”就活”をつらいと感じるのは自然―学生に負担を負わせる構造ポイント3点

“就活”の中で自信を失い、将来への希望をなくしたがために、その後の人生が台無しになってしまう――そんな人は一年また一年と増加する一方です。

もしあなたが“就活”をつらいと感じているとしたら、それはどこもおかしくありません。なぜなら、そのシステム全体が、学生に重い精神的負担を背負わせるようにできているからです。

今回は、“就活”というシステムに組み込まれたつらい気持ちになる原因を3つの観点から指摘し、白日のもとに引っ張り出そうと思います。本稿が失っていた自信を回復し、自分にとって幸せな人生へのアイデアになれば筆者として幸いです。

心にズシンとくる「拒絶の連続」

”就活”がつらい第一の原因は、このシステムでは、誰もが内定が出るまでに何十回も「落ちる」経験を繰り返すということです。

企業から次々と「今後のご多幸をお祈りします」と表面的に気遣うメールが届いては、プツリと切れてそれっきり。あちらからも、こちらからも「拒絶」を突き付けられるのですから、つらくなるのは当然です。このせいで「自分は必要とされていないんだ」と落ち込み、心に深い傷を負う学生は毎年後を絶ちません。とりわけ、就職先がなかなか決まらない、あるいは内定なしのまま卒業となると、その嘆き悲しみは深刻です。”就活”のつらさの源泉は、人間の存在価値の感覚にあるのです。

「そういうものだ」と言うけれど

こう言えば、大学の就職課や業者には「そういうものなんだから落ち込む必要はない」と励ましてくる人がいると思います。学生の側としても、「たった5社しかエントリーしなくて就職先が決まらなかったら……」などと不安が湧くのは至極まっとう。とりあえず様々な企業に挑戦してみなければ見えてこないこともあるでしょう。「何度も何度も落ちて普通だ」と割り切ってやるものだ、といえばそうかもしれません。

しかし、いくらそう理性的に説明されたところで、企業から送られてくる不合格の通知がすべて「拒絶」を表しているのは事実です。人間が拒絶される経験を何十回も、断続的に繰り返せば、心に痛みが生じるのは心理学的に当然の反応。強いストレスになりますし、自信を喪失することは避けられません。もしそれでノーダメージだとすずしい顔をしている人がいたとしたら、それは自分の心にうそをついているだけです。悲痛な心の叫びは、決して大げさではないのです。

”就活”という一本のレールは、誰もが「拒絶の連続」を通過するよう敷かれています。それが心理学的に強いストレスと自信喪失の大きな原因となるのです。

避けられないダメージとストレス

私は以前から何度も述べてきましたし、今回も繰り返すことになりますが、日本の”就活”は非常に特殊な雇用システムです。学生にのしかかる負担や、柔軟性のなさ、生まれ年による運不運など、理不尽な要素を多分に含んでいるのです。それゆえ、これまでも様々な分野から、入れ代わり立ち代わり疑問や批判が上がってきました。

しかしながら、日本社会はまだそうした雇用の問題を解決するには至っていません。日本の若い人は、大学を卒業した後仕事に就こうと思えば、経済団体が牛耳る”就活”に参入せざるを得ません。そしてこの特殊な世界に飛び込む以上は、最初から分かりきっている精神的ダメージと重いストレスを避けることはできないのです。

自分に都合よくとらえるくらいでちょうどいい

では、必ず来る「拒絶の連続」から、どうやって自分の心と人生を守ればいいのでしょうか。

重要なポイントは、”就活”を重くとらえないこと。世間では人生の一大イベントのように言われていますが、長い目で見れば、それだけで人生が決まるほどのものではないからです。

もし良い企業にめぐり会えたという場合は、素直に受け止めてしまっていいでしょう。確かに問題だらけの雇用システムかもしれませんが、自分の人生にうまく利用できてしまったというなら「ラッキー」ではあります。せっかく幸運が降ってきたのだから、就職後もそれを生かすよう意識するといいでしょう。

一方、うまくいかない、あるいは就職が決まらないまま卒業した……という人。断言しますが、それによって人生が失敗になるなどということはありません。なぜなら、“就活”は「仕事」の全てでも何でもないからです。そもそも、人の働き方は、会社に勤めるという形態がすべてではありません。企業や団体を設立する、フリーランスで働く、店を開く、投資家になるなど、お金を稼いで生活する方法はおおまかに分けただけで何種類もあります。にもかかわらず会社勤め以外の働き方が現実離れした話のように言われるのは、日本人の頭に戦後昭和のプロパガンダが深く浸透したからにすぎません。このことは海外諸国と比べれば一目瞭然です。

あなたのなりたい自分、あなたにとっての幸せな人生とはどんなものでしょうか? どんなふうに働きたいですか? それが叶ったなら、”就活”がうまくいかないことはすべて帳消しになります。

”就活”は、学生側にとっては理不尽なシステム。である以上は、引いた眼で俯瞰する視点を忘れず、うまくいったにせよいかなかったにせよ、自分に都合よくとらえるくらいでちょうどではないでしょうか。

野放しの「悪質業者」

前述の通り、”就活”をする中で悩んだり、自信を失ったりするのは自然なことです。やっかいなのは、それで自己肯定感(=ありのままの自分を肯定的に受け止められる気持ち)や自尊心(=自分をかけがえのない存在だと感じられる気持ち)が失われていくと、面接の場でも輝きがうすれていき、就職がますます遠のいて……悪循環に陥ってしまうこと。もはやこの暗いループがどこから始まったのか、分からないほどになっていまいます。

先ほどは、「拒絶の連続」という心理的な原因を指摘しました。ここでもう一つ、別の観点からつらくなる原因をピックアップしましょう。それは、「悪質な業者」。あまり取りざたされていないだけで、”就活”関連は悪質な業者が多い世界です。

黒いスーツを着た学生たちと黒板の前に立つセミナー講師のイラスト
ごく普通に行われている”就活”だが、客観的に見れば特殊な世界。先生のような態度で前に立つセミナー講師も、裏には事情をかかえている。

誰かから自信を失うようなことを言われて落ち込んだとしても、それが悪質業者だとなれば全く気にしなくていいことになりますよね。思い返してみてください。あなたが出会った業者に以下のような兆候はありませんでしたか?

セミナー会場の雰囲気が異様

まずは最も分かりやすい例を二つほど紹介しましょう。どちらも実話です。

  • 著書を何冊もかかえる有名な講師のセミナーに参加したら、ビルの一室に閉じ込められる形になり、壇上で6か月連続講座の宣伝が始まった。
  • セミナーに申し込んで会場に行ってみたら、建物が宗教団体のビルだった。

……悪質なセミナーや団体の典型ですね。

行ってからあやしいと感じたり、会場が異様な雰囲気だったりした場合は、必ず手を切りましょう。

講師が一方的な指導者としてふるまう

以上はあからさまに危ない例でしたが、ビジネスセミナー系の悪質業者は、一見まともなケースが多いです。だから講師やセミナーが悪質な”就活”業者だと気づかず、言われたことを真に受けてしまったために、多くの学生が自信や希望を失って、人生を台無しにされているのです。

では、一見スーツに身を包み立派そうに見える悪質な業者は、どうやって見分ければいいのでしょうか?

危険なサインは、業者や講師の態度に表れます。その人は、一方的な指導者としてふるまってはいませんか? 学生を「何も知らない人」のように扱ってグイグイ引っぱろうとしてはいないでしょうか?

もう少し具体的に言うと、

  • 「(就職は)こうなんですよ」「社会とはこういうものです」などと、話し方が断定的
  • 口調や態度が強権的
  • 学生に対する態度や言葉遣いが礼儀正しくない、見下したよう
  • ああしろこうしろと言う
  • 「そんなことでは内定はとれない」「社会でやっていくにはこうならなければならない」などと「厳しさ」を強調する

こうした言動は、学生側のニーズを考慮していないサイン、脅しによって参加者をコントロールしようとしているサインです。

先ほど「セミナーに行ってみたら会場が宗教団体のビルだった」という例を紹介しました。さすがに特殊な話のように感じたかもしれませんが、たとえ大手業者による大勢の学生が参加しているイベントでも、上記のようなサインがあった場合、やっていることの中身は宗教の「教祖様」と変わりません。

現状では、こういった悪質な業者は野放しなので、学生のみなさんには自分で気をつけるよう勧めます。相手がどういう人物かを引いた目で確認して、この人・この業者はあやしい、信用できないとなったら、けじめをつけてスパッと切ること。ビジネス関連の講師はみな、信頼置ける学歴や実績、誰もが知る有名企業で働いた経験などをアピールしますが、本当に注目すべきなのは、その人の人格と背景事情です。

悪質な業者に言葉や態度で示されたことは、すべて心の中で切り捨てましょう。

人には誰しも個性があり、個性には必ず仕事で活用する方法があります。

参加者に「いい悪い」をつける言葉や態度

一方的な指導者としてふるまうのと関連して、「いい悪い」をつける言葉や態度がないかどうかもチェックです。こちらは「教祖様」タイプより物腰はソフトですが、悪質さは同等です。人の心にするりと入り込んでくるので、細心の注意が必要です。

たとえば、グループワークをやらせて、目立った人だけを「そうです、そうです、よくできましたね」などとほめそやかしていないか。あるいは、「これでいいのかな?」と手が迷っている人に「改善」を提案するなど、暗に「今の状態ではだめ」「だめな人」という態度をとっていないか。

「いい悪い」を示すのは、業者や講師の都合によります。業者がイベント会場を時間単位で借りているなら、制限時間内に「これをやって、こうなりました」とまるくまとめて、きれいに幕を下ろさなければなりません。(これは悪質な業者だけではなく、良心的なセミナーでもある程度は起こります。)

また、ビジネス心理の講師の場合、彼らは成果をあげた外形を必要としています。彼らは「私のワークショップをやったことで、参加者がこれだけの成果を出しました」「私の講演は参加者に好評でした」といった「実績」を自分の経歴に書きたい。なぜなら、それなしには次のイベントや講演、研修に呼ばれなくなってしまうからです。もちろん、ビジネス心理の講師がプロフィールに実績を書くこと自体は少しもやましいことではないのですが、もし実績欲しさからセミナー参加者を自分の都合に沿うよう誘導するに至ったら、それはもはや悪質業者。あなたのためを思っているわけではないので、精神的に切り捨てるべきです。

セミナーに参加するのはいいけれど、引いた目は忘れずに

私はなにも、「大人の事情」があるからといってセミナーは全部あやしいとか、参加するなと言っているわけではありません。たとえあまり良くない業者に当たってしまったとしても、行ってみたという行動自体が人生経験になるからです。

ただ、セミナーや講師を客観化する引いた目はいつでも忘れずに。これは悪質業者対策としてはもちろん、良心ある講師に対してでも同様です。

皮肉なことに、”就活”イベントをはじめとするビジネス心理のワークショップは、自己分析ができている人ほどやりにくいんですよね。なぜなら、自分の体系が講師の体系とぶつかってしまうから。たとえば、講師が「では、尊敬する人をリストアップしてください」と指示したら、強固な思考や世界観、人生観ができている人ほど「そんなこと急に言われても……」となってしまう。

セミナーに出てみた。講師が教えるメソッドをやってみた。大事なのは、それを自分はどう思ったかです。講師の言う通りにすることではありません。自分というものをしっかり持って、自分の一部として取り込めるものだけを取捨選択するのが肝心です。

構造が「企業ありき」

本来なら、職業選びは喜びにあふれた人生の一歩です。これまでに培ってきた自分を発揮する時。職業はアイデンティティの重要な部分だからです。

しかし、いまの日本の“就活”となれば、それは「職業」の本質とイコールではありません。

学生のためではないシステムとスケジュール

そもそも、”就活”は、システム自体が企業の都合・利便ありきに作られています。

スケジュールでは、経済団体によって「解禁日」が決められています。企業個々に、自由と自律性はありません。こんな中央集権型とでも呼ぶべきシステムで、学生はもっと弱い立場です。大学三年の一年間が”就活”に費やされ、肝心の学問がおろそかにならざるを得ない。にもかかわらず、新卒一括採用がまだまだ残る日本では、大学生が”就活”をしないというわけにもいきません。問題視する声はずいぶん前から上がっているのですが、突破口は開けないまま、経済団体のベルトコンベアだけが作動し続けているのが現状です。

学生それぞれの主体性への考慮は、基本的にゼロです。誰が言いだしたのかも分からないまま、みなが同じリクルートスーツを着て、「オーディションのよう」と言われるような自己PRをする。面接では、諸外国と違い、労働条件に関して希望を伝えたり、ざっくばらんに話し合えるわけではありません。

個人のアイデンティティに深く関わる職業選びが、大企業中心の社会に取り込まれ、ねじ曲がっている。そのため、日本の就職は「アイデンティティ喪失の儀式」とまで呼ばれるほどです。疑問や違和感、えもいわれぬ怒りを感じたとしたら、それは自然なことなのです。

リクナビの不祥事から分かること

採用する側の企業だけではありません。”就活”に根差した産業もまた、学生の味方のようでいて、実際にはそうでない立場にあります。

2019年、大手”就活”情報サイト「リクナビ」が、利用者である大学生の同意を得ないまま、サイト利用履歴等から内定辞退率を予測したデータを求人する企業に売っていたことが明らかになりました。

参考リンク:リクナビ事件を忘れるな―ローカル企業はGAFAより怖い?(「GAFA独占の問題点と日本の現状・課題」より)

その気持ち悪さに学生から悲鳴が上がったのは当然のことだと思います。私も「学生を一体何だと思っているのか」と憤ったものでした。ただ別の側面に目を向けると、それまでネットのセキュリティ・プライバシーにあれほど能天気だった日本人のIT独占企業に対する理解は、リクナビ事件をきっかけにぐんと上がったように思います。目が覚めた、とでも言いましょうか。

リクナビの不祥事から分かること。それは、”就活”業者の「お客様」は求人する企業であって、未来へ向かう学生ではないということです。彼らは仲介業。企業から中間マージンをとることが目的です。彼らの事業は、学生のためになっている面がないわけではないにせよ、真の目的が別のところにあるのです。この点では、”就活”の産業構造における学生は「大学病院の患者」に近いといえるかもしれません。

どの”就活”サイトにも同じことしか書いてないのはなぜ?

人のアイデンティティに深く関わり、生き方を大きく左右する「職業」。これからそれを選ばんとする学生が、自分の個性や望む生き方について掘り下げて考えるのは必然です。

しかし、ここでも関連業者の都合で歪みが生じます。”就活”業者が教える「自己分析」には、それが如実に表れています。

ネットで「自己分析のやり方」を検索すると、どのサイトを見ても書いてあることは同じ。もしあなたが「なんか言論統制みたいで気味が悪い……」と違和感を覚えたならその通りです。自己分析に関する情報の偏りは以下の記事で別途指摘したのでそちらを参照してもらうとして、今回は「どのサイトを見ても同じ」が生じるメカニズムを解説しようと思います。

参考リンク:自己分析のやり方おすすめ14選―独立した立場だから言える本当のこと

書くことが大同小異になっていくメディア業界の不気味な現象

「どれを見ても同じ」になる原因の一つは、「メディア」に内在しています。(もっとも”就活”業者はプロの記者でもライターでもなく、メディアとしては素人なのですが、本稿では「情報を発信している者」と意味を広義にとって「メディア」に入れることにします。)

これを理解するには、1930年代の新聞がよい例になります。あの恐ろしい時代には、日本全国どの新聞も「国際連盟を脱退せよ」の怒号で気持ち悪いほど一致していました。なぜそうなってしまったのかというと、じつは言論統制で政府に無理やり書かされた……ということではなかったんですよね。

そのころ、新聞業界は競争が激しくなっていました。どの新聞社も、読者を一人でも多く獲得してライバル社に勝とうと熱くなっていたのです。

当時は、軍国主義的な記事、外国への憎悪をあおる情報が読者にうけました。ちょっとうけると、新聞社同士の競争は軍国主義合戦になっていきます。読者獲得レースで一歩でも前に出るため、どの新聞社も軍国主義的な記事を書くようになっていく。こうして軍国主義的な情報は「テンプレート」となり、社会に定着していったのです。

こう聞くと、「なら一社だけ違うことを書いたら、目立って注目されるのでは?」と思えますよね。しかし、現実はそうはなりません。現実に起こってくるのは、同じ軍国主義での速報合戦だった。

ひるがえって今日ですが、リクナビをはじめとする業者はどこも利潤を目的とする企業なので、互いにライバル会社です。メディアがライバル社に勝ちたいと願ったら、あとは1930年代の新聞と同じ現象が起こってくる。情報を発信する”就活”業者間の競争によって、情報の真偽とは関係なく、「テンプレート」が形成されていくのです。「自己分析のやり方」には、メディア同士の競争が情報を大同小異に追い込んでいく性質が顕著に表れていると、私は見ています。

(私は本稿で、あえて独自の着眼・立論・展開をして「一社だけ違うことを書いた」状態をつくってみました。これが読者にどう受け止められるのかを興味深く見守っています。社会学専攻の学生さんなどいますかね?)

大同小異に輪をかけるネット検索の幕の裏

こうしたメディアに内在した問題に輪をかけるのが、ネット検索の仕組みです。

試しに、「自己分析 やり方」でGoogle検索した結果を見てみてください。

自己分析のやり方を検索したGoogle検索結果のスクリーンショット
Googleで「自己分析 やり方」を検索した結果。パターン化されたページタイトルがザーッと並んでいるが……?

簡潔なプレゼン風に見えなくもないタイトル群。ですが、これにも裏事情があります。ITなら私もサイト管理人として内情に通じているので、その幕の裏をお見せしましょう。

企業間の競争がネット上に舞台を移すと、各社の目指すところは「Google等の検索結果でライバル社より上に表示されたい」になります。上に出れば出るほど検索した人の目にとまりやすく、ページに来てもらえるので、ライバル社に勝てるというわけです。

ありとあらゆる企業がネット上でレースを繰り広げるようになったため、ITの世界には「検索結果で上に表示されるためのノウハウ」ができあがりました。これは「SEO」と呼ばれ、今日ではその専門業者がいるほどで、大手企業になれば必ず業者を利用したり、社内に専門の部署を置いたりしています。

そうしたITノウハウの一つに、「ページタイトルに数字を入れると読まれやすい」というのがあります。”就活”業者がネットで「7ステップ」だの「8ステップ」だのと言いたがるのはひとえにそのため。実際に「7ステップ」や「8ステップ」で自己分析ができるからそう書いた、というわけではないのです。

少し冷静になってみれば、「まぁそうだろうな」と分かるでしょう。人間は地球上で最も複雑な生き物で、個性も送ってきた人生も考えていることも全員違います。たった数ステップで自分のことをまるごと明らかできるはずがありません。

さらに、「リスト型記事は人気が出る」というノウハウもあります。映画であれ何であれ、ネット上では「おすすめ5本」とか「まとめ」「比較」などと題して商品やリンクがズラズラと羅列されているページをよく見ませんか? ああいうのがリスト型記事で、IT業界ではひとつの型として定着しています。これで、あのサイトにもこのサイトにも性格診断がズラズラと羅列されている理由がわかりましたね。

以上のように、”就活”関連企業がどこも同じITノウハウを用いてレースを繰り広げているから、どのサイトもそっくりになってしまうのです。

企業同士が競争するのは正当な市場原理ですが、それもいまや暴走状態にあり、”就活”業者が発信している「自己分析のやり方」は正しい情報の範疇から外れてきていると感じます。

置き去りにされる学生の個性と生き方探し

そんな”就活”業者の都合と競争で、置き去りにされるのは誰でしょう。学生ではありませんか。

未来に向かわんとする学生は、”就活”という巨大なシステムのパーツのようになってしまっています。自分の存在に深く関わる職探しが、業者らの都合でゆがめられているのです。それをつらいと感じるのは、人としてごく自然です。

まとめ

以上、日本の“就活”に構造化された精神的なつらさや矛盾を詳しく解説してきましたが、いかがだったでしょうか。

構造的に精神的負担がくるようにできているのだから、“就活”をつらいと感じるのは自然なことです。むしろ、何も疑問を感じることなく平気でやってのけている人がいたら、そのほうが心配なくらいです。

そして断言しますが、”就活”がうまくいかなかったからといって「自分には価値がない」とか「社会から必要とされていない」ということにはなりません。それが人生に影を落とすこともありません。広い世界を見渡せばそうだと分かります。「学校を卒業して会社に入る」というのは、戦後昭和の自分を見失った人々が時のプロパガンダによって植え付けられた人生観にすぎません。現実には、それとは違う働き方や生き方がたくさん転がっています。その中から自分に合った道を選ぶことこそ、仕事での成功や幸せな人生につながる道なのです。

ちょっと視点を変えれば、見える世界は変わります。自分が自分らしく輝ける方法を探し続けていくことこそが、”就活”での本当の「勝利」ではないでしょうか。

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著者・日夏梢プロフィール||X(旧Twitter)MastodonYouTubeOFUSE

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(※本ページは、上記リンクの自己分析に関する記事の一部を移設し、再編集したものです。)

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