静観、行動、ユーモア:作家に必要な3つの要素

ある目的に対して、手段というのは複数考えられるものです。たとえば東京から福岡へ行く方法だったら、おおざっぱなだけで飛行機、新幹線、バス、フェリーの4通りがあり、ここに具体的な路線、便などが加わってうんと枝分かれします。それらすべての選択肢からどれを選ぶかは、それぞれが決めること。できる限り早く着きたい、旅程に無理がないほうがいい、チケットの値段、窓から見える景色を重視したい、大きな荷物を運びやすくないと困る、など、優先事項は人それぞれで、どれも正解に変わりはありません。

成し遂げたいことを実現する方法として、私は政治家でも、ジャーナリストでも、起業家でも、学校の先生でも、NPOワーカーでもなく、作家を選びました。それは、作家ならではの強みを活用したかったからです。今回は、私がペンを選んだ理由たるこの職業の特徴、かつ必須の力でもある3つの要素を挙げていきたいと思います。

まずは、静観する

今、何が起きているのか?

去る2016年の大統領選以来、テレビには毎日、アメリカのトランプ大統領が映っています。世界情勢にぼう然とし、深く心を痛めているのは、決して一人二人ではありません。危機だらけの時代に、その危機を生み出す主体も様々です。特定個人の場合もあれば、ある政治的グループのこともあるし、あるいは残念ながら、抽象的な大衆が愚行へと流れていってしまうこともありますね。世界も日本も、まさに混迷の渦中です。

さて、冷静な頭で、距離を置き、いまの状況を理解することは、ものを考え行動するための最初のステップです。アート作品を作るなら、この「現状を静観する」というステップをとばすことはできません。あるいは、このプロセスをとばさずにすむ、ということでもあります。

複雑な現実を自分の目で見つめ、自分の冷静な頭で考える。あらゆる物事に対してこの姿勢でのぞめるのは、ペンを持つからこその魅力であり、強みです。

行動に移すことの重要性

頭で覚えた理論だけだと、どうにも自信を持てないことがあります。頭では分かったけれど、これは本当に実行できるのだろうか? ひたすらテキストに向かい勉強を重ねると、そんな不安がわいてきたりするものです。

それに対して、創作は必ず、意志から始まります。「こんなことを書いてみよう」と自分が思い立ち、ペンを走らせなければ「作品」はできあがりません。そしてこのように表現すること自体が、一歩を踏み出すことを意味します。

もっとも、そういった意志をスタートラインとしない作品も世の中に多々あるのは確かです。残念ではありますが、権威ある文学作品には、人が苦しむ悲惨な出来事を感傷にひたりながらながめ、流麗に筆を運んだことで「文学性」が高いと評価されたようなものもずいぶんありますね。さらに巷の人気作品へ言及するなら、商業展開しやすいよう内容を無難にまとめ、目新しいスポーツか何かを題材にした物珍しさで注目を集める例が後を絶ちません。

しかし、文学には本来、上流社会のたしなみでもカネを作る装置でもなく、まったく別物になる可能性もあるはずです。

行動する「場」としての文学だってあり得ると思います。世の発想を変えてしまいたい。誰もやらないなら、自分が真っ先にやってしまえばいいだけです。

まずは自分が変わること。私にとって、作家になるということは、自ら率先して実践主体となることを意味します。

ユーモアをまじえて乗り越える

文学を含む「アート」という方法を選ぶなら、ユーモアこそ必要不可欠だと私は考えています。

生きづらい社会です。

もしも私がルポライターだったら、絶望的な出来事を取り上げれば絶望感ただよう記事を仕上げるでしょう。特定分野の専門家なら、豊富な知識に裏付けられた論文を出すでしょう。

ただ、これでは読者にとって辛すぎる。人間は、痛みを避ける生き物です。貴重な余暇は、楽しみたい。難解な専門用語がずらずら並んだ文章は、読解するだけで骨が折れます。ましてや読後に絶望感だけが残るようなものは、敬遠されてしまいます。たとえそれがどんな重要情報であっても……。

そして見逃せないのは、書き手にとっても辛い作業が続くこと。その辛さや痛みは、必ず文章に表れます。

無論、ジャーナリズムや学問は必要です。ですが、多くの人が喜んで手に取り、楽しんで読める表現も世になくてはなりません。何より、作者自身が主人公と同じ目線で挑戦し、得た経験は、説得力が違います。

ユーモアとは、ふざけること、茶化すことではありません。無理やり笑うことでもありません。

たとえ問題が大きくても、歯を食いしばりながら立ち向かうのではなく、楽しみながら乗り越えてしまおうというスピリットやエネルギーを持ってこそ、アーティストだと思います。

ペンの強みに魅かれて

現実を冷静に、距離をとって静観する。自ら率先して行動=表現する。困難はユーモアをまじえながら乗り越える。これら3つの要素は、作家にとって必要な能力であると同時に、職業固有の特徴でもあります。

3つのマインドがうまくかみ合った時、作品が生まれる。

このスタイルで生きていきたくて、私は「ペン」という方法を選びました。

目的に対してどの手段をとっても、一長一短はあります。作家には強みだけでなく弱みもありますが、それはまたの機会に。

自分は、どんなふうに生きていこうか? 自分の道を選ぶ時は、誰にもあると思います。私は現実に立ち向かうだけでなく、自分自身が「生きる喜び」を見つけ、それを大きくすることをだいぶ重視したんですね。既存の物事とのしがらみや誰かの都合が「常識」なんていう看板をかかげて闊歩しているこの社会、「生き方」というものを一から考えるのはむずかしくなっていると感じます。しかし「常識」はくずかごのようなもので、たとえいくら掘り返しても本質は入っていない。自分の生き方への答えもない。せっかく地球に生まれたんだから、「生きること」を始めていい。そう思います。

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