日本学術会議6教授任命拒否に抗議する

2020年10月1日、日本学術会議が推薦した新会員の候補者105人のうち、菅内閣総理大臣が6人の任命を拒否するという事件が発生した。

政府から独立して職務を行う機関を、政府の「お友達」で固めようというのか。これでは、日本の学問の代表機関である学術会議が、政府の翼賛機関となりかねない。

本件は、歴史的な重大事件である。我々は今、のちに年表に載るような事件の真っただ中にいるのだと気づくべきである。一部メディアやネット上では人心を惑わすような情報が飛び交っているが、国民は決してだまされてはならない。以下では、学術会議候補者任命拒否事件が国民一般にとってどれほど関係あることかを示したいと思う。

1933年:滝川事件

政府によって学問の自由が侵害され、学問研究が政府に追従していくことは、独裁体制に直結する。日本には戦前の失敗とそれが招いた惨禍、そして教訓がある。

滝川事件とは、1933年に京大の滝川幸辰教授の刑法学説があまりに自由主義的であるとして休職を命じられ、教授団がそれに抗議して職を辞したという事件である。国家権力によって、学問の内容が侵害されたのである。

1933年当時の国民は、刑法学説など自分には関係ないと思っただろうか。だとしたら、その認識は大きな誤りであった。この後日本がたどった道を知る我々後世の者にしてみれば、滝川事件は、国家権力が学問の中身に介入した最初の事件だといえる。その重大性に気づくことなく、滝川教授が政府によって職を追われるのを止められないでおいた結果、国家権力による自由の侵害は過激化していった。

1935年:天皇機関説事件

滝川教授が休職を命じられた事件から2年後。日本史の分岐点となる、決定的な事件が起こった。天皇機関説事件である。

天皇機関説とは、帝国憲法の枠組みのなかではあるが、天皇を国の機関として位置づけ、統治の主体はその機関であるとする学説である。この説の代表者が美濃部達吉教授であった。美濃部は帝国憲法を可能な限り立憲主義的に解釈する立場をとり、1912年から天皇機関説論争で神権学派を相手に論陣を張った。結果、美濃部の説は有力となり、大正デモクラシーを背景に政界や宮中でも支配的な見解となっていた。1932年には、美濃部が貴族院議員に勅選されたほどである。

ところが軍国主義化が進む1935年、この説は「国体」に反する「反逆」とされ、説の代表者であった美濃部達吉教授が著書発禁処分、そしてすべての公職から追放された。

政府は軍からの圧力により、「国体」の名のもと天皇機関説を禁止した。当時の文部省思想局(あからさまに思想統制を行う機関があったのである!)は、全国の憲法研究者に圧力をかけていく。研究者たちは、説を維持すれば職を失う状況に追い込まれた。天皇機関説は授業で触れることすらできなくなった。

特定の学説が、国によって抹消されたのである。

1935年の天皇機関説事件によって、日本の立憲政治は死したといわれる。この後、立憲主義によるコントロールから解き放たれたむき出しの国家権力は、国民の生活を喰らい尽くし、人生をねじ曲げ、国民個々人を蹂躙してゆく。

日本は、いつまでなら、あの愚かな戦争に突入することなく後戻りできたのか。いつどうしていれば破局を避けることができたのか。それは議論の尽きないテーマであるが、立憲主義という観点でいえば、一研究者である美濃部達吉が公職から排除され、その学説が政府によって抹消されたこの事件で、日本はチェックメイトに陥ったのである。

1935年の天皇機関説事件で国家が学説の内容に介入した時、当時の国民はそれをどう思っていたのだろうか。多くは、研究者の間での事件がいずれ自分に牙をむくとは夢にも思わなかったのだろう。だがそれは誤解であり、致命的な失敗であった。その後、国民生活がどれほど破壊され、国民一人一人がどのような惨状に突き落とされたかは、ご存じの通りである。

2020年:日本学術会議任命拒否事件

2020年、菅内閣総理大臣は、日本学術会議が推薦した6名の候補者の任命を拒否した。6名はいずれも、安倍前政権の施策に批判的な立場をとっていた(小澤隆一・岡田正則・芦名定道教授が安保関連法、加藤陽子・松宮孝明教授が共謀罪法、宇野重規教授が特定秘密保護法)。

日本学術会議とは、「わが国の科学者の内外に対する代表機関(日本学術会議法2条)」であり、同3条では独立して職務を行うと明記されている。

その会員は、日本学術会議が優れた研究又は業績がある科学者のうちから会員の候補者を選考して内閣総理大臣に推薦し(同17条)、その推薦に基づいて内閣総理大臣が任命する(同7条2項)と定められている。

以上の通り、独立性を法で定められた機関に、首相が人事介入した。政府が、政府に批判的だとみた研究者を職から排除したのである。

これは学問の自由と独立の危機である。我が国の危機である。

国民の負の感情をあおろうとする傾向について

自由で民主的だったまっとうな国が独裁に傾いていく時には、しばしば権力が一般国民の感情があおり立てる。ナチス・ドイツにおける排外ナショナリズムはその典型であり、1930年代の日本ももそうである。

日本学術会議6教授任命拒否事件においては、菅首相をはじめ政権の者や一部メディアに、国民の負の感情をあおろうとする傾向が顕著に見られる。

菅政権は国費10億円が使われていること、学術会議の会員が公務員であることをやたらと強調した。センセーショナルかつテレビのニュースで尺に入る単純な言葉で、国民のねたみや憎しみをあおり、まるで学術会議が腐敗しているかのような悪い印象を頭に植え付けようとするネガティブキャンペーンである。

法律によって政府からの独立性が保障された国の機関は、日本学術会議のほかにも多数ある。国家の究極の目的は、個人の人権を保障することである。それを実現するには、国の一定の機関は、政治権力から独立していなければならない。独裁国家でもない限り、国家というのは政府から独立した機関を設けておくものなのである。

その代表例を一つ挙げておこう。独占禁止法によって設置されている公正取引委員会は、「内閣総理大臣の所轄に属」し(独占禁止法27条2項)、その委員長及び委員は「独立してその職権を行う(同28条)」と定められている。このように政府から独立した機関である公正取引委員会に使われている国費は、年間115億5300万円(令和2年度当初予算額)である。10億だの、115億5300万だのと言われれば、個人の生活感覚からすれば目のくらむような大金であるが、国家の運営にかかる費用というのは桁が違う。個人の生活資金とは根本的に別の話なのである。国家予算の日常生活からすれば天文学的な数字を提示し、それを個人の生活感覚と混同させて国民のねたみや憎しみをあおる手法はすでに使い古された感があるが、ここでまた使ってきたかと私には緊張が走った。国民はこの手に決して釣られてはならない。

フジテレビの平井文夫上級解説委員が口にした「学術会議会員は6年で学士院会員になり年間250万の年金をもらえる」、自民党の下村博文政務調査会長の「活動が見えていない」といった発言も、同様に負の感情をあおり立てようとするものである。この2点は嘘である。日本学術会議と学士院はまったく別の組織であって、「6年で学士院会員になる」というのは平井解説委員による完全な作り話である。また、下村政調会長は活動が見えていないというが、学術会議はさまざまな提言等を行っている。

国民の負の感情をあおる極めつけは、学術会議は中国の軍事研究に協力しているという話である。これにも根拠はなく、学術会議は明確に否定している。この説(?)はネットで拡散したが、元となったのは自民党の甘利明元経済再生担当相のブログだとみられている。外国が敵として持ち出され、敵意という負の感情がセンセーショナルにあおられているのである。引いた目で客観的に見れば、危ない兆候だと分かるだろう。

誤情報、しかも国民の心理を特定の方向へ誘導しようとする意図的な誤情報が、平気な顔をして世に放たれたのである。国として危機的である。

自由を奪おうとする権力が、子どもにもわかりやすく黒いマントをなびかせていることはあり得ない。正当化や大義名分で一般国民を煙に巻き、人々が混乱している間に独裁的な体制を固めるのである。

権力、しかも政府の施策に批判的な研究者を排除するような権力が言ったことは、決して「そうなんだ」とうのみにしてはならない。一歩引き、冷静な頭で考え事実を確認し、行動することが大事である。

【声明】三度目の正直

1933年の滝川事件、1935年の天皇機関説事件が我が国の立憲政治にとどめを刺し、国及び国民に破局をもたらした歴史を踏まえ、私は菅内閣総理大臣に、6教授それぞれについて任命拒否の理由説明および同6名の学術会議会員任命を望む。

感情論をあおることで任命拒否をあたかも正当なものに見せかけようとする動きが、政府や一部メディアにみられる。国民は決してだまされてはならない。国民の一大不幸に直結する重大な事件を、今度こそは乗り越えなければならない。三度目の正直である。

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著者プロフィール

【緊急声明】共謀罪法に反対します(2017年)

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