションに食い込む人も出ている。

そのため、彼らは一般の読者とは立場がズレてきている。ワンピースがあるから成り立ち、もしそれが下火になったら自分も多くを失う都合上、彼らは基本的に肯定的なことしか言わない。自分の感想を自由に述べることはもはやできず、どんなことでもポジティブに解釈し、作品から離れることもない。SNSという新たな社会インフラの登場をきっかけとして、他のマンガではあり得ないほど深く読み込んでおり、かつ、大きな影響力を持ちながら、『ワンピース』や尾田さんをほぼ無条件に持ち上げるという独特なファン層が形成されたのである。

マンガ・アニメに対する社会の視線の変化

2000年代前後には、マンガ・アニメに対する社会の見方も大きく変わっていった。

戦後昭和の時点では、マンガは「悪書」と見られていた。アニメも「テレビは1日1時間」と言われるなど、大人が煙たがる存在だった。

それが一転、1990~2000年代頃になるとマンガ・アニメは国内外で高く評価され、やがては日本を代表するコンテンツとして人々に受け入れられるようになった。

2013年には、官民ファンド「クールジャパン機構」が設立されている。

転機となった39歳の一年(2014年)

尾田さんが39歳だった2014年には、個人としても、創作環境でも、様々な変化が起こっている。

体調不良、入院と手術

尾田さんは38歳だった2013年5月、扁桃周囲膿瘍で入院した。それにともない、連載を2週間休載した。

物語では、「パンクハザード編」が終わり、「ドレスローザ編」に入ったころにあたる。

扁桃周囲膿瘍とは?

扁桃周囲膿瘍(へんとうしゅういのうよう)は、のどの病気である。口蓋扁桃周囲の細菌感染から炎症を起こし、扁桃の奥に膿がたまるというもので、30代の男性に多く発症する。

症状は、激しいのどの痛みが特徴で、ものを飲み込むときに激しい痛みを伴い、炎症範囲が広がると耳に痛みが出る。また高熱を伴い、全身の倦怠感と脱水症状を引き起こす。

一般向けの医学情報で調べた限りでは、扁桃周囲膿瘍は他の病気の引き金になったり、脳に影響をおよぼしたりすることはないようだ。

連載ペースの変化、体力の低下

そして翌2014年5月には、扁桃腺摘出の手術を受けるため、再び2週間休載した。医学的には再発を抑えるための代表的な治療のようだ。物語は「ドレスローザ編」の途中である。

入院、手術を機に、尾田さんには3週間連載して1週休載をはさむペースが定着した。

誰しも、一生のうちには大きな病気を一度や二度は経験するものだ。しかも、多くの病気は突然やってくる。自分にどんな症状が出るかも予測できない。

それは当然アーティストも同じで、アートの活動は、病気によりある日突然中断される可能性がある。治療や後遺症によっては、それまで自分の全てをかけてきた絵や音楽等を続けられなくなることさえある。

幸い、尾田さんの場合は手にマヒが残る、継続治療を要するなどがなく済んだ。そのため、ペースが若干変わったこと以外、連載は何事もなかったかのように続いている。

ただそれでも、尾田さんはこの前後から、加齢による体力の低下を何度か口にしている。40歳を前にして体に変化は訪れており、この病気が一つの転機となったのは確かだろう。

『NARUTO -ナルト-』連載終了、『僕のヒーローアカデミア』連載開始

2014年には、『ONE PIECE』や『BLEACH』と並んで「少年ジャンプ」の看板マンガだった『NARUTO -ナルト-』が無事最終回を迎え、15年間にわたる連載を終了した。その週、尾田さんは扉絵でオマージュし、作者の岸本斉史さんをねぎらっている(766話、77巻収録)。

同年には『僕のヒーローアカデミア(通称・ヒロアカ)』の連載が始まり、一気に「少年ジャンプ」を代表する人気マンガへ駆け上がった。その作者である堀越耕平さんは、学生の頃、『ワンピース』23巻の「ウソップギャラリー海賊団」でスモーカー大佐のイラストが採用されたことがある。尾田さんは77巻SBSで、

(前略)嬉しいですねーこれは。この前、ジャンプの新年会で本人がこれを教えてくれましてねー。早く言ってよ、応援するのにー!!(後略)

と言及した。堀越さんは、『僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ワールド ヒーローズ ミッション』の企画で、尾田さんを自分の「ヒーロー」だと言っている。

物語の中で、ルフィは依然、新世代のルーキー海賊だ。だがその作者は、この時点で、後進のマンガ家から尊敬のまなざしを受ける存在になっていたことが分かる。

『ワンピース』公式ポータルサイトがオープン

2014年には、尾田さん公認の公式ポータルサイト「ONE PIECE.com」がオープンした。

このサイトを運営しているのは、東映アニメーションである。

「らくがきコーナー」開始―尾田さん自身の情報発信元に

同11月には、この公式ポータルサイトで「尾田栄一郎のらくがきコーナー」が始まる。

第1回である同11月1日の更新では、

らくがきコーナーを始めると聞きました。何でもいいからかけと。ブログ的なことですか? 最新グッズの感想とか書けばいいそうです。(後略)

とあるので、「らくがきコーナー」を始めたのは本人の意志ではないようだが、個人ではSNSをやらないと公言している尾田さんにとって、このコーナーは自らが発信する貴重な場となった。開始当時の投稿内容は、いかにも「らくがき」と呼べる、ペン一本でその場で描いたようなイラストだった。

また、サイト運営者には、立ち上げ時から、尾田さんのイラストでグッズなどのプロモーションを行う意図はあった様子がみられる。

なお、「らくがきコーナー」の更新は、必ずSNSのワンピース公式アカウントでシェアされる。なので、ここでの発言は事実上、SNSで発信するのとそれほど変わらない。

40歳でギネス世界記録認定(2015年)

2015年には、『ONE PIECE』が「最も多く発行された単一作者によるコミックシリーズ」としてギネス世界記録に認定された。記録数は3億2,086万6,000冊。この年尾田さんは40歳で、物語は「ドレスローザ編」が佳境だった。

尾田さんは、

ギネス世界記録認定ありがとうございます。(中略)漫画界の先人達または協力者達、読者の皆様への感謝を忘れず、これからも記録に恥じぬ作品を描いていきたいと思います。

とコメントしている。

「ゾウ編」で作風に若干の変化(2016年)

2016年には「ゾウ編」が始まる。尾田さんがかねてより描くのが楽しみだと繰り返していた「ワノ国編」につながる前段だ。

一連の「ワノ国」のストーリーは、時代劇のテンプレート「お家再興譚」をベースにしている。そのため、冒険ものとしての性格はやや薄れ、オリジナリティという点では全シリーズ中最も低いといえる。

このことは別途詳しく書いたので、詳細は以下リンクを参照してほしい。

参考リンク:ひと昔前のサブカルにのみこまれた作風(※ネタバレ有)

『BLEACH』連載終了、『鬼滅の刃』連載開始

同2016年には、久保帯人さんの人気マンガ『BLEACH』が完結した。2001年に連載が始まり、『ワンピース』や『NARUTO』と並んで「少年ジャンプ」の看板となる長期連載作品だった。

同年には、後に社会現象となった『鬼滅の刃』が始まっている。その劇場版『無限列車編』(2020年)は、全世界での累計来場者数は約4135万人、総興行収入は約517億円の記録的ヒット作だ。LiSAさんが歌う主題歌『紅蓮華』もまた、同年の音楽シーンを代表するヒット曲、歴史に残るアニメソングとなった。

他のジャンプ人気マンガの連載期間は?

『BLEACH』だけでなく、2000年代~2010年代の「少年ジャンプ」からは、

  • 『DEATH NOTE』(2003 – 2006)
  • 『銀魂』(2004 – 2018)
  • 『家庭教師ヒットマンREBORN!』(2004 – 2012)
  • 『黒子のバスケ』(2009 – 2014)
  • 『ニセコイ』(2011 – 2016)
  • 『ハイキュー!!』(2012 – 2020)
  • 『暗殺教室』(2012 – 2016)
  • 『斉木楠雄のΨ難』(2012 – 2018)
  • 『火ノ丸相撲』(2014 – 2019)
  • 『約束のネバーランド』(2016 – 2020)

をはじめ、『ワンピース』より後に始まり、終わらないうちに完結する人気作が多数出ている。「少年ジャンプ」のレジェンドたる『ドラゴンボール』も、連載期間は1984~1995年の約11年である。

マンガ家全体を見渡せば、一つの作品を何十年、あるいは生涯描き続けている作家はいる。だがジャンプマンガとしては、『ワンピース』は異例の長期連載といえる。

43歳での明暗(2018年)

2018年、尾田さん43歳の一年は、喜ばしいニュースの一方、それまでの作家生活でおそらく最も大きいであろう蹉跌もあった。

元残留日本兵・横井庄一さんのネタで物議

ギャグや遊び心に彩られ、底抜けの明るさを持ち味とする『ONE PIECE』。

だが、2017年8月には86巻の「SBS」、2018年3月には88巻の作者紹介欄と、単行本では首をかしげるような内容が相次いだ。「ホールケーキアイランド編」の最中のことだ。『ワンピース』が連載20周年を迎えた2017年には、コミックス86巻で、家庭内でテレビのチャンネルを決める権利が収入の額によって決まるかのような尾田さんの発言に対し、問題視する声が一部で上がっていた。

そして2018年6月、コミックス89巻の作者紹介欄が不適切だとして、尾田さんは社会から厳しい批判を浴びる。

具体的には、大皿に一つ残ったからあげを、元残留日本兵の横井庄一さん(故人)に例えるというものだった。

横井さんは、旧日本軍陸軍軍人で、いわゆる「残留日本兵」として知られる。太平洋戦争終戦後に、グアム島のジャングルで28年間潜伏生活を続け、1972年に地元民によって発見されて日本へ帰国した。残留日本兵・横井さんの「発見」は、社会で大きな話題となったと同時に、当時の世相や日本人の太平洋戦争に対する感情を象徴する出来事にもなっている。

ただし、横井庄一さんについては世間で誤解が非常に多い。筆者が見たところでは尾田さんを批判する側でも誤った認識がほとんどだったので、以下で事実とその背景を解説したいと思う。

1970年代を代表するダジャレ「よっこいしょういち」

1972年の帰国後、横井さんは世間から注目され、時の人となる。意外に思う読者もいるだろうが、それは一種の「ブーム」であって、真剣な受け止め方ではなかった。

報道は過熱し、報道陣が横井さんの自宅前に連日陣取った。迷信のように「横井庄一さんの姿を見られたらラッキーなことが起こる」といった話が無数に生まれ、横井さんは時折自宅の窓から顔を出して手を振ったりもしていた。カエルやネズミを捕らえて食べるなどして命をつないでいた横井さんの潜伏生活を紹介する展覧会が開かれ、入場には数時間待ちの列ができたという。

この時代には、腰かける時のかけ声「よっこいしょ」にかけた「よっこいしょういち」というダジャレが一世を風靡した。これは特定の芸人のネタではなく、当時の人々から自然発生したものとみられている。「よっこいしょういち」は大人から子どもまでよく知られており、1970年代を代表するダジャレの一つに数えられている。

当時の日本社会で、横井庄一さんはおもしろおかしいイメージで受け止められていたのである。

実は誤解だった「イノセントな悲劇説」

しかし同時に、こうした「おもしろおかしい」イメージとは180度逆に、横井さんを「悲劇の人」として認識している人も少なくない。彼は太平洋戦争によって人生を狂わされ、28年間も辛く苦しい生活を強いられた被害者だ、というイメージだ。特に「ジャングルの中にいて終戦を知らなかったから、潜伏して独り戦争を続けていたのだ」と思っている人は多い。公的な場面ですら、しばしばそのように記載されている。

だが実は、「終戦を知らなかったから」という理由付けや、「戦争を続けるつもりでジャングルに潜伏していた」という見方は、事実ではない。

実際には、横井さんは、終戦直後には戦争が終わったことを知っていたという。にもかかわらず潜伏を続けたのは、旧日本軍のファシズムに対抗していた地元ゲリラに殺されるのを恐れてのことだったと、本人が証言している。

しかも、残留日本兵はアジア各地で発見されていた。横井さんだけではないのである。横井さん自身も、当初の潜伏生活は3人でしていた。ある時言葉のやりとりから仲違いが生じたため、横井さんは二人と別れて生活するようになり、ある日彼らがすでに亡くなっているのを発見したと、こちらも本人が証言している。横井さんは帰国後、二人の遺族を訪問し、遺骨を返還している。

こうした世の誤解は、いわば「イノセントな悲劇説」とでも呼ぶべきだろう。横井さんはかわいそうな悲劇の人として認識され、太平洋戦争の「被害者」であることが強調されている。その反面、残留兵仲間と仲違いしたといった「汚い」箇所にはほとんど触れられない。

横井庄一さんが誤解だらけになった社会的背景

このように、横井庄一さんをめぐっては、かたやおもしろおかしく、かたや悲劇の被害者だという対照的なイメージが併存してきた。

考えてみれば、おかしな状況である。

混乱の背景には、1970年代日本の社会環境がある。高度経済成長期の日本人にとって、横井庄一さんの「発見」は「最も見たくない暗黒時代を見せつけられる」出来事だったといわれている。

終戦によって全体主義から解放されたものの、戦後の日本人はぼう然自失になった。彼らは、国家主義・軍国主義に心から燃え上がっていた自分、その末に身をもって経験した社会の破局、しかもその悲惨は自ら招いたものだという事実は、直視することができなかった。その心の空洞を、彼らは経済成長と会社への没入で埋めていく。残留日本兵・横井さんは、そんな人々の前に現れた。

ある人は、それをおもしろおかしい程度のことにしてしまいたかった。またある人は、国民はイノセントな被害者だったと思いたかった。――横井さんが誤解だらけになったのは、戦後昭和の日本人が、戦前ファシズムを直視できず、めいめい好きな話を作り上げて信じることしかできない不安定な心理状態に陥ったからだと私は考えている。

『ワンピース』の話に戻ると、つまり、もし読者が横井庄一さんをおもしろおかしくとらえたのは尾田さん個人のアイディアだと思っていたなら、それは誤解だ。1970年代の日本人全般にそのような風潮があったのである。

実は、この物議より前に一度、作中には横井さんを思わせるコマが出てきている。

ナミに指示を仰ぐサンジと泣いているウソップとチョッパーのコマ
(単行本66巻、第654話 ”GAM(小群)”より)

「恥ずかしながら」というのは横井さんが帰国した際の言葉で、これまた1970年代の流行語である。尾田さんの中で、横井庄一さんのイメージは「おもしろおかしい」で固まっていたようである。

とはいえ、表現者には、表現がもつ影響力ゆえ、扱いに細心の注意を要するデリケートなテーマはある。具体的には、肌の色、性別、病気・障害といった差別に関わる事項や、災害、事件・事故、過去の戦争や虐殺、人道危機に関わることが挙げられる。横井庄一さんのグアム残留と潜伏生活は、ファシズムに関わる出来事であり、また、横井さん個人にとって想像に余りある辛い体験だ。それをギャグにするのが軽率であることに変わりはない。笑えないのである。

コミックスが出版されるまでの間には、担当編集者など複数の人が目を通したはずだが、89巻はどの地点でも修正されることがないまま世に出た。ネットでは「どうして誰も止めなかったんだろう」などといぶかしがる声がみられる。

似たような事例が、アニメ業界にある。まだSNSがなかった2001年、スタジオジブリの宮崎駿さんは『千と千尋の神隠し』のプレミアで、人柄や人権感覚を疑うような非常識な発言を放った。なぜか、止める人はいなかった。

参考リンク:許されざる壇上発言(『千と千尋の神隠し』考察と論評―両親、坊、湯屋が表象した戦後日本)

故郷・熊本で県民栄誉賞【更新】

このように、横井庄一さんへの揶揄で大きな蹉跌のあった43歳の一年だが、同じ2018年、尾田さんは故郷・熊本で県民栄誉賞を授与された。

熊本県は、「広く県民に敬愛され希望と活力を与えることに顕著な業績のあった方」に「その栄誉を称えるため」県民栄誉賞を授与するとしている。

県側の授賞理由は、尾田さんが行った2016年熊本地震への復興支援である。受賞者紹介の業績欄には「漫画『ONE PIECE』の作者であり、世界に誇る漫画家。」と記載し、作品にも言及している。

尾田さんは、県民栄誉賞が始まって以来9組目・10人目の受賞者である(うち1組はバドミントンのダブルス選手)。過去の受賞者は、1名がWHO局員、1名がミュージシャンである他は全員スポーツ選手である。

参考リンク:熊本県民栄誉賞受賞者のご紹介(熊本県公式サイト)

栄典授与への法的・社会的視点【更新】

公式サイト「らくがきコーナー」2018年11月26日更新では

(前略)この前実はわたくし、故郷熊本の県民栄誉賞というすばらしい賞をいただきまして、受賞者はその際普通、記念に県庁に植樹をするらしいんですが、今回は漫画家って事で銅像をたてていただける事になりました!!

記念像フォー!!(後略)

とコメントしていることから、尾田さんは県民栄誉賞を喜んで受け取ったようだ。

ただ、県民栄誉賞や国による叙勲・褒章といった「栄典」の類は議論が多く、必ずしもプラスに受け止められるものではない。なぜなら、これらは「官」が市民を評価するシステムであるため、存在そのものが法的・社会的問題をはらんでいるからだ。政権が支持集めに利用することも多い。憲法14条3項は、

栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

と規定することで栄典に歯止めをかけている。

辞退する著名人も目立つ。過去には、明治きっての思想家である福澤諭吉、作家の森鴎外、同じく作家でノーベル文学賞受賞者の大江健三郎をはじめ、そうそうたる文化人や政治家等が叙勲を辞退している。最近では、野球のイチロー選手が国民栄誉賞を3度辞退、2021年には大リーグで活躍する大谷翔平選手が国民栄誉賞および故郷・岩手県の県民栄誉賞を辞退したことがよく知られている。

戦前で言えば、言論者に「文章報国」を訴え、大日本言論報国会と日本文学報国会の会長を務めるなど国家主義・国家総動員体制を支持した評論家・徳富蘇峰が、東条英機政権下の1943年に文化勲章を授与された(戦後の1946年に返上)。

参考リンク:叙勲・褒章、国民栄誉賞とその辞退者―調べてわかった驚きの過去

ルフィの銅像への法的・社会的視点【更新】

尾田さんの県民栄誉賞を記念し、熊本県庁前の並木道には『ワンピース』の主人公・ルフィの銅像が作られた。ただでさえ議論のある栄典授与だが、授賞の記念がルフィ像だったことはさらなる論点を上乗せするといえるだろう。

まず、この時、『ワンピース』はまだ連載中だった。その段階で銅像が建てられるのはめずらしい。熊本が作品の舞台やロケ地だというわけでもない。しかも、授賞理由は、県の地震からの復興を支援してくれたからということだったはずだ。その栄誉を称える方法が、他の受賞者と一人だけ違い、しかも作中キャラの銅像だというのは、関連性において無理があるといえる。

もっと深刻な論点もある。銅像が尾田栄一郎ではなくルフィだということは、県が顕彰する対象が『ワンピース』にかかってくることだ。特定の作品(=表現物)を県(=公的機関)が顕彰するのが適切かどうかは法的・社会的に論点となる。仮に県が問題なしと結論したのだとしても、授賞後ずっとそうであり続ける保証はなかったはずだ。

授賞の裏側として、県側には、ルフィ像を観光スポットにしたいという観光振興の目的があったとみられる。

ルフィ像がヘッダー画像になっている熊本県観光サイト公式Twitterアカウントのスクリーンショット
ルフィ像は、熊本県による公式観光サイトおよびTwitterで大きく紹介されている。(スクリーンショットは2023年1月17日時点)

しかし、たとえ観光振興目的にしても、ルフィ像が熊本県のイメージアップにつながるとは限らない。作品の内容によっては、かえってマイナスになる可能性もある。特に、作中の差別的表現が問題視されたといった場合には、観光客から「熊本はそういうのを公的に称えるような県なのだ」と思われてもしかたない。

授賞の背景として、観光振興目的の他では、誰もが「ワンピースは崩れない」と信じて疑わないほどの安定感も一つにあったのではないかと思われる。

本稿ではこれ以上深入りしないが、熊本県のルフィ像は、今後エンタメ分野の話題としてではなく、法的・社会的問題として議論になる可能性がある。

関連リンク:熊本県のルフィ像が問うもの

クイズ大会「ナレッジキング」初開催(2019年)

翌2019年には、イベント「ナレッジキング」が始まった。『ワンピース』の知識を競うクイズ大会で、以後毎年行われている。主催は集英社。この頃、物語は「ワノ国編」に入っている。

ファイナリストはTwitter上のハンドルネームで出場している。多くがYouTuberやSNSインフルエンサーで、ファンの間では有名な人々だ。

出場は応募すれば誰でもできるが、ファイナルは並の読者ではとても参入できないレベルに達している。結果的にだが、内輪での大会ともいえる状況だ。

作品の深さから生じた狭い「内輪」

並の読者では参入しようがないのは、「ナレッジキング」に限ったことではない。

単行本のイラストコーナー「ウソップギャラリー海賊団」に掲載される作品群は、開始当初は一般のファンが好きで描いた、良い意味で素人らしいものだった。それが巻を進むにつれてレベルが上がっていき、ルフィ達が”新世界”に突入したあたりからは、とても一般のファンとは思えないほど特殊な域に達している。考察YouTuberと似たように、SNS等で活動する有名な投稿者も出ている。

質問コーナー「SBS」も似たような状況になっていった。何人かの読者は、何度も、人によっては毎回のように掲載されるようになった。質問が採用されたのが実はSNS上で有名なファンだった、ということも増えている。

作品の深さゆえに特別熱心なファン層を抱えたことは、ごく限られた人数の「内輪」を形成するという、意外な結果を生じさせたのである。

ワンピースバラエティ 海賊王におれはなるTV」放送開始

「ナレッジキング」に続き、同2019年には『ワンピース』を題材としたテレビ番組「ワンピースバラエティ 海賊王におれはなるTV」の放送が始まった。内容は、同作が大好きだというお笑いコンビ「かまいたち」と毎回のゲストが、トークやコント、コスプレなどを行うというもの。放送はフジテレビ系列である。

尾田さんは番組制作に直接は関わっていないが、放送開始前から公認はしており、視聴者として楽しみに見ているという。番組には、芸能人だけでなく、担当編集者や、「ナレッジキング」の優勝者も出演している。

番組をきっかけに、尾田さんはレギュラー出演する「かまいたち」の2人と私的なLINEをする仲になったという。

連載25周年で最終章突入、世界累計5億部突破(2022年)

以上の通り、「少年ジャンプ」の看板であり、長寿作品となっていた『ワンピース』は、連載25年目の2022年、とうとう最終章に突入した。この時尾田さんは47歳である。

この年、同作は世界累計発行部数5億部を突破した。

映画15作目『ONE PIECE FILM RED』公開

また、この年には、映画『ONE PIECE FILM RED(ワンピースフィルムレッド)』が公開された。劇場版はこれが15作目で、世界90か国以上で上映された。

谷口悟朗監督との「再会」

メガホンをとったのは、谷口悟朗さんだった。上記アニメ化の項で解説した通り、1998年に『ワンピース』を初めてアニメ化して監督デビューを果たした人である。

当時新人監督だった谷口さんは、二十余年の間に『コードギアス』シリーズなどを手がけ、アニメファンの間で有名になっていた。尾田さんは24年の時を経て「再会」した谷口さんを、「サブカル界のリーダー(劇場パンフレット)」「サブカル界の神のような人(『ONE PIECE magazine Vol.15』 54頁)」と評している。

立場はフリーで、東映アニメーションからのオファーで本作の監督に決まった。

総合プロデューサー・尾田さんの宣伝活動と自画自賛

尾田さんは、「総合プロデューサー」として企画段階から作品に深く関わった。

ハッキリ言って、すべてが成功しました。(劇場パンフレット)

など、各メディアで自画自賛する発言をしている。

原作コミックス103巻の巻末では10ページにわたる宣伝ページを設け、

(前略)映画は総合芸術!誰がかけてもいけません!!(後略)(215頁)

と、スタッフおよびキャストの豪華さを強調した。

同作は2022年8月6日~2023年1月29日まで上映され、最終的な国内の興行収入は197億円のヒット作となった。尾田さんは興行収入が区切れ目の額に達するたび、公式Twitterで記念のイラストを発表した。

『フィルムレッド』をめぐって私が見たもの(2022年)

連載25周年、最終章突入という記念イヤーに花を添える大型企画だったはずの『フィルムレッド』。

しかし、事態は思わぬ方向へ進んでいった。公開直後から作品には酷評が噴出し、支持するか否かでファンが二分されたのである。

私は、同年10月に『ONE PIECE FILM RED』の映画批評を書いた。それが11月初頭にSNSで拡散し、読者から「とても納得した」「読めば読むほどうなずいた」など多数の反響が寄せられた。

すさまじい光景を目にした。それは、長年『ワンピース』を愛読してきたファンが雪崩を打って離れる様と、作者・尾田さんの変化である。以下では、『フィルムレッド』をめぐって私が見たものを書いていく。反響を呼んだ映画レビューがどんなものだったのかは、以下リンクを適宜参照してほしい。

参考リンク:評価二分の『ONE PIECE FILM RED』~ウタはなぜ”炎上”したのか

「Adoは尾田栄一郎の娘」という流説について

後になってふり返れば、不穏な気配は映画公開前からあった。『ONE PIECE FILM RED』封切りを前にした6月ごろ、「Adoは尾田栄一郎の娘だ」という根も葉もないうわさが広まったのである。Adoさんは『うっせぇわ』で大きな話題となった人気シンガーで、同作の主題歌「新時代」と劇中歌に起用されていた。

うわさのきっかけは、エンタメニュースサイト「コミックナタリー」の特集記事だった。「少年ジャンプ」担当編集者(当時)の高野健さんはインタビューで、「(歌唱担当が)Adoさんに決まったときの尾田先生の反応はいかがでしたか?」という質問に

すごく喜んでいました。“Oda”を反対から読むと“Ado”になるので、最初は「僕の娘なのかな(笑)」みたいな冗談を言っていたりもして(笑)(後略)

と答えている。「Adoは尾田栄一郎の娘」説は、このインタビュー記事で高野さんの受け答え中に出てくる尾田さんの「僕の娘なのかな」という発言がきっかけだったようだ。なお、この発言には「気持ち悪い」「セクハラだ」などと一部で批判の声が上がっていた。

流説が生まれた背景事情は他にもある。公開前の情報から、その作風やヒロイン・ウタのキャラクター設定は二次創作さながらで、従来の『ワンピース』からはかけ離れていると分かり、ネット等で話題になっていた。しかも、動画配信で世界的歌姫になったというウタの設定は、ネット上の”歌い手”として素性を隠して活動してきたAdoさんと人物像が重ねられている。その上、このような巨大なタイトルで特定シンガーの曲が7曲もフィーチャーされるのは異例である。メディアでの発言から、ファンの間では尾田さんの子は女の子で、年頃もAdoさんと同じくらいになることが知られていた。それで「娘に便宜を図ったのではないか」と憶測が生まれたようである。

だが、この親子説にはまったく根拠がない。翌2023年1月15日の終映直前舞台では、監督の谷口さんが流説を否定した。ネット社会で時々起こっては問題となっているように、憶測が広まっただけのようである。

なお、流説のきっかけとなった特集記事は、PR目的で作られたものである。言い換えれば、記事それ自体が広告だ。つまり、『フィルムレッド』製作側が「コミックナタリー」に広告費を払って特集を書くよう依頼したのであって、ジャーナリストが自発的に行った取材、報道ではない。

外部リンク:「ONE PIECE FILM RED」“歌姫”ウタの誕生秘話から、“今が一番熱い”原作の今後までをジャンプ編集部原作メディア担当編集者・高野健が語る(コミックナタリー)

『フィルムレッド』が”炎上”した3つの理由

映画が公開されるとすぐ、観客からの評価は荒れて“炎上”が起こり始めた。ある読者によれば、ワンピースのファンコミュニティが荒れたのはこれが初めてだという。

”炎上”した理由をできるだけ簡潔に指摘するなら、ポイントは次の3点だ。

  1. 映画用キャラのために『ワンピース』の物語の根幹が変更された
  2. 原作らしくない美少女キャラクターがメインに据えられた
  3. 映画として質の低い作品だった

映画用キャラを正史に加え、物語の根幹を変更

『ONE PIECE FILM RED』のストーリーは、ルフィのあこがれ・シャンクスには実はウタという娘がいて、ルフィとも幼なじみだった、という設定だ。

そもそも、『ワンピース』とはどんな話かといえば、「ルフィがシャンクスに麦わら帽子を返しに行く」という筋だった。その物語の根幹に、連載25年目にして突然、ウタという映画用の新キャラがねじ込まれたのである。

しかも、映画公開直前の8月1日に発売された「ジャンプ」掲載1055話(104巻収録)のコマには、ウタとみられるシルエットが描かれていた。もしウタが原作に登場するとなれば、物語の根幹が正式に変更されることになる。そのためファンの間では動揺が広がり、一部は失望や怒りから公開直後の時点で『ONE PIECE』と決別したという。

副音声上映で放たれた2つの衝撃発言

ここで、同11月に始まった新企画「副音声上映」が火に油を注ぐ。

副音声上映とは、『フィルムレッド』の上映中に、スマホで尾田さんと谷口監督の対談が聞けるというものだ。事前から、二人が読者の質問に答えると発表されていたので、熱心なファンは事実を確かめるべく再び劇場へ足を運んだという。この副音声上映で、尾田さんは、ウタの存在を『ワンピース』原作の正史に入れる旨の発言をした。

さらに、尾田さんは同副音声で、お笑い番組「キングオブコント2022」で芸人が言った「笑うことを諦めるな!」という言葉を「真理だと思った」として引用。「映画を面白くなかったで片づけるのは簡単だけどそれでは寂しい。楽しめる部分を見つけてほしい」と語った。尾田さんのこの発言は、「『ONE PIECE FILM RED』を楽しめなかったのは、観客/読者が楽しむことを諦めたからだ」と言い換えられる。ファンらは「作者から切り捨てられた」と感じたといい、これが去ると決める直接の要因になったようだ。筆者は、「辛くて涙が止まらなくなった」という元ファンを複数確認している。

普通、マンガ・アニメの劇場版は派生作品にすぎない。原作とは関係ないパラレルストーリーとして一話で完結する。たとえ不評でも、過ぎ去って終わりである。

劇場版ワンピースも従来はそうで、『フィルムレッド』以前の14作では、映画用のキャラが原作に反映されたことはなかった。劇場版を観なければ原作の一部が分からなくなる、ということもなかった。

私の映画評がSNSで拡散したのは、副音声上映の開始直後だった。

映画レビューに反響を寄せた読者層とその印象

私の映画レビューに反響を寄せたのは、ほとんどがファンのうちで『フィルムレッド』を受け入れられなかった層の人々だった。

ワンピースにどれくらいの時間やお金を費やしているかには幅があった。人数的な規模は定かでないが、グッズやゲームにまで手を伸ばしている人もいれば、「ジャンプ」で目を通している程度のライトな読者までと、すそ野は広い。ただ、『ワンピース』という作品にピンポイントで好感を持っていることは、大部分の読者に共通していた。

この層は、ファンといってもYouTuberやSNSインフルエンサーとして活動する域までは達していなかった。一般読者の範囲内である。作品を長年支えてきたファン層だといえるだろう。

印象的だったのは、私の映画レビューを熱心に細部まで読んでいることだった。同作レビューに限らないが、私が書いているのは、あくまで独立性が命の「批評」である。ワンピースファンを喜ばせることが目的のエンタメサイトではないため、レビューには社会問題との関連など、ストーリーやキャラとは直接関係ない話もたくさん書いた。記事公開前、私は必ずしもファンが期待する内容ではないだろうと思ったので、冒頭でわざわざ断り書きまで入れておいた。ところが、この読者層は、そういった社会的な視点や、私の他の映画レビュー、果てには海外の映画批評へのリンクにまで手を伸ばしていた。読み方も正確だった。私は筆者として、本気で執筆した甲斐があったと胸が熱くなった。彼らはかつて、この熱量を『ワンピース』に向けていたのだと思う。

その他、性格や言動の面でこれといった特徴は――たとえば、好みが細かいとか、SNSで誹謗中傷をしがちだ等は――見受けられなかった。どこにでもいるような普通の人、という印象だった。

ワンピースらしからぬ美少女歌姫・ウタ

『フィルムレッド』には、「このキャラはこういうことは言わない」等々、原作からしておかしい箇所は叩けば叩くだけ出てくる。その数だけファンの怒りを買っている。シリーズ作品では、そのシリーズとして要点を押さえているかは観客からの評価を大きく左右するが、同作はファンから及第点をもらえなかったとしても不思議でない作品だ。

とりわけファンの怒りや嫌悪感を買ったのが、本作のメインであるウタだった。

ウタは「幼なじみ」の「歌姫」である。この設定は、後述する「美少女キャラクター」として典型的だ。

加えて、マンガ・アニメに通じたある読者によると、ウタの衣装デザインである

  • 袖の長いパーカー
  • 2色に分かれた髪
  • ミニスカート
  • レオタード
  • 天使の羽

は、一部のマニアの嗜好の対象だという。さらに、近年のマンガ・アニメ界には「病み系ヒロイン」と呼ばれるキャラクターテンプレートがあり、同じく一部のマニアの関心を集める要素だという。

このようなキャラクターが登場する『ONE PIECE FILM RED』は、少年マンガらしさが強く、恋愛要素が描かれない原作とは大きく異なる。

絵柄ににじみ出たウタの本質―上から愛でる対象

ウタの美少女キャラクターとしての性質は、尾田さんの絵柄にも表れている

参考例として、2022年9月5日に公開された「ウタのぴょこ耳」を挙げよう。

ここで指摘したいのは、ウタの表情にあどけなさがあることだ。ウタは21歳という設定なので、顔をあどけなく描くのは本来なら不自然である。またウタのイラストは笑顔にも特徴があり、普通なら幼い子どもを描くときのような天真爛漫さが演出されている。上のGIFは「束ねた髪がうさぎの耳のようにぴょこぴょこしてかわいい」という趣旨だろうが、尾田さんがそのようなテイストで描いた女性キャラクターはウタが初めてだ。後に、「ウタのぴょこ耳」は東映アニメーションによってグッズ化された。

もう一例、「らくがきコーナー」2023年1月4日更新も紹介しよう。

まるで人形のようだ。丸く見開いた目や、口の形にリアリティが全くない。肩をすくめたポーズは昔のぶりっこ風で、もし現実で誰かがやったら周りが凍りつくだろう。バトルマンガで技を繰り出す時のモーションにもなっていない。

これらはほんの一例だ。尾田さんは、ウタを、かわいいと言って上から愛でるような描き方をしているのである。

それまで、『ワンピース』のキャラはみな、その人の心情が先に決まっていて、それに沿った表情や動作をペンで描くという順序で描かれていた。フィクションの登場人物として、ストーリーを展開させる機能を果たしていた。イラストでも、あくまで中身が先だった。上記で作中には内面描写にリアリティのない女性脇役もいると言ったが、彼女らがフィクションの登場人物として機能しているかと言えば、答えはイエスである。

ところが尾田さんは、ウタだけは、観客/読者が「見て楽しむ」ことを意図した描き方をしている。

美少女キャラクターの特性―「見る対象」であるがゆえ

美少女キャラクターは、「見て楽しむ対象」である。アダルトまでは達しないものの、それに準ずるヤングアダルトコンテンツだ。

この性質ゆえ、美少女キャラクターを使うことにはリスクがある

まず、人々の反応は、好きか嫌いかにハッキリ分かれがちだ。好きな人は美少女目当てにいくらでもお金を落とすが、嫌いな人は目に入っただけで強烈な嫌悪感や不快感を抱く。

そのよい例は、米のあきたこまちだろう。以前、あきたこまちが米袋に美少女イラストを付けたところ、突然飛ぶように売れて、品薄を起こすほどになった。しかしその裏では、常連客が「ふざけている」などと怒り心頭の末に去って行ったという。商業的には成功したが、ブランドイメージは低下したのである。

さらに、美少女キャラクターは女性に対して性的な見方をするコンテンツであることから、公的な場面では不適切となる。2021年には、千葉県警が交通安全動画に美少女Vチューバ―を起用したところ、「女児を性的対象としている」と批判され、動画を削除した。

マンガ家にとっては、ヤング/アダルト化に踏み切るのは、得てして最後の手段である。これについては後述する。

映画としての質の低さ

海外での評価

戦前ファシズムの言論統制で「批評」が壊滅した日本と異なり、海外では独立性の高い芸術批評が一つの分野として社会に根を張っている。

その海外で、『フィルムレッド』の評価はふるっていない。参考までに、英ガーディアン紙の評価は星3つ、フランスのル・モンド紙は星2つだった。ガーディアン紙は、同じくジャンプマンガ原作の『呪術廻戦0』には星4つを出している。

批評の中身は以下で訳してまとめたので、そちらを参照してほしい。

リンク:海外での評価

二次創作テイストと素人臭さ

国内の複数のネットメディアでは、『ONE PIECE FILM RED』のストーリーは二次創作、特に”夢小説/夢女子”というジャンルのようだと指摘されている。

マンガ・アニメ分野には、ファンらが作品から想像をふくらませて二次創作の同人誌を作るといった、独特なコミュニティが形成されている。サブカルチャーのそのまたサブカルチャーであり、素人の遊びの範囲で、厳密には著作権侵害だ。なので二次創作には一般社会に通用するレベルの作品はなく、たとえストーリーが荒唐無稽だろうが、社会的に不適切な表現があろうが、この狭く閉ざされたコミュニティの内部では問題にされない。

『フィルムレッド』をめぐってワンピースファンが二分されたと言った。ではどういう人は高評価したのかといえば、谷口監督の二次創作テイスト、サブカルテイストが好きな人は絶賛する傾向にある。逆に、こうしたテイストに興味がない人にとっては陳腐な作品であり、嫌いな人には不快なものということになる。

二次創作テイストだけではない。本作のストーリーは、「この製作者は一体何を考えているのか」と首をかしげるほどモラルの崩壊が激しい。

参考:特定の価値観を強要し、自由を奪う人物がなぜ「かわいい」のか

さらに他の点でも、本作は劇中歌の作詞・作曲をバラバラな人気ミュージシャン7組に依頼するなど、映画として素人臭い発想が目立つ。

普通なら選考過程ではじかれて日の目を見ないレベルなのに、企画が通り、予算が組まれ、製作され、世に出るところまで漕ぎつけた――これは時折、名前だけで人が集まるビッグタイトルや巨匠に限って起こる現象だ。

とてもよく似た事例がある。ミュージカル『オペラ座の怪人』はきっと誰しも聞いたことがあると思うが、実はそれに続編があるということは知っていただろうか? 制作したのはミュージカル界の世界的巨匠、アンドリュー・ロイド=ウェバーで、前作『オペラ座の怪人』では大成功を収めていた。が、続編『Love Never Dies』のストーリーは素人並みで、海外の劇評家は「ファントムの中身が別人」「ロイド=ウェバーによる二次創作」「なぜこのような作品が上演されるに至ったのか? それは私には分からない」など低評価一色だった。怒ったファンたちは「Love Should Die」というサイトを立ち上げ、『オペラ座の怪人』に続編はいらないと訴えている。

谷口悟朗監督のインタビュー発言について

私が映画評を公開した後、谷口悟朗監督のインタビューが映画公式サイトに掲載された。

インタビューの中で谷口さんは

(前略)『ONE PIECE』の世界でメインにはなりづらい【海賊に虐げられている人々の存在】を、印象的に描くことで新しい何かが生まれることを意識していました。(中略)虐げられている人々も、記号的にひとくくりにはせずにいろんな設定を裏ではしています。例えば、森の中に何人か女性たちが並んでいますが、あれはなかば宗教化しているグループとして描いています。いわゆるウタの信者ですね。(後略)

と答えているのだが、ここで、谷口さんが一般社会でいう「信者」と、サブカルチャー界のスラングでいう“信者”を混同していることを指摘したい。

一般社会で言う「信者」は、「特定の宗教を信仰する人」を指す。時代や場所を問わず、どこでも通じる普遍的な語だ。

他方、サブカルチャーでいう“信者”は、「(アイドル歌手等の)狂信的なファン」を意味するスラングで、それこそ「ウタの信者」というように使われる。通じる範囲は、ここ数年の、日本の、そのまたサブカル界の内輪だけだ。

狂信的なファンらが宗教のように見える、というだけで、両者は別の概念である。谷口さんは、異なる「信者」を混同したのをそのまま作中シーンに使用している。

そもそも、私が知る限り、歌手が民衆から救世主として祭り上げられた事例は世界史上で一つもない。谷口さんは、このシーンのように「歌手に世界を救うよう祈りをささげる人」を見たことがあるというのだろうか?

森の中で女性たちが祈っているシーン
(出典:『ONE PIECE FILM RED』公式サイト オフィシャルインタビュー

アニメ業界はこれまで、一般社会で人々をうならせる秀作を数多く世に送ってきた。また、社会派と呼ばれる映画監督では、今すぐ国会で質疑応答ができるほど高度な知識を備えた人もそうめずらしくはない。谷口悟朗さんは外部メディアでも「社会的弱者を描いた」旨の発言を繰り返しているのだが、もし『ONE PIECE FILM RED』をその言葉通りの作品だと期待して観に行ったら、ひどい肩すかしを食らうことになるだろう。

なぜこのようなシーンが世に出るところまで行き着いたのだろう? なぜ谷口さんはそのような自己認識を抱いたのか? 製作現場には、谷口さんにおかしいと指摘する人はいなかったのだろうか? それは関係者以外、誰にも分からない。

離れてゆくファン―集めたコミックスを売る波

映画レビューの読者から反響を受け、私はワンピースファンの間で一体何が起こっているのだろうかと、SNSを回って歩くことにした。

そこで私が見たものは、『ワンピース』やその作者である尾田さんに最後の言葉を残し、それまで愛読してきたコミックス100冊以上を売り払う波だった。

彼らが最後にぶつけた感情の濃さ、強烈さには驚くべきものがあった。

彼らのSNSアカウントの多くは、投稿が2022年11月で止まっていたり、日常アカウントに鞍替えしていたりする。一部のアカウントは、すでに削除されている。

悲しい、さびしい

私の目にまず入ってきたのは、悲しい、さびしいという声だった。

「ルフィがすっかり変わってしまってさびしい」「今週のワンピ読んだけどもう盛り上がれなかった。気持ちが離れちゃってる」「ルフィ達の冒険を最後まで見届けたかったけど、もう尾田先生にはついていけません」。私が何度も出会ったのが、「25年間ありがとう。さようなら」という文言だった。

『フィルムレッド』の公開直後から、ネット上のワンピースファンコミュニティには分裂が生じ、言い争いが絶えない日々が続いていたそうだ。中傷コメントを付けられている人も少なくなかった。

そこで11月に始まった副音声上映は、いったんはワンピースにとどまっていた一団にとって致命打となったようだ。「映画館で副音声を聞きながら涙が止まらなくなった」と長々綴っている人もいた。

作品それ自体だけではなく、それにまつわる思い出への言及も多かった。「20年間ルフィたちと泣き笑いしてきました」「ワンピを否定することは自分のこれまでの人生を否定するみたいな感覚」「友達が漫画全巻売ってた」などと、声には悲痛さがにじみ出ていた。ワンピースを家族で楽しんでいたという読者では、「一緒にフィルムレッドを観に行って以来父親がジャンプを買ってこなくなった」「東京ワンピースタワーに家族で旅行に行ったこともある。この大事な思い出をどうすればいいんだろう」など、戸惑い交じりの声もみられた。

物語の根幹が変更されたことで、大切な思い出まで壊れてしまったように感じられたことが、集めたコミックスを売り払うほど深い悲しみにつながったようだった。

怒り、恨みを生んだ創作姿勢

悲しい、さびしいといった声の傍ら、怒りの声も噴出していた。「絶対許さない」「一生恨む」など、怒りの度合いは強烈だった。

読者の熱意と尾田さんの創作姿勢に生じた深い溝

「25年間描きつづけた物語はそんな軽いものだったんだな」「ワンピースに興味失くしたならそんなのさっさとたたんでウタピースでも始めればいいじゃん」。こうした元ファンの怒りの背景には、映画用キャラ一人のために物語の根幹を変更したのが「軽率だ」という受け止めがみられた。

ファンの側は、『ONE PIECE』を心から面白いと思ってきたし、それは尾田さんにとって25年の月日をかける大事な大作だと信じて疑っていなかった。そんな読者の信頼や思い入れと、作者の言動・態度との間で、深い溝があらわになった形だ。

愛読書が不快感の対象に変貌

「週末売りに行くけどとりあえず押し入れの中に入れた。目に入る場所から移したかったから」「(Twitterで)公式をブロックした」などと、『ワンピース』が不快感の対象に変わったことがうかがえる声も複数みられた。

これには、ウタのキャラクター性と、『フィルムレッド』のプロモーションが大きく関わっていると思われる。

もとより、美少女キャラクターはアダルトに準ずる性質ゆえ、目に入っただけで強い拒絶反応を示す人が一定数必ず出る。ウタは、それにプラスして、大勢の人が大事に思ってきた物語の根幹をゆるがすキャラでもあった。

『フィルムレッド』には異常なほどのプロモーション網が張られ、しかも宣伝広告に使われるのはルフィではなくウタに集中していた。単行本では101~104巻の巻末に映画の宣伝ページが設けられ、ウタがシャンクスの娘であることまでしっかり記載されている。さらにウタは、原作の扉絵や本編のコマにも登場。「らくがきコーナー」のイラストは例外なく公式SNSでシェアされ、「ジャンプ」の表紙にも一年で3回という異例な回数登場した。

TOKYU PLAZEに吊るされたONE PIECE FILM REDのポスターと階段での宣伝
東京・表参道のTOKYU PLAZAで行われたプロモーション「歌声階段」。人が階段を上ると「新時代」が大音量で流れる仕組みだった。筆者は知って見に行ったのではなく、偶然通りかかった時に目に留まって撮影した。

見たくないコンテンツを断続的に見せつけられる結果となったことで、ワンピースそのものから離れなければという思いが生じたのではないかと思われる。

ただそうしたところで、同作のプロモーションは、国内にいる限り見ないではいられないほど大規模だった。テレビCMは大量に流され、2022年末には紅白歌合戦など6つの音楽番組に「ウタ」が出演(放映されたのはウタのCG映像)。その「ゴリ押し」は、元ファンの印象をさらに悪化させたようだ。

噴出した「お金」への感情

こうした怒れるファンが突然言及し始めたのが、「お金」だった。

例えば、ある読者は、小さいころからずっとワンピースを追ってきたという。文章からは、少ないお小遣いでコミックス一冊買うのにも苦労していた様子がうかがえた。現在の年齢は定かではないが、すでに大人並みに成長しているようで、突いたところは鋭く、手厳しかった。曰く、尾田さんはたとえ今後ストーリーの展開や作風がどうなろうが、売り上げが下がろうが、極端な話打ち切りになろうが、すでに十分稼いでいる。その陰で真面目に向き合ってきたファンの心はないがしろにされ、泣きをみた、という。中傷的な文面ではなかった。

「ワンピースに使うお金はこの映画を最後する」と話す人は、私の目につく範囲だけで複数みられた。

人が好きなマンガに払うお金は、喜んで出すお金だ。そもそもエンタメは、対価と釣り合う価値をシビアに求めるような分野ではない。何が出るのか、おもしろいのかイマイチか、好みに合うのか合わないか、見るまで分からないワクワク感もエンタメの一部である。しかし、作品がいいかげんだったら話は別だ。無駄遣いだった、この作者はこんなもので金をとるのかと、突如怒りが湧いてくる。私は、期待ほどおもしろくなかったゲームの代金6000円は少しも気にしていないが、監督の”お友達”で演技経験ゼロの素人が主役を演じた某映画だけは、レンタルビデオ代の200円を今でも根に持っている。その映画監督のことは、アーティストとしても人としても信用していない。

連載25年目で尾田さんが物語の設定を変えると言い出したことは、『ONE PIECE』に喜んでお金を使ってきたファンたちに、本気だった読者を馬鹿にしているように受け止められたようだった。

尾田さんの態度と、失われた信頼・尊敬

「(尾田さんのことを)もう信じられない」「尾田先生のことをこれからは尾田おじさんと呼ぶ」といった声もあった。かつて世間が寄せた、人々を感動させる偉大なマンガ家への尊敬の念は、彼らの中ではすっかり消えてしまったようだ。

また、ここ数年のテレビ番組「ホンマでっか!?TV」(フジテレビ系列)や、インタビュー、対談、そして副音声上映での発言からは、「正直天狗になりすぎだと思う」「鬼滅の刃が大ヒットしてからもっとおかしくなってきたな…と感じる」などと、尾田さんの態度を指摘する人も多かった。ソースは現在確認が取れないものが少なくないが、長年その言動を見てきたファンはそのように感じているようだ。

『フィルムレッド』関連で言えば、103巻巻末の宣伝ページをはじめ、関わった人の有名さばかりを強調しているのは事実である。

私は、読者から教えてもらった雑誌『ONE PIECE magazine Vol.15』を読んでみた。なるほど、確かに

谷口さん・黒岩さんから、まずシャンクスの”娘”を出したいという提案が来ました。(中略)僕が総合プロデューサーとして関わるならば、読者への信頼も保証できます。じゃあ”娘”で行きましょうと。(後略)(55頁)

などというところからは、「尾田栄一郎」と名が連なっていれば読者はどんな中身でも肯定するかのような意識が見え隠れした。

マンガの読者には、作品そのものだけを楽しむから作者には興味がない、というスタンスの人はけっこういる。熱心なファンだからといって、みながみなアニメや劇場版まで目を通しているわけでもない。普通だったら、派生作品一本でファンが離れるなどといった大事には至らない。

だが、この『フィルムレッド』に限っては、ウタの存在、そして作者の「軽率」と言われるような姿勢は四方八方から伝わり、同作にノータッチだった人々の目や耳に届いた。『ONE PIECE FILM RED』のレビューを書いた私が見たのは、作品内外から伝わる作者・尾田さんの創作姿勢が、その信用を失墜させ、尊敬の念を吹き消し、あきれたファンが次々と去っていく光景だった。

なぜ尾田栄一郎さんは『フィルムレッド』を売り込んだのか?

以上の通り、劇場版作品『フィルムレッド』のストーリーは二次創作さながらだった。頭のいいプロの天才マンガ家なら、そのおかしさに気付かないはずがないがない。

では、原作者で総合プロデューサーの尾田さんは、なぜ25年描き続けた自分の作品を破壊しかねない映画にゴーサインを出したのだろう? なぜ自画自賛の宣伝を繰り返したのか。背後にどんな力関係があったのだろう、立場が弱くて首を縦に振らされたのではないか、と勘ぐった読者もいることだろう。

実は当初、国内では、ファンの怒りは監督の谷口悟朗さんに向く傾向だった。シャンクスの娘を出したい、ウタを世界の歌姫にしたいと発案したのが谷口さんだということは、インタビューや劇場パンフレットで明らかになっていたからだ。一部ファンの尾田さんに対する見方は、無理やりやらされているのではないか、というように同情的だった。

ところが、しだいに怒りの矛先は尾田さんに向いていった。なぜなら、本人の裁量がきかないとは思えない場面で、尾田さんがウタを売り込んだからだ。

例えば、8月27日に配布が始まった劇場入場者特典第3弾「巻4/4″UTA”」の作者紹介欄では、

(前略)このコミックスは”ウタ”に関する事のみの本です! ウタちゃん、好きですか?(後略)

と、まるでアイドルのファンのように”推す”コメントをしている。

さらに、同11月に発売された原作104巻の「ウソップギャラリー海賊団」では、題字に、読者が美少女キャラクターらしく描いたウタを採用。

そう思って見返せば、「らくがきコーナー」2022年6月7日更新の

(前略)そして8月6日公開の映画「RED」超ご期待ください!!コレに関しては面白い現象が起きてます。映画製作スタッフ全員ウタちゃんが大好き♡笑(中略)いずれ皆さんも同じ気持ちになるのは間違いないです!!(後略)

に始まり、同12月18日には

(前略)ウタちゃんの紅白出場!「TVツアー」も今だけなのでぜひ楽しんでね。(後略)

など、尾田さんはウタをたびたび「ちゃん付け」で呼んでいる。

さらに同12月21日、尾田さんは何の前触れもなくワンピース公式SNSで動画作品「絵描きウタ」を発表した。この動画は映画のプロモーションに寄与するとは思われず、必要性がまるきりみられない。動画最後のスタッフクレジットには「うっかり、遊びで、作りましたー!!」と書いている。

単行本の作者紹介欄や、イラストコーナーの選考、キャラの呼び方で本人に決定権がなかったとは考えにくいので、尾田さんは外部からの圧力なしに、ウタというキャラを自ら率先して売り込んだのだと思われる。

マンガ家がヤング/アダルト化に踏み切る3つの理由

では、なぜ尾田さんは率先してウタを描き、売り込むようになったのだろうか?

前述の通り、美少女キャラクターはヤングアダルトコンテンツである。言い換えれば準ポルノであるため、一般作の範囲からはやや外れ、作品の中身が評価されることはなくなる。アートとしては「新時代」をつくるどころか、作品を放棄したも同然だ。マンガ家としては、作家生命を断たれかねない。

マンガ家がヤング/アダルト路線に転向するとき、その理由はほぼ固定されている。すなわち、

  1. ネタ切れ
  2. 人気取り
  3. 金銭

である。多くの場合、複数を兼ねている。

一般作がヤング/アダルトに転じた場合、それまでの読者は去り、新たに美少女目当ての層が入ってくるのが定石だ。ただし、その人気は長続きしない。ヤング/アダルトコンテンツは、消費されては消えていく、いくらでも代わりがあるものだからだ。

また、ひとたびヤング/アダルト化に踏み切ったら、その作品が元に戻ることはほぼ見込めない。一度美少女で人を集めたマンガでは、たとえどんなにすばらしいことを言おうが読者はもう冷めていて、良いと感じてくれないからだ。ヤング/アダルト化は、得てして、行き詰まったマンガ家の最後の手段である。

では、尾田さんには最後の手段を使わなければならないほど困った事情があったのだろうか?

ネタ切れを起こしていたのか?

冒頭で述べた通り、以前から、尾田さんは最終章の盛り上がりとラストは始めから頭にあると繰り返し述べてきた。

連載前から練っておいたラストをいよいよ描くという時なのだから、ネタ切れからはほど遠いはずだ。

人気が低迷していたのか?

上記の通り、「少年ジャンプ」は人気が落ちた作品をすぐ打ち切りにすることで知られるが、2022年時点まで、『ワンピース』は人気作品として不動である。

したがって、美少女キャラクターを出してまで人気回復しなければならない状況はなかった。

金銭的な問題を抱えていたのか?

作品をヤング/アダルト化させるのは、金を稼ぐ最もチープな方法だ。

尾田さんの年収は、今日でも複数のネットメディアが試算を試みている。真偽は不明だが、一部のメディアは「週刊文春」のころより多く、30億円以上と出している。

尾田さんの私生活は筆者には分からないし、詮索すべきでもないが、著作物から破格の高額収入があったということは断定できる。

以上を考慮すると、尾田さんが25年かけて描いてきた『ワンピース』の物語の根本を変えてまで美少女歌姫キャラクターを売り込んだのは、本人がウタに心底夢中になったからだと考えるのが、最も自然ではある。

『フィルムレッド』後の尾田栄一郎さんと『ワンピース』(2023年~)

以上のように、美少女キャラクターを前面に打ち出した『FILM RED』は、『ワンピース』史上最大のターニングポイントとなった。その製作から公開にかけての時期を境に、同作の作風や内容には変化がみられる。

以下では、フィルムレッド後の尾田さんの発言や『ワンピース』の展開、読者や世間の反応などを追っていく。

『フィルムレッド』公開終了―大本営状態の苦しいプロモーション

『ONE PIECE FILM RED』は、約半年間上映した後、2023年1月29日に公開を終了した。最終的な興行収入は197億円となり、同時点で国内の歴代興行収入ランキング8位に入った。この時尾田さんは48歳になっていた。

同映画は、公開終了に向けても大規模なプロモーションが行われた。その一つに終映告知のテレビCMがあるのだが、映画業界ではこれから公開する作品を宣伝するのが普通である。終わるほうを宣伝するのは非常にめずらしい。

プロモーションの中には、尾田さんの心中を探るヒントがある。上記の通り、尾田さんは国内の興行収入がキリ番に達するたびにお祝い画像を公式Twitterに提供しており、190億円突破の時の絵柄は、主人公ルフィの両脇を固めるゾロとサンジだった。が、公開終了翌日の1月30日には、突然、興行収入の単位を国内から全世界に変更し、ルフィのイラストを出したのである。

これはおそらく、尾田さんはルフィのイラストを興収200億円に向けて用意していたが、到達しなかったので、世界の興収を持ち出してお茶を濁したものと思われる。なお、このイラストでは、「DEAD OR ALIVE」をもじった「RED WILL ALIVE」という記載があるが、これは英語としてまちがっている。

尾田さんがどういう心境で「全世界興行収入319億円」のイラストを描いたのかは分からないが、少なくとも、「200億行ってほしかったのに到達しなかった」という意識はあったと思われる。

支離滅裂な言動

『フィルムレッド』公開中から終了にかけて、尾田さんの言動は支離滅裂だった。

例えば、2022年12月16日の「らくがきコーナー」更新では

(前略)そして、ルフィ達の冒険は来年もさ来年もまだまだお見せできますが、ウタは映画のキャラクター。期限付きの歌姫。(後略)

と発言。これを受け、SNS上では、ウタを原作ストーリーに含める等の発言に怒ったファンへの配慮ではないか、同発言を撤回するのでは、といった声がみられた。ところが同21日、尾田さんはそう言ったそばから「絵描きウタ」を発表。映画の公開が終了した後も、映画用キャラであるウタを取り上げ続けている。

この時期の尾田さんには、理解に苦しむような発言もある。原作のストーリーにも矛盾が目立つようになった。これについては下記で詳述する。

『フィルムレッド』終映前のプロモーションには、大本営発表のような苦しさがあった。宣伝なのだから「大ヒット」を連呼して人々をあおらざるを得ないものの、表向きの威勢と舞台裏の実情は大きく食い違っており、製作側は相当もがいていたのだろうと推測できるのだ。

本作に関しては、マーケティング目的で世に放たれた情報が一般の映画と比べて極めて多い。したがって、情報に触れる際には、客観的事実を述べたものなのか、それともニュースやレビューの皮をかぶったプロモーションなのかには、いっそうの注意を要する。

「ワノ国編」総評

時同じく、原作では「ワノ国編」が完結した。シリーズ最終話が「ジャンプ」誌上に掲載されたのは2022年8月22日で、単行本では2023年3月に発売された105巻に収録されている。

「ワノ国編」は、その名の通り、侍や忍者、芸者などが登場する時代劇のような島が舞台だ。前述の通り時代劇や落語の大ファンである尾田さんは、

ルフィ達はいずれワノ国に行きます。も~昔から僕は描くのが楽しみでね~。趣味丸出しになるかもなー。(69巻「SBS」)

などと以前から繰り返し述べていた。

物語の核心にせまった最長シリーズ

「ワノ国編」は、単行本では91~105巻までの約14冊、連載期間は約4年と、『ワンピース』史上最長のシリーズとなった。

このシリーズでは、「パンクハザード編」から徐々に進んでいたストーリーがついに決戦を迎えたのと同時に、”空白の百年”や”ひとつなぎの大秘宝”にかかわる物語の核心が少しずつ明かされた。特に、海賊王ゴールド・ロジャーが最後の島にたどり着き、そこで何かを見たシーンが直接描かれたのは重要だ。いよいよ次に始まる最終章への期待を高める構成といえる。

首をかしげるようなギャグやネタが急増

物語の核心に迫った一方で、「ワノ国編」には必ずしも順調とはいえない部分もある。一体何が面白いのか、首をかしげるようなネタが急増したのだ。尾田さんのこうした傾向は、前述の横井庄一さんを揶揄するネタで批判を浴びた前後から徐々に現れ始めていた。

具体的に言うと、まず尾田さんは好んで変顔を描くようになった。以下のコマのように、ロビンやウソップといった主要キャラクターでも複数回描かれている。

ONE PIECEのロビンとウソップが変顔をしているコマ
(単行本92巻、第924話 ”は”より)

尾田さんは、良い、面白いと考えたから描いたのだろうが、読んでいる側にとっては特段笑えるものではないだろう。思考のない「おふざけ」だといえる。バトルマンガというジャンルでは、キャラの格好良さは重要だ。主人公とその仲間はとりわけそうである。変顔を描きたいならそれは作者の自由だが、マンガの出来としては、ないほうが締まるだろう。

また、時代劇の世界をモチーフとした「ワノ国」では、時代劇や落語をオマージュした小ネタが多数盛り込まれた。これらは尾田さんの「趣味」であり、楽しんで描いている様子がみられるが、現代の一般的な読者には元ネタが分からない。別段面白いということもないだろう。

とりわけ「趣味」全開なのは、”赤鞘九人男”だった。”赤鞘九人男”は「ワノ国」の9人の侍で、黒澤明監督の映画『七人の侍』へのオマージュだともいわれている。が、人数が多いわりに、ストーリーへの関与はいずれもあまりなかった。

変顔や落語・時代劇へのオマージュは、いずれもストーリー進行の妨げにはなっていない。だが、面白がっているのは作者だけ、という感はある。作者と読者の間には、心に温度差ができている。

モモの助とウタ―作者の視線の共通点

他、モモの助の描かれ方にも、尾田さんの趣味やこの時期の傾向が反映されているように思われる。

モモの助は、ワノ国将軍・光月家の跡取り息子なのだが、まだ8歳の泣き虫な子どもだ。「パンクハザード編」で“麦わら海賊団”と出会って以来、ずっとルフィ達に守ってもらっていた。つまり、バトルマンガにおいて、バトルでは一切貢献できない人物なのである。無論政治的能力もゼロであり、光月家の家臣たちを頼っている。

それが「ワノ国編」の終盤では、モモの助が将来「後の世に広く轟くワノ国の名将軍」となることが示唆されたのだ。確かにモモの助には自分なりにがんばっているシーンはあったのだが、それが名将軍になるというのはバランス的にやや「推しすぎ」といえるだろう。ルフィの船に乗船して一時冒険に同行した人物といえば、他にビビやローがいる。この二人は、自ら戦って死闘の末に強敵を打ち破り、読者から高い人気を誇っているが、モモの助の人気や注目度ははるかに低い。

未熟なキャラクターを「上から愛でる」ような視線は、同時期に製作していた『ONE PIECE FILM RED』のウタと共通している。この時期の尾田さんの傾向だといえるだろう。

最終章直前で思考とモラルが崩壊

「ワノ国編」では、それまでの『ワンピース』の作中モラルを崩し、同時に作者である尾田さんのモラルも疑われるようなシーンが登場した。1057話「終幕」での光月日和のセリフ「燃えてなんぼの黒炭に候!!!」である。問題のシーンは、約4年続いた長編シリーズの締めくくりであり、かつ、最終章に入る直前でのキメのはずだった。

ONE PIECEの光月日和が「燃えてなんぼの黒炭に候」と言い放つシーンのコマ
(単行本105巻、第1057話 ”終幕”より)

これに国内外多くの読者が失望し、ネットではワンピース史上で有数の“炎上”が巻き起こる事態となった。

解説―「燃えてなんぼの黒炭に候」はなぜ“炎上”したのか

解説すると、光月日和は、ワノ国将軍・光月家の娘で、モモの助の妹だ。日和は幼い頃、将軍の座を狙う黒炭オロチの謀略によって両親を殺され、その後は光月家再興の願いを胸に秘め、ワノ国一の花魁「小紫」を仮の姿に辛い日々を生きてきた。一方の黒炭オロチは、将軍の座を奪うと、自らに従わない国民から食料を奪い、過酷な強制労働を課すなど、極悪非道の限りを尽くしていた。日和のセリフ「燃えてなんぼの黒炭に候」は、父・光月おでんの最期の言葉「煮えてなんぼのおでんに候」をもじってオロチの最期に叩きつけたものだ。1057話では、その場面を講談師が国民に語って聞かせ、喝采を浴びている、という形で描かれた。

ここまでなら、時代劇の「仇討ち」と「お家再興譚」がそのままベースになった勧善懲悪ストーリーだといえる。

ただ、オロチが非道な人物となったのは理由があった。オロチの祖父は大名だったが、将軍の座を手に入れようと画策して他の大名を暗殺し、それがバレて切腹、お家断絶となる。その後、黒炭家の生き残りは、「黒炭」と名がついているだけで子どもまで惨殺されるなど、国民から苛烈な迫害を受けたのだ。オロチがワノ国に対して復讐心を抱いたのはそのためだった。

つまり、日和が「黒炭」を「燃えてなんぼ」と言い放ち、国民がそれを喝采するのは、黒炭家への迫害を繰り返したことを意味する。キメのコマとしてスカッとするよう演出されているが、読者からは「胸が悪い」「美談とは思えない」「これでは第二、第三のオロチを生みかねない」「ワノ国の国民は何も学んでいない」などと嫌悪の声が上がった。

読者の印象をさらに悪化させたのが、ストーリー上のタイミングだ。ほんの3話前の1054話では、”世界政府”非加盟国の国民への差別を肯定する強大な敵が新しく登場していたのだ。つまり、差別を否定的に描いたばかりで差別を肯定的に描くシーンが出てくるという矛盾が生じたのである。

以前から、『ワンピース』の作品世界には、血筋や親の犯罪歴によって差別や迫害を受ける人が時折登場していた。が、それらは敵がやることとして否定的に描かれ、作中のモラルとなっていた。「黒炭」という名に対して「燃えてなんぼ」と言い放つのは、25年間続いてきた作中モラルをひっくり返したことになる。

単行本の質問コーナー「SBS」で回答

こうして“炎上”を引き起こした「燃えてなんぼの黒炭に候」について、尾田さんは2023年3月に発売されたコミックス105巻で言及した。読者からの質問への回答という形で、次のように述べている。(筆者注:お玉はルフィ達がワノ国で出会って仲良くなった女の子。)

(前略)これは、はっきり言っておきましょう。お玉は「黒炭玉」が本名です。では、恨まれるべきなんでしょうか?ラストシーンで日和は「燃えてなんぼの黒炭に候」とはっきりと言い切りました。その中にお玉も入ってるのでしょうか?違いますよね、日和はオロチただ1人を指していったものと彼女の物語を見ていればわかります。お玉が黒炭家の血筋だと知ったら周りはどう反応するでしょう。色々想像してみてください。昔も今もこれは社会の大きな問題ですよねー。

弁明として的確でない理由

この回答をどう読むか。まず、”炎上”に対する作者の「弁明」として読んだ場合をみていこう。

結論を先に言ってしまえば、弁明としては苦しい。なぜなら、「日和はオロチただ1人を指していったものと彼女の物語を見ていればわかります」というのは尾田さんの主観や主張にすぎず、客観的に見てそう言えるかどうかは別の話だからだ。

筆者は、このシーン以前、『フィルムレッド』レビューの中ですでに、日和が人を個人ではなく家名で判断するセリフを指摘していた。以下リンクがそれである。

リンク:ひと昔前のサブカルにのみこまれた作風

問題のセリフ以前にそのようなシーンが出てきているのだから、「日和が黒炭家を差別・迫害をした」と読むのは自然である。

しかも物議となったシーンで、日和は扇に描かれた光月家の家紋を突き付けている。

ONE PIECEの光月日和が扇をオロチに突き付けたコマ
(単行本105巻、第1057話 ”終幕”より)

家名を以てオロチを制しているのである。

それにそもそも、読解では、文をありのままに解釈するのが基本だ。セリフの文面自体が「燃えてなんぼの黒炭に候」なのだから、日和は「黒炭」を「燃えてなんぼ」と言ったのだと読むのが素直である。やはり「黒炭家を差別・迫害した」と解するのが自然であろう。

以上より、「燃えてなんぼの黒炭に候」の「黒炭」はオロチ一人を指したと分かるように描いた、という尾田さんの弁明は苦しく、無理があるといえる。

尾田さんは、理解しないのは読者のせいだと言い切った―作家としての重大発言

弁明として無理があるところにもってきて、「違いますよね、日和はオロチただ1人を指していったものと彼女の物語を見ていればわかります」というのは、作家として重大な発言である。

なぜなら、同発言は、「オロチ一人を指したものだと思わなかったなら、(読者は)彼女の物語を見ていない」と言い換えられるからだ。たとえ本人がそういう意味ではないと主張したとしても、論理上そうである。異論の余地はない。つまり、尾田さんは105巻「SBS」で、「『燃えてなんぼの黒炭に候』の『黒炭』はオロチだけを指したものだととらえなかったのは、読者がよく読まなかったからだ」と言い切ったのである。

これに先立ち、尾田さんは、『ONE PIECE FILM RED』の副音声上映でも同じように観客/読者側に責任があるという旨の発言をしている。お笑い番組「キングオブコント2022」で芸人が言った「俺たちのネタで笑えないなら顔で笑え。笑うことを諦めるな!」という言葉を引用し、同作を面白くなかったと言う観客/読者に対して「楽しめる部分を見つけてほしい」と発言したのだ。

副音声上映でのこの発言はショッキングであり、上記のようにファンが雪崩を打って離れる原因となった。筆者の耳には、映画批評への反響を通して、「副音声上映を聞いて泣いた」といった声が複数入っている。

谷口悟朗監督の影響

SBSでの回答には、『フィルムレッド』の監督・谷口悟朗さんを思わせる部分もある。

まずは、作者が全く描いていない「もしもお玉が黒炭家の血筋だと知ったら周りがどう反応するか」を想像するよう読者に提案する姿勢がそれだ。やや二次創作的な発想である。

「社会の大きな問題」を描いたと言いくるめようとするところも然りである。谷口さんがメガホンをとった『フィルムレッド』は、社会的弱者を描いたという本人の主張とは裏腹に、それとは真逆のサブカル的、アイドルカルチャー的な作品だった。

この言い分について軽く三点ほど指摘しておこうと思う。まず、尾田さんの言う「血筋による差別」というのが、時代劇の中ならともかく、人々の意識の近代化が進んだ今日どこまであるかには疑問の余地があるだろう。二点目、シリーズを通して、オロチを除いて「ワノ国」は好意的に描かれていた。「大きな問題」を抱えた社会という見方が示されたことはない。そして三点目、尾田さんはかねてより、『ワンピース』は社会に対してメッセージを込めたり読者に考えさせたりする作品ではないと繰り返し述べてきた。この場に及んで突然社会問題を描いたと主張するのには整合性がない。

時代劇の勧善懲悪と『ワンピース』の世界観の矛盾

そもそも、時代劇は、今日では下火になっている、ひと昔前の大衆向けエンタメである。その特徴の一つは、単純な勧善懲悪ストーリーであることだ。善人は善人、悪人はどこまでも悪人なのである。「黒炭」のようにあからさまに悪そうなキャラクター名は、時代劇やそれを模したフィクションでは時折みられる。また、ストーリー展開では、リアリティや合理性は重視されない。

尾田さんは、こうした時代劇の構図を、そのまま自分の作品に流用した。「ワノ国編」を時代劇の勧善懲悪として見たならば、きれいに結ばれたといえる。

ただ、「少年マンガを時代劇として見る」というのは、読み方として不自然である。ワンピースはワンピースとして読むのが普通だろう。「時代劇だからこういう展開になるのだ」と作者・尾田さんの視点に立って見る読者がいるとは考えにくい。

リアリティを除外する時代劇と比べ、『ワンピース』の作品世界は、勢力同士のパワーバランスが物語を動かしていくなど、合理的・現実的に作られていた。「正義と悪」の在り方も大きく異なる。海賊を取り締まる海軍のスローガン「絶対的正義」が皮肉っぽく描かれ、正義と悪は不安定なものだと要所要所で言及されているのだ。これらの点で、時代劇と『ワンピース』は最初から「水と油」だった。

上記「SBS」の回答によれば、お玉が黒炭家の人間だという構想は尾田さんの頭の中にはあったようだ。この設定は、親の犯罪歴によって迫害される人が時折登場してきた『ワンピース』らしいといえるだろう。ただ、そうしたオリジナリティあるエピソードは結局描かれずに終わった。作者・尾田さんが好きな世界をもとにした「ワノ国編」だが、出来上がったものは、時代劇のお約束と自作のマンガの世界観をパッチワーク式にツギハギしたにとどまった。頭の中に作者らしいアイディアがなかったわけではないにせよ、思考はバラバラで、一貫性のある作品世界を作り上げることには失敗している。

海外ファンにも走った衝撃

「燃えてなんぼの黒炭に候」は、国内だけでなく海外でも”炎上”を引き起こした。中には、信じられないという思いから、物語の根幹への伏線なのではないかと深読みするファンも出たという。

公式ポータルサイトの「グレッグ先生のSUPER OP講座!」(2022年8月4日)で、グレッグ・ワーナーさんは

(前略)尾田っちが完全に〝黒〟い悪役キャラを描くことなどめったにない!

キャプテン・クロやドフラミンゴのような、一ミリも人情味がない完全狂気な〝一族〟として黒炭家を描くなんてことは、あまりにも尾田っらしくない! オロチ、せみ丸、ひぐらし、そしてカン十郎はたしかに最低な連中だけど、迫害もされてきた黒炭家全員に救いはないのか!?(後略)

と書いている。

なお、執筆者のグレッグ・ワーナーさんは、ワンピースマニアとしてテレビ出演した経験があり、公式サイトで同コラムを担当するなど、読者でありながらプロモーションに食い込んでいった熱狂的ファンの一人である。

光月日和の本質―「見た目を楽しむ」キャラクター

では、物議の的となった光月日和は、全体としてはどんなキャラクターだったのだろうか。その視点も確認しておこう。

まず第一に、彼女は絶世の美女だとされている。初登場した時点では、高飛車な性格もみられる。それが後にゾロと出会ったシーンでは、そうした振る舞いは表向きであって、信頼できる人の前ではおっとりした人柄だと分かる。兄・モモの助は、小さいころはおてんばだったと回想している。ここまでなら、「世間の前では誇り高く振る舞っていても、本当はソフトで共感できるような人」と受け止められるだろう。

ところが、これらの要素のうちで、おっとりした様子はその後は一度も描かれることがなかった。光月日和というキャラクターは、『ワンピース』ではめずらしく一貫性に欠けている。

とりわけ、問題となったキメのシーンは、コマの移行としても不自然だ。少し上に戻って確認してみてほしい。「燃えてなんぼの黒炭に候!!!」では、気高く、オロチを見下した表情をしているのに、隣のコマではぼろぼろと涙を流しているのだ。表情の変化としては急すぎるし、どういう状況なのかよく分からない。

こうした流れの不自然さは、高飛車な美女と、泣いている美女、いわば「目の保養」のコマを1ページに詰め込んだ結果ではないだろうか。尾田さんは光月日和を、キャラクターの中身や心情描写を軽視して、「見て楽しむ」ように描いているように見える。映画のウタに続き、作品のヤングアダルトコンテンツ化が進んでいるといえるだろう。

作者・尾田さんの「常識」と一般社会のモラル

尾田さんは「らくがきコーナー」2021年12月19日の更新で、

ずっと描きたかった「ワノ国」ラストシーン!くあー!

と発言していた。

もしそのずっと温めていたラストシーンが「燃えてなんぼの黒炭に候!!!」のことだとしたら、読者の失望と“炎上”は、尾田さんにとって予想外だったと推測できる。敵の名前を「黒炭」に設定したのは、「燃えてなんぼの」という句に掛け言葉としてつなげるためだったのかもしれない。だが、いざそれを世に投げかけてみれば、読者からは差別表現だとして批判と嫌悪の声が上がったのである。

このセリフは、たとえ時代劇の勧善懲悪として好意的に受け止めたとしても、スッキリしない点が残る。日和の仇討ちが、相手の名前を揶揄するという低次元なやり方だったところだ。これではまるで低年齢のいじめである。

揶揄といえば、尾田さんが故・横井庄一さんを揶揄したとして社会から批判されたのは前述の通りだ。尾田さんの「からかい」や「おふざけ」、面白いと考えることは、一般社会のモラルや人々の感覚からかけ離れる傾向となっている。

総合プロデューサーとして深く関わった『フィルムレッド』も、製作者のモラルを疑うようなストーリーだった。ウタは大量殺人を企て、着手した人物である。にもかかわらず、最初から最後まで魅力的な美少女ヒロインとして描かれているのだ。同作は、ウタを「かわいい」と言うことが至上目的として掲げられ、それを達成するために「大量殺人はいけないことである」といった社会規範のほうをねじ曲げたような無茶な作品だった。尾田さんは、「らくがきコーナー」2022年11月16日更新でも

現実と仮想空間があいまいになろうとするこの時代に未来の常識を持って生まれた人物がウタだったのかなと、映画を作り終えようとする時期に、ふと思いました。(後略)

と書いているのだが、一体どんな未来を想像しているのかと目を疑ったのは筆者だけではないだろう。

連載25年目で、48歳になった作者・尾田さんの思考やモラルが崩壊しつつある。かつての精巧さと重厚感、そして安定感はもうみられない。「ワノ国編」完結の時点でははっきりした人気低迷はないようだが、作品の内容面は正念場を迎えている。ストーリーマンガとしての質を回復できるのか。失った信頼をどこまで取り戻せるのか。人気マンガ『ワンピース』の最終章は、竜骨にヒビが入った大船で、不安だらけの出航となった。

乱調だった48歳の一年(2023年)

作風に大きな変化があった翌年である2023年は、尾田さんや『ワンピース』にとって山あり谷ありの一年となった。

またこの年には、「少年ジャンプ」の周辺で、時代の変化、人々の意識の変化を感じさせる出来事もみられた。

乱視の影響と手術・休載

2023年3月に発売された単行本105巻で、尾田さんは乱視により絵を描くのに支障が出ていることを明かした。この時、尾田さんは48歳である。

発言があったのは「SBS」。104巻に収録されたコマで、麺類だけ食べるはずのキラーがたこ焼きを持っているという読者の指摘に対し、

ちゃいます よく見て! コレ何通か来てたけどさ、「焼きそば」です! だから大丈夫!穴からつるつるいきました。最近僕は乱視がひどくて、細かい絵が見えないんだよね。僕も悪かった!

と回答した。

乱視とは?

乱視とは、物を見るときに焦点が1ヶ所に集まらない状態のことをいう。

軽度なら症状はほとんど出ないが、強い乱視では、物が二重に見える、ぶれて見える、ぼけて見えるなどの症状が現れる。派生的に肩こりや頭痛が生じたり、字などがよく見えないためにミスが増えたりすることもある。

原因は、目の角膜または水晶体が押しつぶされたような楕円形にゆがむこと(正乱視)、あるいは、外部からの衝撃や炎症、他の病気によって角膜の表面にでこぼこができること(不正乱視)である。

そもそも、眼球の構造はレンズのそれとほぼ同様だ。中学の理科で、凸レンズを通してろうそくの像を反対側のスクリーンに映す実験がある。あれと同じように、眼球の中でレンズの役割を果たしているのが角膜や水晶体で、眼球の奥にある網膜がスクリーンとなり、像を結ぶのである。角膜や水晶体は、本来ならほぼきれいな球形をしているのだが、それにゆがみができれば像はぼやける、というわけだ。

つまり、乱視で物がぶれたりぼけたりして見える原因は眼球の器質的・物理的な変化にあるのであって、脳や神経の異常によるのではない。

症状が出た場合、正乱視なら、角膜や水晶体の状態に合った眼鏡やコンタクトレンズで矯正して対処する。角膜がでこぼこになる不正乱視では、ハードコンタクトでの矯正を試み、それでも矯正できないときは手術を行う。

参考:「乱視」の原因・症状・対処法 – ロート製薬

絵・作品への影響

この前後で、尾田さんの画風には変化がみられる。

まずは、ルフィ達の顔だ。この頃から、ルフィの顔はマスコットキャラのように丸くなり、かわいらしい表情をすることが増えた。「ジャンプ」の表紙などのカラーイラストでは、ルフィを筆頭に、ゾロやジンベエなども含めた”麦わらの一味”全員にアンパンマンを彷彿させるような赤く丸いほほが描かれるようになった。

さらに、2022年末から2023年の「ジャンプ」掲載分が収録された106巻(2023年7月発売)では、読み進めていて違和感を覚えるほどキャラクターの顔がおかしい箇所が頻出する。大きく描かれた部分はそうでもないのだが、細かい箇所になればなるほど絵が乱れていく傾向だ。

例えば次のコマでは、コマの前面にいるナミとウソップは普通だが、少し後ろに立っているサンジとロビンの顔は不自然といえるだろう。

マンガ『ONE PIECE』でナミ、ウソップ、サンジ、ロビン、フランキーが登場しているコマ
(単行本106巻、第1070話 ”最強の人類”より)

中にはもっとあからさまに、正面から見た顔の輪郭が左右対称になっていないコマ等もみられた。このような絵の乱れは、マンガイラストのプロやセミプロ級の人だけでなく、一般読者や小さな子でも気付かないことはまずないと思われる。

人は、体に不調があれば、それだけで大きなストレスを抱えるものだ。たとえ単なる肩こりでも、痛みが生活の中心に居座り、それが頭の大部分を占め、集中力を欠くことになったりする。

そこにもってきて尾田さんはマンガ家であり、絵を描くことが仕事だ。物がゆがんで見える乱視が、生活上の不便や苦痛にとどまらず、仕事において致命的と言えるほどの痛手だったことは想像に難くない。

他方、この時期の作風の変化では、乱視とは関係ないと考えられる点も多い。ルフィ達の顔に幼げな丸く赤いほほが描かれるようになったことは、尾田さんのセンスによるのであって、目の影響ではないだろう。作品が従来のストーリーマンガからヤングアダルトコンテンツ化しつつあることや、上のコマでサンジが「無礼者が!!」と言うなど、そのキャラらしくないセリフが散見されるようになったことも、乱視の症状との間には関連性がない。

目の手術のため1ヶ月休載

乱視を明かした3か月後の2023年6月、尾田さんはワンピース公式サイトの「らくがきコーナー」で、目の手術のため4週間休載すると発表した。休載したのは、同6月19日発売の「少年ジャンプ」29号から7月10日発売の32号までの4週間。7月18日発売の33号から連載を再開した。

発表によれば、乱視によって物がぶれて見えることが仕事に支障をきたしており、前年から「少年ジャンプ」の編集長に相談していたという。

上記の通り、単行本106巻収録分では、誰の目にも明らかなほど絵に影響が出ている。当初は不調を押して連載を続けていたものの、症状が深刻化したため、休載、手術に踏み切ったのではないかと思われる。

『フィルムレッド』がAmazon Prime Videoで配信開始

さて、話が少々前後するが、2023年3月には、同6月のDVD発売に先んじ、『フィルムレッド』の配信がAmazon Prime Videoで始まった。同作の映像はAmazon Prime VideoのCMでも使用され、テレビ、ネット、JR山手線の車内などで広く放映された。

なお、配信開始にあたりAmazon Prime Videoが公式Twitterで「主人公ウタ」と誤記したことはネットで話題になったようだ。

筆者は3月上旬、『フィルムレッド』映画評へのアクセスが急に増えたので、何があったのだろう、また何かあったのか、と驚いた。調べてみて、同8日にAmazonでの配信が始まっていたと知ったのだった。筆者はこれまで様々な映画のレビューや感想を書いてきたが、事あるごとにアクセスが増加する例は本作が初めてだ。

「すごいマンガ」から「しょせんマンガ」へ―社会の視線の変化

この時再び、読者から幾ばくか反響があった。

私が意表を突かれたのは、前年11月に副音声上映が始まった時とは記事の読者層がまるで違っていたことだ。彼らは『ワンピース』のファンではなかった。たとえ知っているとしても、キャラ名くらいは分かるとか、部分的に読んだことがある、程度だった。Amazon配信により安く手軽に観られるようになったことで、広く一般の人々が手を伸ばしたとみられる。

この層は、みな一般の個人であり、製作者・プロモーションと癒着したり、利害関係のある立場にはない。前述の通り独立した批評がないという現代日本の社会環境においては、最も客観的な視点で鑑賞し、独立して感想等を述べることができる人々だといえるだろう。

ある読者は、映画を見終わった時は「ずいぶん変わっている」と思うだけでパラレルとして受け取っていたが、正史になるらしいといううわさを耳に挟んで事実を確かめようとネットを検索し、私の映画評にたどり着いたという。「正史になったら(作風が)違いすぎる」と感想を綴っていた。

また、美大卒で映像を専攻したという読者は、「観ていて雑な部分や違和感が積もる映画だった」といい、それが筆者の批評を読みに来た理由だったそうだ。この読者は、「アニメ・エンタテインメントのことなので目くじらは立ててない」と結論していた。

前述の通り、2011年頃には、世の中が『ワンピース』へ向ける視線に「すごいマンガが出た」というような尊敬の念が感じられた。それが「しょせんマンガのことだ」というように、一般人から否定的な意味でマンガ・アニメと言われるようになったのは大きな変化だと思われる。

外部リンク:Amazon Prime Video 『ONE PIECE FILM RED』

様変わりしていたファンのコミュニティ

筆者は再び、ネット上でワンピースファンの様子を見て回ることにした。すると、こちらも前年11月からの約5か月のうちに様相が一変していた。

ファンコミュニティに生じた分断は、少しも解消されていなかった。変わったのは、『ワンピース』ファンのうちで『フィルムレッド』を受け入れられなかった層が、めっきり見当たらなくなったことだ。たとえアカウントがあったとしても、投稿は途絶え、放置されていた。一人、また一人と去っていっている様子だった。

一方、『フィルムレッド』を受け入れられなくてもファンコミュニティに残っている数少ない人は、依然、ウタが好きだという別のファンから思わず目を覆うような中傷を受けたり、意味の通らない理由で批判されたりしていた。更新がストップする直前に「最近疲れてきたな」とそのストレスを吐露したり、「ワンピースからいったん離れたら生きるのが楽だし心身共に健康になる」と投稿している人もいた。

もっとも、SNS上では『フィルムレッド』を批判しているアカウントはある程度見つかることには見つかる。だが、それらは前年11月に私に反響を寄せてきた層とはまるきり異なっている。『ワンピース』やマンガ関係以外を多く扱っており、かつ、問題行動が常態化しているのだ。

問題行動というのは、具体的には

などだ。ネット大衆社会の負の面を凝縮したようなアカウントばかりなのである。

このうち、Adoさんについては『フィルムレッド』と明確に関係しているので、解説を足しておこうと思う。

Adoさんは、時の話題のシンガーであるのは間違いないが、好みが分かれるシンガーでもある。その理由として真っ先に挙げられるのは、歌唱の特徴だ。Adoさんの最大の売りは、厚く太い声質で、声量を張り上げて歌うことだ。そこにもってきて、曲中では、がなり声や、警戒したイヌが「グルルル……」と吠えるときのようにのどを鳴らす、鼻を鳴らすなどの声も使用している。多くのシンガーの歌声は誰が聞いても心地よいが、Adoさんの歌唱スタイルはそうではないのである。そのため、そういった声の表現や迫力を気に入る人がいる一方で、「音声」として受け付けないという人も出る。個人の感性によって好き嫌いが分かれるのである。

加えて、Adoさんはネットの“歌い手”出身であり、アイドル歌手と同じように自己の主張はしないタイプのシンガーだ。デビュー曲『うっせぇわ』は鮮烈なプロテストソングとして話題になったが、歌詞を書いたのは本人ではない。そこに「空虚さ」を感じたという声は当時から多くみられた。歌手としての方向性の点でも、デビュー当時は神秘性をあおる方向だったが、『フィルムレッド』の時点ではすっかり大衆向けに路線を変えている。

このような事情から、Adoさんはかねてより、ネットスラングで“アンチ”と呼ばれる層を抱えている。

『フィルムレッド』への批判とともに問題行為を繰り返しているSNSユーザーは、『ワンピース』が気になる対象の一つではあるのだろうが、同作のファンなのかどうかはよく分からなかった。SNS全盛の時代にしばしばみられる、様々なものに対して愚痴や暴言を投稿する人、という印象だった。

読者の幅が広いこのマンガ作品において、熱心な層がごっそり抜けた感がある。今後は、ファンの雪崩が『ワンピース』の人気や、単行本の売り上げ、またフランチャイズ全体の隆盛にどの程度反映されるかが注目されるだろう。

ハリウッド実写版が公開【更新】

同8月には、実写版『ONE PIECE』がNetflixで封切られた。

実写版とは、マンガのキャラクターを人間の役者が演じた映像作品のことをいう。同作は『ワンピース』原作の序盤のストーリーを実写化したもので、米・ハリウッドで企画および製作された。尾田さんは2016年から監修に携わった。公開されたのは全8話である。

実写版はおおむね好評だったようだ。SNSでは、キャラクタービジュアルの再現度やアクションシーンに生じる無理を受け入れられないファンが出た一方で、原作よりもシリアス寄りの作風や、キャストの演技などに対して好意的な評価がみられる。原作とは違うものに仕上がったのが功を奏したといえるだろう。

公開後、Netflixは続編の製作を決定、発表した。

『フィルムレッド』再上映【更新】

同年10月20日から1か月間、国内の劇場で『フィルムレッド』の再上映が行われた。この期間中、公式ポータルサイトは国内での興行収入が前年分との合計で200億円を突破したと報じた。再上映は、公式YouTube、イベントの開催、過去の映画のテレビ放映、グッズ販売など、クロスメディアで大規模に宣伝された。

公開は同11月19日に終わり、同公式サイトは国内の興行収入が203億円になったと発表した。

この時は、ファンらに目立った動きはみられなかった。

『ブラッククローバー』が「ジャンプ」から連載移籍【更新】

2023年には、人気マンガ『ブラッククローバー』(通称・ブラクロ)が完結に向けて「週刊少年ジャンプ」から季刊誌「ジャンプGIGA」へ移籍することになった。同作は2015年に連載開始、アニメ化もされた人気作で、「ジャンプ」誌上では約8年間連載を続けていた。

移籍の理由について、作者の田畠裕基さんは、

ブラクロの連載が長く続いてきたことで、徐々に週刊連載の漫画制作スケジュールが自分の執筆状況とあわなくなってきていました。そこで編集部とは前々から相談していたのですが、今回GIGAへの移籍連載をすることにしました。(後略)

と「ジャンプ」に直筆メッセージを寄せた。

同メッセージで、田畠さんは休まず描き続けたかったとしながら、

ですが、GIGAでなら自分の執筆状況に合わせて、より万全な状態でブラクロのクライマックスを迎えられると思います!まだ描きたい話、描かなきゃいけない話がたくさんあるので、期待して待っていてほしいです。そしてブラクロを無事完結させられるように頑張ります!!

と前向きな姿勢を見せた。

「ジャンプ」の構造が形成された時代背景とマンガ家の「働き方」【更新】

厳格な「アンケート至上主義」をはじめとする「週刊少年ジャンプ」の特徴、また作家との関係性は、1969年の創刊以降、1970年代から徐々に形成されていったものだ。筆者から見て、その構造は当時の時代の風潮から強い影響を受けている。

1960~1980年代は、経済成長が何よりも重視された時代だった。

学校教育では厳しい競争主義が敷かれ、ランキングが強い影響力を持った。たとえ経済的事情等で進学できなかっただけで能力自体は高かったとしても、学歴競争で勝てなかった人は機械的に出世コースからはじかれた。企業では長時間労働が常態化。会社員(いわゆる”サラリーマン”)は、絶対的な上下関係のもとでハラスメントが横行する中、会社組織への服従が求められた。

これらはいずれも、21世紀現在日本が抱える社会問題の前段である。こうした社会の在り方に対しては、すでに一部の有識者や経営者、一般市民から批判の声が上がっていたのだが、日本社会全体においては優勢でなかった。当時はプロパガンダだけでなく、一般市民の間でも「働けば働くほどもうかる」「働くために生きるのだ」などと口にする人が多かった。現実には、高度経済成長には大企業と政・官の癒着が深く関わっていたのであって、経営者や会社員らの実力で成し遂げたわけではなかったのだが、当時の人々は「長時間働けばそれだけ豊かになる」という意識を持っていたのである。

「週刊少年ジャンプ」の「アンケート至上主義」はそのような時代に形成されたものだ。同誌で連載するマンガ家の激務も然りである。また、出版業界では作家が事実上出版社の下請けのような弱い立場に追いやられ、”サラリーマン”同様の人生を送っていた。筆者は、高度経済成長時代にキャリアを築いたある小説家が、講演会で、「出版社に行くと日常的にパワハラに遭った」と平気な顔で話すのを直に聞いたことがある。暴言や怒鳴りつけるなどの行為は、人の心身に危害を加える人権侵害行為であって認められることはないのだが、同小説家はそれを擁護する口調・論調だった。当時の集英社「少年ジャンプ」編集部員に自覚があったかどうかは別として、ジャンプ作家の働き方とマンガを世に送り出す構造には、高度経済成長時代の風潮がダイレクトに反映されているといえる。

その後、バブルは崩壊し、90年代には日本経済が低成長期に入った。それに重なって人々の人権意識も年々高まり、個性を尊重しない競争主義、長時間労働やその末の過労死、上下関係やハラスメントへの批判はしだいに優勢になっていった。これを執筆している2023年現在では、それらが「いけないことだ」という意識は日本社会に定着をみたといえるだろう。

そして2023年、作家である田畠さんの側から連載移籍の希望を出したことは、旧来のジャンプ作家とは一線を画しているといえる。また「ジャンプ」編集部の側も、移籍決定に至るまでにどのようなやりとりがあったのかは不明だとはいえ、最終的には作者の体調等を考慮してその希望を通した。人気マンガ『ブラッククローバー』が有名な「週刊少年ジャンプ」の名に執着せず、作品の質を優先して季刊誌へ移籍したのは、マンガ家の意識や働き方の変化を象徴しているといえるだろう。

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著者・日夏梢プロフィール||X(旧Twitter)MastodonYouTubeOFUSE

(※記事公開:2023年1月26日。本稿は、目立った言動や作風の変化などがあったときにはアップデートします。ジャンプ本誌ではなくコミックスが基準です。また、最終回を迎えた時には、総括的な批評を書き下ろす予定です。)

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【参考文献】

『ONE PIECE』1巻~105巻、尾田栄一郎、集英社、1997~2022年

『ONE PIECE BLUE DEEP CHARACTERS WORLD』尾田栄一郎、集英社、2012年

『ONE PIECE FILM RED』劇場パンフレット 尾田栄一郎/2022「ワンピース」製作委員会、東映(株)事業推進部、2022年8月6日

同劇場入場者特典「巻四十億」「巻4/4」尾田栄一郎

『ONE PIECE magazine Vol.15』尾田栄一郎、集英社、2022年

ビッグ・ドクター家庭医学大全科 法研 2004年

扁桃周囲炎と扁桃周囲膿瘍 MSDマニュアル家庭版

遺された”戦争”~残留日本兵 横井庄一 NHK、2022年4月3日放送

熊本県民栄誉賞受賞者のご紹介 熊本県公式サイト

VTuberの交通安全動画に『女児を性的対象にしている』と抗議、フェミニスト議連が記者会見。波紋広がる ハフポスト日本版、2021年10月14日更新

集英社「週刊少年ジャンプ」公式サイト

週刊少年ジャンプ連載作品の一覧 – Wikipedia

東映アニメーション公式サイト

かまいたちーONE PIECEの尾田栄一郎からLINEで届いた「すごい動画」 集英社オンライン、2022年6月29日

「乱視」の原因・症状・対処法 ロート製薬、監修:梶田眼科 院長 梶田雅義

『ブラッククローバー』完結に向け連載移籍、週刊連載8年半に幕 ジャンプGIGAで今冬に連載再開 ORICON NEWS、2023年8月21日

他、本文中外部リンク

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