声優になるために今から自宅でできること

声優になるためのトレーニング教本に当たっていると、あの本もこの本も共通して、意識的に訴えていることがあるのに気づきます。大事なことだから口すっぱく言っているけれど、最近の声優志望者にはどうも分かってもらえない。声を荒げればカドが立ち、生徒とのみぞは深まるばかり。声優養成機関のそんな苦悩が、文面から伝わってくるんですよね。

今回は、そういった声優志望者が理解に苦戦している点を、客観的な視点からわかりやすく解説してみようと思います。筆者の私が何者でなぜこんな話を書こうと思ったかは、ちょっとずつ種明かししていくとしましょうか。声優になりたいあなたがよりよい未来に向かうためのガイドとして、ぜひ役立ててください。

声優になりたい人は多くても、努力する人はごくわずか

声優になるためのトレーニング教本には、「ひとりでやれることはたくさんあります」と書いてあります『基礎から始める声優トレーニングブック』9頁)。声優が専門とする技能の土台は発声です。発声の練習なら自宅でも自主的にできるし、専門学校に在籍しているだけで力が上がるわけではないので、なるほど、そのとおりでしょう。

今や、声優は「将来の夢」に必ずランクインするほど人気な職業になりました。なりたくてなる職業。夢叶って台本片手にスタジオに立てれば、それはそれは幸せですよね。

ただ私がトレーニング教本に当たっていると、「声優になりたいと言っている人は多くても、そのために努力をする人はごくわずか」という逸話が目に飛び込んできたんですよ。おっ、と気に留めておいたら、「この本を読んだだけでは声優にはなれません」とか「本気で声優になりたい人だけに役立ちます」「トレーニングは毎日続けることに意義があります」などと志望者にくぎを刺す言葉があちらにもこちらにも。

ほほー、なるほどなぁ。私は思わずうなずいてしまいました。声優養成所の先生がそう言いたくもなるだろう人が、私の身近にいたからです。

声優志望の武さんの「挫折」

私の知人の知人である武さん(仮名)は、高校を出たばかりの声優志望。彼は毎シーズンアニメ番組をいくつも追いかけ、マンガイベントにコスプレ姿で参加するのを毎年楽しみにしているとか。そんなアニメ好きの武さんは、ずんぐりしたガタイからしたら意外なかわいくておもしろい声をしていたので、バイト先ではウケがよく、人気者になっていたということです。

ここまでの話なら、一生懸命夢を目指しているのかな、と思えますよね。ところが知人の話がもう少し進むと、私の印象は「あれっ?」と変わります。彼には、声優になるための努力をしている形跡がまったくないのです。

武さんは、高校時代は演劇部ではなく、サッカー部だったそう。いや、サッカー部ではダメということではないんですけど、学校の演劇部や放送部は声優になるためのトレーニングができる立派なチャンスです。せっかくのチャンスを、みすみす逃しているような……。

もちろん、練習の機会は部活だけではありません。次の項でしっかり説明しますが、声優とは技術だけがモノを言う職業。ひとりでもできることはたくさんあり、そうしてみがかれた技術さえあれば夢はぐんと近づきます。教本によれば声優になるきっかけや方法はさまざまで、道は数えきれないといいます。にもかかわらず、武さんには自主トレをしている様子はありません。声優養成所の試験を受けた、といった夢へのアクションもなし。

武さんは本気だったらしいです。だけど、練習しない、行動しないでは、誰が見たって声優にはなりようがないじゃないですか。

武さんの自信の根拠はおもしろい声にあったようなのですが、トレーニング本にはちゃーんと「最近は面白い声、変わった声であれば、すぐにでも声優になれると誤解している人が増えているようです」と書いてあります。さすがは新人養成機関で四苦八苦している講師の方々。図星です。

もったいない挫折感―武さんのその後

武さんがその後どうなったのか、続きをお話ししましょう。彼はバイト先で後味悪いトラブルに見舞われたそうで、同僚とさんざんもめた末、苦々しく辞めていき、次の仕事が決まったからと遠い土地へ引っ越して、声優の夢をあきらめたそうです。

「声優になりたかったのになれなかった」「夢が叶わなかった」と町に背を向け、去っていった武さん。

しかし私にいわせれば、「本当になる気あったの?」と言いたいのです。話に無理があるからです。発声すらできていないのだから、たとえアフレコスタジオに入ったところで彼にできることは何もない。スクリーンやマイクを前にしてもボーゼンと突っ立っているしかなく、邪魔者としてけむたがられる武さんのちぢこまった姿が目に浮かんでくるようです。コスプレ姿でうろうろしていればどこからともなくプロダクションの人が近寄ってきて、すぐにでもスポットライトをあびられると本気で信じていたのだとしたら、私は理解に苦しむというか、理解できません。夢にやぶれたというけれど、客観的にみれば、最初からわかりきった結果なんですよね。

武さんの挫折感やみじめな気持ちは、自分の将来を冷静に考えさえすれば、味わわなくてすむはずでした。こんなことで心に暗い影を落としてしまうのはもったいない。武さんは、もっと明るく生きていけたはずなのです。

教本を読んでいると、武さんのような声優志望者は最近どんどん増えていて、養成所の先生を悩ませているようです。

自分は果たして本気になれるか。努力を重ねてプロの技術を身につけようと思えるか。声優を選ぶにせよ別の職業へ進むにせよ、自分の将来を真剣に合理的に考えるのは、幸せな人生への第一歩だと思います。

声優という職業への誤解を解く

声優になるため今からできることとして、私は「声優とはどういう職業なのか」を理解することを一番に勧めます。

「なぁんだ、そんなのとうに知ってるよ」とページを去ろうとしたそこのあなた、ちょっと待って! ほんとのほんとに、どういう職業なのか分かっていますか?

冒頭で「志望者と養成機関の先生との間にみぞができている」と言いましたが、そんな苦々しい場面は元をただせば、声優という職業への「誤解」から生じているとみえます。武さんのケースといい、近年、声優はもっとも誤解の多い職業と言っても過言でないかもしれません。

というのも、ここ数十年で声優ほどイメージが変化した職業はないんですよね。

その昔、声優はザ・裏方の地味な職業でした。しかし私が中学のころにはもう、声優さんのファンだという子がクラスに現れていたのを覚えています。「声優……ってなに?」――私は新世界の地平を見たような気分になったし、当時はまだ声優のラジオにハマっているなんていったら変わった趣味を持った個性的な子という感じでした。それがいまや、声優のファンなんてめずらしくもなんともないんですよね。アニメソングを歌ってヒットチャートにランクインしたり、ユニットを組んでライブをやったりと、声優は華々しいポップスターへと変貌をとげたのです。

みんなのあこがれ、声優さん。ただ、あこがれの職業になった分、イメージ先行というか、ファンタジーがまとわりついて実態がぼやけてしまったのが現状であるようです。

そもそも声優とは?

養成所や専門学校へ入る前にもできること、学んでおけることはたくさんあります。ここでは、養成機関の先生にガミガミ言われるとカドが立つ「そもそも声優とは」の部分をわかりやすく説明してみようと思います。声優は演技力が命。せっかくなので「自動車メーカーの宣伝担当者」の役になりきって考えてみようではありませんか。

あなたは自動車メーカーの広告部で働く中堅社員。社が満を持して新モデルの高級車を発売する今シーズン、あなたは上司からテレビCMの製作をまかされました。

さて、この仕事、あなたはどんな手順で進めますか?

テレビCMなのだから、なにより映像がなければ話になりませんよね。だけど、事務仕事のあなたには映像を撮るなんてできっこない。そこであなたはプロの映像業者を呼び、商品のイメージや予算を伝え、車をカッコよく見せる映像の製作を依頼するのです。それから、音楽。高級でハードボイルドな雰囲気が出るBGMがいるなぁ……これはプロの作曲家にお願い、と。あとは、車の高性能ぶりを言葉で説明して、CMを見た人が「うわぁ、かっこいい。ほしい!」と思ってくれるような声をつけなければ……声のプロって誰だろう?

ここで白羽の矢が立つのが「声優」です。

世の中に、聞きとりやすく、わかりやすく、自動車なり何なりのイメージを体現する声が求められる場があるから、声優という職業は生まれたのです。

つまりこの意味で、声優は「声の技術を提供する」のが仕事の、高度な「技術専門職」なんですよね。「技術専門職」にあたるほかの職業をいくつか挙げるなら……

声優など技術専門職に入る職業の図
声優はこの仲間に入る!

「ガガーン!」と効果音付きで衝撃を受けたなら、それは幸運なことだし、私としても人の役に立つ良い記事を執筆できて何よりです。最近は声優といえば歌ったりラジオ番組に出たりと「表」での活躍が目立ちますが、根本的には堅くて地味な、職人気質の職業なんですね。

たとえばあなたが部屋にエアコンを取り付けたい時、自分ではできないから電気工事屋さんを呼ぶのと同じように、プロの声が必要な場に声優は呼ばれます。

なので、声のプロとしてさまざまな現場で求められる技術を身につけなければ、声優にはなりようがありません。おもしろい声をしているだけではなれないのは、こういう理由によるのです。

先ほどは自動車メーカーのCMを例にしましたが、調味料のCM、銀行のCM、クイズ番組や深刻なドキュメンタリーのナレーションなんかも全部そうだし、私が持っているアコギの教材DVDのナレーション、町で流れている案内のアナウンス、企業の電話の自動音声、会合の司会、……私は教本を読んでから意識して世界を見渡したのですが、「声」が求められている場はあっちにもこっちにも、驚くほどたくさん見つかります。

配線や工具の使い方を勉強すれば電気工事屋さんになれない理由がないのと同じように、こんなに仕事場があるのだから、それぞれの現場で提供できる声の技術を身に付ければ、声優にはなれるでしょう。一度きりの人生、仕事選びは大事ですよね。「よし、やるぞ」と、あなたは思いましたか?

声優の「位置づけ」をきちんと理解する

以上に関連して、私は今から自宅でできることとして、アフレコなどの現場における声優の「位置づけ」を正確に理解することをすすめたいと思います。

「だーかーら、声優の仕事くらいわかってるよ!」とけむたがったそこのあなた。ほんとの、ほんとに、「正確に」わかっているでしょうか?

なぜ私がこう言うかというと、世の中には声優の専門学校へ入学してから「思ってたのと違う……」と一種の幻滅を感じ、夢がしぼんでしまう人がけっこういるらしいんですよね。まぁ進路変更というのもひとつの決断、人生経験ではあるのですが、あらかじめよく調べておけば若い時代をもっとずっと有意義に使えたはず。お金も時間も惜しいじゃないですか。

あるいは、教本を読んでいると、新人声優がアニメのアフレコ現場で「○○はこんなこと言わないと思う」「展開がこうなったほうがおもしろいのに」などと主張して周囲とトラブルになることがあるとか……。こうして人間関係に亀裂が入り、アフレコ現場で信頼を失ったなら、夢叶って早々、声優を辞める方向に押し流されかねません。

人生に大きな影響をおよぼす仕事選び。こんな苦々しい事態には陥りたくないですよね?

声優になるため事前にできることは、なにも「練習」の系統だけではありません。ここでは、声優志望者が仕事現場での「位置づけ」を今から勉強できるよう、養成機関の人たちが説明に苦慮している部分を私から解説してみようと思います。

アフレコ現場での立場

さて今度は、あなたがめでたく声優になったとしましょう。あなたは学園和風ファンタジーアニメ『放課後陰陽譚』で、主人公の仲間・賢吾の役に大抜擢されました。あなたがスタジオのドアをくぐり、台本片手にマイクの前に立った、その場面を想像してみてください。

レコーディングスタジオのウインドスクリーン付きプロ用コンデンサーマイク
スタジオのプロ用マイク。夢を現実にするには、夢が叶った自分をイメージするのはとても大事!

この状況は、あなたは『放課後陰陽譚』という作品全体の中で「賢吾の声」という1パートを受け持っている、ということを意味しています。アニメは集団制作。分業体制でつくられます。あなたは「賢吾の声」については誰よりも熟達したスペシャリストですが、他の役はいわば「専門外」。別の声優が主人公のパートを担当し、ほかにも担任の先生役、主人公のお母さん役、名前のない町の人の役……とすべての役の声がそろってはじめて、『放課後陰陽譚』という作品の「声」パートが完成します。

さらにアニメ全体を視野に入れれば、その「声」パートも小さな部品にすぎません。番組の企画者や監督が世界観やストーリーをつくり、具体的なセリフを書いたのは脚本家、絵はアニメーター、声の録音にはレコーディングエンジニア……と、各分野のスペシャリストがそれぞれ小さな仕事を担当して、それらが全部合わさってようやく『放課後陰陽譚』が完成するのです。

声優は、こうした分業体制のうちの、「声」部門の、そのまた1つの役を受け持つスペシャリストです。今度アニメを観る時はオープニングテーマでノリノリというだけでなく、そう意識してスタッフロールを追ってみるといいでしょう。自分の役の声以外はすべて、何百人にものぼる他の人が担当するのです。キャラ設定やストーリー、セリフ、どんな演技をするかなどといったことは他のスペシャリストによってあらかじめ決められていて、台本通り、スタッフに求められた通りに声の技術を提供する。それが声優の仕事であり、アフレコ現場での「位置づけ」です。

アフレコ現場でセリフやストーリーに「提案」をする新人声優がいるそうですが、それはたとえるなら、あなたの家にベテランと若手新人2人組のエアコン工事屋さんがやって来て、新人が「エアコンはここじゃなくてあっちの部屋につけるべきです」とか「室外機のホースは赤にしましょうよ」などと言い出したようなもの。……いや、だからこの部屋に付けてくれって言ってるのに! しかもそんな突飛なホースじゃなくて普通にやってほしいんですけど! 若い工事屋さんは自分なりの考えでよかれと思ってそう提案したのかもしれませんが、依頼人であるあなたにしてみればそんな勝手は困りますよね? ベテランさんのほうも「いやーお客さん、うちの若いのがスミマセン。今度きつーく言っときますから」と頭を下げるでしょう。こんなもめごとをしている間に作業が遅れ、2人は次の現場に遅刻してしまうかもしれません。

以上からわかるのは、声優というのは自由に自己主張をする職種ではなく、台本通り、求められた通りに働くのが基本かつ華であるということです。

もし声優に「アニメを作る仕事」というような「クリエイティブ」なイメージを抱いていたなら、実際の位置づけには不自由に感じて「思ってたのと違う……」と幻滅するでしょう。

また、アニメの内容に口出しした新人声優が「進行のじゃまをした」として大目玉をくらうのは、スタッフに作品への理解がないからでも、マネージャーが彼の個性を否定しているからでも、人格をないがしろにしているからでもありません。エアコン工事屋さんにとってコードやホースを目立たせないほど熟練のいい仕事であるのと同じく、声優は自己主張しない、いぶし銀の技術職。私がこう説明すれば、その新人声優も自分がしたことの突飛さにハッと気づくのではないでしょうか。

本当に希望に合った仕事はどれ?

……どうでしょう。「自分のやりたいことは、声優じゃなかったのかも……」というおそろしい考えが頭をよぎった読者はいますかね?

読者を動揺させるだけさせて筆を置くのは完ぺきな仕事とはいえないので、以下では本当の希望に合った他の職業を提案してみます。

まず、好きな声優さんがライブをひらいたりユニットを組んで踊ったりする姿にあこがれた、という人は、素直に「歌手」をめざすのが合っているでしょう。歌やライブは声優本来の活動ではないので、志望を「声優」に定めれば、やりたいことからズレてしまうからです。

「1パートだけなんてちっぽけだ、ストーリーの舵取りをしたい」などと感じた人は、「役者」ではなく、作品全体を統括する仕事が合っています。アニメ関係なら「映画監督」やテレビ局の企画部署、演技にかかわる分野なら劇の「脚本家」や「演出家」などがそれに該当します。興味関心レーダーの範囲を広げて模索すれば、自分に合った職業がいくつもヒットしてくるでしょう。

声優の「位置づけ」を正確に理解したうえで、「自分はそれをやっていきたいだろうか?」と考える。それが無用な幻滅やトラブルを避けて、自分が本当にやりたい仕事をするためのポイントだと思います。

アイデアの電球と3本の青い矢印
まずは誤解を解いて、スッキリ正しく理解すること。そのまま声優への道を進むにせよ、希望を変えるにせよ、スマートな進路選択ができる。

努力して身につけたプロの声で、集団制作の1パートを受け持ち、作品全体の完成に貢献する。その誇りと喜びはかけがえないものにちがいなく、私はすばらしい職業だと思いますが、あなたはどうですか?

アニメ以外は気がすすまない?

はじめに紹介した知人の知人・武さんもそうでしたが、声優志望の動機といえばやっぱり「大好きなアニメにたずさわりたい」という思いなんですよね。

「アニメ以外には興味がない」という志望者が最近はどんどん増えているようで、教本をめくっていると、養成機関ではどうやったら声優本来の仕事を理解してもらえるか、手を焼いている様子が目に浮かんできます。Q&Aにも「アニメ声優志望です。アニメ関係の仕事はしたいのですが、舞台演劇には興味がありません」なんていうクエスチョンがつくってあったり……。

アニメのアフレコのイメージが強い声優ですが、実際には洋画の吹き替え、テレビ番組のナレーション、CMの声、アナウンス、司会など、声をつかったあらゆる仕事をしています。

あなたが声優になりたいと思ったきっかけが「アニメが好きだから」であるなら、それは少しも否定しません。仕事というのはある程度好きなことでなければ続かないし、成果も上がらないのは事実だからです。

ただ「職業選び」という観点で見るなら、アニメのアフレコ以外はやりたくない、やれと言われたら嫌悪感を覚えるという人にとっては、アニメは趣味にとどめておいたほうが幸せな選択である可能性が高い。なぜなら、アフレコ以外やりたくないということ自体、声優への誤解がベースになっているからです。アナウンスや舞台演劇などの仕事も「やってみよう!」と思えるか。後悔しないためにも、将来のことは事実に基づいてしっかり考えたいですね。

演劇は楽しくておもしろい

先のQ&Aにみられるように、新人を養成する側がとりわけ頭を悩ませているのは、最近の声優志望者の多くが舞台演劇に興味をもっていないことらしいんですよね。

先生が「演技の基本なんだからやりなさい」と強制して、生徒は「アニメが第一希望なのになー」と不満を胸にくすぶらせながら重い腰を上げる。

このギャップを埋めるには、やはり「声優は技術専門職である」という正しい理解が助けになるはずです。その解説は上でたっぷり書きました。

もう一点加えておくと、私からすれば、演劇は「しょうがないか」とため息をつきながらではなく、すすんで楽しくやる価値があると思うんですけど……いかがでしょう?

私の学園生活をふりかえってみると、高校にも、大学にも演劇がらみの伝統があったんですよね。高校の文化祭は「全クラス演劇をやる」と昔から決まっていて、進学先の大学は演劇の研究がさかんだったのです。私自身はノータッチだったんですけど、明治以降、若い人たちが近代演劇のおもしろさに心を奪われた、その息吹は肌で感じてきました。

演劇の登場人物はみな、個性と役割がハッキリ分けられています。今風の言葉で言うなら「全キャラ、キャラが濃い」といった感じでしょうか。そんな濃いキャラ同士が舞台上でかかわり合い、ぶつかり合って織りなす人間ドラマは、人間関係や人生がうんと凝縮されていて、観た人の心をゆさぶり豊かにしてくれる。

演じる側にとっては、舞台の上をかけずりまわり、全身でアクションし、全霊で喜怒哀楽を体現し、いちばん後ろの席まで届く声を出す「演技」という身体表現は解放的で刺激的です。

舞台の上の役者たちと拍手する観客
衣装に身をつつみ、舞台を駆ける役者からは人間の生がほとばしる。観客は大興奮、カーテンコールで拍手喝采!(patrimonio © 123RF.com)

声優になりたい人なら、「先生にやれと言われたからしぶしぶ」ではなく、「ぜひやりたい!」と思える魅力が演劇にはあると思います。職業への理解を兼ねて、食わず嫌いせず、Q&Aの回答通り「一度観にいってはどうでしょうか」。

ナレーションなんて地味、と感じるなら

声優は、声の技術者として、顔も名前も出ないナレーションやアナウンスの仕事もたくさんしています。

歌ったり踊ったりする声優にあこがれた最近の志望者には、それらは華やかなステージからかけ離れた、ひなびた仕事のように感じられるようですね。

でも私の目には、そういった渋い仕事は下積みのつらい仕事とは映りません。

努力して身につけた専門的な技術を提供して、人の役に立ち、代金をもらう。カッコイイじゃないですか! 「今日はいい仕事したなぁ!」と、夕日に向かってうんと背伸びできると思いますよ。

これが発声のすべて

それでは声優になりたいみなさんお待ちかね。自宅で今からできる声優トレーニングを、全部まとめてリストにしました。

  1. 基礎体力をきたえる(有酸素運動で心肺機能を高めれば、息が長く続き声量もアップする。これは実証済み! 腹式呼吸を支える腹筋も大事。)
  2. 呼吸法(とくに腹式呼吸。)
  3. 正しい姿勢(演技であれ音楽であれ、発声のかなめは姿勢です。以上3点の自宅トレーニング方法は、こちらでまとめました)
  4. 声質を変える練習(これだけは声優ならでは。裏声などをつかって、自分の役が赤ちゃんでも天使でもコンピューターでも演じられるよう声質のバリエーションを増やさなければなりません。発声の基礎ができていないとのどをつぶしかねないので、細心の注意を。)
  5. アクセント(たとえば「橋」と「箸」。「アクセント辞典」で日本語の全単語を調べられます。プロも必携のアイテムで、なかには辞書をまるごと暗記した声優もいるとか!)
  6. イントネーション(たとえば同じ「なんで」でも、「なんで?(⤴)」なら疑問、「なんで(↘)」なら怒りを表す。)
  7. プロミネンス(文の中で特に重要な部分を強調する。)
  8. 滑舌(早口言葉で練習。有名な教材が「外郎(ういろう)売り」という落語のような小話です)
  9. フレージング(区切りのこと。文のどこで「、」を打つかで強調される箇所が変わってきたりする)
  10. ポーズ(音声が一瞬途切れた「間」のこと。壇上でしゃべる人が言葉につまると会場がサーッとしらけて気まずくなるため、「間は魔である」と恐れられている。逆に「間」をうまく利用できれば、たとえばすごく言いにくいことを慎重に切り出すとか、微妙な感情を表現することができる。)
  11. リズム(役柄や作風に合っていて、さらに聞きやすく心地よい速さや流れをつくる。)

声優の技能を言葉で説明するなら、これですべてと言い切れると思います。

「そんなバカな、こんな短いリストで全部? なら何で専門学校とか養成所があるんだよ?」と鼻を鳴らしたそこのあなた。言い直しましょうか、これがすべてで、それぞれを際限なく深めたのがプロレベルの技術、という意味です。

発声のかなめ・正しい姿勢はもちろん声優トレーニングの教本でもしっかり解説されていますが、ここは「実技」たる演技の世界。ただまっすぐ立つだけのことが、実はいちばん深いかもしれませんよ? 私は演技ではなく音楽の発声を続けてきたのですが、自主トレ15年にして初めて「生まれて初めて二足歩行ができた!」と思える日が来たものでした。

教本をめくっていると、自主トレに励んでいる人のなかには「新しい教本を買ったけど、前のと同じ内容ばかりで期待外れだった」と不満をぶつける人がいるようですね。あるいは、声優の専門学校に入っただけで「このままいけば声優になれる」と信じ込んでしまったりとか。

演技の教本では、「練習法は自分で工夫して」とか「読みたいものを見つけて」などと書いてあるのがよく目につきます。私なんかは「演劇人の自由人スピリットすごいなー」と思わずほほえんでしまいましたが、役者というのは、数を無限にこなして、自分にできる演技の引き出しが多ければ多いほどいい、という世界なのでしょう。

技能を学ぶのだから信頼できるテキストは最低一冊必要ですが、その信頼とは「この本さえ読めば」という絶対性のことではないし、養成所や専門学校を探すにせよ、「どこかに秘伝の練習法があってそれをこなしさえすれば演技力がつく」とかそういうことではないんですね。

目指すのがどんな職業でも、自分ひとりでその道を進んでいくうちに「ステップアップするためには誰かプロにみてもらわなければ」という時が来ます。声優の養成所は、何を克服しどこを伸ばせばいいかをプロに見抜いて指摘してもらい、アニメ絵に口を合わせるなど技能を仕事の現場で使えるよう整え、そして演技の場数を何千何万こなすためにあるといっていいでしょう。

Next Levelへの階段を上がる人
夢へのステップを自力で上がっていくと、レベルアップするため、プロの目をもつ良き指導者にみてもらいたい時がくる。

演技の追求には果てがありません。プロ中のプロでもずっと研究だというし、それが声優の魅力なんだと思いますよ。

なんでこんな話を書いたかというと

では最後に、筆者の私は何者なのか、すべてを種明かしするとしましょうか。

私は、小説や評論を書くための資料として、演技や声優のトレーニング教本に当たっていました。

私は大学で児童虐待への法的対応を研究していました。親から虐待されていた人、あるいは暴力ではないにせよ人間関係が病んでいる家庭で育った人は、心の成長をさまたげられ、大人になってもなお深い傷に苦しんでいます。こういうつらい経験をかかえた人が心の呪縛から自分を解放するには、なんといっても自己表現、アートがよく効きます。そして、自分を表現するアクティビティのひとつとして、「演技」はしばしば挙げられている。私は、心に深手を負った人が自分の人生を取り戻す方法を探して世に伝えるため、「演じる」とは具体的にどういうことなのか調べていたのです。

そう、私自身は、声優とはなんの接点もないんですよ。

私にはなんのしがらみもない声優の世界。だからこそ、教本を読んでいて気づくことがいろいろありました。

声優の仕事を誤解していたせいで、無用な挫折を味わう人が増えていること。

最近の新人がアフレコをめちゃくちゃにしてしまう原因は、声優の位置づけへの誤解にあるということ。

最近の声優志望者が描く夢と養成機関との間に、深いみぞができてしまっていること。

こうした問題点を発見するうち、「先生が言わんとしていること、私なら説明できるんだけどな」という思いが頭をよぎりました。社会の仕組みや舞台芸術に関する知識を用いれば、声優という職業への誤解は氷解します。誤解がとければ、これから将来へ向かっていく若い人が進路を選ぶ大きな助けになるし、養成所やアフレコ現場を悩ませるトラブルも解決できるはず。

それが、私がこんな話を書いた理由です。

読者のみなさんが声優という職業を正しく理解し、自分に合った職業を選ぶため、そしてたった一度の人生をより幸せに生きていくために、この解説が役に立ったなら、ペンを生業とする者として何よりの幸いです。

今回のお話は、私の目にとまった「演技」という分野のキラリと光る特徴を3つ紹介して結ぶとしましょう。

まずは、私が調べていた「演じる」ことの心への効果です。大学の一般教養科目で演劇を座学した私には、「演技」が「自己表現」に入るというのは正直ピンときませんでした。役になりきることが、なんで自分を表現したことになるの? しかも役者は台本通り、求められた通りにやらなきゃいけない立場でしょ? 自分のことは話せないんだから、心の呪縛は解けないのでは?

せっかく趣味の音楽で長年培ってきた発声。教本片手に自分で演技のトレーニングに挑戦してみて、答えは見つかりました。演技ならではのおもしろさは「自分以外の人になれる」ことだ、と。

自分が演じるキャラクターは、自分とは別の人間です。役になりきるには、演じる役の考え方や生き方を理解しなければなりません。情熱的で短気な人が冷静沈着な外交官の思考をなぞったり、現代の大学生が両親が死んだあと田舎の数学教師になった明治時代の江戸っ子の人生を疑似体験したり、この私が何の脈絡もなく演劇部に打ち込む明るい高校生になってみたり。

このように、自分とは異なる性格、異なる生い立ち、異なる人生を体感・体験できるのは、歌でも絵でも文芸でもできない、演技ならではのおもしろさだと思います。役と向き合うことで、自分の性格、考え方や人生観、世界観は客観化されるんですよね。たとえ過去につらい経験があっても、それは世界のすべてではないことを、演技しながら実感できる。

なるほど、これをやってみれば、心の呪縛から自由になれるはず。演技だけがもっている、心へのドラマチックな効能だと思いました。

演技という分野の「キラリ」二つ目。資料に当たっていくうち、私は「どんな役でも照明や大道具でも、本番が終わった時そこにいること自体がすごいこと」と話す演出家等をずいぶん見かけました。集団制作の芸術作品は、ひとりでも欠けたら完成しないんですね。その現場にたずさわってきた人たちの、キラリと光る素敵さです。

晴れて声優になったら、最初はアニメ出演といっても名前のない、たった一言の役かもしれません。報酬も切なくなるような額かもしれません。しかし、努力でみがいてきた声の技術を提供し、集団制作の「1パート」を受け持ったのはすごいこと、輝かしいことです。誇りに思ってください。

そして最後に、演技という世界で一番星のごとく輝いていたのは、「楽しんで続けることが大事」というポジティブな言葉です。

どんな職業であれ、夢を目指す道の途中では「本当に叶うだろうか」と悩んだり、弱気になったり、見えぬ未来を悲観する日はあるでしょう。

そんな時、まるで自分を罰するかの如く歯を食いしばって努力するのは、自分をがんじがらめにするばかりでことのほか功を奏しません。夢に近づくため勉強してでも身に付けるべき「能力」として浮上してくるのは、意外にも、楽しむこと、ラクに肩の力をぬくこと、そして何より、自分自身を大事にすることです。大好きな演技をずっと続けていくため、気をラクにして歩んでいってください。応援しています!

一度きりの人生、どう生きたって最後は終わる人生。楽しみながら、自己表現を続けていきたいですね。

関連記事・トレーニング教本リンク

基礎から始める声優トレーニングブック – この記事執筆にあたってもっとも参考にした、声優特化のテキストです。監修は俳優・声優の養成機関「松涛アクターズギムナジウム」。娯楽読本ではなく本格的な、だけど目にも楽しいトレーニング教本です。

はじめての声優トレーニング 声のテクニック編 – 同じく松涛アクターズギムナジウム監修で、こちらはCD付き。「間」の説明がくわしいです。演技の世界のポジティブなカラーが素敵ですね。私はほかにも「演劇」のテキストをいろいろ読みました。

著者・日夏梢プロフィール||X(旧Twitter)MastodonYouTubeOFUSEではブログ更新のお知らせ等していますので、フォローよろしくお願いします。

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