「自己肯定感」にまつわることには、これまでダイエットやパーソナリティ障害、仕事観など、事に触れては言及してきました。なのでそろそろ自己肯定感それ自体にスポットライトを当てたいと思います。
近しい人が自分に自信を持てない、価値を感じられないばかりにもがく姿。そして私自身が送ってきた遠回りな人生……。私には、心のあり方がもつ絶大な力に思うところが多いです。今回は、最初に心理学上の解説をした後、みなさんきっとお探しの「自己肯定感を高める方法」を、本当にあったことや実体験をまじえながら様々なアングルで語ろうと思うので、何らか参考になればと思います。
個性は一人ひとり違います。私のエッセイ10話が、あなたを映すよき「鏡」となりますよう。
目次
プロローグ:自己肯定感とは?
まず最初に、そもそも「自己肯定感」とはなんなのでしょうか。自尊心とか、承認欲求とか、似た言葉との関係は? まずは、私の手元にある心理学の資料から抜粋しておきましょう。
「自尊感情」や「自己肯定感」とは、心理学用語のself-esteem(セルフエスティーム)を訳した言葉です。
自尊感情とは、自分に対する評価感情で、自分自身をかけがえのない存在だと感じられる気持ちのことです。一方の自己肯定感は、自分の良さを肯定的に認める感情のことをいいます。どちらも、自分自身を価値あるものとして感じられる気持ち、いわゆる自己愛です。
「自分に自信を持てない」「自分に価値を感じられない」という悩みを心に抱え、苦しんでいる人は大勢います。あなたもその一人かもしれません。
この定義に沿っていけば、「自分に価値を感じられない」悲しい気持ちは「自尊感情(自尊心)」に、「自分に良さがあるとは思えない」といった悩みは「自己肯定感」に関する問題だということになりますね。世を見渡すと、「自尊感情」は「自尊心」といわれるほうが一般的に思います。
最後に出てきた「自己愛」は、シンプルに「自分が好き」という原初的な気持ちのことです。幼い子はみんな、自分が世界の中心の王子様・王女様。ところがほんの少し大きくなれば、あの子のほうが足が速い、あの子のほうが勉強ができる、などと現実にぶつかります。自分は特別な王子様・王女様ではなかった。それはそうかもしれませんが、その現実に立って、他人と優劣を比べることなくありのままの自分を肯定できるよう育った自己愛、それが「自己肯定感」です。「他人と優劣を比べることなく」という部分は重要なポイントですので、以下読み進める際頭に置いておいてください。
自己愛についてくわしくは、以下で扱いました。
参考リンク:自己愛性パーソナリティ障害(「人格障害の特徴と犯罪の関係は?」より)
自己肯定感や自尊心にカッチリした定義はない!
世で関心を集めている「自己肯定感」ですが、実は、定まった定義はありません。心理学者によっては細かく四つくらいに分けていたり、あるいは同じ用語を違う意味合いで使っていたりします。
定まった定義がない。私は言葉の定義や論理にこだわるタイプなので、下書きを始めた時には「いったいどうやって解説すればいいんだ」と頭を抱えました。
ただ、ものの考え方をちょっと変えてみれば、心とは目に見えない抽象的なものなんだからそんなゆるさもまた似つかわしいのかもしれません。
別の機会にお話ししたのですが、私は叔父の相続関係トラブルが発端で十代後半から二十代半ばを鬱との闘病生活に費やした、そういう過去から今日まで歩んできました。そのころの体験から、私は、心にかかわるコミュニティは厳密な線引きをして「定義からもれるからあなたは関係ない」などと言わない懐の深さこそ真骨頂だと強く信じています。ならば、おおまかに「セルフエスティーム」まわりの事柄を考えているなら、みんないっしょに集まればいい。そう思います。
自己肯定感とはあいまいなものなんだ、というのがありのままの現実です。私と同じく定義や論理にこだわるタイプの人は、それを最初に頭に置いておくことが理解の助けになると思います。
承認欲求とは?
もう一点、自己肯定感の関連用語に「承認欲求」というのがありますので確認しておきましょう。承認欲求とは、
「誰かから認められたい」という気持ち
です。幼児~児童期にとりわけ高いといわれています。小さな子が大人に「ねーねーみてみて!」と得意満面にせがむ愛くるしいシーンがそれですね。
この承認欲求は、子どもがいろいろなことにチャレンジする動機づけになっているのですが、裏を返せば、その時期に親からありのままの自分を受け入れてもらえないと、強い劣等感を抱くことになります。心に深い傷が残るのです。
自己肯定感や自尊心が低いと、どんなことにつながるの?
以上のような心の問題によって、具体的にどういう困ったことが起こってくるのか、その代表的なパターンを挙げてみます。
- 人間関係で、いつも争いになる
- 人前で本当の自分を出せない、自分を押さえつけてしまう
- 対等な人間関係を築けない。自分が上だったり、下だったり、誰との間にも上下関係がある
- 行動をためらったせいで、仕事でチャンスを逃した
- 能力に見合わない、さえないキャリアを送っている。あるいは仕事にありつけない
- 一見普通な生活をしてきたが、生きていて幸せだと感じたことはない
心のあり方は、人生を根底から変える力を持っています。仕事や人間関係を良くしたいと願ったなら、決して添え物程度のテーマではありません。
だからこそ、マイナス方向に働けば怖い。自己肯定感や自尊心が育っていないというのは、発揮されるべき自分の力に枷がかかっているような状態です。人は誰しも性格的資質や知識などをそなえていますが、それを発揮できないなら、ないのと同じになりかねない。そういうわけで、自己肯定感や自尊心が低いと、仕事や人間関係がうまくいかなくなってしまうのです。
しかも、セルフエスティームの低さは得てして悪循環に陥ります。自信がないから明るい展望を描けず、力を十分発揮できなかったために案の定失敗し、よけいに自信を失う。人間関係がうまくいかないせいで失業しがちになり、親から「だめな子だ」と指をさされ、ますます劣悪な家庭環境や人間関係に身を置くことになってしまう……。
こうして人生が途方もなくむずかしくなってしまった人を身近で見てきた私は、「心をなんとかしなければどうにもならない」と痛感しています。
私の母は、支配的な性格である私の祖母と幼いころから折り合いが悪かったために、自尊心(=自分をかけがえのない存在だと感じられる気持ち)が育ちませんでした。母は中一のころから「自分はいらない子だったんだ」と悩みだしたといい、深く傷つき内心荒れていたようなのですが、経歴をみていけば、彼女は中学から大学卒業までに2度もいじめに遭っています。その後も物事が順調に運ばないたびに祖母との関係は悪化し、悪循環から双方が抜け出せず、二人は心理学用語の典型的な「共依存」に陥っています。世を見渡せば、母と同程度の能力・経歴でもっとイキイキ活躍している人はいるのですが、今年還暦を迎えた母は、人生ほとんどを親との不健全な関係のために費やしてしまいました。子である私からすればそのわりによくがんばってくれたと思いますが、自尊心ひとつのためにうまくいかなかったこと、つらかったこと、逃した未来が多すぎる……。横目で見ていて、その悲惨さは哀れで目も当てられません。
自己肯定感や自尊心が低いと、それだけで、人生が圧倒的に不利になってしまうのです。スキルなどほかの面をいくらがんばっても「それだけで」すべてを台無しにしかねないところが、心の問題の怖さだと思います。
第1話:「他人と優劣を比べない」原則からわかること
勉強・仕事、運動、ルックス、おもしろさ、どれをとってもパッとしない――「自分に自信がない」のはなぜなのか、といえば、最もよくあるのは「他の人と比べて自分のほうが劣っているから」「周りの友達より優れたところがないから」「一番になれないから」といった理由でしょう。以前、私の知り合いが「がんばったって一番になれないから勉強のやる気をなくした」とこぼした、その静かな横顔が思い出されます。普段は口にしなくても、そんな本音を胸の奥にしまいこんでいたのでしょう。
しかし、自己肯定感の重要なポイントは、「他人と比べることなく」ありのままの自分を大事に思えることでした。つまり、勉強の成績も、リレーの選手になれるかどうかも、美人/イケメンかどうかも、ウケる話術ができるかどうかも、そういった世間一般での価値はすべて関係ないことになります。
もし、日々ぶっ通しで開催されている「他人との比較」を全部バッサリ切り捨てたなら、人はどうなるでしょうか? つまり、頭の中を、自分以外誰もいない世界にしたら?
ボーゼン……。じゃないですか。
自分が、存在している。ただそれだけ。
他の人と比べないのだから、劣等感は生まれようがありません。
ただ同時に、優越感も生まれようがない。ここがポイントです。
「自己肯定感が高い」というと、つい、自信満々で「私ってスゴイ!」みたいに大手振って闊歩している人を想像しないでしょうか。しかし本当は、他人と比べての優越感はニセの自己肯定感にすぎないんですね。
自己肯定感が高い状態というのは、じつは自然体で、無意識的で、素朴なもの。「これこれこういう理由があるから自分はすばらしい!」などと気合を入れて思えるようになる必要はありません。
特殊な自信がわいてくるわけではないけれど、「自分なんてどうせダメだ」という不安もない。不安がなければ躊躇することなく、自然と足が前に出る。行動の数がつみ重なっていけば、そのうち成功につながる時はめぐってくるし、心がイキイキしてくれば人間関係だって健康的になる。
こうして順を追ってみていけば、自己肯定感や自尊心を育てれば、人生に好循環がまわりだすという成り行きが見えてきます。心のあり方はマイナス方向に働けば恐ろしいですが、人生をプラスに引き上げ、幸せにする力も絶大です。
第2話:肩書きや能力。それは「自分」ではない
「自分はどういう人なのか」を表現するのに、職業は定番の要素です。もしあなたがまったく知らない人に会って、相手から「看護師をしてるんです」と自己紹介されたら、それだけで相手の人物像がだいぶくっきり見えますよね。
ただ、肩書きや能力で自分を表そうとするのは、行き過ぎればかえって「自分はどういう人なのか」を表さなくなるという、扱いの難しい性質をそなえています。とりわけ、会社での役職名に自分の存在意義を依存するところまでエスカレートした場合はそうです。
なぜなら、それでは自分に代わりがいくらもいることになってしまう。たとえば「TOEICのスコアが900なのは職場で俺だけだ」と肩で風を切って歩いている人がいたとします。が、世の中を探せば、TOEIC900点の人はほかにもいる。いくらもいる。彼でなくても、同じ仕事はできる。自分に代わりがいるのなら、「自分はかけがえのない存在だと思える」自尊心とは矛盾してしまう。
定年退職したとたん自分を見失ってしまう昭和の”企業戦士”は後を絶ちません。「部長」なりなんなり「会社での役職名が自分のすべて」という日本の”サラリーマン”は、パッと見は堂々としていて、人によっては部下にパワハラをしたりするのですが、実際には、彼らの自尊心と自己肯定感はどん底です。本当は自分に自信がない。極端にない。ニセの自信でもろい自分を固めてきた彼らですが、メッキがはがれる時は、遅かれ早かれやってきます。
加えて、「肩書きや能力=自分」と思い込んでしまえば、ちぢこまって卑屈になる場面に遭遇するのは時間の問題となります。たとえば、やっとの思いで希望の会社に転職して「出世したぞ!」とバンザイした矢先、もっと給料のいい同業他社の人に出くわしたら? 転職の喜びは早くも色あせ、新たな嫉妬心に変貌してしまいます。いともかんたんに自尊心を失ってしまうのです。「隣の芝生は青い」の連鎖から脱しない限り、生きていて幸せを感じられることはありません。
能力や職業にかかわることは、職種にもよりますが、長年の努力の結晶だったり、自分らしさや、自分が社会に対してどう役に立てるかを表す大事な要素だったりします。
ただそれでも、能力や仕事はあくまで「道具」だということは忘れずに。そうすることではじめて、自分の尊厳をフルに感じることができるはずです。
第3話:恋愛が恋愛でなくなる時
「自分はかけがえのない存在だ」と思えるようになりたいのは、人間にとって自然な気持ちです。人間は、根源的に不安定な生き物。「この先生きていけるだろうか」という、生存への不安があるからです。
こうして人は手探りをはじめるのですが、自尊心や自己肯定感を高める方法をまちがえてしまったために、取り返しのつかない悲劇の扉を開けてしまった人はいます。何を隠そう、私の小二のころの親友がそうなのです。彼女は恋愛での悩みから拒食症(摂食障害)を患い、若干二十歳で、この食べ物あふれる時代に栄養失調で亡くなりました。
参考リンク:女性のダイエットには、天敵がひそんでいる(「プロテイン置き換えダイエットとは(+やせたい女性の摂食障害撃退ガイド)」より)
私にとって、彼女は校内をいっしょにバタバタ走り回ったりするクラスでいちばんの友達でした。優等生タイプの立派なお姉さんがいた彼女は「私は影がうすい」みたいなことを口走っていたように思いますが、小二の時点では深刻な雰囲気ではありませんでした。三年生に上がる時にクラスが分かれ、その後二年間を別々に過ごしました。
五年生で再びいっしょのクラスになった時、彼女は少し様子が変わっていました。いまこうして小学校時代の記憶をたどっていくと、そういわれてみれば、彼女が「自分に価値を感じられない」悩みをかかえているのかなと感じたことはあります。そのころ、彼女は一風変わった習い事に次々挑戦していました。楽器といってもジャズピアノ。ダンスといってもタップダンス。ただ、その姿は私の目には、素直な好奇心から楽しんでいるというより、「自分が輝ける場所」を必死で探しているように映ったのです。少し離れたところから見ていて、私はちょっぴり心配でした。彼女とは中学までいっしょだったのですが、彼女が志望校のレベルをうんと下げたと聞いた時には、自信をもてないのかなと切なくなったのを覚えています。
私に言えるのはここまでです。私は拒食症に苦しむ彼女と直接会ってしゃべったわけでも、彼氏との関係がどのようにもつれたのかを聞いたわけでもありません。彼女の尊厳を守るためには、私が勝手に憶測を重ねるとか、勝手に意見を述べるなんていうのはもってのほか。いまはただ安らかに眠ってほしい。
なので、ここからは一般論です。
世の中には、恋愛や結婚を中心に人生を考えるタイプの人が一定割合でいます。「自分に自信がない」「価値があると感じられない」という悩みに恋愛中心の価値観・人生観が重なった人だと、恋愛は至上の解決策、苦しみからの解放、すべての終着点のように感じられる。「カレ/カノジョに好きだと言ってもらえたから」と、承認欲求が満たされるからです。
しかし、世にいう「恋愛」は、恋愛ならざるものにすり替わりやすいです。たとえカップルが成立していても、まわりが見て「……それって恋愛じゃないよね?」という関係に陥っているケースはどれほどの割合にのぼるでしょうか。
カレ/カノジョがいるから、自分に価値を感じられる。
もしそうだとしたら、裏を返せば、相手がいなくなったらすべてを失ってしまう。相手との関係がもつれたり、別れたりしたら、自分はからっぽで、存在価値がない。そういうことにつながってしまいます。
恋愛から摂食障害への扉を開けてしまう女性の多くは、カレに好かれるためなら何でも言うとおりにしてしまうんですよね。関係がもつれた彼氏に「このデブ!」と吐かれた――そんなときに「この人とはここまでだ」ではなく、「やせればカレは戻ってきてくれる」と泣きながら無理なダイエットを始めて、いつのまにか物を食べることができないという世にも恐ろしい難病に……。第三者である私からみれば、目の前が涙でくもって直視できたものではありません。
ここまでは女性の摂食障害を扱いましたが、自信や存在価値を恋愛に依存するパターンはほかにもいろいろあります。一見エネルギッシュで「依存」という感じがしないパターンもあります。男性でよくある例も出しておきましょうか。
女子から「好きです」と告白された男子が、天に舞い上がって、「幸せになるんだ」とカノジョを連れまわし、引きずりまわし、ブンまわし、ある日「お前がいなければ俺は死ぬ」と熱烈な愛をケータイで伝え、カノジョの自宅前で帰りを待っていたら……おまわりさんに声をかけられた。おまわりさんには、やれやれな「ストーカー君」だと思われていた。交番に貼ってあったポスターの「それは、愛じゃない」が目にしみた……。
告白されて天に舞い上がったところまでは本物の恋愛だったかもしれません。自分の良さを認めてもらえたよろこびは、まぎれもない本物の自尊心です。
しかし、彼はこの先の行動で、恋愛を恋愛ならざるものに変えてしまいました。カノジョをリード(?)することで感じた「自分には力がある」という自信、「人の役に立てる」というよろこびは、優越感からきているのだから、本物の自己肯定感ではありません。そんなつもりはなかったかもしれませんが、彼は自己肯定感や自尊心をじゅうぶん高める前に恋愛をしたために、はじまったばかりの恋を、最初は大切だったカノジョを、自分の力を確かめるために利用してしまいました。はたからみれば、「それは、ストーカー」だった。
このように、幸せどころか不幸につながってしまう恋愛――その原因は、自分の存在価値を相手に依存してしまうところにあります。カップルの片方がどんな形であれ相手に依存したなら、もう片方にとってはつきあっていてあまり楽しくなく、しだいに二人の関係はいびつで不健全になっていき、ついには痛みを伴う悲しい破滅で終わってしまう……。
恋愛を幸せな恋愛にするには、カレ/カノジョがいなくても自分を大事だと感じられるようになっておかなければ、つまり、相手なしに自分の心を支えられるところまで自己肯定感や自尊心を高めておかなければならないのです。
もう他人と優劣を比べなくていい。肩書きも、能力も、ルックスも、立派なお姉さんと比べての華やかさも関係なく、ただここに存在している自分を大事にいたわってあげてください。
私の小二のころの親友は、恋愛に深く悩み、食べ物あふれる現代に栄養失調で苦しんだ末、この世から旅立ってしまいました。私の言葉は、もう届きません。
せめてこれを読んでいるあなたは、他人との比較をバッサリ捨てて、劣等感も優越感もない自然体な自分になって、幸せになってくださいね。
第4話:自己肯定感が低い「極端な事例」に照らすと見えること
見えにくかった物事は、極端な例で裏から照らすことで輪郭があぶり出されたりするものです。
読者のなかには深刻に悩んでこのページへ来た人もいると思うのですが、私はここでこんな問いを立ててみたいと思います。
自己肯定感や自尊心が病気の域まで低くなったら、人間はいったいどうなるのでしょうか?
プロローグでちらっとふれた「自己愛性パーソナリティ障害」というのは、自己肯定感や自尊心の低さが病気の域に達して、極端にかたよった人格のことをいいます。
最近、ニュースによく出ていた人が自己愛性パーソナリティ障害だと診断されました。私が誰のことを言っているか、思い浮かぶでしょうか?
相模原の知的障害者施設・津久井やまゆり園で入所者19人を殺害した、植松聖被告です。
植松被告は犯行前、「神のお告げだ」「自分は選ばれた人間」「伝説の指導者」などと吹聴しては、知人たちの間で「あの人ヤバイ」とささやかれていたとか。
……どうでしょう。これが、自己肯定感や自尊心が極端に低い例。自分に自信がなさすぎる反動で、普通ではあり得ないくらい傲慢になったり他人を軽視したりするのは、自己愛性パーソナリティ障害の症状です。
そう、自分への自信が通常域のラインを割ると、人間はそんなドン引きするような「ヤバイ」人になってしまうんですよ。
人は、「自分は特別な存在」だと信じるに至ったら「自己肯定感を高める方法を知りたい」と願うことはありません。選ばれし特別な存在に「そんなもの」がいるはずないからです。
ましてや、どうすれば自分に自信を持てるかネットで検索しよう、本を買って読もう、そこに載っていたメソッドをやってみよう、なんて自分から動き回ることはない。
自己愛性パーソナリティ障害という病域に達してしまった人の場合、まずは「自分は自己肯定感・自尊心が低いのだ」と素直に認めることから始めなければなりません。スタート地点がそれでは、改善までの道のりは大変です。
以上、極端な例であなたを照らして、私は断言するのです。これを読んでいるあなたは心配いりません。
読者のなかには、深い悲しみにさいなまれている人、人生がうまくいかなくてもがいている人がいると思います。
しかし、そうやって悩んでいること自体、あなたの心がまだまだ健全な証拠じゃありませんか。そのことに気付いてほしい。
「自分なんてどうせ……」という思いに駆られた人は、自分のしてきたことを過小評価してしまいます。しかし私という「鏡」には、あなたが自分の抱えている問題に気づいたこと自体、すごいことだと映っているのです。この記事へやってきたのよりずいぶん前に、自らスタートを切った時があったんです。すでにかなりの距離を歩いてきたのだと、自分で自分を認めてあげてください。
悩むことは、全然悪いことではありません。悩みがあってオーケー、悩みの滅却を目指す必要はないと思いますよ。このまま進めば大丈夫。変わりたいと願った人は、かならず変われます。というより、もうすでに、変わり始めているはずです。
第5話:好きなこと、やりたい仕事を通して覚える
読者のなかに、本に載っているメソッドをこなせば自己肯定感を高めることができるに違いない、と日々励んでいる人、あるいは「人はかけがえのない存在だ」といえる合理的根拠が見つからなければ不安だ、といった人はいませんか?
もしそうなら、ここでちょっと見方を変える提案を。
私はこれまでの人生、「自分を大切にすることを覚えなければ先へ進めない」という場面にたくさん遭遇してきました。お気楽な趣味から絶対成功させたい仕事まで、本当にたくさん、です。
そんな、まるで必要にせまられたみたいに自分を大切にするとはどういうことなのか、一例を紹介しましょう。
私はその……体脂肪率に問題が発生して以来エアロビとヨガと筋トレにはまり、1年半ほど経ったいまも続けています。以前そのことにふれた時は、「すでに2回故障した」と書きました。そんな私の故障歴、いまでは4回に増えています。
はじめての故障は右足首のねんざで、運動を始めてまもない去年1月のことでした。やる気満々でスタートを切ったのに、たったの10日で私は早くも中断を余儀なくされたのです。がっくりしましたが、この時は5日ほどほうっておいたら痛みは消えました。
ところが2か月後の3月、今度は右ひざに不調が。ダンスとヨガはできなくなってしまったため、地味に腹筋をするだけの日々が一週間ほど続きました。私はトレーニングの本でいろいろ調べ、ひざをサポーターで固定することに。しかし、ねんざをきちんと治さなかったのが根本的な問題だとは、まだ気づいていませんでした。
いよいよ大変なことになったのは、ねんざから半年後でした。運動を続けるどころじゃない、右の足首に、とうとう一歩踏み出しただけで顔がゆがむほどの激痛が……。私はここで、知識のある人の助けが必要だと悟ります。そうして生まれて初めて整骨院たるところのドアをくぐったのですが、いま思えば、あの時の整体師さんは「ずいぶん陰気な人が来たな……」と引いていたのではないでしょうか。さすがプロの見識は違いました。「本当は最初にねんざした時に来てほしかったですね」とのことでした。筋肉のつき方を説明してもらい、電気をかけ、マッサージしてもらったところ、翌朝には信じられないほどよくなりました。
これで一件落着かと思っていたのですが、10月ごろ、どうも脚の疲れがとれなくなります。ねんざを半年もひきずった失敗から学習していた私は、早々に整骨院へ。オリンピック選手への施術も担当したという整体師さんは、私のひざの下をぐっと押すと、「筋肉が疲労困ぱいです」と一言。トレーニングのやりすぎなんていうのはオリンピック選手だけの話であって、私のような運動部に入っていたことすらないアマチュアのなかのアマチュアには関係ない、と思っていたら、違いました。人体とは、根本的にもろいものでした。自分の力も測り損ねていました。私はひとたび何かにはまるとがんばりすぎてしまう性格らしく、ふくらはぎの筋トレを自分の力を越えるところまでやったらこの結果。整体師さんは「治るまでは休んで、次からは負荷を軽く」とアドバイスをくれました。
こうして今日まで1年半。エアロビやヨガや筋トレができないもどかしさを、私は4回もかみしめました。そのたびに、新しく学ぶことがありました。
運動するなら、筋肉のつき方と骨格を知っておかないと。関節のためにサポーターを買ってあげよう。
運動後には、軽くマッサージしてあげないと。
疲れている血液と筋肉にタンパク質をあげよう。
体には日ごろからちゃんとした栄養をあげなきゃ。
こんなふうに、ハマったことを通して、私の心はどんどん豊かになっていきました。
体や心を痛めつければ、好きなこと、やりたいことは続けられなくなってしまう。このことは、趣味のカラオケでも、一世一代の事業でも、一念発起の起業でも同じです。とりわけ仕事で成功したいなら、体も心も良いコンディションに整えて、最高のパフォーマンスを出せるようにならなければ。
好きなこと、やりたいことをやっていると、自分をいたわり大事にすることは「必要なスキル」として立ち現れてくるのです。
「『あなたはかけがえのない存在です』と言われても信じられない、説得力がない」とかそういう問題ではないんですよ。痛い、苦しいことが問題じゃないですか。失敗はしたくないし、同じ失敗はくり返したくないから学習した。このように、私の考え方はシンプルです。
自己肯定感や自尊心は、好きなこと、やりたいことを通して覚えていくもの。そんな一面もあると思います。
第6話:自己肯定感の本はカラーいろいろ、相性がある
本屋に足を踏み入れれば、心理学、ビジネス書、健康や子育ての棚には、自己肯定感を高める方法をテーマにした本がズラリと並んでいます。それだけ知りたい人がたくさんいて、知りたい人は調べるからでしょう。
ただこの心理学という分野は、本によってカラーが全然違うんですよね。
このあいまいさは、一つに、心理学が新しい学問であることに端を発しています。医学とか法律学なら世界中で古代から存在していましたが、心理学のはじまりは1879年のドイツです。新しい分、整っておらず、しかも研究対象が心という抽象的なものだから、研究者の思想や文化的背景、時代背景がまざりやすいんですね。
そんな著者の主観に、読者それぞれの個性がクロスするのだから、心理学書にはどうしても合う合わないの相性が出てきます。
たとえば、「偉人の言葉でやる気を出そう」という趣旨の本は、自分に発破をかけたいビジネスパーソンには向いていても、親から「ダメな子だ」と言われ続けて自分に自信を持てないと悩んでいる人には役立ちません。また、そこはかとなく神秘主義的なカラーの自己分析は、感性によくなじんで「これ大好き!」となる人もいれば、肌に合わず違和感だけを覚える人もいる。
こうした相性はそれぞれの個性によるので、どの本が良くてどれが悪い、どれが正しくてどれがまちがっているということではありません。
なので確認しておくべきは、「内容にこういう傾向があったら問題あり」という、いわば「最低ライン」です。あなたが読んだ本やネット上の記事に、こんな傾向はありませんでしたか?
- 書いてあることの根拠やルーツが示されていない。著者が示そうとしていない
- 文章の裏に、異なる文化や特定の人々への差別意識がみられる
- 心理学を根拠に、特定の人々への偏見を助長する
- 著者が読者に向かって、カリスマ指導者のような態度をとっている(くわしくは第7話へ)
読んでいて「なんか変……」「どことは言えないけど、なんかいやな感じがする……」と感じたら、いったん立ち止まり、客観化するべきです。問題のある本かもしれません。
私はプロローグの「自己肯定感とは?」で、心理学博士が著した本から引用しました。ただ実をいうと、私はこの本をいいとは思っていません。初心者向けに情報量を少なく書いたのが遠因になっているのかもしれませんが、一般的な知識に照らして「これは問題だ」と指摘できる箇所があるからです。
差別や偏見がないことは心理学書の「最低ライン」だと言いました。そこをいくと本書は不登校や引きこもりへの偏見が随所に表れており、読み進めていて閉口します。現実の不登校や引きこもりの方々は、この本に出てくるような情けなくあわれっぽい人々ではありません。挿絵にも強い悪意を感じます。
さらに本書は、著者の経歴が反映されてか、全体を通して「無条件の愛」といったアメリカ的スピリチュアルなワードが多用されていて、「アメリカンスタンダードは世界のスタンダード」的な意識や人間観が色濃く出ています。
特定の人々への偏見と、文化的なかたより。いずれも、読者が「そうか、心理学的にはこうなんだ」とうのみにしてはならないサインです。
「これを読んだ人が信じてなければいいけど……」と私は不安になりました。本書に出てくる偏見の数々には公憤がこみ上げてきます。社会的に問題があるとなれば、個人的な合う合わない、好き嫌いといったミクロな話では済みません。
「この本は問題あり」と判断した私は、内容のほとんどを頭の中でそぎ落とし、心理学用語を確認するときだけ利用することにしました。
すべて本は、主体的に読むものです。心理学博士の書いた本なら全部信用するとかいうのではなく、読んでみて自分はどう思ったか、自分の感想を大事に、取捨選択して、得た知識を自分で錬磨して使っていく。
社会的に問題のある本をパタンと閉じて思います。アマゾンで買った本を「これはおかしい」とつきはねたのは、それはそれで、行動したからこそ得られた貴重な人生経験だなぁ、と。
第7話:自己啓発セミナーのチェックポイント
私は自己啓発セミナーという類のものに行ったことはありません。
聞くところによれば、質が高くて役に立つまともな講座もあれば、なかには悪質商法や心の弱った人をねらったカルト宗教の勧誘もまざっており、ピンキリだそうですね。
誰だって怖い思いはしたくないし、大金を巻き上げられる事態にはなりたくないでしょう。だからといって「あやしいから関わらない」と自分の殻に閉じこもってしまえば、自己肯定感は下がる一方です。
そこでここでは、セミナー系悪質商法やカルト宗教等を見破るためのチェックポイントをまとめておこうと思います。
- 講師が、一方的な指導者の口ぶりや態度をとっていないか。
- 講師が、セミナー参加者を何も知らない情けない弱者のように扱っていないか。
- 教材購入や定期セミナー申し込みへ誘導していないか。購入や申し込みをあせらせていないか。
- 不安をあおるなど、参加者を講師や主催団体に依存させようとしていないか。何度も何度も通ってくるよう仕向けていないか。
- 特定の人々への偏見や差別をあおっていないか。
- 主催者・団体は誰なのか。
頼れる「カリスマ」のようにふるまう人物は危ないです。のめり込まずに一歩引いて、周囲の人間関係が不健全だったら、けじめをつけてスパッと辞めること。あとはお金の流れと、やっているのが何者かに注目です。
私はネットで、「普通のビジネスセミナーだと思って行ってみたら、会場の建物が宗教施設だったので、怖くなってとんぼがえりした」なんていう体験談を聞いたことがあります。
ほほー、世の中にはそんなこともあるのか。私はなにも、価値があるのはいいセミナーで役立つ知識を学んで晴れ晴れしたというハッピーな出来事だけだとは思っていません。
「あー怖かった」というのだって、行動しなければ得られなかった貴重な経験。見たこと、思ったこと、感じたこと、すべてが自分オリジナルの宝物です。セミナーから、行く前に期待したのとは違う収穫を得た。こうした人生経験のつみかさねが血肉となり、強靭な自分をつくっていくのです。
第8話:自尊心が低い原因によっては、そちらの特効薬を
「問いの立て方」によって、ものを考えるスタートラインは違ってきます。
もしあなたが自分に自信が持てなかったり、価値を感じられなかったりするなら、その原因はなんでしょうか? その答えによっては、「自己肯定感を高める方法」の本にかじりつくよりも、別のアプローチのほうが「特効薬」になるかもしれません。
第8話では、自尊心が低くなってしまう、おそらく最も代表的な原因を取り上げましょう。ズバリ、暴力です。
子どものころ家庭内暴力があった、親がしばしばビンタをかましてきた、学校にいじめや体罰があった――そういう心当たりはありませんか?
すぐにピンときた読者はもちろんですが……「ちょっとビンタされるくらいのことはあったけど、親に悪気はなかったし、たいしたことじゃなかったし、普通の家庭だったよ」などと思った読者こそ要注目。この考えこそ、心理学が解き明かしてきた心理のトリックです。
身体に苦痛を与えられた経験は、本人が意識している以上に、自尊心に重大な悪影響をおよぼします。
なぜ身体に苦痛を与えられると自尊心が育たないのか。その道理は、こんなお話で説明してみましょうか。
もし、あなたが重要文化財の土偶を
手で持って運ぶことになったら、どんなふうに扱いますか?
慎重に持って、そ~~~~~~……っと歩きますよね。
こんなふうに人が土偶をていねいに扱うのはなぜか、といえば、土偶が重要文化財で、つまりとても価値があるからです。価値のあるものは、大切に、ていねいに、やさしく、壊れないよう、そー……っと扱う。
それに引き換え、暴力とはなんなんでしょうか。
人を殴るというのは、こぶし一発ごとに「お前には価値がない」「お前が痛がろうが知ったことか」「お前なんてケガをしたってかまわない」と、非言語的方法で言っているに等しい。重要文化財の土偶はポロッ……と欠けるなんて絶対あってはならないのに、あなたはやさしくそっと扱うに値しない存在だと、態度をもって伝えているのです。殴った理由とか、親にはやさしい時もあったとかは一切関係ありません。身体への打撃それ自体が、破壊的な無言のメッセージとなっているのです。
暴力が人に与える害、そして暴力が悪たる理由は、「相手の存在価値の否定」に帰結します。
子どものころ虐待されていた人は、親という絶大な影響力を持つ人物から、「お前には価値がない」という無言のメッセージを、本人すら覚えていない回数受け取っています。これでは自尊心が育つわけがありません。
こういう場合、フォーカスすべきなのは、暴力を受けた過去のほうです。「自己肯定感を高める方法」ではなく、「暴力を受けていた人へのアフターケア」を探して取り組むことが、自尊心への特効薬となります。
では、暴力でボロボロに傷ついた心は、どうすればいやすことができるのでしょうか?
それは第5話・9話・最終話を参考にしてもらうとして、第8話では大事な原則だけ記しておきましょう。あなたの親は「お前には価値がない」と非言語的方法であなたに伝え続けましたが、それはこの広い世界の一人の人が言ったことにすぎず、あなたについての真実ではありません。
第9話:自分を知る「鏡」をコレクション
自己肯定感とは、他人との優劣によらず、ありのままの自分を肯定できること。なので、それを高めるときに注目するのは、能力的なことではなく「個性」です。心の目は外界ではなく、自分の内側、自分のなかにすでにあるものへ向けるのです。
では、自分の個性はどんな方法で発見できるでしょうか? 私のおすすめというか、手を伸ばせそうなのをざっと並べてみますね。
- 性格診断(「エゴグラム」などが代表的)
- 適職診断
- 友達や先生や知人が、自分の性格について何と言ったか
- 異文化交流をしてみる
- 自分のことをまったく知らない人たちのなかに入ってみる
- 生まれ育った家系の傾向を分析(家族メンバーが生まれた年、育った時代背景、受けた教育、職業などを含む)
- 勉強して世界を広げる(なにか問題を抱えている場合、社会問題や歴史、文化の傾向などが関係している可能性がある)
- 新しいことに挑戦
- 自分の作品をつくってみる
- 好きな音楽、マンガ、映画などについて、自分はそれのどういうところが好きで、世の中的にはどういう人がそれを好んでいるのかを考えてみる
- 自己肯定感の本に自分なりの感想を持つ
……など。これらはすべて、のぞけば自分の個性が映る「鏡」です。そう意識して世界に目を向ければ、ほとんどどんなものからも自分を発見できると思います。
心理学にくわしい知人によれば、世の中には「自分の欠点を見たくない……」と自分を知るのをすごく怖がる人もいるらしいですね。そういう性格の読者のために確かめておくと、性格や個性に良い悪いや優劣はありません。どんな性格もシンプルに「特徴」であり、よい方向に生かすことができます。
覚えておくべきポイントは、どの「鏡」にも個性があるということ。
さらに、信ぴょう性にもバラつきがあります。世の中で信頼されている性格診断テストなら、少なくとも一定程度は自分の傾向を表しているといえるでしょう。しかし血液型占いはお楽しみ用だし、関係のギスギスしている同僚から「○○さんってのんびり屋だよね」と言われたなら信ぴょう性はほぼナシです。
したがって、性格診断や人が言ったことは、「この人によれば自分の個性はこうなんだ」と理解するのが良い付き合い方といえるでしょう。そうやって「鏡」を集めていけば、自分を知っていくことができます。
私の場合だと、「自己肯定感が低いっぽい」原因はうつ病、そのまた原因は叔父の相続関係トラブルにあったので、家系を分析することが重要な課題となりました。上で挙げた中では精神的に苦しい方法なのですが、これこそが突破口だと思ったし、実際効果は絶大でした。
こうして分析するのは、「家系・家庭環境」という文脈における自分を正確に把握するためです。家族メンバーを非難するためではないし、仮に彼らにかわいそうな事実が浮かび上がってきたとしても同情しなければならないということでもありません。
心理学者になったつもりで科学的に。
記者になったつもりで客観的に。
画家になったつもりで家族メンバーをそれぞれ、正面から後ろから、上から下から、右から左からななめから、あらゆる角度からみていきました。
私の祖母は、極端な不安感や「誰かが攻撃してくる」という妄想的な被害者意識をもっていて、知らない人のことは絶対信用せず、時折まるで幼児のような奇行をすることがあり、家庭では絶対的なワンマン支配をする人です。彼女はなぜそうなのでしょうか?
まず、祖母の生まれは戦前の1933年です。戦前から終戦直後の時代には、どの町でも詐欺や乗っ取りが多発していました。彼女の生い立ちをみていくと、戦争中に母親を亡くした体験が、その心理と人生に強い影響を与えたことが浮かび上がってきます(詳細:祖母に戦争体験を聞いてみた―補足と説明)。
また、人はある程度生まれつきの性格をもっているといわれています。そんな心理学のモノサシをかざすと、祖母の安定志向は生まれつきの性格と思われるのですが、どんな性格も、心の健全度によってはゆがんだ形で表れます。安定志向が不健全な形で出れば、被害妄想的になるでしょう。
さらに教育というアングルで見れば、祖母は高等女学校卒です。「高等」と名はついていますが、昔の高女が教えていたことは、いまの高校のレベルに達していません。つまり、祖母が受けたのは事実上、軍国主義教育だけだといえます。
こうした数々の要素が組み合わさって、私の祖母は極度の不安感から内輪に閉じこもるに至り、頭の中には軍国主義的な発想しかないのだとみられます。
時代背景が性格にどれくらい影響したかは人によってまちまちなのですが、とりわけ強い影響を受けたとみられるのは叔父でした。私は最初、叔父についてはきょうだいの下の子、家族の最年少者という生い立ちに着目していたのですが、彼が十代を過ごした80年代バブル期の風潮を考慮したとたん、彼の人格への疑問は氷解しました。
以上のような家族メンバーが、親子やきょうだいとして互いに関係して生じた化学反応、それが私の育った家庭環境ということになります。
こうした家系の傾向から、私の行動パターンには不安感や行動をためらう傾向が生じていたと思います。ここまでたどり着けば、私の心の問題は解けたも同然でした。
家系を分析するなら、やり方はざっとこんな感じでしょう。必要な人は参考にしてみてください。
心の成長にとって私が最高だと思っているのは、なんといってもアート創作です。アコギをはじめたきっかけのほうで嬉々として語ったので、よかったらそちらをどうぞ。
最終話:自己肯定感のレシピは、行動と経験と時間
個性は一人ひとり違い、たどっていく人生もそれぞれです。
私の場合、自己肯定感という面で転機となったのは、初めて海外に出たことだったと思います。新しい土地を、地図を読みながら歩く。見たこともない自然を目の当たりにする。遠い国の異なる文化の人と話してみる。それまでかかわったことのなかった職業の人と交流する。発想の大きな転換から日常の些細なことまで、「行動」を山ほど積み重ねたのです。
そうして広い世界から帰ってきた時の感想、それが「なんで私、あんなに自信がなかったんだろう」だったのは、印象深いというか、なんとも感慨深いです。
それから幾年歩いてきました。これを綴りながら感じている気持ち、これがきっと「自己肯定感が高いっぽい」心なんだと思います。
「私ってすばらしい!」みたいな特殊な自信を抱いたわけではないけれど、先を不安がって行動できないことは、それきり二度とありませんでした。人は変わるもの。いまとなっては、あのころの不安感や悲観の思考をなぞることは、もうできません。
自然体な私がいて、日々着実に歩いている。それだけです。
私は生まれつき、異なる文化や自分と違うタイプの人や新しい世界にいつでも興味津々な性格です。それは優劣も良し悪しもない性格の一つにすぎないので、私と似たような読者もいれば、全然違う読者もいるはずです。あなたの個性によって、自己肯定感・自尊心を高めるきっかけや好きなやり方は違ってきます。
どんな個性の持ち主であれ、「変わりたい」という気持ちがあるあなたはきっと大丈夫。
あとは「時間」です。
私は、自己肯定感や自尊心は、「行動」と「経験」が「時間」とともに成熟してできあがるものだと思っています。私がいう時間というのは、「学校を卒業して就職」とか「xx歳で昇進」などという世の中の基準ではありません。自分の人生、自分の軌道のことです。
自分の時間を、このまま歩いていくといいでしょう。劣等感も優越感もなく、人間関係に上下なく、不安にさいなまれることなく、自然体な自分をのびのび発揮できるようになっていけたなら、人生は軽くなり、幸せ色へと変わっていくはずです。
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