叙勲・褒章、国民栄誉賞とその辞退者―調べてわかった驚きの過去

先日、人気マンガ『ONE PIECE』の動向を評する中で、同作者に贈られた県民栄誉賞とその法的・社会的論点に触れたことがあった。それをきっかけに、私は叙勲・褒章など「栄典」の類についてより深く調べてみることにした。

春と秋には毎年叙勲・褒章がテレビで取り上げられ、そのたびに正装した受賞者たちが喜びを語る。オリンピック金メダリストに国民栄誉賞が贈られるシーンも然りだ。しかし、こうした「栄典」の類は政治利用などの問題をはらむことでも知られており、イチローや大谷翔平のような有名人が国民栄誉賞を辞退して話題となることもある。詳しく調べてみたら、「まさか自分の国がこんなことをやっていたとは」と仰天するような事例も出てきたので、今回新しい記事を割いて紹介したいと思う。

本稿では、

  • 叙勲・褒章や国民栄誉賞の簡潔なまとめ
  • それが議論になる理由
  • 授賞された後で物議になった著名人
  • 辞退した著名人とその理由

を中心に解説し、論じていく。(以下、敬称略。)

目次

概略

最初に、制度と論点をかんたんにまとめておく。

日本の勲章リスト

内閣府は、栄典には叙勲と褒章の二種類を設けているとしている。

日本に現存する勲章は以下の通りである(2023年現在)。

日本の勲章の種類及び授与対象をまとめた表
勲章の種類及び授与対象(出典:内閣府 https://www8.cao.go.jp/shokun/shurui-juyotaisho-kunsho.html

大日本帝国憲法では、天皇に「栄典大権」があり、選定から授与まで全ての権限を持っていた。また、当時の勲章は爵位を伴った。つまり、叙勲を受けた者は貴族となったのである。

戦後、日本国憲法14条によって、すべて国民に法の下に平等が保障された。同14条2項は

華族その他の貴族の制度は、これを認めない。

とし、貴族制度が禁止されたので、爵位は廃止となった。

また同14条3項は

栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

とした。特権が伴ってはならないので、例えば叙勲・褒章に賞金はない。

戦後の栄典は、内閣の「助言と承認」により、天皇の国事行為として授与される。

生存者への授与が再開されたのは1963年で、この時の内閣は池田勇人(はやと)内閣である。池田勇人は、高度経済成長政策をとったことで知られる首相だ。吉田茂の強い影響力の下にある、いわゆる「吉田学校」の出身者である。

上記の勲章のうち、文化勲章は、先んじて「文化功労者」となった人に贈られるのが慣習となっている。いわば、文化功労者のさらに上の出世先、というところだ。

国籍に制限はないため、外国人に贈られることはめずらしくない。実質的には、うち多くはアメリカの軍人および政治家だ。

褒章とは?

勲章と同時に「褒章」も発表、授与される。こちらは主に社会活動に携わった人が対象とされている。

日本の褒章の種類及び授与対象をまとめた表
褒章の種類及び授与対象(出典:内閣府 https://www8.cao.go.jp/shokun/shurui-juyotaisho-hosho.html

勲章と褒章の間にはっきりした線引きがあるわけではない。特に紫綬褒章は文化勲章の対象と重複しており、スポーツ選手や芸術家などが受章している。

国民栄誉賞

叙勲・褒章と似た制度に「国民栄誉賞」がある。

内閣府は、「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があったもの」に「その栄誉を讃えること」を目的として国民栄誉賞を贈るとしている。

対象は「内閣総理大臣が」「本表彰の目的に照らして表彰することを適当と認めるもの」である。

叙勲・褒章と異なり、発表および表彰は随時行われる。また政府は、国民栄誉賞は「表彰」だとしている。そのため憲法14条3項の「栄典」としては扱われていない。内閣総理大臣は受賞者に「表彰状および盾」を贈る他に、「記念品又は金一封」を付けることができるとされている。

国民栄誉賞が開始されたのは1977年で、この時の首相は福田赳夫である。第1回受賞者はプロ野球選手の王貞治だった。

外部リンク:国民栄誉賞(内閣府ホームページ)

県民栄誉賞

国民栄誉賞と似た制度で、県民栄誉賞というのも目にするだろう。こちらは国ではなく都道府県(=地方自治体)が県民や出身者を表彰するものだ。

制度は都道府県によって異なる。多くは条例に基づき、知事と県議会が審議・選定するようになっている。都道府県によっては、「名誉県民」などの呼称を用いた制度がある。

論点―何が議論を招くのか

以上のように、叙勲・褒章や国民栄誉賞、県民栄誉賞は、市民の功績を顕彰する制度だ。

にもかかわらず、叙勲・褒章や国民栄誉賞等を授与される側ではそれぞれ受け止めが異なり、人によっては辞退するのはなぜなのか――といえば、その理由のコアは「『官』が市民を評価する」という点にある。

日本は民主主義国家である。民主主義において「国」は何のためにあるのかといえば、その目的は、国民の人権を保障することだ。「官」は市民の「お上」ではないのである。にもかかわらず、市民の業績に評価を付けるのは、「官」が上に立っていることにならないか。

さらに、栄典授与は政治利用もしばしば問題視される。時の政権が選定するゆえである。

論点の核心は以上だ。詳細は、以下で順次指摘していく。

もらって議論になった人

以上のような理由から、叙勲・褒章や国民栄誉賞をもらった人がかえって物議になることはこれまで多々あった。

ここからは、議論となった中でとりわけ有名な事例をピックアップしていく。

羽生結弦(フィギュアスケート選手)

2018年には、フィギュアスケート選手の羽生結弦がオリンピックで連覇を果たし、国民栄誉賞を贈られた。23歳6か月25日での受賞は、個人史上最年少だった。当時の首相は安倍晋三である。

偉業への祝賀ムードのかたわら、国民栄誉賞は物議となった。羽生結弦が受賞したのはオリンピック連覇の直後だが、過去をみていくと、オリンピックで3連覇を果たした柔道の野村忠宏や、オリンピック連覇、世界選手権で7回金メダルを獲得した同じく柔道の谷亮子は国民栄誉賞を授与されていない。彼と遜色ない実績を持つオリンピック金メダリストでも、国民栄誉賞を受賞しているかどうかは分かれるのである。羽生への国民栄誉賞は、以前から指摘されていた選定基準のあいまいさを改めて白日の下にさらした。

ここにもってきて、羽生結弦への国民栄誉賞はスポーツ選手の政治利用として典型的だった。それ以前から、安倍晋三はたびたび有名タレントと会談、面会などと称して席を共にしていた。宣伝と大衆からのイメージアップが目的とみられる。特にお笑いの吉本興業との蜜月はよく知られている。これはタレント側にとっても自分を「首相と会えるほどのタレント」だとアピールする効果があり、都合がよいので、「私なんかが……」と腰低くもてなしていた。有名人を自らの宣伝に利用するのは安倍政権のカラーだった。

2018年当時、羽生結弦はメディアで話題沸騰中だった。のみならず、彼は一般的なスポーツ選手離れした熱烈なファン層を抱えていた。いわば、人気絶頂だったのである。

国民栄誉賞にスポーツ選手が多いワケ

国民栄誉賞の受賞者を見ていけば、内訳でスポーツ選手の割合が大きいことに気付くだろう。しかも近年では、引退後ではなく、現役の若い選手が国民栄誉賞受賞者となる傾向があると指摘されている。羽生結弦はその中でも最年少だった。

スポーツ選手は誰にとっても親しみやすく、大衆からの知名度と人気が高い。彼らはただ競技にまい進しているだけなので、タレントのように好みが分かれることはほとんどない。政治的信条に左右されることもない。

そんな話題と好感を兼ね備えたスポーツ選手に「国民栄誉賞を授与する」と発表し、同じカメラのフレーム内で表彰する様子は、政権にとってイメージアップにつながり、いい宣伝になるのである。

安倍晋三(内閣総理大臣)

その安倍晋三に、紋付羽織袴姿の羽生結弦に記念盾を渡した時は頭の片隅にもなかったであろう事件が舞い込んだ。2022年7月、奈良県で選挙演説中に、旧統一教会への恨みを募らせた信者二世によって射殺されたのである。

政府はすぐさま叙勲に向けて動き出し、大勲位菊花章を贈ると発表した。大勲位菊花章は、日本で最高位の勲章である。この時の首相は、岸田文雄である。

大勲位菊花賞の写真
大勲位菊花賞頸飾(出典:https://www8.cao.go.jp/shokun/shurui-juyotaisho-kunsho/kikkasho.html

授賞理由について、政府は「首相としての功績をはじめ、多年にわたる経歴、功績に鑑みた」と説明。特に日米関係を基軸とした外交や経済、安全保障政策に尽力したことなどを挙げた。

岸田政権にとっては「功績」なのだそうだが、安倍晋三の「実績」は散々だ。タレントと癒着したなどという俗っぽい話はまだ序の口である。安倍政権は汚職に次ぐ汚職だった。安倍を崇める極右思想の持ち主が開いた学校・森友学園にはタダ同然で国有地を譲渡し、これまた”お友達”の経営する加計学園が獣医学部を新設する時には無理やり認可を通した。安倍晋三に最も近いとされるジャーナリストが性犯罪を犯した際には、”天の声”で彼を刑事司法の手から逃がした。国家の私物化と腐敗は目も当てられなかった。

最高位の勲章、大勲位菊花章は、それでももらえるのである。

カーチス・ルメイ(アメリカ空軍大将)

読者はここまで読んですでに、叙勲・褒章に対してかなり幻滅したかもしれない。

しかし、私が調べていったところ、過去にはもっととんでもない受章者が見つかった。米軍の空軍大将、カーチス・ルメイである。

ルメイは1964年、佐藤栄作政権下で勲一等旭日大綬章(当時)を贈られた。授賞理由は「航空自衛隊育成の功績」だった。

東京大空襲や原爆投下の実行責任者へ日本政府が叙勲!?

ところがこのカーチス・ルメイ、実は戦時中、東京大空襲や、事もあろうに原爆投下に深く関与した人物なのである。

空襲やヒロシマ・ナガサキの惨劇は知っての通りだ。東京大空襲といえば、当時小学生だった人が、焼け野原で遺体の片付け運搬に従事させられていたところ、「焼けた材木のかたまりかと思ったら焼けた人間の集団だった」というおぞましい証言が思い出される。壊滅した広島と長崎の町では、生身の人間が、焼けた皮膚を垂れ下げ、誰なのかを身内でさえ判別できない、ゾンビのような姿となって歩いていた。人間の形を奪われていた。その想像を絶する痛みと苦しみを代弁する力は私にはない。生き残った人でさえ、消えることのないトラウマや原爆症にいまなお苦しんでいる。その実行責任者を、あろうことか日本政府が顕彰したのである。

東京大空襲や原爆投下の実行責任者、カーチス・ルメイへの叙勲は、何度でも批判が浮上してやまないので、「ゾンビ」と呼ばれているという。

なぜアメリカ軍人は日本から勲章をもらいたがるのか?

日本政府がアメリカの軍人や政治家に叙勲する例は決して珍しくない。カーチス・ルメイに限らず、21世紀に入ってからも、ブッシュ政権で国防長官を務めたラムズフェルドや、同じくブッシュ政権の国務副長官アーミテージなど、イラク戦争の責任で国際的に批判されている政治家の名前が並ぶ。これが日本政府の現実である。

では、なぜ米軍人や政治家は日本から勲章をもらいたがるのだろうか? たとえ日本政府が打診してきても、叙勲・褒章は辞退できる。受け取ったら後で問題になると思わないのだろうか?

この点については研究がなされている。『勲章 知られざる素顔』(栗原俊雄著)によれば、「米国の軍人は、芸術品とも言える日本の勲章に大きな魅力を感じて」おり、「代々の在日米軍司令官は『日本の防衛に多大の貢献をした』という理由で、勲一等旭日大綬章をもらって帰国するのが慣例となっている」のだという

米軍人は、日本の勲章を美術品コレクターのような気分で、帰国時にみやげものとして持ち帰っているようだ。

旭日大綬章の写真
旭日大綬章(出典:https://www8.cao.go.jp/shokun/shurui-juyotaisho-kunsho.html

もらって後で返上した人―徳富蘇峰

イチローや大谷翔平をはじめ、叙勲・褒章、国民栄誉賞では「辞退」にも注目が集まる。

そちらに関しては以下でしっかり扱うが、その前に、勲章を「返上」した例があるのでぜひとも解説したいと思う。ある意味でビッグネームな言論者、徳富蘇峰である。

「お国のために」をあおって歩いた言論界ナンバーワンファシスト

徳富蘇峰(1863 – 1957)は評論家、ジャーナリストだ。日本史の教科書にはしばしば、明治時代のキリスト教青年団体「熊本バンド」の設立メンバーとして載っている。小説家・徳富蘆花の兄としても有名だ。

しかし、この徳富蘇峰は、若者らの思想グループをつくりました、などという生ぬるい人物ではない。日清戦争あたりからは国家主義に傾倒してゆき、特に1930年代以降は国家総動員体制と帝国主義への支持協力を熱烈に訴えた。役職的にも「大日本言論報国会」と「日本文学報国会」の会長を務め、政府の中枢に関与していた。つまり、徳富蘇峰は、日本中の言論者と文学者たちを天皇制ファシズムに組み込む指導者だったのである。もとはといえば、「文章報国」という概念は、徳富蘇峰が提唱したものだ。

今回は深入りしないが、私は徳富蘇峰のやり口はじつに悪質だと思っている。蘇峰は多くの言論者――自由主義的な言論者とも――と交友があった。その場でやわらかに「あなたも協力してよ」と声をかけて回るのである。「仲間」からこういう言い方をされたら、なかなか断りにくいだろう。しかもそれには「いいこと」の仮面をかぶせてある。「俺に協力しろ」とすごむのではなく、チャリティー募金をお願いするような物腰で「世のため人のためになることだからあなたも協力を」と言われたら、ますます断りにくい。

こうして徳富蘇峰は、自分の独善を「お国のため」と言い換え、戦前の言論者・文学者たちをねっとりした圧で覆っていった。言論者・文学者を天皇制ファシズムのるつぼに引きずり込み、表現の自由を絞め殺し、「お国のために」の熱狂をあおり立てた。天皇制ファシズムで重要な役職に就いていた。私は徳富蘇峰のことを「言論界ナンバーワンファシスト」だと思っている。「日本史一の余計なお世話」だとも思っている。

戦前ファシズムをあおり、国家総動員体制を推し進めた「功績」が評価され、徳富蘇峰は1943年、東条英機政権下で文化勲章を贈られた。後から振り返れば、この時が彼にとって人生最高の時だったかもしれない。

文化勲章に輝いたファシスト言論者の末路

その後、現実は蘇峰の野望通りにはならなかった。

国外では残虐行為の限りを尽くす旧日本軍に対し、各国で反対運動が起こった。国内では食糧と物資が不足、空襲によって各地がこの世の地獄と化した。そして1945年8月15日、太平洋戦争は敗戦で終戦となる。大日本帝国体制は崩壊した。それまで絶対だった国家主義・軍国主義が一転否定されたことは、「墨ぬり教科書」がよく象徴している。

天皇制ファシズムの指導的立場にあった徳富蘇峰は、GHQのA級戦犯容疑者リストに載った。起訴されなかったのは、高齢だったという理由だけだ。

1946年、徳富蘇峰は、A級戦犯の容疑者に名を連ねたことを理由に、言論者として道義的責任を取るとして、文化勲章を返上した。

叙勲・褒章には、時の政権の意向が強く反映される。初期的に「政権にとって都合がいいで賞」スレスレなのである。

叙勲・国民栄誉賞・県民栄誉賞を辞退した人

それではいよいよ、叙勲・褒章や国民栄誉賞、県民栄誉賞の辞退を論じていこうと思う。歴代辞退者の顔ぶれはそうそうたるものだ。

本稿では、その中でもとりわけ耳になじみのある人物をピックアップしていく。

大谷翔平(プロ野球選手)

まず近年では、野球の大谷翔平が真っ先に挙がるだろう。投打をこなす「二刀流」の大リーガー。その活躍から、多くの人にヒーローとして親しまれている。

その大谷は2021年、政府から打診された国民栄誉賞を辞退し、続いて出身地の岩手県の県民栄誉賞も辞退した。

国民栄誉賞辞退の理由について、政府は大谷から「まだ早いので今回は辞退させていただきたい」との返事があったと説明した。岩手県の県民栄誉賞でも同様の理由だったと県知事が示唆している。

イチロー(プロ野球選手)

国民栄誉賞を固辞してきたといえば、プロ野球と大リーグで活躍したイチローだ。彼は国民栄誉賞を3回も辞退している。

うち、3回目は、元号「令和」への改元直後のタイミングだった。改元を盛り上げ、「新しい時代」の好スタートを演出しようとした安倍政権の思惑は、イチローの国民栄誉賞辞退で崩れた。

1回目の辞退は2001年。「自分は大リーグに入ったばかりでまだ発展途上だ」と述べた。続く2004年には、大変光栄だとしながら「自分としてはまだまだこれからやらなければいけないことがあり、プレーを続けている間はもらう立場にはないと思う」とコメント。この2回は小泉純一郎政権下だった。そして3回目にはピシャリとこう答えた。「人生の幕を下ろしたときにいただけるように励みます」。

イチローは3回いずれも、「自分ではまだふさわしくない」と謙遜の姿勢を見せて辞退したといえる。

福本豊(プロ野球選手)

国民栄誉賞を辞退した野球選手は、大谷翔平やイチロー以前にもいる。福本豊だ。彼は当時の世界記録を抜く通算939盗塁を達成し、「世界の盗塁王」と呼ばれた。1983年、首相だった中曽根康弘から国民栄誉賞を打診されたが、辞退した。

福本が国民栄誉賞を辞退した理由として述べた「そんなんもろうたら、立ち小便もできへんようになる」という言葉は当時大きな話題となった。口ぶりこそ軽快だが、論点の核心を突いているといえるだろう。

「模範的な人」であらねばならないのか―受賞者にかかるプレッシャー

「そんなんもろうたら、立ち小便もできへんようになる」が話題になった後、福本豊はインタビューで真意をこう説明した。

「マージャンやパチンコ、たばこもする。国民の見本にならんでしょ」

お茶の間で親しまれた人気野球選手の気さくな言葉は、栄典をめぐる問題の核心を突いている。

国民栄誉賞をもらったら最後、それにふさわしい人であらねばならないのか。「ふさわしい人」とはどんな人なのか。

賞を決定するのは政府だ。もしそれが政府にとっての模範的人物を指すのだとしたら、その後の人生は政府に縛り付けられることになる。

「官」から叙勲・褒章や表彰を受けた人には、「それにふさわしい人」であるよう無言のプレッシャーがのしかかる。これがスポーツ選手でなく、表現者・言論者だったら事態はより深刻になるので、下記で別途詳しく論じようと思う。

福澤諭吉(思想家)

栄典辞退者で大物の中でも大物といったら、明治の思想家、福澤諭吉だろう。福澤諭吉は栄典を嫌い、生涯一貫して叙勲を辞退し続けた。

近代文明にふさわしくない身分格差

福澤諭吉は、スポーツ選手のように「まだ自分では足りません」と言って断ったのでなければ、特定の政権への不信からはねつけたのでもない。彼は、栄典制度そのものを否定した。

代表的著作『福翁自伝』では、「役人」が国民に対して威張り散らしていることを問題視し、その例として栄典を

文明の政治と共にやめそうなことをやめずに、人間の身に妙な金箔を着けるようなことをして、日本国中いらざるところに上下貴賤の区別を立てて、役人と人民と人種の違うような細工をしている。

と痛烈に批判している。

栄典は政府がいいように利用するものだ

政府が叙勲をいいように利用することへの問題意識も色濃い。かたや政府が”お友達”に勲章をばらまく癒着体質があり、かたや彼らが良く思わない者に――例えば福澤諭吉に――叙勲をちらつかせて懐柔しようとすることもあった。

『福翁自伝』では、上の引用に続いてこう述べている。

政府に這入りさえせねば馬鹿者の威張るのをただ見物してただ笑っているばかりなれども、今の日本の風潮で、役人の仲間になれば、たとい最上の好地位にいても、とにかくに殻威張りと名づくる醜態を犯さねばならぬ。これが私の性質において出来ない。

後世の野球選手、福本豊と似た、叙勲後への問題意識もみられる。勲章をもらったら最後、すでに勲章を持つ面々の「仲間」になって同じように振る舞わなければならないのか、というのである。

福澤諭吉が生涯繰り返し指摘したのは、勲章が近代にふさわしくない身分格差であること、そして、栄典授与は政権が利用するものだということだった。

表現者・言論者と叙勲

以上のように、栄典授与は「官」が市民を評価するという構図により、初期的に問題をはらんだ制度だ。

もらうのがスポーツ選手や科学者なら、まだそれだけで済む。これが表現者だと、問題はより複雑になる。作品や思想、業績が「官」のお墨付きになるのか、という疑念があるからだ。

表現者全体の傾向―日本人は勲章に弱い?

では、表現者側は「栄典」の類をどう見ているのだろうか?

この点、全体としては、日本人は表現者であれ、叙勲・褒章を喜ぶ、欲しがる傾向があるといわれている。春や秋に紫綬褒章や文化勲章を手にした芸術家や文学者が、長年のキャリアの最終到達点のように語ることも少なくない。

文化勲章の写真
文化勲章(出典:https://www8.cao.go.jp/shokun/shurui-juyotaisho-kunsho/bunkakunsho.html

背景には、日本社会全般に「国」への過度な信用があることが指摘されている。例えば芥川賞や直木賞のように民間にも様々な賞があるが、人々の間に、それらよりも国が出す賞や勲章のほうが確かで価値があると感じる傾向があるのだ。

実を言えば、私の周りでも、地域の幼稚園経営者が秋の褒章をもらうために裏で動いていたと黒いうわさが立ったことがあった。根も葉もないうわさなので真偽のほどはわからないが、少なくとも、日本社会に褒章を「一生の最後にどうしてもほしいもの」と見る感覚が存在していた証明にはなると思う。

反権力でも政府から評価されたい―つかこうへいの紫綬褒章

勲章・褒章をありがたがる傾向は、「反権力」を売りにしてきたような文化人にも共通している。

そのよい例は、劇作家・演出家のつかこうへいだと思う。つかは、1970~80年代に、権力への激しい反抗姿勢で若者から人気を博した。それが2007年、晩年になって紫綬褒章を受章した時は「夢にも思わなかった」と喜びをかみしめたという。(なお、つかこうへいは国籍としては在日韓国人だが、本稿の論点とは関係ないので触れない。)

紫綬褒章の写真
紫綬褒章(出典:https://www8.cao.go.jp/shokun/shurui-juyotaisho-hosho/hosho.html

苛烈な反権力を作品の骨子にしてきた劇作家が、最後行き着いたところは、時の内閣の「助言と承認」により天皇から授与される紫綬褒章だったのである。メディアでは、「いろいろな役者を育ててきたことも評価されたと思います」と、「官」から評価を受ける立場に満足しているような発言もあった。

つかは続いて「権力と闘う姿勢はこれまで通り変わりません。弱者の目線で、ものづくりを続けていきたい」と話したというが、その言動は矛盾の連続ではないのだろうか? そのあたりの考え方は、本人に聞いてみないと分からない。

文化勲章の事実上の「賞金」

すでに述べた通り、憲法14条3項は、栄典にいかなる特権も伴ってはならないとしている。したがって、文化人がもらう文化勲章に賞金はない。

ところが、文化勲章には裏がある。こちらも前述の通り、文化勲章は「文化功労者」から選ばれるのが慣例となっている。この「文化功労者」には、年350万円の終身年金が支給されるのだ。

「文化功労者」とは何なのか―「グレーゾーン栄典」のはじまり

では、この「文化功労者」とはいつ始まったどのような制度なのか。

文化功労者制度は、1951年に、叙勲とは別の制度として制定された。当時の首相は吉田茂。生存者への叙勲が再開されたのは1963年なので、文化功労者は文化勲章の代替のような位置づけで機能したといえよう。吉田政権はそこに賞金を付けたのである。

停止されていた叙勲に「裏口」を作る奇策は、何とも吉田茂らしいと思う。叙勲・褒章とは別だが構造的にそれに類する文化功労者制度は、合憲性が疑われてやまない、栄典のグレーゾーンの先駆けといえるだろう。私は「グレーゾーン栄典」と名付けることにした。

1人当たり350万円の終身年金は、年間で総額8億円以上にのぼる。2020年には大手食品会社やグルメサイト会社の関係者が文化功労者に選ばれており、それが首相の知り合いであることを野党が指摘した

文化人側の都合と本音

文化功労者制度や文化勲章には、もらう側にとって都合の良い部分はあると思う。一応確認しておくのは無駄ではあるまい。

まず単純に、「お金はほしい」のは本音だと思う。誰だって、たとえ大手食品会社の重役であれ、お金はいくらあってもありすぎることはないだろう。特に、芸術分野はフリーランスで働く人が大部分を占める。年350万円の安定収入、しかも終身のそれは魅力的なオファーに違いない。経済面を心配しなくてすむことは、多くのアーティストにとって夢である。作品以外で生活基盤が確立していれば、しがらみなく自由な創作ができ、かつ、創作だけに思う存分打ち込めるからだ。

加えて、文化人にはキャリア上の本音もあるだろう。作家や芸術家にとって、経歴欄は履歴書のようなものだ。会社に送る履歴書に「簿記2級」「〇〇商事の××部門で係長」等、資格や経験を書き連ねるのと同じように、アーティストにとって受賞歴は自分の力をアピール・証明する手段となる。

特に国際舞台ではそうだ。自分のことや自国の事情を知らない人ばかりを相手にするからだ。海外でも一部の国には叙勲制度があり、例えばフランスでは「レジオン・ドヌール勲章」がナポレオンが制定して以来続いている。もし読者がフランス人小説家の本を買い、作者紹介欄に「レジオン・ドヌール受章」と書いてあったら、「この人は国では有名なんだな」と思うだろう。「私は日本で文化功労者になっています」は、その逆ベクトルなのである。

もらって平気なのか―ほめながら気苦労を強いる奇妙な制度

しかし、その称号はもらって平気なのか。その金は、もらって大丈夫な金なのか。

文化功労者になってしまったはいいが、後から問題とされるかもしれない。制度が批判されたり、人々から白い目で見られるかもしれない。汚職と違って一応根拠はあるのだが、うしろめたさを払しょくするには自分に相当うそをつかねばならないだろう。

科学者等ならまだしも、表現者にはここで特有の問題が加わる。政府によって文化功労者に選定されたら、これから自分は「政府お墨付き」のバッジを付けて表現・言論活動をしていくのか? そうだとすれば、その後の作品に見えないプレッシャーがかかりかねない。かえって不名誉になる可能性もある。

辞退したら辞退したで、難しい点がなくはない。辞退の理由をどう述べるか。言い方によっては、すでに文化功労者となっている人に「汚い金をもらっている」とケンカを売ることになりかねない。しかも都合の悪いことに、文化功労者には、それぞれの芸術分野で有力な人が顔をそろえている。分野内で亀裂を生みかねないのである。

このような葛藤を抱えていないとしたら、首相の”お友達”くらいだろう。こう考えると、文化功労者は退廃的な制度である。ほめると言いながら気苦労を強いる、おかしな制度である。

熊本県のルフィ像が問うもの

さて、冒頭で言及したように、私が栄典について詳しく調べようと思ったきっかけは、人気マンガ『ONE PIECE』の作者・尾田栄一郎への熊本県民栄誉賞について、別の記事で書いたことだった。

ここからは、以上で調べてきたことを踏まえて、「熊本県のルフィ像」を改めて論じてみたいと思う。この先は「冒険」なので、記事の難易度をノーマルからハードに引き上げて執筆していく。

以下リンクを横に広げ、適時参照してほしい。

参考リンク:故郷・熊本で県民栄誉賞(「年齢で追う尾田栄一郎さんの経歴と『ワンピース』の歴史」)

事実関係

尾田栄一郎は、熊本県出身のマンガ家だ。

連載デビュー作『ONE PIECE(ワンピース)』は、ゴム人間になった少年・ルフィが海賊王を目指して世界の海を冒険する物語である。累計発行部数でギネス記録を持つなど、世界的に親しまれている人気作だ。

2018年、熊本県は、尾田栄一郎に県民栄誉賞を授与した。県側の授賞理由は、2016年に起きた熊本地震へ復興支援を行ったことだった。

ケースを複雑にした特有な点

著名なマンガ家が地方自治体から県民栄誉賞等を授与される、というだけならそうめずらしい話ではない。ここまでなら、論点になるのはすでに述べた「官」が市民・表現者を評価する構造だけだ。

だが、尾田栄一郎への県民栄誉賞には、他のケースとは異なる特有な点がいくつもある。

  1. 過去8組9人の県民栄誉賞受賞者は全員、記念として植樹を行ったのに、尾田栄一郎のみ『ONE PIECE』の主人公・ルフィの銅像を、県庁前に建てることで記念した。
  2. 授与の時点で『ONE PIECE』はまだ連載中だった。
  3. 『ONE PIECE』は架空の世界の物語なので、作品と熊本県との間に、作品の舞台だったとか、ロケ地として使われたといった関連性はない。
  4. 銅像には、尾田栄一郎本人および同作を出版する集英社が、監修などの支援を行って深く関わった。

どうだろう。事実をざっと並べただけで、論ずべき点が次から次へと湧き出てくる。

それらの中心にあるのは、県庁前に設置されたルフィ像だ。

熊本県公式サイトのルフィ像の除幕式の様子
熊本県は、公式ホームページで「尾田栄一郎氏の県民栄誉賞を記念する「ルフィ像」を設置しました!」と発表し、除幕式やイベントの様子などを掲載している。

もし尾田栄一郎が他の受賞者と同じように植樹を行っていたとしたら、通常の論点だけにとどまっていた。あるいは、もしも銅像が尾田栄一郎の像だったなら、県民栄誉賞の記念として賞との明確な関連性があった(といっても、銅像は普通は本人の死後に建てられるので不自然さは残るが。)それが作中キャラクターの銅像だったことで、このケースは一気に複雑になる。

憲法上の論点―ルフィ像は違憲か

論点となるのは、ルフィ像が県民栄誉賞の記念として妥当かどうかだ。

ルフィの銅像は、それ自体が『ONE PIECE』という作品の宣伝効果を持つ。

また、県が県庁前に作中キャラクターの銅像を建てれば、県民や他の人々に「熊本県がお墨付きを与えた」という印象を与える結果にもなるだろう。作品の評価に影響を与える可能性があるのだ。

本稿で扱う憲法上の主たる論点は、これらが憲法14条3項前段

栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。

にいう「特権」にあたらないか。もし「特権」にあたるなら、県がルフィ像を建てたことは違憲になる。その前提として、地方自治体が行う「県民栄誉賞」は憲法14条3項に言う「栄典」にあたるかどうかが問題となろう。

ところで、日本政府は、国民栄誉賞は「表彰」であって、「栄典」ではないという立場をとっている。これに倣うなら、「県民栄誉賞」も県からの「表彰」だということになるだろう。また歴史的には、叙勲は大日本帝国憲法においては爵位を伴うものだった。県民栄誉賞は、憲法14条が禁じる貴族制度と同じ文脈上にある制度ではない。

ただ、憲法14条3項は「栄誉、勲章その他の栄典」としている。これは「栄典」を天皇が国事行為として行う叙勲・褒章だけに制限する趣旨ではないといえるだろう。また「特権」の意味についても、「いかなる」と強調しているのは、爵位だけではなく、あらゆる特典を付与することを禁じる趣旨だと解せられる。そもそも「表彰」が「栄典」にあたらないというのは単に政府の見解であって、それ自体が議論を要することを忘れてはならない。

それに、たとえ地方自治体が行う「県民栄誉賞」が憲法14条3項の「栄典」にはあたらないと結論したとしても、「官」が市民を評価するという構造自体は叙勲・褒章と同様だ。県民栄誉賞は、少なくとも、「栄典」に類する制度ではあるといえる。したがって、違憲の疑念があることは確かだ。

『ONE PIECE』が「官」のお墨付き?

上ですでに指摘したように、「官」が表現者に叙勲、表彰を行うことは、もとより表現の自由を抑圧する危険性をはらんでいる。

そこに加えて、作中キャラクターの銅像を建てれば、顕彰する対象は作品にかかってくる。熊本県が『ONE PIECE』という作品に名作だと太鼓判を押したように見えるのだ。最低でも、人々にそのような印象を与える効果はあるだろう。

特定の表現物に対して行政が評価を与えることは、表現の自由を保障し、公務員に全体の奉仕者であることを義務付ける憲法上、非常に問題がある。

内容面との関係が浮上する可能性もあるだろう。読者は『ONE PIECE』を読んだことがあるだろうか? この作品はマンガの中でも大衆向けで、エンタメの色が強い。内容を見ていけば、中には差別的な表現なども見つかる。それを県が追認したことになるまいか。

さらに、銅像を建てたのが連載中の段階だったことは、宣伝効果以外にも議論を呼ぶ可能性があると私は見ている。県が銅像を建てた後になって、尾田栄一郎は『ONE PIECE』の作風をヤングアダルト化させていった。露骨に言えば、ストーリーと脈絡なく全裸の女性を描くとか、一部のマニアが好むアキハバラ的な美少女キャラクターを次々新登場させるなどして人目を引こうとすることが多くなったのだ。一般に、このような性的コンテンツはいくらでも代わりのある没個性的なコンテンツなので、芸術性は低いと考えられる。栄誉に値する功績とはいえないだろう。

これを尾田の立場に立って見れば、上で紹介した野球選手、福本豊の「そんなんもろうたら、立ち小便もできへんようになる」が身に降りかかる。芸術としての評価はともかく、作風をヤングアダルト化させるのは作者の自由だ。にもかかわらず、県民栄誉賞を受賞したら最後、作者は「それにふさわしい作品」を作らなければならないのだろうか? 「県民栄誉賞にふさわしい作品」とはどういうものをいうのか。それを誰が判断するのか。もし尾田栄一郎が今後見えない圧を受けるなら、表現物の内容に「官」が介入することになるので、表現の自由侵害となろう。

これを執筆している2023年時点では、熊本県のルフィ像が公的に議論となったことはない。除幕式やイベントを取り上げたのがエンタメ系メディア中心だったからだろう。

県民栄誉賞にかこつけた観光振興のあと

そもそも、尾田栄一郎への県民栄誉賞は熊本地震への復興支援が理由だった。その記念が作中主人公の銅像だというのは、関連性において無理がある。

本件は、法的な抽象論だけでなく、実態にも目を向けるべきだ。もしかしたら読者はすでに察しているかもしれないが、熊本県の動きには「ルフィ像を観光スポットにしたかった」という意図があちらこちらに見え隠れしている。

県はルフィ像を公式観光情報サイトで大きく取り上げ、2023年までは旧Twitterのヘッダー画像に利用していた。

ルフィ像がヘッダーに載った熊本県観光公式Twitterのスクリーンショット
2023年1月17日時点の熊本観光公式Twitter。筆者が当ブログで初めて指摘した時点では、ルフィ像がヘッダーに使われていた。現在は別のものに変わっている。

県庁の公式ホームページ上で「尾田栄一郎氏の県民栄誉賞を記念する「ルフィ像」を設置しました!」と発表したのは、観光戦略部観光国際政策課だった。県民栄誉賞一般を扱ったページの担当は知事公室秘書グループであるにもかかわらず、である。

勇み足で建ててしまったはいいが、今後、ルフィ像は熊本県の行政に重くのしかかる可能性が指摘できよう。

一部に奉仕した公務員

2023年現在、『ONE PIECE』はまだ連載中である。近い将来完結すれば、しだいに過去の作品となってゆき、世間での話題は少なくなるだろう。人気者がホットなうちに利用するのは、国民栄誉賞が若い現役のスポーツ選手に偏るのとよく重なる。

熊本県のルフィ像が憲法14条3項前段の「特権」にあたるかは微妙で、これから法的議論が行われるべきだと思う。では、その次の15条はどうだろう。憲法15条2項は

すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

としているのだが、熊本県の観光戦略部観光国際政策課は堂々と

その栄誉を、県民やファンの皆様と末永く称えていくため、県庁プロムナードに漫画『ONE PIECE』の主人公・ルフィの像を設置いたしました。

と言い放った。これが行政の書く文章なのか。全体からしたら一部にすぎない「ファンの皆様」に奉仕してしまった。県民が尾田栄一郎の栄誉を称えていく、というのも気味が悪い。

熊本県の一連の言動に、民主主義への理解は見られなかった。戦後日本は、悲しいかな、小さいころから民主主義的なセンスや考え方を肌で身に付けられる社会環境ではないだろう。私も、民主主義からしたら突拍子もない中黒で「総理・総裁」が並ぶ中で生まれ育ったから、彼らの生育環境なら理解する。だが、彼らは公務員である。憲法99条によって憲法尊重擁護義務を課された公務員である。「わかりません」で済まされる立場ではない。

「熊本県のルフィ像」は非常に興味深いケースである。私の好奇心は尽きない。

もしこれが憲法学の期末テストに出題されたら、学生たちはどんな答案を書くのだろうか。憲法ゼミの次の授業でテーマにしたら、どんな議論が繰り広げられるだろう。ぜひ聞いてみたいものだ。

おわりに―常に問われる合憲性

官が市民に評価を付けるシステム――叙勲・褒章は、民主主義国家には似つかわしくない制度であり、たびたび政治利用される。私が栄典制度を調べ始めた時頭にあったのはその程度のスケッチだったのだが、さすがにカーチス・ルメイへの叙勲は衝撃的だった。「栄典」の過去といま。読者はいかがだっただろうか?

日本政府は2000年から栄典制度の改革を行っている。等級が撤廃されたり、多様な分野から選ばれるようになったりしている。しかし、これを始めた時の内閣は森喜朗。「日本は天皇を中心とする神の国」と発言して批判された人物である。議事録はそのカラーに染め上げられている。栄典ありき、それがすばらしいものだという価値観を官から市民へ押し付け、納得させようとする姿勢にはひどい時代錯誤を見た。

表現者・言論者の立場と都合について言うなら、確実に言えることが一点ある。「賞」といっても、「官」による勲章・褒章等と民間のものは性質が違うということだ。

叙勲・褒章や国民栄誉賞、県民栄誉賞がある限り、常に、何度でも、その合憲性は問われ続けるだろう。

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著者・日夏梢プロフィール||X(旧Twitter)MastodonYouTubeOFUSE

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主要参考資料

『勲章 知られざる素顔』 栗原俊雄、岩波書店、2011年4月21日

『新訂 福翁自伝』 福澤諭吉、岩波書店、1978年10月16日第1刷、2023年4月5日第70刷

「夢にも思わなかった」/紫綬褒章のつかこうへいさん 四国新聞社、2007年04月28日

勲章は政治的玩具か――「イラク戦犯」に旭日大綬章 水島朝穂「平和憲法のメッセージ」、2016年3月21日

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安倍元首相に「大勲位菊花章頸飾」授与 戦後4人目 日本経済新聞、2022年7月11日

【公的機関ホームページ】

勲章のはなし 国が功労を表彰するということ 政府広報オンライン、2022年7月11日

日本の勲章・褒章 内閣府

栄典制度の改革 内閣府

国民栄誉賞 内閣府

歴代内閣 首相官邸

文化功労者年金法 e-Gov法令検索

熊本県民栄誉賞受賞者のご紹介 熊本県

勲章・褒章の画像の出典はいずれも内閣府サイト。

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