戦争体験談は現在、風化どころか不足中―各世代への提言

「戦争の記憶が風化している」と近年はよく言われますね。実際、戦前生まれの世代では心配や焦りの声が広がっているようです。

……いや、待ってくださいよ。それ逆、逆じゃありませんか? 「証言はある。だけど人々が関心を持ってくれない」どころか、むしろ逆で「欲しいのにない」だと思うんです。聞きたくないなんてとんでもない。私はそれを求めています。

本稿は、冷戦後の世代である私からの訴えです。「風化」という見方に待ったをかけ、各世代へ待ったなしの提言を書き連ねたいと思います。

「戦争証言=つらさの経験談」という現状について

現状では、「戦争体験」と聞いて誰もが思い浮かべるのは、戦時下でのつらさ、悲しさ、ひもじさ、むごさを語る経験談ではないでしょうか。

たとえば、出征したお父さんが遺髪になって帰ってきて、毎晩枕をぬらした悲しみの記憶。学校の軍国主義教育で叱られ、殴られた恐怖の記憶。食料も物資も足りず、ついには友達の食べ物を盗んでしまった罪悪感。故郷から遠く離れた戦場に送られ、上官から「敵を殺してから死ね」と命令され、泥の中でほとんどの仲間が殺されていき、うめく仲間を捨て置いたあの日の光景。火の海を逃げまどううち目と耳に焼き付いた、異形と化した近所の人の断末魔。水面が死体でおおわれた川。焼野原で見つかった、個さえ奪われくっつき合った焼死体の塊。――

私もこれまでメディアを通して、又は人づて、あるいは直接聞いてきました。それらはどれも、私たちと同じごく普通の人々が人間の尊厳を根こそぎ奪われ、無下に殺されていったことを示す貴重な証言です。

ただ、こういった「戦時下のつらさ」は、無論先の大戦に関する一面ではありますが、すべてではありません。本来はもっとさまざまな「視角」があります。「戦争の証言」と「つらい思い出/トラウマ(心的外傷)体験」がイコールでつながっているという特殊な状況が、先の大戦を語る、議論するということの範囲を狭く小さく押しとどめてしまっている。そんな現状に対し、私は待ったをかけたいのです。

ファシズムが台頭して日本を支配したその時代、一般庶民は開戦すること、進めることにどう関わっていたのでしょうか? 言い換えると、政治家や政府高官、軍上層部の面々ではなく、普通の人々は開戦前どこで道を間違えたのか。何がまずかったのか。私が知りたいのはこのことです。

もっとかんたんに言うと、私たちは、あのような惨禍を今後は起こさないために過去の失敗から教訓を学びたいわけです。そしてその「過去の失敗」とは、「日本人が開戦を止められず、自ら惨禍を招いたこと」を指しますよね。だから私は、戦前日本が失敗していくまっただなかを生きていた人々から、当時の社会の様子、身の回りであった出来事、考えていたこと、感じていたことなどを聞きたいと言っているのです。

そういったアングルでの情報がゼロだとは言いません。たとえば軍国少年だった自分の燃える心が実際の戦場の有様を目の当たりにしてすっかり冷めた、などといった示唆に富む証言は、私もこれまでにずいぶん耳にしてきました。

しかし、いくらなんでも少なすぎはしないでしょうか。戦争体験談全体をみれば、「つらさ」と「むごさ」がそのほとんどを占めています。もっとも、そういった証言の中に一般庶民の言動が断片的にまざっていることは多々あります。家で親がこぼした言葉、学校での生活ぶりや先生の様子、憲兵の言動なども出てきます。ただ、そういった断片は聞き手・読者の側が拾ってまとめ直さなければならないし、語り手の意図がそこにない以上、やはり不足感は否めません。

私はなにも、戦時下の生活がいかに悲惨なものだったか、空襲や戦場での体験がどれほどむごかったかの体験談が不要だと言っているのではありません。今日までの語り部活動を否定しているわけでもありません。ここだけは決して勘違いしないでほしい。貴重なお話はあればあるだけいいというのは動かぬ事実です。トラウマの証言は、内容のみならず、語っておられる姿や語るに至った経緯そのものが、人類にとって極めて重要な教訓となります。

けれど、欲しいのに不足しているのは、一般庶民はどんな思考をしていたのか、なぜ自らの破滅を止められなかったのかを知る手掛かりだ。私はそう訴えているのです。

なぜ戦争体験談を求めているのか―若い世代で関心が高まっている理由

さらに、2019年現在の日本社会には特有の、待ったなしの事情があります。

今なお非民主的な政治状況、活性化しない経済・金融、人をボロボロにして使い捨てるブラック企業、若者の不遇や貧困……。現在、わが国は多数の深刻な社会問題をかかえています。その持続可能性には疑問符が投げかけられ、国内外の経済・金融、政治、歴史等の有識者からは、近い将来日本社会は破綻するとの予測がなされています。論者によっては、あと10年かからずにタイムリミットがやってくると主張します。

舵を切るなら、今しかありません。若い世代は、社会にこのまま破綻してもらっては困ります。何としてでも社会をまっとうなライン以上でキープして、存続させなければならない。誤解を恐れずに強い表現を使うなら、若い世代は、もうダメだと社会の破綻が決まったらその瞬間に死ねるわけではありません。破綻した社会を生きる羽目になるのです。将来自分が破滅しないためには、今、日本社会の失敗を何が何でも回避することが必須条件となっています。

では、その回避策はどうすれば編み出せるのか。第一のステップは、日本社会がここまで追い詰められた原因の調査研究です。日本社会がこれまでたどってきた歴史をさかのぼり、分析して、原因を洗い出さなければなりません。そしてその過程では、必ず戦前ファシズムに突き当たるんですよ。戦前の軍国主義・国家主義と無謀な戦争は日本史上最も重大な出来事で、社会のあらゆる分野に今日もなお強い影響を残しているからです。しかもそれは同時に、日本社会が実際に破局した実例でもあります。そう、現在の日本は、破綻後の社会である。これから社会の破綻を回避するには、その時代の研究が必要不可欠なのです。

にもかかわらず、日本はなぜファシズムに染まっていったのか、なぜ無謀な開戦を止められなかったのか、それをひも解くための情報は不足しています。軍部や政府上層部にスポットライトを当てた研究なら、これまでも研究者やジャーナリストによって行われてきました。なのに、一般庶民はなぜ軍国主義・国家主義に賛同したのか、それについての証言や研究は、全体からの比率にして少なすぎる。当時の普通の人はどうしていたのかという部分に、ぽっかり穴があいているのです。

「記憶の風化」が叫ばれる一方で、若い世代ではいま戦前ファシズムへの関心がかつてなく高まっているといわれています。なぜ自分の生きる社会がこんなふうになってしまったのか、ひも解くカギがそこにあるからです。社会全体を待ったなしで変えなくてはならない今、社会全体のほとんどを占める一般庶民がどのようにして自らあのような破局を招いたのかを学ぶことは急務です。その情報が抜け落ちているのがどれほど手痛いか、戦前生まれや冷戦時代の方にも理解していただけると思います。

子どもがみせる嫌悪や拒絶は、正常な反応である

語り部や小学校の先生からは、体験談を子どもに聞かせるとつらがる、嫌がるという声があります。「風化」が叫ばれる一因です。なかには「大事な話なのに聞いてくれない」と焦りや憤りを感じる方もいるようです。

しかしどうでしょう。私はここにも疑問というか、別の見方があると考えています。

空襲で火に覆われた町は現実に現れた地獄絵図だった、と聞きます。戦地も同様で、仲間の変わり果てた姿は「人間がこんなふうになってしまうのか」というほどだったといいます。

そんな残酷な話に嫌悪や拒絶といった反応をするのは、人間としてごく自然じゃないですか。話を聞いただけで怖くなるのは当たり前です。ましてや小さい子なら、その反応は素直に強く出るでしょう。もしも「生きた人間が皮膚を焼かれ、ガラスの破片が無数に突き刺さったまま数歩歩き、川に飛び込むと動かなくなった」という話を嬉々としておもしろがる子がいたなら、特殊な嗜虐性があるのではと心配になりますよね。生育に問題ありなので、病院へ連れて行って相談するところです。

もし空襲や戦場での体験談から顔をそむける子どもがいたら、それは非難すべきことではないのではないでしょうか。私は健全な子だと思います。「怖くて気持ち悪い話だ。だけどそれは現実に起こったことで、油断すればこれからも起こり得るし、起こらないようにするには過去から学ぶのが最善策だ。だから聞きたい」と諸事情を考量できるようになるのは、もっと大きくなり、知識と分別をつけてからのことです。

最も避けるべきなのは、語り部さんのお話を聞くことが子どもにとって「義務付けでやらされる嫌なこと」、あるいは「嫌悪や拒絶を口にすることが絶対に許されない聖なるもの」となってしまうことだと思います。年齢が低い子は、「感情」という形ないものを正確に言語化することができません。モヤモヤした不満や拒絶感が頭にたまっているうちに、あらぬ言葉――たとえば「この世に絶対的な正義や悪はない」など、戦争体験談とはまったく関連性のない命題――とふいに結びついてしまう危険性があります。無論、これまで多くの人がそうだったように、たとえ義務で聞かされたとしても大きくなってから「あの時は小さかったからそう思わなかったけど、貴重な話を聞けてよかった」と思い直す可能性は十分あるでしょう。しかしこの良き可能性は、どこかで心が屈折してしまうリスクと隣り合わせなのです。

別の言い方をすると、私は語り部と年少の聞き手の間でコミュニケーションが成り立っておらず、すれ違っていると見ています。

対人関係やコミュニケーションに困難を生じさせる心的外傷の性質に鑑み、私はトラウマにかかる出来事の語り方は定式にとらわれず、語り手個人に合わせられるよう柔軟であったほうがいいと思います。司会や解説を別の人が担当するなどの試みは今までなかったわけではありませんが、柔軟性にはまだ不足感が否めません。「こうやるものだ」という先入観を捨て、語り手個人や取り巻く事情を主体的に理解し、クリエイティブに対応すること自体もまた、戦前をとらえ直すことを意味するでしょう。

あとは何より、語り手ご本人は、素直な気持ちを率直に言葉にしていいと感じます。大事なのはコミュニケーションです。たとえば「これからする話はとても怖いしきっと信じられないと思うけど、全部私の身に本当に起こったことです。とても大事な話なんです。二度と誰にもこんなことになってほしくないから語り部をやることにしました」などと、直接的な言葉で「伝えたいという気持ち」を伝えてはどうでしょうか。その気持ちが伝われば、元来好奇心旺盛で純粋な子どもたちは嫌がるどころか、興味をもって真剣に耳を傾けるのではないかと思います。

政治への無関心は、最近始まったことではない

「戦争体験が風化している」と言われる時、「若い世代が関心を持ってくれない、政治運動に参加しない」という嘆きの声がよく聞かれます。確かに地方議会選挙で20代の投票率が20%を切ったなど、客観的に見て異常な事実はありますね。

しかし、政治への無関心は、わが国では何百年、見方によっては何千年も続く根深い問題です。決して「最近の若い世代」特有の事象ではありません。

政治的無関心を生む原因に軽く触れておくなら、戦後でいえば、学生運動の暴力的な活動が「政治参加」のイメージを著しく悪化させたことが大きいです。国民はせっかく選挙権を得たにもかかわらず、政治に触れないことがいいことかのような感覚が一般に浸透し、政治運動全般が下火になったため、「最近の若い世代」は関心を持つも何も、国家・社会を動かすことから切り離された状態で人生をスタートする状況が続いているのです。

そして日本史上の大きなターニングポイントは江戸時代です。天下泰平という幻想を妄信した日本人は、自分の人生と社会に対して主体性を失いました。自分の人生の舵を取る、社会を自分が動かしていくという感覚を失ってしまった。この国は、江戸時代が刻んだ傷から、明治、大正、昭和、そして21世紀の今も立ち直れていないのです。

ただ、政治を嫌いやすく、関わらないのをよしとする風土なら、江戸時代といわず古来より内在していました。集団全体の平穏を守るため、たとえ内容が正当であれ、議論そのものを嫌う風土です。

「戦争体験が風化している」という見方がパターン化、テンプレート化されていると感じます。本来は様々なアングルがあり、経験や実感は人それぞれなはずなのに、全員がこのパターンに統合されていく。感情の面、つまり「忘れられてしまう」という焦りや嘆き、あるいは戦時下での心的外傷が先行しているようにも思います。これは簡単にどうすべきと割り切れるような問題ではないですが、少なくとも、「最近の若い世代が関心を持ってくれない、政治運動に参加しない」という見方はちょっと違うとは指摘しておきたいと思います。

不足している戦争体験談とは

以上、ファシズム下を実際生きた人々の声は「風化どころか不足している」と指摘してきました。

では、足りていないのは具体的にどのような話なのでしょうか。次には、語り部をしている方、あるいはこれから声を残そうかと考えておられる方に向け、欲しいのに不足しているのはどういう証言なのかを挙げておきたいと思います。

決して難しいことではありません。自分が見て聞いて感じたことを、あるがままに語ってほしい。もしできれば、それへの自分なりの分析を加えてほしい。私がぜひとも質問したいのは以下のような事項です。

  • 戦争について当時の自分はどう思っていたか、およびなぜそう思ったのか。
  • そのころの自分について、今はどう思うか。
  • 当時、家族や近所の人など周りの大人は何と言っていたか(軍国主義や開戦への賛成/反対、熱狂していた、憂慮をぼやいていた、無関心だった、タブー視されていた、世間の雰囲気などなんでも)
  • 開戦に反対している人は周りにいたか。もしいたなら、それが結果として開戦阻止につながらなかったのはなぜか。
  • 終戦の時、自分はどう思ったか。周りの大人は何と言っていたか。
  • 終戦後の時代には、先の大戦をどう思い返したか。家族や同僚など周りの人々は何と言っていたか。
  • 先の大戦が起こった原因について考えたことはあるか。もしあるなら、それは何だと思うか。ないなら、考えなかったのはなぜか。
  • これから戦争を起こさないようにするにはどうすればいいと思うか。

こうした生の証言が、今後二度と戦争を起こさないための最重要なヒントになります。

2019年現在、戦前ファシズムを経験した世代は当時十代、小学生、あるいは幼児だった人がほとんどです。まだ十分な分別がなく、したがって当事者意識はあまりなかったかもしれません。それでも、その時代に見たこと、聞いたこと、感じたことは重要な資料となります。特に、軍国主義が急速に広まった1930年代に社会の担い手だった大人世代(当時子どもだった世代の親・祖父母世代)が戦中・戦後に何と言い、どう行動していたかは、とても重要な証言です。

例:祖母に戦争体験を聞いてみた

と、本稿で訴えているのが一般論だけだと抽象的で分かりにくいかもしれません。そこで参考までに、私がかつて祖母に聞き出したことの概要を記しておこうと思います。


日本は勝つと思ったか。

――日本は勝つと思っていた。敗けるなんて全然思わなかった。

当時の小学生は学校で軍国主義教育を受けたと聞いたが。

――歴代天皇の名前を暗記した。今でも暗唱できる。あと、体育の時間にみんなでなぎなたを練習した。(なぎなたを構える手つきをして)「ヤーッ」と。

もし東京にアメリカ軍が上陸してきたら、アメリカ兵となぎなたで戦うつもりだったのか。

――(しばらく宙を見てから)いや……。

アメリカに勝てると思ったのはなぜか。

――みんながそう言っていたからだと思う。だから疑わなかった。

補足と解説

祖母は1933年生まれ。祖母の母親は、空襲警報が鳴るたびに防空壕を走って上り下りしたのが原因で体調が悪化し、祖母が小学校(当時の国民学校)5年の時に亡くなった。祖母の母はもともと心臓が弱かったが、何も病床に伏せているわけではなく日常生活は普通に送れていたので、祖母は「まさか死ぬとは思わなかった」という。

祖母の語る「戦争体験」は、世間一般と同じく、つらさや不安感、恐怖にまつわる話がほどんどを占めている。開口一番に語ることは、たいてい「あっちの空をB-29がよく飛んで行った」である。戦時下の生活は、夜ドラム缶に湯をはった即席の風呂に入ると「今日一日生きられたんだ」と感慨に浸るほど不安でひもじいものだったそうだ。

上記なぎなたの練習に関する部分は印象深い。筆者が「アメリカ兵とそれで戦うつもりだったのか」と聞いた時の反応は、「そういう発想をしたことがなかった」という感じだった。「鬼畜米英」に勝つと信じて疑わなかったというが、それはかなり観念的なイメージの中の話であって、現実感はなかった様子である。

つらさやひもじさをあれこれ語る祖母は、「戦争はもう二度とやっちゃいけない」と語気を強める。ただ補足しておくと、祖母の戦後の経歴にそれを実現するための具体的な行動はない。戦後の今になってみれば「あのころはみんなだまされていた」と言っているのだが、彼女が戦後送ってきた人生には「だまされて」軍国主義に染まるような自分を変えようとした形跡もない。

戦時下で深く傷つく経験をした人は、私の親族や知り合いで数名聞いたことがある。彼らはいずれも、空襲の生き残りや戦地で負った心的外傷から社会生活を送れなくなった帰還兵ではなく、したがって公的には戦禍で損害を被った人にはカウントされていない。外見では戦後をそつなく生きたように見える。だが、内情ではそれぞれに仕事でも家庭でも失敗した。祖母もその一人に数えられるだろう。祖母には、戦中母親を亡くしたトラウマに深層心理を支配され、人生の大きな決定から毎日の行動に至るまで、一生の全てを規定されている様子が見て取れる。たとえば、祖母はあまのじゃくな言動でしばしば周囲の誤解を招くが、彼女と近しい私には、その目線の先に「そんなことないわよ」などと微笑みながらいさめてくれるやさしいお母さんを想像しているのがわかる。他人と会話する時にいつも「こう答えてほしい」という独特の想定があるのだ。また、さんざん愚痴を言いながら旧知の人や取引先から離れないことを、知人らは「いやよいやよも好きのうち」なのだ、あるいは古くて閉鎖的な人なのだ、と解釈している。だが祖母の心的背景を知る私には、お母さんの残り香のある土地や人的つながりにしがみつき、離れられない心理が透けて見える。さらに、祖母は「自分の話をいつでもいくらでも聞いてくれる存在」、「自分を無条件に受け入れてくれる人」や「自分を守ってくれる存在」に特殊な執着を持っており、たとえば気が向くとふいに娘を訪ねて不謹慎な内容のおしゃべりを一方的にしていったり、一時は明らかに犯罪性のない道路の落とし物のことなどでしばしば110番通報しては警察官を呼ぶといった行動もみられた。祖母の深層心理は、会う人誰しもの中に――警察官や銀行員、自分の子どもや孫にまで――「お母さん」の影を探し求めている。86歳になる今も、祖母の心は、戦時下で母親を亡くし、泣きじゃくっている小学生のままなのである。


なぎなたといえば、私は祖母と同じ年代の女性をテレビで見たことがあります。数少ない、一般人が軍国主義にどう関わっていたのかを意識した証言でした。その女性は祖母と違い「アメリカ兵を倒そうと本気で思っていた」というので、私には印象深かったですね。彼女は、「今思えば、なぎなたで勝てるわけがない。相手はマシンガンを持っているんだから。すぐやられちゃう」、そして「こんなばかばかしいことを人に信じさせてしまうところに戦争の怖さがある」と結んでいました。

上記概要から察せられたかもしれませんが、私の家庭は祖母の代より人間関係に重大な問題を抱え、私が高校生だった2000年代、ついに崩壊しました。なぜこのようになってしまったのか、どこに問題があるのか――それを解き明かすためには、戦前の軍国主義・国家主義や当時の生活、教育などは避けて通ることのあり得ない最重要な要素の一つでした。近年若い世代で戦前ファシズムへの関心が高まっているといわれていますが、それは私と同じように、戦前ファシズムの影響による問題がごく身近に転がっていて、それを何とかしなければ自分がどうにもならないという状況があるからなのだと思います。

いずれにせよ、身近に戦前生まれの人がいるなら、とりあえず話を聞いておくことだと思います。彼らが他界してからでは二度と取り返しがつきません。聞いてさえおけば、どんな形にせよ、いつになるにせよ、必ず役に立つと断言します。

マスメディアへの提言:証言に多様性を

では、「戦争証言」と「つらさの経験談」がイコールでつながる特異な状況は、いかにして作り出されたのでしょうか。なぜこんなに幅が狭くなってしまったのか。

その要因は戦後の政治的状況や冷戦の影響、また人々の精神状態や心理的反応など多岐にわたりますが、メディアに重い社会的責任があることは間違いありません。

メディアには今後、一般人の証言に多様性を持たせてほしいと思います。もっと幅広い視点を網羅してほしい。もしかしたら、取材先のお年寄りがそういう視点で語らないかもしれません。しかし、そこがプロの腕の見せ所です。ジャーナリストは取材相手から話を引き出すプロのはず。長年培った技術をいかんなく発揮し、重要なポイントを引き出して、その社会的使命を果たしてほしいと思います。

結びに:必ず未来へつなぐから

戦争世代へ―恥をしのんでお願いします、証言を残してほしいと

戦争体験は、トラウマ(心的外傷)体験です。

トラウマは、語るだけでも困難です。語ろうかという気持ちを抱えていても、話せない。話そうとしたけれど言葉にならず、口ごもってしまう。人類にとってトラウマを語ることは、表現を超越しながらそう呼ばれることはない、究極の表現です。職業作家などと違い、語り手が聞き手・読み手にすり合わせていく性質のものではありません。語らなければならないものでも、誰かに強制されることでもありません。

ましてや、私のような赤の他人が「語れ」とせまるのは恥ずべきことです。戦時下の見てはならないようなもの、刻まれた恐怖の記憶を無理やり引っ張り出せば、すでにボロボロな心に唐辛子をなすりつけるような結果になりかねない。精神を破壊してしまいかねないからです。

人生最悪の記憶は頭に浮かんでくるだけでもつらい、口に出そうとしてもうまく出てこない――分かります。つらい気持ちを誰かに聞いてほしい――そういう方もいるでしょう。自分が残したい証言とはあの悲惨さについてだ――そうかもしれません。

しかし私は、こうしたトラウマの性質を十分承知の上で、恥をしのんで頼んでいるのです。私たち若い世代に、戦争体験を残してほしいと。

若い世代、将来世代のために、どうかもうひと頑張りしてはいただけないでしょうか。

すでに語り部をしておられる方は、いつもの語りに「軍国主義下で普通の人はどうしていたか」という視点を付け加えてはもらえないでしょうか。戦争への嫌悪は、人間なら言われなくても当然のことなんです。「日本人はどこで失敗したか、どうすれば事前に止められたのか」にまで、もう一歩踏み込んで考えてはいただけないでしょうか。

そして体験をまだ伝えたことがない方は、どうか勇気を出していただけませんか。今の若い世代、そして将来世代のためなのです。

受け取った体験談は、必ず未来につなぐと約束します。というより、それをしたいからお願いしているのです。過去の失敗から学びたいし、学ぶことが急務なのです。トラウマをお持ちの方にも、恥をしのんで頭を下げます。若い世代、未来の世代が過去を検証できるよう、その時代の証言を残してください。お願いです。

受け取りたいから、バトンを作って手渡してください。お願いします。

戦後世代へ―早急に、クリエイティブに、柔軟に、フレンドリーに

戦争経験者の高齢化が進んでいます。

証言が慢性的に不足していても、これまでは時間的余裕がありました。「足りないねぇ」とつぶやいていても――あるいは不足に気付いていなかったとしても――いつかは、と楽観できたかもしれません。

しかし2019年現在、タイムリミットは日に日に近づいています。その記憶を今残してもらえなければ、私たちが最も学びたい歴史は空白のままになってしまうのです。

何が何でも今のうちに、証言を押さえなければなりません。

私はなにも、特別な地域活動に参加しなければならないとか、そういうことを言っているのではありません。帰省した時に夕食のテーブルで話題にしてみるとか、そんなミクロなやり方でいい。ほんのちょっとの努力が集まれば、社会の機運は変わります。とにもかくにも眠れる記憶を今押さえておかなければ始まりません。

また、変な言い方かもしれませんが、語りの場はもっとカジュアルかつフレンドリーであったほうがいいと感じます。聞き手側が気軽に質問できるよう、言い換えれば相互のコミュニケーションを可能にするよう、私たちの心をフレキシブルにすべきでしょう。

人によっては、心的外傷が深刻で、心理的に余裕がないかもしれません。こちらの求めに答えるどころか、しゃべることすらままならない、ペンを持っても言葉が出てこないということは十分あり得ます。そういう場合は、経験者の方には自分の思う語りに集中してもらい、周囲が役割分担することを考えるのが得策かと思います。

「戦争体験談」を「つらさの経験談/トラウマ体験」だけに押しとどめることなく、「日本人はなぜ、どのようにして失敗したのか」というアングルを加えて、有機的に、立体的に、生きたものにしていく――この視点やとらえ方が日本社会に定着することを目指すべきだと考えます。

74年前、日本社会は現に破局しました。そしてその延長線上である今、再び破綻が予測されています。私たちが暮らしているのはそういう社会です。過去の失敗を検証することで未来へ通ずる道を切り拓かなければならない、その時が来ています。

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語り部は、原爆資料館、各地域の歴史館、空襲死没者祈念館などで活動しています。

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