『グレイテスト・ショーマン』あらすじと感想―現代に響く人間賛歌

『グレイテスト・ショーマン』(原題:The Greatest Showman、マイケル・グレイシー監督、米、2017年)は、19世紀アメリカの興行師・P・T・バーナムの半生を、サーカスの華やかな歌とダンスで描いたミュージカル映画です。主演は『レ・ミゼラブル』でジャン・ヴァルジャンの好演光ったヒュー・ジャックマン、そして作詞作曲は『ラ・ラ・ランド』の制作メンバーと、豪華な面々がそろったこの作品。世界でヒット作となり、劇中歌『This Is Me』はゴールデングローブ賞を受賞しました。今回は、私が客観的にも主観的にも名作に列している『グレイテスト・ショーマン』を紹介し、楽曲を含めて感想を綴りたいと思います。(以下、結末までのネタバレを含みます。)

『グレイテスト・ショーマン』あらすじ

19世紀のアメリカ。ショーは開演間近だった。座長の男は、団員らとともにステージへ駆け出すと、不可能が可能になる、望みがすべて叶う、身も心も満たされる、そんな世界が目の前だ、と開放的に歌い上げる。その男が心で見つめたのは、少年時代の自分自身だった。

フィニアス・バーナムは、金持ちから蔑まれる貧しい仕立て屋の息子だった。近所の屋敷に住む女の子・チャリティとは親しい仲だったが、彼女は強権的な父親によってもうすぐ花嫁学校に入れられてしまうという。フィニアスは、闇を抜けた先の世界、自分でデザインする未知の世界を夢見ていると、彼女を近くの古屋敷へ連れていった。朽ちたおもちゃやシャンデリアにランプをかざし、影絵にして見せるフィニアス。他人からどうかしていると馬鹿にされても彼は気にせず、頭には色とりどりの無数の夢があふれていた。その後、チャリティは花嫁学校に送られ、一方フィニアスは親を失い、路上生活の身になってしまうが、二人はずっと文通を続けた。スリや廃品回収で生きるフィニアスには危険がつきまとったが、ある日、同じく路上生活者とみられる顔のくずれた女性がリンゴを恵んでくれたのを忘れることはなかった。

やがてフィニアスは鉄道会社で何とか身を立て、大人になってチャリティを迎えに戻る。上流の生まれではないが娘さんを必ず幸せにする、と申し出るフィニアスに、チャリティの父親は貧乏暮らしに耐えかねて娘はすぐに帰ってくるだろうと冷たく当たった。しかしフィニアスとチャリティは、二人で作り出す世界を分かち合いたいと、新しい人生へ漕ぎ出したのであった。

数年後、フィニアスは妻と娘二人とつましいながら愛情あふれた家庭を築き、貿易会社で事務仕事にいそしんでいた。頭には画期的なアイデアがあったのだが、上司には受け入れられず、しかも貿易船が沈没して会社は倒産。チャリティはそんな不安定な生活を刺激的だと楽しんでいたのだが、フィニアスは彼女を幸せにできていないと自責の念を抱いていた。解雇のどさくさでフィニアスは船の登録証を持ち出し、担保にして銀行から融資を受ける。そして作り上げたのが、奇抜なものでいっぱいの「バーナムのアメリカ博物館」だ。だがチケットはさっぱり売れない。娘から、剥製やロウ人形ではなく生きているものを見せないと、と言われたのをきっかけに、フィニアスはかつて顔のくずれた女性から親切にされたことを思い出す。彼が訪ねたのは、肌の色や障害など、見た目のせいで社会から排斥された「ユニークな人」だった。家の奥に閉じこもっているが、本当は将軍にあこがれている小人症のチャールズ。歌がうまいのにヒゲがあるせいで人目をはばかる女性レティ。宣伝のかいあってうわさは広まり、空中ブランコができるアンとW・D兄妹、全身イレズミ男、多毛症の少年、太った男や見上げるほどの長身男など、これまで日陰を生きていた人が次々と集まってきた。初演のステージ。これまで自分に自身がなかった面々は、死んだ心をよみがえらせよう、目を開いて夢を見ようと、光り輝くステージで自分をめいっぱいに解放する。彼らのショーは芸術批評では低俗だとたたかれたが、観客からは拍手喝采を受け、人気になっていった。

こうして成功を収めたフィニアスは、上流階級の社交界に出入りできるようになり、子どものころ忍び込んだ屋敷を買い上げた。チャリティへのサプライズだ。バレエにあこがれていた娘・キャロラインは教室に通わせてあげられるようになった。ところが、キャロラインは踊りがうまかったにもかかわらず、生まれのせいで他の子らに馬鹿にされてしまう。フィニアスはショーに上流階級を呼び込みたいと奮起し、息苦しい上流社会に疲れた劇作家、フィリップ・カーライルと組むことに。上流育ちのフィリップは、コネで英国ヴィクトリア女王への謁見を叶えた。

バッキンガム宮殿のパーティーには、ヨーロッパ随一といわれるオペラ歌手、ジェニー・リンドが招待されていた。文化的に上流を体現する存在だ。これまで批評家たちから自分のショーを「偽物」だとさんざん批判されてきたフィニアスは、「一度は本物を見せたい」と大借金をしてジェニーのツアーを企画する。

ショーを通して団員たちが自分に誇りを持てるようになった一方で、フィニアスは上流に受け入れられようとするあまり、彼らから遠ざかっていく。ショーはフィリップにまかせ、家族を残してジェニーのツアー公演に出て行った。念願叶い、ジェニーの公演は芸術批評家から「本物」だと絶賛されたのだが、フィニアスの奇抜なアイデアを欠いたサーカスは客が減りつつあった。

ツアー途中でフィニアスが帰ろうとすると、ジェニーは自分も出し物にすぎなかったと怒り出す。そのころサーカスでは、「バーナムのサーカス」に抗議していた人々と団員らがとうとう乱闘に。フィニアスが駅の到着し、家族と抱き合っているころには放火され、建物は炎上していた。アンがいないと火の手が上がる建物に駆け込むフィリップ。フィリップを救助するため火の海に飛び込むフィニアス。危機一髪で全員助かったが、「バーナムのサーカス」は跡形もなく焼け落ちた。

翌朝、焼け跡に芸術批評家のベネットが訪ねてくる。彼は嘲笑しに訪れたのではなく、彼なりの賛辞とねぎらいを贈った。ショーは芸術ではないが、人々から人気を博しているのは事実である。肌の色や体形、大きさの違ういろいろな人を同じステージで平等に見せており、それは「人類の祝祭」と呼び得るものだ、と。

ジェニーの降板によって借金は返済できなくなり、しかもジェニーが舞台上で当てつけにした別れのキスは新聞にスキャンダルとして取り上げられた。チャリティは娘らを連れて親元に帰り、屋敷は銀行に差し押さえられる。こうしてフィニアスはすべてを失ったのだった。

そんな彼に手を差し伸べたのは、サーカスの団員たちだった。彼はペテン師かもしれないし、目的は金儲けかもしれないが、存在すら闇に隠されていた自分を救ってくれた、今ではサーカスが居場所だから取り戻したい、という。フィニアスは自分の原点に立ち返る。がれきの中に残ったものこそが「本物」であった。女王への謁見や政治家からの称賛は、他人の夢だった。これからは光に目をくらませないと誓い、チャリティを迎えに行くと「成功を求めすぎた」と謝った。

サーカスはどの銀行からも融資を受けられなかったが、フィリップが出してくれた貯金を使い、地価がタダ同然の波止場にテントを張って再開する。それは「世界最高のショー」だった。幕の途中、フィニアスはフィリップに座長のステッキを渡して娘のバレエの発表会に向かう。会場にはサーカスのゾウに乗って登場し、みなを驚かせたのだった。娘の一人はあこがれのプリマを、一人は木の役を楽しそうに演じている舞台を前に、フィニアスは目をうるませてつぶやいた。「すべての望みが叶う世界」が目の前に……と。

感想―現代に響く、本物の人間賛歌

私にとって『グレイテスト・ショーマン』は、客観的なレビューとして高い評価をつけており、個人的な感情においてもすごく好きな作品です。出来に納得できて、好きでもある、幸せいっぱいな本作。以下では、客観的な批評と、私が個人的に抱いた強い思い、その両方を書いていきたいと思います。

具体性からくる説得力

この話には説得力がある――『グレイテスト・ショーマン』は、見終わったときに思わずうなずける作品でした。これを「サクセスストーリー」だとか、「成功より大事なものを思い出す物語」だと言ってしまえば不足があります。

本作の特筆すべき点として、描き方が具体的なんですよね。主人公・フィニアスは、生まれは貧しい仕立て屋で、そのころ近所の金持ちから汚いもののように扱われていた。この生い立ちは世界中で彼だけのものです。また、想像の世界を膨らませ、驚きで人を楽しませようとするという彼個人の個性もあざやかですね。世の中には商業主義的に、結末をテンプレート化された感動話に落とし込んでいく作品が多くある中、『グレイテスト・ショーマン』はその逆で、主人公フィニアス・バーナムという人間個人にしっかりフォーカスできています。描き方が具体的だから、彼の言葉には説得力がある。説得力が感動を呼ぶ。そんな確かさがありました。

本作は実在の人物を主人公としたため「伝記映画」にジャンル分けされていることがあるのですが、見ていてそういう印象は受けません。描かれているテーマが「多様性」で、人類は「どんな世界をつくれるか」を打ち出す現代の物語だからです。私はほとんどフィクションとして見ていますし、実際、実話からは大幅に改変されているようです。一つの映画作品として独立性が強いですね。大元の題材として興行師、フィニアス・バーナムを採った、その選択が冴えていたように思います。

ハリウッドと一線を画する、強靭なアイデンティティ

私は、映画でも何でも、「作った人が自分なりにしっかり考えたのかどうか」をとても重要視しています。誰かのまねをしているだけの人は、たとえ国際政治や世界経済の専門家、はたまた芸術批評の重鎮になろうとも、鼻ばかり高い半端者で終わりです。逆に、たとえ小規模な創作物であっても、「自分はこうしたい」というビジョンがはっきりしていれば、作品には国境や文化を越えて愛される特別さが宿ります。「本物」とは自分なりにしっかり考えて作ったもののことであり、本物だけが普遍的な輝きを放つ――それが私の考えです。

そこをいくと、本作はアイデンティティのしっかりした作品でした。つくりが強靭で優れており、好感度も高いです。

ラストのラストに拍手喝采!

私が『グレイテスト・ショーマン』のストーリーで最も評価するのは、ラストで、フィニアスが娘のバレエの発表会にサーカスのゾウに乗って登場するシーンなんですよ。チャリティと娘らは大喜び、道行く人々からはどよめきが。驚くようなことをやっては人を楽しませるフィニアスらしさが全開です。彼が帰った場所は、単純に愛する家族ではなく、それを含めた自分らしさ、自分の夢なんですよね。

ハリウッド映画には「家族のもとに帰りました」という妙に「いい子」なテンプレートがありますが、本作はそれと明確に一線を画しています。しかも、それは単にアンチ・ハリウッドということではありません。ただ逆を行くだけではアイデンティティにならない。「自分」になれない。主人公のフィニアスが強烈な彼らしさを輝かせ、『グレイテスト・ショーマン』という作品全体が世界に一つだけの本作らしさを放っていたと思います。

見逃せないチャリティの人間性

19世紀という時代設定もあってストーリーへの関与はそれほど多くないのですが、チャリティのキャラクター設定はこれまたしっかりしています。彼女は、ただ抽象的に「愛する夫の帰りを望んでいる女性」ではありません。

私が「これはいい!」なとうなずいたのは、チャリティが社交界で上流階級の両親と再会した時に反発をみせるシーンでした。この人は、小さいころから活発な性格です。それゆえ、清楚でふわふわな水色ドレスが個人の個性を奪う、まるで工場のような上流人生をはっきりと嫌っているんですよね。だから、不安定ゆえ次々と新しいことが起こる冒険的な人生こそが、彼女にとって幸せだった。フィニアスに自分は幸せでこれ以上は望んでいないと再三言っている背景には、そういう具体的な理由があります。ただ漠然と「お金がなくても幸せです」と美辞麗句を言っているのではありません。

これだけしっかり作られた作品なら、世界中で愛されるのも納得です。『グレイテスト・ショーマン』は喝采に足る作品だと思います。

サーカスの舞台の華やかなミュージカルナンバー!

ミュージカル映画として音楽が重要な位置を占める本作、作詞作曲は音楽映画のヒット作『ラ・ラ・ランド』のメンバー、ベンジ・パセックとジャスティン・ポールです。ですが、その時の鈍いジャズを基調とした音楽性からは打って変わり、『グレイテスト・ショーマン』の音楽はビートのきいたミュージカルらしい楽曲群。幅の広さがうかがえます。キャストの歌唱は力量だけでなくそれぞれの個性が光っており、本作全体のテーマ性ともよく合っていました。

現代社会に響く『This Is Me』

本作はなんといっても、描いたテーマがタイムリーでした。現代人の心に響いたのは偶然ではないでしょう。

サーカスの団員たちは、人種や障害など、人とは違う見た目のせいで社会から排斥され、嫌われ、隠され、いわれなき恥に悩み苦しんできた人々です。

それが「もう見られることを恐れはしない、謝らない」と歌い上げる『This Is Me』は名曲でした。そうそう、自分の見た目はこれなのに、なんでそれが悪いことみたいに頭を下げなきゃいけないの? 見ていてスカッとしました。

しかも、音楽的にみると『This Is Me』はゴスペル調の曲で、ブラックなテイストにあふれているんですよね。海の向こうまで伝わってくる通り、アメリカでは近年、人種差別が激化しています。Black Lives Matter(=黒人の命も大事だ)運動が大きなうねりとなっている最中でコレをぶつけてきたのはカッコいい! 観客が差別されている人たちに共感せずにはいられない、その見せ方はアーティスティックでキレがありました。

差別の害悪はどこにあるのかといえば、その大きな一つに、被差別側の人から自信を奪ってしまうことが挙げられます。無論、生まれや見た目によってつけられた人間の上下に合理的な根拠はありません。不当な言葉の暴力です。それでも、社会から「お前はおかしい」「劣った人間だ」「汚い」などとひっきりなしに言われ続けることで、本人が「どうせ自分なんて……」と劣等感の闇にのまれてゆき、心にシャッターを下ろしてしまうのです。チャールズが自室のドアをバタンと閉めてしまったように……。そうして自分に自信を持てなかった彼らが輝ける、自分の居場所を見つける姿には思わず涙でした。この作品には、人間的なあたたかさも内在していたと思います。

「上流のオペラ」と『Not Enough』

と、『This Is Me』は歌詞だけでなく音楽としてもメッセージ性のある楽曲だったのですが、ジェニーが歌う『Not Enough』は違います。ジェニーはクラシックのオペラ歌手ですが、曲はバリバリのミュージカルナンバー、ミュージカルの歌唱なんですよね。

楽曲と歌唱自体は優れていたのですが、私はこれについては作品全体から浮いたクラシック的な曲をぶち込む手もあったのでは、と思いました。音楽性の全然違う曲をベルカントで歌い上げることで、「くっ、これが上流か!」と見ているほうが思わず唇をかんでしまう――そんな展開も熱いと思うんですよね。

しかしこのジェニー、フィニアスの心やサーカス団に割って入る毒々しい立ちどころではあるのですが、よくよく話を聞いてみれば深い味のあるキャラクターです。ぱっと見では上流を体現している彼女ですが、実際には婚外子だという生まれのせいで邪険にされた、暗い生い立ちを背負っているのです。

以前、くしくも同じヒュー・ジャックマン主演『レ・ミゼラブル』の記事で補足解説を加えたんですけど、当時のヨーロッパの婚外子差別は苛烈を極めます。キリスト教文化を理由に本気で「人間ではない」くらいの汚いもの扱いで、奴隷同然にこき使われていることもめずらしくありませんでした。

だから、そうやって自分の存在自体を恥扱いされてきたジェニーは、ヨーロッパ随一のオペラ歌手として名声を手にした今でも「自分には価値がない」という思いが消えない。いくら喝采を浴びてもまだ足りない。「バーナムのサーカス」の団員たちと同じように、日陰者扱いによって深い傷を負った人です。悪い人ではありません。

一概に上流とはいえない、オペラの微妙な横顔

そしてもう一点、私としてはオペラという分野の立ち位置についても指摘しておきたいんですよね。こちらは『オペラ座の怪人』の記事でもいろいろ書いたのですが、本作での描かれ方にも思うところがありました。

オペラといえば日本でこそ高級芸術として祭り上げられていますが、本場ヨーロッパではそこまでではありません。上流の雰囲気がないとまでは言いませんが、カラーはもっと大衆向きです。欧米の芸術批評では「有名なグランドオペラにも出来の良くない作品はあるよね」と言われているし、はっきり言えば、下品な作品もある。実を言えば、私にも、内容が下品なのに辟易して見るのを途中でやめたオペラがいくつかあるんですよ。

職業的にもそうです。オペラ歌手といったら日本では芸術家のイメージですが、現地ではもうちょっと芸能寄り。ジェニーのキャラクター性は、そういった上流文化と大衆性の両方の顔を持っているので、私はそれらしいなと思いました。

ジェニーの『Not Enough』をオペラ調にせず、全曲をミュージカルナンバーでそろえたというならそれはそれで統一感があります。ただ私的には、「バーナムのサーカス」の世界と社交界の対比を音楽で聞かせながら、上流文化が一概にそれらしくない微妙な側面を描く、なんていう見せ方もあったのでは、などと思いました。

夢ゆえの迷いと強さ

私の心にガーンと響いたのは、なんといってもフィニアスのこの言葉でした。

英国女王と謁見して、政治家から称賛された。それは他人の夢だった。

夢があるなら誰しもが通る道だと思います。

夢を実現させようとすれば、おのずから成功を目指すことになります。そして、成功しようという意志があれば、他人の基準、社会からの評価を考慮しないではいられません。たとえば、新しい契約のオファーが舞い込んだなら、ミーティングには好みのTシャツではなく、デキる印象を与えるビジネスウェアを着ていくべきでしょう。会社を立ち上げたなら、信用されるため、うまくいっているように振る舞わなければならない。自分のサイトを持って運営するなら、アクセス数は無視できない。それは自分を捨てるという意味ではなく、夢を実現させるために必要なステップなんですよね。それができないならば、夢は口だけの独りよがりにすぎません。

フィニアスは世間から認められることを求めます。貧しい生まれのせいで邪険にされ、町の人からヤジがとんでくる彼にとっては、自分の成功ぶりを示すのは、優雅な社交界の一員となること、政治家から称賛され、イギリスの女王に謁見することだった。

だけどそれは、自分を成功者に演出するためにやることであって、自分がやりたいことではありません。他人の基準、社会からの評価を考慮すれば、やっぱり、ゆくゆくは自分を見失うことになってしまうんですよね。

ただ、こうして「光に目がくらんだ」時期といえども、フィニアスは強欲なわけでも、はたまたコンプレックスからゆがんでしまったわけでもありません。豪邸なら世にいくらもあるのに、買い上げたのはチャリティとの思い出のつまった古屋敷。お金持ちになってようやく叶えられたのは、娘がやりたがっていたバレエに通わせてあげること。ちゃんと彼らしさ、彼の考えが表れています。

本当にやりたいことを見失ってしまうのも、夢ある故、行動した故。夢があれば次の一歩から迷いが生まれるのは不可避かもしれませんが、その裏には必ず、夢あるゆえの強さもセットになっている――『グレイテスト・ショーマン』はそんなことを教えてくれた気がします。

最高純度、本物の人間賛歌

最後には、私のごく個人的な感想を語りたいと思います。「人類の祝祭」の純粋さについてです。

フィニアス・バーナムが作った陰に追いやられた人々の輝く舞台は、上から目線の慈善事業ではありません。それどころか、彼がやっているのは「見世物小屋」。ほめられる事業からは程遠い。レティも、チャールズも、ウィーラー兄妹も、団員はみな、そのことは百も承知です。

だけど、「バーナムのサーカス」に嘘はありません。金儲けが目的だからといって、肌の色や障害などにかかわらずステージでみな平等に輝いているという事実は変わらない。団員たちは他に選択肢がないからしぶしぶやっているのではなく、みんな心からサーカスが好きなんですよね。それまでは地球上のどこにもなかった、本当の自分がみなから受け入れられる、自分が輝ける居場所なのだから。

「バーナムのサーカス」には障害のある人が大勢いますけど、福祉という分野を見渡せば、慈善という名の偽善、つまり「偽」の善意は掃いて捨てるほどあります。助けると言って、上から手を差し伸べる。「自分はすばらしいことをした」「社会の役に立っている」という自己満足を盗んでいく。右手で人助けをしながら、左手では恵まれない人を必要としている、優越感依存の偽善者がまぁなんと多いことか。私の大嫌いなタイプの人間です。でも、「バーナムのサーカス」に偽善は皆無でした。

しかも、サーカスが夢の舞台、理想の世界であるのはフィニアスも同じです。彼自身も、生まれのせいで金持ちから蔑まれた日陰者。彼自身が、いつか暗闇を抜け出して輝きたかった。だから、彼が社会から排斥されてきた人々と「家族」だと言った時には嫌味がありません。それが真実だからです。もし慈善事業だったら、この純粋な仲間意識は決して生まれません。

フィニアスの人柄は、どこまでも透き通って純粋です。お高い芸術批評家からは「偽物」だと批判されているサーカスですが、人の世に「人類の祝祭」として「本物」であることを越える価値はありません。

なりたいものになれる世界

フィニアス自身が自分を輝かせたころには、周りの面々もそれぞれの幸せにたどり着く――本作は、個の強さが光ります。

バレエにあこがれていたキャロラインちゃんは、プリマとして舞台でさん然と輝いています。本作はなにも、世間的に成功とみなされる地位を得ることを否定しているわけではないんですよね。

一方、もう一人の子の役は、なんと、木。脇役にも満たない背景ですし、バレエなのにそもそも踊っていない。だけど彼女は「私もプリマになれたらいいのに……」とかいうことではなく、じつにおもしろそうに木をやっています。世間的に成功していないことは、これまた問題ではない。

自分が幸せであることが幸せなんだ。本作の輝きは、華麗な歌やダンスの奥にある、大団円の純粋さからきているのだと思います。

しかもこのころ、サーカスのステージでは、フィリップがアンと結ばれているんですよね。これは大事なポイントです。フィリップの両親のあの目つき。アンは、肌の色によって世間から低評価を受けている人です。社会の周辺部を生きる二級市民で、存在自体が恥だということにされている。そんな世間の評価を蹴散らす二人の姿は、ただのハッピーエンドを越えて、現代社会に訴えるものがありました。

生まれや見た目にかかわらず、自分がなりたいものになれる世界。

その人の存在が完全に認められること。その人が人間であることが100%認められること。

「人類の祝祭」は完全無欠、純度最高でした。

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