提言:「アーティストシップ」の必要性

スポーツにスポーツマンシップという理念があるなら、アーティストは「アーティストシップ」を宣誓すべきである。私は、表現にのぞむ者は、創作・表現の指針となる高い理念を掲げるべきだと提言します。

私がこのような結論に至ったのは、自分を表現する行為がもつ輝かしい可能性に着目したから、そして同時に、アートをめぐる現状への強い危機感があったからでした。

アーティストシップの骨子

アーティストシップの骨子は「主体性」「自己の健全な発展」「他者の尊重」の3点に集約されます。

第一に、アートを行う時、人はおのずから実践主体となります。筆をとったなら、手を動かさなければ。言葉を刻みたいなら、頭をしぼらなければ。自分がなにもしないのに表現物ができあがることはあり得ません。表現のすべての出発点は「主体性」だといえます。

第二に、人はアート活動を通して成長することができます。作品を完成させるのは、みずから考え、一歩一歩進んでいく長い道のりです。さらに、作品をよりよいものにしたいという意志を持ったなら、自分自身をさまざまな角度から見直すことが課題となって立ち現れます。創作とは自分自身と向き合うことであり、そこにはいつも学びがあります。こうして自己を客観化することは、内面の困難を克服するにも最適です。自分を表現することは、「自己の健全な発展」に役立つのです。

第三に、自己表現は、他者にも同じ重みを認める平等の感覚に気づかせてくれます。自分は自由に表現してそのよろこびを享受するのに、他の人には同様の自由を認めないとすれば、その態度は自己中心的であり、他者の尊厳を軽視することを意味します。自分が表現にのぞむならば、「他者の尊重」が不可欠になってくるのです。

主体性にはじまるアーティストシップの骨子は、いずれもアートの特性に由来するものです。義務的なものではなく、表現・創作の過程で感じ学べる哲学であり、表現行為の可能性だと考えています。

商業主義の功罪

以上のように私は表現がもつ可能性を確信していますが、そのアートをめぐる現状には、強い危機感を抱いてきました。その第一は、商業主義の弊害です。

良くも悪くも、現代の芸術は商業に保護されています。王侯貴族等の庇護下にあった時代と比べれば、表現活動への門戸は大きく開かれ、同時に、どのような作品を評価するのかの決定権が市民にあるという点で、民主的といえばそうではあります。

しかし他方で、芸術作品が商業のベルトコンベアにのっていることは、最大公約数的な作品がよしとされる風潮を生じさせています。当たり障りなく無難に気持ち良いものが世人からの人気を獲得し、結果としてマスターピースの座に押し上げられ、その反射効として、作家個人の個性が出た作品は周辺部に押しやられてしまう。本来、表現には、人々に知を提供し、文化の豊かな発展を率い、民主主義の大前提となるという社会的な役割がありますが、そういった本質的な言論にとっては、商業主義が暴走している現代は、冬の時代といえるかもしれません。

かと思えば、最大公約数志向とは一見相反する現象もみられます。奇抜な作品が評価を集めているのです。なぜ「奇抜さ」が重宝されるのか、その源泉をたどっていけば、商品の価値は「差異」にあるという商業の原理に行き着きます。質などにかかわらず、「他と違うこと」が価値になるのです。売り場には無数の商品が並んでいますが、奇抜であれば目立ち、注目が集まり、価値が高くなる。奇抜さが高評価につながってきたのは、商業主義の帰結です。

以上のような最大公約数志向と奇抜志向に加え、さらに深刻となってきたのは、文学等における一部作家の偶像化・芸能化および芸能人の起用です。1980年代の時点ですでに、男性純文学作家が大規模なプロモーションとキャラクターづくりで「売られる」商法は苦虫を噛みつぶしたような表情を――とりわけ知識人から――向けられ、「お祭り型商売」「芸能商法」だとして強く批判されてきました。しかしこの傾向は、2000年代からはむしろ悪化の道をたどっています。作家を偶像化・芸能化するという販売戦略から一歩進み、今度はもとからの芸能人を作家として起用して、知名度の高さからベストセラー化する事例が相次いでいるのです。

商業主義の帰結であるこれらの傾向は、自由で活発な表現を阻害しています。表現が妨げられることは、知を劣化させ、人類文化を弱らせ、民主的な社会の地盤沈下を引き起こします。

行き過ぎた商業主義には批判が叫ばれている一方で、現状への正当化も根強くあります。会社を存続させるためにはやむをえない、という論法です。しかしそれは複雑な現実のたった一面にすぎず、商業主義が表現・芸術分野の水準を損ない、自らの首を絞めているのもまた事実です。表現の周辺に携わる者は、社会における表現の役割、意義、そしてその責任にかんがみ、重く受け止めなければなりません。

アートへの信用を損なう権威主義

現代のアート分野は、知の劣化とは一見反対の問題を同時に抱えています。権威主義です。

アートは本質的に良し悪しの基準があいまいな世界であるゆえ、作品や作家に対する評価が決まる過程は不透明にならざるを得ません。「この作品は名作だ」であれ、「これとそれならこれのほうが優れている」であれ、何とでも言えてしまうのです。このことが腐敗や不祥事につながるのは想像に難くありません。

また、アートは古くからの権威としての側面を有しています。一部の芸術関連団体等では、今日の社会においては問題視されるような上下関係など、前近代が依然根強く残っているといわれています。

こうした権威主義、腐敗や不祥事はそれ自体がアートに対する信用を失墜させる原因になりますが、前述の商業主義の弊害とからみ合って、事態はますます混迷を深めています。実際、現代人の多くにはアーティスト――流行りのシンガーソングライターから権威ある人物まで――に幻滅した経験があるのではないでしょうか。

表現・芸術活動にあたる者は、高い意識と倫理観をもたなければならないと思います。

今日、商業主義や権威主義と妥協する者は、残念ながら表現者のなかにも多く現れています。それが表現者となることだと信じ込み、あるいはそうしなければ表現者としてやっていけないと思い込んでいるからです。しかし、既存のシステムや状況を当たり前のものとみなすのは、思考停止に他なりません。思考停止は、主体性を出発点とするアートの正反対です。権力に身を売り、それと引き換えに地位や権威を得ることは、アーティストとして最大の恥であるばかりか、アーティストとしての死を意味すると考えます。

表現の価値と人間の尊厳

すべて表現には、表現した人の個性が発露します。自己表現にその人の個性が少しも表れないことは、原理的にあり得ません。

その個性は、一人ひとり違っています。世界にたった一人であるすべての人は、それぞれが最高の貴重さを誇ります。

したがって、個性の表れである表現は、人間の尊厳と直結しています。

このことは、第一に「作品の価値は平等である」という結論を導きます。世の中には、芸術史・文学史的に意義のある業績、教科書に載っている有名な作品、あるいはプロモーション戦略によって売れたものなど、人口に膾炙された作品があり、他方には、人知れない表現物が星の数ほどあります。称賛の有無や程度にかかわらず、作品自体の価値に差はありません。

同時に、表現する行為および表現物が人間の尊厳に直結することは、表現にのぞむ者に一定の緊張を強いることを忘れてはなりません。差別的な発言をはじめ、他者の尊厳を傷つける表現は表現として自己矛盾であり、自己破壊である。表現の価値を引き下げるようなことがあってはならないのです。

アーティストシップの宣誓を

地球上で、芸術活動を行うのは人類だけです。誇り高い営みです。

自分を表現することは、「自分は人間だ」と高らかに宣言することにほかなりません。

さらに、より多くの人が自己表現にいそしむならば、人間の尊厳は輪唱のごとく歌い上げられます。その理論と感覚は強靭に育ち、人類社会をよりよい未来へと導くでしょう。アートにはそのような輝かしい可能性があるのです。

すべての真摯な表現は、満月のごとく全きものです。プロやアマというのは商取引上の概念にすぎません。「アーティストシップ」にのっとれば、誰でも一流のアーティストです。

スポーツにスポーツマンシップという理念があるなら、アーティストは「アーティストシップ」を宣誓すべきである。表現・芸術がいまの危機的状況から抜け出し、人々がアート本来のよろこびを享受するには、表現にのぞむ者は創作・表現の指針となる高い理念を掲げるべきである。それが私の提言です。

私がアーティスト代表なら、宣誓は次のようなものでしょうか。

宣誓、我々アーティスト一同は、

一人ひとりが主体として自己の健全な発展に努め、自由に、いかなる権力にも屈することなく、他者の尊厳を尊重し、自己表現を通して、人間の解放を希求する人類社会に資することを誓います。

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アートの可能性については、ブログ開設によせたメッセージでも論じています。

(参考)”Real Artists Ship.”という Apple の創設者・スティーブ・ジョブズの言葉がありますが、この”Ship”は動詞で、訳すと「本物のアーティストは(アイデア等を)発送する」という意味です。すばらしいアイデアを心に持っているだけではなく、クリエイティブなやり方で発信してこそ本物のアーティストだ、という文脈です。語呂は似ていますが、私の提言とは一切関係ありません。

初公開:2017年5月17日。2020年9月18日、ブログの発展にともなって加筆・更新しました。