『スターウォーズ』をキャラクターから読み解く

SF映画の超大作『スター・ウォーズ』(SW)。言わずと知れたこの人気シリーズは、第一作が公開された70年代からあまたの人をとりこにし、全世界に熱烈なファンをかかえています。しかし他方、娯楽に幅がある現代においては、人気作だからといって自分と縁があるとは限りません。ぱっと見の印象やハリウッドヒーローのイメージからSWを食わず嫌いしている、なんていう人もけっこういるのではないでしょうか。なにを隠そうこの私も、大人になってからさりげないきっかけで見始めた一人。今こうしてこれを書いているのは、『スターウォーズ』には世界的人気と釣り合う中身や魅力があると結論したからです。

この記事ではまず、シリーズはじめての人のためにスターウォーズの基本情報を余すところなくまとめ、私の視点で興味をそそられるポイントを紹介します。それからエピソードごとにあらすじと感想を……と言いたいところなのですが、なにせ本シリーズは壮大なので、そんなことをしていてはキーボードがつぶれようとも終わりがないこと請け合いなんですよね。そこで今回はエピソード単位ではなく、「キャラクター論」というやり方で『スターウォーズ』の世界を一気に語りたいと思います。

【初心者向け】SWはじめてガイド

まず最初は、「スターウォーズはまったく」という初心者のために、その全体像をスケッチしようと思います(ここではネタバレ極力回避。「そんなの常識!」というファンの方は読み飛ばして、どんどんキャラクター論に進むのをおすすめします)。

本シリーズには、手をつける前に知っておいたほうがいい、そしてこれを知ったら見ずにはいられなくなる、そんなポイントがいくつかあるのです。

意外な事実:スターウォーズは悲劇である

80年代のレーガン米大統領は、スターウォーズを愛好していたために「悪の帝国」なんて言い出した――この逸話は有名です。私も中学高校の授業で耳にはさみました。そんなこんなで「スターウォーズってのは悪者が出てきてロケットやロボットがドッタンバッタンする映画なんだろう」なんていう軽いイメージを持っていたなら、実は大間違い。スターウォーズは完成された悲劇の叙事詩なのです。

作風としてはエンターテインメント色が非常に強いのですが、エンタメ作品も極めれば世にまたとない傑作となることは歴史が証明するところです。ストーリーの構造と扱うテーマは、硬派の中の硬派。これは書かなければ魅力が伝わらないと思うので言ってしまいますが、作中世界・銀河共和国では、腐敗した民主主義から独裁者が生まれ、民衆自ら「悪の帝国」へと転落していくのです。

こう聞いたらぐっと心をつかまれた、という人もいるのではないでしょうか。私は近所にレンタルビデオ屋がオープンしたというきっかけでなんの考えもなしにDVDをカゴへほうりこんだのが始まりだったのですが、その重厚さには感服しました。大人目線だと、史実の研究に基づいて制作されているのが見て取れます。

強靭につくられているからこそ、悲劇はグサッと胸に刺さります。シリーズの途中では、善の陣営が完全敗北を喫するという強烈な展開が。私はしばし放心した後、研ぎ澄まされたエンディングに思わず拍手を送りました。

基本情報・舞台設定

舞台ははるか昔、銀河の彼方。「ライトセーバー」というレーザーの剣や「フォース」という超能力・予知能力を使う「ジェダイ」と呼ばれる戦士たちが、フォースのダークサイドの力を使う悪の集団「シス」に立ち向かいます。ジェダイとシスの戦いは銀河の動向と連動しており、その運命を決めていくのです。

シリーズ中で主人公が交代していく構成ですが、有名なのはルーク・スカイウォーカーでしょう。辺境の惑星・タトゥイーンの農場の子だった彼が運命に導かれるようにして宇宙へ旅立ち、スターウォーズの世界は動き出します。それぞれ個性の強い魅力的な人物たちと、果てには壮大な時の流れが、壮大な叙事詩を織りなしていきます。

エピソード1~6の監督はジョージ・ルーカス(5・6では製作総指揮)。『インディ・ジョーンズ』など数々のエンタメ作品を世に送り出してきた映画監督です。エピソード7ではJ・J・エイブラムス、8ではライアン・ジョンソン(J・J・エイブラムスは製作総指揮)、9では再びJ・J・エイブラムスがメガホンをとっています。2012年、企業買収によってルーカスフィルムがウォルト・ディズニー・カンパニーの傘下に入ったため、スターウォーズは現在ではディズニー映画扱いにもなっています。

公開順は4→5→6→1→2→3→7→8→9

本シリーズには、見始める前に絶対頭に置くべきポイントがあります。スターウォーズのタイトルはどれも『エピソードナンバー+副題』なのですが、この「エピソードナンバー=ストーリーの時系列」は、映画の公開順とはイコールでない、ということです。

先に公開されたエピソード4・5・6は「旧三部作/トリロジー(trilogy)」、のちにエピソード4の前段を描いた1・2・3が「新三部作/プリクエル・トリロジー(prequel trilogy)」と呼ばれています。7・8・9の呼び名はあまり一定しないのですが、「続三部作」とか「新々三部作」などといわれています。

初代であるエピソード4『新たなる希望』が公開されたのは1977年。その後、エピソード5『帝国の逆襲』(1980年)、エピソード6『ジェダイの帰還』(1983年)で旧三部作は完結。のちに、エピソード1『ファントム・メナス』(1999年)、続いてエピソード2『クローンの攻撃』(2002年)、エピソード3『シスの復讐』(2005年)で新三部作が完結します。2015年には、旧三部作のその後を描くエピソード7『フォースの覚醒』が公開。2017年にエピソード8『最後のジェダイ』が封切られ、2019年公開のエピソード9『スカイウォーカーの夜明け』で完全に完結しました。(ほかにも数々のスピンオフ作品があります。)

そんな事情をつゆ知らなかった私は、レンタルビデオ屋の棚に並んでいた番号順、つまりストーリーの時系列順で観ました。1、2、3と進んで次に4をかけたら画質が古かったので、あれれ、どういうことかな、と調べた次第です。そういわれてみればスターウォーズはレーガン大統領の時代にもう存在していたはずだし、エピソード1の映像技術は80年代ではありえないほど新しいんですけどね。そこまで考えてなかったんですよ。「有名だしちょっくら観てみるか」程度の気持ちでポチッと再生しただけで。それでちょっくら観てみたらすっかり気に入ったので、エピソード7からは劇場に足を運んでいる次第です。

どの順番で観るべき?

では、スターウォーズシリーズは公開順でエピソード4から観るべきなのでしょうか? それとも私みたいに作中の時系列に沿ってエピソード1からがいいのか。この選択は、誰にとってもただ一度の特権なので、これからという方はどうぞ慎重に。

シリーズ往年のファンは、公開順、つまり4からを勧める傾向にあるようです。作中に驚愕の事実が明かされる場面があり、その驚きは旧三部作4→5→6を先にしないと味わえないからです。

ただ、私はエピソードナンバー順(ストーリーの時系列順)で1からをおすすめします。なぜかというと、70年代に公開された初代となると画質もそうですが、内容的にもさすがに古くてとっつきにくいんですね。もし私が4から観始めたなら、5以降には手をつけなかったかもしれません。「映画の教養としてSWがどんなものかは分かったからもういいや」と放棄していたら本当にもったいなかったので、私は1から観てよかったと思っています。

ここから先は嗜好の問題です。ネタバレ厳禁でスリルとサスペンスをとるなら4から。もはや芸術というべき精巧なつくりとストーリーの重みを重視するなら1から。自分の興味関心に合わせて決めるといいと思います。

『スターウォーズ』キャラクター論

さて、基本情報はすっかりおさえたので、ここからはネタバレ全開。主要キャラクターの言動や生き様をふり返りながら解説を加えることで、壮大な『スターウォーズ』の魅力を語りまくりたいと思います。ファンの方は他の人の感想・解釈を知りたいと思うので、ぜひとも楽しんでいってください。キャラクターごとに一言基本データはつけておきますね。リストはだいたいエピソードナンバー順です。

クワイ=ガン・ジン

DATA:憐れみ深くフォースに熟達した、誉れ高きジェダイ・マスター。一風変わっていて、やや規則・決定を無視する傾向があるものの、他のジェダイたちからはとても尊敬されている。アナキンを見出し、奴隷の身分から解放して修行をつけると約束したが、シス卿ダース・モールとの戦いで命を落とす。個人的に行っていた死後に霊体として存在し続ける術の研究は、のちにオビ=ワンやヨーダが次世代を導く礎となった。

ホントに何も知らなかった私は最初この人を主人公としてマークしていたのですが、エピソード1で早くもお亡くなりに……。あれっ、じゃあこの話、誰を中心に進んでいくの? と思ったら、ちっちゃなアニーくんこそ主役だったんですね。

アナキンが運命的な出会いを果たし、信頼と尊敬の念を寄せ、もっとも望ましい師匠となれたはずの人物は、そうなる前に他界ですか。あとになってみれば、なにもかもが悪い流れになっていく悲劇のはじまりを体現するキャラクターでした。

クワイ=ガンはアナキンのたぐいまれなフォース能力と謎に満ちた出生だけでなく、親切で思いやりのある性格も高く評価しています。アナキンをジェダイの徒弟とすることに他のジェダイはそろって難色を示すわけですが、その態度自体が幼い彼の心に暗い影を落としてしまう。もっとも、その好意的でない態度の背景には「選ばれし者」かもしれない少年と1000年前に滅びたはずのシスが同時に姿を現したのをどう解釈するか、といったジェダイ内部の問いがあるわけですが、たどたどしく「マスター?」なんて言ってみたばかりのアナキンはそんなの知ったこっちゃないわけですよ。受け入れられていない、信用されていない、いわれのない疑いをかけられたということ自体で人が(とくにそれを敏感に感じ取った子どもが)心に回復しがたい傷を負うことは、私たちの現実世界でよくみられることです。「この子は将来悪くなる」なんて言葉や態度で示されたら、その子の心は引き裂かれてしまうんですよ。ライトセーバーなど派手な部分に目が行きがちなスターウォーズですが、シリーズを通して人間の心理の深い部分を現実的に描いているところは陰ながら優れています。クワイ=ガンさえそばにいれば、アナキンは相互の信頼のもと、精神的に落ち着いて成長できたはず。アナキンの疑問や憤りに真正面から応えられる人物は、クワイ=ガンしかいなかった。また、クワイ=ガンの規則を無視するワイルドな一面や、マスター・ヨーダをはじめ他のジェダイとはちょっと違う考え方をする点は、アナキンと相性がよかったはず。

なにもかも「はず」で終わってしまうところがもどかしいんですよね。銀河共和国もろとも一歩一歩悲劇へ下っていくストーリーと並行して、「こうなれたかもしれないのに」「ああなればよかったのに」と運命の歯車一つ違えば実現したかもしれない幸せな未来をあれこれ想像できるのは、クワイ=ガンというキャラクターが最初にいてこそです。

アナキン・スカイウォーカー

DATA:辺境の星・タトゥイーンで、部品屋の奴隷だった天才少年。たぐいまれなるフォース能力を見出されてジェダイとなるも、自らの闇との葛藤からダークサイドへ身を堕とし、銀河帝国で最も恐れられる悪の化身ダース・ベイダーへと変貌を遂げる。しかしその黒いマスクの下には、まだ善の心が残っていた。息子・ルークの声に応えて本当の自分に還り、身を犠牲にして皇帝を倒したのだった。自らが最後のシス卿となることで、アナキンは予言通りシスを滅ぼしたのである。

銀河共和国とジェダイ・オーダー、そしてアナキンの三者が並行して破滅へと歩を進めていく理性的な構造が秀逸な本作。闇に堕ちていく悲劇の主人公・アナキンは、奴隷という社会の一員(市民)に入りもしないどん底の身分出身です。けれど素質としては心優しく可能性にあふれた少年でした。結果を知ってから見直せば、悪の代名詞・ダースベイダーは、本人の選択と、時代背景、環境的要因、数々の出会いや人間関係がらせん状に絡み合って誕生したのだということがわかります。作者であるジョージ・ルーカス監督が感傷的・感覚的になって原因を一つに決めつけたりしないあたり、本シリーズは秀作です。

『スターウォーズ』は叙事詩なので、観客が登場人物に自分を重ね合わせるとかそういう作風ではないのですが、唯一共感できるキャラクターがいるとすれば、アナキンに違いないでしょう。私たちが理解できるからこそ、その破滅が悲劇として胸を打つんですね。

ジェダイとしてスタートを切る以前から、アナキンが夢見るジェダイと実際のそれにはズレがあります。自身も親も友達も奴隷であるアナキンの発想では、「平和と正義の守護者」に期待すること、そして自分がジェダイとなったあかつきにやりたいことといったら、なんといっても奴隷解放。不正義の真っただ中から世界を見ていれば、幼心にそう思いをふくらませるのは自然です。ところが実際のジェダイ・オーダーは、そういった個別具体的な案件に対処するような組織ではない。ジェダイ個人も、自発的に課題を見つけて解決に乗り出すようなカラーではない。これ、どちらかが間違っているとかそういうことではないんですよね。ただかみ合わないだけ。あるいは「両者がひたすらすれ違ったのは、確立・固定化された組織にとってアナキンの見方・考え方がフレッシュすぎたからだ」と読むこともできるでしょう。

そんなアナキンにターニングポイントがおとずれるのはエピソード2。奴隷のまま故郷に残した母親・シミは助け合いの大切さを子どもに教えるような善良で愛情深い人物だったとエピソード1でうかがえますが、彼女はタスケン・レイダーの人狩りに誘拐され、痛めつけられた末に、哀れな最期をとげてしまう……。

こんな不条理、納得できるはずがないじゃないですか。彼女には人間並みの人生を送る権利があったはずだ。もっと幸せでしかるべきだった。幸せに価する人だった。なんでこんな目に遭わなければならないのか。そもそも奴隷制なんて許されてたまるか。ああっ、分かるわアナキン! ただのめぐりあわせによって信じがたい苦しみを受け、生涯なんの幸せもないまま残酷な最期を迎えた命って実際あるじゃないですか。そんなに困っている人をほったらかした世の中が憎くて憎くてたまらない。そして、ただでさえ烈火のごときその怒りに油を注ぐ出来事が存在するとしたら、それは人に言語道断の苦しみを与えた人物が、案外捕まるでもなく、ごく普通の生活を送ったりしていることでしょう。この怒りと憤りはどんな表現でも表せません。明らかな不正義がそこあるのだから、苦しむ人全員を救う力が欲しくて当然です。

ただ、こういった理不尽ぞろいのシーン中で、事態は急転してしまうんですよね。そこまでのアナキンは、社会の底辺にも満たないどん底から出てきた一人の若者でした。あくまで普通の人だった。それがべっとり血にぬれ、取り返しのつかない罪業を背負った人物に。こうなると、私たちから見て共感の対象ではなくなってしまうんですよね。あぁ、遠いよ……引くよ、アナキン……もうついていけないわ……。胸が一気に沸き立ったとたんサーッと青ざめ、心理的に同化したとたんスクリーンのこちら側に引き戻される急展開。このシーンは本当に心が忙しいです。

母親の一件がジェダイへの疑問につながる思考も至極真っ当です。奴隷の身分のまま故郷に残してきた母親を想ってはならない、彼女が理不尽な苦しみを受けていると知っていながら助けに行ってはならないとはどういうことなのか。ほうっておけ、忘れろ、なんていうのが「平和と正義の守護者」の道なのか。それこそ人でなしじゃないのか。のちの「僕に言わせればジェダイこそ悪だ」には、相当程度の説得力があるんですよね。アナキンの疑問は決して間違っていません。しかし、それらの疑問にていねいに答え、アナキン側もまた心を開くことができたはずのクワイ=ガンはすでに故人です。フォースの冥界からの叫びは届かない。シスを倒して1000年、永い年月のなかでドグマ(教条主義)に陥ったきらいがあるジェダイの教えは、アナキンの素朴な考えと素直な気持ちに応えてくれない。確立されすぎて柔軟性を失ったジェダイ・オーダーも然り。そして最も近しいはずのオビ=ワンは、暗い葛藤を打ち明けられる相手ではない。こうして心の置き場がなかったために、アナキンはパルパティーン議員の偽の優しさにひかれていってしまう……。

ただ、普段は生意気でさんざん疑問や不満を口にしているアナキンですが、理想とあおぐジェダイ像はオビ=ワンらに教わったそのままなんですよね。しかも、そうあらねばと自分で自分に課している。こういうところ、私に言わせれば妙に忠実なんですよ。一般論として、こういうケースでは、健全なやり方で疑問を提起して建設的な議論ができれば、というところなんですが、アナキンの頭は案外固くて。それも純粋さゆえなのか……。あるいは、ジェダイが隆盛を極めていればその教えは絶対と映り、ほかの考え方をしにくい時代背景もあったでしょうか。

エピソード2では共和国・ジェダイ・アナキンそれぞれの終わりが始まりますが、アナキンが破滅へと歩み出したのはまさにここ、タスケン殺戮の時点でしょう。

ただこの事件は、共和国の法が届かず奴隷制がまかり通り、人狩りなどという犯罪者が野放しで普通に暮らしているタトゥイーンの環境があってこそ。アナキンの選択だけによって引き起こされたのではありません。アナキンとシミは、社会から見捨てられた人々でした。悪の権化ダースベイダーは正義の欠落から生まれた、と読むこともできますね。

運命のエピソード3は、圧巻の一言でした。

ジェダイにとってアナキンを信頼しきれなかったことは隙となってしまいますが、アナキン本人もパルパティーンの優しい態度がそぶりにすぎないことを見抜けないんですね。

アナキンの目の前で行われたマスター・ウインドゥ対ダース・シディアスの戦いは、腐敗した民主主義を象徴しています。「反逆者が!」「お前が反逆者だ!」の応酬です。近年これとまったく同じように、トランプ大統領をはじめとするポピュリストが反対者を「民主主義の敵」だと言って攻撃するケースが目立っています。そして反トランプ勢も「トランプ大統領は民主主義を破壊している」と批判します。同じなんですよ、言葉の表面だけなら。この応酬が起こったとき、私たちはどちらが本当なのか、真実を見抜かなければなりません。かんたんなんですけどね、心によっぽどのくもりがない限りは……。そしてアナキンはパルパティーンの本性を見抜けず、たった一回のこの間違いで身を滅ぼすことに……。

戦争を避けよう、終わらせようともがいているのにずるずる引きずり込まれていく共和国と並行して、アナキンは「もう引き返せない」と追い詰められては悪行にズブズブ足を踏み入れていきます。しかし根本的に賢くて善良なアナキンは、事実を自分にとって都合いいように歪曲していること、行為が非道なこと、自分の言に筋が通っていないこと、言い訳に無理があること、そしてそんな悪に身を堕とした自分を他でもないパドメが受け入れてくれるはずがないことをちゃんと理解しているんですよね。観ているこっちの胸が引き裂かれるのは、悪行に手を染めるたび苦悶する心がアナキンにあるからです。

出会った時からくすぶっていたオビ=ワンとのすれ違いは、ついに悲痛な死闘となって結実してしまう。このシーンは名言でないセリフが一つもない鬼気迫る出来なので、観たことがない人はどうぞお楽しみに。ファンの人にはぜひ次の週末にでも集中して見直してほしいです。

「お前が憎い!」は一度見たら忘れられません。観る人によって、感じ方はいろいろあるかと思います。自分を救ってほしかったと怒っているのか。ダース・ベイダーになんてなりたくなかったのになってしまった自分への呪いを師にぶつけているのか。私はやっぱり、期待したのに応えてくれなかった、信じたかったのに信じるに足りなかったという怨嗟がいちばん色濃いと思うんです。

業火に焼かれて瀕死のアナキンに、パルパティーンはどんな声をかけたのでしょうか。オビ=ワンはひどいやつだが自分は救ってやる、とでもささやいたのか、これは想像するしかありません。人間アナキン・スカイウォーカーにとどめを刺したのは、サイボーグ化手術直後の一言です。ダークサイドに堕ちて、血にぬれ、罪におぼれたのも、すべてはパドメを救うためだった。なのに自分がパドメを殺したと。これでアナキンは精神崩壊。ダース・ベイダーの誕生は、正確にはこの瞬間だと思います。

新々三部作の制作が発表されるまで、スターウォーズはエピソード3で完結とされていました。つまり、主人公の精神崩壊で完結ということ……。強烈です。悲劇の集大成は圧巻でした。私は、歴史的名作と呼ぶに値すると思っています。

パルパティーンの本性を知った時にはもう遅く、体の自由と力を奪われていた――そんなアナキンの時が再び動き出すのは、死んだと思っていた息子が現れた時。反乱軍の若者が「スカイウォーカー」だと知った時には、ダース・ベイダーとてアナキン・スカイウォーカーとしての自分を思い出さざるを得ません。漆黒の寒い宇宙で、ルークは唯一愛しく思える対象だったことでしょう。

エピソード4から観た人にとっては、「SF映画の悪役」としてのダース・ベイダーは「弱さ」を露呈していったように映ったかもしれません。しかし時系列でみていけば、話はがらっと変わります。それは「悪役」の「弱さ」ではない。昔は「ヒーロー」だった人の、無理やり押さえつけていた「本来の自分」が頭をもたげてきた。そういうことなのだから。

シスという存在について、本編以外の資料ではかねてより「シスカルト」という名称がみられたのですが、最終作エピソード9でついに、シスはカルト団体であると作中にて言及がありました。これを踏まえると、アナキン/ダース・ベイダーの物語は、その気になればうんと現実的に解釈することが可能になってきます。

アナキン本来の良心には耐え難い、残虐非道な行いの数々。実際、彼はムスタファーでひとり涙を流しているわけですが、良心の呵責を押さえつけてでも新たな師、ダース・シディアスから受けた非道な命令を実行するこの心理は、現実のカルトの「マインドコントロール」そのものです(注:カルトは宗教団体とは限らず、規模も様々です。ナチス・ドイツなどは、国家がまるごとカルト化した例です。)。アナキンが悪に身を堕とした出来事は、SF映画の中だから起こったわけでも、世界的有名キャラクターならではの劇的ドラマでもない。人類史上、彼と同じ道をたどった人は無数にいた。国家組織によって送られた戦場で「殺人」「虐殺」を行った名もなき兵士たちは、もとは残虐でもなんでもない、ごく善良な一般人たちでした。彼らは、組織に取り込まれ戦場に送られたが最後、「本来の自分」を押さえつけて殺人に手を染め、回復不能なトラウマを負い、たとえ生き残っても二度と日常には戻れなかったのです。さすが、ルーカス監督がナチスなどを研究して描いたというスターウォーズ。キャラクターの心理描写は極めて現実的、かつ深いですね。

続3部作、「本能」で殺戮の命令に背き、ファースト・オーダーから脱走したフィンのキャラクター性も秀逸でした。

「フォース」をはじめオリジナリティのかたまりのような世界観が人々の心をつかみ、映像技術・映像美術で高い評価を受けてきたスターウォーズ。なんですけど、私としては、現実から遊離することのない心理や出来事の精密な描写が唯一無二のおもしろさを下支えしているという点は、もっともっと注目・評価されてほしいです。

作中世界では許されざる残虐無比なダース・ベイダーですが、スクリーンのこちら側、前段の事実関係を知る観客には物悲しく感じられます(そして感じ方のバランス感覚がいまいちなんでちょっと自己嫌悪したり)。ベイダーがルークに言った「ダークサイドはすばらしい」は、私にはやせがまんのように哀しく響きました。だって、アナキンはダークサイドに手を出して得たものはゼロ、失うばかりだったんですから。ダークサイドをすばらしいと思っているはずがない。失態をおかした部下を始末するとき、やたらフォース首絞めにこだわっているのも気になりました。ブラスター一発なりライトセーバー一閃なり、もっと手軽な方法はあるのに、ですよ。これ、アナキンが初めてフォース首絞めを使った相手は、何を犠牲にしてでも守りたかったはずの最愛の妻・パドメなんですよね。部下をつるし上げるたびに「これくらいやんなきゃ死なないと思うんだけどな……」とでも考えていたのか。自分が最後に見たパドメを思い出して、彼女なき世界の虚無と絶望をかみしめていたのか。それとも悪に身を堕とした象徴であるフォース首絞めを使うことで「お前はこういうことをする最低の悪人だ」と自分で自分に見せしめをするとか、そういう複雑な感情があったのか。真意は、黒いマスクの下奥深くです。

オビ=ワン・ケノービ

DATA:銀河共和国末期に活躍した、誠実なるジェダイ・マスター。師から託されたアナキンを弟子にとるも、自己主張が強いうえ自らより優れたフォース能力を持つ彼の信頼を得ることができず、ついにはダース・シディアスに奪われてしまう。帝国勃興後はタトゥイーンに身を隠してルークの成長を見守り、来る時にジェダイとして導いた。

なんでこうなったの――悲劇が結実した時、私はそう考えました。ああだこうだ考えて、数々のシーンを見返しました。すると見えてきたのは、アナキンを指導しきれなかったとはいえ、オビ=ワンは決して能力で劣る人ではないんだよなぁということ。また、小言が多いとはいえアナキンを評価している様子はみられるし(たとえばエピソード2終盤、ドゥークー伯爵を追跡しているシーン)、アナキンにとって友であり兄であり父親のような存在だということはアナキンの行動に表れていて(エピソード3冒頭、アナキンは何度も命の危険を冒してまでオビ=ワンを救助している)、それは第三者のパドメですら認めるところです。

ただどうしても、性格面での相性が悪い。クワイ=ガンと対照的に、オビ=ワンは規則や決定に忠実な優等生タイプです。だからオビ=ワンの説明は、アナキンにとってはことごとく物足りない。

オビ=ワンは良くも悪くも、この時代の定番的なジェダイなんですよね。彼にとりたてて欠けがあったわけではない。優等生タイプといっても石頭一辺倒ではないし(エピソード1最後でマスター・ヨーダは「向こう意気が強い」とたれているし、エピソード3の戦闘でグリーバス将軍は「大胆だ」と評している)、納得いく説明に欠けるのはジェダイ全体に言えることです。

なんでこんなことになったのか。オビ=ワンに決定的な抜け落ちがないなら、つきつめれば、悲劇のもとはジェダイが時の流れのなかで古くなったことに帰結する、と読むことができます。

人間アナキン・スカイウォーカーとジェダイ・オーダーと共和国の三者がシスに殺され、すべての希望は潰えました。悪の皇帝に自ら権力を手渡した民衆は、このあと恐怖政治下を生きることになります。パドメが残した双子は、予言の「選ばれし者」みたいに希望となることが確約された特殊な存在ではありません。暗黒の時代に生まれた次世代に希望を「託す」形で物語をつないだのが、このオビ=ワンでした。

ダークサイドに寝返った師を若き弟子が討ちに行く、という展開なら、観客としてはまだ耐えられたと思うんですよ。それはそれで熱いストーリー。観客誰しもその程度の反抗心は持っているでしょう。でも逆は無理……もう見てられない……。オビ=ワンはアナキンをどこまで宿敵・シス卿として見ていたか? なんだかんだ言って大事だった弟分が、師としてよく見知った圧倒的な力に、マグマのごとき怒りをこめて叩き込んでくる――その猛攻が途切れた小休止、何かを思うことができてしまう時間が辛い辛い。そんな目で見てくるほど憎んでいるのか、そこまで失望させてしまったのか、とでも物語るような、当惑を帯びた後悔がにじんでいます。ここ、死闘であるにもかかわらず双方葛藤を抱えたままなんですよね。両者とも相手を殺したくないという思いを押し殺して、全力で斬りかかっている。なんてこった……。スターウォーズが描く葛藤は、どれも世にまれなほど劇的なんですよね。こういう面では、大変情熱的な作風です。

賢者兼スーパーヒーローであるはずのジェダイですが、その行為と結果はいつだって「”fail”と”lose”」なんですよね。”Fail”の原義は「失敗する」で、派生的に「(人を)失望させる」の意味があります。”Lose”は「負ける」そして「失う」の意(アナキンのみ「道に迷う」の意味でも使っていますね)。そんなジェダイのなかでも「”fail”と”lose”」をいちばん、いやというほど経験したのはオビ=ワンでしょう。

オビ=ワンはアナキンにとどめを刺すべきだったか? ルークに「弟子のなかからダースベイダーという者が現れてきみのお父さんを殺した」と説明したのは弱さだったか? いえ、観客からみても、アナキンと「悪の機械」ダースベイダーとの間に連続性はない、アナキンは死んだのだ、ととらえるのには一理あります。そこにあるのは、悲痛さの限界点を突き破ったゆえの、静けし悲劇です。

パドメ・アミダラ

DATA:民主主義を守ることに尽力した、共和国きっての有能な政治家。もとは湖が美しい惑星・ナブーの女王(元首)で、その任期後、銀河共和国の元老院議員となった。アナキンと秘密裏に結婚するが、その彼がパルパティーンによってダークサイドへいざなわれて悪人へと変貌し、共和国を破壊した悲しみから生きる意欲を失ってしまう。手術で出産した双子をオビ=ワンに託し、「(アナキンには)まだ善の心が残っている」と最期の言葉を残して息絶えた。

政治家のなかでもっとも優秀有能。卓抜した頭脳でナブーの危機を救うばかりでなく、かかえていた種族間紛争を解決し、議員となってからは初期反乱軍の中心メンバーに。さらにはなにげに器用で射撃もうまい。ジェダイ以外でのこういうキャラクターは、新三部作の物語にジェダイとは違った視点を与えてくれます。彼女の言動は光っていました。

エピソード2で母を亡くしたアナキンにかけた言葉「全能にはなれない」は政治家らしいですね。ナブー存亡の危機を救ったことで彼女の評価と人気はこの上ないようですが、人々に語られる英雄物語は一面にすぎません。その陰では、あまたの餓死者や戦死者が出ているんですから。ナブーは救ったけれど、救えなかった人々がいる。犠牲となった尊い命一つ一つが戻るわけではない。これは一般論ですが、「虐げられている人をいかに救うか」という問いを立てたとき、政治家となることを選んだなら、実効力をもって一定の人々を現実に救うことができますが、他方、その網からもれる者が出るのは避けられません。「どうしようもなかった」のは現実に違いありませんが、頭でそう反芻するのは、結局、自分への気休めにすぎない。現実と格闘する立場ゆえ、いまある現実に縛られる政治家は、きれいごとではすまないその一面と終わりなき葛藤を受け入れなければなりません(ちなみに彼女の初恋・パロ君のようにアーティストになれば、人を勇気づけたり行動を促したりすることはできるけれど、実効力はまったくない)。痛みと挫折をともなうパドメ自身の経験に裏打ちされているので、その言葉には深さと重みがあります。アナキンの「誰をも救える力が欲しい」という気持ちを否定しているわけではなく、痛みを共有しているところにぐっときます。

続く「怒りは人間の自然な感情」というのはジェダイ以外の言葉で語られた人間の真実で、ジェダイ以外にも知恵の形はあることを示してくれました。新三部作でこうした多様性を見せてくれるキャラクターは唯一無二です。このような構造においても、「自分の陣営でない者は敵」と決めつけるシスと対照をなしているといえるのではないでしょうか。

「自由はこうして死ぬ。万雷の拍手の中で」は永遠の名言です。

「安全と平和をもたらす」という聞こえのいい言葉で自由を殺す、極めて現実的な独裁者。そのすべてを一言で描写したのは、政治の舞台で脅威と戦ってきたパドメでした。しかし結果は、完膚なき敗北。パドメの葬儀は共和国の、また死した自由の葬儀でもあるんですよね。卓抜した才能だけでなく時に大胆な行動に出る性格も含めてアナキンとはベストカップルに違いないし、秘密裏に結婚生活を送っていく実力も兼ね備えていたであろう二人なのですが、それでもなお悲恋に通ずる運命……。シャトルにオビ=ワンが一人で戻ってきた時、彼女はそれをどう理解したのでしょうか。アナキンは自分に怒り、棄て置いて逃げたと思ったのか。もしこの先を生きれば、赤ん坊を抱えたまま、政治的・軍事的にアナキンと真っ向から戦うことになる。もともと情熱的な人物だからこそ、劇的な最期が胸に刺さります。パドメが葬儀でアナキンからもらった木彫りのお守りを抱いているところは涙腺崩壊ポイントではないでしょうか。

パドメとともに自由が、民主主義が、平和が死に絶え、エピソード3はレクイエムで幕へ向かいます。民主主義は完全敗北、民衆自滅なんてあんまりだ……立ち直れない……。愕然としていた私は、完結を宣言するかのような堂々たるエンディングのファンファーレではじめて、息をのむ完成度にスタンディング・オーベーションを送りました。そしていま、この場をもって制作者のみなさんへのカーテンコールに代えたいと思います。

パルパティーン

DATA:ナブー代表の信頼厚い議員で、元老院最高議長として分離主義者との戦争終結のため奔走する……のは仮の姿。またの名をシス卿ダース・シディアス、すべては彼の陰謀だった。宿敵ジェダイに復讐を果たし、共和国を滅ぼして銀河帝国皇帝となる。恐怖の独裁政治で人々を苦しめたが、最終的にはライトサイドに帰還したアナキンによって討たれ、彼がもらたした暗黒の時代は終焉を迎えたのだった。

スターウォーズの重厚さとおもしろさは、腐敗した民主主義から合法的な手続きにより権力の座に就いた独裁者・パルパティーンなしにはあり得ません。史実をしっかり研究して作られたのが見て取れる、作中屈指の名キャラクターです。カリスマ指導者であり、最近風に言えばポピュリストの一面もありますね。実を言うと、私の心に火がついたのは、スターウォーズが極めて現実的な独裁者を描いていると気付いた瞬間でした。

そんな彼、シス卿としては「詐欺の皇帝」「脚色の皇帝」「一石二鳥の皇帝」と三拍子そろっているなーなんて思うんですよ。ダース・プレイガスの不死の術でアナキンを釣ったのに、師弟関係を成立させたあとになってから、えっ、なに、あんた術のやり方知らないわけ? 詐欺だ! 詐欺だよこれ! このように平気な顔をして大ウソをつくのは、いかにも独裁者ですね。(しかもダース・プレイガスの寝首をかいた弟子ってあんただったんかい!) あくどさの極めつけは、あの「ちょっとした脚色」でしょう。もはや理屈など全部ふっとんでパドメの命を救うという妄執だけで生き延びたアナキンに「(パドメは)お前が殺した」ですと!? 「パドメは医学的には健康体であるにもかかわらず絶望のあまり息を引き取った」という事実をパルパティーンがどこまで把握していたかははっきりしないし、ジェダイに「共和国の敵」という濡れ衣を着せた以上、ムスタファーの死闘を歪曲して伝えなければならないという事情はあったでしょうが……あれをそう言いくるめるとは恐るべし。さらにアナキンを弟子にとる作戦で最大の政敵・アミダラ議員をも消したのだから、一石二鳥が成立しています。皇帝の高笑いが聞こえてくるようですね。

政治家としては、独裁者になる方法を知りたければパルパティーンを見よ、と言っておけばいいでしょう。それくらいよく描かれた、最高の完成度を誇る悪役です。これぞというポイントを4つ挙げておきますね。

第一は、非常時大権。非常事態に乗じて成り上がるのは、独裁者の典型です。……その「非常事態」はパルパティーンが自分で引き起こしたものなんですけどね。分離主義を扇動するリーダーは誰であろう弟子のドゥークー伯爵なんだし、通商連合に取り入ったのはナブー近郊で武力衝突が必要だったからだ、と推測するのは容易です。独裁者たるもの、戦争はなかったら自分でつくるんですよ。それくらい欲しいものなんですよ、戦争が……。

共和国滅亡の始まりは、軍が創設された瞬間だと考えられます。彼は軍創設と非常時大権の獲得をセットで進めましたが、この二点が成就した時点で、共和国はパルパティーンの手に落ちたも同然です。

ポイント二つ目は、権力に居座ること。独裁者たるもの、戦争をお膳立てしてまで手中に収めた最高議長の座と非常時大権を手放すなんてもってのほかじゃないですか。「非常時」をずるずる引き延ばし、それを収拾できるのは自分だけだと見せかけて、じわりじわりと支配の根を広げていく。パルパティーンは、自作自演でカリスマとなるんですね。

三つ目は、「安全」をかかげることで人々の支持を集めるけれど、実際には彼らの自由を奪うこと。歴史上これもよくありますね。「安全を脅かす敵」を人工的に作り出すところも、現実の独裁者と共通です。パルパティーンは宿敵ジェダイに「共和国の敵」というレッテルを貼りました。カリスマ指導者に「万雷の拍手」を送ったのがとんだお門違いだったと気付いた時には、人々は恐怖政治下でそう口にすることすらできなくなっているのです。

そして四つ目のポイントは、自分が民主主義を破壊しながら、自分に反対する者を「民主主義に反する」として批判すること。マスター・ウインドゥ対パルパティーンが象徴するあれです。……エピソード3公開から10年余り、パルパティーンとまったく同じことをする大統領がアメリカに出現してしまったのは皮肉ですね。

そんなパルパティーンですが、実力では最上級まではいかないというところが目に留まりました。これは歴史上の独裁者にもよくあることです。手練れのジェダイ・マスターを次々斬り伏せるのだから、ダース・シディアスは強い。とても強い。けれど、武闘派のマスター・ウインドゥには敵わなかったようにみえました(どこまで演技だったかには想像の余地があるんですけどね)。ライトセーバー術では上がいておかしくない。そしてフォース能力全般ではアナキンのが上。実力では敵わないうえ、性格的にもダース・モールやドゥークー伯爵と違って自分の首を狙ってくるに違いない弟子なんて、シス・マスターにとっては危なくて仕方ありません。そんなアナキンをどう支配下に置くかといえば、手術にかこつけて自由を奪い、体のいい機械へと「改造」してしまうんですね。しかもエピソード4では、他複数名の帝国幹部を配置することで、ベイダーの権限に制限をかけている様子がうかがえます。弟子であるシス卿・ベイダーとて、絶対的なナンバー2にはしないんですね。陰謀を縦横に張りめぐらせ、実力ある者がいれば力をそぎ、粛正し、恐怖で独裁体制を確立する。スターウォーズはエンタメ作品で、ジャバ・ザ・ハットやガンレイ総督などハリウッドらしい醜くまぬけな悪役も出てきますが、皇帝パルパティーンは研ぎ澄まされたように現実的なキャラクターでした

レイア・オーガナ

DATA:オルデラーンの姫で、帝国と戦う反乱軍の中心的指導者。オーガナ議員夫妻の子として育ったが、実は命がけで戦ってきたダース・ベイダーこそが実の父だった。帝国を倒したのち、ともに戦ってきた密輸業者のハン・ソロと結婚、息子・ベンをもうけた。ルークからジェダイの訓練を受けたこともある。ファースト・オーダー勃興後は私設の軍隊・レジスタンスを率いて戦い、生涯を悪との戦いに投じた。

アナキンの子の片割れですが、ダークサイドの影はなく、むしろ全人生をかけてそれと戦ったのがこの人。レイアは「人の運命は生まれた時から決まっているわけではない」ということを強い色彩で示す人物です。

私はレイアから「アメリカ」を感じるんですよ。スターウォーズはアメリカならではの発想が目立ちます。たとえば、各惑星や諸団体から代表が集まるという元老院のシステムは、アメリカの連邦議会がモデルになっているとみられます。また、共和国から脱退する「分離主義者」という発想は、原則として「邦(=州)」の集合体であるアメリカ合衆国(=連邦)という国でなければ出てこないでしょう。そしてレイアもまた、すごくアメリカらしいキャラクターだと思います。

というのも、民主主義の復興を目指すという世界設定からしたら、「お姫様」が出てくるのには無理があるんですよね。アミダラ女王のほうはまだ「民主的な選挙で選ばれた元首だ」という説明があるんですけど、レイア姫のほうは……。オーガナ議員の妻がオルデラーンの女王だということがわかるのは、なんとエピソード3のスタッフロール。オルデラーンが星ごと木端微塵に爆破され(70年代公開のエピソード4はこういうところがB級っぽい)、どういう政体だったのか本編では分からずじまいに。それでも「姫」にこだわるのはアメリカンなセンスだと思うんですよ。アメリカには君主制や貴族政治の経験がないから、それらをロマンチックに思い描きやすいのでしょう。

「戦うプリンセス」レイアは、初代公開の70年代には鮮烈なキャラクターとして人々に受け入れられたようですね。当時まだ生まれていなかった世代の私にとっては、レイアは特段強気ということもないごく普通なキャラクターだし、どちらかといえば「お姫様」としての性質が目立つくらいなのですが、要所要所では欠かせない存在だと感じました。全作が「対」の二人によって動く、きれいな構図が整ったスターウォーズ。新三部作の「対」は、恋人同士で結果は悲恋、両者の「死」をもって悲劇として決着します。続三部作の「対」は、宿敵同士でありながら互いに共感しているという、複雑さを秘めた熱い展開。そしてすべての始まり旧三部作の「双子」は、ジェダイと政治家、それぞれの立場で悪に立ち向かった――まさに王道ですね。エピソード3、5、そして9のラストシーンが重なります。ルークとレイア、双子そろってこそのレジェンドでした。

ルーク・スカイウォーカー

DATA:辺境の惑星・タトゥイーンの農家の子……と思って成長したが、実はパドメとダース・ベイダーことアナキンの間に生まれた双子の片割れ。R2-D2を買ったことをきっかけに、オビ=ワンらと宇宙へ旅立った。帝国の兵器・デススターを破壊したのを皮切りに反乱軍で活躍を重ね、ダース・ベイダーの心を救い、帝国を倒したことで銀河の誰もが知る伝説の英雄に。その後は新たなジェダイを育成しながら、シスの起源を調査するなど銀河の動向にかかわっていたが、弟子のベンを失望させ、ダークサイドに奪われた挫折から無人の惑星に隠遁してしまう。そんなルークのもとに新世代のレイが訪ねてきたことで運命は再び動き出した。伝説の英雄は、レイア率いるレジスタンスを助け、ベンの心を救うために自らの命を使い、フォースと一体となったのである。

田舎で退屈している若者。はっきり言えば貧しいけれど、アナキンと違って人間並みの生活はしているので影はない、ポジティブでカラッとしたキャラクター。ひょんなきっかけから広い世界へ旅立ち、冒険の中で成長していく。ハン=ソロやC-3POをはじめとする仲間たちはみな愉快。ルークは、なるほど、主人公らしい主人公です。ジェダイ・オーダーという特殊な世界の住人ではないので、身近な存在に感じられますよね。

私はエピソード1から観たので、「主人公交代」という印象でした。4からの人にとっては、恐怖の悪役・ダース・ベイダーがルークの父親だった件は永久のネタバレ禁止ではないでしょうか。

さて、ヒーローとは何でしょう? わりと現代的な問いだと思うのですが、私はエピソード6でルークがライトセーバーを捨てるシーンに目を丸くしました。カッコイイ光る剣を握ったら悪者をバッサバッサやっつける、のではなく、最後はそれを捨ててこそ真のジェダイ、真のヒーローですか。そしてルークは悪の化身ダース・ベイダーを「倒す」のではなく、「救う」ことで帝国の圧政を終わらせる。帝国の支配に終止符が打たれた解放の夜は銀河じゅうがどんちゃん騒ぎなのに、その立役者たるルークだけはしんみりムードなんですよね。ハリウッド映画は単純な勧善懲悪だとよくいわれますが、ルークはヒーローとして、また80年代という時代からも、一歩先へ踏み出していると思います。本作が空前のヒットとなった秘密は、その「一歩」なのではないでしょうか。

銀河帝国を倒し伝説となっても、ルークはあくまで生身の人間です。完全無欠の最強ヒーローではない。オビ=ワンよろしく弟子のベン(のちのカイロ・レン)の教育に失敗してファースト・オーダー最高指導者スノークに奪われ、人生の蹉跌を味わいつくしたルークは渋かったですね。

エピソード8のクライマックスには鳥肌が立ちました。その命を、ベンに手を汚させないために使うとは。エピソード4で登場する時点では、ルークはスタンダードなヒーローです。しかしエピソードを重ねるうちに一歩一歩深さを増していき、そして最期までその歩みを止めなかった。やっぱり世の標準より一歩先を行くキャラクターだと思います。

ルークの英雄伝説は銀河の人々につくり上げられたにすぎないかもしれません。しかし挫折や弱さ、失敗を背負って最後まで困難に立ち向かう生き様は、スクリーンのこちら側から見ている私たちにとってまさに英雄です。そしてルーク・スカイウォーカーの神話は、たとえ真実味には欠けるにせよ、名も知れぬ子供たちにまで勇気と希望を与えている――このステップをすべて踏んではじめて、ルーク・スカイウォーカーはレジェンドになるんですよ。私は映画館で胸打たれて震えました。

ハン・ソロ

DATA:愛機ミレニアム・ファルコンを駆って相棒のチューバッカと銀河を飛び回る密輸業者。タトゥイーンを支配するギャング、ジャバ・ザ・ハットに多額の借金を背負って途方に暮れていたところ、ルーク、オビ=ワン一行に出会う。パイロットを引き受けたことから帝国との戦いに身を投じ、反乱軍で活躍を重ねた。帝国を倒した後はレイアと結婚、息子・ベンをもうける。しかし、ベンがダークサイドに転向したことで責任を感じ、家庭を飛び出して自分の世界だからと密輸業に復帰。カイロ・レンことベンを引き戻そうと語りかけたところ、彼のライトセーバーで貫かれ、仲間たちから愛され続けた生涯を終えたのだった。

キャラクター人気投票ではしばしば1位に躍り出る、愛される密輸業者。「愉快なならず者」というキャラクター性と、銀河を股にかけて飛び回る冒険心。スターウォーズの作風に軽快さが加わっているのはハン・ソロいてこそと言っていいでしょう。旧三部作の主人公・ルークから見れば兄貴分だったり、西部劇さながらのピストルの構えもクールです。個人的には、ちょっとうさんくさいけど根はいい人で、ひょんなことからチャンスをつかんで大物になっていく、というストーリーにアメリカ文化を感じました。

そんな愉快なならず者の過去はスピンオフ作品『ハン・ソロ:スター・ウォーズ・ストーリー』で描かれているんですけど、これがまぁ驚くほど硬派なんですよね。どん底の星でいつか自由になることを夢見る若者が犯罪の世界を転々としていく様は、犯罪の世界を描いたノワール作品として本格的なんですよ。彼の怖いもの知らずな明るさは、退廃的でどうしようもない現実からの開き直りから生まれたんだろうな、と感じました。ハン・ソロについてはスピンオフ作品のほうで1ページを割いて語ったので、そちらをご覧ください。

リンク:『ハン・ソロ』あらすじと感想~SWキャラクター論続き(新しいタブで開きます)

ヨーダ

DATA:800年も生きているジェダイ・オーダーの長。深い叡智、豊富な経験、そして小さな体からは想像もつかないライトセーバー術は他の追随を許さない、もっとも偉大なジェダイ・マスターである。ダース・シディアスを追い詰めたが、惜しくも討つことができず、無人の惑星に身を隠した。のち、ルークに修行をつけてジェダイとして導いた。

スターウォーズで好きなキャラクターはと聞かれたら、私はマスター・ヨーダと答えます。いちばん好きなシーンは、エピソード2で小さな子たちの訓練をしているところ。子どもたちをそれはそれは慈しんでいる様子で。しかも、ちょっぴりお茶目なところが子どもたちにうけている。ほほえましくて目を細めてしまいます。

エピソード2最後の「これは勝利ではない」という指摘はさすがマスター・ヨーダでした。ジェダイはどの時点でシスに敗れたのかといえば、クローン戦争開戦の瞬間に違いありません。「平和と正義の守護者」が戦士としての活動に引きずり込まれ、軍隊を率いることになる。あってはならぬものがオーダーに混入し、矛盾だらけになる。自らの定義をねじ曲げられたことが、ジェダイの滅亡を意味するんですよね。

そして銀河の運命を分かつエピソード3、ひとりダース・シディアスを討ちに向かうマスター・ヨーダはまさしくトップの風格でした。

「シスはダークサイドに期待過多だ」という指摘が鋭いですね。シスは、ダークサイドには無限の力があり、「ジェダイの力+禁じられたダークサイド」といういわば単純な足し算で最強になれると主張します。「それで実際、ダークサイドってどうなのよ?」という観客の問いに答えてくれたのが、マスター・ヨーダでした。ダークサイドは夢のような万能の力ではない、という指摘は、時同じくアナキンがどうにもならなくなっていることと合致します。しかも、不死の術に近いものが存在するとしたら、それはジェダイの側にあったことがのちに判明。個人的には、使うと人格まで変わってしまうあたり、スターウォーズの「ダークサイド」は薬物を彷彿させるなぁと感じます。

「お前の帝国は一日限り。いやそれでも長すぎた」――銀河の命運を一身に背負って戦うマスター・ヨーダの技は劣っていないのに、どういうわけか落ちどころが悪かったりするんですよね。なにもかもがうまく運ばない。議会がパルパティーンに熱狂的な拍手を送っているころ、マスター・ヨーダはそれが暗黒の時代の始まりだと理解しています。なにがまずかったのか。どこで間違えたのか。そして銀河のこれからへの憂い……。複雑な表情ですね。若きアナキン・スカイウォーカーの秘密だった双子の誕生を見つめるまなざしがなんともいえません。私には「今さら戒律違反なんて咎めんよ」とでも言いたげに見えました。アナキンから相談を持ちかけられたマスター・ヨーダが一般論しか返せなかったのは、アナキンが結婚の事実を隠すため、具体的な事情を打ち明けられなかったからでした。そういうことだったのか。小宇宙というべきその頭脳には、事実を知ったいまなら与えられる導きもあったでしょう。そして後悔も。しかし、その小さくて偉大な頭いっぱいの言葉は「彼」にはもう届きません。あぁ、このシーンは切なくなりますね……。

時は過ぎ、エピソード8。「”Fail”と”lose”の物語」エピソード3最後の心情が彼を変えたらしい様子は旧三部作でみられますが、私は寺院を派手に燃やしてしまうところがマスター・ヨーダらしいなぁと感じました。賢すぎてちょっとおかしなところ。自らの「”fail”と”lose”」こそが教訓だとして次世代に率先して伝えるところ。それから、フォース能力でははるかにおよばないであろう若者を、芽吹いたばかりの希望としてあたたかく見つめ、次の時代を託すところ。私の胸にあたたかい気持ちを運んできてくれました。

スノーク

DATA:帝国の残党から生まれた軍事組織・ファースト・オーダーの最高指導者。並々ならぬダークサイドの使い手だが、素性や正体は謎に包まれ、直接会ったことのある者は極めて限られている。ルークのもとで修行していたベン・ソロに取り入り、ダークサイドに引きずりこんだ。自らはシスではないとしていたが、彼を亡き者にしたカイロ・レンがシスの起源をたどるうち、どうやらパルパティーンに作られ操られていた生命体らしいと判明した。

「お前にはがっかりだ」とかなんとか言って、その弟子にまっぷたつにされてるあんたにはもっとがっかりだよ……。「意図はすべて読めておる」んじゃなかったのかよ……。たいてい、そんながっかりな若者を弟子にしている時点であんたの底は知れてるよ……。そんながっかり感がむしろイイ味出してるファーストオーダー最高指導者は、これはこれでとても興味深いキャラクターでした。

パルパティーンにははるかにおよばない人物(というより、エピソード9によれば彼による作り物?)であるにもかかわらず、スノークの周りは思わずうなる設定だらけです。

帝国の残党から生まれた、といいますが、ファーストオーダーはあくまで私設の一組織なんですよね。対するレイアのレジスタンスも「私設」。新々三部作の戦いは、「私」対「私」なんですよ。「国家」が単位になっていないという設定が現代的で、非常に興味深いです。

そんな混沌のなか、エピソード8で登場するうさんくさいコード破り・DJには脱帽でした。DJとは「Don’t join.=関わるな」の略で、本名は不詳。ファースト・オーダーにもレジスタンスにも属さないことを選び、その時々でどちらにもなびいては金をかすめ取って生きていく。「関わらない」ことを生き抜く知恵と信奉する彼は、ローズとフィンが処刑されようが、圧政に苦しむ銀河で唯一の希望・レジスタンスがつぶされようが知ったこっちゃない。無気力で、無責任で、自己中心的極まりないこのならず者は、エピソード8だけのわき役でありながら、ダース・シディアス並みに研ぎ澄まされたキャラクターだと思います。

カント=バイトのカジノに集まる武器商人たちはエキストラですが、キャラクターの本質としてはDJと同じです。スクリーンに映ってすらいないファースト・オーダーの下級職員たちもそう。

こういう匿名的な人々こそ、本当の悪だ。恐怖のシンボル・シス卿なんていなくとも、名も知れぬ無責任な人々こそ恐怖だ。私にはそんなふうに読めました。

エピソード6でアナキン・スカイウォーカーの悲劇は決着したのに、その続編が蛇足とならないのにはつくづく感心します。いくつかのインタビューによれば、初代制作の時点ですでに、ジョージ・ルーカス監督の構想にはエピソード6後のストーリーがあったといいます。新々三部作はどこまでが彼の構想で、どこからはいまの制作者が現代の情勢をくみ取りながら独自に創ったのか。また、ルーカス監督の構想とはどの程度固まったものだったのか。真実は本人たちのみが知るとしか言いようがありませんが、どちらにせよ、構図やキャラクター設定の上出来ぶりは光っていると思います。

パルパティーンのような圧倒的実力はないけれど、決して見劣りはしない、鋭い悪役。「悪の形」は、ダース・ベイダーのそれだけではないんですよね。私は本来、爆発も、戦争も、超能力もそれぞれ苦手なのですが、にもかかわらず『スターウォーズ』を追いかけてやめられないのは、社会と人間を鋭く見抜く視線に魅了されてやまないからにほかなりません。

カイロ・レン

DATA:レイアとハン・ソロの息子で、本名はベン。ルークが建てたジェダイ寺院で修行していた。ある夜、彼の闇を感じたルークが衝動的にライトセーバーを振りかざした時、師に見捨てられたと恐れおののいた彼は寺院を焼き払ってスノークのもとへ。「尊敬する祖父ダース・ベイダーが始めたことを終わらせる」ことを望みとしている。ひそかに力をつけて意図を隠し、スノークを斬ったのちにはファースト・オーダー最高指導者の座をとって代わる。

ダース・ベイダーほどは強くなれないと悟っているといきなり見抜かれたあげく、その「ライトセーバーを初めて握った小娘」に敗北……。あんたにはがっかりだよ……。このがっかり感がイイ味出してる新たなダークサイドの使い手ですが、さらなる深い味を出すのはエピソード8で過去の真実が明かされた時でしょう。

エピソード6でアナキン・スカイウォーカーを軸とする悲劇は決着しましたが、なおもスターウォーズはあくまで「悲劇」。”Fail”と”lose”の伝統は、新々三部作でも引き継がれるんですね。伝説の英雄・ルークに信じてもらえず、見捨てられ、ベンのアイデンティティは崩壊。カイロ・レンはこうして生まれたわけですが、アナキンの精神崩壊ほどは劇的ではなく、やっぱり話としては小規模です。

フォースの使い手として実力はいまひとつ、送ってきた人生にも強烈さはなく、影が薄い。そんなのがナンバー2ではファースト・オーダーの行く末なんてたかが知れてる……と思うのは早計で、こういうところにスターウォーズのおもしろさがあると思います。

エピソード8クライマックス、丸腰のルーク一人に一斉砲撃を命じたカイロ・レンのかたわら、もともと青っひょろいハックス将軍はますます青ざめています。私には「この人危ない……」とでも言いたげに見えました。そう、ダース・ベイダーの恐怖は強大な力と残虐さにありましたが、この時点でのカイロ・レンの恐怖は、精神不安定にあるんですよ。がっかりなレベルでも、巨大軍事組織のトップであるのは現に事実。これ、恐怖じゃないですか。

独裁者として才能がずば抜けているダース・シディアスと、特別な才能を持つダース・ベイダーの師弟と比べたら格段見劣るとはいえ、ならばスノークとカイロ・レンのコンビは残虐行為もたいしたことないかといえば、決してそうではありません。デススターに勝る兵器で新共和国を星ごと滅ぼし(70年代公開エピソード4のオルデラーンと違って悲壮に描かれているのは映画として現代的)、村を平気で焼き払い、子どもをさらっては武器を持たせ、トルーパーとして使役し、ローズの故郷では鉱物資源を奪うだけ奪ったあげく兵器の人体実験を行った。人物の器は小規模ですが、残虐さはむしろ大規模化しているのです。独裁コンテストではあるまいし、銀河の人々にとって問題なのは、現に起こっていること、生まれた結果です。彼らの能力ではありません。

……と、エピソード7では「がっかり」スタートだったカイロ・レンですが、エピソード9では冒頭から、おおっ、強そう! 自身を支配していた師・スノークを真っ二つに斬り伏せ、大きな山を越えた自信がみなぎっています。フォースの使い手としての側面が目立ちますが、巨大組織の最高指導者としての風格もみられますね。

最終的には、カイロ・レンはサーガ随一の傑物に成長したと思います。なぜなら、パルパティーンに「仕える」立場とならなかったダークサイドの使い手は、エピソード9つにわたるサーガを通してカイロ・レンだけだから。あの悪の傑物・パルパティーンを出し抜き、利用し、自分のファースト・オーダーに吸収しようとする。シスは旧時代の遺物でしかない、という考えが態度に存分に表れています。なるほど、パルパティーン(のクローンのようなものでしょうか? エピソード6で討たれた本人ではないようですが……)とシス信奉者は現に巨大な軍事力を保有しているのだから兵法上敵に回すことこそできませんが、それでも彼の下につくことなく、対等以上にやり合えた人物は、カイロ・レンが最初で最後です。ダース・ベイダーは力をそがれ、皇帝に従うしかない状況に追い込まれていたことを思えば、カイロ・レンは「尊敬する祖父」を越えたといえると思います。

スカイウォーカー家最後の一人は、これはこれで力強く、意志的でした。人を救う最後は、めぐりめぐってやっぱりルークの弟子だったんだな、ととらえていいかもしれません。型にはまることのない、独自の存在感。最初から最後まで「らしさ」全開のライバル・ハックス将軍にも拍手です。充実した名キャラでした。

レイ

DATA:辺境の星・ジャクーで廃品回収により生計を立てている若い女性。幼いころ飛び立っていった両親の帰りをずっと待っていたが、ある事件に巻き込まれて宇宙へ飛び出し、フォース能力を開花させていく。伝説の人・ルークを探し出して修行を積み、ファースト・オーダー、そして宿敵カイロ・レンとの戦いを繰り広げていく。シスの惑星・エクセゴルへの道を探すうち、皇帝パルパティーンの孫であるという驚愕の真実が判明したが、レイはシスのすべてを受け継ぐ儀式を拒否。復活したパルパティーンに対してルークとレイア二人のライトセーバーで立ち向かい、最終的に滅ぼしたのであった。

新々三部作の主人公。ルーク同様、辺境の砂漠でドロイドを拾ったことからレイの大いなる冒険が始まります。彼女の仲間は個性も立場もバラエティーに富んでいて、その点でもルークと重なります。初登場からなかなかな印象の新しい主人公は、「冴えている」という表現がぴったりだと思うんですよ。物語を引っ張っていく力が強くて、アクションもコミカルもいちいち「冴えている」んです。

かねてより「構造」が秀逸だったスターウォーズ。最終章エピソード9、レイの出自には、なるほど、してやられたと、私は劇場で思わず宙を仰ぎました。伝説のジェダイマスター、ルーク・スカイウォーカーの血筋の最後の者がダークサイドに堕ちたならば、対する悪の血筋の者がライトサイドを自ら選び、ジェダイとなる。これできれいな「対」になる。完ぺきな「構図」には、最後の最後でまたもや脱帽でした。

エピソード8では、レイの両親は名もなきならず者だということで決着していました。マズ・カナタとの会話シーン(エピソード7)とぴったり整合するし、レイの心理描写(これまた深い!)としてもきれいに完成しているので私はすっかり納得していたのですが、どうなんでしょう。集大成として全作品をまとめ上げたエピソード9ですが、パルパティーンの設定と再登場にはやや唐突感があるので、もしかしたら監督交代による設定変更かもしれないと個人的には感じました(ほかにも、エピソード8でカイロ・レンが象徴的に壊したマスクをわざわざ直すなど、ライアン・ジョンソン監督が描いたものを否定しているように受け取れるシーンがいくつかあります)。ただ、もしエピソード8でレイの出自を決着させたと見せかけて2年もの間ファンの目をあざむいていたのだとしたら、制作チームの計画性はすごいです。

銀河の果ての闇の奥、隠されたシスの星というけれど、なに、シスの信奉者ってこんなにいるの!? こんなに!? 「スタジアムを埋め尽くす大観衆」くらいいるんですけど! シスはマスターと弟子の2人だけ、ということでしたが……。信奉者のカルト団体、シス・エターナルには謎が残りました。エピソード9冒頭、カイロ・レンがムスタファーのダース・ベイダー居所跡でウェイファインダーを手に入れますが、それが収めてあった石に刻まれている紋章はシス・エターナルのものです。私は目を凝らして確認したんですけど、帝国でも、シスでもないんですよ。彼らは何者で、シス卿二人とはどのような立場関係で、どんな活動をしているのか。あぁ、謎だ……。

私には皇帝に息子がいたというだけで寝耳に水だったのですが、シス信奉者で元ジェダイハンターだというオーチの短剣はもっと謎です。劇場から帰ってパンフレットを開き、頭でよーく整理したんですけど、刻まれている文字は古代シス語だとはいえ、これは決して古い物品ではありませんよね。撃破された第2デススターの残骸にかざすと金庫の場所が分かる仕組みなのだから、作られたのは帝国崩壊後。古代シスのウェイファインダーとは違い、どんなに古く見積もってもたった30年前の物品です。では、短剣を作ったのは誰? その者は、帝国組織の中枢や第2デススターの内部構造、シスの秘密にまで通じていたはず。この何者かは、おそらくシス復興のため暗躍していたような人物で、エクセゴルへの逃亡や結集を目指して仲間への「暗号」として短剣を作った……と考えるのが自然でしょう。あるいは、私はもう1度観に行った時に目を皿のようにして確認したのですが、レイの両親はオーチによってその短剣で刺されているので(しかも大勢の仲間に囲まれているところをみると、オーチはシス信奉者の間でかなりのリーダー格だったらしい)、短剣はオーチの私物、さらには作ったのも彼、と想像してもいいかもしれません。ただ、このあたりは出来事の順番が明らかでないんですよね。オーチはエクセゴルの場所はすでに突き止め、ドロイドD-Oにそのデータを保存していた。ただし、場所だけ分かっても航行は不可能なので、シスのウェイファインダーが必要になってくる。オーチは幼いレイを皇帝に届けようとしていた、というのだから、すでにエクセゴルへは到達し、皇帝の命令で動いていたと考えるのも不可能ではありません。では、なぜここまで闇の活動に従事していたオーチが、フレンドリーな現地民、カラフルな凧においしいスイーツのお祭りで有名なパサーナに? ウェイファインダーを手中に収め、あとは皇帝の孫を探し出すだけだと銀河を旅していた、と考えるのがいちばん妥当でしょうかね? 「ダース・ベイダーの始めたことを終わらせる」のを望むカイロ・レンと対照に、レイは「ルーク・スカイウォーカーの始めたことを終わらせる」ため切羽詰まった危機的状況のなか短剣を探しに行きますが、では当時のルークはどのようなつもりでエクセゴルの謎を追っていたのでしょうか。やはり、パルパティーンを完全に滅ぼすためだったのか。オーチの短剣をめぐる事実関係は、想像するしかなさそうです。

そんな得体の知れないシスカルトの大群衆にとって、生まれた時から特別な存在だったのが、よりによって主人公のレイですか……! 私はシリーズをエピソード1から観たのでルークの父親に驚きはなかったのですが、それを越えるであろう驚愕を最後の最後でぶちこんできたなと感じます。

過去の主人公を振り返ってみましょう。ルークは田舎の農場の子として育ちましたが、町外れに住んでいる変わったおじさんは、なんとかつてのスーパーヒーロー・ジェダイだった。実はルークを生まれた時から見守っていて、「この子こそが銀河の希望になる」と大きな期待をかけていたわけです。しかもかの偉大なマスター・ヨーダまで! アナキンの場合は、生まれ育ちは奴隷という底辺の身分でしたが、ジェダイの素質を見出されてからは人生一変。銀河じゅうから尊敬を集めるジェダイたちから、予言にある「選ばれし者」として特別な期待をかけられ、ちやほやされるんですよね。もっとも、のちの師匠・オビ=ワンが「あの少年は危険だ」と言っているのを聞いてしまったこともあってアナキンはジェダイ・オーダーとぎくしゃくしていくんですけど、立派な人たちから期待されているというシチュエーション自体はうれしいじゃないですか。なのに、レイに絶大な期待を寄せていたのは、よりによってこんな人たち!? 危なすぎるカルト信者の大群衆!? 最悪……。歴代主人公で最悪なんですけど……。

試練に立ち向かう決意を胸に決戦の地へ向かったレイが、歴代のジェダイたちの声を背に、レジェンド2人のライトセーバーでシスのすべてを押し返す。クライマックスシーンはまさに「集大成」でした。エクセゴルへ赴く乗り物がレジェンド、ルークのXウイングだというところも熱かったです。

エピソード8の時点で、レイは「ぽっと出」のフォースの使い手なんだと私はすっかり納得していたのですが、結局は血筋が問題にのぼるのがスターウォーズなんですね。しかし、最強のシス・マスター・パルパティーンの孫だと判明したものの、レイはラストまでどこともつかない、どちらかといえばどん底のほうからふらりと現れた、「ぽっと出」感をまとった人物だったと思います。素朴でひょっこりしたテーマ曲のメロディが一役買っているのかもしれません。「どん底」の中身が変更になっただけ、という感じでしょうか。サーガを結ぶ主人公でありながら、「始まり」を体現している。そういう人だったと思います。

スターウォーズは、あくまで「選択」の物語です。スカイウォーカーの血族がすべて絶えたその時、なんのつながりもない者がその名を名乗ることで、「スカイウォーカー」は「始まり」を迎えるんですね。印象的なラストシーン、レイはどうやらいつも持ち歩いている廃品から作った棒を改造して、シリーズ初の黄色いライトセーバーを作ったようです。

“Fail”と”lose”の連続だった、「悲劇」の叙事詩。全作でいちばん明るいエンディングを導いたレイは、新たな伝説だと胸を張って言えると思います。

結びに―世界的人気と釣り合う、圧倒的な大作

スターウォーズは超大作であり、その魅力は多岐にわたります。

ファン層も幅広く、登場するメカに魅かれる人、キャラクターの心情や相関関係を追うのに夢中な人、「フォース」をはじめとする「ニューエイジ文化」が好きな人、映像美術に注目する人など、多種多様なようです。また「(自分にとって)スターウォーズはこうでなければならない」というこだわりの強いファンをかかえるのは本作の特徴で、生みの親であるジョージ・ルーカス監督が批判ばかりされて音をあげてしまった、なんていう逸話も聞きました(いくら芸術性をそなえても、ベースをエンタメ産業に置く作品にはこんな種類の難しさが出てくるんですね……これがエンタメの限界でしょうか)。

私は上に述べてきた精巧な世界設定や個の立つキャラクターもそうですが、スクリーンに次々映し出される「田舎」や「荒野」のイメージ、スポーツバー等の娯楽施設、議会の仕組みなどからアメリカ文化を直に感じられるところも大いに楽しみました。

腐敗した民主主義から独裁者が立ち、民衆自ら破滅していく。それは人類の愚行の最たるもので、永遠のテーマといえるでしょう。ここ数年の日本や世界の情勢からすればとてもタイムリーな内容になってきています。悲劇がしっかりできているからこそ胸にグサッと刺さると書きましたが、むしろ身につまされるといっていいくらいで、深い感慨が残ることはまちがいありません。

今まで縁がなかった人はいませんか? 真っ黒なロボットなんて、ハリウッドヒーローなんてと食わず嫌いをしてはいませんか? あるいは小さいころにちょこっと観たけどあまりよく覚えていない、なんていうことはありませんか。

スターウォーズが私の胸をどんなに熱くしてくれたかはこの記事で分かってもらえたと思います。名実相伴う大作です。次の週末はぜひ、はるか昔、銀河の彼方へ。

(記事公開:2019年1月9日。2020年1月6日、劇場公開された「エピソード9」の内容を踏まえて追加、訂正等を行いました。最終更新:2021年11月23日、スピンオフ作品『ハン・ソロ』の記事を書き下ろしたので項目を追加しました。)

関連記事・リンク

著者・日夏梢プロフィール||X(旧Twitter)MastodonYouTubeOFUSEではブログ更新のお知らせ等をしていますので、フォローよろしくお願いします。(この記事は新作が公開されたら紹介する人物を増やして加筆する予定です。)

『ハン・ソロ』あらすじと感想~SWキャラクター論続き – 主要人物にしぼった今回のキャラクター論から抜け落ちてしまった大人気キャラ、ハン・ソロは、スピンオフ作品の感想で別途記事を割きました。こちらもご覧ください!

映画『2001年宇宙の旅』あらすじ・解釈・感想―人の個性は本当にいろいろ – スターウォーズ第一作より少し古い、名作との呼び声高いSF映画。どんなものなのか知りたい方はこちらをどうぞ。

『2001年宇宙の旅』続編は理路整然!―映画『2010年』レビュー – そしてその続編。異なる作風は監督の違いによるので単純比較はできないですが、個人的にはシリーズものが右肩上がりだとうれしくなります。

映画『アバター』あらすじと感想―だからSFは面白い! – 精巧な作り、エンタメでありながら深く追及されたテーマ。「だからSFは面白い!」と思わせてくれる、こちらも指折りの傑作です。

『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』あらすじ(ネタバレ有)&感想―衰え知らずの圧巻手腕 – 『アバター』の続編です。

トップに戻る