SNS疲れのパターン4選&リフレッシュ方法!

「スマホの通知が朝から晩まで鳴りっぱなし……」「『いいね』が来ない……」「『既読』をつけたらすぐ返信しないと……」――十代の若者から高齢世代まで、SNS(ソーシャルメディア)のストレスで音を上げる人が後を絶たない時世です。

そう聞いて「そんなのは『インスタ映え』のために東へ西へ飛びまわったり、友達とラインをやっている人だけでしょう?」と思った読者もなかにはいるかもしれません。しかし実は、「SNS疲れ」は思いのほか守備範囲が広いため、なにも一日中スクリーンにかじりついているヘビーユーザーだけに生じるわけではないのです。「まさか自分に限って!」と目を疑ったソーシャルメディア懐疑派こそ(私もそう)、一度「SNS疲れ」について学んではどうでしょうか。

今回はヘビーユーザー・ライトユーザー両方に向け、Instagram、Facebook、Twitter、LINEといった代表的なSNSで引き起こされる「疲れ」の具体例、そしてそこからのリフレッシュ方法をつづっていこうと思います。

目次

若者の「インスタ疲れ」:がんじがらめな生活と人間関係

まず最初に、かつてアカウント乗っ取り対策の記事で説明した「SNSを理解するための3つのポイント」をここでも簡潔に確認したいと思います。3つのポイントとは、そのソーシャルメディアは

  1. 誰が運営する(運営者)
  2. 何のサービスで
  3. どんなビジネスモデルで運営しているのか(収益源)

の3点。もしかしたら「なにを回りくどい……」と思われたかもしれません。しかしこれらを押さえれば、「(SNS名)とは何か」がクリアに見えるようになります。この「基礎知識」はあとからジワジワ効いてきますので、最初に必ず押さえておきましょう。

さて、これら3つのポイントに当てはめると、Instagram(インスタグラム)とは、Instagram社(Facebookの完全子会社)が運営する、スマートフォン向けの写真投稿・共有サービスです。収益源は、インスタグラム上に掲載する広告からの広告収入によっています。

インスタグラム上に公開されている写真には、他のユーザーが「いいね」というボタンで反応したり、コメントを書いたりすることができます。

華やかな「インスタ映え」の舞台裏

インスタグラムの人気が爆発的に伸びたころ、ファンたちの間で「インスタ映え」という用語が使われるようになりました。これは「インスタグラムにアップロードした写真がきれいで見栄えがする」という意味で、2017年には新語・流行語大賞に選ばれました。

「インスタ映え」は、飲食や旅行産業への波及効果もありました。飲食店が見た目にインパクトがある食べ物を売り出したり(たとえば「レインボーわたあめ」や「電球ソーダ(カラフルな電球型のボトルにソーダが入っている)」、デコレーションがてんこ盛りのパフェや巨大なパンケーキなど)、地方公共団体の観光課が「インスタ映え」する場所へのツアーを売り出したり……などという現象にはどれかしら心当たりがあるのではないでしょうか。今まさにそれを追いかけている、という人もいるでしょう。

スマホのスクリーンを彩るカラフルな、ポップな、おいしそうな、開放的な写真の数々。しかしその舞台裏では、新たなストレスが増殖していました。

インスタグラムで人気を博す写真は、どれも一見、スマホをひょいと取り出して撮ったように見えます。かんたんで楽しそうと映るから、あこがれて「自分も!」となるんですね。

しかし実際には、インスタグラムを宣伝に活用している企業、そしてその企業のパートナーとなり投稿を仕事にしている人気ユーザー(インスタグラマー)は、舞台裏ではフルタイムの時間とプロの機材、そして経営戦略を駆使しています。なので一般のインスタ好きではいくら西へ東へ奔走したところで、頭で思い描いたように「いいね」の喝采を受けたり、何万人ものフォロワーがついたり、もしかしたら一躍スターに……とはいかないのです。

そんなインスタグラムに人間関係が加わると、事はさらに複雑化します。巨大なスイーツをたいらげるために友達と連れ立って飛びまわるなら、労力やスケジュールへの負担が増します。早い話、「なれ合い」のはじまりです。友達の前では巨大なパンケーキを前に満面の笑みでピースしていても、家に帰ればベタベタな人間関係に疲れ切って、「本当はこのグループを抜けたい……」とまで思っていたりする。すべて「なれ合い」とはこんなものですよね。

さらに、インスタグラムが重くのしかかるのは、自分が写真を撮る場面だけではありません。友達が写真を投稿したら、必ず、できるだけ早く「いいね」をしなければならないというプレッシャー。あるいは、自分の投稿に「いいね」が少ないと、「友達から無視されているのでは」とやきもきする。投稿への「いいね」やコメントが少ないと、まるで世の中から見捨てられたかのような孤独感にさいなまれる。

孤立への不安感、自信の喪失、私的な時間までがんじがらめになる生活。「インスタ疲れ」は、「SNS疲れ」の典型パターンのつめ合わせセットといっていいかもしれません。

弊害を看過できなくなった運営会社が、「いいね」数の表示を撤廃

2019年7月末、Instagram社は、日本を含むインスタグラムが利用されている主要各国で、投稿された写真につけられた「いいね」の数を見えなくすると発表しました。

大きな理由の一つが、「インスタ疲れ」への対応です(ほかの理由としては、インスタグラムを宣伝戦略に使っている企業の「いいね」獲得合戦、フォロワー・いいねを販売する業者の出現などもありますが、今回はユーザーの人間関係にスポットライトを当てているので触れません)。自分の投稿によせられた「いいね」数は調べられるとのこと。まだ試用期間という扱いですが、終わらせる時期は発表されていません。

「解放された!」と陰で大喜びしたインスタファンが目に浮かんできますね。この新仕様によりユーザーは「いいね」の数に一喜一憂しなくてすむし、「いいね」しなければならないプレッシャーも激減するでしょう。他人の投稿の「いいね」数はわからないので、本当に自分が「いい」と思ったものだけにハートマークを押すことができるようになるのではないでしょうか。

……と、インスタ疲れの解説はここまでにとどめても差し支えないのですが、せっかくなのでもう一歩踏み込んでおこうと思います。冒頭で大事だと言った、「そもそもSNSとは何なのか?」という視点です。

普段なにげなくいじっているSNSですが、どれも無料で使えますよね。あらためて考えれば、おかしいと思いませんか? InstagramにせよTwitterにせよ、ボランティアの団体ではありません。どの運営者も世界中で大量な人を雇って、管理には24時間かかりきりです。なのにユーザーからお金が入らないんじゃ、それにかかる資金はどうやって調達しているの? まさかブラックな資金の流れが??

実のところ、SNSの運営は「商売」であり、「業種」としてはサービス業なんですよ。まずは無料で楽しいサービスを提供することでサイトに人を呼び集め、「我がサイトにはこんなにたくさんの人が集まっています。ここに広告を出せば効果的ですよ」と企業に売り込んで、広告収入を得るというわけです。

ところが、人を集めるためのサービスが、魅力的どころか「疲れる」「ストレスだ」となってしまったらどうでしょう。ユーザーが離れてしまえば、SNSはビジネスとして成り立たなくなります。やがては会社ごとサービスをたたむことになってしまうでしょう。

もとをただせば、Instagramはごくシンプルにネットへ写真を投稿できるサービスでした。今回の「いいね」数表示撤廃の発表には、本来は意図しなかったのにユーザーの間から生じた「インスタ疲れ」などという現象への、運営者としての不本意がにじみ出ています。

どんなサービスを展開するかは、運営者の自由です。そのサービスを使うか使わないかもまた、私たち一人ひとりの自由。ただ、状況があまりに泥沼化してしまった場合には、運営会社のほうがSNSの仕様に変更を加えることもある。Instagramの「いいね」数表示撤廃は、その一例だったといえるでしょう。

Facebookでの見栄張り合戦にヘトヘト:古典的なトラブルが、SNSで展開されるケース

Facebook(フェイスブック)とは、Facebook社が運営する、文章や画像等の投稿、ユーザー同士のつながり構築、グループ機能などをそなえたネット上のサービスです。利益のほとんどは、広告収入によっています。

SNSの原型にして、世界のユーザー数ナンバー1を誇る金字塔。ユーザーが実名を使わなければならないのは、InstagramやTwitterなど他のサービスとの大きな違いです。

学生時代の友情が、同窓生のいさかいに変貌

Facebookはもともと、ハーバード大学の学生・マーク=ザッカーバーグが学生同士の交流のために作ったプログラムでした。それが友達の間で脚光を浴び、やがては学内、他大学へと人気が広がったので、会社の形態にして全世界での展開に踏み切った。それが今日私たちが利用するFacebookです。

こういう沿革なので、Facebookが用意する登録情報欄には学生らしい内容が多いですね。実名、出身校、在学している学校、勤め先や職歴、つき合っている人がいるかどうかなど。こうした情報を得られれば、学生はいまの友達関係をもっと楽しんだり、新しい友達をつくったりできますね。

しかし、学生にとって有益なFacebookへの登録内容は、時とともに状況が移り変わるにつれ「SNS疲れ」に変貌していくことがあります。

勤め先が有名な会社だと自慢げに言いふらす、海外旅行の撮れたて写真を見せびらかす、幸せいっぱいな結婚の報告、部下や同僚の真ん中に立って笑っている――そんなふうに、自分がいかにすばらしい人生を送っているかをFacebookで誇示する人々。そんな同窓生の投稿がフィードに届くたび、次のようなネガティブな感情を抱く例が後を絶ちません。

  • 自分に自信を持てなくなる
  • スクリーンの前で知人に嫉妬を燃やす
  • 自分は不幸だという思いに駆られる
  • 他人と比べて自分は成功できなかったと思う

このように、「他人のすばらしい場面」を見続けることで自分の心に生じる負の感情も、「SNS疲れ」の代表的なパターンです。

頭をかかえる人とスマホ画面
怒涛の投稿を見れば見るだけ、ブルーになっていく。

絶望、虚無感、無力感。実はSNSが原因かも……

と、ここまではフェイスブックに端を発した知人同士のもつれを扱ってきました。

しかし、SNSに投稿しているのは一般の個人だけではありません。テレビ局や新聞社など、かねてから信頼度の高い企業による投稿は、それだけ注目度も高くなっています。フォロワー数も一般ユーザーの比ではありません。なかにはそういったメディア各社を重点的にフォローすることで、ニュースを得る手段としてSNSを利用している人もいるでしょう。

政治、経済、社会といった「報道」の投稿。一見勉強になりそうですが、これらを断続的に見ていると、

  • ネガティブな気分が長期間続いている
  • 無力感にさいなまれる
  • 世の中はどうしようもないと虚無感を覚える

といった症状が出ることがあるのです。この記事では、「SNS疲れ」になぞらえて「メディア疲れ」と呼ぶことにしましょうか。

「メディア疲れ」は、近年のソーシャルメディア特有の問題ではありません。テレビのニュース、新聞記事、本や雑誌(あるいは友人とのおしゃべりや町で耳に入ってきた声などミクロな情報伝達)など、古くからある他のメディアの過剰摂取によっても、同様のネガティブな気分は引き起こされます。

だから「SNS疲れ」はライトユーザーにも起こる

報道を見すぎることでネガティブな気分になる――。そう聞いてあなたはぎょっとしたかもしれません。まじめに勉強しているつもりだった、あるいは自分はソーシャルメディアにのめりこまないよう適切な距離をとっているつもりだった、という読者は目を疑ったかもしれません。

しかし、よくよく思い返せば、「メディア疲れ」はこれまでも取りざたされることがありました。

最も顕著な例は、東日本大震災のテレビ報道でしょう。震災からしばらくして、医療の現場から「津波の映像をくり返し見ないように」と呼びかけがあったのを覚えていますか? 当時のテレビでは、連日、津波によって町が飲み込まれ、すべてがなすすべもなく流されていく映像が何度も何度も放映されました。それを見ているうちに、無力感や絶望から、うつ状態に陥る人が続出したというのです。テレビ局が災害を報じるのは無論間違っているわけではないのですが、本来人間という生物が繰り返し見ることが想定されていない津波の光景は、人々の精神に思わぬ悪影響を与えてしまったのです。

もう一つ例を挙げておくなら、いつの時代も、日々大量の情報に触れて学ぶ学生には悩みが尽きません。若き学生が国の将来を悲観して……なんていう話は、インターネットどころかテレビすらなかった明治時代にもありました。近年では、大学の新入生が老後への不安を過度なまでに抱えていたり、入学したばかりなのに就職のことで精神が追い詰められていたり、将来に希望を持てなくなったりすることが増えていると報告されています。

このように、講義や書物といったアナログのメディアであれ、その情報が正確なものであれ、メディアに触れすぎることでネガティブな感情が引き起こされるのは、決して新形態のストレスではありません。

冒頭、私が「SNS疲れの守備範囲は思いのほか広い」と言ったのはこのためです。「メディア疲れ」が古典的なトラブルである以上、それはインスタ映えに奔走したり、友達同士のラインで一日中スマホから目を離せなかったりするヘビーユーザーでなくても生じます。ライトユーザーやソーシャルメディア懐疑派こそ、かえってネガティブな感情や長期間続く疲れがSNSに由来しているとは気付きにくいかもしれません。

たしかに、あなたが得た情報は、ありのままの現実かもしれません。東日本大震災の津波の甚大な被害は映像の通りです。この国の年金制度や雇用、政治や経済が危機的状況にあることは間違いありません。厳しい学問にはげむ学生さんに向かって「そんな悩みは実社会で活動すればすぐ忘れる」なんて吐き捨てるのは、大きな山に挑んだ経験のない者がさらす、恥ずべき醜態。私は将来のため一生懸命努力を重ねる若い人に「勉強するな」とは絶対に言いません。

ただ、まったく別の見方をすれば、情報の過剰摂取によりネガティブな気分が続くのは「メディアの影響を受けすぎている」「メディアに自分の心をからめとられている」ということを意味している。それもまた、別の角度から見た現実なのです。

ずっと続いているどんより気分、実は「SNS疲れ」や「メディア疲れ」ではないですか? 「もしかしたら、この見方は『コロンブスの卵』かも……」という方は、この記事末尾の「デトックス」を考えてみてはいかがでしょうか。

見栄張り合戦なら古今東西あるけれど……

さて、同窓生同士の見栄張り合戦に話を戻すと、見栄っ張りな人なら古代からずっと世界中どこにでもいました。卒業まで友達だった人同士が見栄張り合戦の果てに縁を切り合うのは、決して目新しい出来事ではありません。旅行の思い出話をうんと誇張する人。20年も前の旅行を、先週の話として自慢する人。居間のテレビで見た観光地へ自分が行ってきたように話をでっちあげる人。友人の前で学歴や職歴をごまかしている人。そしてウソがばれ、汗だくになりながら苦しい言い訳を重ね、やがては居づらくなってそのグループを去るはめになった人。――Facebook以前に、こういう人はあなたの頭にきっと何人も思い浮かぶことと思います。

ただ、Facebookのために「自分は不幸だ」という悩み・苦しみを自分の心に植え付けて、スクリーンの前でひとり疲れていくとしたら、とてももったいないことではありませんか。

たいてい、見栄っ張りな人は「いい場面しか載せない」わけですよ。いい場面だけのダイジェストを見れば、そりゃあ幸せそうに見えるでしょう。そんなことをしてまで見栄を(本当は、虚勢を、かも)張っている人など、底が知れています。付き合いはほどほどに。

「Facebook社との付き合い方」という視点も大事

と、しょうもない見栄っ張りのことはさておいて、ここで少々アングルを変えてみましょう。

学歴に職歴。あらためて考えれば、かなりデリケートな個人情報です。

それをある企業に逐一教える。そして全世界に大公開する。冷静に考えれば、閉口しますよね。しかもFacebook社は、広告収入を出すためにそういった個人情報を利用しているんですよ。Facebook上の個人情報が流出して、アメリカ大統領選で人々の心理操作に利用された……なんていうSFホラー映画並みの事件がすでに起こった、ということはご存知でしょうか?

事件解説はこちら:個人情報流出事件から考える、インターネットの使い方と私たちにできる対策(別ウィンドウで開きます)

たとえ都合あってこれからもSNSを使うにせよ、無用なストレスや無駄な危険は取り除きたいものです。どの範囲の人とつながるか、どんな投稿を自分の生活に呼び込むか、どんな内容の投稿をするかなど、自分なりの使い方を「ここからここまで」と区切っておくのが得策でしょう。

必読! Twitter上のガラパゴス:SNS疲れが利用者の人間性から生じているケース

Twitter(ツイッター)とは、Twitter, Inc が運営する短文投稿サイトです。利益は広告収入とユーザーの行動データ販売によっています。写真の投稿も可能で、他ユーザーの投稿をシェアする機能(「リツイート」)、コメントをつけた「引用リツイート」、コメント(「返信」)、「いいね」といった、SNSの代表的な機能を備えています。

現在、ツイッターは政治家の発言や公共団体の発表(災害情報など)、企業の情報発信や宣伝、学校の連絡手段などにも使われることが多くなっています。

ツイッターガラパゴスに驚愕……!

Facebookでは、「古今東西ある人間関係トラブルが、SNSを舞台に展開される」例を紹介しました。一方Twitterでは、私が知る「ガラパゴス現象」を指摘することで、「SNSがどんなものになるかは、利用者の人間性次第である」という一面を紹介しようと思います。

さて、私は、Twitterを海外でスタートしました。そこでのつながりはアメリカをはじめ、オセアニア、アジア圏、西ヨーロッパ、北欧、南米など、世界各地にわたっています。そちらでツイッターを何年も利用したのち、当ブログ「日夏梢の自由研究」に付属のSNSをつくったらどうかという話が浮上。私はその時はじめて、日本語Twitterへと足を踏み入れました。するとそこには……

ガラパゴスが広がっていた……。

ネットには国境も海もないのに、日本人のツイッターでは、世界に類を見ない独特な風習とスラングがのっしのっしと歩き回っていたのです。発想の中にもなかった世界に、私はあ然としました。スラングというのは、それをしゃべる人の間でしか通じません。ちんぷんかんぷんだった私は、ネットで意味を調べる羽目に。

ソーシャルメディアのストレスを論じる記事にはちょうどいいので、世界中で日本人のツイッターユーザーしか言わないこと・やっていないことを、ここにリストしておこうと思います。(私のツイッターでは以下全部いらないポリシーにしています。フォロー等すべてあいさついらないので、お気軽にどうぞ。)

  • 「FF外から失礼します」(=「フォローしていないし、されてもいませんが、横から返信させていただきます」といった意味)
  • 「無言フォロー失礼します」(=「事前連絡なくフォローさせてもらっています」くらいの意味)
  • 「無言いいね失礼します」(=「事前連絡やフォローなく『いいね』をします」くらいの意味)
  • 「低浮上」(=「ツイッターはあまり使っていません。『いいね』や返信は、すぐにはしていません」といった意味)
  • 無断リツイート禁止、禁無断シェア
  • 事前のあいさつがないままフォローをやめていった人がいたので、「嫌われたのでは」と落ち込んだ
  • 「連投ごめんなさい」「騒いでごめんなさい」「(フォロワーの)タイムラインを汚す」等(=「短時間に何度も投稿したので、フォロワー側のフィードが自分のツイートだらけになって見た目が悪くなったと思うので謝る」という趣旨)

私が調査のために見て回ったところ、Twitterでこういうことを言っている本人たちは、案外、礼儀正しく振る舞っているつもりだったりするようです。

しかし一度頭を冷やして、引いた目で見たらどうでしょう。こんな異常なレベルで他人と密着し合っていたら、「SNS疲れ」するのは最初から自明の理です。

自他が溶け合う、究極のベタベタ体質

過剰で、しかも的外れな気遣いの数々。私から断言しておきます。こんなことをしているのは、世界中で日本のユーザーだけです。

もっとも、日本人だからといってみんながみんなこんなことをしているわけではありませんが(かく言う私も日本人ユーザー)、上でリストしたガラパゴス現象に心当たりがあった人のため、ここで「ツイッターガラパゴス」について解説しようと思います。

利用者たちの間からおかしな現象が生じたときにも、冒頭で確認した「Twitterとは何か」という「そもそも論」は生きてきます。

まず第一に、「FF外から失礼します」と「無言フォロー・いいね失礼します」について。Twitterという投稿型サイトでは、非公開でないアカウントの投稿は全世界に公開され、アカウントを持っていれば誰でも反応ができる仕組みになっています。したがって、面識のない人同士でフォローや返信、「いいね」が行われるのはごく自然な成り行きです。実際、国外を含めたTwitter全体ではそれが普通。それがいやならアカウントを「非公開」にして(「カギをかけて」)知人とだけ交流する設定が用意されていますし、なんならそもそもTwitterなんて使わなければいいだけの話です。

また、Twitterの「フォロー」と「タイムライン」は、あなたが「この人の投稿を読んでいきたいな」というアカウントを見つけたとき、いちいちそのアカウントURLにアクセスしないでも「追って」いけるようにした、いわば便利機能です。イメージとしては、メルマガ登録に近いといえるでしょう。したがって、フォローというのは、一方的で当たり前。許可がいるなんていう性質のものではありません。

次に「低浮上」について。自分の私生活は、自分の自由じゃないですか。ツイッターを使う頻度や時間帯だって、決める権利は自分にあります。私生活に他人がとやかく口出ししたり、四六時中まとわりついたりするなら、その人の尊厳への侵害です。返信や「いいね」をしなければならない義務などどこにもないのだから、わざわざ「低浮上」なんて断りを入れる理由はありません。断言しますが、「ガラパゴス」を一歩出たら、「あまり使ってないんですよ」なんてプロフィールで断る人はいません。

三つ目に、「自分の投稿のリツイートを禁止する」というその人個人が定めたルール。私は日本語ツイッターの様子を見て回っていたころ、マンガの感想を投稿している日本人ユーザーがプロフィールに「無断シェア禁止」と書いているのを見て、それはそれは驚いたんですよ。シェアしてほしくないのに、なんでツイッターを使うんだろう? あるいは、アカウントを非公開にすればいいのに……。案の定、「ガラパゴス」の外から来たユーザーがリツイートボタンをポンと押して行ったそうです。それでその人は「海外の人にシェアされてた。鬱。」などと、まるで失礼をはたらかれたかのようにつぶやいていたんですけど、わざわざ「リツイート」という機能があるTwitterの利用者になっておきながらリツイートをするなとは、そっちのほうが無理のある話です。

その時私は、この人の人物像にとても興味をそそられました。最初に思い浮かべたのは、正直、「マックの店先で『ホットコーヒーが熱かった』とわめき散らすクレーマーみたいなものだろうなぁ」といった感じでした。ところが、その人の投稿をさかのぼって読んでいったところ、決して悪い人ではなさそうだったんですよ。口調はていねいで、社会的に問題があるようなコンテンツを扱っているわけではなく、少なくとも文法などはしっかりしていて(残念ながら私がそのマンガを知らないので感想の中身についてはなんとも断定できないのですが、文面からしておそらくは筋が通っているんだろうなぁと感じました)、きちんとした人という印象でした。しかし、いくら悪い人ではなくても、世界が極端に狭い。いくらなんでも狭すぎる。その世界の狭さゆえ、独りよがりに陥り、果てには無茶をわめいてしまう。ガラパゴスに生きるそんな人を目の当たりにして、私はなんとも物悲しくなったものでした。

四つ目に、Twitter友達に事前のあいさつなくフォローを外され嫌われたのではないかと落ち込んだ、という話。私から断言しておきますが、学校でのいじめは別として、SNS上の友達にフォローを外されて落ち込んだという話は世界中ほかのどこでも聞いたことがありません。

嫌われたのでは、と何度もさめざめ投稿していたユーザーは、プロフィールによれば40代の男性”サラリーマン”だそうで、投稿から人柄をスケッチすれば、線の細い文学好き、といったところでした。

こういう極端に傷つきやすい性格に関しては、Twitterうんぬんではなく、全然別のアングルから見たほうがいいでしょう。日本人の大部分は、自分への批判や拒絶に極端な恐れを抱く「回避性パーソナリティ障害」の傾向をもっているといわれています。この文学好きな中年男性”サラリーマン”は、性格から立場まで、その典型のなかの典型。私はとても気の毒になりました。彼の心の痛みは、まったくもって無用な気疲れなのだから……。

そして「ツイッターガラパゴス」最後のきわめつけは、「連投ごめんなさい」「騒いでごめんなさい」「相手のタイムラインを汚す」という概念。その発想自体に驚愕でした。普通、こんな考え方をするでしょうか?

たとえば、あなたがトラ吉さんという人にフォローされたとしましょう。トラ吉さんのタイムラインにどんな投稿が表示されるかは、トラ吉さんが誰をフォローするか・しているか、つまり言い換えればトラ吉さんの意思で決まります。よって、トラ吉さんのタイムラインの内容は、あなたのボールペン、あなたの髪形、あなたの時間などとは違い、あなたのコントロール下にある代物ではありませんね。したがって、フォロワーのタイムラインに自分の手を入れようとすること自体が、完全にすっぽ抜けた的外れなはずです。

自分の他人の区別がなくなるほどの濃密さと一体感。……気色悪いですよね。こんなことをしていたら疲れるに決まっているじゃありませんか。

「他人」という概念が頭にない人は、周りの人にベタベタからみついてはさんざん困らせます。彼らの感覚ではこの世に「他人」というものが存在しないのだから、「自分の領域」が世界の果てまで続いていることになってしまう。そこから、他人へのコントロール欲が自然発生してしまうのです。ベタベタな人間関係に疲れる……といえば思春期の子がトイレに連れ立って行くのが世の代表例ですが、「ツイッターガラパゴス」ではそれをはるかに上回る濃密な一体感を、成長を終えたはずの大人たちが、よかれと思って他人に押し付けている。一体、どうしてこんなことになってしまったのでしょうか……。

過剰で的外れな気遣いをする人たちも、独りよがりなルールを押し付けるマンガファンも、ナイーブな文学好き”サラリーマン”も、悪い人ではないのかもしれません。

しかし、SNSがどうのと言う以前に自分自身がしっかり成長しておかないと、無用なストレスで、自分も、他人もがんじがらめにしてしまう。そんな場面を目撃した私は、「SNS疲れ」にはそういうケースもあるのだ、と切なくなったものでした

同じSNSでも、使う人によってこの違い

以上で紹介してきた過剰な気遣いや異常な密着による「SNS疲れ」は、Twitterの機能に由来するのではありません。アメリカ、オセアニア、アジア圏、西ヨーロッパ、北欧、南米など、世界各地を見渡してもこんなTwitterユーザーはどこにもいないのだから。

もともと利用者の骨の芯までしみついていた「ベタベタ体質」が、Twitterを使う場面にも反映された。それが、「ツイッターガラパゴス」を言い表す正確な表現だと思います。

このように、まったく同じサービスでも、使う人の人間性によっては全然違ったものになる。日本語Twitterのガラパゴス現象は、そういう例だといえるでしょう。(今回はややピントが外れるので扱いませんでしたが、無論、SNS上でのケンカや暴言なども、使う人の人間性によって引き起こされるトラブルです。

友達にあれだこれだ気を遣わなければならない。あるいは、フォロワーがよせてくる過剰な気遣いが重たくてわずらわしい。自分と他人の境界線が溶けて一体化するほど濃密な人間関係が気色悪い。こういった「SNS疲れ」を緩和・撃退するには、Twitterうんぬんではなく、「ベタベタ体質」のほうを直すしかありません

LINEはビジネス向け?:同じ機能でも、使う場面によって意味合いが変わるケース

LINEとは、LINE Corporation が運営する、主にスマホ向けの無料インターネット通話・メッセージング(チャット)等のサービスです。

チャットの画面上で画像(LINE側は「スタンプ」と呼んでいる)を送信できるというビジュアル面の特長により、主にアジア圏で爆発的な人気を獲得しました。

「SNS疲れ」の巨星といえば、LINE独自の「既読」機能

送ったメッセージを相手が読んだかどうかが表示される。裏を返せば、送られてきたメッセージを自分が読んだかどうかが相手に分かる。LINE独特の「既読」機能は、「SNS疲れ」界の巨星です。小さな「既読」の二文字が「四六時中LINEをチェックしていなければ」「すぐ返信しなくては」とプレッシャーをかけ、ユーザーたちをノイローゼ状態に追い込んできました。

自分が送ったメッセージに「既読」がつかないと「早く読んでくれないかなぁ」と気持ちの中で相手のプライベートに踏み込んでしまったり、あるいは「せっかく送ったのに見てくれないなんて、もしかして無視されてる?」と不安になる。しかし、「既読」が付いたなら付いたで「読んだのに返事がないってことは、無視されてる?」と不安になる。

こんなことをしていれば、ストレスでがんじがらめになるにきまっていますよね。実際、中学生から年配のユーザーまで、友達同士でLINEを利用する人はみな、友達がいないところで「『既読』はいらない!」と口をそろえます。私の知人でも、「LINEは絶対やらん!」と頭から拒絶している人がいますね。どんな結末になるか、ありありと想像できるからでしょう。

そんな「SNS疲れ」の巨星「既読」機能以外でも、LINEは様々なトラブルのもとになってきました。たとえばラインのチャットでは何人かでグループを作ることができますが、そのグループからはメンバーを削除することができます。これが学校でのいじめに利用されるのは、想像に難くありません。

オフィス内システムとしてのLINEだと?―同じ機能でも、場面によってはこの違い

と、中学生から高齢者までさんざんストレスとトラブルの種となってきた「既読」機能ですが、ラインのオフィス向けサービス・LINE WORKSが「働き方が昭和的。」というキャッチコピーを打ったのはご存知でしょうか? これは、LINEを導入すれば効率よく仕事を進められますよ、という趣旨。つまり運営会社側は、中学生、高校生といった若者や趣味仲間ではなく、LINEのビジネスシーンでの利用を持ちかけているのです。

「SNS疲れ」の巨星・LINEの「既読」機能ですが、オフィスでの利用を念頭に置くと、ずいぶん違った景色が見えてきます

ビジネスシーンで確かな通信手段といえばメールですが、メールでは相手が読んだのかどうかには手ごたえがありません。この点、「既読」機能があれば、メッセージや添付ファイルが相手に届いたかどうかが明確になります。さらに、仕事用だと割り切るなら、就業時間が終わればLINEは眠りにつきます。私生活までがんじがらめ、という事態にはなりません。加えて、ビジネスシーンではもともと、至急連絡が欲しい場合は言葉ではっきりそう伝えます。なので、LINEの「既読」を基準に返信するのしないのということにはなりません。

このように、オフィスでの利用なら、「既読」はストレスどころか、効率のよさや安心感にさえつながるのです。

もっとも、ライン社はサービスを手広く運営しており、「LINEマンガ」「LINEクイックゲーム」など、娯楽のコンテンツも多数提供しています。なので、私には「本来オフィス向けのシステムを友達同士の遊びに転用するからトラブルになるのだ」と言う気はさらさらありません。

さらに、Twitterでの「ベタベタ体質」と同じく、LINEによって仕事の効率がよくなるかどうかは、結局のところ利用者の人間性にかかっています。それこそ「昭和的」な人がラインを持ち込めば、オフィスの人間関係はあっという間に「昭和的」泥沼と化すでしょう。

ただ少なくとも、「どんな場面でそのSNSを使うのか」は考慮に値するといえます。Twitterでは「同じサービスでも、使う人の人間性によって全然違うものになる」例を紹介しましたが、LINEの「既読」は、「同じ機能でも、使う場面によって意義が変わる」ことを示していると思います。

「SNS疲れ」から解放されるために

ここまで、SNSの利用からくる人間関係でのストレスを紹介してきましたが、いかがだったでしょうか。

最後に、ここまで紹介してきた「SNS疲れ」からのリフレッシュ方法を提案して結ぼうと思います。

「とりあえずは使わない」が基本

私は、SNSは「とりあえずアカウントを開かない・投稿しない」が基本だと考えます。これまでインターネットの可能性を力説し、さらには自己表現を声高にすすめてきた私がこう言うのは、もしかしたら意外に思われるかもしれません。しかしだからこそ、私には確信があるのです。

SNSがあって当たり前、は過大評価

新しいSNSが流行り出すたび「やってみたい!」とアカウントを開くのは、流行に敏感な若者だけに限りません。いかにも未来的な「スマホ」にまつわるもろもろは、いま高齢世代をも惹きつけています。

ただ、「SNSとは、ある企業が展開しているビジネスだ」という視点を持っている人は、世を見渡してもほとんど見当たりません。私の目からすれば、これが原因でトラブルに陥ってしまう人が社会規模で大量に出てるのが現状です。

私たちの日常にすっかりとけ込んでいるSNS。しかしそれは、他のあって当たり前のもの、たとえば木や雨水とは根本的に違います。

木や雨水は自然にもとからあり、人類は古来から恩恵にあずかってきました。今後もずっと存在し続けるでしょう。

一方SNSは、人間の、そのまた一企業が作り出し、21世紀初頭にちょっと当たったサービス業にすぎません。そのうえ、浮き沈みも激しい業界です。「インスタ映え」に奔走したところで、インスタグラムの流行りは今後何年もつのか。SNSは、たった一時の娯楽にすぎないのです。

せっかくの人生。たかだか一企業の一サービス業にのめり込み、果てには「SNS疲れ」でふさぎこんでしまうのは、なんともちぐはぐではありませんか

世界的巨匠と同じ重責を負ってまで、本当につぶやきたいのか

SNSは一時期の娯楽だと言いましたが、いえ、実は、ただの娯楽ではありません。

なぜなら、たとえ自分ではちょっとしたツイートのつもりでも、「表現活動」であることには変わりないからです。

プロの表現者は、表現物を世に発信することの意味と責任を十分理解した上でその道を選んでいます。例として、世界的なベテラン映画監督か誰かを思い浮かべてみてください。そういった巨匠は、若いころあまたの職業から映画監督の道を選び、長年研鑽を積んで、何年もかけてアイデアを練り上げ、作品をつくり上げ、満を持して世界に発表しますよね。

では、「やべー遅刻する。なに電車止まってんだよ」という一般人の「つぶやき」は? ……ツイートボタンをタップすることの重大さは、巨匠が10年を費やして完成させた大作のそれと同じなんですよ。

そう聞いてあなたは「そんなつもりはない!」と驚いたかもしれません。あるいは「自分のツイートが? そんなはずないじゃん」と否定する人もいるでしょう。しかし、それはあなたの主観にすぎません。ツイートをした、つまり全世界へ向けて発言した以上、「あなたに傷つけられた」「あなたは誰それの人権を侵害した」「あなたの発言で損害を被った」などと言ってくる人が出てきた場合、プロの表現者でないからといってあなたの責任が減免されることはありません。

実際、一般のユーザーがSNSで軽率な発言をしたために、ある日突然企業や警察などから責任を問われ、一生尾を引くほどの深刻な事態に陥る例は後を絶ちません。あまりに多いので、いちいちニュースにならないだけで……。裁判になった。損害賠償責任を負って、多額の支払いが始まった。警察の家宅捜査が入って以来、家族との関係が冷えきってしまった。こういう人はあとになってから「まさかこんなことになるとは思わなかった」と打ちのめされるのですが、その時にはもう後の祭り。この重荷を、一生背負っていくことになっています。

たかだかSNSのために人生を台無しになんてしたくないですよね? そんな悲劇を防止する方法は、ちゃんとここにあります。

投稿しよう、と思ったら、とりあえずその手を止めて、

  • それは全世界に公開すべきことか
  • 不特定多数に公開することで、自分に危険がおよぶ可能性はないか
  • 誰かの人権を侵害をしていないか
  • 社会的・倫理的責任を背負う覚悟はあるか
  • 運営企業や見知らぬ人々にその情報を教えていいか

といった点を考慮すればいいのです。

たとえば、さっきの「やべー遅刻する。なに電車止まってんだよ」というツイートならどうでしょう。電車が止まっていたことへの個人的な不満――それは果たして、全世界に大公開するほどのことでしょうか。そんなツイートをしてなんの意味があるというのか。不当な揶揄で損害を受けたとして鉄道会社に訴えられたとか、名誉棄損の被害届が出され警察が玄関のドアを叩いてきた、という可能性だってないわけではありません。それに、「遅刻」前後の投稿をみれば、あなたの社会的立場、うっかりすれば学校名や勤め先、利用している電車や行動の時間帯までが、見知らぬ人にも分かります。世の中には、最初から犯罪目的で(たとえば空き巣など)誰かの住所や行動がわかるツイートを探している人もいます。こんなつまらないツイートで犯罪に役立つ情報を自ら差し出し、自分を危険にさらすことはありません(心当たりがあるなら、いますぐ削除を!)。遅刻くらい、心の中にしまっておくのが得策ではありませんか。

どんなサービスを生み出すかは起業家の自由だし、それこそが社会を活気づかせる原動力です。ただ、もし「SNS」という新しい産業に決定的な害悪があったとしたら、それは自分がしていることの重大さを自覚しないまま、プロと同じ責任を1日に何度も背負うような人を世界中で無数に生み出してしまったことに違いありません。

表現のもつ力を力説する私だからこそ、こう考えるのです。SNSは「とりあえず使わない」のが基本だ、と。ここまで読んできたなら、もう意外ではありませんね?

友達とは、オープンに話せるといい

「いいね」や「既読」、返信機能から生まれる「無視されたのでは……?」という底なしの不安。それは探り合いに由来していますね。

だったら一人で悶々とせず、はっきり話題にするのがよい解決策になるはず。きっと、相手も裏では悩んでいるに違いありません。オープンに話してみれば、友達にも喜ばれるのではないでしょうか。

友達とツイッターやラインで遊ぶなら、「『SNS疲れ』って怖くない?」「最近疲れたからやめるわ」などと、普段からオープンに話し合えるのがいいですね。

参考記事:風通しのよい環境を(「学校でのいじめが「事件」になる前に」)

ソーシャルメディア・デトックスでリフレッシュ!

最後になりますが、「ソーシャルメディア・デトックス」という言葉を聞いたことはあるでしょうか? これこそが、「SNS疲れ」から脱却する最大の決定打となります。

「デトックス」とは、「毒抜き」という意味。健康食品なんかで「体にたまった毒素を排出しよう」という意味でよく使われます。

そして「ソーシャルメディア・デトックス」とは、SNSの利用で頭の中にたまってしまった「毒」を抜こうということ。

具体的には、1週間なり、1か月なり、しばらくSNSから離れるんですね。アプリをタップしそうになったら、その指をストップ。投稿は一切見ない。自分も一切つぶやかない。もちろん「いいね」もコメントもしない。

効果は、やってみればわかるでしょう。「SNSがない生活なんてありえない!」という人も、思い切って一切を絶ってみると、それはそれはスッキリしたといいますよ。「いいね」や「既読」など友達とのつながりに疲れている人は、「しばらくデトックスします」と宣言すると入りやすいでしょう。

SNSをやめてリフレッシュした人
「ソーシャルメディア・デトックス」で生まれ変わったようにリフレッシュ!
私の「メディア・デトックス」体験記

私はもとから他人と四六時中ダラダラつながっているのが嫌いだったし、長年培ってきたインターネットの知識から、SNSという新手の「投稿サイト運営業」には最初から冷めた目を向けていました。だから「インスタ疲れ」などとは縁なく来られたのですが、それでも避けられないのはテレビや新聞などによる「メディア疲れ」です。……今思えば、「メディア疲れ」している最中には、ストレスの原因がメディアの過剰摂取によるなんて頭の片隅にもなかったんですけどね。

私に転機がやって来たのは二十代。わけあって数か月、報道という報道から離れた生活を送ったのです。

すると、どうでしょう。1か月くらいで頭がスッキリ、クリアになりました。その数か月、ニュース・新聞・ネットの報道一切なしでも、不便はただの一つもありませんでした。

あらためて考えれば、今朝のニュースであなたに必要な情報なんてあったでしょうか? おそらくは、一つもない。全然必要ないもののために心を悩ましていたのは、骨折り損のくたびれ儲けだった。頭の中をゴミだらけにしていたなんて、本当にばかばかしい。そう気付いたのはこの時でした。

「メディア・デトックス」によって、自分の目、自分の思考、自分だけの心や感性が回復しました。私が日々触れていた報道がいらないものだと分かったからこそ、では自分が知りたい情報は何なのか、それを自分で判断できるようになりました。ちょっとしたことでいえば、傘を持って行くか迷ったときには、今日の降水確率を知りたくなりますね。だったらその時に、自分で天気予報を探せばいい。天気予報がテレビから流れてくるのをただ待っているより、はるかにシンプルで効率的なライフスタイルです。

私たちは普段さりげなく、当たり前のようにニュースを見ています。しかしそれ(とりわけテレビ)は人類史上まれにみる受け身的な行為で、「自分」というものを失ってしまいかねない極めて危険な行為でもあります。ならば、メディアを絶つことで、主体性を回復できるはず。会ったこともない他人の事情を生活から一掃すると、頭の中は自分の人生で満たされました。意図せず行った「メディア・デトックス」から、思わぬ収穫があったのです。

この経験から、私はいまでもできる限り報道から距離を置き、有権者・市民として必要な情報は自分の力で探すようつとめています。そうすることで少しでもストレスを軽減し、自分の頭や心を守りつつ、社会参加をしています。

「メディア疲れ」していたかつての私と同じく、「SNS疲れ」も、人によっては自覚がないのではないかと思います。

この記事をぜひ、リフレッシュに役立ててみてください。自分に自信がないのは、自分がたいした人間でないから。将来に希望を持てないのは、希望を持ちようのない世の中だから。――いえいえ、本当は過多な情報に翻弄されているだけかもしれませんよ? 雨雲に隠される星のように、自信や希望は、雑多な情報に邪魔され見えなくなっているだけだった。それもまた、情報社会のまっただ中とは別の視点から見た、現実なのです。

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