ゼロからわかる!初音ミク・ボカロPとは&音楽制作の行方

「ニコニコ動画でボカロPをやってるんでしたよね?」――以前会った人に突然そう言われ、私はなんでそんな話になったのかと目を白黒させたことがあります。どうやらその人は、私が趣味は作詞作曲だと言ったら、ボカロPをやっているのだと勝手に思い込んでしまったらしいのです。

いまや「音楽といえば」というほど大きな存在となったボーカロイド、略してボカロ。最近はテレビなどでよく話題になるので、みなさんも耳にしたことがあると思います。ただ、それが実際どういうものなのかまで正確に知っている人となれば、だいぶ少なくなるのではないでしょうか? 世間ではアニメのイメージが先行している感が強く、私は誤解も多いなと感じてきました。

そこで今回は、「初音ミク」「ボカロP」とは何なのかを「きほんのき」から解説し、後半ではそれを踏まえてボーカロイドが生んだカルチャーの特徴や音楽業界の変化を指摘、今後を占っていきたいと思います。

ゼロからわかる!「初音ミク」「ボカロ」「ボカロP」の関係

すべてのはじまりは、ヤマハが研究開発し、2003年に発表した音声合成技術でした。この新技術は、たとえば専用のパソコンソフトに「『あいしてる』という発音を『ソファーミレドーー』の音程で」と打ち込めば、それ通りの声を合成して鳴らしてくれる、というもの。この音声合成技術はボーカロイド(ボカロ)と名付けられ、ヤマハの登録商標となっています。

かねてより、音楽制作には録音や楽器パートの打ち込み、編集ができるパソコンソフトがいろいろありました。こうした音楽制作ソフトは楽器店で誰でも購入することができ、プロミュージシャンは例外なく、アマチュアの愛好家でも多くの人が活用しています。

録音、打ち込み、編集ができるソフトはDAW(デジタル・オーディオ・ワークステーション)と呼ばれる。

DAWを使えば、たとえばギターとピアノ二人組のミュージシャンがドラムとバイオリンのパートをソフトに打ち込み、機械に音を鳴らしてもらうことで2人だけで4パートある音楽をつくる、なんていうことができるのです。なんなら自分は何も演奏せず、パソコンだけで曲を完成させることだって可能! といっても、これまで機械が鳴らせるのはピアノやバイオリン、ドラムといった楽器の音だけで、歌のパートだけは人間が歌うしかありませんでした。

それが新技術によって、ついに歌声パートをパソコンソフトで制作できるようになったのです。ボーカロイドは音楽制作にとって画期的な技術でした。2019年には、ヤマハによる人工知能(AI)で歌手・美空ひばりの歌声を解析し、音声合成技術で再現する取り組みがテレビ放映され、話題となりました。

いかがでしょう。ボカロといったら初音ミクとかアキハバラの世界をイメージしていた人には、ずいぶん「堅い話」なので意外だったのではないでしょうか?

新技術が美少女キャラで大ブレイク

では、あの有名なキャラ「初音ミク」とは何なんでしょうか? ヤマハが開発した新技術・ボーカロイドとはどういう関係なのか?

ここからは、新しい技術の「売り出し方」の話になってきます。

音楽制作者のニーズに応えるため、ボーカロイドにはさまざまな声色が必要です。女性の声、男性の声、バラードをやさしく歌えるソフトな声、ロックに向いたクールな声……。こうしたボーカル音源はヤマハとライセンス契約を結んださまざまなメーカーが制作しており、ボーカロイド公式ショップの追加ボイスバンクでは81種類もの声が販売されています(2021年9月現在)。

ボーカロイドの代名詞のようになっている初音ミクですが、本質的には、こうしたボカロ用ボーカル音源の一つという位置づけになります。

初音ミクが発売されたのは2007年。音源の開発・販売企業であるクリプトン・フューチャー・メディアがリリースしたいわば「企画商品」のようなもので、アニメ声をしたボーカル音源に美少女キャラクターを貼り付け、「初音ミクちゃんがあなたの思い通りに歌ってくれますよ」というストーリー性をつくって打ち出したところ、普通の音楽制作ソフトではあり得ないほどの大ヒット商品となりました。つまり、音声合成技術ではなく、初音ミクに無数のファンが付いたのです。イラストを描く、二次創作のマンガや小説を描く、コスプレイヤーがコスプレをするなどしてファンたちから親しまれ、グッズ化やイベントなども盛んに行われるようになりました。

本来ならごく限られた音楽関係者しか使わなかったであろう新しい技術が、初音ミクという美少女キャラクターを付加することによって一般に広まった――それが今日のボカロカルチャーの始まりなのです。

初音ミクが生んだ「ボカロP」とは?

こうして生まれた無数の初音ミクファンは、ネットを中心にファンコミュニティを形成。ソフトに歌詞とメロディーを打ってできあがった「初音ミクに歌わせた曲」を、YouTubeやニコニコ動画などに投稿して、見せ合い、楽しむようになります。このようにボーカロイドで楽曲を制作・投稿する人が、ファンの間のスラングで「ボカロP」と呼ばれるようになりました。

「P」は「プロデューサー」の意味。初音ミクのソフトに歌詞やメロディや歌い方を打ち込んでいると、まるでアイドル歌手をプロデュースしているかのような気分になる、ということからそう呼ばれるようになりました。発想のもとは、プレイヤーが音楽プロデューサーとなってアイドル歌手を成功に導くゲーム『アイドルマスター』だといわれています。

初音ミクが好きな人々が無数に投稿した曲からは、しだいにファンたちの人気を集める曲が出てきます。やがてはファンコミュニティの垣根を越えて、一般にも名がとどろくほど有名な曲も現れるようになりました。たとえばika_moの『みくみくにしてあげる♪【してやんよ】』や、黒うさPの『千本桜 feat.初音ミク』、ハチの『マトリョシカ』などは、ボカロを全然知らない読者でも曲名くらいどこかで聞いたことがあるかもしれません。

ボカロ楽曲には、人が歌うのではなく機械で鳴らすことが前提であるゆえ、テンポが非常に速かったり、早口だったり、極端な音程移動や高音が多用されるといった特徴があります。人間の歌手ではほぼ不可能な歌、ボカロでしかない世にも珍しい曲がこれまでに多数作られてきたのです。また、ピコピコしたテクノ的な曲が大部分を占めるのも特徴です。電子的なサウンドは日本のポップミュージックにあまりなかったため、新鮮さがうけたともいわれています。

ボカロPからプロになる人が出現

楽曲が人気を集めているとなれば、既存の音楽業界もボカロの世界に注目するようになります。

やがて、ボカロ界で人気を博したことをきっかけにプロの作詞・作曲家やミュージシャンになる人が現れるようになりました。有名なところでは、NHKのTokyo2020応援ソング『パプリカ』(Foorin)がお茶の間をわかせた米津玄師や、『うっせぇわ』(Ado)が社会で大きな反響を呼んだsyudouなどは、ボカロPからプロとなったシンガーソングライター、作詞家、作曲家です。

さらに、彼らの影響は隣接するアート分野に波及します。

ネットに既成曲の「歌ってみた」動画を投稿する人は「歌い手」と呼ばれていますが、そのなかには初音ミクの人気楽曲を主に歌ってきた人もいます。たとえば、『うっせぇわ』を歌唱して大ヒットを記録したAdoは小学生のころから初音ミクの楽曲をよく聞いていたと話しており、投稿した「歌ってみた」動画もそのヒット曲が中心でした。またネットに動画を投稿するという性質上、ボカロPの活動はイラストレーターや映像作家とのコラボレーションも生んでいます。ボカロ楽曲に提供したアニメーションで注目を浴びるクリエイターも現れています。

いまや、ボカロカルチャーから生まれた楽曲やアーティストは、ヒットチャートの半数、もしくはそれ以上を占めるようになりました。さかのぼる2015年には、演歌歌手の小林幸子がNHKの紅白歌合戦で初音ミクの人気曲『千本桜』を歌ったことが話題となりました。ボカロ周辺のカルチャーは、日本のポップミュージックにとって欠かせない存在となっているのです。

ボカロPになるには?

では、ボカロPになるためにはどうすればいいのでしょうか? 初音ミクのファンとして遊んでいるうちに有名になってそのまま仕事に……なんていうことが誰にでも起こる時代になったのか。気になるところかもしれません。

これについては、初音ミクが好きだから遊びでちょっとやってみたい人と、本格的に楽曲制作してプロを目指す人では難易度が両極端になります。

入り口は、動作環境を満たすパソコンさえあれば誰にでも開かれているといえます。パソコンソフト「初音ミクV4X」を買ってくれば、すぐにでも歌詞とメロディーを打ち込んで「歌ってもらう」ことができるのです。キャラで売り出した以上、音楽とは関係ない人でもキャラを存分に楽しめるような商品がちゃんと発売されているんですね。もっとも、同ソフトは「一通りなんでもそろってますよ」という初心者向け商品なので、ゆくゆくはもっと本格的な曲を作りたいという人は最初から最新版のボカロエディター(2021年現在なら「VOCALOID5」)を買っておくべきでしょう。(ちなみに「V4X」と違って「初音ミクNT」ソフトだと「VOCALOID」では起動できないということなのでご注意を。)

と、ただ「歌わせる」だけならカンタンなのですが、これより先に進むとなると話はがらりと変わってきます。というのも、ボカロエディターで作れるのは歌声だけ。つまり、バックの楽器演奏はすべて別に作らなければならないのです。では伴奏を作るためには何が必要なのかといえば、先に述べたような音楽制作ソフトと(「Cubase」というソフトがボーカロイドと相性がいいといわれる)、なにより自分が作曲・編曲できるようにならなければなりません。

もっとも上記「初音ミクV4X」は親切設計で音楽制作ソフトが内蔵されており、作曲はできない……という人のために自動作曲機能まで付いています。ただ、自動作曲で生成できるのはあくまで簡易的な曲。遊びの範囲ならこれで十分楽しいと思いますが、それでヒットチャートに飛び込むようなすごい曲を作れるわけではないのです。

ボカロPからプロになった人の曲を聞いてみると、それぞれ音楽にものすごく詳しい人なんだなと感じます。遊びの範囲ならボカロPには誰でもすぐになれるけど、そこからプロになろうと思えばプロレベルの作曲・編曲スキルが必要。ボーカロイドによってミュージシャンのプロデビューに新しいルートができたとはいえ、すばらしい作品を作るためには技術を磨きぬかなければならないというアートの鉄則はどんな時代になっても変わらないんですね。

(※ソフト事情はかなり複雑な上しょっちゅう変わるので、これからの人は買う前に楽器屋さんで聞いてみてください。)

良くも悪くも独特なボカロカルチャー

以上、ボカロとは何か、初音ミクとは何なのかを歴史に沿って解説してきました。アニメやアキハバラのイメージが先行しがちなボーカロイドですが、本質的には音楽制作を支える裏方的な新技術。意外だった……という読者もけっこういるのではないかと思います。

ただ、ならボーカロイドを純粋に技術として見ていいかといえば、やっぱりそうではないんですよね。ここからはボカロの世界にもっとクローズアップして、具体的なところを見ていきます。

好みがハッキリ分かれる美少女キャラゆえの帰結

先ほど、ボーカロイドは技術それ自体ではなく、キャラの力で商業的に成功を収めたと言いました。

数は売れるとはいえ、こうした美少女キャラは諸刃の剣です。好きか苦手か、人によって好みが二分されるコンテンツ。好きな人はキャラがついているというだけでコンビニお菓子でもお米でも音楽制作ソフトでも部屋いっぱいに買い込むけれど、苦手な人はその逆で、キャラがついているだけで手にとらなくなる。そういえば昔、お米のあきたこまちが袋に美少女キャラをつけたら突然飛ぶように売れたけど、以前からの常連さんは「なんだこれは!」と怒って去っていってしまった……なんていうことがありましたね。

美少女キャラを貼って売ったゆえの帰結。熱狂的な固定ファン層ができた一方、初音ミクが好みに合わない人は、それだけでボカロ楽曲の世界、そして新技術としてのボーカロイドからも離れる結果となりました。たとえ音楽をやっていたり、音楽関係の仕事をしている人でも「アキハバラでしょ、あれは」と敬遠する人はけっこうよく見ます。なかには、せっかくの技術があらぬ方向に行ってしまった、と憤る声もあるようです。

私はというと、この件に限らず趣味嗜好は人それぞれの自由であって、自分の感性や価値観を基準にいい悪いをつけるのは筋違いだよなと考えているのですが、個人的にはこの手のカルチャーはとても苦手。だからボカロ曲はずっとノータッチでした。今でもアクセスするのは必要になった時だけです。

作詞作曲をしている私がボカロPにはならなかった理由

「いえ、ボカロはまったくです」――ニコニコ動画でボカロPをやっていると勘違いされた私が目を白黒させながらそう応えると、相手の人もそれはそれで目を丸くしたのを思い出します。その人に言わせれば、ニコニコ動画は作詞作曲する人にとって作品発表の舞台であり、ひょっとすればおとぎ話のようなサクセスストーリーが動き出すかもしれないのになんでやらないのか、と……。

美少女のラベルさえペリペリはがしてしまえば、ボーカロイドは音楽制作のための裏方的な新技術。最近は輝かしい成功を手にしたボカロ出身アーティストがテレビで取り上げられたりしますから、読者も「初音ミクでない、ロック向きのクールな音源とかを選んで曲を作る手もあるのでは?」と思ったかもしれません。

しかし、ボカロをめぐる実情をみていけば、そうもいかないということがわかってくるでしょう。ボカロPは、音楽をやっていれば誰でもなれるものではないんです。

アイドル歌手のプロデューサーになりたいか

なぜ私は作詞作曲が趣味なのに、ボカロPにはならないのか。

まず最初に言えることは、「音楽が好きで作詞作曲を始めた人」と「初音ミクが好きだからボカロPを始めた人」は多くの場合一致しないということです。

ボカロの世界の独特さは、ファンが使っているスラングによく表れています。何を隠そう「ボカロP」もその一つ。「P」は「プロデューサー」の意味で、元ネタはゲーム『アイドルマスター』だと言いました。ならば、美少女アイドルキャラにあれこれ指示を出したり歌わせたりすることに魅力を感じない人はなりたいと思わないし、なりようがないんですよね。自分には自分のやりたい音楽がある。ボカロPになり得るのは、偶然音楽制作と初音ミクの両方が好きだった人だけなのです。

アキハバラが苦手なタイプの読者は「美少女アイドルのプロデューサー」という時点ですでに「ちょっと無理……」と引いているかもしれません。しかし、ボカロ周りのサブカル色の濃さはこんなものではないんですよ。次で紹介する『千本桜』の動画には「メイド」が登場しますし、ボカロファンの間では成人コンテンツとしか言いようがないスラングもごく日常的に話されているんです。

好きな人にしかわからない、クセのある世界

曲を作っているのがそういう趣味嗜好の人である以上、楽曲の中身や作風にもアキハバラ的な性格やカラーは反映され、カルチャーに構造化されます。

ためしに不動の人気曲『千本桜』を参照してみてください。

リンク:『千本桜』歌詞(歌ネット、新しいタブで開きます)

……初めての方は、ぎょっとしたり、ぞっとしたりしませんでしたか? ピアノパートが極端に速い音楽にのせて「ICBM(筆者注:大陸間弾道ミサイル)」、「断頭台」「光線銃を撃ちまくれ」など武器や流血を意味する語が次々と脈絡なく発せられるのはじつに特徴的です。ネット上でも怖い、意味不明だ、不謹慎ではないかといった感想や意見はれっきとしてあるようで、読者の感性によっては気分が悪くなるかもしれません。

独特なのは、この攻撃性は推理ドラマにおける殺人シーンのような必然性がない「からっぽな攻撃性」だということでしょう。プロテストソングなど、一般のそれとも異なっています。攻撃的だけれど攻撃性に中身はない。作中世界で特定人物が殺害されるといった具体性もない。血や命に現実感がない。時とともにボカロ楽曲の世界も移り変わっているといわれていますが、このような攻撃性は2021年に社会で大きな反響のあったAdoの『うっせぇわ』にも形を変えながら受け継がれています。また映像においても、人気曲『夜に駆ける』(YOASOBI)の動画で、ポイントとして使用された血とみられる描写や飛び降りとみられる表現が「一部の視聴者にとって攻撃的または不適切な内容を含んでいる」としてYouTubeの規制対象になったのが話題になりました。一般社会に進出したとはいえ、サブカル由来の気質はそれでも変わっていないのです。

攻撃性のほか、もう一つ特徴的なのは「名詞の羅列」です。雑多な名詞が目まぐるしく出現し、歌詞に筋立てはない。『千本桜』に限らず、『マトリョシカ』などボカロの人気曲では同テイストが目立ちます。

歌詞重視だといわれる日本のポップミュージック界ではあまりヒットしてきませんでしたが、意味のとりにくい歌詞というのはポップミュージックにかねてより存在します。まずテクノ系の音楽はピコピコした音楽性重視なので、歌詞は無意味でいっこうにかまいません。アコギ弾き語りの筆者からはほど遠い世界ですが、音楽はこれもありなんですね。またテクノではなくても、たとえばボブ・ディランの『When The Ship Comes In』なんかは隠喩でつくられたようなリスナーには分かりにくい世界ですし、Queenの代表曲『Bohemian Rhapsody』には呪文のパートが出てきます。ただそれでも、意味の通った筋立てはできていて歌詞に展開があるので、ボカロ好みな語呂と勢いだけの「名詞の羅列」とは異なります。

さらに、歌詞の内容それ自体だけではありません。ファンの間では、こうした意味が明瞭でない人気曲に対して「歌詞の意味を考察する」という独特な現象が定着しているんですよね。ここでいう「考察」というのはまことしやかに語られた噂話のようなものであって、一般社会でのそれとは異なります。アニメ映画『となりのトトロ』が実はホラーだという根拠無根の「都市伝説」が多くの人に信じられるに至り、業を煮やしたスタジオジブリが公式に否定した一連の顛末とよく類似しています。人気曲についてああだこうだ、もしかしたらこうなんじゃないかなどと談義するのは、曲の制作者とファンに境界がないコミュニティゆえの「いっしょに楽しむ」行為なのでしょう。

では、中身のない攻撃性を盛り込む、名詞を脈絡なく羅列するといった独特な傾向は何に由来するのでしょうか? 私は、これも源泉をたどればアイドルなんだろうなと解しています。音楽には「この人はR&Bを聞いてきたんだろうな」「この人はジャズ出身だな」などとアーティストの音楽歴が如実に表れるものですが、私が初めて『千本桜』を聞いた時はすぐに「アイドル歌謡だな」と思いました。ピアノパートこそ極端に速いですが、メロディーは決してそうではなく、かんたんで覚えやすいんですよね。プロの作曲家は、アイドル歌手の楽曲を依頼されたときはファンがアイドルといっしょになって盛り上がれるハイな音楽性や、覚えやすいメロディー、合いの手を打てる箇所、かんたんな振り付けがしやすいサビやキメなどが重要だといいます。『千本桜』の音楽からは、ステージ上の初音ミクに向かって合いの手を打ち、盛り上がるライブの観客が目に浮かんでくるようです。

いかがでしょう。ボカロカルチャーの歌詞世界には独特なクセがあることがわかると思います。動画のアニメ絵は言わずもがな。こうしたテイストは好きな人にしか分からないし、作りようがないのです。

必ずしもアニメっぽくないと言うけれど

ボカロ好きな人は、ボカロ曲は必ずしもアニメっぽくない、作品は多様だとよく言います。私のことをボカロPだと勘違いした人もそう言って、だからやりなよと勧めてきたものでした。

たしかに、歌詞の内容をみてみれば普通のラブソングだったり、最近ではジャズテイストなどオシャレさを前面に打ち出した楽曲がヒットチャートにランクインして一般の耳に届くことも増えました。Adoの『うっせぇわ』は古めかしい職場への不満をぶつける歌詞で社会から注目されましたし、前述のYOASOBIも小説を音楽にすることをコンセプトとしたボカロ系アーティスト。一般社会でヒットする曲が存在感を増してきた近年では、歌詞や絵柄においてアニメっぽさから脱しようとする向きもあるようです。

しかし、以上で指摘してきた通り、ボーカロイドをめぐるカルチャー全体にアイドル歌謡やアキハバラが構造化され、密接不可分になっているのは事実です。サブカルチャーのそのまたサブカルチャー。一般性があるとはいえません。社会への反発を訴えているかのような『うっせぇわ』ですら、プロテストソングとしては内容が不十分だという見方が多く見受けられます。ヒットチャートの半数を占めているといいますが、ボカロは人を選びます。美少女キャラの影響で、分野自体がそういう風土になったのです。

初音ミクやその周辺のテイストが好きか、少なくとも抵抗はないという人でなければ足を踏み入れようがない――これが、私がボカロPにならず、なろうと思わない理由です。

ボカロPが拓いた、新しい創作活動と音楽ビジネスのあり方

以上のように、ポップミュージックのそのまたサブカルチャーでのカリスマ的存在であるボカロP。最近はヒット曲で話題になることが増えましたが、社会全体を視野に入れれば、その影響力は限られていることがわかります。

ただ、私には一点、ボカロカルチャーに関して高く評価している点があります。ボカロPという新しい形の音楽制作者が創作活動に新たな可能性を拓き、既存の音楽業界を変えたという点です。閉塞しがちな日本社会にあって、この出来事は大いに注目に値すると思います。

従来、プロのミュージシャンになりたい人はオーディションを通る、デモテープを送るなどして事務所からデビューするしか方法がありませんでした。そうやってポップミュージック業界に足を踏み入れても、ようやく立てるのはスタートライン。スポットライトがまぶしい舞台に立つには、本当の試練はそこからでした。

しかしボカロPの存在は、この定型化した音楽業界のキャリアに変化をもたらしました。人気楽曲、ファン層、影響力をすでにとりつけた人がポップミュージック業界に参入し、最初から第一線で活動しているのです。

順序だけではありません。音楽関連企業とアーティストの立場関係にも新しさが指摘できます。従来、デビューしたいアーティスト志望者とデビューさせる音楽事務所では、どうしても志望者が弱い立場に立たざるを得ませんでした。それがボカロPとなれば、すでに人気楽曲や収入源をかかえているのだから、音楽事務所に依存しなくていい。自立した、より強い立場で音楽活動を行うことができるのです。このようにボカロPという新しい音楽制作のあり方によって近代的かつより対等な契約関係が生まれ、しかも定着をみたのは、日本社会において画期的だといえるのではないでしょうか。

創作活動の方法論と、ビジネスの方法論。ボカロPと呼ばれる人々がその二点で同時に革新をもたらしたことを、私は高く評価しています。

今後は、新しく得た自由を生かしてよりクリエイティブな作品をつくれるか、一般社会に通用する強靭な作品が出てくるかなどが焦点となるでしょう。

まとめ

音声合成という新しい技術に美少女キャラクターを付加することで商業的に成功を収めたボーカロイド。ファン層に独特なカルチャーが形成され、いまではポップミュージック界で大きな影響力をもつようになりました。

ボカロPの影響力は、ポップミュージック界のそのまた一部と限定的ではあります。しかし、アートおよびビジネスの双方で革新と近代化を実現したのは、日本社会にとって注目に値する出来事だったと思います。こうした革新や近代化がポップカルチャー界で起こるのは、大衆文化が大きく育った戦後日本らしいのではないでしょうか。

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