ハリー王子とメーガン妃の現在と今後―英王室の「失言」に思うこと

王制の伝統で世界に知られるイギリス。ところが2020年、イギリス国民にとどまらず世界を驚かせる歴史的な出来事が起こりました。ハリー王子・メーガン妃夫妻が王室から離脱したのです。

事件は世界に報じられたので読者の耳にも入っているかと思いますが、衝撃の決断に至った経緯は……苦々しいんですよね。いろいろ思うところがあったので、今回はハリー王子とメーガン妃の王室離脱についてつづっていきたいと思います。

(※後述の通り王子の正式な名前は「ヘンリー」であり、日本メディアではこちらの呼称の使用が増えていますが、本稿では発表当時のまま「ハリー」と記載します。)

ハリー王子のこれまで

まず最初に、ハリー王子の生まれや経歴、そしてメーガン妃との結婚から王室離脱に至るまでの概略をまとめます。

生い立ち

ハリー王子は1984年生まれ、チャールズ皇太子と故・ダイアナ妃の第二子です。正式名は「サセックス公爵ヘンリー王子」。英語での愛称で、一般には「ハリー王子」と呼ばれています。

ハリー王子とメーガン妃を含めた英王室の家系図
本稿に登場する英王室の主なメンバー(2021年現在)。

ハリー王子の王位継承順位は第6位(2021年6月現在)。現女王・エリザベス二世の死後は王位継承第1位である父・チャールズ皇太子が国王となる見通しで、その次は兄・ウィリアム王子、3~5位はウィリアム王子の3人の子が出生順にジョージ王子、シャルロット王女、ルイ王子と続きます。

したがって、このまま王族の身に不測の事態がない限りは、王位は「エリザベス女王→チャールズ皇太子→ウィリアム王子」と下りていくはずです。

母・ダイアナ妃を亡くしたショックを打ち明けた革新性

気さくな人柄で、とりわけ若い世代に人気があるというハリー王子。ですが、若いころは物議をかもすことが多い人物でした。

十代にしてアルコール依存症になり、アルコールのみならず薬物に手を出した経験も。さらには仮装パーティーにナチスの制服姿で出席して、イギリス本国のみならず国際的に批判されたこともありました。

若いころのハリー王子は、世を騒然とさせるとともに、「あの王子は大丈夫なのか」と心配の声もあがってくる、そんな人物だったのです。

ところが大人になり、彼は固く閉ざしていた口を開きます。母・ダイアナ妃を突然失ったショックを初めて公に語ったのです。

あとでじっくり述べますが、ダイアナ妃はイギリス社会に忘れえぬ強いインパクトを残した人物。国民から絶大な人気を誇り、王室の闇を白日の下にさらしたBBCの番組はイギリスで「20世紀最大のインタビュー」と呼ばれています。生活上のストレスから精神疾患を患い、チャールズ皇太子とは離婚、その後1997年にパリでパパラッチを振り切ろうと高速で運転していて自動車事故により他界。悲劇のプリンセスとして世界の話題をさらい、また同時に「ダイアナは暗殺されたのだ」「いや、死を偽装して今はどこかでひっそり幸せに暮らしているのだ」といった数々の陰謀論――SNSを通じて「トランプ氏は政財界の悪人と秘密の戦争を繰り広げている英雄だ」などという陰謀論が爆発的に広まり世界各国を荒らすいまとなってはじつに素朴な陰謀論――の主人公ともなりました。

確かに事故当時の映像を見ると、まだ12歳だった彼は表情が硬直していて、ただでないショック状態だとうかがえます。彼はその過去を「完全な混乱状態」「神経衰弱」だったと振り返り、カウンセリングを受け自分の気持ちを話せたことで変わることができた、と語っています。長い間心を閉ざしてひとり苦しんでいたことが分かり、奇異な行動も納得、というようなあたたかな空気がありました。

ハリー王子の言動には、「英王室の枠にとらわれず、一般人と同じように人の感情を理解できる大人になってほしい」と願っていた亡き母・ダイアナ妃への意識がみられると言われています。自らの悲しみや苦しみを打ち明けたのもそうで、たとえば英ロイヤルファミリーのお膝元・BBCの担当記者は「感情を表に出さないという王室の価値観に、かつて打撃を与えたのは、ダイアナ元妃その人だった」と親子を重ね合わせ、「ハリー王子ほど高名な人が自分自身の精神的な苦しみについてこれほど語るのは、英国では初めてだ」と感慨をもった伝え方をしています。

メーガン妃はどんな人?―「変化の象徴」としての期待

そうして精神的に立ち直ったころ、ハリー王子は驚きの婚約を発表します。

相手はメーガン・マークル。1981年生まれのアメリカ人女優です。

ハリー王子とメーガン妃のロイヤルウェディングを祝うユニオンジャック旗
(©Inkdrop/123RF.COM)

重要なポイントは、彼女のバックグラウンドです。父親は白人ですが、母親はアフリカ系アメリカ人。こうした両親の間に生まれた彼女は、アフリカ系を含め、人種的・文化的に多様なバックグラウンドをもっているのです。

つまり、メーガンがハリー王子と結婚するということは、イギリスに初めてアフリカ系のルーツをもつ王族が誕生することを意味します。

植民地帝国時代を由来としてアフリカ系、アジア系など多様な人が暮らしているイギリスでは、「変化の象徴」などとして彼女に高い期待がありました。また彼女の出身地・アメリカでも、トランプ政権下での人種差別反対運動などとあいまって「進歩の象徴」だと喜びの声があがっていました。

歴史的な王室離脱

このようにそれぞれ英王室の変化を象徴する二人は2018年に晴れて結婚。翌2019年には第一子・アーチーが誕生します。夫妻は公務において現代的な立ち振る舞いをするなど独自性を発揮して注目されていましたが、他方ではメーガンの名誉を傷つけるような虚偽を掲載したとして大衆紙(いわゆるタブロイド紙)である「メイル・オン・サンデー」を提訴するといった動きもありました。ただ二人は総じて幸せそうな様子で、結婚生活自体は順調に見えました。

ところが2020年1月8日、ハリー王子とメーガン妃は「英王室の主要メンバーとしての役割から距離を置いて経済的に自立する」と自身のInstagramで発表します。

After many months of reflection and internal discussions, we have chosen to make a transition this year in starting to carve out a progressive new role within this institution. We intend to step back as ‘senior’ members of the Royal Family, and work to become financially independent, while continuing to fully support Her Majesty The Queen.(以下略)

出典:サセックス公爵夫妻公式サイト

このように夫妻は「家族で話し合ってきた」としているのですが、英メディアはエリザベス女王およびチャールズ皇太子に事前の相談はなかったと報じ、王室側も当初は「失望している」と声明を出しました。(ハリー王子は翌年のインタビューで反論し、「不意打ち説」を否定しています。)

しかしその後、王室はエリザベス女王のコメントとして、「二人が激しい注目を浴びることで大変な思いをしてきた」と理解を示したうえで「より独立した生活をしたいという二人の希望をサポートする」と夫妻の背中を押す姿勢をみせました。続いて「ハリー王子夫妻は2020年3月31日を以て王室の公務から引退する」と発表します。

分離はさらに進みます。翌2021年には、夫妻は「殿下」の敬称を返上し、公的資金の受け取りもやめることになりました。夫妻は今後公務に復帰することはないと女王に申し出、軍での名誉称号やパトロンからも退くことになりました。

メーガン妃への人種差別を告発した爆弾インタビュー!

なぜ二人は王室離脱を決断するに至ったのでしょうか? 2021年、夫妻はアメリカでCBSの番組「オプラ・ウィンフリー・ショー」に出演し、決断の背景について爆弾発言を次々と放ちます。

番組インタビューで、メーガン妃は「王室メンバーの一人が人種差別的な発言をした」と告発。妊娠中に「生まれてくる子の肌の色はどれくらい濃くなるのか」と「懸念」を表した、というのです。(夫妻はそれが具体的に誰なのかは明かしませんでしたが、インタビュアーのウィンフリーはエリザベス女王およびその夫・フィリップ殿下ではないとしています。)

この人種差別発言に限らず、メーガン妃は王室内および英メディアにより敵対的に扱われていたと訴えました。

  • 英メディアは結婚式前日にフラワーガールのドレスのことでメーガンがキャサリン妃(ウィリアム王子の妻)を泣かせたと報じたが、実際の泣いた泣かせたは逆だった
  • 生まれてくる子に警護が与えられないという話があった
  • 生まれてくる子に称号が与えられないという話があった

さらにCBSが追って公開した動画で、ハリー王子はウィンフリーの「あなたは人種差別のために国を離れたのですか?」という質問に「それが大きいです」と答えています。

メーガン妃は精神的に追い詰められ、「もう生きていたくない」と自殺を念慮したと語りました。夫のハリー王子はメディアで、メーガン妃が亡き母・ダイアナと同じ道をたどるのではないかと危惧したと繰り返し話しています。祖母・エリザベス女王とは「非常に良い関係」が続いているものの、父・チャールズ皇太子や兄・ウィリアム王子との間には何らかの衝突があったことをほのめかしました。

CBS参考リンク:Harry and Meghan detail royal struggles, from discussions of baby’s skin tone to suicidal thoughts

かえってしらけた英王室の反応声明

BBCの担当記者は、ハリー王子・メーガン妃による人種差別告発は英王室にとって「ボディーブロー」だったとその厳しさを指摘しています。人種差別があったとなれば印象は非常に悪く、イギリスではかねてより続いている王制廃止論が再燃するのではといわれています。

ボディーブローをまともにくらった英王室はしばらく立ち上がれなかったのですが、翌3月9日、エリザベス女王はとうとう沈黙を破って声明を発表します。

声明は「ハリーとメーガンにとって過去数年がどれほど困難だったかを知り、家族はみな悲しんでいます」と始まります。続いて人種をめぐる問題への懸念を示したうえで、「記憶と違う点はあるかもしれませんが、深刻に受け止め、家族内で対処していきます」と述べ、最後に「ハリー、メーガン、アーチーはずっと愛する家族の一員です」と結ばれていました。

全体としては夫妻に同情して深刻に受け止めるようなトーン。ですが、公文書には公文書の読み方というものがあります。ひっかかるのは「記憶と違う点はあるかもしれませんが」という箇所。やんわり「差別ではなかった」と夫妻に反論したのだ、との受け止めが通説的になっています。

「生まれてくる子の肌の色はどれくらい濃くなるのか」と「懸念」した、との告発に対する声明が「あれは人種差別ではない」ではガックリというか、かえってしらけます。英王室は人種差別をめぐる人権意識の低さを露呈し、イギリス世論では失望の声が上がりました。

ハリー王子・メーガン妃の現在と今後

王室離脱発表後、ハリー王子とメーガン妃はイギリスとカナダを行き来しながら生活していました。自身のSNSにはカナダのバンクーバー島で暮らしていた様子を投稿しています。

そして2020年3月に二人はメーガンの出身地でもあるアメリカ、カリフォルニア州のロサンゼルスに移住し、現在もそこで暮らしているようです。2021年6月には、カリフォルニア州のサンタ・バーバラ・コテージ病院で第二子・リリベット(リリー)ちゃんが誕生しています。アーキウェル財団公式サイトでの発表によれば、リリーの名は曾祖母であるエリザベス女王のニックネームから、ミドルネームのダイアナは故・ダイアナ妃にちなんでつけられたということです。

離脱発表当初から、夫妻が実際に経済的自立を果たせるのかには疑問視する見方がありました。

これについては、ハリー王子には故・ダイアナ妃から相続した財産が、メーガン妃には女優として稼いだ財産があります。離脱を発表した際には彼女が再び(女優として)働く可能性を示唆しており、現在二人は夫妻で設立した慈善団体・アーキウェル財団などで活動しています。

問題になっているのが、王室を離れたとはいえ依然必要な警護費です。離脱以前、ハリー王子の収入の9割以上は王家の所有財産によっていましたが、同インタビューでは王族から経済的援助を文字通り打ち切られたと話しています。彼はNetflixおよびSpotifyと契約を結んだことについて、家族の警護費を賄うためだとしています。

ハリー王子・メーガン妃夫妻の王室離脱は計画的ではなかった分、先の計画がないと指摘されており、今後は手探りになるとみられます。

メーガン妃に対する英王室の「失言」に思うこと

イギリスは、かつての植民地帝国。バッキンガム宮殿で黄金に輝くヴィクトリア女王記念像の足元には、アフリカをはじめ世界各地の人々と文化を「下」につけた暗い歴史が横たわっています。

そこにもってきて、みなが等しく自由を保障され、民主主義が当たり前になった今日の世界でなお王制と階級制が深く根を下ろしているのだから、イギリスはいまとなっては遠回しに言っても「特殊性のある国」といったところでしょうか。

そんな複雑な歴史と現在の牙城たる英ロイヤルファミリーに初めてアフリカ系のルーツを持つ人が加わったのは画期的な出来事でした。ところが「変化の象徴」「進歩の象徴」と期待されたのもつかの間、メーガン妃がアフリカ系ルーツを理由に差別を受け、その王室から離脱したというのだから、期待メーターがゼロを突き破って失望に振れるのは当然の成り行きでしょう。遠く離れた日本でティーカップを片手に、私の心には濃く入れすぎた秋摘み紅茶よりも渋くて苦い後味が残ったものでした。

ここからは、英王室のメーガン妃に対する「失言」についていろいろ思うことがあったのを、順々につづっていきたいと思います。

「昭和のジョークは笑えない」現象がイギリスでも……

「オプラ・ウィンフリー・ショー」での人種差別告発が世界に衝撃を放った2021年2月、日本でもある失言事件が世を騒然とさせていました。森・東京五輪組織委員会会長(当時)の失言および辞任です。私は同事件をより広い視野でとらえたので、よろしければ以下をご覧ください。

リンク:昭和のジョークは笑えない(「『千と千尋の神隠し』考察と論評―両親、坊、湯屋が表象した戦後日本」より)

いくつもの海を越えたイギリスでの「失言」に、私は妙なシンパシーを感じたんですよ。「いまを一体何時代だと思ってるんですか」といぶかしくなる、おそろしく固陋な差別意識。それに重ねて、社会から一斉に批判された本人の「なんで怒られなきゃいけないの?」と言わんばかりなすっぽぬけた態度。日本から遠く離れた国で、時同じく似たようなことが起こっているな、と。

2021年現在の高齢世代、また古い組織にとっての「当たり前」が時代から取り残され、世間から浮き上がり、大問題を巻き起こす――メーガン妃への人種差別発言は、「昭和のジョークは笑えない」のイギリス版とでも言いましょうか。

机に世界史の年表を広げてみましょう。これを書いている現在は2021年。私たちから見て100年前、つまり1921年の世界というのは、もう何もかもが違う別世界なんですよね。

英王室でいえば、エリザベス女王は1926年生まれ。このころ世界の潮目は「帝国主義は後ろめたいものだ」という向きに変わってきてはいましたが、当のイギリスはまだまだ植民地帝国です。世界地図に、植民地というものが普通に存在していた。先住民に対する同化政策が「よいこと」として行われていた。今日だったら人々が激怒する人種差別は、差別だと認識すらされていなかった。その後、凄惨の限りを尽くした第二次世界大戦を経て、世界は激動をむかえます。アフリカ諸国の一斉独立は1960年で、この時エリザベス女王は34歳。人種差別反対運動も年々盛んになり、それまで平然と言ったり行われたりしてきたことが差別=悪いこととして認識されるよう社会は塗り替わっていきます。多様な文化を尊重すべきだという考えは爆発的に広まり、今日ではすっかり根を下ろした感があります。

世界はかくもドラスティックに変わったのに、高齢世代や古い組織にそれについていけない層が出ている――それは2021年現在の世界の世相なのでしょう。

時代とともに変わる人権意識のスタンダード

人間の解放は、古来より人の切なる願いでした。人間らしく生きるための模索、社会改善運動は今日もなお続いています。

加えて、科学分野の研究はここ数百年で目覚ましく発展しました。たとえば100年前の医術なんていったら、今ではもうヤブ医療ですよね。

こうした社会運動や科学の発展の結果として、人々の人権意識は移り変わっていくものです。

例えば1988年生まれの私は、大学に入って初めてLGBTの存在を知ったものでした。それがどうでしょう、いまでは小学生でもみな知っている。発達障害なんかもそうです。芥川賞受賞作『推し、燃ゆ』をはじめ近年好んでフィクションの題材とされている発達障害ですが、これも私が子どものころにはなかった概念です。

では逆に、筆者が育った時代とその前と比較したらどうでしょう? 私が子どものころには、教員による体罰は絶対的禁止事項でした。もしそんなことがあれば、校長が青筋立てて教室にとんでくる。児童生徒に手をあげた先生はほぼクビ決定。しかしその数十年前、1960~70年代あたりでは、体罰は日常的に行われていたじゃないですか。

このように、100年、20年、いやたったの10年で、世の風景はがらりと変わるのです。

古くさい失言事件を横目に見るたび思うんですよ。「ああはなりたくないなァ」と。あんなみじめなことになりたくなければ、時代にはついていかなければならないんだ、と。

人間らしく生きることは、古来より人の切なる願いです。100年、20年、いやたったの10年で、世界はなぜ変わったのでしょうか。なぜ声があがったのか。……そう願う人がいたからじゃないですか。より暮らしやすい社会はめぐりめぐって自分のためにもなるんだから、勉強は続けようよ、と。

社会をどうすべきかという意識と、新しい物事をオープンに受け入れる柔軟さ。学校を卒業しても、いくつになっても、心は柔軟であり続けたいものです。

ダイアナ妃にさかのぼる英王室の矛盾

さて、自殺まで考えたというメーガン妃の衝撃告白。

しかし、王室のかかえる矛盾はなにも今に始まったことではありません。1980~90年代には故・ダイアナ妃も「プリンセス」の華々しいイメージの裏でもがき苦しんでいたことが明らかになっています。

ハリー王子・メーガン妃より一世代前、ダイアナ妃の精神疾患やBBCの人気番組「パノラマ」での暴露は話の前段として語るに外せないので、概略を紹介していきたいと思います。

作られた「おとぎ話」の悲惨な舞台裏

ダイアナとチャールズ皇太子の結婚では、あるフレーズが執拗にくり返されました。それは「おとぎ話」。「王子様との結婚」という「おとぎ話」と「幸せのイメージ」は、検証されることないまま社会に定着し、イギリス国民はわき立っていました。

1981年7月、街頭を埋め尽くす国民に祝意の旗を振られながら、二人はセント・ポール大聖堂で夢のような結婚式を挙げます。しかし、メルヘンチックな祝賀ムードには、ちゃーんと裏がありました。

サッチャー政権の経済政策により、当時イギリスでは多くの企業が倒産。町には失業者があふれ、暴動が起こることもありました。ダイアナとチャールズ皇太子の「おとぎ話」は、国民の不満をそらすための政治イベントとして利用されたのです。……こっちこそありそうな「お話」ですよね。

パパラッチがダイアナを追いかけ始めた時、二人はまだ交際といえるようなことをしていませんでした。また、二人が性格的に合わないことも、チャールズ皇太子がダイアナを愛していないことも、幕の裏でははっきりしていました。にもかかわらず英メディアは総出で「おとぎ話」を疑わず、イギリス大衆の感情は燃え上がり、町には無数の関連グッズが売られていた。

ダイアナ妃はのちに「パノラマ」での歴史的インタビューで、なぜ自分があれほど関心を集めたのか時を経て理解できた、金になるからだ、と告発しました。

英王室ダイアナ妃のBBCインタビュースクリプト
BBC公式サイトによる「パノラマ」インタビュー全文スクリプト(下線は筆者)。

このように、ダイアナ妃は同インタビューで、メディアの過熱報道が精神的負担としてのしかかったことに再三言及しています。メディアをめぐる問題は、この時点ですでに萌芽していたといえるでしょう。

公然の秘密―構造化された「生まれ」による不平等

ダイアナとの「おとぎ話/政治イベント」以前に、チャールズ皇太子には何度か交際経験がありました。その上、当時、彼の心にはカミラという真の想い人がいたのです。

ところがダイアナが現れたとたん英メディアは沸騰し、結婚へと一気になだれ込みます。他の女性ではなかった熱気とスピードで……。

なぜダイアナだけ特別だったのでしょうか?

「よそ行き」な報道ではぼかされていますが、その理由は当時かられっきとしてささやかれていました。ダイアナは、名門貴族・スペンサー家の令嬢です。つまり、家柄が将来の国王妃にふさわしかった。他方のカミラは、表向き「男性関係が多いのが王室にふさわしくない」などとされていますが、本音では、家柄が問題だった。それで別の男性とくっつけられ別れさせられたのだ、と。

英王室は、不平等が構造化された世界です。階級制では家柄に上下のランク付けがあり、またロイヤルファミリー内部でも、生まれ順によって人に順位が付けられている。人を「生まれ」によって差別することは、ごく当たり前な「公然の秘密」なんですよね。

21世紀の世界にぽっかり浮かんだ孤島のような世界に、建国当初から自由と平等と民主主義を国是とする国で生まれ育った、人種的・文化的に多様なハリウッド女優が加わった。そこで人種差別発言があったと言われても、正直あっとびっくりというわけではありませんでした。ガッカリ感に、意外性はなかった。

同じ「近代」といっても、ピューリタン革命の時代と現在では社会状況はまったく異なります。前近代と地続きだったころとは違い、現代では自由と平等と民主主義は世界中で当たり前。ハリー王子・メーガン妃の歴史的離脱と、それに先立つダイアナ妃・チャールズ皇太子の幕切れには、新年が明けるたびに世間から浮いていく英王室の姿があらわになっているのではないでしょうか。

鳥かご生活での精神疾患

話せば長くなるのですが、筆者には複雑な事情からうつ病の経験があります。当時のネット仲間には、リスカ(自傷行為)が常習化して涙にむせんでいるような人もいました。日本の皇室でも、雅子妃(当時)の長期にわたる精神的苦しみはよく知られています。

それがダイアナ妃も精神疾患に苦しんでいたとは……。私は最近になって初めて知って驚きました。

「パノラマ」の同インタビューで、ダイアナ妃は産後うつに苦しみ、自分の手足を傷つける自傷行為をしていたと告白。長年過食症に苦しんでいたことも赤裸々に語りました。

……「なんでそんなことに?」なんて尋ねるのは野暮でしょう。幼稚園で普通に働いていた若い人が、突然メディアに追いまわされた。現代的な趣味の若い人が、固陋な「王家」に入った。作られた「おとぎ話」を演じた舞台の裏の、愛のない結婚。王家存続のため、何が何でも男の子(注:当時のイギリス王位継承は男子優先)が生まれなければならないプレッシャー。誰から見たって原因は明らかじゃないですか。

詳細はダイアナ妃自身が同インタビューで語っています。自分の役割や国民の期待に応えなければならないプレッシャーがのしかかっていたとくり返した後、当時の生活には余裕がなく、結婚によって生活や役割のすべてが変わり困難があったが、産後うつになった人を見たことがない王室の人々には理解されず、「ダイアナは精神不安定だ」と「問題児」のように扱われ、「誰も聞いてくれない」との思いから自傷行為が始まった、と。過食症については、結婚式前に激やせしたりと結婚前からその兆候があったと言われていますが、本人も結婚に原因があった旨を認めていて、インタビュアーから原因を問われたのに対し、人々を失望させないよう夫と行動していた一方で家庭内では問題をかかえていた、と答えています。

健康な人だったら、抑うつによって朝起き上がれないことはないし、自分の手足を傷つけるはずがないし、大量の食べ物を食べては吐くなどという奇怪な行為をするはずがありません。精神疾患を患う原因は人それぞれですが、みな事情をかかえています。では故・ダイアナ妃の場合はというと、その事情は皇太子妃としての立場と役割でした。健康だった若い人がうつと自傷行為と過食症に追い込まれた原因は、プリンセスであること。ビターです。

時は変わって2021年、「オプラ・ウィンフリー・ショー」のインタビューで、メーガン妃は王室での不自由な生活で「もう生きていたくなかった」と自殺を考えていたことを告白しました。

くり返しますが、同じ「近代」といっても、身分制時代と地続きだった時代は年々過去の彼方へ遠ざかっています。王室は世間から取り残され、どんどん浮いていっているのです。

現代の一般社会で人権を保障されてきた一般人に「鳥かご」生活を始めろと言ったところで無理がある。無理なものは無理である。故・ダイアナ妃とメーガン妃の深刻な精神疾患は、近代においてむき出しになった王制の残酷さの表れではないでしょうか。

王室内部から芽吹いた近代人・ハリー王子

現代の一般社会で育ち、自分の意志で人生を歩んできたハリウッド女優が鳥かごのような前近代社会で極度のストレスにさらされたのは、苦いながら納得はできます。そうなっても不思議ではない、と。

私の注意をより引いたのは、むしろハリー王子のほうでした。

彼は同インタビューで、メーガンとの関係によって、自分は生まれた組織(原文:Institution)にとらわれていたのだと目が覚めた、と話しています。

王子がこれを口にしたという時点で十分衝撃的ですが、話はここで終わりません。ハリー王子は「父と兄はとらわれの身で、離れることができない」そして「そのことを哀れに思う」とまで言い切ったのです。

「王室の人はとらわれの身でかわいそうだ」――現代人なら、誰もがうなずける感覚ではないでしょうか。お城や衣服こそ華やかですが、ロイヤルファミリーの人には自由がありません。現代人はそのことに気づいています。彼らは、生まれた時から、王制システムのために存在している「駒」のようなもの。まだ何も分からない幼児のころからフラッシュを浴びせられ、将来の職業は自分ではどうしようもない王位継承順位に従って「国王」か「王族の役目」で決定。死ぬまでその激務に縛り付けられ、結婚や生き方は事実上選べない。ハリー王子がその冷酷さに気づいたのは画期的ではないでしょうか。

現代に取り残された中世たる王室は、いまやその内部で生まれ育った王子にさえ耐え難いものとなった。そのように見ることができるでしょう。

近代の萌芽は父・チャールズ皇太子にあり!

王家に生まれた者ですら、その不自由に耐えられない――実は、この状況も、一世代前ですでに萌芽しているんですよね。

古めかしい人だといわれるチャールズ皇太子。ですが、私は個人的に、彼は革命的な人物だと注目しています。

故・ダイアナ妃の友人である占星術師、ペニー・ソーントンによれば、「おとぎ話ウェディング」の前夜、チャールズ皇太子はダイアナに直接「愛していない」と告げたそうです。これでもかというほど悲惨な「おとぎ話/政治イベント」の幕の裏。結婚式前夜に「愛してません」が残酷なのは言うまでもなく、ダイアナは姉らに「もう式には出たくない」とこぼしていたというのですが、じつはチャールズ皇太子の側も苦悩に苦悩を重ねていてたことが明らかになっているんですよ。当時のチャールズ皇太子にはダイアナとの結婚を「国の任務」のようにとらえている節がみられ、自分個人の意志との間で葛藤していることを友人への手紙につづっているのです。

そんな自分の意志や希望を心の底に押さえつけ、チャールズ皇太子は名門貴族の令嬢と結婚。ただ本当の想い人・カミラのことは忘れられず、二人の関係はずっと続いていました。ダイアナのほうもまた、何人かの男性と浮気をしています。ふり返れば前近代、貴族社会において浮気というのは「公然の秘密」で、社交界の一部となっていました。みな家柄のために結婚しているので夫婦関係が破綻しているのは当たり前、夫も妻も本当に好きな相手と浮気している。この文脈においては、チャールズ皇太子の二重生活は中世貴族社会の延長線上にあるととらえることができるでしょう。

ただ、その後、中世とはしだいに話が変わってきます。「国の任務」で結婚した名門貴族の令嬢とは、結局離婚。

そしてダイアナの死後、2005年にチャールズ皇太子は真の想い人・カミラとついに結婚するのです。二人が最初に出会ったのは1970年。35年の時を経て、二人はとうとう結ばれたのでした。

なんでチャールズ皇太子はそんなにまでしてカミラにこだわるのでしょうか? 彼自身はイギリスで最も裕福な家の継承者で、一方のカミラは家柄不足、その他の要素もごく普通。結婚したところで得はなく、むしろただでさえ不人気なチャールズ皇太子が国民のさらなる不興を買うのはまちがいなしだったので、彼の周りの王室職員は慎重に慎重を期して大変だったとか。

英王室チャールズ皇太子とカミラ夫人
チャールズ皇太子(前列中央)とカミラ夫人(同左)。(2012年カナダ訪問時。 ©Jamie Roach/123RF.COM )

理由は「愛」以外にないんですよ。チャールズ皇太子はカミラのことを「人生の中心」だと公言するなど、本当にカミラその人のことが好きで好きでしかたないらしいのです。国民から集中砲火を浴びせられようが自分はカミラを選ぶ! ……ここまでいけば、あっぱれな「おとぎ話」です。

若いころは中世的な生き方を無理やり飲み込んだものの、最終的には自分の意志、自分の希望を選んだチャールズ皇太子。彼は人生の途中で自らの生き方を中世から近代に切り替えたのだ、ととらえることができるのではないでしょうか。私は、ハリー王子の一代前、チャールズ皇太子の世代ですでに、王室の内部からも近代は萌芽していたのだとみています。

「王室の近代化」という無理難題

英メディアを掘っていくと、「ハリー王子とメーガン妃の離脱は王室の近代化がまだ不十分な表れだ」という見方が随所にみられます。

ただ私は、この見方を素直にはのみ込めません。「王室の近代化」そのものが自己矛盾ではないのか?

王制というシステムは前近代そのものです。人が生まれに従った義務を負う。生まれながらに特別な存在で、ロイヤルファミリー内でも王になるかならないか、人に順位がつけられている。なぜその人はそのような人生を送らなければならないのか、と尋ねられたら「王位継承者の第一子だからだ」としか答えようがない。これでは説明になっていません。合理的でないのです。

前近代がビルト・インされた王制というシステムを、一体どうやって近代化するというのでしょうか。かがんで子どもたちと握手すれば近代? 女王がTwitterを始めれば近代? そりゃあ国民とフレンドリーにふれあえば、中世身分制と比べたら近代的でしょうけど……。表面の薄皮じゃないですか。根源的な矛盾がある以上、はっきりとした答えは出しようがありません。

人類史における「21世紀現在」に思うこと

陰謀説では「あいつがダイアナを殺したんだ」などと指さされるチャールズ皇太子ですが、イギリスの王族で不人気というと、私の頭にはずっと昔の国王が思い浮かんできます。

16世紀の国王、ヘンリ8世。彼は、王妃との離婚を認めなかったローマカトリック教会にブチ切れて離脱、自らが英国国教会の首長となったことで有名です。

有名といってもヘンリ8世がとどろかせるのは悪名で、日本でいえば平清盛のようなふてぶてしいキャラではありますが、他方で彼は中世的な権力とたもとを分かち、近代への一歩を踏み出した人物でもあります。

そんなヘンリ8世と同じ時代、日本を制していたのは戦国の覇者・織田信長。彼もまた比叡山延暦寺や石山本願寺を焼き討ちにしたり、身分にとらわれず能力主義で家臣を登用したりと、中世の秩序を打ち破った人物として有名です。

運命的というかなんというか、人類は洋の東西を隔て、つながりのない遠い世界で同じように歩を進め、歴史を展開してきました。

王制・身分制のかかえる初期的な無理矛盾

中世までは当たり前だった王制・身分制ですが、あらためて考えれば最初から無理のある制度です。

人工的に家柄に上下をつけたはいいけれど、上の者同士でしか結婚できないなら、いずれ選択肢は狭まります。だからといって下の者を受け入れれば、「最高位」たる王族のアイデンティティがゆらぐことになる。また、王制システムは存続するために子どもを必要としますが、世の因果はそんなに単純ではありません。たとえ「とらわれの身」たる王族の人々の人権を否定して男女での結婚を強いたところで、現実に王制システムが想定する通り子どもが生まれ続けるとは限らない。では継続不能となったときにはどうするのか? 王制をつくった前近代の人々は、その答えを用意していません。

このように、王制・身分制には、無理矛盾が初期的に内在しています。中世までは王家=統治者が次々滅んで入れ替わっていたのであまり表面化しなかった、というだけです。それが近代になり、王が国家の統治者でなくなったことで、ならば王家とは何なのか、そのアイデンティティは曖昧になりました。

世界で王制がある国といっても制度は国によって異なりますが、近年は世界各地で困難に直面するケースが目立ってきています。タイでは今年、若い世代がタブーを破って王室批判デモを行いました。ここ日本では、皇位継承について議論があるもののこう着状態、高齢により公務が難しくなったとの理由で歴史的な天皇退位があり、秋篠宮家の結婚問題はメディアをにぎわせて久しくなります。

王制・身分制に内在する初期的な無理矛盾が近代社会において露呈され、あちらこちらから噴出している――私たちが生きている「いま、ここ」を「人類史」という壮大な視点で見るならば、21世紀はそんな過渡期なのかもしれません。

今後、「元王室」となったハリー王子とメーガン妃がどう生きていくのか、本当に経済的にやっていけるか、社会においてどのようなポジションにつくのか――それは手探りの実験段階にあるのだと思います。

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著者・日夏梢プロフィール||X(旧Twitter)MastodonYouTubeOFUSE

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