オウム真理教元幹部・死刑囚の言葉から得られる教訓

私は、オウム真理教事件を考察するのは、「集団・組織が病んでいったとき」を、「人間」を、さらには「戦争」や「暴力」を考えることだと思っています。

戦後最悪のテロ事件の一つであり、また戦後日本の一時代を象徴するオウム真理教事件について、2019年、『「カルト」はすぐ隣にーオウムに引き寄せられた若者たち』(江川紹子著)が出版されました。私は期待を胸に書店へ探しに行ったのですが、読み終わってみれば語るべき点を網羅した、期待どおりの良書でした。

元幹部らの手記や公判での言葉には、とりわけ考えさせられます。

あんな教祖を妄信するなんていったら、きっと自主性がなく他人に依存してばかりの、心が弱いスピリチュアルマニアだろう……そうではない、元幹部らはそれと反対の、健全で理知的な若者たちでした。オウム真理教に引き寄せられ、凶悪事件に手を染め、マインドコントロールを脱したあとの永遠に終わらぬ悔悟。それは一時代の肉声そのものです。

「カルト」についてなら私は以前にも書きましたが、「オウム」となれば、カルト宗教一般にはとどまらない独自の論点を抱えています。今回は本書に沿った形で、オウム真理教元幹部・死刑囚たちの言葉から、私自身の見聞・経験なども含め、得られる教訓や考えたことを綴っていこうと思います。

目次

井上嘉浩:機能不全家庭と、バブル社会への不安と不満

井上嘉浩(よしひろ)元死刑囚は、国家モデルをとっていたオウム真理教の「諜報省大臣」として多くの事件にかかわりました。幹部が高学歴の若者で占められていたオウム真理教にあって、井上は例外的な大学を出ていない「ノンキャリ」幹部。教祖・麻原からは時に「修行の天才」と賞賛されるなど、独特の地位を与えられていました。

いたってまともな「願望」

朝夕のラッシュアワー/時につながれた中年たち/夢を失い/ちっぽけな金にしがみつき/ぶらさがってるだけの大人達

工場の排水が/川を汚していくように/金が人の心をよごし/大衆どもをクレージーにさす……/時間においかけられて/歩き回る一日がおわると/すぐ、つぎの朝/日の出とともに/逃げ出せない、人の渦がやってくる

救われないぜ/これがおれたちの明日ならば/逃げ出したいぜ/金と欲だけがある/このきたない人波の群れから/夜行列車にのって……

もしこれにメロディーをつけて町の人に「最近のヒットソングなんですよ」と聞かせたら、みんな「へぇ、そうなんだ」と信じるのでは? 私はそう感じました。

これは、井上が中学三年のころに書いた詩です(『「カルト」はすぐ隣にーオウムに引き寄せられた若者たち』、以下「本書」、2頁)。彼がのちに地下鉄サリン事件の調整役として犯行の中心になると、この純粋な詩から予測するのは不可能でしょう。

カルトへの入り口は、誰にでも開かれている。出先一番にそう感じられるオープニングです。

ブラック企業という言葉すらなかった、高度経済成長・バブルという暗黒時代

「24時間働けますか」などと言い放ったら”炎上”必至、「長時間労働を擁護している」と非難ごうごう。いまでこそ悲劇として語られる過労死やブラック労働ですが、80年代にはまだ、「ブラック企業」という言葉自体がまだ存在していませんでした。想像しただけで身の毛がよだちますが、当時、一般の人が企業中心の社会や人生への批判を口にするのは、社会からの無言のプレッシャーにより、非常にむずかしいことでした。……これではまるでカルトですね。

井上元死刑囚の詩「願望」には、当時若者の心をつかんでいたシンガーソングライター・尾崎豊(1965~1992)の影響が色濃いことが指摘されています。

私にとって尾崎豊といえば、中学のころ、放送委員が給食の時間にかけた『15の夜』のカバーが思い出されます。まわりの友達は「へんな曲~」とか「バイク盗むって犯罪じゃん」などとケラケラ笑っていました。私がその曲はカバーであり原曲は尾崎豊だと気づいたのは、大学を卒業してからのこと。尾崎豊という名前は、「薬物犯罪を犯した芸能人」として知っていたのです(ちなみに、オウム真理教も信者に「神秘体験」を得たと思わせるため薬物を使用していた)。なのではっきり言えば、私の尾崎豊への好感度は最低。

私は総体としての80年代には関心がありますが、尾崎豊の曲には共感もリアリティもありません。学校が荒れ「夜中に学校の窓ガラスが割られた」というのは、彼の歌の世界ではなく現実の出来事としてとらえているし、またそう理解されるべきだと思っています。(私の作品は80年代の社会の事実に基づくのであり尾崎豊は一切関係ないと、この場を借りて言わせてください!)しかし80年代が歴史となった今日でも、彼を尊敬するミュージシャンは多数にのぼるそうです。

さて、少々話がわき道にそれましたが、オウム真理教の前身「オウム神仙の会」発足は1984年。坂本弁護士一家殺害事件など凶悪犯罪に手を染めていったのは、バブル絶頂の89年でした。

「夢を失い/ちっぽけな金にしがみつき/ぶらさがってるだけの」”サラリーマン”として会社に没入して生きるのが「当たり前の人生」とされていた80年代。一応”脱サラ”というオプションはあり、それで道を拓いた人々はいるのですが、これはどこまでいっても”サラリーマン”の「対義語」にすぎません。コインの裏表、密接不可分。多様な生き方を確立するには至っていないのです。

もっとも、言論や学問においては、80年代の時点ですでに、長時間労働や過労死学校のいじめなど、現代に通じる問題の指摘は出そろっていました。それでも、抽象的な総体としての日本人は、会社への没入と「みんなと同じ」にまい進したのです。

高度経済成長とバブルは、「昭和二つ目の戦争」とも呼ばれます。そんな人権なき社会に反旗をひるがえすのは、「薬物に手を出すグレた歌手」がやるようなこと。いくら歌手として人気でも、これでは重みはありません。

では、「薬物に手を出すグレた歌手」でない一般のまじめな若者には、彼らを数年以内に吸い込む人権の危機に抵抗する、どんな手立てがあったというのか――本書を読み進めながらそんな問いが浮かんだ時、私はオウム真理教への入り口を見出しました。私にいわせれば、高度経済成長期とバブルは、「暗黒時代」以外の何物でもありません。

今でいえば「夫婦喧嘩」ですんだだろうか?

井上嘉浩元死刑囚について、本書は彼の学歴コンプレックスにスポットライトを当てています。ただ私は、どちらかというと、彼が生まれ育った家庭の機能不全・不健全さのほうに目がいきました。

彼の両親は不仲で、母親のほうは「井上が幼い頃にガス自殺を試みた」(5頁)。……さらっと書いてあるけど、とんでもないことですよねこれ! 幼い子にとって、自分の母親がガス栓をひねって自殺しようとした衝撃や不安は、想像に余りあります。一般に、この体験は「親にとって自分はいらなかったんじゃないか」という思いにつながると考えられます。

明らかに機能不全で、不健全な家庭です。そのわりには、彼のなかで、その不健全さが矮小化されているような……。

井上の両親の不仲は「夫婦喧嘩」と表現されているのですが、実情はどうだったのか。80年代にはまだ、「DV」という概念そのものがありませんでした。子どもだった井上は、母親の愚痴を聞く相手になっていたとのこと。井上と母親の関係は、まるで親が子、子が親の立場なんですよね。機能不全家庭によくある「親子の逆転」がみられます。それが子どもにとってどれほどの害とハンデになるかは、最近ようやく知られるようになったばかりです。

そんな機能不全家庭出身の井上が麻原に「親」の影を求めた様子は、彼の言葉にちらりちらりと見受けられます。麻原からやさしく声をかけられ、「自分をこんなに大事にしてくれるなんて」と感激した、と……。

私たちの頭には、すでに「麻原は危険な人物だ」という先入観ができあがっています。が、人の心をわしづかみにする「やさしい麻原」の姿は、本書のなかにいくつも見つかります。

井上は”グル(教祖)”に「親」の影を求めたけれど、実際には、不健全な親子関係を麻原との関係でくり返したにすぎませんでした。それが教団内での独特な屈折、そして凶行へつながったといえるでしょう。

機能不全家庭の出身者・杉本受刑囚の手記

本書は第3章をまるごとブチ抜きで、元信者・杉本繁郎(しげお。地下鉄サリン事件など3つの殺人事件への関与で有罪となり、無期懲役が確定して服役中)の手記を掲載しています。

さて、すべて「手記」とは、「ひとつの真実」です。人類が行うあらゆる表現行為のなかで、「手記」は特別な立ち位置にあります。

杉本受刑囚の手記については、私が語りつくせるものではありません。殺人を命じられた時の内心での葛藤、自分が行った殺人の様子、そしてその後の深い内省と悔悟の念。衝撃的です(Oさん殺害の過程などは生々しくて本当に怖いので、これからお読みになる方は、原爆資料館に入る時のような心構えでいることをおすすめします)。私は重要な言葉を拾おうとしたのですが、選びきることはできませんでした。その一言一言、すべてに「ひとつの真実」としての重みがあるためです。ぜひご自身で触れてみてください。

ただ私はこの記事で、杉本受刑囚は井上と同じく、極めて不健全な家庭の出身だったという点はピックアップしておきたいと思います。

彼はその手記で「父は、会社での不満を酒を飲んでは家庭内でぶちまける、いわば内弁慶な性格でした。そのため、父が家にいる間は、夫婦喧嘩が絶えませんでした」と書いています(57頁)。彼自身は酒を飲んで不満をぶちまける父を「内弁慶」とか「夫婦喧嘩」と表現しているわけですが、私にいわせれば彼の父親の行為はそんな言葉ですまされるようなものではありません。それはDVではないのか? アルコール依存症ではないのか? いずれにせよ、客観的に見れば、明らかに問題のある家庭です。

さらに、杉本受刑囚には甲状腺機能亢進症というれっきとした診断が出ていたにもかかわらず、両親が病気であることとその苦しみを理解しなかったというのは問題です。父親が彼を「具合が悪いのは、夜更かしばかりして、朝早く起きないからだ」と責めたのには、科学的・医学的根拠がありません。極めつけは、母親の「いい若い者が、仕事もせずに家でブラブラしていて、隣近所に恥ずかしい」――こんな言葉に思い当たる節があってゾッとした読者もいるのではないでしょうか。

一般に、カルト宗教と親子関係の不健全には密接な関係があります。教祖・麻原の背景にも「親に捨てられた」という意識があると指摘されていますね。不健全な親からもらえなかった愛情や導きを宗教に求め、指導者に投影して……というのはカルト入会のひとつの典型。カルト側が意図的にそういう人をターゲットとして近づき、「教会があなたの家、私たちが本当の家族です」とか「家庭でのことは神の課した試練でしたが、あなたはよくがんばって耐え抜きましたね」「今までつらい思いをしてこられて、ようやく神様のところへ来られましたね」などとやさしい言葉をかけて心をとろけさせ、とりこにするのです。井上元死刑囚や杉本受刑囚も、機能不全家庭からオウム真理教の教祖(グル)に「親」の影を求めた若者だったことが、言動の端々から見て取れます。

杉本受刑囚は手記を結んでいくにあたり、「両親は両親なりに、一生懸命育ててくれたのだと思います。迷惑をかけてしまった申し訳なさと、育ててもらった感謝の思いが湧いてきました」(91頁)とつづっているのですが、こちらはどうでしょう。彼は、「親」の影を麻原に求めて、結果的には麻原との関係でも不健全な親子関係を再現してしまったんですよね。麻原に殺人を命じられ、内心では葛藤があったにもかかわらず自分の内側でそれを押さえこみ、尊い命を奪ってしまった。そしていま、複雑な思考と深い内省の末、せっかく両親の問題点を洗い出したにもかかわらず、ここでも内心ひとりで和解してしまう。これでは両親との問題を「克服」できず、「オウム真理教に引き寄せられた自分」をまた別の形でくり返すことを意味しないか――彼よりも「けんか腰」な性格の私は、そう考えます。

私は決して、彼が殺人に手を染めたのが彼の両親のせいだと言っているわけではありません。刑事責任というのは、ひとえに実行者にあるからです。私が指摘しているのは、彼が恐ろしい殺人を犯してしまったからといって、彼の両親が健全だったことにはならない、ということ。オウム真理教事件によって「彼の両親の不健全さ」という事実が帳消しになるわけではないし、彼がそんな両親に怒ったり非難を加えたり否定の姿勢を固めたりしてはいけない理由にはなりません。彼が引き起こした事件は重大ですが、彼個人にとっては、両親の不健全さとそこから受けた傷も、こちらはこちらで取り組むべき課題のはずです。

「親孝行すぎる」人物。そんな杉本受刑囚は、麻原に疑念や疑問を抱きながらも教団にとどまり、凶悪犯罪まで実行してしまった最大の原因は「自分のアタマで考えることを放棄してしまったこと」だとし、「ぜひとも疑念や疑問を感じる、その感受性を大切にして下さい」という言葉で手記を結んでいます。とても貴重なメッセージです。

広瀬健一:家族想いで人格高潔、学業優秀だった青年から見える教訓

早大理工学部で物理学を学び、卒業時はなんと主席。オウム真理教が熱心に取り込もうとした理系の高学歴である広瀬健一元死刑囚は、教団で「科学技術省次官」となり、地下鉄サリン事件で散布役を務め、人々を無差別に殺傷するに至りました。

上記の井上元死刑囚・杉本受刑囚とは異なり、以下に出てくるのはみな、円満な家庭の、愛情をたっぷり感じて育った人々です。なかでも広瀬から見えてくる私たちへの教訓は、とにかく深いと思います。

新興宗教の勧誘を断った経験あり!

私たちはつい、「カルト宗教にクラクラしない力がついていれば、そんなものにはまりこむことはない」と考えていないでしょうか? 私には大学に入ったころカルト宗教とみられる団体の勧誘を断った経験があるし、クラスメートにもそういう団体について行った人はいませんでした

クラスメートや私は心が強くしっかりしている。だから今後の人生も大丈夫!……というわけではない、と人間の難しさをつきつけてくるのが、この広瀬健一です。

広瀬健一元死刑囚には、オウム真理教へ入信する以前に、キリスト教系新興宗教の伝道に疑問を抱き、勧誘を断った経験があるのです。

しかも、その新興宗教に感じた疑問、そして断る時の理由が、非常に論理的なんですよ。

「(伝道していた男性は)困った時に創造者に助けられた、と言うのですが、なぜそれが創造者の助けと言えるのか根拠が示されない。話についていけないと思いました」(106頁)……ごもっとも! 私は舌を巻きました。カルト宗教を脱会した経験者が読んだら、「自分にもこの鋭さがあれば、あの時あんな宗教に引き込まれないですんだのに……」と嘆いたり、うらやんだりするかもしれません。「それが『創造者の助け』だといえる根拠」に着目するのだから、ものの考え方が完ぺきです。

「宗教は人を迷わせる」と結論していた彼が、オウム真理教にはまったきっかけ

こうして新興宗教の勧誘をあざやかに断っただけでなく、広瀬元死刑囚は、宗教全般へも疑問を持ったといいます。

「教えが正しいかどうか確かめる方法がなく、不確かな教典を信仰の柱にしている。宗教は、やはり人を袋小路に迷わせるものではないか」(107頁)

宗教にここまで抵抗を覚えた人が、なぜオウム真理教へ入信してしまったのか。なぜあんなおかしな教祖にのめり込んでいったのか。宗教に抵抗を覚えた彼の身に起きたことだからこそ、考えさせられ、私たちに深い教訓を与えてくれます。

世界人類への教訓―「条件」がそろう前に止めなければならない

思うに、広瀬元死刑囚がオウムへ傾いた原因は、「タイミング」だったのではないでしょうか。

ただの偶然なんてありえない、もっと特別な原因があるはずだ、などと思われたかもしれません。しかし、カルト的な集団へ加入してしまう原因について、カルト問題に詳しい紀藤正樹弁護士は「タイミングと運」が大きい(203頁)といいます。同様のことは、最近アメリカの人種差別団体に加入した人などでもよく言われますね。偶然ネットで人種差別主義的な投稿を見た。たまたま遊びに行ったライブハウスにそういう団体の人が来ていて知り合った。このように、人類には、「まちがった時にまちがった場所にいた」というただの「偶然」で、ごく普通の人が危険な団体に足を踏み入れてしまうという現象はあります。私は、オウム真理教の広瀬健一元死刑囚もそうだったのだと思います。

広瀬の場合、彼はもともと「生きる意味」を模索していたといいます。人生の崇高な目標に向かいたい、という思いがあったようですね。

そしてここに、ある晩の体調変化が重なります。彼によれば、寝入りばなにバーンという爆発音が聞こえ、尾てい骨から熱いドロドロしたものが頭に向かって流れていき、胸や腹に広がって、のどのところで止まり、気体のようなものが上がって、頭蓋骨がきしむような音がした……とのこと。

これは彼の身体に起こった現象で、それを認識したのも彼、言葉で表現したのも彼ですから、私たち第三者にはそれが実際どんなものだったのかは確かめようがありません。彼自身、逮捕後には葛藤下での幻覚的現象だったと理解したそうだし、私の想像では足がつるみたいなものかなと思うのですが、その晩、彼に何らか体調の異変があったのは確かです。それが、「神秘体験(当時は社会全体でそういうオカルトが大ブーム、大の大人がノストラダムスの大予言を本気で信じていたというので、広瀬個人のセンスとはいえない)」のように感じられてしまった。抵抗を感じつつも手に取った麻原の本に書かれていた「クンダリニーの覚醒」のように思えてしまった。

こうした偶然の「合致」によって、かくも理知的だった大学院生はオウムへ入信。彼が食事や睡眠を著しく制限された旨は本書にも書かれていますが、教団の周到な工作で深いマインドコントロール状態に陥った広瀬は、凶悪犯罪へと続く坂道を転げ落ちていってしまったんですね。

家族想いで中学の担任からは人柄を絶賛され(本書103~104頁)、「人格高潔で、学業優秀」と評されるほどの人物ですら、ある「条件」さえそろってしまえば、その手で無差別殺人を実行してしまう。このことはオウム真理教事件のみならず、人類全体への、深い教訓だと思います。

「偶然」はどうにもできないとしても、「条件」をそろえてはならない。「条件」がそろう前に止めなければならない。私はそう思います。

「バブルを知らない子供たち」である私から

ここで再び、オウムを生んだ社会的背景に触れようと思います。

この記事を書き進めているうち、私の頭にある有名な歌がふと浮かんできました。『戦争を知らない子供たち』です(「歌ネット」動画と歌詞)。

次の項目でたっぷり書きますが、筆者の私は1988年生まれです。バブルを知らずに育ちました。

私がバブルに対して抱く感情は、『戦争を知らない子供たち』の「戦争」に対するそれとよく似ています。

――自分が生まれるに先立って、暗黒の時代があった。戦争は終わったかもしれないけど、自分のまわりは決して完ぺきではなく、問題は山積みで、息苦しさを覚える。戦争がどれほど悲惨だったかは学んだけれど、自分が経験したわけではないから、戦争の苦しみは、本当はわかっていない。けれど、戦争が終わった「平和」をのびのび感じて味わっている、そんな自分もいるよ――というふうに。

私の知人には、「人の役に立ちたい」「社会に貢献する仕事がしたい」と口にした人が何人もいます。彼らはみな、私の世代。”サラリーマン”になる暗黙のプレッシャーを女性より強く受ける男性も、その半数以上にのぼります。もちろん私も、そういう志を抱いてペンを執っています。

しかし、私より20ほど年上の人――オウム真理教幹部の世代です――は、学校は将来”サラリーマン”になるためのつめ込み教育ばかりで、「人の役に立つ」「生きがいを求める」などというのは「現実的でない」「いい年して夢を見ている」などとみなされてしまう、そんな苦しみを吐露されます私が尊敬するサイト管理人さんは、長時間労働によって10年以上もうつ病と闘病され、その手記で「もし『人間には心があって……』などと言い出せば、親や先生からは『役に立たないことを考えている間に勉強しろ』、会社では『きびきび働け』などと切り捨てられる」などと語っておられました。

『戦争を知らない子供たち』の「戦争」では、軍国主義のもと人権が制限され、ひとたび「戦争」に反対したとされた人は「非国民」として残酷に罰せられました。「神の国」が「大東亜共栄圏を建設する」ために「鬼畜米英」と「聖戦」を行うと称して「大量殺人」を行ったのだから、これってもろにカルト事件……。オウム真理教の伏線は、戦前ファシズムと不完全な戦後対応の時点で、すでに張られているんですよね。

そして、『戦争を知らない子供たち』で歌われている「戦争」は終わった(意志的に「終わらせた」わけではない点は注意すべきと考えます)にもかかわらず、高度経済成長とバブルの時代にも、人々には”サラリーマン”人生に反対する自由がなかった。

「生きる意味」を探していた広瀬健一もそうですが、井上嘉浩、杉本繁郎受刑囚、次の項で述べる端本悟元死刑囚、医師だった林郁夫受刑囚、彼らはそれぞれ、自分の人生で「人の役に立ちたい」という切実な思いを抱いていました。その過程で間違った師に付いてしまい、自分、家族や友人、そして被害者の方々を破壊するに至ったのです。

そんな暗黒時代から三十余年。

いま私たちは、「人の役に立ちたい」とオープンに口にできます。あぁ、なんて尊いんだろう! 「バブルを知らない子供たち」である私は、これを書きながら「平和」を味わっています。「自由の歌を くちずさみながら」。

端本悟:情厚きミイラ取りがミイラになったという教訓

「友達や家族がカルトに入ってしまったら、絶対に自分一人で助け出そうとしてはいけない」――この鉄則が説明されるとき、必ず名を挙げられるのがこの人です。端本悟元死刑囚は、オウム真理教へ入信した友達を脱会させようとしているうちに、自らが教団に取り込まれてしまったことで知られています。本書最終章の「カルトから身を守るには」でもちゃんと触れられていますね。友達がカルトらしき団体に入ってしまったときには「端本悟を思い出せ」、と。

実を言うと、私はごく個人的に、端本悟元死刑囚に思うところがいくつもあります。

早稲田大学法学部の学生だった端本悟がオウムへ入信したのは、1988年。私はその年に生まれ、それから18年後、彼がいた早大法学部へ入学したのです。

建て替えたばかりでピカピカな法学部棟には、「出家のため退学する」という当時の端本と面会した元学部長の先生がおり、現場の生証言が残っていました。私が生まれた年に、日本の歴史が、私の立っているまさにこの地で起きたんだ。大学生になったばかりの私は、なんとも形容しがたい感慨が胸に広がるのを感じたものでした。

しかも、それだけではありません。私は、大学入学のたった数か月前に、端本と似たような友達関係を通過してきたばかりだったのです。「あの時止められていたら。自分に何ができたのか」という先生の悔悟にじむ証言は、私にとって、いくつもの意味で衝撃でした。

オウムに入った友達を救い出すために

井上嘉浩の詩「願望」に続いて、入信前の端本悟には、私たちにも共感できる部分が多々あります。

高校時代の端本は、「普通のサラリーマンにはなりたくない」と口走ったことがあるそうです(128頁)。彼もまた、”企業戦士”の生き方に疑問を感じた一人。青年海外協力隊で人類のために活動したいと思ったこと、弁護士になってお金をもうけるだけでなく「人の役に立ちたい」と考えたこともあるそうです。

また彼は、人格の面で美学を持っていたことでも知られています。「武士道」などといえばずいぶん個性的な表現だと感じますが、潔さや人情というのは、誰しも理解する価値ですよね。

オウムに入信していた高校時代の友達を必死で引き戻そうとしたのも、彼らしい人情だったのでしょう。しかし彼は、ひとりで「ピラミッド」へ足を踏み入れるうち自らが「ミイラ」となり、坂本弁護士一家殺害の実行や松本サリン事件の警備に手を染めることとなりました。

端本は、どうすれば友達を助け出せたのか

では、「友達がオウム真理教へ入信してしまった」という事態に直面した端本は、その時どうすればよかったのでしょうか?

結論を先に言ってしまうと、彼は、自分のバックに支援者をとりつけておくべきでした。友達を助け出そうとする前に、です。

大事な人をカルトから助け出したいなら、まずは自分の安全をがっちり固めなければならない。相手はマインドコントロールを生業とするプロ集団なのだから、決して油断することなく、「自分に限って魅かれるなんてありえない」と過信することなく、いくら情が先走っても、必ず手堅く専門家の支援をとりつけておくこと。それが「情に厚いミイラ取り」だった端本悟から私たちが得られる教訓です。

大事な人がカルトに出入りしている、または入ってしまった、という場合については別の記事に書いておきましたので、詳しいことはそちらを参照ください。

リンク:カルト宗教の勧誘に注意―大学で本当にあった3つの話とその検証(新しいタブで開きます)

「自分はあの宗教がうさんくさくて危険だってわかってるし、だからあんなのにはまった友達のことが心配で心配でたまらないんだよ!」と、そんな思いに駆り立てられた時こそ「端本悟を思い出せ」です。並べて、広瀬健一のことも思い出すとよいでしょう。宗教に懐疑的な人でも、のめり込んでしまうことはある。カルトとはそういうものなのだから。

実話:ヘイトスピーチ集団に入った友達を見限った、私の思い出話

あなたには、端本悟のように「友達が危険な団体に入ってしまった、あやしげなことに手を出してしまった」という経験はありますか?

実は、私には、友達が危ないグループにのめり込んでしまい、悩んだ末に友達関係を断ち切ったという経験があります。とても切なく、思い出すといまでも悲しくなるような思い出なのですが、もしかしたら読者の役に立つのではと思うので、ここに記しておこうと思います。

あれは、高校のころのこと。当時の私は家庭と精神に重大な問題をかかえており、学校でも同級生とは話が合わなかったのですが、クラスの民子さん(仮名)とはやや親しく、高校生らしい普通の友達として時々しゃべる関係にありました。私が風邪で学校を休んだ時には、ノートを借りたこともありました。

民子の様子が変わったのは、3年生に上がって少し経ったころでした。クラスメートの前で、特定の民族を差別する話題を口走るようになったのです。

民子はもともと、変わった漫画を知っていたりして、クラスメートから「個性的」だと思われている子でした。ただ、私の見方は、他のクラスメートとは違っていました。民子は実際に個性的なのではなく、個性的だと思われたがっているのだ、と。また民子は、「友達より進んでいる自分でありたい」という願望の強い子でした。……民子は個性的なことを言っているつもりなんだろうか? 私は彼女に「そういうのはどこで知ったのか」と聞いてみました。すると、彼女は堂々と、得意そうに答えました。民子は、ネット上、それから校外の大人の漫画仲間グループで、ヘイトスピーチを行うグループに入り込んでいたのです。

その晩、私は彼女がはまっているというサイトを見に行きました。彼女の発言が人権侵害であり、危険なものであることは火を見るより明らかでしたが、私は「そのサイトを見もせずに批判するのはフェアでない」と思ったのです。(注意! 端本悟はまさにこれをやっている最中に、自分がオウムに染まってしまいました! 私は無防備でした。これは悪い例です。似たような事態にある方は、必ず相手の団体について調べるより前に、自分の身を守るバックアップを固めておいてください。友達があやしげなモノに足をつっこんでいる場面では、学問的態度やフェアプレー精神はいりません!)

サイトは、印象として「知的」でした。「一般の人には知られていない資料」とか、「メディアが取り上げない事実」などとうたうコンテンツが多く載っているのです。私は、なるほど、民子が好きそうな雰囲気だと思いました。これらの文句は、民子の「ほかの誰とも違って個性的な自分」や「友達より進んでいる自分」でありたいという願望を満たしてくれるに違いありません。ただ、難解な言葉がたくさん出てこようが、出典が外国の資料だろうが、それが人を傷つけるという問題は解消されないじゃないか。今思えば、あのサイトの「ここで語られていることが真実であり、一般社会は間違っているのだ」という雰囲気は、多分にカルト的だったと思います。

私は悩みました。どうすればいいんだろう? 私の胸の中ではいくつもの気持ちが同居し、葛藤が始まりました。

いちばん大きかったのは「戻ってこいよ!」という悲痛な叫びだったと思います。友達が悪い人の人ごみに消えていってしまうなんて、とうてい受け入れられません。「友達を助けたい」という気持ちは、私にもあったと思います。

しかし、私は、民子への怒りも抱いていました。差別は悪いことである、旧日本軍による被害に遭った人々の悲しみと苦しみは終わっていない、と知っていたからです。しかも当時、私のクラスには、民子が差別するまさにその民族の男子生徒がいたんですよ。ならば、良し悪しは別として、民子は彼のことを差別し見下している、というのが論理の帰結ですよね。ところが、民子は彼のことを「かっこいい」とまで言ったのです。筋が通っていない。私は、民子のヘイトスピーチはバーチャルな「遊び」なのだ、と思いました。彼女は他人の苦しみを、自分の「遊び」に利用している。「個性的な自分」に陶酔するために、人を傷つけるなんて! 「許せない」という胸の怒りは、それはそれで激しかった。

また私は、愕然としてもいました。民子は恵まれた家庭の子で成績も上位のほう、何不自由ない高校生でした。恵まれているゆえの退屈があったのでしょう。他方、私は、16歳の時に叔父の問題で家族関係が崩壊。「権力関係が大奥みたい」と言われるような家庭に居場所はなく、日ごろそんな生活をしているからでしょう、同い年の子たちとは話が合わず、暗い生活を送っていました。民子と自分の「落差」に、私は愕然としたのです。民子は恵まれているから、他人のつらい気持ちがわからないんだ。そんな嘆きや、ねたましい思いなど、おどろおどろしい感情も渦巻いていたと思います。

落胆もありました。どうしてこんなことに……という落胆です。私にとって、民子の件は、突然の悪夢の始まりでした。

そんな葛藤に頭を抱えていた時、私はふと、中学の担任だったT先生を思い出しました。T先生は、こんなことを言っていました。

危ないことにかかわったとき、周りの人が注意してくれるのは中学まで。これが高校生になって、大人になったら、もう誰も「やめなよ」なんて言ってはくれない。「そういう人なんだ」と思われて終わりよ。

私は思いました。民子は、T先生の言った「そういう人」なんじゃないのか? 差別思想は、彼女が自分の意思で選んだことじゃないか?

また、こんなふうにも考えました。私は民子に、理想的な友達であってほしいと、自分の願望を押し付けてはいないだろうか?

思い通りにならない現実。戻ってこいよ。お前、なにやってんだよ。悲しいよ。差別なんかのどこがそんなに魅力的なんだよ!

民子はやがて、教室でヘイトスピーチのプリントを見せびらかしたりするようになりました。その時クラスはどうなったかというと、民子は女子数名をサイトへ誘い、新しい友達グループを形成。そちらのリーダー格になりました。民子はなぜか、私のことだけはヘイトスピーチに誘ってきませんでした。理由は謎のままですが、私は物の好みがハッキリした性格だったので、誘ってもついてこないと分かっていたのだと思います。私は彼女がはまっている「趣味」をせせら笑う男子を2人ほど目撃しましたが、女子も含め、誰も「やめなよ」とは注意しませんでした。彼らはもう高校生。「自分のことは自分で決められる」という感覚が根付いていたので、民子のことを「そういう人なんだ」ととらえ、表面的に付き合ったのだと思います。

私には、T先生の言葉のほかにもう一つ思い出したことがありました。2年生の時に図書室で読んだ、アメリカの本です。そこには、アメリカの高校生・ロバート(仮名)の、こんな話が載っていました。

僕とジョン(仮名)は幼なじみのいい友達だったんだけど、高校生になったころから彼は変わっていった。派手な格好をして、おかしな連中が集まるパーティーに毎週出るようになったんだ。ある時僕がそれを指摘すると、ジョンは「君に彼らの何がわかるっていうんだ!」と怒り出した。

僕は悩んだ。ジョンは大事な友達だったから。だけど彼は言っても聞かないので、もう止めることはできないと思った。僕はとても悲しかったけれど、勇気を出して、ジョンと友達であるのをやめることにした。次の日、学校で僕が離れたのを見たジョンは、目を丸くしたけれど、そのままスタスタと行ってしまった。僕は教室でひとりになってしまい、最初は気まずかった。けれど、1週間くらいするとだんだん新しい友達ができて、僕の新しい生活が始まったんだ。

それから数年後、僕はジョンが亡くなったと聞いた。ジョンは薬物依存になっていて、プールで泳いでいるうちにおぼれたのだという。ジョンの最期に、僕はとてもショックで悲しくなった。けれど、もしあの時彼と友達のままでいたら、今ごろ自分の人生も大変なことになっていたと思う。

悪い方向に行ってしまった友達を断ち切るのも勇気だ、と、ロバートは言っていました。

私が「民子と友達でいるか、それとも関係を切るか」という枠組みで考え始めたのは、ロバートの話によるところが大きいと思います。

私は、民子に数回、遠回しに「そういうのってどうかと思うよ?」と言葉を投げかけてみました。しかし彼女は、「私って”オタク”だから」とか「私って変だよね」といった旨を、微妙に悦に入った表情で言うばかり。

このあたりで、民子との友達関係をやめようという気持ちはほとんど固まりました。以前に増して、民子を冷たい目で見るようになっていたからです。

私は最終確認のようなつもりで、隣のクラスの真理奈さん(仮名)に、どう思うか、相談を切り出すことにしました(注意! 本当はサイトを見に行く前に話しておくべきです!)。私は真理奈さんと1年生でクラスがいっしょだったのですが、推薦入試で入ったという共通点があったこともあり、たまにはしゃべる間柄でした。真理奈さんはまじめでおとなしく、だからこそクラスの中心にいるようなタイプの生徒でした。そのうえ、高一といえば精神の成長の度合いに大きなバラつきがある年齢ですが、彼女はその高一の時点ですっかり成熟したので、意見をあおぐ相手として適任だと思ったのです。私が事情を話すと、真理奈さんはこう言いました。

家ではそういうことをやっていても学校では普通の友達でいてくれるっていうなら、そのまま表面的にやっていく手もあったと思う。だけど、民族主義とかそういうのを前面に押し出してくるなら、もうやめていいと思うよ。

これで私の心は固まりました。やっぱり悲しかったし、民子との友達関係を失ったあとへの不安もありました。けれどそれ以上に、自分はこのままではいけないと思いました。自分は、差別をする人と親しくするような人間であってはならない、と。

次の朝だったでしょうか。私は民子と、坂の上、校門の前で鉢合わせました。

私は「おはよう」の声をかけず、軽く目を伏せた。

たったこれだけで、すべてが終わりました。

チラッと目を上げた時には、民子は黙って、スタスタと歩いて行きました。

ただロバートとは違い、私のその後は苦いものでした。民子を失った私は、クラスで完全に孤立。当時家庭に問題をかかえていた私にとって、学校までがひどくつらい場所になってしまいました。もう、休んだ時にノートを貸してと頼める相手もいない。たった一週間で新しい友達ができたロバートがうらやましかった。うらやましいを越えて、もはやうらめしかった。居場所がない……。それでも私は、民子と友達に戻ろうとは、少しも思いませんでした。民子の件にけりをつけたこと自体は、肩の荷を下ろしたようですがすがしかったです。

民子とはそれきり、卒業まで一度もしゃべらなかったと思います。

その4月、私は早大法学部へ入学。端本悟の行く末を知ったのは、民子の件からたったの数か月後でした。

事の顛末を聞いて私が思ったのは、大きくなれば、友達が危ない物事にかかわるという事態は頻発するんだ、そして、実社会の本当に危険な団体は、普通の高校生や大学生の想像がおよばないほど怖いんだ、ということでした。

民子がその後どうなったのかは知りません。私の想像では、彼女はヘイトスピーチ団体に加入したりはせず、ごく普通の人生を送っているのではないかと思います。なぜかというと、民子は他人からの評価を人一倍欲する性格だったから。ヘイトスピーチをすれば人や社会から全力で批判を受けることがあるし、場合によっては警察沙汰になります。それは民子のプライドにとって耐えがたいはず。なので、彼女は表面的には普通の生活を送って「すてきな自分」像を守りつつ、家に帰ってこっそり、ヘイトスピーチかどうかはわかりませんがどぎつい(もっといけば反社会的な)趣味で「個性的な自分」に酔いしれ、スクリーンの前でほくそ笑んでいる。そんなところだと思います。ただ、危険な団体への加入は多分に「偶然のタイミング」によるのだということは、広瀬健一のところでお話ししました。なので、もしもあのあと民子に「彼女のヘイトスピーチを高く評価してくれる人物」との出会いがあったりしたなら、一般社会とたもとを分かってそちらへ行き、骨の芯まで染まった、などということもありえなくはないと思います。

私は、いまでも時々、民子を思い出します。そのたび、なんとも悲しい気分が胸にわき上がってきます。これを書いているいまも、まるで胸の中に冷たい雨が降っているかのようです。

なぜ悲しくなるのだろう。私は長い間、それを考えてきました。

その結論はこうです。これは「喪失」の体験なんだ。私は、「友達を失った」から悲しいのだ。

誰しも、人生には、大事なものを失った経験があるでしょう。私にとって、一度は友達だった民子を見限ったのは、そんな「喪失」の思い出の一つです。

相矛盾した感情は、いまでも胸に残っています。後悔なくスッキリしていると言えば、うそになる。自分は、あやしい集団にからめとられていく友達を見捨てたのだ、と。罪悪感と自己嫌悪と劣等感がないまぜになったような暗い感情は、いまも時々、私の胸でジクジクとうずきます。その一方、あのあと世の中のことをたくさん学んだ結果、民子への怒りは増大したとも思います。「あんたなんか断じて友達じゃない! 私のことを友達だなんて絶対言わないでね!」と。端本悟の友達がはまったのはうさんくさい新興宗教だったので、友達が「だまされている」ととらえられたことでしょう。だから端本は、よけいに助け出したくなったのかもしれません。だけど私の友達・民子は、彼女の側に落ち度があった。

複雑な思いは残っていますが、私は民子を見限って正解だったと思います。ロバートを思い出してください。私の場合、もしもヘイトスピーチにかかわった前歴があったなら、いまごろこうやって自分の個性(!)を自由に発揮できる言論・創作のチャンスはありませんでした。文学者・表現者には、若いころに太平洋戦争を支持して、後々それがやり玉に挙がった人はずいぶんいるんですよ?

たかだか高校、一時の友達と縁を切ったことで、自分のチャンスと未来は守られました。クラスでの孤立はつらかったけれど、長い目で見れば、それは卒業までのたった数ヶ月のことにすぎませんでした。失ったものはちっぽけで、得たものは比べ物にならないほど大きかった。

ヘイトスピーチとは悪であり、私はヘイトスピーチをする人物と親しくするような人間であってはならない。強い信念を抱けば、たかだかコンピューターが私と同じ教室に放り込んだクラスメートに、名残惜しさはありません。

友達や先輩からあやしいものに誘われたあなたへ、私から言えること

ロバートの友達は、薬物が蔓延したパーティーに。私の友達は、ヘイトスピーチ集団に。そして端本悟の友達は、オウム真理教に。

高校生や大学生になれば、多くの人が「友達が危ない団体にかかわってしまった」という状況にぶつかるんですね。あるいは、これを読んでいるあなたは、もしかしたら友達や先輩からあやしげなものに誘われ、悩んでいるかもしれません。

こういうとき、どうすればいいのでしょうか?

友達を見限った私から言えること、それは「あなたの人生を守ることが第一」ということです。

友達は大事ですよね。その友達が危ない人とかかわっているとなれば、助けたくなる気持ちはわかります。

けれど、まずは自分の安全を確保しなければ、結局のところ友達を助けることもできなくなってしまうんですよ。「あんな危ないモノにはまるなんて自分に限ってありえない」とは思わないこと。「端本悟を思い出せ」です。

ひとりで解決しようとせず、必ず信頼できる人に相談してください。先生や家族、他の友達と話したり、力を貸してもらったりするのはもちろんですが、十代のホットラインで相談してみるなどもいいでしょう。とりわけ、友達の加入先が「マインドコントロール」のかかわるカルトめいた団体の場合は、絶対事前にカルト脱会を専門とする心理専門家のサポートを取り付けておいてください。「端本悟を思い出せ」。

こうして専門家の協力を取り付け、自分の安全を確保してから、いざ引き戻しにかかるといいでしょう。とくにロバートの友達・ジョンのようなケースでは、誰にも言えない深い悩みが背景にあるのかもしれません。心の底では幼なじみの友達に、「薬物なんかやめろよ!」と言ってほしいのかもしれません。依存症の系統の人には、ただ冷たく突き放すのではなく、支援と医療が必要です。

では、こうやって救出を試みたのに、友達がそれを押し切ってそちらへ行ってしまったら?

これはもう、あなたの力でどうにかできることではありません。なぜなら、それが友達の意思なのだから。

あなたの選択肢には、「友達を見限る」もありです。その友達一人のためにあなたの人生を台無しにするのは、あまりにもったいない。覚えておいてください、あなたには、その友達を救出しなければならない「義務」はありません。これが、友達を救い出そうとして自分がオウム真理教に取り込まれ、坂本弁護士一家殺害や松本サリン事件の警備に手を染めた端本悟元死刑囚より「薄情」な私からの進言です。

それでも縁を切るのは悲しすぎる、とか、危ない方向に行ったのは大事な大事なわが子だから気が気でない、たとえ命に代えてでも救い出したい、という読者もいるかもしれないので、付け加えておきましょう。たとえここで関係が切れても、望みは完全に断たれるわけではありません。長い目で見れば、入った団体に一生所属している人はごくまれです。友達が教団(や危ない集団)で生活するうちに疑問を感じ、脱会したくなった時には帰ってこられるよう、待っていてあげる。それが脱会の支援になるそうです。

林郁夫:オウム真理教の先駆的広告、エリート医師

カルト宗教はしばしば、芸能人やスポーツ選手をほしがります。

なぜなら、まず教団側は、有名人を広告塔として使えます。そして一般信者は、「こんな有名人と私が普通に会って話せる。宗教のもとでは平等なんだ!」という満足感を。さらに芸能人にとっては、職業特有の不安の支えを。三者のニーズが合致しているのです。

近年では、政治、文学など、さまざまな分野が芸能人を担ぎ出しています

ところがオウム真理教は、幹部に高学歴な人材が多かったことを大きな特徴としています。とりわけ林郁夫受刑囚(地下鉄サリン事件実行などにより無期懲役)にいたっては、慶大医学部卒、出家時43歳のベテラン心臓外科医でした。(彼もまた、世界の戦争や人種差別を憂い、人を助けたくて医師になった人物です。)

なまじな芸能人を使うより、「エリート医師」のほうがよっぽど宣伝効果が高いのです。芸能人は有名ではありますが、世の人の「信頼」は集められないのですから。

まるで、いまの時代より先を行くかのような先駆性。これが今後どのような意味をもっていくのかは、私が注視しているところです。

オウム真理教が残した、深遠だけど、身近な問い

教祖に「殺せ」と命令されれば殺人さえ犯す。こうした危ない心理は一般に、「狂信」という言葉で表されます。

ただ本書を読んでいくと、マインドコントロール下の信者たちの内心は、そんな2文字で言い表せるほど単純ではないことがわかります。

その身もだえするような葛藤と、葛藤を表には出さず自分で押さえつけて凶行におよぶカルトの心理「マインドコントロール」。以下では、本書が取り上げる元幹部の共通点を拾い、思ったことを書いていこうと思います。

「やさしい麻原」

私たちは、麻原彰晃が危険人物であることをすでに知っています。彼が凶悪犯であることは、もはや常識。彼の写真を見れば、私たちは頭からそうだと思ってかかりますよね。

しかし本書を読めば、寛大な言葉、いかにも神々しい振る舞い、不健全な家庭の出身者にとっては理想的な親のような「やさしい麻原」の姿がいくつも見つかります。幹部たちはそれぞれ、麻原のやさしい言葉やカリスマ然とした態度で心をわしづかみにされたというステップを踏んでいます。

さて、次に危険な団体のリーダーが「やさしい」顔をして私たちの目の前に現れたとき、それこそが真に危険人物なのだと、私たちは見破ることができるでしょうか?

人を殺すことへの躊躇と恐怖は、それぞれ感じていた

自分(たち)は絶対に正しいと信じれば、人間は人を殺すことを躊躇しない。罪悪感も感じない。私はつい最近、そういう話をこのブログに書き連ねたばかりでした。

しかし、絶対的教祖・麻原から殺人を命じられたオウム真理教幹部たちの内心には、泣き出したいほどの恐怖と、逃げ出したくなるほどの拒絶反応があった

私は彼らの言葉を読んで、「自分(たち)は正しいと妄信すれば、殺人にさえ抵抗を感じなくなる」というのは人間の一側面にすぎなかったのだと思い直しました。

もし、自分の周りが「ノー」を言えない環境・組織になってしまったら、人間は、個人は、正しい道を選べるのか。

深淵でありながら、学校や会社、国などで、いつ自分の身に降りかかってくるかわからない問いです。ごく身近なところでは、いじめのあるクラスなどが浮かんでくるのではないでしょうか。

教祖の矛盾に気づく理性もあった

「マインドコントロール下にある人」といえばつい、「教祖が『カラスは白い』と言えば『カラスは白いんだ』と頭から信じる」みたいなのを思い浮かべませんか?

しかし、これも違います。

オウム真理教元幹部たちは、内心では、それぞれ、どこかの段階では麻原の矛盾に気づいていた。これをどう考えればいいでしょうか。

私が着目したのは、物事の「順番」です。

つまり、自分が教祖の矛盾に気づいた時点で、すでに周囲の環境がカルトであったなら、異論をはさむことができない状況に陥っているのだから、葛藤を口に出すことはできず、自分で押さえつけてでも、殺人さえ実行しなければならなくなる。

この「自分の周囲の環境がすでにカルト教団になっていた」という「条件」を成就させてしまったら、たとえ元がどんなに高潔な人でも、情に厚い人でも、善良で誠実な人でも、人間は終わりだ。自分個人のカルト対策だけでは足りない。この「条件」を、事前に阻止しなければならないんだ。私はそう思いました。

「生きる意味」の意味

井上の詩「願望」、杉本受刑囚の手記、広瀬健一、端本悟。彼らに共通するのは、「『生きる意味』を探していた」ということです。

私がぜひとも指摘したいのは、人間が「生きる意味」を問うときは、往々にして哲学的議論を求めているのではない、ということです。

私はかつて、ある人が言った「生きる意味を教えて」という言葉に目頭が熱くなったことがあります。

その人はどんな人? 高名な哲学者? それとも、のちに偉大な哲学者となった人の、若き日の言葉?

いいえ、「生きる意味を教えて」と叫んだのは、元子ども兵の少年です。彼は幼いころゲリラ兵に誘拐され、恐ろしい大人の兵士に銃を持たされ、同じく誘拐されてきた友達を目の前で残虐に殺され、戦闘に出され、発砲、人を殺し、ようやく支援団体に保護されたものの、ふるさとに帰ると人殺し扱いされた。どんな筆舌にもおよばないトラウマ体験をかかえた少年の心の底からしぼり出した叫び、それが「生きる意味を教えて」だったのです。

のちにオウム真理教幹部となる若者が口にした「生きる意味」は、哲学上の問いではなく、人間らしさ・人権の抑圧に対する「悲鳴」としての「生きる意味」ではなかったか。「昭和二つ目の戦争」を知らずに育った私は、そう感じます。

オウム時代と2019年現在、変わったことと変わらぬこと

テレビCMが「24時間働けますか」と平気で言い放った、バブルという暗黒時代。「人類を救済する」と打って出たオウム真理教ですが、彼らが生み出したのは、悲しみと苦しみだけでした。ある日突然家族を奪われた、ご遺族の方々。サリンの後遺症をかかえ、人生を破壊された被害者の方々。その苦悩は終わることがありません。

にもかかわらず、オウム真理教事件被害者の方々の悲しみや苦しみが、これまで幾度も、あらぬ目的に「利用」されたことについては、私はもう胸が張り裂けそうです。オウム真理教事件が世に残した最悪の遺産は、実際には凶悪事件は増えていないにもかかわらず「体感治安」が悪くなったことだといわれます。厳罰化への感情があおられ、小泉政権下では、犯罪被害者を支援するという「大義名分」で、刑事司法を破壊する制度が成立させられました。人々は「不審者」への目を厳しくし、町の防犯カメラは爆発的に増えました。疑いや排除、監視といった、息のつまる、カルト的な風潮をつくってしまいました。国家の警察力・警察にとって、オウム真理教事件は、国民への監視を強化する「格好のチャンス」だったともいいます。

2018年、教祖と元幹部13人へ死刑が執行されました。これは、オウム真理教事件とはまったく関係のない改元を前にした、安倍政権による「平成が終わる」という演出への利用だったという見方が大半です。”改革の病”とか”リセット症候群”などと批判されている、その一つです。戦前・戦後の日本社会の病が濃縮され、結実したオウム真理教事件。この重大な出来事が、時の政権の「時代が変わるぞ、変わるぞ」と演出する「小道具」、そして明日になれば皆忘れるワイドショーのネタとして、消費されてしまった。この陳腐さには目も当てらず、強い憤りを感じます。

人の不幸に取り入って感情や考えを誘導するのはカルト宗教の常套手段ですが、オウム真理教事件被害者の方々の悲しみ、怒りもまた誘導され、まったく別の目的のために利用されてはいまいか? これではもはや、誰が危険なカルトなのかわかったものではありません。

「オウム時代」のあと、私がこの目で見てきた学生のムーブメントは、それぞれ高クオリティだったと思います。

しかし、今年2019年になって一つ、とても心配になる事例が出てきました。環境活動家・グレタ・トゥーンベリ氏のムーブメントです。掲げる絶対的価値(「環境」など)との一体化と、それに由来する参加者の絶対的自信、「自分(たち)は崇高なことをしている」と疑わない頭。内部者同士の「個」がとけるほど濃密な一体感と、少しでも反対した人を「敵」と決めつけ容赦ない攻撃を加える姿勢。そして、アイコン的人物への熱狂。

町のどこかにいつか「教祖」となる野望を秘めた人物がいたならば、その人物は必ずや、同ムーブメントの心理に目を付けるでしょう。オウム真理教の幹部たちは内向的で理知的でしたが、私は、直情的に不満や怒りを爆発させる今回のムーブメントは昨今のポピュリズム時代を反映した「新型」だとみて、警戒しています。

もし日本人がオウム真理教という歴史的な事件に真剣に取り組まないなら、「別のオウム」は、何度でもこの社会に芽を吹き返すでしょう。再び犠牲を、悲しみと苦しみを生みだす前に、必ず止めなければなりません。

にもかかわらず、日本社会全体には、オウム真理教事件をまじめに検証して教訓を得ようという機運があるとはいえません。人によっては、メディアや人々が「まったく検証していない」と断言します。

それでも『「カルト」はすぐ隣に―オウムに引き寄せられた若者たち』のような良書はないわけではないんですね。今後もこういう情報・考察・研究が増えていってほしいと思います。

日本が昭和に行った二つ目の戦争・高度経済成長、そしてバブル。人間たちに「『生きる意味』を教えて」と悲鳴を上げさせた社会。13人の死刑囚は刑に処されましたが、「オウムを生み出したもの」を日本社会と日本人が「克服」するその日まで、オウム真理教事件が終わることはありません。

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「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち – 岩波ジュニア新書なので読みやすいですが、クオリティは折り紙付きでした。教祖・麻原彰晃の生い立ちや社会的背景から元幹部の言葉や手記、警察による捜査やメディアの問題点、カルトから身を守る方法まで全貌を網羅していて、しかも事件のリストや国内外の動きと合わせた年表、参考文献付き。著者は一連のオウム真理教報道で菊池寛賞を受賞しているジャーナリストです。すべてを網羅した「必携」という感じの一冊なので、おすすめです。

カルト宗教の勧誘に注意―大学で本当にあった3つの話とその検証 – 「カルト」一般についてはこちら。大学でカルト宗教とみられる”ゴスペル団体”から勧誘された私の実体験をつづっていますので、併せてお読みください。

刑事裁判の被害者参加制度の問題点 – 『カルトはすぐ隣に』著者はジャーナリストなので、法律専門でない読者の方は、刑事司法の原理・原則や裁判の見方、被害者の立ち位置といった法学的な部分をぜひこちらで補足してほしいと思います。例やたとえもふんだんに、初心者の方にも読みやすいよう書いてあります。

人類の過ちのもと、「聖戦の論理」 – 環境活動家・グレタ・トゥーンベリ氏の環境ムーブメントに警鐘を鳴らしました。その考え方や風潮が「カルト的」であることを社会にいち早く指摘せねばと思った私の、渾身の一本です。(一部、法学専門的な踏み込んだ内容が含まれます。)

中年の引きこもりと仕事のジレンマ&今後のライフスタイル – 「引きこもり」もまた、戦後日本社会の犠牲となった方々です。”サラリーマン”の会社への没入という戦後日本の根深い問題、そして古来より「集団」について問題を生じやすい日本の文化的・社会的独特さについて大ボリュームで解説し、今後進むべき方向性を提言しました。バブルを大きなテーマに据えた宮崎駿監督によるアニメ映画の金字塔『千と千尋の神隠し』も解説してあります。

日本の企業文化「井の中の蛙」―その変革ポイント7選 – 企業を中心とした戦後日本社会、いまでいうブラック労働やパワハラについて、私自身が見聞きした海外との比較をふんだんに解説。変革への提言をしました。

映画『きっと、うまくいく』あらすじや感想など―成功はあとでついてくる – こちらはインドのコメディ映画レビューなのですが……経済成長という光には、必ず色濃い影がある。経済の発展著しいインドでの暗記偏重教育、競争主義、そして若者の自殺は、まさに日本の高度成長・バブルと重なります。そんな人間の愚かさに、ユーモアをもってタックルするのも知恵ですね。