依存症の克服には「治療」が必要―非難や精神論が効かない4つの理由

私がこれまで社会問題やライフスタイルについて執筆してきたなかで、関連事項としては「依存症」に触れたことが何度もありました。今回は、この意外と知られざる病気にピンポイントでスポットライトを当てたいと思います。

「問いの立て方」によって、物事の見え方や論ずべきことは変わってきます。私はかつて、薬物依存の俳優が舞台に上がるのは芸術への冒涜だと、個人的ではありますが厳しい非難を書きました。しかし着目する点を変え、すでに依存症を患っている人がそれをどう克服するか、つまり「現に起こっているトラブルへの対処」を考えた場合、その答えは非難ではなく「治療」である――本稿ではその理由を、生物学的・医学的かつリアルに論じていこうと思います。

目次

問題意識:依存症のイメージと現実

依存症というと、社会ではどうも「飲んだくれ」のようにイメージ先行なきらいがあると思います。加えて、人々の反応も感情的になりやすいといえるでしょう。薬物犯罪で芸能人が逮捕され、警察署の前でフラッシュを浴びながら頭を下げ、ネットでバッシングが起こるという一連の流れはその典型ではないでしょうか。

しかし、こうしたイメージと感情論の中では、依存症の全体像は見えません。言い換えれば、見過ごされている側面があるのです。

その第一は、医学的に正確な知識です。依存症はどのようなメカニズムで起こるのか。なぜ患者は自分でやめられないのか。これらの問いに正しい答えを言える人はなかなかいないのではないでしょうか?

第二は、患者の背景です。アルコール等におぼれた、などというとどうしても「心が弱い」イメージがつきまといますが、実際のところを見ていくとそうではない例が多数にのぼることが分かってきます。なかには耳を疑うほどの酷な環境が背景にあるケースもあります。そうした背景には、病気とは別件の社会問題が深く関わっていることも少なくありません。

第三は、依存症患者のいる家族、特に子どもへの深刻な影響です。こちらは世の中へ声高に訴えたいところなので、しっかりと書いていきたいと思います。

そう言われてみればそうかも……という感じではないでしょうか。もし依存症に対してイメージと感情で反応すれば、思いもかけず誰かを傷つける結果になりかねません。

さらにもう一点、近年の報道等では、「感情」を越えるといきなり「感傷」に走り、患者への過度な同情に向かう傾向がみられるのが気になります。態度が両極端なのです。メディアで依存者をあたたかく迎え入れるのが「進んだ考え」のように報じられていることがありますが、特に薬物使用は犯罪なので、腑に落ちない思いをしたことのある読者もいるかもしれません。本稿では、このあたりまでしっかりと整理整頓したいと思います。

「転ばぬ先のつえ」のようなもので、「依存」がどういうものなのかは生きていく上で知っておくといい知識です。本稿は、いわば「世の中についての基礎知識」として依存症とその周りの現実を学べるよう書いていこうと思います。

依存症とは?

まずは定義から確認していきましょう。

依存症とは、それがなくてはならず、やめたいと思ってもやめられない状態になることをいいます。

依存する対象は、物質だと薬物やアルコール、非物質では買い物、ギャンブル、恋愛、ゲームなど様々ですが、正式に精神疾患・障害に分類されているのは薬物やアルコールなどの物質依存だけで、「物質関連障害」と呼ばれます。

この「依存症」という用語は、ちまたでは慣用表現として使われていることが多いです。たとえば「クッキーについ手が出てしまうのはクッキー依存ですか?」とか「うちの親がしょっちゅう物を買っているからネットオークション依存ではないか」、あるいは「自分はスマホ依存を断つべきなのに……」などと心配する人が増えているようです。

しかし、自分で自分をコントロールができず、社会生活が成り立たなくなるような状態――例えば、酒を買い続けたせいでお金が底をつき、そうしたら今度はコンビニから盗んだなど――でなければ、それは慣用表現としての「依存」にすぎません。医学的に治療が要るようなものではないのです。

非難や精神論に効果がない4つの理由

では、なぜこうした依存症を周りの人が叱責することでは治せないのでしょうか。本人がやめたいと思っているなら、がんばればやめられるのでは?

実は、アルコールや薬物等をやめられないのには、生物学的・医学的な要因があります。事実を見ていけば、「心」で念じるだけではどうにもならないのだということが分かってくるはずです。さらに、この病気は必然的に家族など周りの人を巻き込みます。社会における患者へのマイナスイメージはあまり良い結果を生まないという現実も知っておいたほうがいいでしょう。

以下では、依存症に対して非難や精神論に効果がない理由を4つ解説していこうと思います。

医学的な原因は「脳」―依存症になるメカニズム

一言で言えば、依存症の原因は「脳」にあります

そもそもヒトの脳では、ニューロン(神経細胞)が複雑に結びつき、巨大なネットワークが形成されています。ニューロンは、シナプスと呼ばれる接合部から60種以上におよぶ様々な神経伝達物質を放出することで次のニューロンへ信号を送り、気分や運動指令、内臓の働きなどあらゆる生命活動を機能させています。

ヒトの脳の絵とシナプスの拡大図
右の拡大図がシナプス。ニューロンが神経伝達物質を放出することで、次のニューロンに信号が伝わる。

このシナプスの構造は、固定されてずっと変わらないものではありません。脳には絶えず情報が入ってきます。その中で重要なものは、

  • 神経伝達物質を受け取るシナプスの受容体が増える
  • 神経伝達物質が増加する
  • シナプスの数を増やす

という方法で増強されることにより、「記憶」となって保存されます。ニューロンの回路は、私たちの自覚なしに常に変化し、新たな結びつきが生まれているのです。

このうち、ヒトが依存症になるメカニズムでは、脳内の「報酬系」という神経回路が重要な役割を担っています。報酬系とは、ドーパミン神経系を中心に、「快」の情報が入ってくると伝達が強化される回路です。

アルコールや薬物(あるいはギャンブルで特定のことが起こる時のスリルなど)の摂取により、脳内で神経伝達物質の一つであるドーパミンが放出されると、中枢神経が興奮し、快感につながります。脳がこれを「報酬(ごほうび)」だと認識すると、先に説明した報酬系が賦活(活性化)され、強化されていきます。さらに摂取をくりかえすと、ドーパミンの強制的な分泌がたび重なり、脳内に依存の神経回路が形成されます。

「やめたくてもやめられない」状態を引き起こす原因は、この新しい神経回路です。対象物を摂取することが脳に行動パターンとして刻印され、自動的にはたらくようになるので、自分でもコントロールできなくなってしまうのです。

症状

依存症の症状は2種類あります。一つが精神依存、もう一つが身体依存です。

精神依存では、対象をやめるとそれを摂取する欲求(渇望)が高まり、集中力を欠く、焦燥感にさいなまれる、イライラするといった症状が表れます。やめようと思ったのに失敗に終わった経験も、診断の際には重要になります。

一方の身体依存は、その物質を体内に入れないと身体的にバランスを崩してしまうことをいいます。その物質が体内にあることが体にとって適応的に、つまり普通でバランスのとれた状態になってしまうのです。

精神依存と身体依存の有無と程度は、対象物によって異なります。たとえば、アルコールはどちらも引き起こしますが、大麻やコカインなどが引き起こすのは精神依存のみです。精神依存と身体依存は別の症状であり、どちらかだけの対象物のほうが依存性が弱いという意味ではありません。また、継続使用していると作用が弱まり、同じ作用を求めると使用量が増える性質のことを「耐性」といいます。耐性の有無と程度も、対象物によって異なります。

これらの症状のほか、物質関連障害はたびたび合併症をともないます。たとえばアルコール依存だと、肝臓に大きな負担がかかって肝機能不全に陥ったり、ビタミンB1不足による意識障害や記憶障害などがしばしば起こります。また薬物だと、種類ごとに妄想や幻覚などの症状が出ます。

他には、付随する問題が指摘されます。社会生活が成り立たなくなるのです。物質を使用するためにすべての時間や労力を費やすゆえ、勉強や仕事、あるいは趣味などを放棄した状態になるからです。「やめよう」と強く決意したのに失敗する経験くり返すうちに、本人が自己嫌悪をつのらせ、自信をなくしたことによって、よけいに人生がうまくいかなくなるケースも多いといわれています。

治療法

残念ながら、一度形成された脳の神経回路を取り除く方法はありません。したがって、依存症は完治することはなく、再発もしやすい病気です。対象物を少しでも摂取すれば、それを求める脳の神経回路が再びはたらいてしまうからです。糖尿病の患者が以後の人生ずっと糖質の分量を制限するのと同じように、依存症は、慢性疾患の類なのです。

したがって、依存症になった人は、生涯その対象物を断ち続けることになります。病状によっては入院が必要になります。断酒・断薬等を確実に行い、合併症や離脱症状に医療的な対処をするためです。また、リハビリや自助グループへの参加など、多面的な対処が必要だとされています。同じ病気をかかえる仲間や克服した経験者とともに歩み、励ましを受けるのはとても有効です。ほか、医療機関によっては補助的に認知行動療法なども併用しています。

こうした治療には長い年月がかかります。ほとんどの患者は、いったん摂取をやめられてもまた元の状態に戻ってしまうという一進一退を繰り返します。ですが、そうして長い時間をかけ、摂取をやめ続けることができれば、通常の社会生活を送り、失ったものを少しずつ取り戻すことは可能です。実際、多くの患者が長い道のりを歩み、本来の自分を取り戻しています。

「脳=臓器」に非難や精神論は効果なし

「心」といいますが、人間はあくまで物理的な物体、生命体です。生物学的にいう人体なしに、「魂」だけで存在するわけではありません。

生命体の臓器としての脳のメカニズムは、私たちの常識では考えられないような作用を生むことがあります。カルト宗教の「洗脳ビデオ」のように、私たちが日常レベルでは見ることも聞くことも経験することもない様々な現象が、医学や生物学ではしっかりと確認されているのです。依存症もその一つといえるでしょう。

「意志が弱いからだ」「そんなものへ逃げるからだ」「精神を鍛えれば治る」「甘えを克服せよ」などといった精神論は、脳=臓器の前ではまったく効果がありません。それによって脳の神経回路とその作用を変えられはしないからです。

実務的には「人に言えないほど深い悩み」

以上の通り、依存症は医学的には「脳の病気」の一種です。

ただ、現場で診療にあたっている専門の医師からは、「多くの患者は依存症へ踏み出した時になんらかの苦痛をかかえていた」といった声が非常によく聞かれます。失業や金銭的な問題、家族との不和や離別、死別などです。

誰の人生も、最初から最後まで順風満帆とはいきません。人生の危機に直面したことが、アルコールや薬物等への入り口となってしまうことがあるのです。特に患者の証言では、世の人が聞いてにわかに信じられないほど酷な環境が背景にあることも少なくありません。

私が執筆してきた中では、「犯罪」や「機能不全家庭」といったテーマにおいて、依存症は関連事項としてしばしば出てきます。子どものころ親などから虐待され、医療機関の受診や逮捕によってはじめて過去と向き合い、「そのころは悩みを誰にも言えなかった」と後から振り返る虐待被害者は多数にのぼります。

実務的には、こうした「人に言えないほど深い悩み」にも目を向けなければなりません。

無垢な赤ちゃんの目に、依存症の親はどう映るのか

よくある発病の原因として、「患者の親もまた依存症だった」というケースが挙げられます。言い換えれば、アルコールや薬物などを常習的に使用している親がそばにいたことが、子にとってそれへの入口になってしまうのです。

「親に困っていたはずなのになんで自分も?」と疑問に思うかもしれませんが、そういう一般常識が通用しないのが機能不全家庭というもの。「依存症の親のもとに生まれた子ども」の視点で考えれば、その深刻さが見えてきます。

人は誰しも、希望に満ちあふれた赤ちゃんとして生まれてきます。この世に「依存症」などという恐ろしいものがあると予備知識を持って生まれてくる子はいません。

それが3歳くらいになって物心ついたら、パパやママが……なんか変で(「へべれけ」「泥酔」という言葉や概念を知るのは10年くらい先)、自分を育ててくれるはずの人なのにかわいがってくれないし、家にしょっちゅうこわい人が来る(3歳の子には「パパやママがアルコール依存になった後で自分は生まれた→その症状には「アルコールへの渇望を押さえられない」というのがあるので、酒を手に入れるためパパやママは他の人からお金を借りた→パパやママは借りたお金を返せなかったので、借金取りが家に来て支払いを催促している」という状況が理解できないので、幼心にはただ恐怖だけが刻まれる)――この時点で早くも、依存症の親をもつ子は一般人の想像がおよばないほどの「混乱」を心にかかえます。そして深く傷つくのです。

誰にも相談できない心理学的理由

なら、大きくなって事情がわかるようになったら学校の先生か誰かに相談すればいい、と思われた読者もいるかもしれません。子どもにはなんの落ち度もないんだから躊躇する理由なんてない、というのはもっともな理屈です。

しかし、依存症患者のいる家族の心理は特殊なので、ここでも日常的な発想は通用しません。

依存者がいる家庭ではたいてい、「そのこと」について絶対に口に出せない雰囲気が支配しています。この現象は、心理学で「否認(事実の否定)」と呼ばれます。精神の崩壊から心を守るため、本能的に「そんなものはない」ことにしてしまうのです。パパが一日中眠りこけるまで酒を飲んでいるとか、高校生のお兄ちゃんが違法薬物を使用しているというのは、直視すれば大変な事態につながり、家庭崩壊を引き起こしかねません。それゆえ、本能的に否認の心理がはたらき、誰かが「このことは秘密にしておくように」と命令したわけではないにもかかわらず、秘密にせねばという無言のプレッシャーが家庭内の全員に生じます。だからどんなに困っていても、なかなか外で相談しようとしないのです。

「否認」については以下のリンクを併せてお読みください。

参考リンク:「リビングルームの恐竜」現象(新しいタブで開きます)

「親を助けてあげられなかった」という特有の無力感や罪悪感

こうして依存症ゆえ親としての役割を果たせない親のもとで育った子は、しばしば特有の無力感や罪悪感を心の奥深くにかかえます。客観的にみれば治してあげられなくて当然だし、その子には何の責任もないのですが、その子の心には「自分はなにもできなかった」とか「親を助けられなかった」といった悲しい思いが生じるのです。

さらに、成長する上でのニーズが満たされない状態ゆえ、子どもが親に儚い願望を抱くことも少なくありません。具体的に言えば、「いつの日かまともな親になって、幸せな家庭で愛情もって自分を育ててほしい」という望みです。たとえ表面的にはそう口にしていなくても、心の奥深くに沈んだこの心理は、本人が自覚しないうちにその行動を強くコントロールします。ふがいない親を、それでもあきらめきれないのです。

こういった複雑な深層心理のため、たとえばアルコール依存者を親に持った子どもが、「パパ/ママのめんどうをみてあげなくては」といった思いから「いっしょに飲んであげる」ため酒に手を出し、そうこうするうちに自身まではまりこんで人生を台無しにしてしまう、という事例は数多くあります。このパターンは薬物などでも同じです。

(※誤解や偏見につながらないよう補足しておくと、親が依存者だからといって子どもが全員そうなるわけではありません。そのリスクが高いわけでもありません。)

少しでも相談しやすい環境をつくるために

以上の通り、家族メンバーが依存症(らしき状態)になっている状況にある人は、深層心理のはたらきによって、もとより外で相談しにくくなっています。

とりわけ患者を親にもつ子どもは、悩みをますます心の奥底に抑圧しがちになります。未熟であるゆえ自分の周りの世界を十分理解できず、また言語化するのも難しいことが重なるからです。後述しますが、自身の成長段階を存分に経験できないことから、その心と人生には深い傷が残ります。

このような性質がある中で、社会の側が依存症に対してイメージ先行、感情論で反応しがちだったらどうでしょう? 困り果てた家族は、ますます打ち明けにくくなってしまいます。

たとえ深層心理はどうしようもないにせよ、社会の側が多少なりとも環境を整えておくことは可能です。少しでも相談しやすい環境をつくるためには、社会に患者家族をオープンにむかえる雰囲気があるべきではないでしょうか。

赤いハートとアイスキューブに閉じ込められたハートのイラスト
社会の側に、「そういう話」を受け入れられる心の準備を。

人生で途方に暮れた時に輪をかける、脳の新しい神経回路

以上は、家族、特に親の依存症が背景にあるケースをみてきました。ですが、無論、依存者の全員にそういう家族がいたわけではありません。周りに原因はなく、本人が人生のどこかでその道に入っていってしまうケースもその大半を占めています。

イメージ先行のきらいがある依存症。何となく「怖い人」というように遠い世界のような気がするかもしれませんが、実際にはそうではありません。多くの患者は、家庭の問題、挫折の体験、失業や金銭的に大変なことなど、人生で苦痛をかかえていたといわれます。

犯罪組織や違法スレスレのうさんくさい人々は、悩んでいる人を敏感にかぎつけ、巧妙にすり寄ります。世間の人が絶句するような卑怯で暴力的な手口も少なくありません。

それに、お酒であれば日常生活の一部としてかんたんに買えますし、飲んでいても特に疑問視されません。まじめだった人でも依存に陥ってしまうのはそのためです。

世間は「非行」と呼ぶけれど―虐待から逃げ出した子がぶつかる非情な現実

まず指摘できる依存の背景は、非行です。事実上は薬物のケースがほとんどになるでしょう。夜に繁華街をぶらついているうちに、犯罪組織やグレーゾーンのグループに入っていく――こう聞けば「怖い人」という印象で、同情があまりわいてこないかもしれません。

しかし、実情に目を向ければ、非行は「不良」とか「グレている」というイメージとはまるで違うことが分かります。非行の現場に長年携わってきた警察官は、「夜間に繁華街を徘徊している『非行少年』のほとんどは家での虐待から逃げ出してきた子だ」とまで語るほどです。

近年では小学校高学年にもなれば「虐待」という言葉を知っています。社会で認知が広まることで、相談へのハードルは年々下がってきました。しかしなお、「親から虐待されている」と言い出せない子は一定数います。その大きな原因は、状況が動くことへの恐怖という、これまたヒトの心理だといわれています。「その子にはなんの落ち度もない」とか「言えば助けてもらえるのに」といった一般常識はそのまま通用は通用しません。誰にも相談できず、着の身着のままで家から逃げ出した末に、危険な世界へ引きずり込まれていってしまうのです。

身一つで家出すると、具体的にはどんなことが待ち構えているのでしょうか? その子の立場に立ってシミュレーションしてみれば、その過酷さと、たとえ薬物の世界に入ってしまったとしてもそれには理由があるのだということが身に染みて分かってくるはずです。

――あなたは、家で毎晩親から気を失うまで殴られている、あるいはごく日常的に性犯罪に遭っている高校生(これが児童虐待の現実。とても人に言いにくい)。ある夜、親からの攻撃をとっさにかわしたその体勢から玄関へ這い出し、家を飛び出しました。

……さて、どこへ行きますか? 行くあてはありません。どこか明るい建物に入ろうにも、夜なので、大きなスーパーすらもう閉まっている。お金はコイン一つ持っていない。朝まで時計一周近くの時間をやり過ごす場所などない。ましてや暮らしや将来を考えるどころではありません。ここに雨なんて降ってこようものなら、服までぬれてしまいます。

しかたがない。夜でもまだ人のいる繁華街へ行ってみると、そこでは犯罪のプロたちが待ち構えています。誰でもいいから人を釣り、ありとあらゆる嘘や陰謀を駆使して食い物にするためです。

薬物は、犯罪組織にとっては利用価値のある物質です。通りすがりの若者に何とかして薬物を使わせ(雑居ビルの一室へ連れて行き、逃げられない状況に追い込むことも多い)、依存させてしまえば、その後定期的に薬物代を巻き上げることができるからです。驚くべきは、犯罪者はコイン一つ持っていない若者をもカネに変換するところ。薬物の代金を、借金の形で負わせるのです。そうしたらあとは組織に隷属させられる。薬物犯罪のしたっぱとして働かせたり、「バイトを紹介するからその給料で払え」などと称して自分たちの後ろ暗いビジネスに引きずり込んだりするのは、かねてより犯罪組織の常とう手段です。

さて、着の身着のままでお金がなく、教育=世の中についての知識も道半ばである十代のあなたは、犯罪を生業とする大人のプロ集団に太刀打ちできるでしょうか?――

いま薬物を使用している人も、自ら興味を持ってその道に入っていったとは限りません。特に、悪い人から半ば無理やり使わされたのが始まりだったというケースでは、その人は犯罪の世界を生きる「怖い人」どころか、事実上被害者の立場なのです。

”毒親”を振り払おうとするうちに

たとえ暴力ではないにせよ、不健全な精神で子どもの心に深い傷を負わせる親はいるものです。最近はスラングで”毒親”などと呼ばれていますね。

不健全な親をもった子は、自己肯定感の成長がさまたげられ、「自分に価値を感じられない」といった悩みをかかえがちです。人生や対人関係に支障をきたしているけれど、どうすれば、誰に相談すれば、どんな自分になればいいのかわからない……。犯罪者は、こういう心の奥にしまい込んだモヤモヤを巧みにキャッチし、「友達になろうよ」「(薬物を使っていると)すごくイケてるよ」などと甘い言葉で薬物に誘い込むのです。こうして薬物依存に陥る人の過去は様々で、いわゆるエリートのような人も少なくありません。たとえば、世間では尊敬されている医師の親から医者になれと勝手に決められ、大人になってから薬物をやっている時だけ「本当の自分」を感じられた……などという実話はいくらでもあります。

人に言えない悩みをかかえる人は、普段、表向きは「普通」をよそおっています。一見普通に見える人が、じつは一般常識の通用しない異様な家庭で、破滅的な傷を負っているかもしれないのです。

失業、挫折、人生急変。苦痛や憔悴と、日常の中にある入り口

ここまでは、家庭での問題がバックグラウンドにあったケースを紹介してきました。

が、もちろんそれだけが依存症の原因なのではありません。失業、経済的な困窮、挫折、離別、死別など、自身のつらい体験や状況が背景となっているケースも多々あります。もう少し具体的に言えば、

  • 会社の人員削減で、突然解雇された。収入が途絶え、家計の先行きが見えなくなった。精神的に憔悴し、次の仕事の当てもない。
  • 仕事でミスしたことをきっかけに退職を余儀なくされた。これまでは淡々と人生を歩んできたので、生活の急変は初めてだった。
  • 過去に学校でいじめを受けたことがあるが、適切なサポートは得られなかった。いまでも人間関係がうまくいかず、またトラブルになった。

などです。また有名人でいえば、イギリス王室のハリー王子は十代のころアルコール依存に陥り、薬物に手を出したこともあります。原因は、12歳の時に母・ダイアナ妃を突如亡くしたにもかかわらず、その悲しみやショックを表に出すことを禁じられたことでした。大きすぎる苦痛が物質使用につながったのです。

誰の人生も、大変なことがゼロで順風満帆とはいきません。それまでの人生が急変し、ふさぎこんだり、自暴自棄になったり、極度の不安にさいなまれることはあるでしょう。

違法な薬物なら手元にはないでしょうが、お酒等であればどこでもかんたんに手に入ります。お酒を飲む、パチンコに行くなどは、極端な摂取でない限りは誰の目にも日常的な行為の範囲です。脳がそれを医学的な「快」情報と認識するかどうかは、自分でも選べるわけではありません。

こうして知らず知らずのうちに依存症になっていってしまった人は、しばしば「そういえばあの時、お酒を飲んでいる時だけ気分が楽になった」などとよく語ります。後から振り返って、あの頃依存への入り口をくぐっていたのか……と分かるのです。脳がその物質等を「報酬(ごほうび)」だと認識し、新しい神経回路ができてしまえば、依存症は自動的に発症します。何も乱れた生活をしていたとか、心が弱かったというわけではないのです。

社会での差別と、そこから生まれる深い葛藤

以上2つの「人に言えないほど深い悩み」は、いずれも人生や人間関係といった個人的な環境から生じたものでした。このほか、社会の悪しき状況も物質使用の原因となることがあります。差別です。

去る2019年、世界的ロックバンド・クイーンの伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』が大ヒットしたのはまだ記憶に新しいのではないでしょうか。ボーカルのフレディ・マーキュリーを主人公に、彼が「本当の自分」に悩む様を描いた本作は、多くの人の共感を呼びました。

フレディ・マーキュリーは一時アルコールや薬物への依存に陥っていたといわれていますが(諸説あり。バンドメンバーは否定したこともある)、バンドが人気を博す前から、彼はひとり、深い悩みを抱えていました。彼はバイセクシャル(両性愛者、LGBTのB)で、同性愛の傾向があったのです。フレディ・マーキュリーはセクシャリティだけでなく、出身地や人種など、複雑なバックグラウンドにも悩んでいました。

今日では、小学生でもLGBTという言葉を知っているようです。しかし、クイーンが絶頂にあった70~80年代の西欧社会では、同性愛者はまるで性犯罪者のように考えられていました。自分は何者なのか。自分のアイデンティティがひどい差別と偏見の対象となっている社会で、そのことをオープンに語れるはずがありません。フレディ・マーキュリーがアルコールや薬物に手を出し、おぼれていった一因は、葛藤を抱え、さらに「同性愛疑惑」のスクープで追い詰められたことでした。

このような人に言えない葛藤から、偶然出会った薬物等で苦痛や苦悩を緩和できるような気がして、みるみるうちにはまりこんでいった……というのは、依存症になる典型パターンの一つです。

差別が悪たる所以

差別が悪たる所以は、その人の存在価値を減ずるところにあります。その人がどんなキャラクターであろうが、努力して能力をつけようが、「生まれつき根本的にダメ」と烙印を押してあざ笑う。それが差別の本質なのです。

差別は人工的なものです。被差別属性による葛藤は人や社会の在り方によって生み出されたものであり、それを人に話すことすらできないのも社会環境に起因します。こうして理不尽に追い詰められた人がアルコールや薬物に追いやられるのは、差別がある社会の自作自演のようなものといえるかもしれません。

まとめ:もとの原因を解決しない限り

以上、アルコールや薬物などへの依存の背景にある「人に言えないほど深い悩み」の現実を紹介してきましたが、いかがだったでしょうか。

もっとも、依存症患者の全員が全員家庭の問題や社会での葛藤をかかえていたわけではありません。ずっと健全な環境で育って幸せだった人がひょんなきっかけから、というケースもあります。

ただ、口に出すことがはばかられるほどの事情を心の奥深くに抑圧している人は、世の中にはけっこう存在しています。そして彼らは、なにげない日常の風景のなかにまじって一見普通に暮らしています。別世界の特殊な人々ではありません。毎日会っているあなたの友達や同僚が、本当は言葉にできないほどの葛藤や苦しみでもがいているかもしれないのです。

そうした人生の苦痛が依存症の根っこにある場合、本人だけに克服をうながしたところで問題全体は解決しません。たとえば若い人が薬物グループからぬけようとしていたとしても、家庭に虐待があるなら身の危険は続きますし、家から逃げ出せばまた悪い人に狙われます。居場所をつくらない限り、まっとうな環境にある子よりもリスクがはるかに高くなってしまうのです。ましてや差別が根っこにある場合、もとはといえばその不当かつ多大な苦痛を負わせたのは社会のほうです。ここで依存している人=差別に悩んでいる人を叱責すれば、社会正義の観点から公正さを欠く結果となりかねません。さらには「〇〇は薬物を使うような人たちだ」などと差別意識を助長してしまう可能性すらあります。

深い悩みが背景にあるケースでは、本当の問題はその苦痛のほうであり、依存症は派生的な問題だと言ってもいいでしょう。これを解決するには、アルコールや薬物等の是非という枠ではなく、「本当の問題」からアプローチすべきだといえるでしょう。

二次的に生じてくる、生活上の深刻な問題

「脳の神経回路が変質したため、やめたくてもやめられなくなる」という症状からは、必然的に生活上の問題が生じてきます。泥酔する、家のお金を際限なく使う、サラ金から借金する、他人に暴力を振るう、犯罪行為に手を染める……などです。

頭蓋骨の内側でニューロンの新しいネットワークができようが、それは目には見えません。ところが、症状ゆえの問題行為はとにかく目立ち、関係する他人を次々と巻き込みます。健康な人なら一度に抱えるはずがなく、健康な人でも対処しきれないほどたくさんの問題を、通常の社会生活を送れない患者が背負うのです。下の図解は薬物のケースですが、対象物が他のものであれ成り行きはほとんど変わりません。

薬物依存症が生み出す様々な問題の図解
(出典:ご家族の薬物問題でお困りの方へ 厚生労働省)

問題の複雑化と悪循環

事の成り行きをもう少し具体的に説明すると、すべての始まりは、対象物を使い続けなければ気が済まなくなり、量や回数が増えてゆき、自分でやめようと思っていてもコントロールがきかなくなることです。そのために体調を崩したり、怒りっぽくなるなど、人柄まで荒々しく変わってしまいます。

依存が始まれば全ての時間が対象物に費やされるようになり、薬物等の影響によって能力も下がります。これでは、学校で他の生徒・学生と普通に勉強するとか、職場で仕事をこなすことはできなくなります。また、この時点で普通の友達は付き合いようがなくなり、去っていきます。こうなれば必然的に乱用仲間だけと付き合わざるを得なくなり、医療などが待っている一般社会からはますます遠ざかってしまいます。どんどん悪循環に陥っていくのです。

やがては、多くの場合、借金の問題が生じます。酒を飲み続けるには金が必要で、薬物を買い続けるにはもっと金が必要だからです。しかしその時には借金を返す経済力がないので、家族や借金取りとの間でトラブルが悪化。ついには犯罪を犯してまで対象物を入手しようとします(店から酒を盗むなど。薬物の場合は手に入れた時点で犯罪)。たとえ本人がやめたい、いやだと思っていても、脳の神経回路はその意志と関係なく働き続けます。

「脳の神経回路のはたらきによってやめることができない」という性質上、依存症は本人の日常生活や人生にまで波及します。一般的なケガや病気とは違う、特殊な破壊力があるのです。

第三者や社会が患者をいくら叱責したところで、借金が帳消しになってくれるわけではありません。それが解決にはならないのです。加えて、先に十分なスペースを割いて解説した通り、依存者はもとはごく普通の人です。虐待やいじめ、ハラスメントなど、不当な苦痛を与えられてきた人も少なくありません。借金のような二次的に生じる問題は見過ごされがちな側面ですが、依存症について言及するときには知っていなければ状況に合わない反応をしてしまうかもしれないのです。

「依存症は家族の病」―病んでいく患者家族

これまでの解説ですでにだいぶ見えたと思いますが、患者への非難や精神論が功を奏さない4つ目の理由は、患者家族が置かれる過酷さです。重大な問題であるにもかかわらず、見過ごされがちな側面ではないでしょうか。

医療や自助グループなどの現場では、「依存症は家族の病」といわれています。家庭に依存者がいることで精神面に悪い影響が及び、家族全員が病んでいってしまうのです。

酒を飲む父の影とうずくまっている子ども
家族には支援が必要である。放置されるべきではない。

相談や治療にようやく動き出したけれど……

上記では、患者の家族メンバーは深層心理がはたらくことにより、なかなか外で相談しようとしないと言いました。

しかし、いつかは何らかのきっかけで「リビングルームの恐竜」を直視せざるを得ない時はやってきます。たとえば、

  • お金のことでウソをつかれたために、知り合いとトラブルになった。
  • 本人が薬物を購入しているところを現行犯逮捕された。警察が入り、刑事手続きが始まった。
  • 息子がある日「『死ね』という声が聞こえる」と言い出した。
  • 恐ろしい風体をした借金取りが家にやってきた。

「依存なんてないことにする」という悲しい努力は、いつか終わらざるを得なくなるのです。

もちろん、そうなる前に相談先を探し、動き出す人もたくさんいます。

家族救出という至上目的

家族メンバーが毎日泥酔して、床で寝てしまう。違法薬物らしきものを所持しているところを見てしまった。――こうした状況を「問題である」と認識すること、そして保健所や医療機関で相談することは回復への大きな一歩です。これに疑いの余地はありません。

ただ、ここで、患者家族には新たな問題が生じます。ひとたび対処にとりかかれば、家族の生活すべて、精神のすべてが依存者を救うことに向けられてしまうのです。依存症の治療が「至高の目標」として掲げられ、家族メンバー全員がそれに尽力しなければならない。家族が、全体主義的な病んだ集団となってしまうのです。

「すべて依存と名のつくものは家庭崩壊で終わる」などといいますが、10年、20年と長い目で見れば、壊れた家族関係が修復に向かう例はあります。依存症はなったら絶望、というわけではありません。

ですが、その破壊力ゆえ、失ったすべてを取り返すのは残念ながら現実的ではないでしょう。これが「依存と名の付くものにハッピーエンドはない」といわれるゆえんでもあります。

成長の妨げと、大人になっても残る傷

子どもへの深刻な心理的影響は上記ですでに解説しましたが、改めてもう一点補足をしたいと思います。大人になってもなお消えず、取り返しのつかない心の傷です。

家族メンバーの治療に専心しなければならない負担は、子どもにとって成長の妨げとなります。

たとえば、小3の子のパパが缶ビールを盗んで捕まって、家族はとうとう「事実の否定」をしきれなくなり、「家族一丸となって」治療に入ったとします。……小3の子には、その年齢限定の感性があり、遊びがあるじゃないですか。友達と野をかけまわったり、秘密基地をつくったり。人間は、そうやってその年齢に必要な栄養を得て成長していくものです。ところが、「パパのアルコール問題」を中心に回っている家庭生活では、自分の人生は二の次三の次にならざるを得ません。たった小3にして「親を救う」活動に従事するはめになってしまう。本来は小3の子が親からの愛情やサポートを必要としているのに、これではどちらが親だかわかりません。成長期に「自分の人生」を送ることができないままその年齢を過ぎてしまえば、同じ成長のチャンスは一生望めなくなってしまいます。

「家族の病」の特殊な心理や他人の治療中心の生活、そして日々の生活での恐怖が子どもの発育・成長にとって有害なのは想像に難くありません。その情緒の発達には、深刻な悪影響がもたらされます。子どもが極端に無口になったり、友達と心の交流ができないなど、将来にわたって対人関係に支障が出る例は多くみられます。成長過程が台無しにされてしまったために、依存症患者を親にもった子どもは、大人になった後も苦しみ続けています。

人は生まれる時、家庭環境を選ぶことはできません。偶然そのような家庭に生まれた子どもまで孤立無援になってしまうのは残酷で、公正さを欠いています。

子が依存症になった親の葛藤と嘆き悲しみ

以上では子どもの成長への悪影響をじっくり解説してきました。

が、その逆、依存症の子をもつ親の壮絶な暮らしと葛藤も決して見過ごしてはなりません。その現実を直視した瞬間から、わが子に何とかやめさせよう、立ち直らせようと、必死な日々が始まります。

努力すれども報われず、弱り果てる「イネイブラー」の悪循環

どの親も最初にすることはだいたい決まっています。「そんなものはやめて!」と泣きながら懇願する。あるいは「そんなことはやめなさい!」としかりつける。これが毎日続きます。しかし、この時点ですでに依存の神経回路はできてしまっているので、本人がやめたいと思っているか否かに関わらず、その努力が報われることはまずありません。たとえ一時的に対象物摂取がおさまったとしても、すぐに元に戻ってしまいます。やめさせようとしてもうまくいかない経験を数限りなく繰り返すうち、親の心には怒りや焦燥、無力感などが募っていきます。

また、このような状況になると親はたいてい必死でそれを外に隠そうとします。その理由は、機能不全に陥っている家庭ほど「普通の家庭」をよそおうという心理学的な要因がまず一つですが、それだけではありません。「親の育て方に問題があったのではないか」「虐待していたのではないか」などと言われるのではないかという恐れも大きな理由です。特に対象物が薬物の場合は、犯罪にかかってきます。わが子が逮捕されるのではないか、この子の人生はどうなってしまうのかという悪い予感が頭をよぎり、パニックになるのは自然なことでしょう。

やがて二次的な問題が発生する段階まで進めば、親はそれへの対処に奔走せざるを得なくなります。アルコールを渇望する神経回路が年中無休ではたらこうが、本人にはすでに経済力などありません。依存症という病気には、対象物中心の生活を支えるよう周りの人を仕向ける「ケア引き出し行動」が非常にうまくなるという特徴があります。その影響で、親は身体症状で体調を崩した子を親身になって看病したり、「今回だけだよ」などと言いながら借金を肩代わりしたりと、必死になって動きます。このように依存症患者の「対象物中心の生活」に巻き込まれ、その生活を際限なく、丸抱えで支えている家族などを、専門用語で「イネイブラー」といいます。

ですが、こうした「イネイブラー」の行動は回復の手助けになることはなく、むしろ重症化させてしまいます。たとえ本人が「もう二度とこんな迷惑はかけるものか」と固く決心していたとしても、脳内に形成された依存の神経回路にとってはそれが狙った通りの結果だからです。ケアを引き出せばまた対象物を摂取できるようになる、というわけです。

めちゃくちゃになった生活。なぜこんなことになってしまったのかという悲しみや葛藤。何とか立ち直らせようと一生懸命になっているのに一向に報われない怒りや無力感。現実問題としての借金返済……。こんな日々が続くうちに、親は身も心も疲れ果てていきます。この疲労と憔悴により、彼らは本来持っていた思考力や判断力が弱まってしまいます。それゆえ「相談しよう」「医療機関を受診しよう」といった能動的な行動を起こせなくなっていき、ますます治療から遠ざかって社会から孤立してしまうのです。

対応する家族がすべき3つのこと

いくら叱っても、泣いて頼んでも、尻ぬぐいしてもダメ。ならば、親はどうすればいいのでしょうか。本稿は主に広く一般に向けたものですが、近しい人の変貌ぶりに困り果てている読者もいるかもしれませんので、要点はまとめておきましょう。

患者に対応する家族がすべきことは3つだといわれています。

  1. 医学的・心理学的な知識をつける
  2. 適切な対応方法を身に付ける
  3. 家族自身が元気を取り戻す

正しい情報は命です。素人の思い付きでは、いくら必死にもがいたところでうまくはいきません。厚生労働省のサイト(リンクはページ末尾)や市販の書籍などが、一般人にもわかりやすく解説してくれています。

依存症は、治療に入らない限り回復することはありません。自分たちだけでかかえこむことなく、まずは地域の保健所や専門の医療機関に相談することが回復への第一歩です。

振り子のようにゆれる「犯罪への非難」と「支援の充実」論

医学的に、患者を非難することは依存症を治すのに効果がないと言いました。場合によっては症状に拍車をかけたり、社会的な視点からは公正さを欠く可能性があるとも言いました。

しかし性質上、依存症の周りでは本人に非難が行われる場面はあります。「非難は治すのに効果がない」というだけで、これを適切かつ合理的な非難までしてはならないという意味にとるべきではありません。

近年、主に芸能人の薬物犯罪に対するバッシングが過激化するとともに、医療の現場などからは「非難してもよくはならない」との声がたびたび上がるようになりました。薬物乱用防止の標語「ダメ、ゼッタイ」や「クスリ、やめますか? それとも人間やめますか?」などにも、依存者がかえって孤立を深め、治療につながりにくくなるなどの指摘がみられます。患者への支援を充実させることや、依存症への偏見をなくすこと、社会が依存者に対して寛容になることを求める風潮が一部にできつつあるといえるでしょう。

ただ、そういった「支援の充実」論が強くなりすぎれば、弊害として今度は反動の波が起こってくるのも事実です。特に薬物は違法なので、「犯罪なんだぞ。それを批判するなとはどういうことだ」と人々を混乱させたり、かえって依存者の印象を悪くしかねません。

では、適切かつ合理的な非難が出てくるのはどういった場面なのでしょうか。本稿の最後には、社会でごちゃまぜにされた末の混乱を整理整頓したいと思います。

依存者に一定の非難があるケースとは

まず第一は、依存対象が違法な場合です。薬物や、未成年者の飲酒などがこれにあたります。

違法行為を行った以上は、刑事責任を問われるのは社会の決まり事であり、当然です。家族などにとってはショックでしょうが、これは受け入れるしかありません。薬物依存者にとって、逮捕や服役には利点もあるといいます。勾留・服役中は薬物を断った生活ができますし、「自分のしたことは悪いことだったのだ」と重い責任を実感できるからです。

たとえ薬物への入り口が悪い人に半ば無理やり使わされたといった「かわいそう」なケースであっても、その後所持したり、常習で使用したりしたなら、それが違法行為であるのは変えようのない事実。そういう個人的な事情は、考慮されるとしても情状酌量までです。

確かに、合理的な範囲を越えたバッシングは無意味であり、むしろ有害でしょう。しかし、刑事司法は、犯罪を抑止し、また罪を犯した人には再犯を防止するため、なくてはならない国家の作用です。メディアや活動家は、刑罰によって依存症が医学的に治らないことを以て、それが無意味であるかのような誤解を与える表現は避けるべきではないでしょうか。

刑事司法においては、国家の刑事司法に薬物依存の治療や服役後の社会復帰支援をどうつなげていくか、理論上でも実務上でも、さまざまな模索が続いています。

第二は、「イネイブラー」の役割を周囲の人々が断ち切る時です。具体的には、金を無心しようとする子に対し、親が「もう借金を肩代わりすることはない。自分の借金なんだから自分で払いなさい」と突き放すような場面です。非難そのものではないかもしれませんが、患者に対して一定の厳しさがみられますね。これは、治療や自助グループへの参加などがある程度進んだ段階で起こります。

患者自身が断薬・断酒等を決意するためには、「底つき体験」が有効であるとされています。「底つき体験」とは、依存対象のために自分の人生がどうにもならない状況に陥っていることを認識し、この地獄から抜け出すには依存症を治すしかないと気づくことをいいます。

にもかかわらずただあたたかく同情するだけでは、患者の回復にとってかえってよくありません。それではイネイブラーに近づいていってしまいます。

第三は、直接関係者のありのままの感情においてです。前述の通り、依存症の破壊力はすさまじく、家庭内に患者が一人いるだけで、家族や関係者には取り返しのつかない甚大な被害がおよびます。たとえば、アルコール依存の父親のために恐怖に押しつぶされた幼少期を送り、情緒の発達を妨げられ、普通の人と比べて人生が台無しになってしまった人に対して「父親を非難してはいけない」というのは無理な話。この父親が子に対する親としての責任を果たせなかったのは事実だからです。

非難によって依存症が治らないのは事実ですが、それは家族や関係者が怒りや悲しみといった感情を抱いてはいけないという意味ではありません。もしそのように受け取れる表現をすれば、それはそれで公正さを欠きます。たとえ意図的ではなくても、関係者に深い傷を負わせかねません。不特定多数に情報を発信するメディア等は、ただでさえ混乱と憔悴のさなかにある人をさらに追い詰め、精神的に抑圧したりすることのないよう留意すべきではないでしょうか。

社会にあるべき支援とは

以上のように、患者に対して過度な同情に走るだけでは、本人のためになるとは限りません。かえって有害な情報となる危険性すらあります。では、単純には割り切れない複雑な現実の中、いま充実させるべきだと言われる「支援」とはどういうものなのでしょうか。

根本的に必要なことは、正しい知識の普及でしょう。相談しやすい環境ができるには、あらかじめ知識がある人が社会に多ければ多いほどよいからです。

たとえば、ある高校生が先輩たちに取り囲まれ、「なんでやらないの。みんなやってるから平気だよ」と迫られて薬物を初めて一回使用してしまったとします。この時点で誰か相談できるかどうかは、その後の行方を大きく左右します。

依存症が本人の「心」ではどうにもならないれっきとした科学的・医学的な病気である以上、最大のポイントはいち早く治療につながることです。それがすでに依存状態に陥りつつある人へのベストな支援であり、家族など関係者の困難を少しでも減らす結果をもたらします。社会の側の課題は常に「依存者とみられる人をどのようにして、いかに早く治療につなげるか」なのです。

まとめ

以上、今回は「すでに依存症を患っている人がそれをどう克服するか」という問いを立てたうえで、その答えとして必要なのは非難や精神論ではなく治療である4つの理由を述べてきました。さらに、近年メディアに見受けられる患者への過度な同情およびそれへのバックラッシュに対して、バランスのとれた見方を提示してきましたが、いかがだったでしょうか? 読者にとって、本稿が「世の中に関する基礎知識」として依存症を学ぶ一助になれば幸いです。

最後にもう一度、ポイントをリストにしてまとめておきます。

  1. 依存症の原因は「脳の神経回路」なので、本人がやめたいと思っても止められはしない
  2. 背景にある「人に言えないほど深い悩み」が解決されない限り、問題全体は解決しない
  3. 成り行き上必ず、借金や家庭崩壊、失業など別のトラブルが付随する
  4. 患者家族の心に深刻な傷が生じている

近年、薬物事件で逮捕された芸能人へのバッシングという形で注目が集まった依存症。しかし、ただ「なにやってんだ!」「自分を鍛えろ!」などと非難や精神論をぶつけたところで、脳の神経回路は元には戻らず、借金や、家庭崩壊や、家族の心に残る深い傷あとが解決されるわけではありません。この現実を直視して、「現に起こった問題への対処」を考えれば、治療こそ必要だということが見えてくるはずです。

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【主要参考文献】

『ぜんぶわかる 脳の事典』酒井建雄、久光正監修 成美堂出版

依存症についてもっと知りたい方へ 厚生労働省

ビッグ・ドクター家庭医学大全科 法研 2004年

物質関連障害の概要 MSDマニュアル家庭版

ご家族の薬物問題でお困りの方へ 厚生労働省医薬・生活衛生局監視指導・麻薬対策課発行(PDF)

『毒になる親』スーザン・フォワード著、玉置悟訳 講談社 2001年第1刷、2015年第45刷

(※著者は、十分な調査の上、情報が正確であるよう注意して本稿を執筆しましたが、医療の専門家ではありません。診断や支援には、必ず専門医療や自助グループを当たってください。)

(※記事初公開:2020年1月11日。リニューアル:2022年11月21日。初公開当時は、芸能人の薬物犯罪とそれにともなう出演作の自主規制、およびネット上でのバッシングが問題となっており、オリジナルはこうした社会状況を前提に執筆しました。しかしその後数年で「芸能人が薬物犯罪で逮捕→作品を自主規制」というパターンそのものが世から消え、人々から忘れ去られた感があります。オリジナルの世に訴えるような論調が現実から遊離したものになってしまい、価値を見出せないと考え、このたび医療情報として役立つページにリニューアルしました。オリジナルの枠組みは残しつつ、医学的な情報を大幅に加筆し、報道のあり方や刑事手続きの考え方の箇所を新たに書き下ろしました。)

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