『最高の人生の見つけ方』あらすじ解説と感想―生き方を論ずること

『最高の人生の見つけ方』(原題:The Bucket List、ロブ・ライナー監督、2007年・米)は、まったく別の人生を送ってきた二人の男が半年の余命に臨む姿を、ややコミカルに明るく描いた作品です。ハリウッドの名優が共演したことも呼び水となって、アメリカで週末の全米興行収入1位を獲得するなどヒットをとばし、世界中で広く親しまれています。今回は『最高の人生の見つけ方』のあらすじを解説し、感想などを綴っていこうと思います。(以下、結末までのネタバレを含みます。)

『最高の人生の見つけ方』あらすじ

晴れ渡ったヒマラヤを一人の男が登っている。人生の価値を理解するのは難しい。人によって意見は様々で、自分は「人生の価値が何で決まるのかについて誰かの考え方に影響を与えたか」だと思うが、少なくとも5月に亡くなったエドワード・コールは最期の日々で一生のすべてを成し遂げた、と回想している。

時をさかのぼること数か月。カーターは年季の入った黒人の自動車整備工だ。日々油まみれの職業柄とは似合わず博識な彼は、豊富な雑学知識を披露して同僚を楽しませていた。そんな時、妻のバージニアから電話が入る。病院での検査結果だった。

一方のエドワードは、自身の会社や15の病院を経営する白人の豪腕実業家だ。その病院が利益を優先して劣悪だと問題となり、公的な委員会に召喚されても横柄な態度ではねつけたが、その場で突然体調を崩し、自身の経営する病院にかつぎ込まれる。皮肉にも、委員会で「1室にベッドは2つで例外はなし」と主張したため個室に入れない。ここで相部屋になったのがカーターだった。

家族から愛され次々見舞いが来るカーターと、傲慢で人が近寄らず、秘書・トーマスにシェフの料理を運ばせるエドワード。対照的な人生を送ってきた二人だが、同じ治療を行う中でしだいに意気投合していく。身の上を少しずつ明かしていく二人。カーターは歴史学者になりたかったのだが、大学に入って間もなくバージニアが妊娠。黒人の若者がありつける仕事はろくになく、以来45年間、ひたすら家族を養うために自動車整備工として働いてきた。今では上の子二人は税理士とエンジニアになり、孫もいて、三番目の子は大学でバイオリンをやっているが、自分の復学は果たせずじまいになっていた。他方のエドワードは、結婚は4回したがいずれも続かず、ビジネスだけに生きてきた。医師の宣告は、二人とも余命は半年、長くて1年だった。

翌朝、エドワードは床に転がっていたカーターのメモ「The Bucket List(棺おけリスト)」を拾う。死ぬまでにやり遂げたいことをリストするというもので、大学の哲学の課題だったという。これはおもしろい、とのってきたエドワードは、まじめなカーターとは打って変わった派手なアクティビティを書き足していく。金はいくらでも出せるエドワード。初めて自分の時間を持つべく、大学病院に移って良い治療を受けるべきだという妻の提案を断るカーター。こうして二人は、残された時間と「棺おけリスト」を共有して旅に出たのだった。

「スカイダイビング」「タトゥーを彫る」「憧れの車GT350を運転する」と次々リストを叶えていく二人。だがフランスの豪邸に滞在中、バージニアがエドワードに電話してくる。夫を返してほしい、看護師として人の死は見てきたが生きている彼を失いたくはない、という。彼らしくもなくためらいながら「一度帰らないか」と切り出すエドワード。しかしカーターにその気はなく、子どもたちが巣立って妻と二人に戻ってから何かを失ってしまった、と複雑な内心を静かにつぶやくのだった。

秘書トーマスが手配したスケジュールでアフリカを巡り、エジプトで「ピラミッドを見る」を達成すると、カーターは持ち前の知識で古代エジプトの「天国の門」の言い伝えを語ってみせる。死した人は、天国の門の前で神々から2つの質問を受ける。その質問とは「人生の喜びを見つけたか」そして「人に喜びを与えたか」だ。エドワードは、2つ目の質問に難しい顔をする。じつは彼には娘・エミリーがいるのだが、野心家なボーイフレンドを一目見て何かがひっかかったので結婚に反対。やがてエミリーが殴られるようになったので、娘を守るため人を雇って男を追い払ったが、それで嫌われ、以来一度も会っていない。娘に嫌われたことで天国に入れないなら「仕方ない」と答えるしかない、という。

彼らが次に訪ねたのはインドのタージマハルだった。霊廟を前に、カーターは、死後は火葬され、コーヒー豆の空き缶に入れられ眺めのいい場所に置かれたいと語った。

一行は万里の長城、さらにエベレストを訪ねるが、世界一高い山頂を覆い隠す悪天候と重なるように、二人には齟齬が生じ始める。香港では、エドワードがよかれと思って浮気相手を手配したことにカーターが激怒。それまでと一転して、家に帰ると言い出した。アメリカに戻ったはいいが、今度はカーターがよかれと思ってエミリーの家に車を寄せたことでエドワードがかんかんに。「棺おけリスト」を破り捨てて走り去る。こうして二人の旅は破綻し、終わりを告げたのだった。

再び家族に囲まれ、にぎやかな夕食を楽しむカーターだったが、幸せはつかの間だった。家で倒れ、もといた病院に搬送される。エドワードに残した手紙には、あのような形で旅が終わったのはすまなかったが、ああして旅をしたことで夫に戻れたことには感謝しており、お礼の代わりに君にも人生の喜びを見つけてほしい、と記されていた。病院で再開した二人は、エドワード愛飲の最高級コーヒー「コピ・ルアク」の裏話を笑い飛ばして和解。孤独だった彼はぎこちなく娘に会いに行き、愛らしい孫娘と初対面してキスしたが、時同じく、カーターは帰らぬ人となった。黒人が多く集まる場違いな教会で、エドワードは、カーター最後の数ヶ月は自分にとって最高な時間だった、自分は彼に救われた、「天国の門」の前では彼に人生の喜びを見つけた証人としていてほしいと、亡き親友に惜しみない賛辞を贈ったのだった。

冬が過ぎ、晴れ渡ったヒマラヤ連峰。トーマスは頂上にたどり着くと、埋めてあったコーヒーの空き缶にもう一つ同じ缶を並べ、「棺おけリスト」のメモを添えた。リストで最後まで残っていた「荘厳な景色」を臨める埋葬場所だ。人生の価値が何で決まるのかはやはり難しいが、エドワードは最期に心を開いて死んでいったと回想すると、トーマスは満足そうに去っていったのだった。

解説と感想―生き方を論ずること

「生き方を論ずること」は私にとって執筆活動全体に通じるテーマなのですが、映画『最高の人生の見つけ方』はまさにそれを扱った作品でした。また本作の知名度は世界規模で驚くほど高く、「みんなが知ってる映画」といった感じで会話のタネになったりするので、とりあえず見ておいてよかったなと思う作品でもあります。

そんな人気作である本作の面白さは、まったく異なる2つの人生を並行して見ていけることはもちろんですが、私にはアメリカの社会的背景がチラチラ見え隠れするのも興味深かったりしました。以下ではそうしたポイントごとに感想を書いていこうと思います。

まったく異なる人生の対比と化学反応

『最高の人生の見つけ方』という作品の魅力といったら、まず挙がるのは対照的な二人の名コンビぶりでしょう。

カーターの博識ぶりとエドワードの巨万の富が絡み合ってはじめて動くストーリー。フィクションとして構造がしっかり、魅力的に作られているのですが、名コンビぶりという点ではなかなか現実的でもあります。というのも、人間関係は奥深い。同族嫌悪という言葉がある通り、似た人同士だと細かい違いが気に入らなかったり、見栄の張り合いが生じたりして案外うまくいかなかったりするかたわら、全然違うタイプの人の組み合わせが不思議とガッチリかみ合うことって実際あるじゃないですか。互いに欠点を補い、新しい視点や価値観を示し合うことで、それぞれの成長につながっていく。人間関係は、こうした化学反応が起こるとおもしろくなるものです。

ただ、私がラストまで見ての感想は、せっかく対照的な二人を描いたにもかかわらず、作品全体として「カーターのような人生が幸せだ」というほうに傾きすぎているなということでした。

生き方を論ずるには、多様な価値観、様々な生の在り方を知って視野を広げることが重要です。なので「人生の喜びは家族に愛されることだ」という価値観だけに偏っていくなら窮屈さは否めません。この作品はいわば「試論」のようなフィクションですが、結論は最初から決められてしまっているきらいがあり、二人の化学反応から新しい視点や価値観が生まれていくという発展性がほとんどないことには「本当にこれでよかったの?」というのが率直な感想でした。

ただこの点は、スタッフクレジットをみていくと、ちょっと違った意味で納得だったりします。

有名人ぞろいの制作陣!

『最高の人生の見つけ方』の話題性と認知度に火をつけた大きな要因は、ジャック・ニコルソン、モーガン・フリーマンというハリウッドスター二人の共演でした。主演二人はもちろんなのですが、制作陣は有名人ぞろい。特に作風の面を咀嚼するには、監督の経歴が要注目です。

ライナー監督の経歴に思わず納得

ロブ・ライナー監督の代表作は、時に名作映画ランキングNo.1にまで挙がる『スタンド・バイ・ミー』なんですよ。同作は、個性や境遇の異なる少年たちがひと夏の小さな冒険に出る、回想で語られるロードムービーです。少年たちが線路の上を歩いているシーンが有名ですね。この『スタンド・バイ・ミー』は1986年の公開当初から非常に高い評価を受け、今日でも「青春ものの傑作」だとして名高く、ライナー監督が名匠と呼ばれる所以ともなっています。そんなライナー監督の経歴を知ってしまえば、個性や境遇が違う人が共に旅して自分探しをするストーリーといい、旅に同行していた秘書・トーマスによる回想形式といい、『最高の人生の見つけ方』は『スタンド・バイ・ミー』とよく重なるのです。

「ロードムービーの監督」が撮ったとなれば、コミカルと見せかけて思いのほかシリアスな展開も、家族に囲まれ愛されるのが幸せだというやけにお堅い落としどころも納得でした。「これはライナー監督らしい作風なのだ」という意味においてです。(監督の思想的背景については、私の目が届く範囲からは情報が入っていません。)

この作品を鑑賞することは、おのずから「生き方探しをシリアスめなロードムービーで描く映画監督との対話」になっていくように思います。

キャストを名優ぞろいにする理由は?

つきつめていけば、『最高の人生の見つけ方』という作品は、登場人物やストーリー展開ではなく、「死ぬまでにやりたいことは何ですか?」という「棺おけリスト」の問い自体が意義であり、人々の感動をよぶのであって、誤解を恐れず強い言い方をするなら作品自体はからっぽなんですよね。(なので私は日本語タイトルは直訳『棺おけリスト』でよかったのではと思っていますが。)無名の役者がいくら上手に演じたとしても作品は月並み止まりで、世の話題をさらうことができず、すでにファンがついている有名人が出演しなければキャッチーにならないんだろうな、と思います。

「死ぬまでにやりたいことは何ですか?」という問いが作品の意義だ、というなかなかめずらしい作風を体現するのは、本作の意外性ナンバーワン、秘書のトーマスでしょう。隠れた主役というべきトーマスについてはまた後ほど綴ります。

日本版リメイクも有名人ぞろい

そんな本作ですが、なんと日本で人物と設定総取り替えのリメイク作が作られているんですよ。

この「日本版・最高の人生の見つけ方」もキャストは有名人ぞろい。主人公の家族第一に生きてきた主婦・幸枝役は戦後昭和の男性に熱狂的ファン層を抱える女優・吉永小百合で、その相方となる仕事一筋の社長・マ子を演じた天海祐希は元宝塚トップ。他にも歌手の前川清やアイドルグループ・ももいろクローバーZなど、とにかく有名人てんこもりのキャスティングになっています。

ただ、この日本版は原作の表面的な部分をまねしただけで、中身は全くの別物です。こちらは以下で述べる通り、有名人ぞろいのキャスティングが裏目に出たともいえるでしょう。

日本版は骨抜き版―別物と化したリメイクのストーリー

というのも、リメイクされた日本版『最高の人生の見つけ方』のストーリー設定は、余命宣告を受けたコンビが、入院していた12歳の少女の「死ぬまでにやりたいこと」リストを偶然手に入れ、やっていくというものなんですよ。つまり、こともあろうに、肝心の「棺おけリスト」を主人公が自分では考えないのです。

原作版『最高の人生の見つけ方』は「棺おけに入るまでにやりたいことは何ですか」と自分に問う哲学を主題とした作品ですが、日本版リメイクはその哲学の箇所を取り除いてしまったのだからもはや骨抜き。原作との同一性は認められません。あのヒマラヤの青空に象徴される原作の高潔さは抜け落ちました。

死ぬまでにやりたいことをあれこれ考えるのは原作で一番おもしろい部分だったはず。なのになぜ、日本では一番おいしい部分がくりぬかれてしまったのでしょうか?

第一の原因は、作品の趣旨に見つかります。日本版リメイクは、要するに「人気女優にファンがうっとりするための映画」なんですよね。だったら制作者は、ファン層がうっとりいい気分になれるように作らなければなりません。芸術志向と反対のエンタメ作品のなかでも、その極に位置するのであって、趣旨からして普通の映画とは違うのです。見終わった人を考えさせる真剣な哲学はいらないし、どちらかといえば気分を害する可能性があるので除去しておいたほうがいいという結論になるでしょう。

ここで輪をかけるのが、想定観客の特殊な精神性です。女優・吉永小百合を「人間以上の存在」などと言って熱狂してきたのは、和製英語の“サラリーマン”をやってきた戦後昭和の高齢男性。経済成長を第一に掲げた戦後日本では、将来世代を企業に動員するため、自分で考える力やそれぞれの個性、価値観は軽視されました。そうした学校教育やプロパガンダの結果、戦後昭和世代の男性は「“サラリーマン”をやる」以外の人生観をもつことができず、それがいま、彼ら自身が定年退職後にアイデンティティを見失ったり、若い世代との衝突を生む原因となっています。吉永小百合のファン層は、国・社会の在り方によって作られた、世界史上で戦後の日本という時と場所にしか存在しない特殊な人間だといっていいでしょう。公式サイトの「プロダクションノート」には興味深い記述があります。

日本人のシニア層男女数千人規模のリサーチをしても、映画的なエピソードを作れる「かんおけリスト」のアイディアは見つからない。

そう、見る側の人々に自分の人生と向き合った経験がないのです。カーターの「赤の他人を助ける」みたいなまじめなこともなければ、「スカイダイビングに挑戦する」といったもっと楽しくハチャメチャなことも思い浮かばない。そういう人たちをうっとりいい気分にさせるためのエンタメ作品を作るのであれば、せっかくの「棺おけリスト」を書いてみるという哲学の課題にも深入りできず、表面をまねするだけにせざるを得ないでしょう。

日本版リメイク『最高の人生の見つけ方』は「人気女優にファンがうっとりするための映画」なので、吉永小百合の顔や姿を見てうっとりできない人は蚊帳の外、世界中で親しまれるような作品ではありませんが、”サラリーマン”の精神性を知る史料としては役に立つのではないでしょうか。

参考リンク:心の空洞と社会の空白を埋めた、会社への過剰適応

社会の条件と個人の人生はどうからむのか

さて、ハリウッドの原作に戻って、あと半年の余命と向き合いハチャメチャな旅をする名コンビですが、見る角度を少しずらしてみると、『最高の人生の見つけ方』という映画作品には「ある人の人生がどうなっていくかに社会の在り方がどうからむのか」という、扱いが非常に難しいテーマもチラリチラリと映っています。カーターとエドワードは、アメリカ社会において、本来出会うはずがない人々なんですよね。それが映画みたいな偶然によって知り合ったからドラマが始まるのです。

二人が病室で意気投合していく序盤のシーン、カーターの身の上話では、アメリカ社会に根付いてきた黒人差別がさりげなく言及されます。バージニアが妊娠したので家族を養おうとしたが、「黒人の若造では」いい仕事などなかった、と……。なんとかありついたのが自動車整備工の仕事ですが、歴史学者になりたかったという彼とはどう見たってカラーが合っていません。だけど他が見つからないから、45年間そのままになってしまい、彼本来の個性や能力はほとんど発揮できなかった。「黒人が差別の対象になっている」という社会の条件は、カーターの送ってきた人生や価値観、それからコーヒーの好みにまで確実に反映されています。しかしだからといって被差別属性が彼のすべてであるはずもなく、ガールフレンドとの間でこんな出来事がありましたという個人的な事情や、人柄明るく知的でエレガントな彼の個性、それとかち合う現実から生じる複雑な心情、さらにはラストの葬儀のシーン等からうかがえるアメリカの黒人文化――それらすべてを含めてカーターという人を形作っているのです。

他方、白人であるエドワードの人生は、黒人差別から影響を受けていません。「差別の対象になっている」という社会的条件がないので、その点では思うままに個性や能力を発揮し、精神的な重荷もなく、のびのび生きてきた人です。そんな彼は、あれはあれでアメリカの豪腕実業家の一つの典型なんですよね。スタートは無一文だけれど野心家で、お金持ちになるため起業、公益を損なうほどの利益優先経営を行い、性格は傲慢で嫌われ者。カーターと出会って初めて少し心を開いたとはいえ、「棺おけリスト」を破り捨てるシーンで怒鳴り散らしている通り、彼は長年の間にそういう人になったのだから、今さらカーターと同じになるはずがない。それは互いにそう。先ほどは、本作は「カーターのような人生が幸せだ」というほうに傾きすぎていると指摘しましたが、二人のキャラクター性や心情という点では、全く違う生を描くことに成功していると思います。

社会に差別があるとか、そのせいで恵まれない人生を送らざるを得ない人が出るというのは無論不当です。生まれによって人に不利な条件を押し付けることは許されない。フィクションである個人と社会の条件との関係を扱うのが非常に難しいのは、ほんの少しでも手がすべれば、まるで差別までどうしようもない、受け入れなければならないことのようなニュアンスをかもしてしまうからです。

しかし本作がそれをさらりと言ってのけたり、シーンの背景に映り込ませていたりするのは軽快で魅力的でした。人種差別は非常に複雑かつデリケートな問題ですが、世の中にはそんな語り方もある。雑多な現実の中でピントを「人生」に合わせたゆえ、それが可能になったといえるでしょう。

カーターとエドワードの「棺おけリスト」全項目

そんな名コンビが半年の余命で何をやったのかはやはり気になるところ。ここでは「棺おけリスト」の全項目と、提案したのはどちらか、誰がどうやって達成したのかをまとめてみました。

  1. 「荘厳な景色を見る」(カーターが最初に書いた)→トーマスにより二人がヒマラヤの山頂に埋葬されて達成
  2. 「赤の他人を助ける」(同上)→エドワードがカーターの葬儀で「赤の他人だった彼と過ごした数ヶ月は自分にとっても人生最高の時間で、彼に救われた」とスピーチする
  3. 「泣くほど笑い転げる」(同上)→カーターがエドワード愛飲の最高級コーヒー「コピ・ルアク」はジャコウネコが排せつしたものだと裏話を暴露して二人で大笑い
  4. 「GT350を運転する」(同上)→サーキットを訪ねてカーターが夢だったGT350を乗り回す
  5. 「スカイダイビング」(病室でメモを拾ったエドワードが追加)→旅に出て間もなく二人で挑戦
  6. 「銃をぶっ放す」(同上)→ライオン狩りに出てエドワードがやってみたが、一発でこりてやめた
  7. 「世界一の美女にキスする」(同上)→エドワードが孫の女の子と初対面した時に達成
  8. 「タトゥーを彫る」(同上)→旅に出て間もなくエドワードが腕にタトゥーを彫る
  9. 「ピラミッドを見る」(どちらの提案かは不明)→二人でピラミッドへ行って達成
  10. 「再会する」(旅先のレストランでエドワードに娘がいると知ったカーターが書き加えた)→カーターは旅から家族のもとへ帰り、エドワードは長年会っていなかった娘・エミリーを訪ねる

作中で直接言及されているのはこれだけですが、豪邸に滞在する、ライオンと戦う、万里の長城でバイクに乗る、シルクのスーツでくるみのアイスクリームを食べるなどもリストにあったとみられます。また「棺おけリスト」のメモが映ると「ストーンヘンジを訪ねる」「ローマを見る」など他にもいろいろ線で消されているので、実際には二人の旅はもっと長く、訪ねた場所も多かったようです。

隠れた主役、秘書トーマス

そんな「棺おけリスト」全項目の中で、ストーリーのキーとなるのは第一に書かれた「荘厳な景色を見る」ですが……傲慢な社長に付き従ういかにも遺産目当てな秘書が、まさかあんな好人物だったとは。本作中意外性ナンバーワンの秘書・トーマスは、物語の語り手という重要な役を担っていることが最後の最後で明かされます。

二人の旅といいますが、本当は二人ではなく三人なんですよね。トーマスは秘書として、陰ながらずっと同行している。世界の様々な場所を訪ねるたび、いちいち感じたこと、考えたことがあったはずです。人生の価値が何で決まるのかを自問自答していたのは、じつはトーマスだった。

そう思ってよくよく見れば、トーマスはあのワンマン社長に反対意見を述べていたりと、決してイエスマンではありません。おそらくエドワードからしても骨のある相手だったんだろうなと想像できます。またトーマスから見ても、彼には経営スキルだけでなく、人として興味をひかれる部分があったのでしょう。トーマスが最大の理解者であったことはまちがいなく、おそらくは傲慢な態度に隠された彼の良さを知っていた唯一の人物だったのだろうと、ヒマラヤの青空に心地よい余韻が残ります。

語り形式のストーリーにおいて、語り手となる登場人物はもう一人の主人公です。作品全体をとりまとめる役割を果たすのです。そのトーマスは、冒頭一番で自分の意見を述べています。かなり訳しにくいのですが、人生の価値は「人生の価値が何で決まるのかについて誰かの考え方に影響を与えたか」だと。語り手たるトーマスがそう言うのですから、これが『最高の人生の見つけ方』という作品の意義であり、主眼であり、全てだといえるでしょう。

本当の幕開け―私も「棺おけリスト」を考えてみた

この映画が本当に幕を開けるのは、見た人が「自分だったら『棺おけリスト』に何を書こうか」と考えた時ではないでしょうか。

さて、私だったら「棺おけリスト」には何を書こうか? 日ごろは死ぬまでにやりたいことなんてなかなか考えませんけど、ちょっとやり始めてみたらエドワードのように愉快になって、どんどんノッてきました。

私がリストの一番上、真っ先に書くのは、いま予定のある大きな作品を「5作完成させて世に送る」です。もっと小さな作品や、同じアイデアから派生したような作品だったら適宜作っては世に送っていくと思いますけど、自分の人生でこれだけは絶対にやり遂げたい。今後のアイデア次第では5作より増えることもあるかな? こうして見返すと、私の「棺おけリスト」には年単位で時間のかかることがけっこう出てくるんですよね。となれば時間配分が必要なので、私は余命があと何年あるのかを知りたい4%の人に入ります。

おっと、開放的な旅行もありますよ。世界に絶対行ってみたいところがいくつかあります。たとえば「パリを旅行する」「タヒチの海で魚と泳ぎ、お祭りで現地の音楽やダンスを体感する」「ミラノ・スカラ座で本場のイタリアオペラを観る」……音楽や芸術関係が多いかな? 新しい場所だけではなく、また行きたいところもあるし、私はなにせ興味の幅が広いのでこれからもっと積まれていくかもしれません。あと、一生のうちに5個くらいの国に住んでみたいな、などとも思います。「住む」といってもそんなおおげさな意味ではないんですけど、機会があったらホテルではなく現地でちょっと暮らしてみたい。うーん、漠然としてるかな?

こうしてあれこれ考えていくと、頭の中で具体的に描ききれないからペンが止まってしまうこともあるんですよね。世界で行ってみたいところといえば、私は南米・カリブ海地域の町では道を歩いているだけでいろいろな音楽を聞けるとうわさを耳にしたのでちょっと興味があるんですけど、だったらどこでどう、という具体性がない。住む場所とか暮らしについても漠然とした理想は頭の中で雲のようにふわふわしているんですけど、これもどこで、どんな、というのが決まりきらない。ある程度具体的に思い描けなければ、リストには書きようがありません。人生でやってみたいことは想像力を駆使してしっかり考えないといけない、というのも「棺おけリスト」が教えてくれることなのかもしれません。書ききれなかったことは今後の宿題にしておきます。

「棺おけリスト」を書くのは自分の人生に向き合うことである。と同時に、「やってみたいこと」を考えるのだから、心は自然と上を向きます。心を明るく、希望を湧かせるワークでもあるんだなと感じました。

しかも、リストに書くことは人それぞれ違います。たとえば私はスカイダイビングなんて絶対にごめんだし、なんで死ぬまでにスカイダイビングに挑戦してみたいのか、その感覚もわからない。また、私のリストは音楽や芸術関係のことにずいぶんかたよっているんですけど、食べ物とか、ゴージャスな体験とか、人間関係などに比重がある人もいるかもしれません。こんなふうに人それぞれの個性が表れるので、「棺おけリスト」は自己理解と他者理解にもつながるでしょう。

考えれば考えるほど興味深い「棺おけリスト」。あなたは人生が終わるまでに何をやってみたいですか?

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