孤独死の原因と対策は?~生命維持不能に陥らないために

「孤独死」は現代日本社会のテーマの一つであり、将来に漠然とした不安感を抱く人も多いが、その論点は整理されているとはいえない。早急に対策を講じなければならない深刻なケースがある一方、特に問題ではないケースも含まれているのである。メディアの報道では、暗い不安感情をあおったり、興味本位だったりするものも少なくない。そこで本稿では、まず孤独死と呼ばれ得る多様な事例を整理するところから入り、問題となるケースにしぼって原因を探ることで、自分でできる対策および社会の側の改善点を明らかにしたいと思う。

孤独死は問題なのか?

「孤独死」という言葉はよく使われているが、実はその定義は感覚的かつあいまいで、統一はされていない。そのため、一口にそう言っても具体的な中身は多様となっている。深刻なケースもあればそうではないケースもあるので、全部を一緒くたに扱うべきではない。

問題ではないケース

孤独死と呼ばれる中には、臨終の際に医療者や家族に囲まれる「看取り」なしに一人で亡くなり、発見が後日になっただけのケースも含まれている。

こうしたケースは、以下で述べるような社会的孤立の末に亡くなった事例と同列に扱うべきではない。なぜなら、人がいつどこでどのように亡くなるかは本質的にさほど選べるものではないからだ。ほんの一例だが、外出先で突然倒れてそのまま他界するなども普通にあり得る。その場合は、ベッドを取り囲まれて家族や知人に別れをするなどということはない。たとえ自分が理想とする人生の終わりに向けて準備を整えていようとも、臨終が必ずしもそれ通りになるとは限らないのである。

人によっては、家族や知人に看取られて臨終を迎えたいなどと望みを持ったり、そうした感性に基づいて他人が一人で亡くなるのをかわいそうだと感じたりするかもしれない。ただ、それは単に個人の感性や価値観によるので、社会問題として取り扱うようなことではない。

社会問題というべきケースとは

他方で、社会問題というべき事例もある。

住まい・不動産業界で起こっていること

問題の一つとして、住まいに関する側面が挙げられる。高齢者等が一人で亡くなった後に放置され、遺体が腐乱臭を放つようになったことではじめて近隣住人が気づいた、というのである。

こうしたケースは全国的に発生しており、もはやめずらしくないと言う関係者もいる。発見の時点で親族など住居に入れる者が見つかればよいのだが、そうでないと近隣住人らが悪臭に苦しみ、健康被害が出ることもある。不動産業界でも、物件の事後処理が困難なことから頭の痛い問題として持ち上がっている。

本人の命と尊厳

無論、本人の命や尊厳に関する問題点もある。以下のように事例をみていくと、制度や医療があるにもかかわらず、それが使われないまま孤独死に至ってしまったケースが多く見受けられるのである。たとえば、認知症や精神疾患にはれっきとした医療がある。介護には様々なサービスや支援制度がある。経済的困窮には、生活保護など社会保障制度が存在している。もしそれらが使われれば、彼らは助かったはずなのである。

孤立ゆえに人が生命を維持できなくなるという特異かつ痛ましい結果は、日本社会に内在する要因から生まれている。その背景を精査し、対処することが求められる。本稿では、社会問題となるケースについて論じていく。

孤独死の多様な原因

一般には、「孤独死」というと一人暮らしの高齢者が気づかれずに亡くなるイメージが強いと思われる。

しかし実際には、その原因は多様である。亡くなった人が一人暮らしでないケースは多く、また必ずしも高齢者とは限らない。しかも、多くの場合は複数の原因が絡み合っている。その人が抱えていた個人的な事情もたいていからんでいる。歴史的背景もある。社会的孤立から生命を維持できなくなるのは、こうした様々な困難の終着点だといえよう。

ただこの孤独死という問題は、どのようにして上記のような事態に陥ったのかを明らかにすれば、対策はおのずから見えてくる。以下では、孤独死に至った成り行きを要因ごとに解説していく。

一人暮らしかつ閉じこもりがち

第一に挙げられるのは、主に高齢者が一人暮らしをしていて、かつ家に閉じこもりがちだったというケースである。高齢化社会の問題としてたびたび取り上げられている。

一人暮らしというのは、必ずしも独身だったことを指すのではない。配偶者が先立った、あるいは存命していても入院しているなどの要因で一人暮らしとなることは高確率で起こる。子がいたとしても、就職などの都合により、親元で暮らすのは難しいことが多い。

高齢者が家族と同居していたり、介護施設等で共同生活を送っていれば、体調等に異変があった際に周囲が気づいて適切な対応をとるだろう(ただし、同居する家族が死に気づかないケースがいま各地で多発している。詳細は後述)。また、自宅で一人暮らしを送っている場合でも、

  • 訪問看護が定期的に来る
  • サークル活動や友人との交友がある
  • デイサービス等に参加している

といった人との適切なつながりがあれば、やはり異変は発見される。

問題となるのは、一人暮らしかつ社会とのつながりが希薄な場合である。もとより高齢世代では、人柄が閉鎖的で家に閉じこもりがちな人が多い。また、地域の古いコミュニティは、近隣同士での監視や詮索、陰口などが蔓延していることが少なくない。こうした場合、たとえ表面的には近所付き合いや地域活動が行われているにしても、メンバー個々は深く孤立している。互いに本音や困りごとを話せる相手ではないのである。実質的には「社会とのつながり」とはいえない。

社会との適切なつながりがなければ、体の衰えや、次に述べる認知機能の低下、生活への支障、あるいは突然倒れたなどの緊急事態が見過ごされる。その結果として生命を維持できない状態に陥り、亡くなってしまうのである。

認知症

超高齢化とともに世間で広く知られ、時に「最もなりたくない病気」などといわれる認知症は、孤独死の原因として代表的である。

認知症とは、老化や脳の病気などにより認知機能が低下することで、日常生活や対人関係に支障が出る状態の総称である。具体的には、物忘れ、理解力の低下、時間や場所が分からなくなる(見当識障害)などが中核で、周辺症状としては抑うつなども生じやすい。

国内の患者数は、2012年時点で462万人、65歳以上の約7人に1人とされているが(平成28年度版高齢社会白書、内閣府)、正確な数は分かっていない。なぜなら、認知症には明らかにそれらしい状態であるにもかかわらず、医療機関で診断・治療を受けていない患者が大勢いるとみられるからだ。

なぜこうなってしまうかというと、第一には、上記のような症状では本人に病識がないことが多い。自分の認知機能が下がっているため、自分が物忘れをしているか、理解力が低下しているか等を正確に判断できないためである。また、症状がそこまで悪化しておらず、衰えや物忘れを自分でうすうす察知していたとしても、医療機関を受診したがらない人は多い。「自分が誰かも分からなくなってしまう」といった絶望のイメージ等により、認知症と診断されるのを恐れることが大きな原因である。

こちらも、元気なうちから社会との適切なつながりがあれば避けられるのだが、そうでないと症状が悪化するにつれてどうにもならない状況に陥っていく。認知症が進行すると、生命を維持するのに十分な食事や身の回りのことが自分ではできなくなる。しかも、危険な状況について医療機関や高齢者福祉施設で相談するなど、自力で支援を求めることもできない。その結果として低栄養や不衛生などに陥り、命が危険にさらされるのである。

老老介護・認認介護

超高齢化を背景に介護現場等で大きな問題となっているのが、「老老介護」や「認認介護」である。

老老介護と呼ばれているのは、介護をする側とされる側がどちらも65歳以上だという状況である。これには、

  • 高齢カップルの片方がもう片方を介護している
  • 80代の親の介護を65歳の子が担っている
  • 高齢のきょうだいが同居している

といったケースが含まれる。

老老介護は介護する側も老化していて負担が大きいため、うつや自殺、虐待などにつながるリスクが高いとして問題となってきた。身体的な疲労や抑うつなどから、家に閉じこもりがちになったり、動こうにも動けなくなくなったりしてしまうことが、上記と同じように生命を維持できない原因となる。

八方塞がりの認認介護

さらに、最近では「認認介護」にもスポットが当たるようになった。認知症患者の介護をしている高齢者が、こちらも認知症を発症している、というのである。

介護する側の認知能力が低下していれば、生活の介助はおろそかにならざるを得ない。症状が進行すれば、介護を放棄する結果となりがちである。他人の世話をするどころか、自分の生活能力すら失われているからである。また、記憶障害により朝食を食べたかどうかを忘れてしまったりするようになれば、二人とも十分な食事をとれずに低栄養を引き起こす。片方の容体が悪化したり、亡くなった時にも、救急車を呼ぶなどの適切な対応ができない。

家に閉じこもったまま認認介護が続けば、最終的には共倒れになる。火の消し忘れから火事になった、片方がもう片方に暴行したなど、事件となって明るみに出るケースもある。認認介護夫婦の妻が夫を殺害したが、自分のしたことや夫の死を認知できていなかった、といったショッキングな事件も起こっている。

引きこもり

自宅や自室から出られない「引きこもり」は、その人個人の問題ではない。戦後日本社会が抱える深刻な病の表れの一つである。国際的に高く評価された宮崎駿監督の代表作『千と千尋の神隠し』がそれを中心的テーマに据えているほどである。別途論じたので詳しくはそちらを参照してほしい。

関連記事:中年の引きこもりと仕事のジレンマ&今後のライフスタイル

引きこもりの人がしだいに中高年となりつつあるいま、親が他界した後にそのまま亡くなりかねないことが新たな問題として認知されつつある。

経済的困窮

高齢者のイメージが強い孤独死だが、実際には中年や、若ければ20代など、幅広い年代でみられる。

経済的な困窮は、その主要な原因の一つとなっている。雇用面での不遇や失業などから経済的に追い詰められれば、生活が切り詰められ、おのずから行動範囲も狭くなる。ストレスや将来不安から精神疾患を患うことも、さらなる行動の足かせとなる。こうして生活の困難を一人で抱え込んだまま、自殺や死去に至ってしまうのである。

同居する家族が死に気づかないのはなぜ?

先に触れた通り、一人暮らしでない人が家の中で亡くなっていることに家族が気づかなかった、というタイプの孤独死が各地で相次いでいる。なかには、遺体が異臭を放つようになってはじめて家族が死を知った、というケースもある。同じ家で暮らしていれば家族が息絶えているのに気づかないほうが難しそうなものだが、なぜそのような結果になってしまったのだろうか。

その原因は次の二つに大別される。

一つは、同居家族が認知症で理解力等が低下していたり、要介護の状態だったりすることである。こちらは前述した。

もう一つの原因は、家族関係が希薄だったり、もともと不和や機能不全を抱えていたことである。

たとえ関係は良好だったとしても、それぞれ別の生活があるため顔はあまり合わせない、ということはあり得るだろう。

不和や機能不全のため、家族が互いに会わないよう部屋を分けていたといった場合もある。書面の上では同居していることになっていたとしても、実質的にはそうではないのである。「厳しい」父親が部屋には絶対入るなと家族に言いつけていた、といったケースもみられる。

腐乱臭から親の死に気づいた後に子が遺体を放置したとして逮捕される事件も各地で相次いでいる。NHKの「クローズアップ現代」の取材によれば、逮捕された子は取り調べに対し、親の死に気づいた際「どうしたらいいか分からなかった」「怖かった」などと話しているという。根の深い心理的要因といえよう。

こうした「同居孤独死」は、その家族が抱える長年来の様々な要因が複雑にからみ合った末の結果である。

対策の大原則は、自分を孤立させないこと

以上のように孤独死の原因を見ていくと、生命維持不能に陥ったのは、いずれも社会からの孤立が発端だということが明らかになってくる。

そもそも、ヒトは生命維持を自己完結する生き物ではない。栄養を得るまでのプロセスは複雑である。食材の調達や調理という食べる直前の段階ですら、足腰の弱った高齢者には負担となる。たとえ若くても、それより前段階で失業や低賃金といった問題があるなら、自己の範囲内では解決不能である。また、医療機関とつながらなければ病気は悪化し、いずれは命を失うだろう。人間が自力でできることは限られているので、足りない分は外部から取り込んでいかなければならないのである。

将来自分が孤独死するのではないかと不安感を抱いている読者もいることだろう。その場合、自分の生命を維持する戦略として、適切な人や機関とつながることが必要である。

老後への対策のポイント

老後に孤独死しないための対策では、社会から孤立しない態勢を「元気なうちに」整えておくことがポイントである。足腰の自由がきかなくなったり、認知機能が落ちたりしてからでは、孤立を解消しようにも動くに動けないからである。

定期的な交流の重要性

在宅の場合に必須となるのは、「定期的な」人との交流である。その相手が自分の異変に気付く人となるからだ。

具体的には、

  • 友人と定期的な交流がある
  • 趣味のサークルで活動している
  • 週一度のデイサービスに参加している
  • 訪問医療や訪問介護を頼んでいる
  • 離れて暮らす家族が一日一度電話をしてくる
  • 公的な「見守り支援員」が定期的に訪問してくる(後述)

などにより、自分を客観的な目で見てくれる第三者を周りに入れておくのである。こうすれば、体力的に生活が困難になった、物忘れが出てきた等があったとき、早期での発見や対応が可能になる。

定期的な交流は、安否確認としても機能する。たとえば、もしデイサービスを無断で欠席したら、施設の人が電話をかけてくるだろう。ただ予定を忘れただけならそれでよいし、万が一のことがあっても死後まもなく発見されるので、問題にならずにすむ。

認知症は早期発見すべき理由

「認知症と診断されるのが怖い」といって検査を受けたがらない人は多いが、孤独死を避けたいならすべきことは逆である。まだ元気なうちから積極的に医療機関を受診し、いち早く発見することがポイントになる。

というのも、認知症は初期であれば健康な人とほぼ変わらない。まだ十分な意思決定能力があるうちなら、

  • 介護サービスの定期的な利用を始める
  • 自分に合った老人ホームを探して入所する
  • 法的手続きをすませておく、成年後見制度を開始しておく

など、症状が進行した後も生命を維持できる態勢を確保しておくことができるのである。

治療という面でも、発見は早ければ早いほど後は良い。認知症の原因は主に

  1. アルツハイマー型(=脳の記憶を司る海馬が萎縮する進行性の病気)
  2. 脳血管型(=小さな脳梗塞などにより脳が損傷する)
  3. レビー小体型(=脳の神経細胞にレビー小体と呼ばれるタンパク質のかたまりができる)
  4. 前頭側頭型(=脳の前頭葉と側頭葉前方が委縮する)

の4種類で、いずれも完全な治療法はまだないのだが、対応が早いほど進行を遅らせることはできる。脳血管性であれば、再発防止が悪化防止になる。

しかも、実は認知症には治る場合もあるということはご存じだろうか。世間では「自分が誰かすら分からなくなってしまう」といった恐怖のイメージが独り歩きしているが、もし認知機能低下の原因が水頭症や甲状腺機能低下症、ビタミンB12欠乏症などであれば、そちらを早めに治療すれば認知機能は完全に元通りになる。元気なうちから検査をしたくなることだろう。

高齢者施設にあらかじめ入居しておく

社会から孤立しないためには、早いうちから高齢者施設へ入居しておくのも良い選択肢となる。介護スタッフや看護師、他の入居者などと常に交流がある環境に身を置いていれば、異変や緊急事態がすぐに発見されるからだ。

介護認定などの入居条件は施設によるが、比較的自立したうちから入れる施設もある。有料老人ホームでは夫婦で入れる施設も多い。

自分に合った施設を探し当てるには、まずは自分のニーズをはっきりさせるのがポイントである。

わからないことは地域包括支援センターに相談する

どうすればいいかがよく分からない場合は、とりあえず地域の「地域包括支援センター」に出向くのがよいだろう。

地域包括支援センターとは、介護や高齢者福祉に関する相談を総合的に受け付けている窓口のような機関で、全国の自治体に設置されている。ここに行けば、利用できる公的制度や、地域にある介護施設・サービスなどを紹介してくれるだろう。次で述べるような見守り支援、緊急通報装置の貸し出しなども行っている。

高齢者支援の現状と課題

在宅の高齢者に対しては、各自治体が福祉の一環として孤独死防止の取り組みを行うようになった。職員やボランティアが定期訪問を行うサービスは、「見守り支援」「地域支援員」などの名称で多くの自治体が設けている。

他にも、

  • 安否確認の定期電話サービス
  • 地域で気軽に集まれる場を提供する
  • 緊急通報装置を月額数百円など安価で貸し出す
  • 郵便、新聞、電気、ガス、配達などの事業者と連携して、異変があった場合に連絡・支援につなげる

など、各自治体で様々なサービスが提供されている。こうしたサービスを利用すれば、緊急時に発見されない事態や、老老介護・認認介護の末に共倒れするリスクが解消される。

ただ、地方の小さな町など地域によっては、見守りやそこで得た個人情報が、近所同士の監視や詮索、噂話に流用されるのではないかという懸念が浮上している。かねてより、地域活動では高齢のボランティア等が人権侵害行為を行ってしまい、行政上のトラブルに発展するケースが多発してきた。サービスの運用や支援員のなり手によっては、故意にせよ過失にせよ、見守り支援が前近代の「五人組」のように不適切に解釈されかねないのである。また、サービスが信用できないものであれば、利用されることもないだろう。

公的な孤立防止の取り組みでは、ボランティアへの教育を徹底する、第三者への業務委託を行うなど、地域の実情に応じて本来の目的にかなった仕組みの構築が求められる。

認知症への誤解を解く

孤独死の大きな原因となっている認知症だが、上記の通り人々のイメージには事実と異なる部分が多々ある。誤解からくる恐怖心により、多くの高齢者が早期発見や回復のチャンスをみすみす逃しているのである。

なので、今後の方向性としては、恐怖や絶望のイメージが独り歩きしないよう、認知症に関する正しい知識の普及が要されると思われる。

高齢者以外のケースでの対策と課題

では、高齢者でない、若者から中高年まで年代が孤立の果てに亡くなるケースはどうだろうか。

こちらは、雇用、経済的困窮、引きこもり、精神疾患など、原因のほうに対応することが結果として孤独死の対策、防止につながる。

社会の側では、各問題において、本人が一人で抱え込むことなく、支援とつながりやすくしていくことが課題となろう。制度の周知、医療情報の提供、相談しやすい機関づくりなど、あらゆる方面からの施策が講じられるべきである。原因の詳しい調査研究も要される。

戦前~高度経済成長という社会問題

社会問題となる孤独死の一部ケースは、戦前から高度成長の日本独特である。ここで、同じく戦後日本独特な引きこもりと密接な関係が生じてくる。

高齢世代の独特な意識が背景となっている場合は、本人たちの意識を変えることも必要になってくるだろう。

孤独死はなぜ男性が8割を占めているのか

孤独死は男性が圧倒的に多いことが指摘されている。

たとえば大阪府監察医事務所の調査では、大阪市内で「自宅で遺体が発見され、かつ死亡から4日以上経過」していた計1101人のうち、約8割の871人が一人暮らしの男性だった。同様の調査結果は他にも複数出ている。

暗闇でうつになっている白髪の男性
なぜ孤独死は男性が圧倒的に多いのか。

「助けを求められない」意識

介護などの現場では、男性には「周囲の助けを借りないのが強くて良いことである」というジェンダー意識があり、それが社会的孤立につながっているといわれている。体調不良や生活上の困難を抱えていても、周囲に口にしないのである。そうして問題が手つかずのまま放置されれば、最終的には生命を維持できなくなる。

合理的に考えれば、公的サービスを利用したり、医療機関で検査を受けたりすることに「助けを求める」という言葉が充てられていること自体、的外れである。八百屋へ行って野菜を買うことを「八百屋に助けを求める」と表現するようなものだ。しかしいくら合理的でないとて、21世紀前半の日本には、そのような意識が頭に根差した男性が現に存在している。この意識は他の社会問題と結びついて、さらに深化していく。

軍国主義下で育った生い立ち

現在の80代以降は、戦争経験世代とイコールでつながる。したがって、その生い立ちがどのようなものかといえば、彼らは軍国主義熱が燃え盛る社会で育ち、学校では「お国のために鬼畜米英と戦って死ぬ」よう教わっていた。この世代は、若いころに自分の人生を考え、先のビジョンを持つということがなかったのである。

また当時は、日本軍はアメリカ相手に連戦連勝だと、事実とはまるで異なる話が当たり前に信じられていた。「大和魂があれば竹やりでB-29を落とせる」といった非合理的な精神論も平然と闊歩していた。軍指導部が「できたらいいのに」という希望と実際にできることを混同していたことは、無謀な突撃で案の定大量の死者を出したインパール作戦に代表される。子どもというのは周囲の大人をまねすることで成長していくものだが、いまの80代以降が見本としたのはこのような大人たちだったのである。情報の真偽を自分で確かめるとか、合理的な予測に基づいて計画を立てる習慣は学んでいない。

戦争経験世代は、現実を生きていく術を教わっていないのである。

定年退職でぼう然自失となる“サラリーマン”

このように戦前ファシズム下で国家にすべてをささげるよう教育、統制されていた日本人は、体制が崩壊するとぼう然自失となった。恐怖から解放され、教科書に墨を塗ったはいいが、どう生きればいいか分からなかったのである。戦後、人々はこの頭の空洞を「会社への没入」によってしのごうとする。

高度成長時代の“サラリーマン”男性は、会社名とそこでの肩書きがアイデンティティのすべてになっていた。戦前ファシズム体制に代わり、今度は自己のすべてを会社にささげたのである。そのため、“サラリーマン”が”サラリーマン”でない自己を規定できず、定年退職したとたんぼう然自失となることは、これまでも様々な分野から指摘されてきた。

“サラリーマン”以外のことができない帰結

戦後のこうした状況から、日本社会には「”サラリーマン”以外にできることがない人々」が大量に生み出された。

定年退職で自己を見失う男性は、会社以外の場で人間関係を築いたり、社会とつながったりすることを苦手としている。近所付き合いが希薄だったり、地域や介護のコミュニティに参加しないことが社会的孤立を引き起こし、最終的には孤独死につながっていくのである。

また、すでに述べたジェンダー意識により、高齢男性には自分が家事をすることを格好悪いとみなす人が多い。そもそも家事ができないこともめずらしくない。そのため、妻に先立たれた後、自力では食事や身の回りのことが十分できず、低栄養や不衛生に陥った結果として孤独死することも指摘されている。

ミニ・インパール作戦としての孤独死

以上のようにして生命維持不能へと歩を進めてしまう高齢男性だが、合理的に考えれば、そのままでは生きられなくなることは最初から明白である。

妻や子がいるというだけで老後に漠然とした安心感を抱く男性がいるといわれる。しかし、「妻のほうが長生きする」という無言の前提には根拠がない。それに、たとえ妻が存命はしていても、ガンで入院した、介護施設へ入所したなどにより、共同生活が終わることは十分あり得る。また、子にも人生があるので、遠方で暮らす可能性は高いだろう。そうして一人暮らしになった時に、食事をはじめ身の回りのことをどうやればいいか分からないのであれば、生命を維持できなくなることは合理的に予測できる。とりわけ認知症について言うならば、自分がそれにならない保証はどこにもない。

ところが、社会から孤立する高齢男性は、こうした合理的予測を考慮していない。何の根拠もなく、何とかなるんだとか、自分は認知症になどならないなどと信じて猛進し、案の定破滅するのである。この成り行きと結果には既視感がある。インパール作戦と重なると筆者には思われるのである。

大日本帝国体制は崩壊したが、戦後の企業群は無数のミニ・大日本帝国だったのだ、とよくいわれる。ならば合理的思考の欠如を原因とする高齢男性の孤独死は、インパール作戦の一人版ミニチュアなのだと言うことができよう。戦前ファシズムと正面から向き合えず、克服することができなかった戦後日本人の性質が、70年の時を経て徴表した形の一つといえるだろう。

引きこもりの別形態としての孤独死

一般に、引きこもりとは自宅・自室から出られない人のことを指している。その人の個人的な問題だという認識は、まだかなり浸透しているように思う。

しかしもっと本質的な部分に目を向ければ、社会と適切につながることができず、自己や狭い世界に閉じこもる気質自体は、戦後の日本人全体に共通している。元”サラリーマン”が会社での上下関係なしに人間関係を築けないのはその一端である。外形的にはグローバル企業である東芝で不正会計事件が起こった際には、経営幹部らの極度に閉鎖的な体質が原因として指摘された。一見普通に外を歩き、会社で働いている人々が、本質的・心理的には引きこもっており、深く孤立しているのである。戦後の日本という時と場所に特有な、病的な気質である。

老夫婦の介護に関しては、介護が家庭に閉じこもって行われがちなことが前々から問題視されてきた。負担が重くて背負いきれないにもかかわらず、社会に存在している介護サービスや公的支援とつながっていこうとしないで、家の中に閉じこもるのである。

介護で家に引きこもる傾向も、とりわけ妻を介護する夫に強いといわれる。妻への虐待や介護殺人、心中などの温床となっている。

こうした社会と適切につながれないゆえの孤独死は、戦後の日本人に共通する引きこもり気質の表れ方の一つだと位置付けられるだろう。

高齢世代本人が自分の意識を変えること

以上の通り、孤独死の一部ケースの背景には、ジェンダー意識や戦前・戦後の特殊な気質があるといえる。

いくら適切な制度、情報豊富な窓口、すばらしい医療、生きる喜びを感じられる介護サービスが存在していようとも、上記のような意識から高齢者本人が拒絶するのであれば、孤独死は誰にも防止しようがない。

したがって、こうしたケースでは、国・自治体・社会の側が制度やサービスを拡充するというよりは、高齢者本人がいかに自分の意識を変えられるかがポイントになるだろう。

おわりに―孤立しないことは生きるためのスキル

自己の殻に閉じこもって問題を悪化させてしまいがちな傾向は、若い世代とて例外ではない。こう聞いたらゾッとするかもしれないが、現代の人々は、自覚している以上に、戦前ファシズムから戦後昭和の歪んだものの見方や人生観から強い影響を受けている。

一例だが、留学の場面では、「日本人留学生には困ったことがあっても周囲に言わない癖がある」というのが定説化している。学校生活で足りないものがあったり、体調がすぐれなかったりしても一人で悶々としているうちに状況が悪化し、後でホストファミリーや学校から「なんでこんなになるまで黙ってたの?」と驚かれる、というのである。海外現地の留学センターでは、日本人特有の行動「enryo(=遠慮)」として知られていることもある。誰かとつながっていればかんたんに解消できたはずのことが、黙っていたせいで、かえって自他ともに困る大きなトラブルに発展してしまうのである。

だから留学前の講習やパンフレットでは、しばしば「困ったことがあったらはっきり言うように」と注意がある。困っていることや自分がどうしたいのかを早めに人に伝え、もしうまく伝えられない場合は、誰かが適切なところにつないでくれるまでがむしゃらに「困っている」と発信し続けるように、という。学校の窓口や留学生のグループで積極的に情報交換することは、現地で流行っている詐欺に気付くなど、防犯にも役立つという。

自分を孤立させないことは、生きていくための基本的なスキルなのである。

リハビリする高齢者たちと医師
医療、交友関係、介護施設暮らしなど、誰かが発見してくれる態勢を確保するのは生きるためのスキルである。

その基本的スキルが普及せず、人が生命を維持できなくなってそのまま亡くなってしまう孤独死は、日本社会の様々な要因から生じた特異かつ痛ましい問題といえよう。

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中年の引きこもりと仕事のジレンマ&今後のライフスタイル – 自宅・自室から出られない人だけでなく、管理職や経営者の閉鎖性や、人々の政治に関わりたがらない性質などを含めて「引きこもり体質」を論じた。

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<参考リンク>

「ニッポンの介護学」第752回 みんなの介護求人

「統計からみたわが国の高齢者」総務省統計局、2018年

孤立死防止対策 厚生労働省

老老介護・認認介護とは?離れて暮らす両親にできること みんなの介護

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