『推し、燃ゆ』(あらすじ・ネタバレ有)~ファン活動のマナーと注意点

目次以下の『推し、燃ゆ』あらすじまとめは、核心のネタバレを含んで結末まで書いてあります。目次より下ではその他の箇所でも適宜ネタバレがありますのでご注意ください。)

2020年、宇佐見りんさんの芥川賞受賞作『推し、燃ゆ』が話題になりました。“推し”アイドルの応援やグッズコレクション、ファン仲間との交流などを、気軽な楽しみを越えて「生きがい」にする人が出ている――それはネットというインフラが浸透した現代社会のひとつの日常風景になっています。あなたもその一人かもしれません。

一見楽しそうな「”推し”を押す」ファン活動ですが、ネット上のコメントや交流がしばしばトラブルに発展するのは、もはや言うまでもないと思います。他のユーザーと大ゲンカになるなど、”推し”のために心に深い傷を負ってしまった悲しいケース。また、気づいた時には誹謗中傷で逮捕されていて先の人生を破壊してしまった……などという人は昨今後を絶ちません。

もう見ていられない不幸なファン活動。そこで今回は、同小説をもとに、“推し”を押すなかで「こういうことをしたら大変なことになる」というパターンを解説していきたいと思います。『推し、燃ゆ』に「他人事とは思えない!」とハラハラしたり共感した人はもちろん、“推し”はいなくても頻繁にネット投稿するすべての現代人にとって、落とし穴を避け、よりよい人生を送る参考になればと思います。

目次

“推し”とは?

「推し」は主にネット上で使われるスラングで、基本的には「好きなアイドル」を意味します。語源は「(アイドルグループの)一押しメンバー」だといわれており、それが「推しメン」に略され、さらに短くなって「推し」となったといわれています。

語が広まってからは、アイドルに限らず、主にポップカルチャーで「推しアニメ」「推しキャラ」といった転用もされています。最近ではもっと一般に、「推しアプリ」など「おすすめ」の意でも見かけるようになりました。

『推し、燃ゆ』あらすじまとめ(核心までネタバレあり)

芥川賞作品『推し、燃ゆ』は、簡潔に言えば、 “推し”アイドルがファンを殴ったとして“炎上”、芸能界を引退したので、主人公・あかりは何もかも失い燃え尽きてしまった、というストーリー。同じように”推し”のファン活動をしている人が「他人事とは思えない」と引きつけられ、共感の声が続出しました。

あかりが「推しを推す」ことを「生きがい」にまでしている様子は、「推しは命にかかわるからね」(6頁)というセリフが象徴しています。部屋は”推し”のメンバーカラーである青で統一され、「たとえば教会の十字架とか、お寺のご本尊のあるところとかみたいに棚のいちばん高いところに推しのサイン入りの大きな写真が飾られて」(37頁)います。

そんなあかりの背景事情ですが、実生活はまるきりうまくいっていません。なんとか入った高校では、3年生に上がれず留年が決まり、ついに退学。あかりは小学生のころから漢字を書くのに困難をきたしていたりと発達障害があるようで、慢性的な体調不良にも悩まされており、実際病院では診断が二つ出ているのですが(病名などは明言されていない)、両親は「またそのせいにするんだ」(92頁)と理解せず、受け入れず、高校中退後は就職を求める一方。姉・ひかりは小さいころから子どもを支える親の役割を肩代わりするような立場になっており、事あるごとに家庭をなんとかとりもとうとしているのですが、そのたびに憔悴して終わり、時にはあかりに対して怒りをぶつけることも。こうして学校も家庭もうまくいかないところにもってきて、あかりはバイト先の定食屋でもミスが多く、ついには何日も欠勤連絡を忘れてしまったので退職。事実上の解雇です。親につつかれるまま会社に履歴書を出しても、就職先は決まらない。家族で話し合った……というよりもめた末、あかりはいったん一人暮らしをしてみることに決まり、ひとまずの生活費をもらって家を出て、亡き祖母の家へ引っ越します。

あかりが陥った社会的孤立は、ドミノ倒しのごとく深刻化していきます。問題が問題をよび、解決がどんどん難しくなっている現実のまっただなかを生きているといえるでしょう。

こうしてもがいているあかりが唯一夢中になれるのが、アイドルグループ「まざま座」のメンバー・上野真幸でした。ブログを開いて“推し”の「解釈」を書いているうちに仲間ができ、ファンの間では「落ち着いたしっかり者」というイメージで(35頁)一目置かれる存在となっていたのです。

ところが、その真幸くんがファンを殴ったとして芸能界を引退、「まざま座」は解散に。これにてネット上のファン仲間が散り散りになることは確定し、あかりは”推し”がもはやアイドルではなく一人の人間なのだという現実にぶつかります。物語は、あかりが家で独り重い体を引きずり、散らかった部屋をひとつひとつ片付けなければならないと這いつくばっている……というところで終わります。

――以上、筆者がポイントを抽出したあらすじはいかがだったでしょうか? けっこう意外に感じた方も多いのでは? 巷で話題の『推し、燃ゆ』ですが、宣伝文句やネットの情報だけでは分からない部分があるので、「自分も”推し”がいるので気になっている」という方は原典に当たってみるのをおすすめします。

個人的には、ソーシャルワーカーや医療関係で働いている方、法律や心理学などを学んでいる方などは、フィクションではありますが「あかりが抱える問題はどうすれば解決できるだろう?」とケーススタディの題材として活用することもできそうだと思いました。なかなか興味深いのではないでしょうか。

あかりの「推し方」は無害だけれど……

以上のあらすじから分かる通り、『推し、燃ゆ』のあかりのファン活動は他人や社会に危害を加えるものではなく、人間関係でのトラブルもないんですよね。真幸くんの“炎上”、引退は衝撃だったとはいえ、それはあかりの内面の問題止まりなのです。

しかし、現実はなかなかそうはいかないんですよね。

私は長年ネットの世界にかかわってきて、ファンサイト運営のむずかしさをこぼす管理人さんとか、思わず目を覆う罵言や悲しいケンカなどをずいぶん見てきました。どうすればそういう悲惨な事態にならずにすむのか、以下ではそちらにフォーカスしていきたいと思います。

コレを言ったら絶対荒れる!ファンコメントの鉄板パターン

まずは小手調べ。ネットで絶対ケンカになる投稿やコメントの鉄板パターンはこちらです。


○○最高!××なんかよりずっといい!


……人気YouTuberのコメント欄なんかでよくありますね。映画等の投稿レビュー、あるいはSNSでも見かけます。経験上、このパターンで物を言ってしまったら、××を“推す”ファンと大ゲンカになること間違いなし。気を付けたいところです。

「××よりいい」という表現パターンは、「“推し”が人気や知名度で押されている」と感じたファンが言ってしまいがち。

加えて、もっと深いところでは、友達との雑談気分のままネットに書き込んだ、という意識も原因になっています。人数が限られ、しかも気心知れている友達が相手なら、「××なんかのどこがいいんだよ~」なんて言っても昼休みの談笑ですむじゃないですか。しかし、ネットに投稿するというのは、そういう普通の会話とは根本的に異質な行為です。駅前で演説するのと同じ、「公の場での発言」なのです。ネットでは何の手ごたえもなく投稿できてしまいますが、「自分は公の場で発言しているんだ」「このコメントはどんな人でも見られるんだ」という意識は忘れずに。

“推し”への応援コメントやネット投稿では、「他との比較」は使わないのが賢明です。言葉遣いでも、攻撃的な表現はひかえておくのが吉。ネットでは顔やジェスチャーが見えず、声のトーンもわからないので、読み手にとってあなたの言の判断材料は文字だけです。たとえ自分ではそんなつもりはなかったとしても、読み手(不特定多数!)は「ケンカを売られた」と受け取る、そんな文面になっているかもしれません。

たかがケンカ、されどケンカ。私が実際に目撃した実話は次のところで紹介しますが、ネット上で怒号の応酬が始まれば、精神的な負担は大変なものになります。いやな思いをして、スクリーンを離れても朝からぐったり、昼間もげっそり……。そんなことになりたくなければ、投稿ボタンをクリックする前に指を止め、冷静になることです。「ケンカになったらやだから一応やめとこ……」と判断したなら、命拾いになりますよ。

実生活で悩みをかかえた人が、ネットでまた傷を負い……

先ほど紹介した通り、『推し、燃ゆ』の主人公は自分の実生活がうまくいっていません。周りから受け入れられない、理解してもらえないモヤモヤ。追い詰められていく立場と生活。しかし“推し”アイドルの存在によって好きなものを共有できる仲間ができ、少なくとも真幸くんの芸能界引退までは幸せ感があったわけです。

これはこれで完成された作品世界。しかし、現実社会にたくさんいるあかりと同じような人はどうでしょう? 実生活で悩みや困難を抱えた人が、ネット上で“推し”を押していたらそこでも人間関係でトラブルになり、叩かれたりしてさらなる傷を負うケースがなんとまぁ多いことか……。

仲間や居場所をネットの世界に求めたら、そちらでも叩かれ、嫌われ、締め出され……。

私は自分自身が訳ありでネットの世界を漂っていた時期があるので、今でもこのパターンに陥った人を見るたび、もう悲しくてやるせなくて直視できないんですよね。

そこで、今回は私がTwitterで実際に目撃した例を紹介しながら、どうすれば実生活で困難をかかえた人がネットでのファン活動でトラブルにならず、幸せな方向へ進んでいけるのかを考えていこうと思います。

アニメ推しのタイガさんは、かくしてTwitterでも嫌われた

これは、私がTwitterアカウントを開く前、調査のために様子を見て回っていたころのこと。Twitterを遊びに使っている人たちはどんな雰囲気なんだろう、とアニメやゲームに関するツイートを閲覧していると、ある時、こんな人に出くわしました。


タイガ @taigaaaMKI

スペレンは神アニメ!毎週リアタイ、実況中。


タイガさん(仮名)は人気アニメ『スペースレンジャー』(仮名)の大ファンでした。自分が出会った最高のアニメを多くの人に広めたい、ファンを増やしたいと、毎週放送のたびに夢中になって感想を山ほど投稿。先の展開が待ちきれなくて、次週以降の情報が解禁される日には朝から


タイガ @taigaaaMKI

今日解禁。1時まで酸欠かも。息止まりそう。


などとそわそわ。100人を超える『スペレン』ファンからフォローされ、Twitter上でファンのグループを形成していました。

ところが、タイガさんはある時を境にがらりと態度を変えます。「ストーリーの展開が気に入らない」と怒り出したのです。

昔から、「ファンクラブの元会長が嫌がらせ犯に転じて、ついに逮捕された」といった事例はみられます。しかしタイガさんはこうした熱狂的ファンから“アンチ”に転じたパターンではありません。彼の主張は、


タイガ @taigaaaMKI

スペレン自体は神なんだよ…。脚本が悪いんだよ!こんな超展開にしやがって!スタッフがスペレンをだめにしてるって言ってんだよ!


というもの。言葉遣いはどんどん荒くなり、番組に対して暴言を吐くようになったのです。

そしてついに、ファン仲間だったブルージェミニさん(仮名)との間で火種が爆発、大ゲンカの火蓋が切って落とされたのでした……。「違う意見があってもいいじゃないですか」となだめようとしたブルージェミニさんに対し、タイガさんは

  • 自分は『スペレン』を良くするために批判しているのだ
  • 自分のしていることはアニメへの批評だ

と主張して激しく攻撃。ブルージェミニさんが返信するごとに怒声が怒声をよび、Twitterスペレンファンの人間関係は火柱と化したのでした。

ブルージェミニさんは、タイムラインによれば成人していておそらく30代、どうやら医療福祉関係で働いている女性でした。タイガさんと同じく『スペースレンジャー』に魅了され、ファンと交流したい、そのよさを広めたいとTwitterで盛んに投稿。ブルージェミニさんは深読みをしたがるタイプで、性格的にはやや繊細、Twitter上では暴言を吐く人に注意したりと少々個性的な人でしたが、人格的には普通の大人という感じで、ファンとしての行動も常識的でした。タイガさんと同じく、スペレンファンの間で一目置かれる存在でした。

このころから、他のスペレンファンたちは次々タイガさんをブロックしていきます。暴言を吐きまくり、ブルージェミニさんに罵言を浴びせたタイガさんは、『スペースレンジャー』ファンのコミュニティから締め出される形になったのです。

心に一生残る傷

こうして、”推し”アニメを通してつながる仲間を失ってしまったタイガさん。

孤立してがっくり肩を落としたか、それとも「コンチクショウ!」と荒れたのか……調査でまわっていた私がどうしたものかとやきもきしていると、彼はここで、ケンカ相手に妄執を燃やします。

なんと、タイガさんは、Facebookかどこかでブルージェミニさんと同一人物のものと思われる『スペレン』感想を探し出してきたらしく、Twitterで彼女の実名を暴露、名指しで罵倒したのです。

想像を絶する、執拗な攻撃。これにはブルージェミニさんも打ちのめされたようでした。


ブルージェミニ @BlueGemini_crossroad

心配してくださってありがとう。どうしてここまでやるのか、もう悔しくて悔しくて、昨夜は涙が止まらず眠れませんでした。


ブルージェミニさんは、好きなアニメを“推し”ているさなか、ネット上で他の人から攻撃を受けて、一生残る傷を負ってしまったのです。

タイガさんの悲惨な過去と親子関係―『推し、燃ゆ』のあかりとの共通点

Twitterを調査中だった私は愕然としました。世の中にはアニメのことでここまで感情的になる人がいるのか、と……。

こんなことをするタイガさんとはいったい何者なのか。私は彼のタイムラインをさかのぼっていきました。すると明らかになったのは、彼をとりまく悲惨な過去と現実でした。

タイガさんは、父親との確執をかかえていました。物心ついたころから「だめな子だ」と言われてきた、というのです。それでもタイガさんは大きくなるにつれて、自分なりに夢というか、漠然とした希望を描くようになったらしいのですが、両親は彼の意思に耳を傾けませんでした。高校卒業後は、就職先でもうまくいかずに間もなく退職。これによって親の「だめな子」攻撃は過激化し、父親が「だめな息子のために」ツテから引っ張ってきた地元企業でしぶしぶパートを始めたものの、そこでは毎日上司から怒鳴られる。タイガさんはアニメ感想の合間に、職場への不満や怒り、父親へのいら立ちをツイートしていました。

第三者である私の目から見れば、タイガさんの親は虐待的傾向のある人でした。ありのままの子どもを受け入れず、親の尺度で測ってなじる。支離滅裂な要求を乱発し、子どもが思い通りにならないとブチ切れる。表面的には自立をうながしているかのような「働け」という言葉ですが、深層心理はその逆です。息子を支配下に置いて離さず、是が非でも子離れしない。この手の親は、自分のほうを変えようとはゆめ思わないんですよね。私はタイムラインを読んで、タイガさんの親は子育てするには精神が未熟だ、と思いました。しかも、そんな親が探してきたという職場は、私に言わせればもろにパワハラ、ブラック企業……。「類は類を呼ぶ」とはこのことです。物心ついてより、タイガさんは四面暴言の世界で生きてきたのです。

タイガさんの狂信的なファン活動や人間関係トラブルの背景にあった、家庭環境と親側の心理――親がありのままの子どもを受け入れない点や、その現れの一つとしてひたすら「就職」を求める点などは『推し、燃ゆ』のあかりと共通しています。このような”推し”と機能不全家庭の関係については後述します。

SNSアカウントには、一人ひとり、心の深いところに根差した思考・行動パターンが顕在化します。実生活でうまくいっていない人がたびたびネットでもトラブルになるのは、その劣悪な環境に身を置くことで心の奥深くに形成されてしまった健全でないパターンが、ネットでの言動にも現れてしまうから。タイガさんのタイムラインを数か月分閲覧した私の結論はこうでした。

「自分と違う考えを受け入れずに間違いだと決めつける」、そして「暴言で相手を叩き潰す」というタイガさんの行動パターンは、彼が生まれたばかりの無邪気な天使だったころから親にされてきたことなのだ、と。

タイガさんの苦境と苦しみは不当に負わされたものであって、心からかわいそうだと思います。

しかし、彼はブルージェミニさんとの関係においては加害者。残酷な生い立ちを以て、ブルージェミニさんを傷つけた責任が免除されることはありません。

かくして、実生活で悩みと困難をかかえたアニメ推しのタイガさんは、Twitterでも嫌われ、締め出され、あげくの果てには加害者側にまわってしまったのでした。

実生活で悩みをかかえたあなたが、“推し”活動でも失敗しないために

ただでさえ苦しんでいる人が、実生活で得られなかった仲間や理解者、居場所をネット上に求めたら、そこでもうまくいかず、ますます傷ついて自信を失った――。

私はかつて自分自身がネットへ逃げ込んだ身で、その時にそうやってボロボロになった人を見かけてそれはそれは不憫に思ったのですが、Twitter調査中に出くわしたタイガさんはそれ以上の衝撃でした。ネットでも嫌われた、にとどまらず、加害者になってしまった。もう救いようがないじゃないですか……。

どうすればこんな悲惨なことにならず、”推し”を共有できる仲間と楽しく過ごし、本当の自分をのびのび発揮して、ネットを幸せに利用できるのでしょうか? ここでは私の経験からポイントを2つ挙げてみるので、悩みがある人、人生に困難をかかえている人はぜひ参考にしてほしいと思います。

まず土台の部分では、「傷つける側にはならないように」という意識を持っておくといいでしょう。……言われてみれば当たり前なんですけど、普段なかなか意識的にはならないと思うんですよね。といっても、特別慎重になる必要はありません。文字だけのコミュニケーション、言葉遣いや態度はていねいに。また、数ある感情のなかでも「怒り」は他人にも自分自身の心に対しても「破壊力」に転ずる恐ろしいもの。ほかのSNSユーザーであれ、番組スタッフや著名人であれ、他者を批判するのは避けておくのが安全です。カッとなったときにはスクリーンからいったん離れ、投稿をしばらく待つのをおすすめします。

そしていちばん大事なのは、“推し”を推すなら、そのなかから本当の自分を見出し、生きる力に変えていこうということです。

親にありのままの自分を受け入れられず、仕事でもうまくいかなかったタイガさんは、『スペースレンジャー』のどこに魅了されたのでしょうか? 夢への一歩を踏み出す決意、壁にぶつかっても再び挑戦する主人公の姿……『スペレン』の中の何かが、心の琴線に触れたはずなんですよ。

「自分は”推し”のどんなところが好きなんだろう」と掘り下げていけば、そこにはかならず「本当の自分」が映っています。すばらしいと思う生き方、なりたい自分の姿、共感するところ(=本当の気持ちや願望)、親からもらえなかった優しくつつみこむような言葉……。(『推し、燃ゆ』のあかりは真幸くんが好きな「理由なんてあるはずがない」(29頁)と言っていますが、作中では親の意思で無理やり芸能界に入れられた元子役である真幸くんに、親から受け止めてもらえない自分を重ねる心情等が示されています。)

そうやって”推し”から大事なものを見つけたなら、「よし、自分も勇気を出して、父親に『自分の将来は自分で決める』って言うんだ」とか、「最初の仕事を辞めた時は『やっぱり自分はだめなんだ』って落ち込んだけど、なんだ、また立ち上がればいいじゃないか」といったふうに、自分が明日を歩む力をためていけるはずなのです。

実生活で悩みや困難をかかえた人がファン活動でも失敗して傷ついたりしないためには、「“推し”を押すことで自分が良い方向に行っているのか」はいつでもチェックポイントだと思います。夢中になれるものからプラスのエネルギーをもらって、今日は昨日より少し元気になりたいですね。

意見のつもり、レビュー気取りでハマる罠

もとよりトラブル多発のネット界。なかでもとりわけ話がやっかいになるのは、音楽やアニメ、映画、本などの「レビュー」の類なんですよね。

“推し”の押し方が「意見」や「批評」の外形をとるときは、自分ではまっとうな発言をしているつもりでいるうちに、思いもかけないトラブルに踏み入れてしまいやすいです。あなたには、ネット投稿にからんで、今までにこんなことはありませんでしたか?

  • SNSで「『スペースレンジャー』第14回の脚本は出来が悪い」という内容をしゃべったら、ファン仲間とケンカになってしまった。いやな思いが今でも頭から離れない。
  • 通販サイトのレビュー欄で、好きなものはベタ褒めするけど気に入らないものには酷評を書きなぐる、両極端な人を見かけた……。だからレビューとしてはまるきり参考にならなかった。
  • 技術の高さや作品の出来からすれば“推し”はもっと高く評価されていいはずだ、とモヤモヤしている。そのことをSNSで話したい。
  • 神様みたいに思っているアーティストに批判的な評論家を見つけてムッときた。SNSで反論したい。

意見のつもり、レビューのつもりでトラブルに発展するケースは、どちらかといえば“推し”が権威ある分野だったり、その分野にくわしいネットユーザーに起こりやすいと思います。権威ある分野というのは、たとえばジャズ音楽、現代美術、映画の巨匠、あるいは……芥川賞受賞作。ドキッ、と飛び上がった読書好きが目に浮かびますね。ブックレビューサイトにコメントしたばかりでしたか?

鼻高々、人生イケイケなスズキくんの5つの失敗

ネットで「意見」や「批評」を言う(つもりの)時、問題になるならないの境目はどこにあるのでしょうか?

今回は、こんなストーリー仕立てでひも解いていこうと思います。


スズキケン @Suzuki_Ken

高嶺学院高校→メーモン音楽大学。作曲専攻。オブリガーズ推し。イタリアでも元気にしてます!


スズキくんは、誰もが知る名門高校からイタリアの世界的有名音大に合格した20歳の作曲家志望。最近、巷ではテレビ映えするジャズアカペラグループ「ナインスターズ」が人気ですが、スズキくんの“推し”は、知る人ぞ知る実力派の「オブリガーズ」。ナインスターズが世で評価されることに不公平感や憤りを抱いています。このTwitterアカウントは高嶺学院時代から友達との遊びに使っていて、タイムラインには当時のクラスメートとの「ピザうまい?」「白いご飯なつかしい(泣き顔絵文字)」といった一対一のさりげない会話も。スズキくんは小さいころから称賛の光を浴びまくり、人生はイケイケ、だけどそのために傲慢になっていて……。

以下は架空のモデルケースですが、問題のツイート例はすべて、私が実際に見たネット投稿をもとにしています。スズキくんの投稿はどこがどうまずいのか、どういう視点が欠けていて、どう書けば問題なかったのか、それを解説していこうと思います。

語ったつもりで、客観的にはクレーマー

ここはイタリア、メーモン音楽大学の寮の部屋。スズキくんはプロ用のヘッドホンをはずすと、しばしうっとりしてから、おもむろにスマホを取り出しました。


スズキケン @Suzuki_Ken

オブリガーズの音楽は技術的に最高レベル。本当にいいから、みんなに聴いてほしい。

なぜナインスターズなんかがテレビに出られるのか。テレビの都合だよね。音楽は顔じゃないのに。


コレを言ったらナインスターズのファンが怒るよ……というのは最初に指摘した通りです。

ですが、このパターンにはもう一つ、重大な問題があります。

それは、これをナインスターズが聞いたらどう思うか、ということ。言い換えれば、この投稿の、ナインスターズに対する責任です。学校の昼休みにお弁当をほおばりながら言った分にはただの談笑ですむことも、ネットに書いた(=公の場で発言した)なら、話は全然別になってくるのです。

引き合いに出された側の本音

音楽への自信がにじみ出ているスズキくんのツイートですが、もしこれをスクショして、ナインスターズのみなさんに見せたら何と言うでしょうか?

まず最初の反応は――「誰これ?」

ナインスターズの立場から見たら、突然見知らぬ人に斬りかかられたようなものなんですよね。

オブリガーズと比較されたことについては……

「オブリガーズさんのことは知っているし、本当に優れたミュージシャンだと思ってますけど、自分たちは自分たちの音楽活動をしてるだけです」

スズキくんにとっては歌唱技術のなんだかんだがあったかもしれません。しかしスクリーンの向こう、ナインスターズにとっては自分たちのこれまでがあり、活動方針があり、音楽があり、人生がある。

ほかにはこんな声も。

「あの、スズキさんは、オブリガーズ以外のアカペラグループみんなにこういうコメントをしてるんですか?」

エッ……と意表を突かれるかもしれません。もしアカペラグループを見つけるたびに「オブリガーズのほうがいい」と難癖をつけてまわっているとしたら、これはこれで「迷惑な狂信的ファン」という感じがします。もしナインスターズだけにぶつぶつ文句をつけているとしたら、それはそれで、場当たり的というか、やつあたりなんですよね。

そして彼らを決定的に怒らせるのはこれ。

「僕らが音楽を顔で売ってるみたいな言い方されたのは心外です。自分は生まれ持った顔で今までずっと生きてきただけで、それを否定するなんて……謝ってもらいたい」

プライドが高く、音楽の技術を語ったつもり、テレビ業界の都合を批判するつもりだったスズキくんには「そ、そんなぁぁ……」かもしれませんが、これはまごうことなき誹謗中傷。ナインスターズの側から見れば、スズキくんはどこからともなく突然現れた迷惑な「クレーマー」だったのでした。

スクリーンの向こうには人がいる。人生がある。

自信満々に語ったつもりだったのに、言及した相手には手あたり次第クレームをがなり立てる迷惑人物だと思われていた――ネットでは悲しいかな、よく見かけるパターンです。

どうしてこのような失敗をしてしまうのでしょうか?

総じて、ネット投稿はバーチャル感覚に陥りやすいです。スクリーンのボタンをポチッとするだけで、手ごたえがない。言及している相手の顔が見えない。それに、相手はたいてい会ったことのない知らない人なので、現実感がない。「架空のキャラ」と同じような感覚になってしまう。このバーチャル感覚が、あまたの失敗のもとになっています。

スクリーンの向こうには、生身の人間がいます。その人がこれまでに送ってきた人生があります。

軽く扱うに値する人や人生などありません。

ネットに投稿するときは、「相手に面と向かって言えることなのか」はポイントです。

ナインスターズのメンバーと面と向かって席に着いて、真正面から「(テレビ出演できたのは)テレビの都合だよね」とか「音楽は顔じゃないのに」なんて言えるでしょうか? いくら人生イケイケ、自信家のスズキくんでも言いっこないですよね。それは失礼すぎる、そんなこと言ったらみじめなのは自分だ、と分かるからです。

スズキくんのツイートは、比較の部分を削除して


スズキケン @Suzuki_Ken

オブリガーズの音楽は技術的に最高レベル。本当にいいから、みんなに聴いてほしい


だけにとどめておくか、あるいはナインスターズに言及するとしても


スズキケン @Suzuki_Ken

最近はナインスターズが人気だけど、僕はほかにも優れたグループを知っているんですよ。アカペラが好きな人は、オブリガーズも聴いてみてほしいな


といった、ナインスターズ本人に直接でも言える、失礼のない文面にしておけば問題ありませんでした。

相手に面と向かって言えないことは、ネットでも同じ。ネットで発言をするなら、必ず覚えておくべきポイントです。

“推し”のためなら何だって!―「信者」による反則行為

「”推し”がピンチだ! どんなことをしてでもかばわないと……」――時に「信者」と呼ばれるこの手のファンは、アイドルやアニメはもちろん、権威ある芸術作品や尊敬されている巨匠の熱烈支持者まで、どんな分野でも見かけます。やらない人はやらないんですけど、やる人はやってしまう、そんな感じではないでしょうか。

このパターンがさらにやっかいになるのは、「”推し”に否定的な人を攻撃する」という形がとられたとき。第三者が巻き込まれるので、ファンによる迷惑行為のなかでも迷惑をこうむる範囲が広くなるからです。

さて、スズキくんがある朝、Twitterのタイムラインをスクロールしていると、ある投稿に目が留まりました。

投稿者の大沢誠一さんは音楽評論家。音楽雑誌や新聞に評論を書くたびにTwitterでお知らせしています。読んでムッとしたスズキくんは、すぐさまコメント付きでシェアしました。


大沢誠一:『わが心のレコード』重版出来 @Ohsawa_Seiichi

「月刊アコースティック」今月号にてCDレビューを担当しました。

オブリガーズはレコーディングで損をしている、と言われますよね。新アルバムで検証しました。ミュージシャンの方はもちろん、レコーディングに携わる方もぜひご覧ください。

↓リツイート

スズキケン @Suzuki_Ken

この音楽評論家はCD聴かなかったのかな。

オブリガーズは意図的にリバーブをかけないんだよ。歌唱技術をレコーディングでごまかさない。インタビューでもそう発言してる。

こんな知識ない人が音楽評論家をやってるなんて、世も末だな。


ありえない。プロの音楽評論家がCDを聴かずにCDレビューを書いているとか、音楽の知識がないのに音楽評論家をしているということは、現実的にあり得ません。なのにこういうことを言う人、ネットでは案外見かけるんですよね……。

応援するオブリガーズの評価を上げるため、大沢さんの言を否定したいがために、スズキくんは無理のあることを言い出してしまいました。

これを大沢誠一さんの立場から見たらどうでしょう。会ったこともないどこぞの学生から、突然根拠もなく「CDを聴かずにCDレビューを書く音楽評論家」「音楽の知識がない音楽評論家」とレッテルを貼られた。とんだ失礼、そして自分の仕事への妨害行為です。

「”推し”を批判する者は敵」なのか

全霊を込めて応援しているアーティストが否定的に評価された。大好きなマンガが社会から批判された。そういう場面を目の当たりにした時に、がっくり落ち込んだり、ムッときたり、弁護したくなったりするのは、ファンとしては自然な感情かもしれません。

ただその時、“推し”を批判する人に対して攻撃に出るとしたら、それは問題です。

なぜなら、批判する人にもその人なりの理由があるからです。(もっとも真幸くんを「燃えるゴミ」と呼ぶなどは正当な批判意見ではなく誹謗中傷なので、論外ですが。)

特に最近は、批評家が否定的な見解を示すと、まるで”推し”アイドルの”アンチ”とケンカするように食ってかかる人を見るようになりました。これをやってしまうのは、どちらかといえばスズキくんのように学に自信があり高尚にふるまうネットユーザーだったりするので、なんというか、現代を特徴づけるポピュリズムや、大衆性の浸透の深さを感じます。私は、アイドル業界の”アンチ”の感覚を芸能界の外まで引きずるのは自分で思っている以上の迷惑行為なのだということをこの場で指摘したいと思います。

というのも、批評家というのはあくまで「中立」です。その社会的な役割は、人々に公平かつ客観的な評価を示すこと。プロの音楽評論家になろうとしたら、音楽の専門知識を備えているなどというのは当たり前です。専門知識があるだけでできるほどかんたんな仕事ではありません。ようやくプロとして認められたとしても、評論を書くには毎回その作品をしっかり聴かねばならず、個人的な感想や好き嫌いはすべて心の底に抑えつけて、客観的な評価を執筆しなければなりません。(残念ながら、独立性を捨てて業界やアーティストに寄生する名ばかりの批評家等はいるかもしれませんが、職業の基本はそうです。)ファンはカッとなりやすいものですが、よくよく読んでみれば大沢誠一さんの批評はそんなに否定的ではないし、オブリガーズへの憎しみなどはみじんもないんですよね。

私は言いたい。自分と異なる意見を見つけたら、叩き潰さなければ気が済まないのでしょうか。自分と違う意見は「間違っている」のでしょうか。自分とは違う意見が存在してもいいのではないでしょうか。

私は問いたい。自分が気に入らない批評家を暴言で攻撃するというのなら、公平な批評を聞けなくなってもいいのでしょうか? “推し”に対して好意的でない意見を「不正解」だと決めつけるのは、我こそはと批評家気取りでいながら、批評というものを地上から駆逐せんとしているに等しいのです。近年感情的になったファンから「分かっていない」「知識がない」などと罵言を浴びせられるプロ批評家の方々が気の毒でなりません。同じ言論に携わる者として黙ってはいられないのです。

“推し”を批判する人は、なにも「敵」ではありません。その人はその人で生きているだけ。「友と敵」の構図を頭に描いて攻撃に出るに至ったら、ファン心も行き過ぎです。巻き込まれた人が「マナーの悪いファンにからまれた」と煙たがっていることに、一刻も早く気づくべきでしょう。

”推し”が失言、不祥事。そのときファンは……

ファンが「現実を踏み倒してでも”推し”を味方する」類の行為をしてしまいやすいのは、特にそのアイドル、アーティスト等が失言をした、不祥事を起こした、というときなんですよね。たとえば……

  • ”推し”アイドルが、人を殴ったとして批判された→「そんなはずはない!」と言い張る
  • 殴ったなんていうのはウソで、「誰かに陥れられたんだ」などと根拠なき陰謀論をまことしやかに語る
  • 絶賛するフィクション作品が、差別的な表現を含んでいるとして批判された→「それは何々を表した芸術表現であり、これこれこういう意味であって、差別とは関係ない」などと屁理屈をこねる
  • その作品を批判する人は「作品を読み間違えている」「理解できていない」のだと主張する
  • 心から尊敬する巨匠が、特定の人々の尊厳を傷つける失言で批判された→「発言はたいしたことではない」と幕を引こうとする

いくらファンでも、こうやってかばうのは行き過ぎです。”推し”が失言や不祥事をした場合、それを批判する人にも立場や尊厳があるからです。

アイドルに殴られたほうの人は、ファンが平穏でいられるために泣き寝入るべきだというのか。

ファンの平穏を守るために、メディアは取材、報道してはならないというのか。

「アイドルを陥れた」などといわれのない疑いをかけられた人はどうなるのか。

巨匠の作品によって偏見が広まり、差別された側の人々が困っている現実を無視していいのか。

影響力ある巨匠の失言で特定の人々が心理的外傷を負ったのは「たいしたことではない」のか。

……あらためて考えれば、自己中心的だと分かるはずです。

”推し”のことがどんなに好きでも、自分にとってどんなに価値ある作品でも、どんなに尊敬している巨匠でも、失言は失言、不祥事は不祥事。

それを事実をねじ曲げてでもかばうというなら”推し”を押すことで自分が悪いほうに行っているわけだし、もし「”推し”への批判が自分の批判のように感じられる」というのなら、自分を見失う前に、しらふに戻ったほうが身のためです。

ファンのコミュニティは閉ざされていない

ファンのコミュニティはこぢんまりしたもの。ファン以外の出入りがないので、小さな世界に閉じこもっている気分になりがちです。

しかし実際には、ファン活動も開かれた社会のなかで、社会の一員としてやっていることなんですよね。したがって、社会のルールはそのまま適用されます。

一般社会で「隠ぺい」が許されないなら、ファン活動でも許されない。

一般社会で「捏造」が許されないなら、ファン活動でも許されない。

隠ぺいや捏造が許されないのは、「だめなものはだめだから」という唐突な義務ではありません。それをされて困る人がいるからです。ちゃんと理由があるのです。

自分にとってどんなに”推し”が大事でも、ファン活動によって同じ社会に生きる他の人に被害・損害が出るなら、それは反則。同じ社会に自分とは異なる他者が存在しているということは、いつでも心に留めておきたいものです。

のちの人生に支障が出る警報発令!

さて、イタリア留学中のスズキくん。”推し”であるオブリガーズが評価されないなんておかしい、と、しだいにイライラしてきました。

ある朝、スズキくんはTwitterを確認していてまた大沢さんの投稿を見つけます。


大沢誠一:『わが心のレコード』重版出来 @Ohsawa_Seiichi

オブリガーズは古典をリスペクトしすぎて優等生感があるから、新しい要素を取り入れたら可能性が広がるのではないか。「月刊ジャジー」の連載「舟人鼻歌」に書きましたので、どうぞご覧ください。

↓リツイート

スズキケン @Suzuki_Ken

なんて浅はかなんだ!この人の考えは中途半端なポップスで染まっている!

全部叩き潰すのが楽しみだぜ!


いっぱしの批評家を気取った、低次元なバッシング。いるんですよね、こういう人……。

インターネットというメディアは感情が急激に高まりやすいと、その黎明期からいわれてきました。最初はまっとうな意見やレビューを書いているつもりで、夢中になるうちにこう――

なってしまいやすいのです。

ITの世界では聞くんですよ、就職がほぼ決まっていた若い人が、十代のころに遊びで投稿したおふざけ動画を会社の人に見られて就職が保留になってしまい、「そ、そんなぁぁ……」とか……。SNSへの投稿は、誰が見ているか分かりません。現段階ですでにそういうケースは出てきているので、SNSが年季を重ねる今後はもっと増えるとみられます。

夢は作曲家だというスズキくん。将来いよいよ作曲家として芽を出そうという時に、プロの音楽評論家を「浅はか」だと決めつけ、「叩き潰す」なんて暴言を吐いたことが分かったら、果たして音楽の世界で信頼されるでしょうか? こんな人間性の人と一緒に仕事をしたいと思う人はいません。

これは批判意見?誹謗中傷?プロライターはこう判断する

誰もがSNSアカウントを持ち、時に悲しい誹謗中傷事件が社会で問題となるいま、文を打ちながら「批判意見と誹謗中傷の境目ってどこにあるんだろう?」と疑問をもつ人もいるようですね。なのでスズキくんも「僕はこの人の考えは浅はかだと思ったからそう言ったんです。いけないんですか?」と反論してくるかもしれません。

これについては、さまざまなフィクションやエッセイを世に送ってきたあるプロライターから私が直に聞いた言葉を紹介しようと思います。

結論を言ってしまうと、自分の書こうとしているものが誹謗中傷にあたるかどうかは、「自分が『意見』だと思っているかどうか」ではなく、「相手にとって中傷でないか」で判断する、といいます。つまり、自分の主観ではなく、相手の立場に立って考えるのです。

プロライターの彼はこう言いました。

それが自分にとってどんなに真実だったとしても、相手にとっては誹謗中傷になってしまいます。

大沢さんの発言は、スズキくんにとっては「(客観的な)真実」として「浅はか」だったのかもしれません。メーモン音大で学んだ専門知識に基づいて「中途半端なポップスで染まっている」と判断したのでしょう。

しかし、それはあくまでスズキくんにとっての真実、彼が個人的に思ったことにすぎないのです。

大沢さんの立場に立ってみれば、見も知らぬ学生から「浅はか」だと吐き捨てられた。……罵りじゃないですか。たいてい、スズキくんは「月刊ジャジー」の連載「舟人鼻歌」をきちんと読んだのか、それすらあやしいですよね。読みもせずに批判するようでは、とうてい「意見」とはいえません。

先のプロライターは、人物や団体、作品等に対して好意的に言及する場合はリミッターをかける必要はなく、名前を出しても平気だと言います。

一方、否定的なときはたいてい「こう言う人もいますが……」とか、「世の中にはこういう見方もあるようですが……」というふうに、名指しを避けてぼかします。今度そう意識して本を読んだりテレビを見たりしてみてください。全部ではないですが、大部分はそうやってぼかされているのでハッとすると思います。たとえ社会で問題視されている発言や団体等であっても、多くは「最近ある実業家がこんなことを言っていましたが……」とか「あるキリスト教系新興宗教では……」などとされているのです。(ただし政治家は別。権力への批判が抑圧されるのは独裁政治に直結するので、批判は活発に行われなければならない。政治家にプライバシーはないといわれる。)

この話を聞いて、読者の頭には疑問がわいてきたかもしれません。プロのライターがなぜ批判する相手の実名を伏せるのでしょうか? 私たちには言論の自由が保障されていますよね。読者のあなたは、批判意見を発表するのは自由なはずだ、むしろプロなら鋭い批判を積極的にするべきではないのか、と思ったかもしれません。

まず、批判するのは自由である。たしかにここまでは不動の事実です。間違いありません。

いま問題となっているのは、ネット環境を背景に、「批判意見を書く難易度がかん違いされている」という点なのです。

否定的な見解を発表すれば、プロでもトラブルが多いです。たとえば、私の知る法学研究者は、ある裁判に関する論文を発表したら訴訟当事者だった某団体からさんざんに言われて大変だった、と苦笑いを浮かべながらふり返ります。論文を発表するのは正当な行為で、中身は無論誹謗中傷にかすってもいない論文相応のクオリティ、しかもそれは司法判断に対する論評であって某団体を批判する趣旨ではなかったのですが、それでも、実在の人物や団体に否定的な(正確には、否定的と受け取り得る)文面を公に発表するということ自体で、大変な労力とストレスを背負う結果となるのです。

たとえ「トラブルになるかもしれないけれど書こう」と腹をくくったとしても、肩にはプレッシャーがのしかかります。細心の注意を払って言葉を選んだとしても、読者から見て「これは中傷的だな」と判断されたなら、文士として信用を失うのは自分だからです。

だから、名指しをするかどうかは、様々な事情を勘案して決定します。相手はどういう立場の人・団体か。名指ししなければ成り立たない言説かどうか。名前を出すなら、相手から反応や反論が返ってくる可能性があります。それを受け止める覚悟はあるのか。

なるほど、批判意見を発表する自由はあります。けれど、それはいまのネット社会で思われているほど生易しいことではないのです。

ネットでいっぱしの評論家を気取っているスズキくんのような人は、否定的見解を発表した後の大変さを分かっていないし、相手と論争する覚悟など決めていないし、自分が背負う信用失墜のリスクなどを考慮していたためしがないんですよね。「一方的に批判する」ことが無意識のうちに前提となっている。「一方的な批判」ではバッシング止まりであって、「言論の自由があるじゃないか!」などと豪語できる実りある言論の水準にはとうてい達していません。批判意見を公に発表するなどというのは、あらゆる事情を勘案して、それでも自分はやるんだという強い意志と信念、そして力を備えた人がやることなのです。

そして今度の問題ツイートには、もう一点重要なポイントがあります。

ある厳格なベテラン言論者が、断定形を絶対に使わない理由

次は、私の知る、この道30年以上の言論者・Nさんを紹介します。Nさんは言論者ですから当然確固たる自分の意見、そして発信したいという強い気持ちを持った人です。

そんな彼は、文を書くときにある厳格なルールをもうけています。ルールとは、

文末を決して断定形にしない

というもの。

彼は文末を「~である」とはせず、必ず「私は~~だと思う」「~だと考えられる」「~だといえる」にするのです。

自分の文章だけではありません。彼は、他人が「~である」と書いてきたら、それだけでその文章を却下します。

なぜでしょう?

Nさんが断定形を絶対に使わないのは、「これはあくまで自分の意見だ」と鮮明に示すことで、これは絶対に正しいとか、自分は絶対的真実を知っているとか、他の意見は認めないという態度そのものを否定するためです。

自分は王様ではない。神様でもない。たとえ自分にとってどんなに真実であったとしても、自分を含め、ある人物の意見だけが特別待遇されることがあってはならない。――民主的な態度を徹底しているのです。

「意見」や「レビュー」といえる文面とは?

以上を踏まえると、スズキくんはツイッターにどう書けば問題なかったのでしょうか?

ここまでのポイント2つを総合すると、たとえば……


スズキケン @Suzuki_Ken

オブリガーズの音楽は古典で固まりすぎているという見方もあるんですけど、僕は、ジャズの根源を追求したゆえの完成度をすばらしいと考えています。


としていれば「意見」や「批評」といえるものになっていました。これなら言葉遣いに暴力性がなく、大沢さんの見解をひとつの見方として認めていますし、自分の意見もひとつの考え方であって他もあり得るという態度をとれているからです。

ちなみに、断定形を厳しく禁じるプロ言論者のNさんは、大御所となったいまでも、自分の意見をどう書くかにはいつも迷うといいます。

Nさんだけではありません。いくつものハードルを越えてようやく自分の意見を発表するにこぎつけたプロの言論者は、「画期的な説を発表したつもりでいたら、それは何十年も前から議論されてきたと指摘されて、穴があったら入りたかった」とか、「気を付けていたけれど、ほんのちょっとの言い回しで一部の視聴者に不快な思いをさせてしまった」などと、誰しも一つや二つは苦い思い出を語ります。公の場で発言することの意味を理解し、覚悟のうえで職業に選んだ人が、慎重に慎重を重ねてもそうなのです。

なので、もしあなたがネットの投稿ボタンを押す時に迷いも恐怖も感じないとしたら、それは感覚がマヒした危険な状態かもしれません。

ネット時代の「常備薬」

私は上で紹介したプロお二方をとても尊敬しています。これらの言葉は、現代人がスマホといっしょに常時持ち歩く常備薬だと思っています。

  1. 自分にとってどんなに真実であったとしても、相手にとって中傷でないか
  2. 「断定形は使わない」

そしてもう一つ、ITの世界を見てきた私からアドバイスを加えておきましょう。スクリーンに文を打って「これは批判意見? 誹謗中傷になるのかな?」と迷ったなら、やめておくこと。取り返しのつかないことになるリスクを背負ってまでそんな荒々しい投稿をしたところで、メリットは何一つありません。

とうとう犯罪の域に……

さて、血眼でTwitterをスクロールしていたスズキくん。怒りにまかせ、とうとう危険な領域に踏み込んでしまいます。


スズキケン @Suzuki_Ken

こんなレビュー載せてる雑誌は廃刊しろ!こんなのが出回るから音楽が誤解されるんだよ!


致命的なのは「廃刊しろ」という箇所です。

スズキくんにとっては言葉のあやというか、「廃刊しろ」という部分に大意があったわけではないのかもしれませんが、これは営業妨害、そして表現の自由に対する攻撃です。「月間ジャジー」の出版社からみれば「脅迫を受けた」ことに他なりません。出版社や大沢さんが警察に相談し、スズキくんは脅迫や業務妨害などの容疑で逮捕される可能性があります。

誹謗中傷がどの犯罪に当たるのかは以下の記事でリスト化、解説しましたのでご参照ください。

リンク:ネットの誹謗中傷具体例7例と、新たな問題点3点解説

プライドの高いスズキくんのもとへ警察官が事情聴取にやって来て、「こ、こんなはずじゃ……」となった時にはもう遅い。どう決着したにせよ、その日を境に、家族との関係も、友達からの視線も、先の人生も、永遠に変わってしまいます。

つまらないツイートひとつ。どんなに後悔したところで、壊してしまったものは、もうもとには戻りません。

差別用語で人生崩壊

最後は、”炎上”の最たる原因です。


スズキケン @Suzuki_Ken

オブリガーズを理解できない奴は×××(※差別用語)。

入院しろ(ハート絵文字)


いい大人が情けない、と顔が引きつったならもっともですが、これも実際にSNSで見たんですよ……。

その場で”炎上”して「そ、そんなぁぁ……」とか、ありそうですよね。

上記で述べた通り、問題あるSNS投稿は就職で響く可能性もあります。決まりかけた仕事が立ち消えて「そ、そんなぁぁ……」。

発火したのが何十年後、ということもあり得ます。夢叶って作曲家になったスズキくんのもとへ、オリンピック開会式で音楽監督をぜひ、との依頼が。それがニュースになったとたん、忘却の彼方だった学生時代の差別投稿がネットで流出。「こういう問題は祭典の趣旨やイメージに合わない」と人生の晴れ舞台が立ち消えて「そ、そんなぁぁ……」。

差別用語・差別的な表現はその人たちに対して本当に失礼なので、飛んでくる批判はまっとうです。たとえ人生が台無しになったとしても、それは自分の失敗。甘んじて受け止めるしかありません。

ネットに投稿する前の5つのチェックポイント

以上、鼻高々、人生イケイケなスズキくんの5つの失敗はいかがだったでしょうか?

こうしてSNS外のサイトで読めば、「これはひどい……」とあきれたり、「チョーシに乗った知ったかぶりめ!」くらいに切り捨てたかもしれません。

しかしこれらはすべて、私が実際に見たネット投稿をもとにしています。“推し”の押し方が「意見」や「レビュー」の外形をとるときは、普通の人でも、無意識のうちに危険な領域へ迷い込んでしまいやすい。罠があるのです。

インターネットは、誰もが自由に情報発信できる環境をつくった人類史上の革命でした。

ただ裏を返せば、そのことはたとえて言えば、誰もが免許なしに車を運転できるようになったようなもの。我々はいま、運転くらいできるだろうとタカをくくってアクセルを踏んでビルに突っ込んだり、暴走して人を引いてしまうドライバーが無数に行き交う、そんな危ない世界を生きているのです。SNSアカウントやファンブログなどを持っているということは、自分もそんな「無免許ドライバー」の一人であることを意味します。

果たして自分は「免許」に足るのか、投稿ボタンを押す前に自分で判断するチェックポイントをまとめます。

  1. 内容や言葉遣いは、本人に面と向かってでも言えることなのか
  2. それが自分にとってどんなに真実だったとしても、相手の立場からすれば中傷ではないか
  3. それはあくまで自分の意見であり、他の考え方も認めるという態度をとっているか
  4. 脅迫、侮辱、威力業務妨害、偽計業務妨害など、犯罪にかかっていないか
  5. 差別用語など、ある属性の人々を傷つける表現が含まれていないか

私は、意見やレビューのつもりで失敗しないための最も効果的なチェック方法は、「プロが書いた批評や論文と比べる」に集約されると考えています。

思ったことをすぐ世に発信できるプラットフォームがてのひらにあるようになったために、なまじメーモン音大を出たとか、映画鑑賞歴30年だとか、年間数十冊読破の読書好きとかになると、新聞や雑誌に載っている評論家よりも自分のほうがすばらしいレビューを書けるような気になってしまう――私はそういう風潮を感じてきました。

しかしすでに述べた通り、意見やレビューといえるものを書くのは、その分野の知識があるだけでできるほどかんたんなことではありません。たとえ自分がどんなにすばらしいと思った作品でもそのままベタ褒めはできないし、たとえ自分にとってどれほど粗悪な作品でも、個人的な感情は抑えつけて、公正に評価しなければならない。そこまでできて初めて「レビュー」といえる水準にたどり着くのです。罵り言葉などもってのほか。それだけで「自分には批評する能力がありません」と公言したようなものです。

プロの評論家が書いたとしたらおかしいような「意見」や「レビュー」は、言ったのが一般のネットユーザーであっても問題になる。投稿ボタンを押す前に、その文面は「運転免許」に足るか、指を止めて確認する習慣をつけるべきだと思います。

言いたいことがあるなら、真剣にやろうよ。

アイドルやアニメ、音楽や美術、芥川賞作品を自分はこんなふうに思ったと、感想や意見を書き込もう――ネットの世界は常時、言ってみたい、聞いてほしい人であふれかえっています。

好きなものについて語ったり、共有しようとするのは「自己表現」の一形態なんですよね。自分を表すのは人類にとって純粋に楽しいことなので、SNSなんていう「共有」をうたったオンラインサービスが世に出てきたらみんなやってみたくなる。そこまでは自然なことだと思います。

はやる気持ちでネットに書き込んでスズキくんの道に迷い込んでいる人を見かけるたびに私が思うのは、言いたい気持ちは分かるから、だったら真剣にやろうよ、ということです。

もしそれが「自己表現」だというなら、「世も末だな」なんて愚痴をこぼしている自分に誇りを持てますか? こんなのが自分でいいのか。こんな自分のままでいいのか。

本当に自己表現であるなら、自分はどういう人で、どんなことを考え、そこまで掘り下げてから、相手に伝わるようにしっかり語りたいじゃないですか。そこまで真剣にがんばってみて初めて、自己表現の本当のよろこびを味わえるのだと思います。

特に、「意見」を本当に誰かに聞いてほしいと思うなら、聞くに値するようにしっかり表現しなければなりません。たとえば、


なんて浅はかなんだ!(中略)

全部叩き潰すのが楽しみだぜ!


なんてSNSでがなっている人に、誰が耳を傾けるでしょうか?

こんな投稿を見た人の反応といえば、

  • 「こいつどっかで鼻へし折られろ!」
  • 「何様のつもり?」
  • 「性格悪そー」
  • 「SNSのレベルなんて、しょせんこんなもんだよな」
  • 「やってることのむなしさに気づいてないのかねぇ」
  • 「広い世界を知らない、甘やかされた若造か」

くらいなもの。高嶺学院出身だろうがメーモン音大に留学中だろうが、誰も尊敬するわけないじゃないですか。

ましてや


オブリガーズを理解できない奴は×××(差別用語)。入院しろ(ハート)


なんて吐き捨てるようでは、「マナーの悪いファン」を越えて、ただの「問題人物」です。誰もこれを「意見」や「批評」だなんて受け取りません。

もし自己表現に真剣に取り組んだならば、道の途中で必ず「聞いてもらうためにはどうすればいいんだろう?」という問いにぶつかるはずなんですよ。

自己表現は、人間にとって根源的な欲求です。言いたいことがある、「意見」や「レビュー」をネットに書いてみたくなる。それは自然なことだから、あとは真剣にやろうよ、と私は言いたい。表現を通して成長していく。真剣に取り組んだから、誇りを持てる。それが真の自己表現であり、よろこびなのだと思います。

「推し方」と並んで「推す対象」も要チェック!

以上、ここまでは「推し方」をまちがえたケースを見てきました。これだけでも十分ボリュームのある、ネット大衆社会の一大テーマですよね。

が、ファン活動で大変なことになる原因は他にもあります。それは「推す対象」です。

早い話、もしも”推し”が、あぶない教祖様だったら? 「やっと居場所ができた。生きがいを見つけた!」と熱を上げたのが、ヘイトスピーチ団体だったら?

もしあなたが「宗教なんかにフラフラしないよ、失礼だなぁ」などと口をとがらせたならひとまず安心なんですけど、「”推し”を押す」のと同じ感情をまちがった人やグループに抱いて夢中になり、最後破滅するのは、人類には古くからある古典パターンなんですよ。危ない団体は、人の弱った心につけこんで引きずり込むプロ集団です。まともな団体をよそおっていたり、指導者は「こんな高潔で優しくてすばらしい人はほかにいない!」と思わせるほどだったりすると、数々の証言が物語っています。

私が『推し、燃ゆ』を読んで真っ先に連想したのは、カルト宗教・オウム真理教の元信者で三つの殺人事件に関わった、杉本繁郎受刑囚でした。せっかくこのページにいらしたなら、実生活に悩みや困難をかかえたあなたも、はたまた『推し、燃ゆ』をもっと楽しみたい読書家さんも、損にはならないのでぜひ読んでいってください。

カルト入信と不健全親子との密接な関係

オウム真理教元信者である杉本受刑囚は、機能不全家庭で生まれ育ちました。

両親は不仲で、父親は「お前が生まれていなければ、こんな女とはとっくに別れている」などと毎日不満をぶつけ、母親は彼が何か言えば文句や罵倒を返したといい、彼は幼いころから親にほめられた記憶がないといいます。その影響か、大学を卒業するまでの彼は無口で引っ込み思案な性格だったようです。

大学卒業後、彼は証券会社に就職したのですが、まもなく体調を崩します。原因を探して病院を回った末、大学病院で甲状腺機能亢進症と診断されました。彼は不整脈や高血圧に悩まされ、肉体的にも精神的にも辛い日々が続いたといいます。

ところが、病院で診断が出ているにもかかわらず、彼の両親は「具合が悪いのは、夜更かしばかりして、朝早く起きないからだ」「いい若い者が、仕事もせずに家でブラブラしていて、隣近所に恥ずかしい」などと彼の病気をまったく理解せず、彼を責め続けます。

機能不全家庭で居場所がなく、精神的に追い詰められた――そんな彼が生きる答えを求めたのが、オウム真理教だったのです。にこやかでカリスマ然としており、「(自分を)受け入れ、病気のことを両親よりもはるかに理解し、心配してくれた」麻原彰晃に引きつけられた杉本は、裏に恐ろしい顔を持つ教祖によって精神的に追いこまれ、その指示に従って元信者殺害を実行、地下鉄サリン事件でも実行犯を現場に送迎する運転手を務めます。カリスマ教祖は、救い主ではなかったのです。

参考リンク:オウム真理教元幹部・死刑囚の言葉から得られる教訓

いかがでしょう。ゾッとしませんでしたか? 病気があって苦しんでおり、病院で診断も出ているのに、親がそれを認めず、「働け」を連発する――オウム真理教・杉本受刑囚の親子関係は、構図が『推し、燃ゆ』のあかりと寸分変わらないんですよね。親が子に対して否定的な態度をとっていて、サポートするどころか批判する。親が親としての役割を果たせていないのです。

一般に、カルト宗教への入信は不健全な親子関係と密接な関係にあるといわれます。子が親からもらえなかった愛情や存在の肯定、心理的サポートを求めるうちに、カリスマ的な人物や熱狂うずまく団体、あるいは「神」「日本」「人類救済活動」などといった巨大な概念に自己をとかしこんでしまうのです。

こうした「一体化」で、人は最初はあまい夢や恍惚感、力のみなぎりを感じられます。杉本のように意志的に救いを探し求める人もいれば、無意識的にそういうものへ引きつけられてしまう人もいます。こうした人は得てして「ようやく自分の本当の家族と帰れる家にたどり着いた」「こんな自分でも人の役に立てるとわかった」などと目をらんらんと輝かせますが、傍から見れば、それはさんざんだったはずの親との不健全な関係を、別の集団で、別の人とくり返しているにすぎません。それは救いどころか、破滅なのです。

だから、たとえ「救われた!」とか「生きがいが見つかった」などと感じたとしても、「推す対象」が危険でないかは、引いた眼で必ず先に確かめてほしい。私はそう伝えたいのです。

そのグループでは、自分の意見を自由に言える雰囲気はあるでしょうか? 集団内には、ちょうど機能不全家庭のごとく、尊重される人と虐待されている人ができていませんか? 推す対象(最上のものとして掲げられている概念や、リーダー的な人物)に対して疑問やノーを述べられますか? もしそうでないなら、集団内が不健全なサインです。

杉本受刑囚の場合は、遅すぎました。壊してしまった命は、もう取り返しがつきません。彼は当時の自分を心から悔い、なぜ自分はオウムに引きつけられ、あのような犯行に手を染めてしまったのか、深い自己分析を手記に書き残しています。

休めばいい。

今回は、親の側の問題はタイガさんの分析のみにとどめておくのでそこまで戻ってもらえればと思うのですが、どうしようもないところまで悪化した現実を前に、実際問題どうすればいいのか、身動きがとれず、生傷がかわかないうちに傷ばかりが増えていく……そんなふうに機能不全家庭で苦しんでおられる方もいらっしゃると思います。

私は先ほど、実生活で悩みや困難をかかえている人は”推し”のなかから自分を見つけて、プラスのエネルギーをもらおう、と言いました。

だけどね、もし”推し”から元気をもらう力すら残ってないほどボロボロならば、休もうよ。カリスマとか熱狂のなかで自己を霧散させるのではなく、「自分は今休んでる」という意識のもとで、ゆっくり休もうよ。

劣悪な環境は、人の人生を、人間を、破壊します。

人は自分のことは客観的に判断できなくなりがちですが、そのことは世の悲惨に目を向ければ分かります。親から虐待されている幼い子に、「傷つかないですむ方法」なんてあるでしょうか? ある人は心が破壊されていたのに就職・仕事だけはすんなりうまくいきました、なんていうことがあり得るでしょうか? 合理的でありません。

「劣悪な環境で人は壊れる」というのは世の道理です。人の世に、心が破壊されたために人生がストップするという事象はあります。

あなたがその人ではありませんか。

だから、もしあなたの心がボロボロで動くに動けない、もうものを考える余裕もないというなら、休むのが道理です。人間という生き物はそういうふうにできている。“推し”の世界にひたることでしばし劣悪な環境から離れ、現実を忘れるのは、逃げでも弱さでもなく、生命維持システムが正常に作動したゆえの反応です。

人生にはそんな時もある。休もうよ。

親が何と言おうが、自分を大事に。

生まれる時、人は誰も親を選ぶことはできません。ただのクジ引きなので、なかには不仲で罵倒ばかりする夫婦とか、「だめな子だ」とけなしまくって進路希望を聞かない男、あるいは問題への対処能力がなく発達障害を理解しない夫婦などにあたる人もいます。

生まれる時どんな親にあたったか、それはどうあがいても、未来永劫変えることはできません。

しかし、生まれたあと、いまから自分でできることはあります。

大学病院で甲状腺機能亢進症だと診断されたなら、玄関口で親を踏み越えてでも、療養を続けて治したほうがいい。

親が病気や発達障害を理解しなかろうが、自分は病院の予約をばっくれたり(9頁)せず、ソーシャルスキルトレーニングなり何なり支援をとりつけたほうがいい。

それが自分のためになるからです。

たとえ親が大事にしてくれなくても、自分まで自分を大事にしてあげない理由はないんですよ。

親がありのままの子どもを受け入れないのは「こいつに価値があるかどうかは親が決める」という意識の表れだし、子が意に違うと家から追い出そうとするのは「お前が存在していいかどうかは親が決める」という暗黙のメッセージですが、それは親が言ったことにすぎません。絶対的真実でもなんでもない。こういう無言のメッセージは無意識深くに刷り込まれるところが怖いのですが、まずは自分の内に刷り込まれた親の声を暴くこと。「お前には価値がない」「お前は存在してはならない」と暗に言われた通りにすごすごと卑屈になって、ずるずる引きずられるように生きる理由なんてどこにもありません。

自分を大事に。

何が足りないから困っているのか、その答えはもう出そろっているじゃないですか。

人が生きていくには、「自分は世界に受け入れられている」と感じられることは必要です。

社会的孤立を解消することが必要です。

生きる糧は、自分が自分を受け入れてあげることで初めて手に入るはずです。

結びに―マナーの悪いファンや迷惑人物にならないために

私は多趣味なのですが、“推し”というのは縁のない世界です。好きなものはすべて自分のアクティビティであって、「祭壇にまつる」とかそういう感覚はない。だからといって、“推し”のファン活動に熱中する人を「勝手にみじめだと言」って(62頁)ちょっかいを出す人の気持ちも分かりません。なぜなら、人の個性はみんな違うから。自分に理解できない世界だからといって否定する理由はなく、他者に危害を加えない限り絶対に自由である。それだけです。

そう、”推し”を押しているうちに「マナーの悪いファン」として煙たがられるか、冗談にならないトラブルに足を踏み入れて先の人生を破壊してしまうか、問題になるならないを分かつ境界線は、結局のところ、「他者を害するかどうか」に集約されます。

そのラインさえ守られていれば、あとは個人的な心の問題。

とはいえ、人間には心の問題に対処する知恵だって必要です。私自身がその知恵を必要としていたし、長年ネットの世界を見てくれば、あぶなっかしくてハラハラ、実生活に困難をかかえている人にはこれ以上傷つくようなことにはなってほしくないとはつくづく思います。

もしあなたが心の穴を埋めるために“推し”に夢中になったなら、そのなかから自己を見つけ、プラスのエネルギーをたっぷりチャージ。

もしプラスのエネルギーをもらう元気もないなら、休むといい。たとえ今は動けなくても、いつか時が来ればきっと、自分の人生を歩んでいけるでしょう。人間は誰しも周りの環境が劣悪だと動けなくなるようにできていますが、それはただ、本来の力を使えない状態になっているだけだからです。

『推し、燃ゆ』の物語はまだまだ意志が固まらない、問題の解決法を見出せていないところで終わるけれど、本当の問題は何なのか、この先を生きるには何をすべきなのか、その答えはいつも、自分の声が教えてくれるはずです。

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著者プロフィール

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