「今年」世に送りたい4つの提言

国難が、2年続いているんですよ。共謀罪法の強行採決は2017年6月15日。首相の汚職事件・森友学園問題の発覚からはすでに2年が経過しました。「これで普通なんじゃない?」となってしまうことがいちばん怖い、「北朝鮮化」がじわじわ広がる2019年の憲法記念日です。

今こそ、こういうときこそ、国家権力から国民を守る法律・憲法の出番。憲法記念日の投稿3年目となる今年は、私からの提案を4つ発信しようと思います。

1:憲法への「入口」をシェアしよう

根の深い政治的無関心、政治にかかわるのは特殊な人だけだという幻想、「地方議員のなり手不足」という異常事態を生んだ「おまかせ民主主義」。我が国で長年続く病理に、我々は賢く立ち向かわなければならない場面に来ています。ほしいのは結果だ、と思っているのは私だけではないでしょう。

国難を克服するためには、動き出す国民の頭数が増えないことにはどうにもできません。そこで私は、憲法への「入口」を開いて開いて開きまくることを提案します。

専攻でないなら、憲法学を

法律学が専門でない人、あるいは一度学んだけれど遠ざかっている人には、憲法学のテキストに当たることをすすめます。

我が国の憲法議論はこれまで、現況に合わせる形で展開されがちでした。一時の政治的論争があたかも「憲法議論」のように見せかけられ、議論自体がゆがめられているのだから、国民の「憲法」に対する考えもゆがみがちになっています。

ここ数年の国難も、憲法上の問題(指摘しきれないほど増加に増加を重ねている!)だけでなく、シンプルな汚職など安倍政権固有の腐敗案件を含んでいます。このように憲法問題がいつも時の政治にからみつかれるのは、なんとも悩ましいですね。

だからこそ、基礎の基礎たる憲法学を見直すことで、思考の土台を強化すべしと思うのです。

危機にあるということはだいたい分かる、だけど自分の考えていることが正確かどうか、あんまり自信はない……という人はいませんか?

憲法を語るなら憲法学。「だいたい」「なんとなく」を、この際はっきりクリアにしませんか。

一通り学んだなら、生の文書と新聞を

法律学が専門だった人には、省庁の文書の現物に当たること、ならびに新聞を読むことをすすめたいと思います。

生の行政文書も新聞も、どちらもリアルタイムの情報です。基礎ができているなら、「いま」にぶつかっていきたいものです。

つくづく思うのは、我々はどうも、すでに枯れて乾いた過去の言説をそのまま繰り返しがちだということです。自分の言に権威付けがほしい、うっかり自分の無知をひけらかして恥をかくのではと恐れているんですね。

血の通った「伝わる表現」をするため、間違いを恐れず、自分の頭、自分の実感、自分の言葉を大切にしたいものです。これについては「高齢世代への提言」でも触れます。

憲法への「入口」は個性豊か

憲法に興味を持つきっかけは、日常にいくらも転がっています。そういった「入口」に意識的に目を向けることが今後のカギになると思います。

たとえば、リラックスタイムの殿堂・エンタメの世界にも、憲法を考えるきっかけはごろごろ転がっています。

私がこのブログで扱ってきた中では、ミュージカル映画版『レ・ミゼラブル』『スターウォーズ』には保証書をつけてもいいですね。どちらも空前の人気作。まず『レ・ミゼラブル』ですが、今の人は憲法や政治の問題となるとああだこうだ言って足踏みするけれど、だったら民主主義が、自由が、人権概念がない世界とはどんなものなのか? もし憲法がなかったらどういうことが起こるのか? 人類が憲法をつくったのには、相応の理由がある――目で見てそう分かる作品です。それから、『スターウォーズ』のことをロケットやロボットがドッタンバッタンするキッズ向け映画だ……と先入観を抱いている人はいませんか? 私が『レ・ミゼラブル』と並べて取り上げたのに首をかしげていませんか? 実は同作、「腐敗した民主主義から独裁者が立ち、民衆自ら破滅を招く」様を鬼気迫る精度で描いた悲劇の大作です。そう、テレビの前でねそべりながら憲法について考える題材は、こんなにも堂々と、私たちの日常に存在しているのです。

歴史やドキュメンタリーもいいですね。「歴史」とは、いわば巻末に解答冊子がついた練習問題です。たとえば私は最近、好奇心をくすぐられてヒトラーに関する証言ドキュメンタリー番組を観ました。過去の話なら、我々はその先ドイツがどうなるか知って見るじゃないですか。そうやって過去の失敗から危険な兆候を覚えたら、いざ本番。学んだことを応用して、私たちの”いま”のなかから「偽」や「欺」を見破る。そういう力がつきます。

他だと、金融の世界では、政策が不評なときに使われる「戦争よりはまし」という皮肉表現があります。つまり金融のプロから見て、戦争は経済にとって最低だということなんですね。

……と、私がすぐ思いつくのはこんなところですが、同じように憲法への「入口」となるものは誰でもたくさん知っていると思います。好きな映画でもマンガでもいい、おもしろかったテレビ番組でも、自分の専門分野でもいい。まずは自分の頭の中から「憲法への入口となり得るもの」を見つけ出して、誰かに話してみましょうよ。これが私の提案する、国難に立ち向かう国民の数を増やす方策です。

2:高齢世代への提言―求む、戦争証言

東京大空襲の日に先立ち、以下の記事で思いのたけをぶつけました。

リンク:戦争体験談は現在、風化どころか不足中―各世代への提言

高齢世代には、先の戦争を語る際の「視角」を変えることを、強く提案しています。日本国憲法が真に先の戦争の反省の上に立つためには、それがどうしても必要だと考えます。

この記事、戦後日本について問題意識を持っている読者には、私が頭をひねりにひねった痕跡が透けて見えるかと思います。

「とある使い古された表現」を、意識的、意図的、徹底的に排除しました。私たちを取り巻く日本社会の現実をこねくり回し、定着をみたゆえにリアリティと活力を失った言葉を解体し、一から構築し直しました。「そのこと」を、自分の言葉のみで書き上げる試みです。日本の現状に危機感を持ち、その克服への思いを抱く読者には、一つの方法論として参考になると自信を持っています。

3:若い世代への提言―上の世代の二の舞だけは舞うな

「政治にはかかわりたくない」「政治のことなんて話さないのがいい人だ」「政治は特殊な人がやるものだから、凡人の自分には関係ない」――戦後日本には、世界的には特殊なこういう雰囲気が蔓延してきました。そう信じた人々が無自覚のうちに作り上げたのが、誰にとっても生きにくいこの社会。彼らの失敗が結実したのが、現在の社会です。要するに、彼らは自分で自分の首を絞め、当時の将来世代たる今の若い世代を犠牲にしました。

日に日に崩壊が進むこの社会において、上の世代と若い世代の間には、職場や家庭であつれきが生じることが多くなっています。不機嫌な話は私の周囲でもずいぶん耳にします。

しかし、そんな不満を抱える若い世代に、上の世代の表面的な部分をちょっとお色直しした「二の舞」を舞っている人が一定数存在することは指摘せねばなりません。たとえば、周囲でこんなことはありませんか?

  1. 政治運動をしている人を「暑苦しい」とみなす雰囲気がある。
  2. 選挙前、ビラを配る候補者にはかかわらないほうがいいと足を速めたことがある。
  3. 終身雇用はいいなと思う。自分の人生を会社に守ってもらいたいし、そうでなければ人生設計が立てられないと思う。
  4. 「昭和」をロマンチックに感じる。

「いやよいやよも好きのうち」ではないけれど、若い世代が「主体性の欠如」に代表される上の世代の失敗から脱しきれずに、ふたをあければ同類になっている。そういうケースはめずらしくありません。

ブラック企業ひとつをとってもそうです。「ブラック企業に就職したくない」「パワハラ上司のせいで会社を辞めるハメになった」「世の中にブラック企業しかないのはおかしい」などと人間として真っ当な不満を口にしながら、結局はブラック企業を生み出した発想に脳ミソの芯まで支配されたままだ――ぞっとした人もいるかもしれませんが、上に挙げた3・4は、その一例です。

そういう友達がいたら指摘してあげるべきです。「それじゃあ二の舞だよ」と。

上の世代の失敗を振り切るには、彼らのどこがまずかったのかを学び、彼らとは異なる自分になることです。過去の失敗から学び、彼らとは別の道を選ばなければ。

彼らの致命的なかん違いは、「社会」と「自分」が切り離されて存在しているかのように感じていることです。しかし、彼らはその主観と裏腹に、客観的事実としては、社会の一員、主権者国民、そして有権者です。彼らの一挙一動は社会に影響を与えてきました。たとえ本人たちが気づいていなくとも、その責任を負っているのです。

そして彼らが決定的に欠いていたのは、「主体性」です。

こういった戦後日本人の精神は特殊で、それは政治的な環境、思惑、そして冷戦の構造により作られていったものでした。それがある人にしわ寄せ、究極形に至ったのが、世界に類を見ない「引きこもり」です。……話が憲法と全然関係ないほうにそれましたが、これもまた政治や憲法への「入口」のひとつとなるかもしれません。

4:(提言タイトルは文末で発表)

最後の提言は、シンプルなようで奥の深い内容になります。タイトルだけだと誤解を招くこと必至なので、意味内容を先に十分説明します。

憲法学や公文書に当たるというけど、忙しいし、なかなかそんなことは言っていられない……。そう感じてはいませんか。勉強できない、活動できない言い訳をするたび、胸の中で罪悪感がくすぶったりしていませんか。

いえいえ、それ、全然間違っていないと思いますよ。

自分に分からないことがあるのは当然です。余裕がないのも当たり前。何もかもを自分だけで完ぺきにこなそうとしなくていいと思うんです。政治参加とは、いますぐ国会で答弁できるレベルにならなければいけないということではありません。他人と知恵比べする必要もありません。

この広い社会では、誰かがその役割を担ってくれています。自分にはやりきれないことをしてくれています。

仕事として公文書や資料に当たり、真実を追いかけ、解説してくれている記者。来る日も来る日もあれだけ膨大な量、一流のクオリティで記事を書いてくれているのだから、ありがたく使いましょうよ。

水面下で粘り強く汚職の調査を続けている、政治家やジャーナリスト。私たちでは手が回らないことまで追及してくれています。

憲法について本や資料、パンフレット、サイトを制作してくれている、研究者や一般の活動家。初学者でも手軽に学べる手立てを提供してくれています。

同じ社会に生きる誰かが生み出した成果に感謝して、もっと有効活用しましょうよ。直接の知り合いではない誰かの仕事を自分のために活用するのは、自分と彼らの間に「ネットワーク」が生まれたことを意味します。握手した時の手の温度とか、そういう実感にとぼしいだけで。

集会所に集まること、団体に所属することだけが政治活動ではないはずです。この点、そろそろ発想を変えませんか。

自分にできることをすればいい。それは間接的であれ、必ず役に立ちます。まず、有権者なら必ず投票へ。学んだことや知っている事実があるなら、ちょっと話題にしてみてはどうでしょう。主権者国民一人ひとりが自分にできることをしたその総数こそ、国を動かす大きな力となるのです。

4つ目の提言、タイトルは「協力」です。

新元号「令和」について残す記録―50年後、100年後の私たちへ

この記事の末尾には、天皇陛下退位に伴う新元号をめぐる動きについて、これを書いている今が「歴史」となった50年後、100年後へ向けて、記録を残したいと思います。

新元号発表は、2019年4月1日の午前11:30に行われる予定でした。NHKの特別番組で中継されましたが、予定の11:30に間に合わないという「ハプニング」がありました。私の計ったところでは、ちょうど10分遅れです。その10分間には、局のアナウンサーが「ドキドキしますね」など、期待感を高める言葉をはさみました。

官房長官が新元号は「令和」と発表。初めて中国古典ではなく万葉集から採用されました。

直後、「安倍首相から国民へのメッセージ」が中継されました。私の率直な感想は、内容も企画自体も「校長先生気取り」の一言です。今から50年後、ソ連のスターリンやアメリカのブッシュ(子)などに連なり、安倍晋三という人間をあそこまで歪めてしまったのは何だったのか――父親との確執は知られていますが――その生い立ちから十分な研究がなされていることを望みます。

新元号は、私たち主権者国民に、提案する権利も、投票する権利もないまま決定されました。「有識者」の会議などベールの向こう、「最終的には安倍総理が決めた」ということです。

皇室行事の政治利用は今回が初めてではありませんが、「安倍カラー」の流布という点では危機レベルが高いといえるでしょう。

4月30日退位礼の一日、テレビは天皇・皇后両陛下のお人柄と、全国の人々の感謝・感激の声を流し続けました。皇室の在り方に関する議論や憲法上の論点等は、その一切が消滅。即位日5月1日前後のテレビは、「国営放送」と呼ぶにふさわしい有り様でした。異様で、不気味さを感じます。私は両陛下のお人柄等について真実性を問うているのではありません。天皇皇后両陛下をたたえることのみに傾倒し、建設的な議論でさえ一種タブー視される雰囲気には、「これが本当に日本のテレビなのか」と信じたくない気持ちでいっぱいです。番組に携わったすべての局員と出演者には、頭を十分冷やしてから番組を客観的に見直し、自らの社会的責任について熟考することを求めます。

マスメディアから発信される(また、つくられる)「世論」のほかに、足元の世間の動きを私の目と耳で記録しておきます。私が生活している中で「平成最後」「ありがとう平成」「令和記念」と銘打って行われているのは、スマホアプリ(50年後には死語にちがいない)のセール、健康食品(こちらは100年後も不滅だと思いますね)のセール、Tシャツのセール、野菜のセール、など。とにもかくにもセール、セール、セール! そのほかは冷めたもので、熱狂する人など町には一人もおらず、巷では「新元号とかいうけれど、関係ないし何も変わらない」という声が聞かれます。付記しておくと、商売においてセールは全然めずらしいことではありません。「桜満開」「ジャイアンツ優勝」「ハロウィン」などその時々の文言をつけて、毎週でも毎日でもやっています。要は盛り上がれれば口実は何だっていいわけですね。「みんながやっているからうちも」と大意ないまま「平成最後」「令和記念」と印字するのが当たり前になっているようですが、商業分野にはもう少しモラルや社会的責任を考えてほしいものです。足元の世間に関して気を付けるべき点といえば、「もしそういったハロウィンと同質のお祭り気分を『皇室への感情』『国民と皇室とのかかわり』や『憲法上の議論』だとかん違いすれば、大変な間違いを引き起こす」ということでしょうか。

「命令」の「令」に「和する=合わせる」の「和」。安倍カラーに染められた時間が始まりました。

しかし、100年後に「令和」がどのような時代として歴史に記憶されているかは、今生きている私たち国民の行動次第です。腐敗に腐敗を重ねた安倍内閣は新元号を「政治ショー」に利用し、来る時間に名前を与えて支配した。けれど日本国民は崖っぷちで踏みとどまり、安倍政権の暴走と憲法無視にきっぱりノーをつきつけ退陣させ、民主主義と立憲主義を建て直したのであった――そんな新しい歴史を、一緒につくっていこうではありませんか。

正義の女神像と裁判官の木づちと法律の本
今年こそ正義の執行、法の支配の回復を。

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日本国憲法 – 総務省の法令検索。憲法の原文はこちら。