オリンピックの由来と歴史―古代から近代、日本の参加など全まとめ

4年に一度開かれるスポーツと平和の祭典、オリンピック。今回は、その由来となった古代ギリシアの神話や文化から、近代大会の創始と歴史、哲学と理念、政治利用などの問題点、日本の参加や開催まで、そのすべてを一気にまとめます。

ずっと使える覚え書きにしたかったので、日本の初参加や開催年、場所など、情報として重要な点を余すことなくカバーしました。その上で特に興味深い点にスポットライトを当て、またトピックそれぞれにコメントや見方・考え方のポイント解説を付してあります。

目次

オリンピックの由来、古代ギリシアの神話と文化

今日のオリンピックの由来となったのは、古代ギリシアで行われていた、神話の主神・ゼウスを祭る「オリンピアの祭典」である。

オリンピアの祭典が始まったのは、紀元前776年。ゼウスの神殿があるギリシア北西部の都市・オリンピアで、4年に一度競技会が催された。時期は8月の満月のころであった。

ギリシアのオリンピア遺跡のフィリペイオン
古代ギリシア、オリンピア遺跡。世界遺産に登録されている。

また、4年に一度という周期は、古代ギリシア人の年代の単位となっていた。古代ギリシアにおける時間観念は、オリンピアの祭典を基準に動いていたのである。このように、オリンピアの祭典は神話の主神を祭る最重要な祭典であり、ギリシア人の同胞意識の源でもあった。

競技に参加できるのは、ポリス(都市国家)の市民権を持つ男性のみ。観客も男性に限られていた。

競技期間中は、ポリス同士の争いごとや戦争も中止された(エケケイリア=オリンピアの休戦)。オリンピアの祭典には、平和実現の理想があったのである。

オリンピアの祭典は1000年以上にわたって続いたが、古代ローマ帝国・テオドシウス帝の異教禁止令により、393年の大会を最後に廃止された。

【哲学ゆえ、平和実現の理想ゆえの圧倒的な魅力】

古代オリンピックは、ギリシア神話の世界です。競技会といっても祭典の一部だったわけですが、ヘレニズム哲学に根差しているのでとても奥が深いですね。古代文明の魅力にのみこまれたら最後、いったいいつ浮き上がってこられるやら。ちょっと怖くなるほど魅惑的なロマンです。

この競技会、実は運動だけではなく、詩、音楽なども含まれていました。今日的な感覚だとアートは「競技会」にはなじまないですが、これもオリンポスの神々をまつる祭典ゆえですね。

古代のオリンピック選手は全員男性、そして全裸だった――この有名な逸話は、今日では様々なジョークのネタになっていますね……。近年では”スピード水着”をはじめ、よりよいパフォーマンスを引き出す(?)運動着の開発や高額化が行き過ぎてフェアプレー精神に疑問が投げかけられたときにも、よく引き合いに出されます。「昔の選手なんて何も着てなかったんだぞ!」と……。まぁ一応きちんと話しておくと、これは神々に捧げる競技会だったことに由来しています。「健全な精神は健全な身体に宿る」的な精神ですね。2000年の間に、人類社会は何もかも様変わりしました。単純にいいとか悪いとか、まじめとかおかしいとか決められることではなく、2000年前と今ではそもそも基準が違うんだととらえるのが適切でしょう。

オリンピアの祭典が開かれていたのは前776年~後393年ですから、続いた期間は1169年間におよび、開催された大会は全部で293回を数えます。圧倒されますね。近代オリンピックの歴史は、まだ100年ちょっとにすぎないのですから。たとえこれから1000年続いたとしてもまだ青いというわけです。

心身の向上、そして平和実現の理想――古代のオリンピックはどこまでも深い哲学の一部なので、気高く、明るく、そして健全ですね。次に述べるクーベルタンが魅かれたわけがわかります。

近代オリンピックの誕生

近代オリンピックを創始したのは、ピエール・ド・クーベルタン(仏、1863~1937)である。クーベルタンは教育家を志し、イギリスでパブリックスクールを視察した。そこで青少年が自発的に、また紳士的にスポーツに取り組んでいる様子を目の当たりにする。スポーツが教育に役立つことを知ったクーベルタンは、スポーツを通して青少年を教育し、普仏戦争で敗れた祖国を再建しようと考えた。

1852年にオリンピアの遺跡が発掘されると、ヨーロッパでは古代ギリシアへの関心が高まった。クーベルタンはオリンピアの祭典が果たしていた平和実現の理想に感動し、祖国のみならず、世界の平和と協力にスポーツを役立てる構想をふくらませていった。

クーベルタンによる連盟設立と近代初開催

そして1894年、パリで国際オリンピック連盟(IOC)が設立される。1894年には、オリンピック発祥の地であるギリシアで第1回アテネ大会を開催した。第1回冬季大会は、1924年にフランスのシャモニーで開かれた。

個人資格から国の代表へ

当初、選手たちは国の代表ではなく、個人の資格で出場していた。

各国に設置されたオリンピック委員会が代表選手を派遣するという現在の形になったのは、第4回ロンドン大会(1908年)からである。開会式で各国が国旗を掲げて行進するスタイルもこの時始まった。

ただ、国の代表という形式になると、国同士の競争心があおられ、予選の組み合わせやゴールの判定などをめぐって選手同士で争いが勃発する事態となった。これを受けてクーベルタンが述べた「オリンピックにおいて重要なのは勝つことではなく参加することである」という言葉は今日まで受け継がれている。

日本の初参加はいつ?

日本のオリンピック初参加は、1912年、第5回のストックホルム(スウェーデン)大会である。選手として、三島弥彦が短距離走に、箱根駅伝の祖としても知られる金栗四三がマラソンに出場した。

冬季は1928年、第2回サン・モリッツ(スイス)大会が初参加である。

日本での開催はいつ?

日本は1964年の東京大会が初開催である。ただ実はそれ以前に、中止となった「幻の東京オリンピック」があった。これについては後述する。

1972年には国内初の冬季大会が札幌で、1998年には同じく冬季大会が長野で開かれた。

史上初の延期とそのいきさつ―2020年東京大会

2020年には再び日本の東京で夏季大会が予定されていたが、そこに予測不能かつ未曽有の事態が立ちはだかった。新型コロナウイルスの世界的感染拡大である。2020年東京大会はオリンピックの歴史上初の延期となり、1年後の2021年に開催された。

いきさつは次の通りである。新型コロナウイルスの感染拡大が始まったのは、2020年の1月だった。同3月24日、IOCのバッハ会長と日本政府の安倍首相が電話会談によって1年延期で合意する。政府は国内及び海外からの観客をフルに入れる「完全な形での開催」を目指したが、その後も世界中でパンデミック終息の見通しは立たなかった。2021年3月には海外からの一般観客受け入れを断念、同5月ごろからは国内世論の7割以上が開催反対となる。同6月21日には五者協議で「会場の50%、最大1万人」と制限付きで国内観客を入れると決定されたが、開会を目前に控えた同7月8日には、ほとんどの会場を無観客とすることが決まった。チケットは払い戻しとなった。

日本側が大会を中止しない方向で動いた背景のひとつに、IOCと開催都市の契約がある。契約を解除する権利はIOCのみにあるので、都市側が一方的に契約を解除した場合、損失は地元の組織委員会がもつことになってしまうのである。

以上のようないきさつで、2020年東京大会は1年後の2021年に開かれたが、そのすべてが異例となった。

東京2020年オリンピックの聖火
東京2020オリンピック聖火。競技場ではなくお台場に設置された。

無観客であることはもちろん、選手および関係者がみなマスクを着用している、「ソーシャルディスタンス」をとるため表彰式で選手が運ばれてきたメダルを自分で首にかけるなど、他に類を見ない風景がみられた。関連する国際交流イベントなども中止となり、海外選手は選手村や宿泊先を自由に出ること、パーティーを開くこと、観光に行くことなどが禁止された。

2021年に開催されたTokyo2020大会は、オリンピックの今後や運営体制に多くの課題を残すことになったのである。

オリンピズム―オリンピックの原則と精神

「オリンピック憲章」は、IOCおよび大会にかかわる組織の定款であると同時に、その精神や理念も定めています。

オリンピズムの根本原則

オリンピズムの根本原則は、憲章前文の直後、1章の前に置かれている。

1. オリンピズムは肉体と意志と精神のすべての資質を高め、バランスよく結合させる生き方の哲学である。オリンピズムはスポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求するものである。その生き方は努力する喜び、良い模範であることの教育的価値、社会的な責任、さらに普遍的で根本的な倫理規範の尊重を基盤とする。

2. オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである。

このように、オリンピック憲章は、クーベルタンの提唱した精神を大原則として掲げている。さらにこうした理念は、根本原則の6条によりさらに強められている。

6. このオリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会的な出身、財産、出自やその他の身分などの理由による、いかなる種類の差別も受けることなく、確実に享受されなければならない。

【いつでも立ち戻れる指針の効能】

人類たるもの、目標を掲げないことには始まりません。何のために、何をするのか、それを合理的思考に基づいて決めなければ何も始めようがないからです。

「人間の尊厳」「調和のとれた人類の発展」そして「世界の平和」を根本原則に置いた効能は非常に高いです。後述するようにオリンピックをめぐってはさまざまな問題が生じていますが、それでも大会を続けていけるのは、いかなるときにも立ち戻れる確固とした指針があるからにほかなりません。この根本原則は完璧だと思います。

オリンピック・モットー

“Citius – Altius – Fortius(より速く、より高く、より強く)”というモットーは、1894年、オリンピックムーブメントの始まりと同時に採択された。スポーツのすばらしさを表すスローガンを欲していたクーベルタンの意向による。以降、同モットーはオリンピックの大志を表すとされてきた。

モットーの歴史的変更

2021年7月、このモットーの歴史的な変更が決まった。東京大会を間近に控えた第138回IOC総会で、これまでの“Citius – Altius – Fortius(より速く、より高く、より強く)”に”Communiter(共に)”を加え、

Citius, Altius, Fortius – Communiter(より速く、より高く、より強く―共に)

とすることが全会一致で議決されたのである。英語では“Faster, Higher, Stronger – Together”、フランス語では“Plus vite, Plus haut, Plus fort – Ensemble”となる。スポーツを通して世界をよりよくするというオリンピックムーブメントの目的を強め、世界の「連帯(原文:Solidarity)」に強くフォーカスしたものとなった。

東京大会の開会式では、全選手が入場したところで地面に映し出された旧モットーに「Together」が付け加わる演出が、同閉会式では、次回開催都市であるパリの紹介映像でマクロン仏大統領が”Ensemble.”と語りかける演出があった。

【自己の発展を目指して】

人間は目標があるから発展できるもの。スポーツをやるなら、おのずから「より速く、より高く、より強く」を目指すことになりますよね。それは金メダル候補選手であれ、一般の愛好者であれ変わりません。このモットーはまさに、スポーツの魅力そのものだと思います。

近代オリンピックの歴史

私たちが歴史を学ぶのは、過去のあやまちを繰り返さないためである――。近代オリンピックの歴史には、いくつもの過ち、そして悲劇が刻まれています。苦い教訓は将来に活かさなければなりません。

戦争による3度の中止

1916年、1940年、1944年大会は、戦争により中止された。

1916年にはベルリンで開かれる予定だったが、1914年に始まった第一次世界大戦によってヨーロッパが戦場となったため中止を余儀なくされた。

終戦後の1920年にオリンピックは芽を吹き返す。開催地は、焦土と化したヨーロッパのなかでもとりわけ被害が甚大だったベルギーのアントワープとされた。会場にオリンピック旗が掲げられるようになったのは20年アントワープ大会である。旗はクーベルタンが考案したもので、世界五大陸の平和と協力を表している(当時世界の国旗に使用されていた色を採用しただけなので、5色に象徴的な意味はない)。クーベルタンは、戦禍による1916年大会中止と戦後の再開を経験した後、「戦争は時にオリンピックのヨーロッパ開催を妨げることもあるだろう。そしてヨーロッパの若者が一時その手から灯火を落とすことがあろうとも、世界のもう一方の側にはこれを拾い上げる別の若者がいるであろう」と述べている。

青空にはためくオリンピック五輪大会旗
オリンピック旗。世界五大陸の平和と協力を表している。

1940年の開催予定都市は、東京だった。「幻の東京オリンピック」である。「柔道の父」として知られ、教育家、IOC委員でもあった嘉納治五郎は、武道精神と西洋のスポーツ文化の融合を理念に掲げて招致に尽力していた。ところが1938年に嘉納が死去したとたん、日本政府が日中戦争の長期化を理由に返上したのである。

1944年はロンドンでの大会が予定されていたが、第二次世界大戦のため中止となった。

【静かに語られる戦争と平和】

戦争による中止3回のうち、1940年の開催予定都市はなんと東京。この後、日本がどんな道をたどったかは誰もが知るところです。

戦争中となれば、物資はない、食べ物はない、自由もない。スポーツどころではありません。2016年のリオデジャネイロ大会からは閉会式の演出でこの世を去った人々への追悼が行われるようになりましたが、その精神は何も今新たに始まったことではないんですね。戦争による3回の中止は、戦争の悲惨さと愚かさを後世に語り続けています。

政治利用

オリンピックの苦々しい側面といえば、まず挙がるのは政治利用でしょう。国家が威信を示そうとするのはその代表例で、かねてから問題視されるところです。

「ヒトラーの大会」

1936年ベルリン大会は「ヒトラーの大会」といわれる。

ヒトラーは、当初はオリンピックに関心がなかったといわれている。が、ユダヤ人への迫害が各国から批判され、ユダヤ人の多いアメリカからボイコットの声が上がると、彼は逆にその大会を利用しようと考える。

ユダヤ人迫害に対する各国からの批判をかわすため、大会前には町から反ユダヤ主義の看板が撤去された。またIOCにユダヤ人を差別していない姿勢を示すため、ヒトラーは海外に住むユダヤ系ドイツ人を呼び寄せ、ドイツ代表選手に加えた。

ヒトラーは権力誇示やプロパガンダを盛んに行った。同大会は初めて聖火リレーが導入されたことで知られるが、その聖火リレーはヒトラーによるプロパガンダであった。ギリシアのオリンピアで灯した聖火を松明でドイツへ運ぶことにより、「ヨーロッパ文明の源流である古代ギリシアを継いでいるのはゲルマン民族である」との演出を試みたのである。新たに整備した競技場は過去最大、大会規模も過去最大であった。町にケーブル網を敷き、オリンピック史上初のテレビ中継を行うことで「ドイツの技術力」を世界にアピールした。また、レニ・リーフェンシュタール監督によって初の公式記録映画『オリンピア』が撮られたが、この作品にもヒトラーのプロパガンダだという説がある。

ヒトラーは、オリンピックを自身の権力と「ゲルマン民族の優位性」を世界に知らしめる絶好の機会としたのである。

冷戦時代、社会主義国に蔓延したドーピング

スポーツの政治利用が盛んに行われたのは、冷戦時代である。

ソ連をはじめとする社会主義国は、オリンピックを自身の資本主義に対する優越を世界に示す機会だととらえ、エリート選手の発掘と育成に力を入れた。こうした東側諸国はメダルを量産したが、裏ではドーピングが蔓延するなどの弊害が生じていた。

冷戦下で起こったボイコット問題は、別途後述する。

1964年東京大会の政治性

スポーツやオリンピックの政治利用は、日本にとっても決して他人事ではない。1964年の東京大会は、国内外双方に対して政治性が非常に高かった。

戦後、一度は民主化に舵を切った日本は、東西冷戦を背景に方向を転換する。1950年代からは高度経済成長政策が推し進められた。1960年の安保闘争は、ピーク時には30万人が国会前で抗議デモを行った歴史的な国民大衆運動である。同じく60年には、安保改定強行で退陣した岸内閣に代わる池田内閣が「所得倍増政策」を掲げた。このような政治的・経済的状況を背景に、1964年東京大会は、対外的には「戦後復興した日本」を世界にアピールしつつ、国内においては政治・経済に与する一大イベントとして国策に組み込まれていった。

まず経済面では、総額約1兆円にのぼった大会関連支出のほとんどは、新幹線や道路をはじめとする間接的な事業に投入された。わき立つ「オリンピック景気」の実情は、経済界が国や地方公共団体から支出を受けてうるおったことだったのである。

また政治面では、1961年、自衛隊内に「国際級選手の養成」を使命の一つとして掲げる自衛隊体育学校が発足。選手となる人材が隊の内外から集められた。自衛隊体育学校の目的は、事実上、国民への宣伝だった。東京オリンピックは、所属選手の活躍によって自衛隊のイメージアップをはかり、安保闘争に代表される国民の動きを鎮静化させる格好のチャンスだったのである。

政治的意図からつくられた「根性論」

当時の選手たちは、医学的に明らかに問題のある過酷な練習、「上」への絶対服従、そして勝利という結果を強く求められた。そういった過酷さに耐える「根性」ある人物像が理想とされていた。

1960年、JOC内に発足した「東京オリンピック選手強化対策本部」が求めたのは、もっぱら組織の要請をかなえる人材であった。アスリート個人がスポーツに臨む自主性や、「心身の調和のとれた発展」というオリンピズムの精神は、日本のスポーツ界から姿を消したのである。

このように自主性を持たず「上」に絶対服従し、組織の利益のために過酷な労働をする人間は、高度成長当時の政治権力および経済界が国民に望んだ人間像と重なっている。「根性論」はやがて、いわゆる「スポ根」マンガやテレビアニメなどを通して、国民の精神に広く深く浸透していった。

円谷幸吉選手の自死

こうした日本スポーツ界の犠牲となったのが、1964年東京五輪のマラソン銅メダリスト・円谷幸吉選手である。

生真面目な性格だった彼は、勝利への強いプレッシャー、世人が抱いていた「国民的英雄」像と過酷な練習によって故障した身体とのギャップ、私生活へ介入されたこと(円谷選手が所属していた自衛隊体育学校は、彼の結婚を認めなかった。1989年までJOCの母体だった日本体育協会は、選手強化の具体的方針として「根性づくり」をかかげ、「本務以外のすべてを競技に捧げ、あらゆる誘惑や欲望をおさえて練習中心の生活を打ち立てる」のを望ましい選手像だとしていた)等を苦にして、68年のメキシコシティー大会を前に、「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」と家族に遺書を残して自死した。

社会に衝撃を走らせた円谷選手の自殺は、日本スポーツ界最大の過ちの一つとして歴史に刻まれ、今日様々な団体や個人がアスリートのメンタルケアや合理的な練習方法を研究する契機となっている。

現代でもたびたび浮上する政治利用

その後も、オリンピックの政治利用はたびたび問題視されている。

いくつか例を挙げると、2002年ソルトレークシティ大会開会式の演出で、2001年9・11同時多発テロで世界貿易センタービルのがれきから見つかった星条旗が入場したのはアメリカによる政治利用だといわれた。ブッシュ米大統領(当時)が、オリンピック憲章55条3項で定められている開会宣言に政治的な文言を加えたこともIOCが批判している。また2008年北京大会では、中国政府が「クリーン化」のためとして北京市内在住の出稼ぎ労働者を強制的に帰京させたなど、多数の人権問題が国際社会から批判を浴びた。

【理念がもつ真の力】

政治権力による人間性の破壊の数々。選手を「駒」として見て、人権をことごとく無視する行為。オリンピックの理念とここまでかけ離れた所業があっていいものでしょうか。

1964年の東京大会もまた、嘉納治五郎の念願が叶ったどころか、結果的には彼のビジョンや哲学からはほど遠いものへと変貌をとげました。もし彼が存命していたら鼻息を荒くしたかもしれません。

今日もなお、運動部やスポーツ界ではいじめや体罰、パワーハラスメントの問題がたびたび浮上しています。それらに通ずる「根性主義」や「上下関係」は、64年東京大会でのメダル獲得のため目的的に作られた、極めて政治的な土壌だということがわかります。メダル獲得への具体的方針が「根性づくり」とは合理性の欠如と思考停止の極みですね。具体的方針といったら、より効率的なトレーニング方法を研究するとか、選手への支援を充実させるとかでなければ筋が通っていません。高度成長時代の利己的な「戦略」が、半世紀以上を経た今日まで悪習を残している。怒りがこみ上げてきます。

深い哲学に満たされたオリンピック精神ですが、それを精神論と混同してはなりません。哲学は合理的思考を方法としますが、精神論は合理性なくただ「やれ!」と連呼するだけのもの。精神論は選手を支配する手段となり、目も当てられない人権侵害行為につながります。

これは論理の問題です。「スポーツは心身の健全な発展に役立てることができる」というのは真と断定していいでしょう。しかし、なら「スポーツをやれば必ず人格が向上する」のかといえば、そうではありません。悪しき心を持った者が触れれば、スポーツはたちまち闇に染まってしまうのです。

私が「オリンピズムの根本原則には強い効能がある」と言ったのは、まさにこの場面を想定してのことでした。選手の尊厳を損なう行為、人道に反する行為。それらは、オリンピック精神に照らされることではじめてマイナスの評価を受けます。もし理念がなければ、野放しだったところなんですよ。告発しようとすれば、選手側が「それはいけないことだ」と一から証明せねばならない。その負担は大きく、アスリートは事実上泣き寝入りせざるを得ません。

スポーツに限らず、現実に起こったトラブルを一瞥して「そらみろ、理念なんて役に立たない、無意味だ」と吐き捨てる人は時折みられますが、それは雑な議論であり、的を射ていないんですね。理念というのは、決して建前だけの美辞麗句ではありません。悪いことにマイナス評価を与えるこの重みにこそ、理念の意義があるのです。

ボイコット問題―日本のボイコットはいつ?

日本は、1980年のモスクワ大会をボイコットした。

冷戦時代、モスクワは共産圏で初めての開催都市となったが、ソ連のアフガニスタン侵攻(1979年)に抗議する米カーター大統領の呼びかけにより、日本を含む60か国が不参加を表明した。選手やコーチが反対の声を上げる中、JOCは臨時総会にてボイコットを決定したのである。

ソ連および東側諸国は、事実上の報復措置として、アメリカのグレナダ侵攻(1983年)を理由に1984年ロサンゼルス大会をボイコットした。

【選手個人の意思の尊重を】

モスクワ五輪を目標に努力を重ねていた当時の選手は、40年近くが経ったいまもなお、やり場のない悔しさを語ります。モスクワ大会のボイコットもまた、日本スポーツ界最大の汚点の一つであり、苦い教訓を残しています。

注目すべきだと思うのは、イギリスやフランスには国家代表ではなく「個人資格」で参加した選手がいたということ。また、国内のオリンピック連盟が独力で選手を派遣する例もありました。日本はどうだったのか……というと、選手やコーチによるボイコットへの反対運動は盛り上がり、決して政府の方針に盲従したわけではなかったんですね。結果的にはボイコットが決まってしまいましたが、このことでJOCが政府からの独立性を保つ必要が表面化し、いまも模索が続いているそうです。

オリンピック憲章1章6条1項では、

オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない。

と定められています。オリンピズムを守るための条項といっていいでしょう。

何度も、何度でも声に出すべきです。訴えることに意味があるからです。「選手間の競争」だと。「国家間の競争ではない」と。

アマチュアリズムの削除と商業主義の台頭

IOC設立以来、オリンピック憲章は長らく、大会をアマチュアのためのスポーツの祭典だと規定していた。選手は、スポーツによる金銭授受、賞金の獲得、あるいは生計を立てることも含め、経済的利益を得てはならなかったのである。

しかし戦後、各競技で技術のレベルが爆発的に向上すると、オリンピック級のアスリートが行う特別なトレーニングには多額な費用がかかるようになった。アスリートに、金銭面で支援を受ける必要が出てきたのである。そのため企業がスポンサーにつく、国家が選手育成に助成するなどが行われるようになり、それにともなってアマチュアとプロの境界線はあいまいになっていった。このような現実を受け、スポーツ界では各競技でアマチュアリズムが廃止される流れが起こり、1974年、オリンピック憲章からもアマチュアの定義が削除された。

1984年の第24回ロサンゼルス大会は、史上初めて、開催にかかる巨額な費用をまかなうためスポンサーからの広告料や放映権の収入を得た。聖火ランナーから参加料をとったことなども話題となり、オリンピックが商業化に踏み切ったターニングポイントとして知られている。以来、商業主義の跋扈や、スポンサー・放映権者とのしがらみによる運営上の不自由などが問題視されている。

【見た目より難しい、経済面の微妙なバランス】

選手にのしかかる重い経済的負担……。マイナースポーツの選手となると、競技生活が経済的に厳しすぎる……。純粋にスポーツを追求すべき選手と、スポンサー企業や国家とのしがらみ……。開催費用が巨額すぎるせいで、立候補都市がどんどん減っている……。招致にからむ裏金スキャンダル……。経済面の問題は、オリンピックの影の部分としてよく語られます。

それは私も危惧するところです。テレビに映るスポーツ選手が競技生活の舵を自分でとれていないと感じたことは一度や二度ではありません。スポンサーとのなんだかんだによって引退したくてもできない選手は、「心身の調和のとれた発展」を目指しているといえるでしょうか? 故障を押してまで出場を余儀なくされる選手は、自分の身体を犠牲にしているのだから、「人間の尊厳」の逆方向へ進んでいると思いませんか? 国家の威信を背負った選手。プレッシャーから自殺に追い込まれた選手。金銭面でのしがらみは、スポーツの精神を無下にしてしまいかねません。

しかし、「アマチュアはクリーンだ」と紋切り型にはできないのが世の中の複雑なところ。というのも、スポーツにおけるアマチュアリズムは、今日的な観点から言えば非常に差別的なものだったからです。アマチュアリズムの元祖は1839年イギリスのボート競技大会の参加資格規定なのですが、同規定は、出場者を「紳士」に限り、肉体労働者を排除するのを目的としていました。一見健全そうなアマチュアリズムは、エリートたちの毒々しい差別意識を具現化したものだったわけです。

【「人権の1つ」を具現化するために】

オリンピック憲章はオリンピズムの根本原則4条で次のように定めています。

スポーツをすることは人権の1 つである。すべての個人はいかなる種類の差別も受けることなく、オリンピック精神に基づき、スポーツをする機会を与えられなければならない。

もし選手がスポーツから金銭を受け取らないなら、スポーツはもともと資産のある――働かなくても生計を立てられるほどの――お金持ちでなければ手が届かないものになってしまいます。経済力によって「スポーツをする機会」から離れざるを得ない人が大量に出れば、「人権の1つ」はひどく不完全になります。

昨今はもっぱら商業主義が問題視される傾向にありますが、アマチュアリズムもこれはこれで、オリンピズムに反する結果を生み出してしまうのです。スポーツに限らず、アートにもほぼ同じ問いがありますね。私は、大事なのは「バランス」であり、目を光らせるべきは「行き過ぎ」であり、指針となるのはやはり「根本原則(Fundamental Principals)」なんだと思います。

常に問われる、オリンピックのあるべき姿

クーベルタンは、オリンピックの理念は時代とともに変化しなければならないと主張していた。

戦前、日本への招致に奔走した嘉納治五郎は、大会の規模を争うようになるのは弊害を生ずるので40年東京大会はベルリン大会より規模を小さくしたいと述べている。2004年の開催都市、ギリシアのアテネは、大会のコンパクト化を掲げて立候補、当選を果たした。大会規模の拡大は、近代オリンピックの黎明期から続く課題なのである。

【柔軟性に富む、優れた近代哲学】

調べてみれば、オリンピック憲章は毎年のように改定が行われているんですね。

平和学者のヨハン・ガルトゥングは、平和とは戦争がない状態だけでなく、差別や経済格差をはじめとする構造的な暴力からの解放という意味もある、としています。最近の大会をみると、戦争に対する平和を訴えるだけでなく、人種や性別などによる差別をなくす取り組みが盛んになっていますね。創始者のクーベルタンは女性がスポーツをすることには後ろ向きだったといわれているのですが、後世のIOCはその逆へ行ったわけです。創始者が神のようにまつり上げられ、後世を縛りつけ、組織が硬直化する結果とならないよう、自分の考えを絶対とすることなく、他でもない自分が自分に歯止めをかけておく。近代的で自由主義的、民主主義的な思考法がすがすがしいです。

時代とともに合わない部分、是正されるべき部分が出てくるのは世の常です。そこまで見越していた先人はつくづく賢い人たちだなあと思います。止まることなく主体的に変わり続けることもまた、オリンピックの哲学なのかもしれません。

結びに―理想の灯を掲げる限り

オリンピズムの根本原則が掲げるように、私はスポーツを通して「人類の調和のとれた発展」をみちびくことは可能だと確信しています。なぜなら、「自己」を正しく認識するため、また人間というものを理解するためには、身体を向き合うことは不可欠だからです。

だって、人間が身体なしに存在することはあり得ないじゃないですか。

運動を通して経験できること、学べることはたくさんあります。運動したあとのあのサッパリ感。自分なりの目標を立て、それに向かって努力を重ね、ついに達成するあの喜びは一生モノです。ケガをしたりと必要にせまられて骨格や筋肉などを学べば、「自己」の成り立ちについて気づきや発見があります。自分ってこんなふうにできてたんだ……と。こうした感覚や感性は、人類文化の源でもあります。(あるいは逆説的なのですが、「自己の身体のイメージをつかめない」状態が深刻化すれば、それは病気なんですよね。摂食障害とか、自傷行為とか……。)

このように、ひとりでも運動を通して学べることはたくさんあるのですが、選手として競技をするとなれば世界はぐんと広がります。大会の会場に行けば、そこには他者がいる。自分と同じように成り立った身体を持ち、同じ競技にいそしむ他者がたくさん集まっている。ライバルができて、抜きつ抜かれつ、長年切磋琢磨する人もいますよね。オリンピックで競技が終わった後、異なる国、異なる文化のライバル同士が勝敗にかかわらず握手して互いを認める――スポーツを極めた選手たちがたどり着くその境地は、観戦している私たちにも感動と希望をもたらしてくれます。

古代ギリシア以来、スポーツが哲学と結びついているのは決して偶然ではないんですね。身体を無視して観念論だけを突き詰める「頭でっかち」では、知恵に欠けが出てきてしまうのです。

ただ、スポーツ界にこうした哲学とはかけ離れた実情があるのはすでに述べてきた通り。そちらにも言及せずにはいられません。最近では日大アメフト部の危険タックル事件が記憶に新しく、柔道や体操など、さまざまな競技団体で選手がパワハラを告発しています。陰険で、身体・精神への暴力がはびこり、自主性の――スポーツ精神の――正反対である「服従」が是とされる。こういったカルト宗教のようなスポーツ団体の体質には「いいかげんにしろ!」と叫びたくなります。勝利至上主義と、その背景にあった政治宣伝の広告塔としての競技者の在り方。64年東京大会への準備が始まって以来、日本に本当の意味でのスポーツはどれだけ存在したでしょうか? 私は思わず宙をあおぎます。

身体を鍛えることで自己の尊厳を見出し、そこから他者も同等に尊厳ある存在として認められるようになる――スポーツ界の実情を前にかすんでしまいがちですが、こうしたスポーツ本来のポテンシャルが生かされる競技環境を望みます。

人類の調和のとれた発展、人間の尊厳、そして世界平和。

近代オリンピックは、民間によって始められた平和運動です。文化活動を通したグローバルな相互理解のムーブメントでもあります。その大会運営は、時代とともに、また発生した問題への対応という形をとって変化してきました。今後オリンピックがどうなっていくかはIOCや関係者の知恵と努力次第ですが、人類が理想の灯を掲げる限り、地球上の誰かが世界平和という理想を受け継ぐ限り、人類は未来へ進んでいけると信じています。

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著者・日夏梢プロフィール||X(旧Twitter)MastodonYouTubeOFUSE

箱根駅伝の結果や記録に思うこと – 学生スポーツ・箱根駅伝について、観戦するたび思うことを論じました。スポーツは人類の健全な発展を目指して行われるべきであり、とりわけ学生のスポーツは教育の一環でなければならないと強く思います。

東京オリンピック・パラリンピックを開催すべきか、中止・反対派に私がそれでも賛同できない理由を伝えたい – 新型コロナウイルスの世界的流行という特殊な状況に直面した2020年東京大会を、私自身が開催都市の市民として経験しながらリアルタイムで書きました。日本国内の政治的問題と密接にかかわり、世界的にはSNSをベースとしたポピュリズムが跋扈する時代に当たった――そんな大会として記録しています。

叙勲・褒章、国民栄誉賞とその辞退者―調べてわかった驚きの過去 – 有名なスポーツ選手が時の政権から国民栄誉賞等を贈られ、政権の宣伝に利用される問題を論じました。

プロテイン置き換えダイエットとは(+やせたい女性の摂食障害撃退ガイド) – 運動することが人の心にもたらす効能について、だいぶ尺を割いて書きました。トレーニングを通して自分の身体にかかわり、自分をいたわることは、自己肯定感を高めます。

自宅ボイトレ15年のまとめ:高音、筋トレ、苦手克服、意見の違いを整理整頓! – スポーツとは異なりますが、歌はある部分、身体を使ったアクティビティです。そのため、スポーツとはほんの少しですが重なる部分があると思います。

声優になるために今から自宅でできること – こちらもまた芸術分野になりますが、「演技」は身体を使った表現であり、役者の方々は基礎体力のトレーニングを積んでいます。身体表現特有の面白さなどについて書きました。

<主要参考資料>

JOC公式サイト – オリンピズム

「オリンピック 激動の祭典」映像の世紀(16)(NHK、初回放送2020年6月20日)

経済トレンド『オリンピックへの期待と不安 ~ギリシャの教訓から何を学ぶ~』田中理(第一生命経済研究所、2013年11月1日)

「競技スポーツにおける「自死」に関する一考察 ―円谷幸吉を事例として―」岡部祐介(早稲田大学大学院スポーツ科学研究科、2007年)

なぜ日本政府は東京五輪を中止しないのか 事態は簡単ではなく(BBC NEWS JAPAN、2021年5月15日)

“Faster, Higher, Stronger – Together” – IOC Session approves historic change in Olympic motto(IOC、2021年7月20日)

百科事典マイペディア 電子辞書版(日立システムアンドサービス、2005年)

(2019年4月25日公開。Tokyo2020大会およびIOCのモットー変更等にともない、2021年8月26日に該当箇所を更新しました。)

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